咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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2.作戦会議~出陣

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 昨日の準決勝終了後、インターハイ運営本部より、本日の予定を連絡されていた。

 まずは、午前11時より、ベスト4の顔合わせが行われる。それが終わった後、4校はそのまま控室に入る。そして、決勝戦は正午から始まるとスケジュールだ。

 竹井久は、顔合わせまでの時間を、作戦会議に使うと決めていた。その為、メンバーには6時に起きるように厳命してあった。

 しかし――全員眠そうであった。特に、昨日から特打ちをしていた染谷まこは、さっきから大あくびを連発していた。

「ちょっとまこ、少しは寝たの?」

「あー、1時間ぐらいかのう。さすがに眠い……」

 そう言って、まこは再びあくびをした。それは、うつるらしく、隣にいた原村和、片岡優希もあくびをしていた。

 宮永咲が見当たらなかった。奥に布団が1枚敷いてあり、だれかが寝ていた。久はそれが咲であると思い、優希に指示を出した。

「優希、咲を起こしてきて」

「咲ちゃんなら、顔を洗いに行ったじょ」

「え?」

「あそこで寝てるのは、みはるんですよ」

 池田華菜が、あれは吉留未春であると説明した。

「ごめんなさい。私がまだ寝かせておくように、華菜に言いました」

 福路美穂子が謝るように久に言った。久は笑顔で応じた。

(さすがに美穂は気配り上手ね、まこも、もう少し寝かせておくべきだったかしら)

 久は、そう考え、目をしょぼしょぼさせている、まこをみた。

「安心せえ、何とかなる」

 まこはそれを察し、気だるく答えた。

「あ、咲ちゃんが帰ってきたじぇ」

 優希が、咲を見つけて言った。

 ――こちらに向かって歩いてくる咲は、昨日までとは、まるで別人であった。愛嬌のあったその顔は、無表情で、人間味を感じなかった。そして、全身からは、禍々しいなにかが漂っているように見えた。さっきまで眠そうにしていたまこが、目を見開き「咲……どないしたんじゃ」と、独り言をつぶやくほどであった。

(なんなのこの威圧感は……初めて咲に会った時、いやそれ以上の……)

 久は、寒気を抑えらず、身震いをした。

 そして全員を見渡した。皆、同じように圧倒されていたが、和だけは違っていた。心配そうに咲をみていた。

「咲、大丈夫なの?」

「今日の私は、普通じゃありませんから……」

 普段通りに振る舞おうと、咲は、無理に笑顔を作っていた。

 久は迷っていた。咲の言った「普通じゃない」の意味を確認しなければならないが、何よりも今は時間がなかった。残りの時間で、先鋒戦から大将戦までの指示を出したかった。

(咲の件は、その大将戦の時に、詳しく聞きましょう。今は会議を優先しなければ)

 久はそう思い、大きく息を吸って、決勝戦にかける決意を話そうとした。

 ――だれかの腹が驚くほど大きな音で鳴った。

「部長……お腹減ったじぇ」

「……」

「空腹だと良い知恵も出ませんからね」

 美穂子が、やんわりと進言した。

「――そいじゃ、メシ食ってからにすっか」

 まこの一言で、場の空気が和らいだ。一時解散となり、みんなで朝食バイキングの会場に向かって、ぞろぞろ歩いていた。

 

 

「美穂、ありがとね」

「いえ」

「気が急いて仕方がなかった。本当に焦っていたんだわ」

「同じ立場なら、きっと、私もそうなっていましたよ」

 美穂子は笑顔で答えた。

(やっぱり、部員80人の風越キャプテンは違うわ、懐がとっても深いもの。ないものねだりは私の悪い癖だけど、ちょっとだけ、美穂に嫉妬してしまうわ)

「あ!」

 久は重大なことを思い出した。

 会議をしながらの朝食を考えていたので、須賀京太郎に5時に起床させ、軽食の買い出しを指示していた。彼は、だれもいない部屋で、重い荷物を抱え、呆然とすることになるだろう。

(あちゃー。後で、和か美穂に謝ってもらうように頼もう。須賀君のお気に入りだもの、許してくれるわよね)

