咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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15.始動

 決勝戦 対局室

 

 

 副将後半戦 オーラス

  東家 亦野誠子     213500点

  南家 鷺森灼       45100点

  西家 原村和       67200点

  北家 メガン・ダヴァン  74200点

 

 

(やっぱり、私の考え方は古いのかな)

 鷺森灼は、眼前の展開に独り言ちた。手牌を読まれるのを承知の上で、副露を重ねる亦野誠子や、振り込む危険性を省みないメガン・ダヴァン、そして、デジタルの極北ともいえる原村和は、灼が理解できる範囲外にいた。

 だが、その面子を相手に、副将後半戦は、プラス収支の結果を残せている。

(半荘という短いスパンの勝負なら、流れや運を意識するのは、悪いことではない)

 そこまで考えて、灼は、自分自身を鼻で笑った。

 そう、分かっていた。そんな論理武装は、自分の古さを証明することに他ならなかった。

 

 灼は、自身のスタイルで原村和に対抗できるとは思っていなかった。だがら、試合開始前に、和をよく知っている新子憧の指導を受けていた。それは、灼にとって、驚きの連続であった。

 

 

 50分前 試合会場通路

 

「灼、惑わされてはダメよ、和は今、前より弱くなっている」

「え?」

 鷺森灼には、新子憧の言った「弱い」という意味が分からなかった。なぜなら、副将前半戦は、完全に原村和の支配下にあった。「弱い」などとは思えなかったからだ。

 憧は、戸惑っている灼に丁寧に説明をした。

「デジタル打ちはね、シンプルなほど隙がないのよ。見えているデータで自摸可能な山牌を予測し、聴牌率、和了率を最優先に打牌選択し、先行立直をかける。それが、これまでの和のスタイル。ネット麻雀最強と呼ばれた“のどっち”のね」

「でも、今日は違った。他家にも干渉していた」

 灼の感想に憧は頷き、そして、眉間に皺を寄せて言った。

「今日の和は……麻雀AIのアルゴリズムで打牌してるのよ」

「……そんなこと、できるの?」

「できるわけがないわ、だから、倒れちゃったのよ。それに……和は、入ってはいけない領域に踏み込んでいる」

「入ってはいけない領域?」

 灼は、憧の言ったその言葉に不安を覚えた。 

「牌の偏り……運と言ってもいいわ、デジタルでは排除してもいい要素。和は、それを計算式に組み込んでいる」

「あの子ね……」

「そうね、完成されていた必勝パターンを捨ててまで、新しいスタイルを構築しようとしている。すべては、あの子に対抗する為だと思う」

 先程の不安がなんであったのか、その疑問が解けた。灼は、忌まわしき答えを口にした。

「宮永咲……」

 高鴨穏乃の励ましで多少は気が楽になったが、その名前には、灼を恐怖させる力があった。魔王との遭遇は、それほどまでに衝撃的であった。

 憧は、そんな灼の気分を変えようと思ったのか、話を軌道修正した。

「灼、最初の話だよ、和のそれは、まだ準備期間みたいなもので完成には程遠い。だから、付け入る隙は以前より多いよ」

「……例えば?」

「そうね、引っかけとか、今の和には区別ができないはずよ。それと、あえて最善を選ばない打牌とか、AIの弱い部分を突いて」

「さすが……やっぱり憧は阿知賀ナンバー1」

 灼は苦笑いをして、憧を茶化した。

「……あんな多数決は無効よ、今度は赤土さんも入れて、全員で投票するからね」

「それじゃあ、次も憧に投票するよ」

「……」

 ぶすっとした顔で、憧は灼を睨んでいた。

 

 

 7巡目、鷺森灼の手牌は、まだ二向聴であったが、筒子が程よく集まっており、何よりも憧が言っていた、引っかけを可能にする牌が揃っていた。

 【一萬】【三萬】【五萬】のリャンカン形。

(子供の頃は、こんな引っかけで上がると怒られたな……)

 原村和の捨て牌を確認した。灼を前にして、筒子を保持するのが不利と考えたのか、序盤で【四筒】が切ってあった。

(憧……やってみるよ、AIを迷わせればいいんだね)

 次巡、筒子の有効牌を自模った。これで一向聴。灼は、ヒリヒリするような緊迫感を楽しんでいた。

 

 

「ポン!」

 亦野誠子は、原村和の自摸切り【五索】をポンした。8巡目にして、ようやくの1副露であった。

(【五索】の自摸切りか……第一捨て牌の【二索】早い巡目での字牌切り、それと【四筒】【五筒】も切られている。6から9までの三色か萬子の一通か?)

