咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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11.悪魔の収穫

 決勝戦 対局室

 

(最悪……最悪だわ) 

 阿知賀女子学院 新子憧は、自分だけに聞こえる愚痴を繰り返していた。

 自分の転がしたサイコロによって、この場に怪物を誕生させたこと。今現在の阿知賀の点数。そして、自分自身の立ち位置。それらを総合して、憧は現状を最悪と言っていたのだ。

(渋谷尭深のラス親が連荘するとは限らない……でも……)

 憧自身、それは“オカルト”だと思っていたが、鷺森灼が主張したように可能性は捨てきれなかった。もし、それが発現したなら、阿知賀は飛ばされてしまう。そう考えると、選択肢は2つしかない。

 1つは、“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”。前半戦と同様に少ない局数で最終局を迎えれば、それは可能であった。しかし、渋谷尭深とて、この好機を逃す筈はなく、高得点の誘いを仕かけ、面子を惑わし、スロットを増やしてくるだろう。また、この選択肢では、劣勢の阿知賀を立て直すことができず、ジリ貧状態が継続してしまう。そして、憧にとって、何よりも我慢できなかったのは、高鴨穏乃との約束を果たせないことであった。

 よって、憧はこの選択をしなかった。選んだのは2つ目の“〈ハーベストタイム〉の連荘に耐えうるだけの点数を稼いでおくこと”であった。憧は、尭深の役満の連荘(それ自体がありえない話ではあるが)を2回程度と予測していた。だから、4万点ほど加点できれば、今よりはましなシチュエーションで灼に繋げられると推察した。それは、最悪の中の最善的な考え方であった。

 

 東一局 9巡目、新子憧は悪魔からの誘惑に抗いきれなかった。

「ロン、立直、断公九、平和、5800です」

「はい」

 憧に点棒を渡す渋谷尭深の口元には、笑みが浮かんでいるように思えた。

(……どこまでそれを続けられる? そんなに自信があるの?)

 白糸台高校は16万点以上持っており、5800点ぐらいでは、かすり傷程度なのはよく分かるが、14スロット揃えるには、7回の親の連荘が必要だった。残り6回、満貫以上を餌にするにしても、5,6万点の失点を強いられる。――目の前にいる渋谷尭深は、最終局にその失点以上の収穫を得られると確信していた。恐るべき自分の力への自信であり、それは、憧が求めて止まないものでもあった。

 

 東一局 一本場、憧の手牌には、有効牌が次々と集まってきた。7巡目にして、三色同順、ドラ1を聴牌していたが、【三萬】の辺張待ちの為、様子を伺っていた。そこに、いきなり渋谷尭深がその牌を切ってきた。

「ロ、ロン、8300……」

 咄嗟のことで、反射的に和了してしまった。冷静に考えるのなら、尭深は上家の位置にいるので、慌てる必要は全くなかった。

「はい」

 尭深の表情は、出来の良い家来に対する王のものであった。『いいぞ、その調子だ』そんな声が聞こえるようであった。

(悪魔め……)

 憧は、自分が作り出した悪魔に恐怖していた。

 

 

(まずいわね……憧ちゃんを止めなきゃ)

 新子憧とは違い、竹井久は、“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”を選択していた。『発動したら、試合は終わる』、久が全国制覇の野望を託した宮永咲はそう言った。

(なりふり構ってはいられないわ、親の連荘は、全部私が流すつもりでいかないと)

 とはいうものの、久の手は重かった。かろうじて【中】が対子であり、そこを起点に攻めるしかないと考えていた。対して、親の憧にはどんどん有効牌が集まっているように見えた。

(これも、渋谷尭深の能力なのかしら? ずいぶんと極端ね……)

 久は考察をしてみた。

 仮にそんな能力があったとしても、その実行には、大量の失点が伴うので、個人戦では使えない。唯一の使いどころは、団体戦で大量リードのある場合のみであった。

 ――久は、自分の血の気が引いてくのが分かった。

(……だれが考えたのかしら、このオーダー。怖いわね、白糸台高校……そして、この子も)

 決勝戦前の渋谷尭深への評価は、さほど高いものではなかった。最後に大きな手で上がることが多かったが、打ち筋自体は無難なものであった。久の予想では、点数の維持と、その特殊な打ち方による対戦相手の混乱を目的に、中堅に配置されていると判断していた。しかし、弘世菫は一枚上だった。完全なるクローザーをここに置いていたのだ。その為に、宮永照を先鋒にし、大量リードを作り出させていた。しかも、決勝までそれを温存させる用意周到さであった。

