咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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14.繋ぐ気持ち

 決勝戦 対局室

 

(原村……大丈夫なの?)

 礼を終えた鷺森灼は、なかなか頭を上げない原村和が心配になった。対局中もしばしば辛そうにしていたし、何よりも顔色が悪すぎる。このまま倒れたりしないだろうかと思い、ちょっとの間、様子を見守った。――やがて、和は顔を上げた。真っ白な顔であったが、意識ははっきりしているように見えた。

(大丈夫そうだね)

 ほっと胸を撫でおろし、灼は、向きを変えて階段を下り始めた。

――背後から大きな音が聞こえた。振り返ると、和が雀卓にうつ伏せで倒れていた。

「原村さん!」

 灼は、和に駆け寄った。亦野誠子とメガン・ダヴァンも灼の大声を聞きつけて、階段を走り上がってきた。

「ゆっくりだ! ゆっくり」

 誠子が灼に指示をした。ゆっくり起こせということだろう。そのとおりに、静かに和を起こして、椅子に座らせた。

 和の額には、血は出ていないものの赤い擦り傷ができていた。

「鷺森さん! 椅子をリクライニングさせてください。メ……」

「メグと呼んでクダサイ」

「メグさん、原村君を横にして衣服緩めて」

 メガンは和を横向きに寝返りをさせて、セーラー服のネクタイを緩めた。

「ヒドイ汗デスネ……」

「大量の発汗による低血圧状態で、急に立ちあがった。だから脳貧血を起こしたのだと思います」

 誠子は、和の口元に手を当てた。

「呼吸は安定しています。とりあえずはこのままで。鷺森さん、係の人にドクターを……」

「それには及ばないじぇ!」

 片岡優希が女ドクターを引きずりながら階段を上がってきた。ドクターは、息も絶え絶えに座り込んでしまった。

「先生! 早くのどちゃんを!」

「ちょ! ちょっと待って……」

 優希のペースにつき合わされたドクターは行動不能になっていた。

 続いて、染谷まこが、息をはずませながら上がってきた。

「ゆ、優希、わりゃあ……早すぎじゃ」

 まこは膝に手をついて、呼吸を整えた。そして、辺りを見回し、灼達に目を止めた。

「すまんのう、せっかくの休憩時間に。後は、わしらが和の面倒を見ますから、休んでください」

 そう言って頭を下げた。

 灼はもう一度、和を確認した。回復したドクターが近づき、これから診断を開始するところであった。任せても良さそうだ。

「そうですか、それでは、お大事に」

 

 

 階段に向かって歩いていた3人を、運営側の係員が呼び止めた。

「皆さん、一度控室にお戻りください。今後につきましては、原村選手の状態を確認してからご連絡致します」

 皆で顔を見合わせた。しょうがないという雰囲気であった。

「はい、分かりました」

 メガン・ダヴァンを先頭に、階段を下り始めた。

「――マタノ、助かりマシタ」

「え? 何が?」

「ハラムラの応急処置の件デス」

「本当。どうしていいか分からなかった」

 鷺森灼も最後尾から声をかけた。

「ああ、私は趣味がアウトドアだからね」

 階段を下りきったところで、メガンが振り返り、笑顔で言った。

「それデハ、マタノは本当にフィッシャーなのデスカ!」

「なんか馬鹿にされているような……まあ、釣りは好きだよ」

「ハハハ、今度アメリカに来たら、ワタシに連絡してください。コロラド川でフィッシングデス」

「アメリカ……それだったら、この大会が終わったら釣りに行こうよ、日本の川でね」

 メガンはアメリカ人らしいオーバーなリアクションで「OK」を繰り返していた。

 そのやり取りが、何故か可笑しく、灼は声に出して笑った。

 ――唐突な寒気が灼を襲った。

(なんだ……あれは……)

 10メートルほど先から、宮永咲がこちらに向かって歩いてきていた。いや、その手の振りからは、走っているものと思われたが、ほぼ、歩き同等の速度であった。ただ、異様なのはその周り空気で、灼には歪んでいるように見えた。そして、彼女から放たれる圧倒的な何かが灼に向かってくる。

(まずい……これは……)

 その衝撃波に、灼は思わずよろけてしまった。その手を取り、支えたのは亦野誠子であった。

 ――宮永咲が近づいてきていた。誠子の手が震えていた。

「だめだ……今の淡では勝てない……」

 最接近した宮永咲を前に、誠子はそうつぶやいた。灼自身も、蛇に睨まれた蛙のごとく、身動きがとれなかった。

(これが……これが宮永咲!)