 和の河の状態を見て、誠子は焦っていた。まだ聴牌していないはずではあったが、この2巡の自摸切りが気になった。

 9巡目、和は有効牌を引いたのか、それは手牌の中に入っていった。切られた牌は【発】。

「ポン」

(これで一向聴。対々和、発、ドラ1、上がれば8000だが……)

 誠子の手牌は、対子の【一索】【八筒】【三萬】と安牌の【東】が1枚であった。

(萬子はメグさんが集めているだろうし、出るとすれば【一索】【八筒】か)

 3副露にこだわった誠子の手牌は、ここに来て、かなり苦しくなっていた。前半戦までに聴牌していたら、自身の引きの強さを信じて、強気で攻められたが、現状は降りることも視野に入れて考えなければならなかった。

 10巡目、その誠子の自摸牌は最悪のものであった。

【六萬】

(原村……張っているのか?)

 前巡に和は【発】を切った。なぜ、そんな牌をここまで持っていたのか、それが誠子には疑問だった。不要となった字牌の対子落としなのか、別の理由があるのか、それが分からなかった。

【六萬】を切るならば今しかなかったが、誠子はそれを選択できなかった。

 捨て牌は安牌の【東】を選んだ。

 11巡目、まだメガン・ダヴァンは顔を伏せたままだ。誠子の引いてきた牌は、字牌の無駄自摸、安全な牌であったので、それを捨てた。

(そうか……メグさんの自摸を飛ばすことが理由か)

 誠子の前に晒された牌は、いずれも和から出たもので、その間にいるメガンは2巡連続で手を進められなかった。

(でも、その為には私の待ち牌を正確に予測できなければ……)

 同巡、上家のメガンが【一索】を切った。誠子の動きが完全に止まった。

「失礼……」

 誠子は自摸をする前にその発言をした。それは、メガンの切った【一索】を鳴くか鳴かないかを迷っていると自白していた。

(予測できるのか……? そういえば、前半戦の原村は、何度かデジタル打ちの枠から外れていた……)

 短く刈られた誠子の頭髪。その涼し気な雰囲気とは異なり、今は、滴り落ちるほど汗をかいていた。亦野誠子は決断を迫られていたのだ。

(この面子の牌の偏りは、データとして織り込み済みということか……)

 まるで憑き物が取れたようであった。その選択によって、誠子を苦しめていたなにかが消し飛んでいた。――選択、それは現時点での負けを認めること。

 誠子は副露せず、手を伸ばして自摸牌を引いた。再び字牌の無駄自摸であったが、誠子は自分の意思を和に伝えることにした。

 捨て牌は【一索】。

(原村、お前も苦しんでいるのだな。あの怪物を倒す為に……)

 先程の遭遇時に、身をもって確認した怪物、宮永咲。彼女をチームメイトに持つ原村和は、白糸台で言えば、宮永照に対する大星淡と思われた。だから、誠子は和に同情した。なぜなら、宮永照を倒す困難さを十分すぎるほど理解していたからだ。

 そして誠子は、自分のチームメイトの淡に、心の中で詫びていた。

(すまん、絶対安全圏の15万点を割ってしまって、被害はなるべく最小限にして繋げるから許してくれ)

 確実に降りきること。それが、誠子の使命となった。その使命を与えたのは、成長した自分であった。

 

 

 既に12巡目、メガン・ダヴァンは、まだ聴牌できない現状に苛立っていた。原村和は意外な戦術で攻めてきた。それは、メガンの自摸牌を減らすこと。

(この役で、自摸を飛ばされるのは、なかなか辛いデスネ)

 メガンは、前半戦で和に遅れを取った萬子の混一色を狙っていた。それは、彼女の頑固さを物語っていた。

(ネリーが見たら怒るデショウネ。でも、ワタシは、このホンイツで上がらなければなりマセン)

 13巡目、まだ、メガンの視界は暗いままであった。じりじりとした焦燥感、メガンはそれを感じていた。

 

 

 14巡目、鷺森灼はようやく聴牌した。

(いける、メグさんは萬子の混一色だろうけど、【二萬】は前半で切れている。それは原村の三色にも絡まない牌。やれるよ! 憧!)