(でもそれは、机上の空論よ、私が阻止してみせる)

「ポン」

 久は、尭深の捨てた【中】を鳴いた。若干ではあるが、尭深の表情が曇った。

 そして、11巡目、久のブレイクは成功した。中、ドラ2の自摸上がり1200、2200であった。

 

 

 渋谷尭深に関しては、臨海女子の中でも意見が分かれていた。データ重視の監督アレクサンドラ・ヴィントハイムは、それほど脅威と思っておらず、せいぜい最後には気をつけろ的なアドバイスであった。

 それとは対照的に、辻垣内智葉とネリー・ヴィルサラーゼは、非常に危険な存在と考えていた。渋谷尭深がラス親になった場合は、決して親で連荘してはいけないし、させてもいけない。それは過剰なまでの危機意識であった。

 そして、雀明華の考え方はそのどちらでもなかった。あえていうのならば、その中間で、自分の親の連荘は一定数ありだが、他家のそれは邪魔をする。要は、渋谷尭深の最終局天和さえ抑止できれば良いと考えていた。第一捨て牌を積み重ね、役満手を作り上げるのは容易ではない、そう思うと、智葉達の行き過ぎた意見には同調できなかった。

 ――しかし、東二局、雀の手牌に発生した異常事態は、智葉達の意見を肯定していた。

(これは……私以外の力が働いている……)

 

 手牌には、【東】【西】が刻子であり、その他は索子で染められていた。しかも6巡目にして聴牌していた。風牌が集まるのはともかくとして、この手の進み方は尋常とは思えず、明らかに対面にいる悪魔の力が作用していると雀は訝しんだ。だが、立直で直撃すれば、臨海女子がトップに躍り出る。――雀はその誘惑に勝てなかった。

「リーチ」

 その直後、雀は後悔をした。目の前の渋谷尭深が笑っていたからだ。だとしたら、これから何が起きるか予想できた。自分が索子を集めているのは、だれが見ても分かる。しかし、尭深はそれを当たり前のように切ってくるだろう。目的は最終局のスロットを増やす為に。

 そして、その予想は“的中”した。

「ロン……立直、一発、W東、混一色、18000」

「はい」

 その点棒は、速やかに渋谷尭深から雀明華に渡された。それは、あらかじめ準備されていたかのようであった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『白糸台高校、首位陥落! トップは臨海女子高校だー!』

『……』

『小鍛冶プロ?』

『あ……すみません』

『白糸台高校 渋谷尭深選手の跳満振り込みで、トップが入れ替わりました』

『そうですね、これは危険ですよ』

『危険ですか?』

『普通、あり得ませんから、こんな振り込み』

『ええ、渋谷選手は、ここまでの四局中三局で振り込んでいます。しかも、すべて親にです』

『意図的でしょう』

『はい、今回、渋谷選手は親で最終局を迎えます。それが役満ならば48000点、そこまでなら失点しても良いという判断でしょうか?』

『48000点……それで、すむのなら……』

『小鍛冶プロ……』

『ごめんなさい、正直、圧倒されています』

『すこやん……』

『止めなければなりません。この渋谷選手を……』

 

 

「こんな人間がいたとはな……」

 そうつぶやいた天江衣の表情から、いつもの余裕が消えていた。

「衣はどう思いますの?」

「あり得るよ。そうでなければ、こんな真似はできない」

 龍門渕透華の質問に、衣は辛そうに答えた。

「透華、衣は、自分の能力を100%信じることはできない。そして、それが迷いとなり、隙ができる。咲との試合がそうだった。――だが、間違いだとは思わない。なぜなら、失敗の可能性を排除した闘いなど、人間には不可能だからだ」

「人間には?」

 衣は、モニターに映った渋谷尭深を見て、眉を寄せた。

「この白糸台中堅は、失敗するなど微塵も思っていない。自信を超えた自信だ。何万点失おうが、最後に取り返せると確信している。……本当に人間か?」

 衣に戸惑いの表情が浮かんでいた。

「衣……もう一人いますわよ」

 宮永咲のことを言っていた。顔合わせの時の威圧感を目の当たりにして、透華は、今の咲を人間とは思えなかった。

「……分かっている。しかし、その闘いを見たわけではない」

「そう? 意外ですわね。衣がそんな風に言うなんて」

「咲は……おそらく……」

 そこまで言って、衣は口を閉じてしまった。宮永咲の件は、今ここにある危機を脱出してからの話であった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(親跳に振り込んでまで? まずいわ……まずすぎる)