 咲が通り過ぎていった。

 やがて、灼の体も自由になり、振り返ることができた。咲は、歩くような走りで、階段を上っていた。――震える誠子の手も灼から離れた。

「有難う……」

「……いや」

 2人は魔王に圧倒されていた。その絶対的な恐怖に、口数が少なくなっていた。

「マタノ、サギモリ、2人は2年生デシタネ」

 メガンの突然の質問に、灼は当惑しながらも頷いた。

「なんともまあ、羨ましい……」

「え?」

 答えたのは誠子であった。メガンの言葉の意味が分からなかったのだ。

「だって、そうデショウ、アナタ達は来年も、アレと闘う資格がある。それはワタシにとっては、羨望の極みデス」

 メガンは咲を指差して言った。その顔は僅かに怒りを含んでいた。

「ソウ、嫉妬するほどにネ……ダカラ、そんな顔をしてはダメデス」

 

 

 知らない顔の女性が見えていた。和は虚ろな意識の中で、考えを巡らせていた。歳は30代で、眼鏡をかけている。自分の左腕を見ると何かが巻き付けてあり、彼女はそれを見ている。おそらくは血圧計。ということは、この女性は医者であろう。――徐々に記憶が甦ってきた。前半戦終了後の礼で立ち上がった時、強烈な眩暈がして立っていられなくなった。それが最後の記憶。

(そう……私は、気を失っていたのね)

 

「あら! 目を覚ましたわ」

「のどちゃん!」

「和!」

 聞きなれた声がした。片岡優希と染谷まこの声であった。

「優希、染谷先輩……」

 その後ろには、涙ぐみながら心配そうに見つめる宮永咲の姿があった。

「和ちゃん……」

「咲さん……」

「おっと、まだよ、友達とのおしゃべりは、私の診察が終わってから、いい?」

 ドクターは職業的な笑顔で言った。

「はい……」

 和はおとなしくその言葉に従った。

 

 

 決勝会場 観覧席 

 

『大変なことになりましたね。清澄高校はリザーバーがおりませんので、欠員棄権の可能性も出てきました』

『準決勝の園城寺選手の場合は、試合終了後でしたので、そういう問題は発生しませんでしたが、今回はそうはいきません。大会ルールでは――』

『お待ちください、小鍛冶プロ。今、インターハイ運営本部より連絡がありました。それによりますと、今、行われている、原村選手のドクターチェックにより、試合継続不可能と判定された場合は、現在の点数で順位が確定されます。つまりは、1位 白糸台高校、2位 臨海女子高校、3位 清澄高校、4位 阿知賀女子学院の順番です』 

『優勝は白糸台高校……これまでに例がありませんが、やむを得ないでしょう』

 会場はざわざわしていた。それは、不満の声によるものであった。このインターハイ決勝がそんな終わり方をすることに、だれもが我慢できなかったのだ。

『原村選手の容態が快方に向かい、試合継続が可能とドクターが判断した場合は、15分間のインターバルの後、後半戦は再開されるとのことです。現在、清澄高校以外の3校の選手は、控室に戻り、待機している状態です』

『……良くなるといいですね』

『そうですね』

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「おはよー!」

 仮眠を取っていた松実玄が、ドアを開けて入ってきた。そのすぐ後ろには、姉の松実宥の姿もあった。

「玄! 宥! よく眠れた?」

 赤土晴絵が笑顔で聞いた。2人の登場によって沈み込んでいた部屋の雰囲気が、一気に明るくなった。

「よく眠れたよー。ねー、お姉ちゃん」

「はい、疲れがとれました」

 松実姉妹は上機嫌で皆と同じ席に座った。

「玄さん、宥姉、ご飯食べる?」

 高鴨穏乃は2人に弁当を渡した。食事もとらずに寝ていたのだ、きっと空腹であろうと思った。

「有難う、穏乃ちゃん」

 玄と宥は、穏乃から弁当を受け取り、おいしそうに食べ始めた。

(やっぱり、この2人がいると、場が和む)