「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ」

 久は、慌ててごまかした。

「……須賀さんには、私が謝っておきますから」

 美穂子は母親のように優しい笑顔で言った。

「美穂……」

「はい?」

「あなた、完璧超人だわ」

「なっ! 上埜さん! からかわないでください!」

 美穂子の顔が一瞬で真っ赤になり、普段は閉じている右目も開いていた。

「ゴメン、ゴメン」

 久は、運命というものを信じていなかったが、美穂子の紺碧の右目を見るたびに、それを意識していた。3年前、たった一度闘っただけの自分を、ずっと覚えていてくれた福路美穂子。そんな彼女と再び出会い、そして闘い、その結果こんなに親しくなることができた。もちろん、それがただの偶然であることは分かっていた。しかし、心の奥底ではなにか別の理由を渇望していたのだ。それは、久にとっての美穂子が、友人を超えた存在であることを意味していた。

 

 

 ――ほったらかしにされていた須賀京太郎は、さきほどまで、実にふてくされていた。だが、福路美穂子と原村和のWでの謝罪を受け、信じられないほど鼻の下を伸ばし、上機嫌になっていた。そして、そのニコニコ顔で、愛想よくみんなに飲み物を配っていた

「はい、部長」

 竹井久も、京太郎からそれを受け取った。ロイヤルミルクティーであった。

(……甘い紅茶は苦手なのに、軽いリベンジって訳ね……)

「さあ、作戦会議を始めるわよ!」

「はい」

 腹が満たされた為か、皆元気に返事した。

「あ……あの」

 起きたばかりの吉留未春が、奥のテーブル前で声を上げた。

「これ、全部私が食べるんですか?」

 テーブルの上には、京太郎が買ってきたおにぎり30個、サンドイッチ10個、その他諸々が積み上げられていた。

「がんばれー、みはるん」

 池田華菜が無責任に応援した。未春は顔が青ざめていた。

 

 

 先鋒戦最大の障害である宮永照に対抗する為に、竹井久は片岡優希にスピード勝負を挑むように命じていた。宮永照の速度も相当なものだが、東場の優希なら勝算がある。しかも、今回はドラを保持してくれる、松実玄もいる。臨海の辻垣内智葉を警戒しながら打てば、照の猛攻にも耐えきることができると思っていた。

 しかし、その最大の障害の妹、宮永咲から、思いもよらない勧告を受けた。

「ドラが集まらない……?」

「はい、松実玄さんには、ドラが集まりません」

「なぜか聞いていい?」

「ドラは〈オロチ〉に制御されます」

 咲の言った〈オロチ〉とはなにか? だれもがそう思っていた。

(た、確かに普通じゃないわ、なんなの、この咲の気配は、圧倒的すぎる……)

「さ、咲」

「……」

「〈オロチ〉って、あなたのことなの?」

「……はい。今の私は、姉の宮永照が忌み嫌った〈オロチ〉の状態です」

 そう言って、咲は寂しげに笑った。

 久は、全身が総毛立っていた。そして、真っ先に原村和を目で捉えた。――先程と同じく、心配そうに咲をみていた。

(そう、和は咲から聞いているのね。……あの超現実主義者の和が本気にしている。だとしたら、間違いないのかな、咲の変貌。いや、凶悪化かしら)

 作戦の変更を余儀なくされた久は、情報収集からやり直そうと考え、咲に、宮永照の特徴を教えてくれるように頼んだ。――咲は、「お姉ちゃんもそうしているでしょうから」と言って、全国高校生共通の敵である宮永照の秘密を話し始めた。

「お姉ちゃんは目がいいです。視力は4.0です」

「……」

 全員、唖然としてしまった。こういうことには耐性があるはずの福路美穂子でさえ、口が開いたままであった。

「よ、4.0って、どうやって測るんじゃ」 

 染谷まこが、苦しそうに言った。

「普通の人の2倍の距離から、2.0が見えた。だから4.0だそうです」

「ど、どっかで聞いた話だし」

「一個、二個、三個ン! だじぇ」

 片岡優希が楽し気に言った。

(これって、咲のネタ? 私達、咲に担がれている?)