「リーチ」

 灼は、想定通りに【五萬】を切った。もろ引っかけであった。

(この巡目での立直。不自然かもしれないが、【二萬】は原村がメグさんへの安牌で持っている可能性がある。だとしたら、必ず切る)

 原村和は、もう聴牌しているかもしれない。しかし、清澄高校は持ち点を考えると、混一色の満貫クラスに振り込むことはできないはず。そこが、この引っかけの狙い所であった。

 勝負は、メガン・ダヴァンが顔を上げた後、灼はそう考えていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 加治木ゆみは、画面に映る原村和の“芸当”に驚愕していた。彼女の捨て牌だけを見れば、だれもが6,7,8の三色を作っていると考えるだろう。しかし、実際の和の手牌は七対子。それは、三色の偽装を行いながら、聴牌率を優先して作り上げた芸術的なものであった。前巡目から聴牌しているが、待ち牌がよくないので立直をかけていなかった。

 15巡目、和の自摸はその理想の牌、だれも集めていない、山の中に3枚残っているはずの【北】であった。だが、その為には今持っている牌を切らなければならない。

「桃、和は【二萬】を切るかな?」

「切らないっス」

「なぜ分かる?」

「読んでるっスよ、おっぱいさんは、もろ引っかけを読んでるっス」

「……」

「私は闘ったから分かるっス、おっぱいさんは迷わない」

 東横桃子の言ったとおりであった。和は【北】を迷わず捨てた。

「桃、この和に勝てるか?」

「おっぱいさんは、私が見えてる……苦戦するっス」

 ゆみは、桃子のその解答に満足していた。「勝てない」とは言わず「苦戦する」と言った。確実に成長している1年生 東横桃子。彼女は来年の敦賀の柱として活躍するだろう。しかし、敦賀は駒が不足しているのも事実であった。ゆみは、考えていた構想を冗談で口にした。

「南浦数絵でもスカウトするかな……」

「あの……」

 福路美穂子がすまなそうな顔で話しかけてきた。

「久保コーチが、南浦さんは来年は風越でプレイすると……」

「……」

 予想通りと言えばそれまでであったが、美穂子のその言葉は、ゆみの顔をしかめさせた。

(やっぱり、金のある所は違うね……)

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「ダメだったね」 

 高鴨穏乃は、腕を組み、不機嫌そうな顔で画面を睨んでいる新子憧に、笑顔で言った。

「なんなのその笑顔、全く不謹慎だよね」

「憧ちゃんもちょっと笑ってるよ」

 松実玄が言った。やはり彼女も笑顔であった。

「まあ、和だから」

 赤土晴絵も笑っていた。ただし、他の3人とは少し意味合いが違い、見事な打ち筋を見せている原村和を、且つての指導者として喜んでいる様子であった。

「そうですね……和なら、仕方がない」

「まあね」

「うん、仕方がない」

 一人取り残された松実宥が心配そうに質問した。

「あの……灼ちゃんは?」

 晴絵がその質問に答えた。笑顔のままで。

「灼なら大丈夫だよ。きっと降りきってくれる」

 立直もかけているし本当に大丈夫なのか。といった顔で、宥は晴絵を見ていたが、やがて彼女も笑顔になった。こんな時の鷺森灼の信頼性、それを思い出したのだろう。

 穏乃は感慨無量であった。面白い、和と遊ぶのがこんなに面白いと思わなかった。穏乃の夢は叶ったのだ。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 15巡目、メガン・ダヴァンの自摸、指で盲牌した結果、彼女の視界に光が差し込んだ。