 ニコニコしながら食事をしている先輩達を見て、穏乃もつられて笑顔になっていた。

「ごめんね、私がミスをして点数を減らしちゃった……」

 新子憧が詫びるように2人に言った。

「憧ちゃん、まだ3万点以上あるよ。私達の役割は何だっけ?」

 宥は、優しく憧に質問した。

 モニターには、常に各校の点数が表示されており、宥は阿知賀の現状を把握していた。

「役割?」

「うん、役割。私達姉妹も、憧ちゃんも、灼ちゃんも役割は全部同じだよ」

「思い出した……」

 全員が一斉に穏乃に顔を向けた。そして、代表するように憧が言った。

「シズ……私達の役割は、あなたに繋ぐこと」

 皆から託された思いは、穏乃の大きな力になった。しかし、それに相当するプレッシャーも感じていた。穏乃は、引きつった笑顔で頷いた。

 

「ただいま」

 鷺森灼が戻ってきた。

 絶体絶命の危機を脱出した灼の成果に、全員が笑顔で出迎えた。しかし、灼には笑顔がなく、心なしか顔色も悪く見えた。そのまま歩いて定位置である晴絵の隣に座った。

「お疲れ様です灼さん。その……和は大丈夫でしょうか?」

 穏乃は、原村和のことが気になり訊ねてみた。

「脱水症状による脳貧血。亦野さんがそう言っていた。――大丈夫、原村和は復帰できるよ」

 素っ気ない返事の灼に違和感を覚えたが、その答えは穏乃を安心させた。

(和……良かった。このままじゃ終われないよね)

「灼、どうした? 何かあったのか?」

「別に……なんでもない……」

 晴絵も不自然さを感じたのか、探るように灼を見ていた。

 灼は、晴絵と目を合わせないように、下を向いて飲み物を飲んでいた。

「いや、やっぱり隠しても意味ないか……」

 灼は、頭を横に振ってつぶやいた。そして、顔を上げ、穏乃に視線を合わせた。

「シズ、私はさっき、宮永咲と出会った……」

「……」

「恐ろしかった。怯えて体が硬直してしまった。あれは……人間じゃない」

 恐怖が甦り、寒気を感じたのか、灼は肩をすぼめていた。だが、穏乃にとって、それは、既に学習済みであった。宮永咲の存在は、確かに恐ろしい。でも、怯えてばかりでは、何も変わらない。勇気をもって立ち向かわねばならないのだ。

「そう、灼は、抽選会でいなかったからね」

「え?」

「私達も咲ちゃんと会ったんだよー」

 憧と玄が、会場の通路で宮永咲とすれ違った場面を説明していた。初めて聞いたのか、灼は面食らっていた。

 穏乃は、今日の顔合わせでの情報も伝えることにした。

「決勝前の対局ステージ上でだって、あの子は凄かったんですよ。まるで処刑人でした。『いつでも殺せるぞ』そんな顔で私達を見ていました」

「私達?」

「大将の3人です。私と淡さん、ネリーさんです。みんな大打撃を受けていました」

「穏乃ちゃんも?」

 質問したのは宥で、その顔は心許なげであった。

「はい、さっきまではそうでした。でも、今は大丈夫です」

 少し間を置いてから、穏乃は灼と向き合った。

「灼さんは、一つ間違えています。人間ですよ、宮永咲は……」

「人間……」

「渋谷尭深と同じで、彼女も人間です。だったら必ず倒せます。――私は、さっきそれを、憧に見せてもらいました」

「シズ……」

 驚いたような顔で憧が言った。

 それを見て、灼は小さな溜息をついた。

「じゃあ、私も確率の悪魔を倒すことにするよ」

 控室に戻ってきて、初めて灼が笑った。穏乃はそれが嬉しかった。けれど、少しだけ、意地悪をしてやろうと思った。

「それは難しいかもね」

「は?」

「いや、ああ見えても和は腹黒いですから、きっと酷い嫌がらせを受けますよ」

「腹黒いのはシズも同じだよ」

 憧も意地悪そうな顔で穏乃をからかった。

「阿知賀で一番は、やっぱり憧ちゃんだと……」

「ちょっと! 玄!」

 そこから、和、穏乃、憧の腹黒さの暴露大会が開始された。その露骨な内容とは裏腹に、阿知賀女子学園控室には、笑い声が満ち溢れた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「そう、咲に……会ったんだね?」