 久は訝しんだが、そんなことは、お構いも無しに、咲は話を続けた。

「お姉ちゃんの凄さは、対戦相手の手牌をほぼ完璧に読み取る技術にあります」

「技術? 能力ではなくて?」

「はい、技術です。皆さんと同じように、お姉ちゃんも相手の特徴や癖、行動パターンを調査分析します。そして、捨て牌や考える間、手の動き、表情などから手牌を読み取ります。その技術がずば抜けているんです」

「でも、完璧は無理です。確かに、そういった偏りから、ある程度の手牌は推測できます。でもそれは確度の高い推測でしかありません」

 デジタル派の原村和らしい人間の不確定さを強調した発言であった。

「和ちゃん。そこが、技術の入り込む隙なんだよ」

 久は、話に色めき立っていた。

「その……技術とは」

「東一局、場合によっては二局。お姉ちゃんは対戦相手の様子をみる。よく言われていることですが、それは間違いありません」

「照魔鏡とかいうやつだじぇ。相手の能力を見透かすとか」

 照と直接ぶつかる優希は、怖そうに言った。

 咲はそれをみて、少し笑った。

「特徴や癖は動画や資料でもインプットできます。でも、直接相手を見なければ、分からないものがある。お姉ちゃんは、東一局を使って、それを確認しているんです」

 久は汗ばんでいた。ほどよい空調の室内が暑いわけがなかった。ということは、咲が話す宮永照に対しての、嫌な汗であると感じ取っていた。

 美穂子がなにかに気付いたらしく、顔を咲に向けた。

「そうです……お姉ちゃんは、眼の動きを見ています。それが照魔鏡です」

「そんなの……無理だわ。それこそ、原村さんが言ったように、ある程度しか分からない」

 美穂子も、眼の動きを考慮した読みを得意としている。その彼女が無理だと言っていた。

「お姉ちゃんは、よく言っていました。対子、刻子、槓子、順子、眼の動きはすべて違うと」

「だったら、理牌しなければいいし」

「私も、試したことがあります。でも、無駄だった。牌が離れていても眼の動き自体は変わらないし、長考になるので、尚更分かりやすいと、言っていました」

 それは、麻雀をやる者ならだれでも考え、試してみることであった。そして、ほぼ100%の人間は、それが、無理で無駄なことだと判断し、止めてしまう。しかし、宮永照はそうしなかった。それを追求し、技術にまで高めていった。

「それに」

 咲の話は続いていた。

「眼は、よくものを映します」

「そんな……無理よ……」

 美穂子はショックを受けていた。手牌の読みの正確さは、自分の最大の武器だと思っていたが、咲の話す宮永照は、そのはるかに上を行っていたからだ。

 咲は、そんな美穂子を見据えて、冷たく言った。

「お姉ちゃんは、視力が4.0です。そして麻雀牌には色や形に特徴があるものが多い。さっきも言いましたが、対子、刻子、槓子、順子は眼の動きで読まれてしまう。そして、その中に、赤いもの、緑のもの、白いもの、丸、三角、四角いものなどが含まれていたら、どうですか?」

「……」

 美穂子はガクリとうなだれた。

「キャプテン」

「キャプテン! しっかり」

 風越の後輩2人が美穂子を支えた。

 久は美穂子が落ち着いたのを確認してから、咲に質問した。

「咲……あなたは、お姉さんに手を読まれないの?」

「まさか! 私なんかあっという間です。普通の人なら5,6巡で、私は4巡ぐらいで、もうスケスケですよ」

 咲はそこで言葉を切り、少し間を置いてから、小さな声で言った。

「でも……私の嶺上開花は止められない」

(そう、これで分かったわ、咲の異常な打ち方の理由が。何もかも、お姉さんに対抗する為だったのね。いう通り、咲の嶺上開花は、一度発動したら手牌が分かっていても止められない。逆に分かっているからこそ、プレッシャーにもなりうる。……本当に怖い子。宮永照が恐れるのもよく分かる)

 しかし、久には疑問が残っていた。千里山女子高校の園城寺怜との試合であった。怜は照の上がりを察知し、鳴きで自摸牌をずらして阻止しようとしていたが、照は、それを易々とかわしていた。手牌の完璧な読みだけでは解き明かすことができなかった。

「咲、それだけじゃないわよね」

 咲は頷いた。その顔には、悲痛な色を浮かべていた。

「はい……お姉ちゃん、宮永照の最も恐ろしい能力は――」

 久は、咲が今度は能力と言ったことを聞き逃さなかった。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

 大星淡は茶を飲んでいた。眠気覚ましに渋谷尭深からもらったが、淡の口には合わなかった。

ただ、眠気は確かに和らいだような気がしていた。

 麻雀部部長の弘世菫が淡を眺めていた。

「なーに」

「お前は正直者だな、実にまずそうに茶を飲む」

 そう言って、菫は笑った。

 淡は、ジト目で菫を見ながら、茶を啜った。

 