(晴れまシタ……)

 メガンは牌を立てて、顔を上げた。手牌は萬子の混一色であったが、前回と異なるのは、その待ち方であった。変則的な【南】と【九萬】のシャボ待ち。しかし、前回同様に止められている可能性もあった。メガンはその確認をした。

(生きてイル……両方)

 残り数巡であったが、メガンは手ごたえを感じていた。そして、それぞれの河をチェックした。

(マタノ……降りましたか。いい顔していマス。ソウデス、降りると負けるは別のものデス。アナタはそれを知りまシタ)

 続いて、鷺森灼の河。

(もう一人の頑固者、サギモリ。その立直はおそらく引っかけデスネ。良い着眼点デス。だけど、それは失敗するデショウ。なぜなら、【二萬】はワタシが切っているからデス。ハラムラは抜け目ありませんヨ)

 そして、原村和の河に目を向けた。

(三色デスカ…………)

 

(コレハ……!?)

 メガンは、和の顔を見た。相変わらずの真っ白で無表情な顔であった。

(この河には、もう一つの表情がありマス。まとまりのない捨て牌……七対子)

「フフ……」

 メガンはうっかり声に出して笑ってしまった。面子の3人が彼女を見た。

「失礼シマシタ」

 そう謝ったが、メガンの顔から笑みは消えていなかった。

(サトハ……ワタシは日本に来てよかった。こんな相手に巡り会えたのデスカラ)

 親の亦野誠子の自摸、オーラスは16巡目に突入していた。

 

 

 終局が近づいていた。鷺森灼は自分の考えを整理していた。

(山の中に【二萬】は1枚ぐらい残っているかもしれない。でも、私が狙うのは、原村からの出上がり。メグさんが顔を上げた。ここからが勝負だ)

 降りている亦野誠子は安牌を捨てた。続く灼の自摸、立直しているので、運が悪ければ振り込んでしまう。しかし、灼は堂々とした態度で自摸牌を引いてきた。

(なぜだろう、振り込む気が全くしない)

 だが、その牌は当たりでもなかった。【二索】、完全な不要牌。灼はそれを切った。

 そして、原村和の自摸番、連続しての【北】の自摸切り。

(運がいい……)

 何故かしっくりしなかった。和が灼の立直で待ちを変えたのなら、和了率の高いものを選ぶはずだった。そう考えると【北】はまさに打って付けの牌であった。

(そうか……原村からは出ないか……)

 灼は、和の奥深さに驚いていた。考えれば考えるほど、和の手牌は三色ではなかった。待ちを変えるのが比較的に容易な役、七対子。それしか考えられなかった。

 灼は、自分の胸に手を当てて深呼吸をした。

(【二萬】を先に引いたほうが勝ち。――大丈夫、私は勝てる)

 強敵として認識した和との対決に、灼は震えていた。それは、恐怖や歓喜に起因するものではなく、ただの漠然とした不安によるものであった。灼はその感覚を生まれて初めて味わっていた。

 

 

 メガン・ダヴァンは鷺森灼と原村和の待ち牌が同じ【二萬】であると確信した。

(今回は確率でもワタシが優位に立てたようデス。【二萬】は私が1枚持っていますので、山には1枚だけしか残っていまセン。対するワタシの待ち牌は、最低でも3枚残っていマス)

 メガンの自摸番、引いてきた牌は【南】でも【九萬】でもなかった。

(なんという……サギモリ、助かりマシタ)

 捨てた牌は【北】、同じような場所に3枚も集まっていた。

 そして17巡目、メガンは、この巡目で上がれるように思えていた。それは、暗闇を行った時に、度々現れる現象であった。だが、その為には、自分まで自摸番が回ってこなければならなかった。

(勝利の女神……サギモリとハラムラは彼女に嫌われているとイイノデスガ)

 灼の自摸、牌を取って手牌の横に置いた。それを見る灼の表情は――悔しそうであった。その無駄牌を河に捨てた。牌が曲がってしまい、指で真っ直ぐにしていたが、その手は震えていた。

 そして、和の自摸番。ルーチンワーク的に牌を引いていったが、打牌のそれが崩れた。和はなかなか牌を切らなかった。この状態では、ほとんど相手と目を合わせない和が、自分から顔を上げてメガンを見ていた。真っ白であった和の顔に、みるみるうちに赤みが戻っていった。

 和からツモ宣言はなかった。切った牌は【九筒】。

(……勝負デス!)