 宮永照の問いかけに、亦野誠子は言葉を発せず、下を向いて頷いた。そして、誠子は懺悔さながらに独白を始めた。

「宮永先輩。私の完全なる敗北……絶対に勝てない相手は先輩だけでした」

「……」

「でもそれは、何度か闘った末に、私自身で受け入れたもの……」

 誠子は顔を上げて照を見た。その表情は苦悩が浮かんでおり、救いを求めていた。

「しかし、先輩の妹……宮永咲は……圧倒的でした。私は、彼女に勝てる気がしません」

「誠子……」

 その名前を呼んだのは照ではなかった。大星淡であった。

「淡、笑わないでほしい。私はお前ほど強くない。私は……闘わずして敗北を受け入れてしまった」

「笑わないよ……でも、怒るよ!」

 その言葉通り、淡の顔は怒気を含んでいた。

「闘わなきゃ分かんないよ! 誠子がそんなんじゃ、私達はどうなるの!」

「淡……」

「テルーも菫も来年はいないんだよ! 私達を引っ張っていくのは誠子しかいないんだよ!」

 意外な発言に、弘世菫は少々驚いたが、淡の心情は理解できていた。

(そうか、淡、お前は悔しいのだな。信頼している誠子が、弱気になっていることが)

 素直じゃない後輩は、菫の考えに一致した言葉を口にした。

「私は、人の上に立つ人間じゃない、でも、誠子は違うから」

 誠子にも淡の気持ちが伝わった。みるみる表情が柔らかくなっていった。

「分かった。そうだね……闘わなければ分からない。淡、お前は完全に立ち直ったんだな? 宮永咲の呪縛を振り払ったんだな?」

「もちろん、もう私はサキを恐れたりはしない」

「なら、私もベストを尽くすよ。いい状態でお前に繋ぐ」

「準決勝の時も……」

 いつもの淡に戻っていた。先輩を先輩と思わない生意気な口振りだ。

「またその話か……今回は――」

「冗談だよ! 亦野先輩!」

「……」

 無茶苦茶な1年生と、それに苦笑する2年生。それは毎日のように見てきたシーンであった。

(この土壇場でも、こんなドタバタが見られるとは……大したもんだよ)

 そう思うと、菫は、この後輩たちを少し褒めたくなった。

「淡、お前、見かけほどバカじゃないな」

「バカとは何よ、バカとはー!」

 むきになって怒る淡を見て、誠子はいつものように大声で笑った。

(誠子、お前は自分の価値が分かっていない。淡が正しいよ)

 ふと隣を見ると、照も2人を見て笑っていた。

(ほら、見てみろ。隣にいる偏屈な天才だって笑っている)

 照が菫の視線に気がついた。そして、怪訝そうに言った。

「何?」

「何でもないよ」

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 控室待機を指示されたはずのメガン・ダヴァンは、一向に姿を現さなかった。そのメガンを迎えにいった留学生3人も帰ってこない。辻垣内智葉は様子を見に行こうと考え、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムにそれを告げようとした。

 ――控室に固定されている電話が鳴った。それは、主に緊急用として使われる運営側との直通電話であった。アレクサンドラは受話器を取り、流暢な日本語で応対し、通話を終えた。

「原村が回復した。試合再開は15分後だ」

「メグに伝えます」

「頼む。どこにいるかは分かるだろう?」

「長い付き合いですから」

 智葉のその台詞に、アレクサンドラは微笑んだ。

 

 

 試合会場通路

 

 遠くから、奇妙な日本語が聞こえてきた。

(あいつら……こんな大声で)

 みんなは、50メートルほど先にあるラウンジにいるのだろう。その距離にもかかわらず、仲間の声は、もう智葉の耳に届いていた。

 ――甲高いネリーの笑い声が聞こえて来た。怪しいイントネーションのメグの声も聞こえる。雀も郝も歌うように笑っていた。まるで、音楽でも奏でているようであった。その音楽が徐々に大きくなってきた。