「そうか、お前でも苦戦しそうか?」

 菫が先鋒の宮永照に聞いた。

「清澄の片岡はスピード重視で攻めてくる。東場の何局かは取られてしまうかも。それに……」

「それに?」

「清澄には咲がいる。だから、私の打ち方を片岡は知っている」

「咲ちゃんは、お前のすべてを知っているのか?」

「そこまでは知らないと思う。でも、まあ妹だから……」

 淡の心にさざ波が立っていた。そして、その原因も自覚していた。照が妹の咲のことを話す時、心のざわつきを抑えられなかった。咲を自分よりも上に置いている照にイラついていた。そう――分かっていた。淡は宮永咲に嫉妬していたのだ。

 菫がまた見ていた。

「なによ! もームカつく! サキなんか私がぶっ倒してやるんだから!」

 なんだか、気が晴れていくような気がした。その原因も、淡は分かっていた。暴言を吐いてしまった淡を見守る目があった。それは、チームメンバー4人の優しい目であった。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 竹井久は、咲の話した宮永照の能力に引っかかりがあった。

「それだと、自摸牌をずらされたら宮永照は上がれなくなるわ」

「お姉ちゃんの能力は、シンプル極まりないです。――もう一度言います。宮永照は上がり牌が分かっているんです。上がり牌の位置ではありません」

 そういった咲の顔は、相変わらず悲し気であった。

「つ……つまりは、ずらしても無駄ってこと?」

「はい、無駄です。実にシンプルです。だから強い。お姉ちゃんは、その牌に対して、最短で手を組み上げ、上がるだけです。途中で鳴かれても、そんなの関係ありません」

 久は、頭の中の疑問が氷解していくのを感じた。ただ、それを確実なものにする為には、幾つかの質問をする必要があった。

「それは、未来予知みたいなもの?」

「いえ違います。もっと単純で、上がり牌が分かるだけです。ただそれは……線路を走る電車のようなもの。発動したら止められません」

「他家の速攻をはねのける和了速度は?」

「何しろ、お姉ちゃんは手牌察知がほぼ完璧ですから。牌効率で勝てる相手はいません。あるいは……能力を速度に切り替えられるのかもしれません」

 すらすらと質問に答えていた咲が、初めて言いよどんだ。

(妹にも分からない秘密がある……さすがはチャンピオンね、楽にはことが進まない)

 久は、宮永照に対する最大の疑問を咲にぶつける。

「千里山女子の園城寺怜は、あなたのお姉さんに振り込みをさせたわ。今まで聞いた話だと、それは、あり得ないことのように思えるのだけど」

 咲は、少しためらってから話した。

「あれは……お姉ちゃんも驚いていました。きっと、なにかがパターンを崩したんだと思います」

「なにかって?」

「……」

 咲は、答えずに、目を背けた。

(咲、答えないってのは、立派な答えなのよ。あなたは知っているのね、なぜ宮永照が振り込んだのか。――そして、咲。確かにあなたは今、普通じゃないと思う。でも、本質はなにも変わらないわ、優しい、嘘のつけないあなたのままよ)

 久はそう思い、原村和に目を向ける。

 和は咲に微笑んでいた。

「点数が上がっていくのはどうしてなのだ?」

 今度は片岡優希が質問した。照の点数が上がっていく連続和了のことを言っていた。

「あれは……」

 咲の表情が一変した。それは不適な笑みとしかいいようがなかった。

「さほど意味がありません。きっと相手の自滅を誘うために、わざとお姉ちゃんはやってるんだと思います」

 久は、背筋が凍りついた。全国の高校生が恐れるチャンピオンの連続和了。その特徴は点数がどんどん上っていくことであった。それを、咲は無意味なことと言いきった。つまりは、宮永照はそのギミックを3年間継続しているのだ。一度も敗れることもなく。

 そして、咲は笑っていた。宮永照の悪魔のような悪戯に臆することなく。

「咲……あなたは……お姉さんに勝てるの?」

 咲は、まるで魔王の様な風格で、久を見た。

「私は〈オロチ〉の状態で宮永照に負けたことがありません」

 久も笑った。笑わざるを得なかった。そして、自分の野望である全国制覇に光が見えていた。

 

 

 白糸台高校 麻雀部控え室

 