 メガンは目を閉じて、山に手を伸ばした。

 牌をつまみ、親指で表面を撫でた。

(これで……ワタシは……アメリカに帰ることができマス。すべてのミッションはコンプリートシマシタ)

 指の感覚が伝える情報は【南】であった。その勝利で得たものは、感動や喜びではなかった。安らぎに似た感情、寂しさに似た感情、例えようのない曖昧な感情であった。ただ、最も重要なことははっきりしている。

(この対局、ワタシは、すべてを出し尽くしまシタ――完全燃焼デス)

 収支的には約1万点のマイナスであったが、今は、死力を尽くして闘った満足感に包まれていた。

 メガン・ダヴァンのインターハイはここに終了したのだ。

「ツモ。メンゼン、混一色、南、2000,4000デス」

 終局のブザーが鳴った。

 

 全員で立ち上がって礼を行うのが慣例であったが、ここで奇妙な事件が起きていた。亦野誠子、鷺森灼、メガン・ダヴァンの3人は、ブザーと共に、礼もせず原村和の周りに走り寄っていた。和はその対応に困って、手を大きく振り、大きめの声で言った。

「だ、大丈夫ですよ」

 3人は顔を見合わせた。

「いや、原村君には無理をさせたから」

「本当に大丈夫なのデスカ?」

「はい、一局だけでしたから」

「そう、良かった」

 4人は、昔からの友人のように楽し気に笑った。

「原村さん……手牌を見てもいいかな?」

 灼が和に聞いた。和は笑顔で頷いた。

 開けられた牌を見て、誠子の表情が変わった。

「七対子……」

「はい……亦野さんを牽制しながら打つには、この形がベストと思いました。でも、後半に鷺森さんに追い詰められて……」

「……」

 メガンが誠子の背中を叩いた。

「!」

「そんな顔してはダメだと言ったデショウ。マタノもサギモリも来年も副将をやればイイダケデス」

「そうか……そうだね」

「うん」

 再び笑顔の輪ができていた。

 そこに、インターハイの係員が近づいてきて、4人に注意をした。要約すると、終礼をちゃんと実施しろとのことであった。

 改めて、4人は終礼を行った。

 それは、滅多に見られない全員が笑顔の礼であった。

 

 副将戦終了時の各校の点数

  白糸台高校   209500点

  臨海女子高校   83200点

  清澄高校     65200点

  阿知賀女子学院  42100点

 

 

 清澄高校 控室

 

(これが……本当の咲なの?)

 宮永咲は、完全に戦闘モードに入っていた。時折見せていた人間らしさを感じさせない雰囲気、それが完全に固定化されていた。

 副将戦が終わり、これから彼女の出番であった。竹井久は、最後の確認をしようとした。

「咲……」

「点差は問題ありません」

 余計な発言を許さない空気があった。久はそれに吞まれた。

 ――咲は、頭だけを動かし、久を見た。その顔は、血が通っていなそうな肌の色、光を反射しない眼、動かない顔面の筋肉、つまり、表情というものが欠如していたのだ。

「ケリをつけるのは後半戦です」

「前半戦は……どうするの?」

 久は、目を合わすことができなかった。咲の口の辺りを見ながら訊ねた。その口が、まるでアニメーションのように動いた。

「振り出しに戻します」

 咲が歩き出した。普通なら激励の一つでも言うべきであったが、清澄高校麻雀部のメンバーは全員無言であった。だんだんと遠くなっていく咲の背中を眺めているだけであった。そして咲は、ドアを開けて、決戦の場へと向かっていった。