 智葉はラウンジに到着した。

「智葉!」

 智葉を見つけて大声で呼んだのは、ネリーであった。

「みんな、ご機嫌だね」

「ハイ、楽しいですよ。智葉もそこに座ってください」

 郝慧宇の勧めで、智葉はメガン・ダヴァンの隣に座った。

「智葉、ブルッチマッタってどういう意味ですか?」

「ブルッチマッタ?」

 雀明華の質問は意味が分からなかった。でも彼女たちはその言葉が面白いらしく、何度も繰り返し、子供のように笑っていた。

「メグがね、宮永咲を見てブルッチマッタって……」

 ネリーは最後まで説明することができず、途中で笑い出してしまった。それは、4人に伝染し、またみんなで笑っていた。

「メグ……」

「なんデスカ」

「変な日本語ばかり覚えると……」

「サトハ、顔がコワイデス。そんなにコワイと、ワタシはブルっちまいます」

 外国人の4人は耐えきれないとばかりに、笑い悶えていた。智葉は何が可笑しいのか、さっぱり分からず、呆然としていたが、だんだん、それがうつってきた。

(全く……こいつらときたら)

 5個目の“笑い袋”が完成した。臨海女子高校 団体戦メンバー全員で、そのよく分からない幸せな笑いを心行くまで楽しんだ。

 

 

「何時デスカ?」

 戦闘モードに戻ったメガン・ダヴァンが、試合の再開時間を聞いた。智葉は、ラウンジに掛けてある壁時計を見て答えた。

「10分後だ」

「そうデスカ、デハ、そろそろ腰を上げまショウ」

「もう?」

「ハイ。ハラムラにお願いがありマスノデ」

 メガンは立ち上がり、頭の上で腕を組んで、背伸びをした。

「サトハ、ワタシは前半戦で暗闇を3回仕かけまシタ。2回は勝ちましたが、負けた1回が、パーフェクトすぎマス」

「印象が強すぎるか……残りは1回か?」

「エエ、勝てば納得できマス。ただし、相手はあのハラムラでなけレバ……」

 日本での最後の試合。メガンは漠然と闘うのではなく、はっきりとした目的を持っていた。それは、原村和との直接対決を制すること。龍門渕透華の代役として想定していた彼女は、それを上回る真の敵としてメガンの前に立ちはだかっていたのだ。

(そうだね、それでこそメグだよ。完全燃焼だ。後悔をするぐらいなら、燃え尽きたほうがましだ)

「メグ……必ず勝って」

 その要望はネリーが発した。それは様々な意味が込められていた。メガンへの信頼、自信が感じている不安、そして、宮永咲への恐怖。

 メガンは、それを読み取ったのか、穏やかな笑顔で、自分の気持ちを伝えた。

「アタボウヨ。ネリー、いい形で、アナタに繋げますヨ」

 メガンは対局室に向かって足を進めた。彼女が好きな日本語『後悔しないとは振り返らないこと』その言葉通り、メガンは、一度も振り返ることなく、智葉の視界から消えていった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