「菫で飛ばしてもらうと助かる」

 宮永照の科白に、弘世菫はおおいに弱っていた。照は、自分は警戒されていて、あまり阿知賀を削れないかもしれないと言った。そして、今の言葉。

「私に何とかしろということ?」

「そう」

 簡単に言ってくれると思った。阿知賀の松実宥は、手牌を読みやすい相手ではあったが、妹の松実玄と比べると振り幅が大きかった。しかも、自分の癖を見抜いて反撃もしてくる。

(まあ、癖自体は改善したが)

 それに、今回はもう一人、煙たい相手がいた。

「でも宮永先輩。決勝には、部長の天敵がいますよ」

 亦野誠子が菫の気持ちを代弁した。

「定石崩し……」

 渋谷尭深が言葉少なめに言った。しかし、それは的を射ていた。

「清澄の染谷か……。まあ厄介だな」

「菫はああいうタイプが苦手なんだよね」

 菫は、無遠慮な発言をした淡を、ムッとした顔で睨み、近づいていった。

 そして、両頬を指でつまみ、引っ張った。

「いたたたた」

 淡が痛そうに声を上げた。

「上級生を呼び捨てにする悪い口はこの口か? 前にもいったよな、私を呼ぶ時は部長と言えと」

「すびばせん。菫部長!」

「弘世部長だろ!」

「はい。弘世部長」

 菫は淡を解放した。

 涙目になり、頬を薄っすらと赤くしている淡をみて、菫は大声で笑った。笑い上戸の誠子も一緒になって笑っていた。

「ひどい! テルーは怒ったことないのに! パワハラよパワハラ!」

 淡は助けを求めるように、照のそば寄っていった。

 照は、そんな淡の赤くなった両頬を引っ張った。

「上級生を呼び捨てにする口は……」

 誠子が笑い死にしそうになっていた。菫も同調したが、頭の中は冷静であった。

(相手が定石を崩してくるのなら、さらに定石で対抗すればいい。なに、簡単だ。向こうは必ず後手に回る。私が一手差で勝つだけだ)

 

 

 阿知賀女子学院 宿泊ホテル

 

 赤土晴絵は、昨日の小鍛冶健夜を思い出していた。決勝で最も不確定要素が大きいのは中堅戦であると彼女から助言されていた。清澄の竹井久、臨海の雀明華。いずれも一筋縄ではいかない相手だが、最大限に警戒すべきは渋谷尭深。彼女がラス親の席順になったら、10局以内で半荘を終わらせるべく、新子憧に伝えるように指示された。渋谷尭深だけは分からないと、健夜は何度も言っていた。晴絵も思っていた。彼女は、とてつもない怪物かもしれないし、そうではないかもしれない。だけど、はっきりしていることがある。それは、渋谷尭深が、取り扱いを間違うと致命傷になりかねない能力を持っていることであった。

「憧、渋谷尭深は?」

「オーラスには気を付けます。でも、風牌はだれかさんが集めそうだし、注意するのは大三元かな」

「渋谷がラス親になった場合は?」

「速攻で親を流す……ずいぶんと警戒するのね?」

 憧が不審そうに、晴絵に聞いた。

「頼むわよ。――多分、渋谷は、そうなったら高いのをバンバン振り込んでくると思う。それに惑わされないで」

「だけど、点数でうちが不利だったらどうするの? それでも見逃す?」

 晴絵は嫌な予感がしていた。そして、あの問いかけを繰り返していた。

(渋谷尭深は、怪物かもしれないしそうではないかもしれない。……多分怪物)

「見逃して、怪物を増やす必要はないわ」

 

 

 臨海女子高校 麻雀部部室

 

 ネリー・ヴィルサラーゼは、故郷で過ごした日々を思い出していた。内戦、紛争、政情不安、ジョージアでの生活は死というものが身近にあった。自分も家族も、毎日を死から逃れることに精一杯で、夢など語る暇がなかった。しかし、たまたま出場した麻雀大会で良い結果が出せ、世界ジュニアに出場し、活躍した。その結果ネリーは、初めて夢をみることができた。だが、自分の兄弟や友人達の境遇は、なにも変わらなかった。夢を語る者はだれもおらず、皆、その日その日の不安ばかりを口走る。だから――自分が変えなければならないと思った。その為には、ここで大きな功績を挙る必要があった。それは、白糸台の3連覇を阻止し、優勝することに他ならなかった。

 

 