「咲ちゃん、おっかないじぇ……」

「そ、そうね」

 久は、ティーカップを取った。カチカチと音を立てながら、中身の紅茶を飲んだ。

「振り出しに戻すって、どういう意味じゃ?」

「多分……プラマイ0を、他校に強制する……」

「な、なんじゃと! そんなことが……」

 できるわけがない。そう言いたかったのだろうが、染谷まこは口をつぐんだ。

「私達は……〈オロチ〉を知ってしまった。もしそれが本当なら、大将戦はとんでもないことになるわ」

 久の頭の中で、二つのものが、天秤にかけられていた。片方は全国制覇という自分の野望。それと吊り合うもう片方は、凶悪な怪物を解き放ったという罪悪感。今は、若干野望のほうに傾いているが、これから目撃することによっては、逆方向に振り切れる可能性があった。――竹井久は恐怖していたのだ。〈オロチ〉と化した宮永咲に。

 

 

 試合会場 通路

 

「ネリー!」

 メガン・ダヴァンが、かなり遠くから自分を呼んでいた。ネリーはそれに手を振って答えた。

 数秒後、ようやく会話ができる距離まで近づいた。

「メグ、お疲れ様」

「ハイ、疲れまシタ」

 ネリーは声に出して笑った。

「いいお土産ができたね」

「ハイ、でもワタシはまた帰ってきマス」

「?」

 メガンは、良い顔で笑っていたが、どこか寂しそうであった。

「3年後……再びハラムラと闘えるようになったら、ワタシは日本に帰ってきマス」

「そう」

「ハイ……」

 こんな穏やかな顔をしたメガンを見るのは初めてであった。

(良かったね、メグ。完全燃焼できたんだね)

「ところでネリー、ミヤナガ対策は完璧デスカ?」

 突然、いつもの口調、いつもの顔でメガンが質問をした。ネリーは目が点になってしまった。

(やっぱり、アメリカ人はよく分からない……)

「監督と智葉は、前半戦はなにもするなって言ってた」

「それは正解デショウ? ネリー?」

「……」

「アナタは運の波とよく言いますが、それは、本当に波のようなものなのデショウ? ソシテ、それを掴むには時間がかかる」

「宮永のは準決で掴んだよ」

 メガンは口を曲げて笑った。

「自分でも分かっているはずデス。今日と昨日のミヤナガは別人デス」

「メグ……」

 メガンは両手をネリーの肩において、優しくポンポンと叩いた。

「監督とサトハ言うことをよく聞いて、前半戦でそれを掴んでクダサイ。ネリーはよく言っているじゃないデスカ、『最後に勝てばいい』とネ」

「……分かったよママ」

「……ママ」

 メガンの顔が引き攣った。ネリーは楽しそうに追い打ちをかけた。

「ただでさえ老けてみられてるんだから、そんなこと言ってるとますます老化が進むよ」

 そう言って、ネリーは走って逃げた。

「ネリー!」

 メガンの大声が通路にこだましていた。

 

 

 亦野誠子の姿が見えた。結果に満足できなかったのか、落ち込んでいるように見えた。大星淡は、自分にできることを考えていた。慰め、励まし等、様々なカードがあったが、選ぶものは決まっていた。