 竹井久の焦燥感はピークに達していた。渋谷尭深の最終局積込みは、既に10スロットに達しており、これ以上増やすわけにはいかなかった。

 東二局 一本場

「ポン」

 久は、渋谷尭深の第一捨て牌【白】を副露した。

(【白】か……大三元狙いよね)

 これまでの渋谷尭深の捨て牌は【発】【中】【発】【西】、そして、今回が【白】であった。順調に大三元の積込みが行われていた。前局【西】を切っているのは、〈風神〉雀明華が最終局は西家になるので、その対策に思われた。

(最終局では〈風神〉の力さえ無力化できるってこと? とんでもない怪物ね……)

 その雀は、前局と同様に手が伸びているのであろう。自摸牌がどんどん手牌に入っていっていた。首位となった臨海女子としては、それを確実なものにしたほうが良いと考えたのか、雀は連荘する気が満々であった。そして、10巡目に彼女が立直をかけた。

「リーチ」

 窮地に立たされていた。久も聴牌していたが、ここで上がれなければ、下家の渋谷尭深が、再び雀に振り込むだろう。だから、勝負はこの巡目だけであった。それは、長野個人戦での対宮永咲戦を思い起こさせた。

(あの時と同じ、咲の自摸番より前に和了しなければ、嶺上開花で負ける。そう予感し、そうなった。だけど、今回は絶対負けられない……)

 久は、祈る気持ちで牌を引いた。待ちは【七萬】【五萬】の両面待ち。

 ――指で牌を確かめた。感触は【七萬】であった。

(今回は……私の勝ちね……)

「自摸、白、南、ドラ1、1100,2100」

 久は、安堵の溜息を洩らしながら、点数を申告した。

(ま、まだ東三局なの……こんな疲れる麻雀は初めてだわ)

 東三局は、久の親番であった。良い自摸が続いて、満貫まで手が進み、尭深からのアプローチもあったが、久は上がりを拒絶していた。

 13巡目、雀が2700点で自摸してくれた。久は、渋谷尭深のリスクを増やすことなく、局を進めることに成功していた。

 

 

 新子憧は心の中で大きく揺れていた。

 清澄高校の竹井久は“〈ハーベストタイム〉を発動させないこと”を選択していた。憧が、今朝のミーティングで赤土晴絵と鷺森灼から受けた指示もそれであった。しかし、目まぐるしく変わる状況を考え、憧は別の選択肢を取っていた。そして、その正当性に疑問を持ち始めていたのだ。

(私が作り出した怪物……私が始めてしまった親の連荘……どうしてこんなことになったのかな?)

 負の連鎖的な考え方であったが、憧はそれに押し潰される弱者ではなかった。現状をリセットし、状態の再構築を考えていた。

(この渋谷尭深の親は連荘させてはだめ、私が即流す)

 東四局 5巡目、憧は平和の一向聴であった。得意の速攻の体勢に持ち込んだ。面子の竹井久も白をポンしており、渋谷尭深に先駆けるつもりであった。憧はそれにも柔軟に対応できていた。

(点数はもはや関係ない。私でも清澄の部長でもどっちでもいい。親の連荘さえさせなければ)

 だが、今の渋谷尭深は、そのような他家の試みを、発泡スチロールの壁程度の障害としか思っておらず、難無く蹴散らした。

「ツモ、発、500オール」

 これで、11スロット。続く一本場も、憧は鳴きで攪乱したが、僅か7巡目に尭深に断公九を和了された。

 そして、二本場も、憧は懸命に抵抗したが、8巡目に白で上がられた。

 憧だけではなかった。竹井久も雀明華も顔が青ざめていた。もはや13スロットで、あと1回で最終局天和の悪夢の可能性を作り出してしまう。

 東四局三本場、3人は、必死の形相で牌に向かっていた。その結果、8巡目に、竹井久が2900点で尭深に直撃し、親を流すことができた。かろうじて、首の皮一枚残ったのだ。

 ――そして、南一局 9巡目。新子憧は“残酷な選択”を渋谷尭深から迫られていた。

(こんな選択を私に……この人……本当に悪魔だわ……)