 アレクサンドラ・ヴィントハイムの作戦指示は続いていた。ドイツ人らしい用意周到で合理的な作戦を好むが、個人の持つ瞬発力や麻雀特有の流れも排除してはいなかった。

「メグ、残りは4回か?」

 アレクサンドラは、メガン・ダヴァンの一人麻雀の残数を確認した。

「ハイ」

「まったく、準決で使わなければ、もっと有効に活用できたものを」

「スミません、私はアメリカ人ですから」

 ネリーもそう思っていた。メガンは本当に強かったが、直情的で後先考えない思考回路というアメリカ人らしい弱点も持っていた。

 アレクサンドラは苦笑しながら言った。

「だがな、メグ。今回は使い所を誤るなよ。お前達は阿知賀の鷺森を守りながら闘うことになる」

「ソレでは、マタノと一騎打ちデス」

「亦野を侮るな、あれとのデュエルは厳禁だ」

「なぜデスか?」

 メガンは不服そうに訊ねた。

「あれの引きの強さは驚くべきものがある。お前は競い負けるだろう」

「そうデスか、それはコワイ。肝に銘じまショウ」

 メガンはそう言いながらも、ほくそ笑んでいたアレクサンドラは呆れ顔であった。

 ネリーも、メガンは監督のいうことは絶対に聞かないだろうと思った。そして、だれかと、そのことで賭けをしたかった。そう考えて相手を探したが、それが無意味であることに気が付いた。

(この賭けは成立しない。「メグが監督の指示を守る」に賭けるやつはだれもいないから)

 弱り顔のネリーを郝慧宇が不思議そうにみていた。

 

 

 東京 日比谷通り

 

 清澄高校麻雀部のインターハイに出場に対して、学校側から提示された予算は最低限のものであった。その為、ホテルは試合会場から遠く離れ、そこからの移動手段は、電車と徒歩を使う以外なかった。

 そして今、総勢6人の部員達は、電車を乗り継ぎ、日比谷通りを最後の戦場に向かって歩いていた。

 

 

 原村和は、東京の夏があまり好きではなかった。生まれてから小5までの11年間をこの街で過ごしたが慣れることができなかった。暑さは元々苦手ではあったが、何よりも耐えられなかったのは、東京独特の風にあった。幹線道路沿いの車による風、ビル街の空調設備による風、そして、余りにも多くの人が集まり発生する風。そういった人工的な風によって、暑さを伝達されるのが我慢ならなかったのだ。

 今も、大型バスが目の前を数台通過していった。遅れてくる熱風に、和は顔をしかめた。

「明日は中に入ってみようじぇ」

 片岡優希が皇居を指差して言った。よほど気になるのか、前を通るたびに同じことを繰り返していた。

「あそこは、特別な日じゃなきや、ちょっとしか入れないのよ」

「そうなのか? あそこは、松本城を見習うべきだじぇ」

「この間は、善光寺を見習えと言っていただろ」

 竹井久と優希のやり取りに、須賀京太郎が突っ込みを入れた。優希は楽しそうに京太郎をどついていた。

 和は隣を歩いている宮永咲に顔を向ける。優希たちを眺め微笑んでいたが、いつもとは違い、なにか陰が有るように見えた。それは、和の好きな咲の笑顔ではなかった。

「和ちゃん、こっちを歩いたほうがいいよ」

 咲はそう言って、車道側を歩いていた和の手を引き、自分と位置を入れ替えた。

「ありがとうございます」

 咲は笑っていた。しかし、それも和の好きな笑顔ではなかった。

 和は、天江衣が言っていた団体戦での役割を考えていた。

(私の役割……それは、咲さんに繋ぐこと)

 咲が昨日言った「自分に回せば必ず勝つ」という言葉を、和は何故か信じていた。和自身も、インターハイで負けたら転校が決っていたので追い詰められてもいた。そういう幾つかの要因が、和をして非科学的な希望に頼らせていた。

 そして、和は、そういった複雑な思いのすべてを、質素な言葉で口にした。

「咲さん……もう一度、私と約束してください」

 咲は立ち止った。

「私は、必ず咲さんに繋ぎます。だから……勝ってください」

 和の表情は真剣そのものであった。

「はい、必ず勝ちます」

 咲は、和の左手をとり、ニッコリと笑った。それは和の大好きないつもの咲の笑顔であった。

「だから、和ちゃんも私に約束して」

「はい……」

 和は嬉しかった。咲の本当の笑顔をみることができた。

「これからも私と……ずっと一緒にいてください」

「……はい」

 和も咲も真っ赤になっていた。そして、今までの約束と同じように見つめあいながら小指を結んだ。

「早うせんと、遅刻で失格になるんじゃがね……」

 染谷まこが、2人の肩を叩いた。和と咲は慌てて手を放し、「すみません」とまこに詫びた。

 2人は、かなり距離が離れてしまっているメンバーに追いつく為に、少し速足で歩いた。そして、和は咲との約束を思い返していた。

(必ず守ります。必ず咲さんに繋ぎますよ。――それと……)