「亦野先輩!」

「淡……」

 選んだカードは“おちょくり”であった。

「連続でのハンデ付け、感謝します」

「ふふ」

「な、なに、キモイんですけど」

 急に笑い出した誠子に、淡は本気でビビッていた。

「私はそんなに落ち込んじゃいないよ、今回は負けたけど、納得したよ」

「……」

「納得した負け……それは、そんなに悪い気分じゃない」

「私は、負けるのが嫌い……」

「今はそれでいいよ」

 その言葉に、淡は目を吊り上げた。

「なによ、誠子までテルーと同じようなことを言って」

「宮永先輩と?」

 淡は真剣な表情で誠子に言った。

「私は……サキに負けるって……」

「そうか……」

 少しの間、沈黙が発生した。しかし、淡はその場を動かなかった。もっと誠子と話をしたかった。

「弘世部長はなんて? 宮永咲と勝負してもいいって?」

「うん、でも、私とサキの親番だけ。しかも……」

「しかも?」

「絶対立直するなって!」

 淡の声が大きくなった。淡の能力は立直が契機になるので、手足を縛られたも同然であった。

「それはお気の毒様」

「なにその適当な返事、もー信じられない」

 誠子が笑ってくれた。なぜか分からなかったが、淡にはそれが嬉しかった。

「淡、考え方だよ。お前は宮永咲に屈するかもしれない。でも、白糸台が清澄に屈するわけじゃない」

「……」

「宮永先輩、弘世部長、尭深、私、みんなで繋いだ点数だ、大事にしてくれ」

「誠子が一番減らしたけどね」

「……」

「あははは」

 淡は、誠子の言っている意味がよく分かっていた。でも、恥ずかしくて素直に返事ができなかった。だから、笑って胡麻化した。

「しっかりね、淡」

「……はい」

 

 

「やあ、シズ」

 満面の笑み。そんな言葉がぴったりな顔で鷺森灼が言った。

 高鴨穏乃も同様の笑顔で返した。

「和は強かったでしょう」

「うん……強かった。そして楽しかった」

 そう言って灼は、本当に楽しそうに笑っていた。麻雀部部長というポジションがそうさせるのか、これまでの灼は、こんな風に笑わなかった。

「シズ、私は、もっと強くなるよ」

「はい」

 普通の鷺森灼はそこまでであった。ここからは麻雀部部長の鷺森灼。いつもの顔で穏乃に質問をした。

「シズは? 予定通り?」

「前半戦は、宮永咲に擬態します」

「擬態か、面白いね」

「でも、この点差です。赤土さんの作戦はうまく行きますかね?」

「あの子なら、やるかもね。大丈夫、晴絵を信じて」

 赤土晴絵は、清澄高校 宮永咲が各校の持ち点を平均化すると断言した。阿知賀の作戦は、それが前提となっていた。

「シズの強さは瞬発力だよ。後半戦、ワンチャンスかもしれないけど、見極めて一気にスパートして」

「なにか麻雀の話じゃないような……」

「ああ、ほんとだね」

 2人は顔を付き合わせて笑った。

 それがひと段落した後、穏乃は感慨深げに言った。

「大将戦まで来られたんですね」

「うん」

「玄さん、宥姉、憧、灼さん。白糸台の猛攻に耐えきりました」

「そうだね」

 灼も感極まったのか、少し涙目になっていた。それを隠すように、灼は穏乃に、指示をした。

「シズ、手を出して」

「こうですか?」

 穏乃は掌を灼に向けた。ハイタッチをしてくるもの思っていたが、灼は、優しく自分の手をそれに合わせてきた。そして、最後の指示を穏乃に出した。

「勝つのは……私達阿知賀女子だよ」

「分かっています」

 すべてはこの時の為。それが阿知賀女子の作戦。

 穏乃の闘志は全開になっていた。

 

 

「咲さん……」

「和ちゃん、これが〈オロチ〉の私、多分人間には見えないと思う」

「……」

 原村和にもそう見えていた。これまでも、それらしいものは垣間見えてはいたが、真の〈オロチ〉状態の宮永咲は、感情の欠落した魔王に見えていた。

「今日は、休憩時間に来ないでほしい、多分なにも話せないから」

「はい……」

「心配しなくていいよ。〈オロチ〉を始めるのは私の意思。だから、終わらせるのも同じ」

 咲は和と向かい合った。表情はなかったが、言葉には感情が込められていた。

「この試合が終わったら、私は、いつもの宮永咲に戻るから」

 ――それは珍しいことであった。手を握ったり、抱き着いてくるのは、ほとんど咲のほうからであったが、今回は違った。和は〈オロチ〉の咲を抱擁していた。

「……勝って下さい」

 和は、ゼロ距離でそうささやいた。その一言で、自分のすべての思いが伝わりきると思った。

「勝ちます……死んでも……」

 そう言って、咲も和の背中に手を回した。

 自分の思いが伝わったことを実感し、和は嬉しくなった。

 そして和は、その幸せを噛み締めて目を閉じた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 インターハイ決勝はクライマックスを迎えようとしていた。会場の大型モニターには、福与恒子と小鍛冶健夜が映し出されていた。これから、大将戦の選手入場の実況を行う予定であった。

 