 憧の手牌には、索子が集まっており、既に聴牌していた。尭深は『これで上がれ』とばかりに【七索】を切ってきた。まさしくそれは当たり牌、清一色、平和、ドラ1の倍満、24000点であった。

(これで上がれば14スロット揃ってしまう。でも、渋谷尭深の配牌によっては天和を回避できるかもしれない……。何よりもこの24000点は阿知賀にとって必要な点数……でも、最終局に怪物が暴れたら……)

 憧は頭の中で、何度も何度も同じ問答を繰り返し、同じ間違いを重ねていた。それは、答えのない問題の回答を探すようなものであった。既に尭深が【七索】を切ってから30秒が過ぎ、40秒が過ぎていた。竹井久と雀明華が不安そうに憧を見ていた。

 ――憧は、震える手で、牌を倒した。

「……ロン」

(シズ、許して……私は……私は弱すぎる……)

 憧の目は、固く閉じられた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「シズ、私達は……奇跡を信じるしか手がなくなった……」

 赤土晴絵は、そう言った後に歯を食いしばった。部長の鷺森灼も無言で画面を見つめていた。

「そうですね……でも、奇跡は起こるものではありません」

「?」

 晴絵は怪訝そうに高鴨穏乃を見た。

「見てください、憧を。打ちのめされ、瀕死の状態かもしれませんが、目は死んでいません」

「うん」

 灼が答えた。穏乃は部長のその発言に嬉しくなったのか、笑顔になっていた。

「奇跡が起こるとすれば、それは憧が起こします」

 晴絵は、力なく肩を落とし、ペットボトルのお茶をコップに注いで、それを飲んだ。

「シズ、奇跡ってのはね、砂漠に落とした100円玉を探すようなものだよ。それが簡単に見つかると思っているの?」

「見つけられますよ……私達なら」

 晴絵は飲んでいたお茶を吹き出し、せき込んだ。

「晴絵! 大丈夫?」

 灼は晴絵の背中さすり、ハンカチを差し出した。

「赤土さん!」

 穏乃も晴絵に近づこうとしていたが、手でそれを制止した。

 晴絵は笑っていた。せきがひと段落すると、声に出して笑った。

「晴絵?」

 心配そうに灼が寄り添っていた。晴絵は、その灼の肩を借りて立ち上がった。

「忘れていたよ、私達は今までだって、奇跡の連続だった」

 晴絵は穏乃に向かい合う。

(この小さな体に秘められた闘志が、私達阿知賀の希望。だから……)

「信じるよ、憧も灼もシズも。私達は負けない。負けるわけがない」

 奇跡は起こるものではなく、起こすもの。それは、阿知賀女子学院の闘い方そのものであった。

 

 

 決勝戦 対局室

  

 南一局 一本場以降、新子憧、竹井久、雀明華の3名は、歯止めが利かなくなっていた。特に、南二局一本場で、渋谷尭深の大三元天和が確定してからは、これまで守りの立場であった竹井久も親萬を上がるなど、大量失点への備えに躍起になっていた。

 

 中堅後半戦の南三局一本場までの経緯は以下のとおりである。

 

 東一局      新子憧    5800点(渋谷尭深)

 東一局(一本場) 新子憧    8300点(渋谷尭深)

 東一局(二本場) 竹井久    4600点(1200,2200)

 東二局      雀明華   18000点(渋谷尭深)

 東二局(一本場) 竹井久    4300点(1100,2100)

 東三局      雀明華    2700点(700,1300)

 東四局      渋谷尭深   1500点(500オール)

 東四局(一本場) 渋谷尭深   1800点(600オール)

 東四局(二本場) 渋谷尭深   2100点(700オール)

 東四局(三本場) 竹井久    2900点(渋谷尭深)

 南一局      新子憧   24000点(渋谷尭深)

 南一局(一本場) 竹井久    8300点(2100,4100)

 南二局      雀明華    6000点(2000オール)

 南二局(一本場) 竹井久    4300(1100,2100)

 南三局      竹井久   12000点(4000オール)

 南三局(一本場) 新子憧    5500点(1400,2700)

 

 中堅後半戦 南三局(一本場)迄の各校の点数

 臨海女子高校  141700点

 白糸台高校   101500点

 清澄高校     92900点

 阿知賀女子学院  63900点

 

 渋谷尭深の第一捨て牌(南二局 一本場迄)

【発】【中】【発】【西】【白】【発】【二索】【中】【西】【白】【三索】【白】【中】【四索】

 

 

「ハーベストタイム」

 南四局開始直前、竹井久には、渋谷尭深がそうつぶやいたように聞こえた。同じタイミングで、新子憧と雀明華も尭深を見ていたので、間違いないだろう。

(後半戦だけで6万点以上減らしている。その回収をこれから始めるつもり?)