「ごめん、遅れて」

 竹井久は大きな荷物を重そうに抱えて、ステージに上がった。

「部長、遅いわ」

 染谷まこが、不満を露にした。久は、「ごめんなさい」と、まこに謝り、持っていた荷物を置いた。

「ドクターから話を聞いたわ、和、大丈夫そうね」

 久は気遣うように、原村和に声をかけた。

「はい、水分を多くとるように言われました」

「そう思って――」

 荷物の中から、2リットルのスポーツドリンク3本を、和用のラックに置いた。

「こんなに飲めませんよ!」

 和が弱りきった顔をしていた。メンバーの3人も、極端すぎる展開に唖然としていた。

「それと着替えを」

「着替えですか? 持ってきていませんでしたが」

「透華から借りてきたわ」

 と言って、紙袋を和に渡した。

「龍門渕さんじゃと、サイズが合わないんじゃないのか? その、一部が……」

「これは、和用にあつらえたメイド服よ」

「ああ……そういえば、そんなこと言っとったな」

 以前に龍門渕透華が、原村和を龍門渕のメイドにすると公言していた。このメイド服は、その為のものらしかった。

「メイド服で麻雀を打つんですか?」

「うちの店じゃあ、結構のりのりだったじゃろ?」

 まこがふざけるように言った。

「でも、今日は全国に……」

「ごちゃごちゃ言わないで早く着替えてきてちょうだい。許可だってもらっているんだから。そんな汗だらけの服じゃ風邪をひくでしょ!」

「……はい」

 和は、抵抗するのを諦め、紙袋を持って立ち上がった。しかし、足がふらついており、バランスを崩した。

「和ちゃん!」

 咲が抱きかかえるように和を支えた。

「危なっかしいわねえ。咲もついて行って」

「はい」

「私も一緒に――」

 片岡優希もついて行こうとしていたが、またもや、まこに止められた。

「優希はいかんでええ」

「……」

 

 

 試合会場通路

 

「やあ、マタノ」

「メグさん……ずいぶんと早いですね」

「お互い様デス」

「……」

 違う方向からやって来たメガン・ダヴァンと亦野誠子は、T字路で合流し、並んで歩いていた。

「私と同じ理由ですか?」

「多分ネ……」

 2人はまっすぐ正面を向いていた。その表情は、無駄な感情が切り捨てられた競技者の顔であった。そして、その状態のまま、会話は継続された。

「原村君はかなりの負担がかかるみたいだし、1回だけでどうですか?」

「1回で十分デス」

「OK、2人で頼みましょう」

「マタノ」

「何ですか?」

「あなたも意地っ張りデスネ」

「お互い様ですね」

 

 

 試合会場 更衣室

 

 着替えの終わった原村和は、鏡に映った自分の姿を見て、頭を抱えていた。

 白を基調としたその服は、エプロンがあるので、辛うじてメイド服とはいえたが、胸の部分が強調され、まるで、ネット麻雀の自分のアバター“のどっち”のようであった。

(こ、これはさすがに……。でも制服は汗まみれだし……、咲さんに感想を聞いてみよう)

 和はカーテンを開けて、恥ずかしそうに言った。

「どうですか?」

「可愛い……」

「そ、そうですか?」

 可愛いと言われ、和は顔が赤くなった。咲は嬉しそうに手を握り、和をじろじろと見ていた。

「本当に可愛い、和ちゃんはメイド服も似合うね」

「も、もう行きますよ」

 そのまま手を繋いで、会場へと向かった。咲の手から伝わる体温により、和の心は平常を取り戻していた。

「和ちゃん……もうあんな無茶しちゃダメだよ」

 和の手を握る咲の力が、僅かに強くなった。

「はい、でも見てほしかったんです。私が、咲さんを倒す資格があるかどうか……」

「うん……凄かった。和ちゃんはやっぱり私の……」

「咲さん……」

 2人は立ち止り。見つめ合った。

「咲! 和! 何やっているの、もう!」

 いつの間にか、ステージをおりていた竹井久に怒鳴られた。咲も和も、手を離して、久に謝った。

「白糸台と臨海は、もう席についているわよ。和もスタンバイして」

 久はペンギンの縫いぐるみを、和に渡した。

「はい」

 片岡優希が、和の背中を不思議そうに眺めていた。

「何か……書いてあるじぇ」

「え?」

 久は、和の長い髪に隠れた、メイド服の背中を確認し、額に手を当てて天を仰いだ。

「透華……やってくれたわね」

「え? 何ですか? 何が書いてあるんですか?」

 和の背中には、大きな文字で“龍門渕”と書かれていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 大型モニターには原村和が映されていた。背中に“龍門渕”と書かれているメイド服は、実に際どく、会場からは歓声が上がっている。

『これは悪質なコマーシャルですね』

『はい、本当に悪質です』

 実況解説の福与恒子と小鍛治健夜のも、呆れ半分の様子だ。

 

 