『いよいよ最後の闘いが始まろうとしています。圧倒的優位に立っているのは、2位以下に12万点以上差をつけている白糸台高校です。現実的に考えるならば、それ以外の3校の挽回はかなり難しいのではないでしょうか』

『現実は……多くの場合、予想予測を裏切ります。だから、現実的という言葉は、適当ではありません』

『しかし、白糸台の大将は、超新星と恐れられた大星選手ですが?』

『そうですね、すばらしい選手です。しかし、弱さも兼ね備えています』

『阿知賀女子学院の高鴨選手との名勝負は、語り草になっていますね……』

 

 

『おっと、選手が入場して来たぞ! トップバッターは臨海女子高校のネリー・ヴィルサラーゼ選手だー!』

『準決勝の3連続三倍満は驚異的でした。その爆発力を発揮できれば、逆転も夢ではありません』

『ネリー選手が勝つ為にはどんな戦術が考えられますか?』

『彼女に限りませんが、他家を上手に使わなければ、12万点という点差は詰められません』

『白糸台高校を1人沈みにさせればいいのですね?』

『ネリー選手はその適正があると思います』

 

 

『大星淡選手だー! ポスト宮永照、超新星の名をほしいままにした、ダブリー悪魔の入場だー!』

『完全な威圧型の選手です。特徴的なW立直からの流れで、心理的にプレッシャーをかけてきます』

『槓ドラの追撃も恐れられていますね』

『そうですね。ただ、あまりにも攻撃的すぎるので、守りが弱いですね。今回の白糸台は、その防御力が必要になりますから』

 

 

『続いては、ミラクルハイスクール、阿知賀女子学院 高鴨穏乃選手の入場だー!』

『ミラクルハイスクール?』

『すみません。私の一押しなので』

『はあ……』

『先鋒戦、中堅戦で見せた奇跡が、大将戦でも起きるのかー!』

『興奮しすぎです……。確かに凄い試合を見せてきましたが、持ち点は最下位です。ここからの逆転は本当にミラクルが必要になります』

『高鴨選手なら何とかすると思うんですけど』

『福与アナ……本当に好きなんですね。阿知賀女子学院が』

 

 

『さて、最後はチャンピオンの妹疑惑のあるー……』

『……』

『……み、宮永咲選手って、こんな顔でしたかね?』

『いえ……これは、別人です……』

『別人? それじゃあ、偽物ですか?』

『そういう意味ではありません。なにかが変わっています。顔合わせの時もそうでしたが、この宮永選手は、殺気が凄すぎる』

『殺気ですか? 麻雀の大会ですが?』

『見て下さい、この手を』

『こ、小鍛冶プロ……凄い鳥肌ですね』

『宮永選手が入場してから、これが止まりません。この子は……お姉さんを完全に超えています』

『お姉さんって、宮永照選手ですか!』

『……宮永咲選手は怪物ではありません』

『え? 怪物じゃない?』

『彼女は……魔王です。この場を支配するつもりです』

『小鍛冶プロ命名、魔王 宮永咲選手の入場だー!』

 

 

 決勝戦 対局室

 

 大星淡、高鴨穏乃、ネリー・ヴィルサラーゼの3人は、既に席決め牌を引いていたが、だれも座っていなかった。立ったままで、階段を上ってくる“何か”を待っていた。

 その“何か”は圧倒的な力があるようで、近づくたびに室温を低下させていた。

「来たか……」

 3人の中のだれかが声をもらした。だれであるかは問題ではなかった。

 皆、同じ方向を向いて、その“何か”上がってくるのを見ていた。

 それは清澄高校 宮永咲のような顔をしていた。それならば顔合わせでも見ていたので知っている。しかし、“何か”は宮永咲ではない。もっと凶悪なものであった。

 大星淡は、その“何か”を見てつぶやいた。

「〈オロチ〉……」

 高鴨穏乃とネリー・ヴィルサラーゼはその意味が分からなかった。だが、その〈オロチ〉が近づいてきて席決め牌をめくった。既に3枚開かれているので当然のごとく【西】だった。

 そして〈オロチ〉は、その鈍い光の目で3人を見て言った。

「始めましょう」

 


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