 それは異様な緊張感であった。久は渋谷尭深の行動すべてに神経を尖らせていた。サイコロを回す指、自模る動作、目の配り、すべて見逃すことはできなかった。今、自分たちは、彼女に刈り取られるの待っている身なのだ。少しでも延命を図るのならば、そうする以外なかった。尭深はドラ牌をめくり、理牌を始めた。久は息が詰まる思いであった。

 ――それは、ゆったりとした動作であった。理牌を終えた尭深は、正面を向いて牌を倒した。久には、倒れる牌がスローモーションのように見えていた。

「天和です。16000オール」

 予想していたとは言え、久は言葉がでなかった。天和、しかも大三元であった。

(怪物め……。でも、ここまでは計算済みよ。問題は次から……)

 点棒の処理が終わり、一本場が始まった。ここからは未知の領域、待っているのが地獄ではないことを願うばかりであった。

 尭深は先程と同じように配牌を終えた。そして、何事もなかったかのように【二萬】を切った。

(【二萬】! ど、どういうこと!)

 久は、尭深の意図が分からず混乱していた。だが、尭深の手牌が見えている者達には、それは、悪魔の所業としか思えなかった。

   

 

 清澄高校 控室

 

「咲……これは?」

 染谷まこが、現状について宮永咲に助言を求めた。画面の渋谷尭深の手牌は大三元聴牌で、さっきの天和時との違いは【四索】が【二萬】になっていたことであった。

「……これは、引き直しかも」

「引き直し?」

「分かりませんが……連荘するたびに一つずつ手が遅れるのかもしれません」

 まこは首を傾げた。

「そりゃあ、どう言うこっちゃ」

「次に渋谷さんが【四索】を引いてくるかどうか――」

「あ……」

 原村和が驚きの声を上げた。渋谷尭深は【四索】を引き直して、2回目の大三元を和了した。

「連続役満……。咲! 部長にできることはなんじゃ?」

「……一人では無理かもしれません」

「何じゃと」

「3人で協力しなければ……」

 咲の表情は変わっていなかった。だが、僅かではあるが声が震えていた。

「この怪物は止められない……」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「私は……作戦をミスしたかもしれない」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、懺悔をするように言った。

「大三元の連荘、あり得ない……。しかも、見ろ、この渋谷尭深の配牌を!」

 南四局 二本場、尭深は大三元の一向聴。先程のように尭深が牌を引き戻すのならば、他家が先行できるチャンスは、2巡だけであった。だが、画面から得られる情報では、それは不可能であった。

「ネリー!」

 アレクサンドラの悲痛な呼びかけに、ネリー・ヴィルサラーゼは、気の毒そうに首を横に振った。

「無理です……この局も渋谷が取ると思います」

「渋谷尭深……なんというやつだ。――負けるのか? 我々はこのまま負けるのか?」

 その質問は、ネリーに対するものではなかったが、答えは準備していた。

(でも、これが答えと呼べるかは分からないけど)

「まだです……まだ、終わりは見えていません」

 

 

 決勝戦 対局室

 

 新子憧は、恐怖で喉がカラカラになっていた。この局も役満で上がられると、阿知賀の残り点数は15600点になり、完全に王手をかけられてしまう。だから、ここで止めなければならない。どうやら、連荘することにより、渋谷尭深は手を後退させるようだった。ならば、引き戻しをさせなければ良い。憧はそう考えて副露の機会を待っていた。

 1巡目はそれができなかった。憧は自分が過呼吸になっているのが分かっていた。手も震え、頭痛もしていた。おそらく一時的な酸欠状態になっていると自己分析していた。だが、その薬は一つしかない。

(この怪物を止めること)

「ポン」

 2巡目に好機が訪れた。雀明華の捨てた【九筒】を鳴くことができた。これで、自摸を一つ進められる。

(私ができるのはここまで、これでだめなら……)

 憧が注目したのは、竹井久の自摸だった。渋谷尭深の大三元に関連する牌は、彼女が引くはずであった。

 しかし、久は、浮かぬ顔であった。憧をチラリと見て、【六萬】を自摸切りした。

(だめなの……? この手は通じないの?)