「やりすぎだよ透華、あんな服に校名を入れるなんて」

「問題ナッシングですわ。目立ってなんぼの世界ですから」

 国広一には、透華のその答えは予想できていた。しかし、こんな小細工は無意味だとも思っていた。だから、透華にその現実を教えることにした。

「でも、目立ってるのは、ウチじゃなくて原村和だと思うよ」

「確かに……目立ちすぎですわ……原村和」

 和のアップに画面が切り替わり、歓声は更に大きくなった。

「今度は、エプロンにも校名を入れるようにハギヨシに言います」

 透華は親指の爪を噛みながら、悔しそうに言った。

「本当に……悪質だよな。人間的に」

「今回は、純に同意する」

 井上純と天江衣は呆れ果てていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 原村和は席に着いて、2リットルのドリンクのキャップを開けて、コップに注いで飲んだ。気持ちの問題ではあるが、幾分力が湧いてきた。

 エトペンはいつもの場所にある。通常の原村和で闘う準備が整った。

「もういいのデスカ?」

「はい、ご迷惑おかけしました」

「試合にも戻れたし、良かったね」

「有難うございます」

 メガン・ダヴァンと亦野誠子に頭を下げた。彼女たちに応急処置をしてもらったと部長から聞いていた。和は2人に心から感謝した。

「原村君……私達は、君にお願いがあるんだ」

 誠子が先程までとは異なる、重苦しい口調で言った。隣のメガンも同じ意見のようであった。

「もう一度、あの原村和と対戦がしたい」

「え?」

「かなりの精神力が必要でしょうが、一度だけで結構デス。ぜひ、お願いシマス」

「……」

 和は即答ができなかった。宮永咲や竹井久からは、もうあの打ち方をしてはいけないと言われていた。和自身も集中力の持続は難しいと思っていた。

「私からもお願いする。憧から、原村さんへの対策を伝授された。試してみたい」

 鷺森灼が、時間ぎりぎりで対局ステージ上に表れた。彼女の発言は、和の闘争心を奮い立たせていた。

(憧……私と勝負がしたいんですね! いいでしょう。望まれるのは嬉しいことです)

「お受けします」

 その言葉により、場の空気が一気に張詰めた。

「勝負はオーラスです」

 試合再開のブザーが鳴った。

 

 

 全員の心は、既にオーラスに向かっていたが、それまでの過程に手抜きをするような4人ではなかった。

 筒子が集まりだし、トリッキーな打ち筋を見せる鷺森灼。スピードによるプレッシャーをかけ続ける亦野誠子。果敢にデュエルを仕かけ相手を翻弄するメガン・ダヴァン。そして、牌効率にこだわった合理的な麻雀で相手を寄せ付けない原村和。

 副将後半戦は、その4人の特徴が混じり合い、そしてぶつかり合う、実にエキサイティングな闘いであった。

 

 東一局      流局       聴牌 鷺森灼、原村和

 東一局(一本場) 鷺森灼      6300点(2100オール)

 東一局(二本場) メガン・ダヴァン 3600点(原村和)

 東二局      亦野誠子     4000点(1000,2000)

 東三局      流局       聴牌 原村和

 東四局      原村和      8000点(2000,4000)

 南一局      亦野誠子     5800点(メガン・ダヴァン)

 南二局      原村和      6000点(2000オール)

 南二局(一本場) メガン・ダヴァン 4200点(亦野誠子)

 南三局      鷺森灼      8000点(2000,4000)

 

 

「始めましょうか……」

 再び、原村和の口から、その言葉が発せられた。前局までの紅潮していた彼女の顔は、青みを帯びるほど白く変わり、着ている衣装の白さと相まって、本当に氷の天使に見えていた。

 南四局 親の亦野誠子がサイコロを回し、配牌が開始された。

(原村、無理をさせてすまないと思っている。だが、分かってほしい。私達は、このままでは終われないのだ)

 配牌が完了した。誠子の手牌には役牌を含む対子が4個もあり、大きな手に発展する可能性があった。

(狙えれば対々和か、2副露目で役は読まれるが、待ち牌が予想し辛いはず)

 面前での勝負は一切頭になかった。あくまでも3副露で勝つ。それが、誠子にとって、この勝負の唯一納得のできる終わらせ方であった。

 上家のメガン・ダヴァンが牌を伏せた。

(最後はそれか……。敵は原村だけではない。メグ、あなたも。鷺森、お前もだ!)

 誠子の第一捨て牌は【西】であった。4人の意地とプライドが交差するオーラスが開始された。

 


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