 憧の呼吸は、更に荒くなっていた。そして、目を見開き、尭深の自摸を見入った。

 ――渋谷尭深はたっぷりと時間をかけて自模り、その牌を手牌の13枚にくっつけた。そして、顔を上げ、憧を見ながら牌を倒した。

「自摸、大三元、16200オール」

「……神様」

 憧は、無意識に、その言葉を口にしてしまった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観客席は大きくざわついていた。役満3連荘という人知を超えた展開に、どうすべきか分からなかったのだ。だから、皆待っていた。福与恒子と小鍛冶健夜の解説を。

 

『これは……なぶり殺しのようなものです』

『小鍛冶プロらしからぬ、ダーティな表現ですね』

『……』

『すみません……えー、それは、どういう意味ですか』

『渋谷選手ですが、一本場は大三元の聴牌状態から、二本場は一向聴から始まりました。だから、次は二向聴から始まると思うのです』

『そうですね、しかも失った牌は、自摸で確実に引き直しています。とすると、次は4巡目で和了することになりますね?』

『親の4巡、つまり、子は3巡以内で上がらなければなりません』

『次も渋谷選手が大三元なら、阿知賀女子学院の飛び終了になりますからね』

『だからです。3巡で上がるなんて、よほどの運か、あるいは……』

『あるいは、何ですか?』

『3人で協力するかです』

『それは、違反行為ではありませんか?』

『場の流れで、特定の人に牌を集中させたりはできます。それはルールの範囲内での戦術です』

『そこまでしなければ止められませんか? このモンスターは』

『モンスターですか……控え目な表現ですね』

『え?』

『3巡で上がらなければ、確実な死を与える者。それは死に神……』

 

 

 白糸台高校 控室

 

「照、これで、いいんだろう?」

 弘世菫が振り返って、宮永照に聞いた。阿知賀の飛ばし終了を提案してきたのは照なので、その最終確認であった。

「いいよ、これで終わるのなら、それに越したことはない」

 照はそう言ったが、冴えない顔つきであった。

「淡、どうだ?」

 大星淡は答えに困っていた。本音は嫌であったが、それを言ったところでどうにかなるものではなかった。だから、無難な返事をした。

「いい。白糸台の為だから」

 菫は、呆れた顔になり、半怒りで言った。

「……全く、お前らときたら。勝ちたいのか宮永咲と闘いたいのかどっちなんだ?」

 淡は助けを求めるように、照を見た。

 ――照も淡を見ていた。そして、『私が言うよ』と手で合図をして、菫に向かい合った。

「言ったはずだよ、私達の悲願は白糸台3連覇だって」

 その、ぶっきらぼうな言い方に、淡は目を伏せてしまった。

(だめだ、菫にこんな嘘は通じない。また怒られちゃう)

 意に反して、菫は笑った。しかも大声で。

「――2人共……嘘をつかなくてもいいよ、闘いたいなら、そう言えばいい」

 菫は、笑いを収めていた。

「でもね、もう尭深を止めることはできない。終わるよ、この試合は」

 淡もそう思った。試合前に渋谷尭深は言っていた。『対戦相手には自分が悪魔に見えると思う』と。それはそうだろう、なにしろ、モニター越しに見ている淡でさえ、そう見えるのだから。一方ではこうも思っていた。悪魔と対面している3人に頑張ってもらい、何とか尭深を倒してほしいと。それは、弘世菫に見抜かれた淡の嘘の内訳であった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(憧ちゃん、神に頼ってはだめよ。相手は人間よ、渋谷尭深がどんなに凶悪でも、所詮は人間。だから、倒すのも人間なのよ)

 勝っても負けても、竹井久にとってこれが最後の対局であった。それは、信じられないほどの条件戦で、3巡以内で上がらなければ、試合そのものが終わってしまう。その緊張に久の心臓は激しく鼓動していた。

 南四局 三本場、配牌が始まった。牌を引くたびに、久の顔は険しくなっていった。13個の牌はバラバラで、とても3巡で上がれる代物ではなかった。

(私らしいわね……でも、諦めるわけにはいかない)

 久はサポートできる相手を探した。〈風神〉雀明華は、自信を喪失しているらしく、眼球を目まぐるしく動かしていた。それは、意外であった。これまで圧倒的な力で攻め続けていた雀が、怯えるように防御態勢に入っていた。彼女は使えなかった。そうなると、新子憧しかいない。久は、祈りを込めて憧を見た。顔はチアノーゼを起こしているように白かったが、その目は、覇気を取り戻していた。

(強いわ、この子……いいわ、あなたにすべてを託す。だから諦めちゃだめよ)

 渋谷尭深の【七索】切りで始まった1巡目、南家の憧は、自摸牌を手牌に入れて【五筒】を捨てた。久の自摸番、引いてきた牌は【南】であった。憧が早上がりを考えているのなら、自風牌を待っている可能性は高い、そう考えて【南】を切った。

「ポン」

 小気味良く憧が牌を晒した。捨て牌は【三筒】。

(【五筒】【三筒】か……だとすると【一筒】【四筒】の待ちがあるのかしら?)

 久はその【四筒】を持っていたが、今は切ることができなかった。再度、久の自摸番、憧がどんな手を作っているか確認する必要があった。見えている【南】と、【二筒】【三筒】を持っているかもしれないことは分かった。残り8牌の見当を早急に付けなければならない。久の額からは、汗が滲んでいた。考えた末に、久はど真ん中の【五萬】を切った。憧は確認して、直ぐに手牌に目を戻した。

(そう、萬子は集めてないのね)

 二巡目、憧は、尭深の捨てた【八索】を鳴いた。

「チー」

 これで、2副露、憧は持っていた“安牌”を捨てた。それは【白】であった。

(その牌を残して【五筒】【三筒】を切った? これはメッセージなの?)

 久は、隣の〈風神〉の河を確認した。【西】が2枚並んでいた。尭深に2枚押さえられている為、不要と判断して捨てたのだろう。だが、それからは、何の情報も得られなかった。雀は持っている風牌を切りきるつもりなのか、自摸番の捨て牌は【北】を手出しした。

 久の山に延ばす手は小刻みに震えていた。この捨て牌で判明しなければ、あと1巡しかない。そう考えると、何もかも投げ出したくなっていた。

(憧ちゃん、あなた聴牌しているの……?)

 そこが判明しなければ、今は手が打てなかった。そこで、久は次巡にすべてをかけることにした。

 捨て牌は【六筒】、仮に最初の2牌がメッセージではなかったとしても、筒子の待ちはこれで絞り込めると考えた。その牌は、憧にスルーされた。

(答えを有難う……、でも、あなたの持っている残り牌、それは何なの?)

 遂に3巡目に到達した。気のせいか、渋谷尭深の顔つきが変わったように思えた。これまでの余裕が見られなかった。

(やはり彼女も人間……倒せるわ)

 憧の自摸番、ここで上がってくれるのがベストであったが、そうはならなかった。憧は、先程久が捨てた牌と同じ【六筒】を自摸切りした。

(自摸切り? そう、あなた聴牌しているのね! これで、私が【四筒】を切れば止められる)

 久に希望が見えていた。しかし、次の雀の捨て牌で、その驚くべきことは起こった。

「ポン」

 憧は、雀の切った【東】をポンした。久はそれを見て感動していた。

(なんて子なの……このギリギリの状態で〈風神〉の風牌切りを待つことができるなんて)

 おそらく憧は、対子を二つ持っており、どちらかをポンできなければ聴牌できなかった。タイムリミットがあまりにも短い為、手を変えることはできず、だから雀の切る【東】を辛抱強く待っていたのだ。この、悪魔の支配の中で。

 そして憧が捨てた牌は、“安牌”の【中】であった。渋谷尭深の顔から、笑みが完全に消えていた。

(大明槓でもするつもり? それはできないでしょう? だって、あなたの自摸牌がズレてしまうから)

 久の震えは止まっていた。自摸牌を引いた。切るべき牌は決まっていたが、高校最後の対局の感慨に浸っていた。

(凄いわ……こんなことができるなんて……。グレートハンティング、憧ちゃん、あなたのおかげよ)

 久は静かに【四筒】を切った。

「ロン、W南、2900です」

「はい」

 

 試合終了のブザーが鳴った。波乱の中堅戦は終わりを告げたのだ。

 

 中堅後半戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   246400点

  臨海女子高校   93400点

  清澄高校     41700点

  阿知賀女子学院  18500点


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