 和は自分の体温が上昇していくのを感じていた。

 

 

 阿知賀女子学院 移動車両内

 

 阿知賀女子学院麻雀部の移動は、どこへ行くにも、赤土晴絵の運転する7人乗りのミニバンであった。インターハイにも奈良から、半日以上かけてこの車で来た。そうなると、自ずと席順が決まっていた。助手席には松実宥、2列目は鷺森灼、3列目に残りの3人が座る。しかし、今日はその席順が替わっていた。助手席は替わらないが、2列目は灼ではなく、松実玄が座っていた。そして、2人とも寝ていた。晴絵が寝かせておくように指示を出していた。

「3人共、ほとんど寝てないよ」

 灼が言った。今、寝ている松実姉妹と、車を運転している晴絵のことであった。

「宮永照に魔法をかける……」

 高鴨穏乃は、晴絵がミーティングで言った科白をリピートした。どういう意味か穏乃には理解できなかったが、その為に、3人は死に物狂いであったのだろう会議中に何度か意識が飛んでいた。

「私達3人で何とかしないと……」

 新子憧が深刻そうに言った。

 晴絵の作戦は、ザックリ言ってしまうと、「阿知賀は白糸台に狙われている。先鋒次鋒は守り切るから、中堅以降で何とかしろ」であった。その手法は、小鍛冶健夜からのアドバイスの所為か、実に奇抜なものであった。しかし、松実姉妹のそれは、穏乃からみても悲壮感が漂っていた。灼も憧も、自らに課せられた重責に押し潰されそうになっていた。

「あー、今日は楽しみだな、やっと和と打てる。灼さん、和は強いから気を付けて、それに、おっぱいも、ものすごく大きいし」

 穏乃は、故意にふざけた口調で言った。

「麻雀と胸の大きさは関係ない……。大丈夫、原村和はマークしているから」

 灼は、迷惑そうな顔で答えた。

「じゃあ、永水女子の石戸さんもマークしなきゃね。灼も大きくなるといいね」

「そっちのマークじゃないから」

 憧も空気を読んで乗ってくれた。

 2人に笑い顔が戻り、穏乃は少し安心した。

 ――しばらくすると、穏乃にも眠気が襲ってきた。あくびを我慢して、両目に涙がたまった。それを見て灼が笑いながら言った。

「シズも憧もちょっと寝たほうがいいよ。到着までまだ時間があるし」

「でも、灼さんは?」

「私は、晴ちゃんを監視しなきゃ。事故で欠場になったらまずいでしょ」

「あーそうしてくれ。殴ってもいいぞ」

 晴絵が言った。3人は女子高生らしく笑った。

「それじゃあ、少しだけ」

 穏乃はそう言って、目を閉じた。

 頭の中では、穏乃に対する晴絵の指示が繰り返されていた。

(宮永咲の支配には決して逆らわないこと……反撃のタイミングは……)

 

 

 臨海女子高校 麻雀部部室

 

 長い作戦会議が終わり、留学生4人はソファーに座って、一息ついていた。チーム唯一の日本人の辻垣内智葉は、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムとスポンサーへの挨拶に行っていた。

「タフな試合になりそうデスネ」

 言葉と一致しない笑顔でメガン・ダヴァンが言った。

「智葉のマイナスは織り込み済みだって。点数には幅があるけど」

「ネリー……難しい言葉を知っていますね。どういう意味ですか?」

 郝慧宇が驚きの表情でネリーに聞いた。

「うーん……予定通りとか、そんな感じかな」

「ふーん。日本語は難しい」

「イッソのこと、これからは米語で話しませんか?」

「米語? 英語じゃなくて? 私、米語が嫌いなので却下です」

 メガンの提案は雀明華に一蹴された。

「明華、決勝は歌うの?」

「歌っていいのなら、ずっと歌っています」

 郝の質問に明華が答えた。そして、いつもの曲を口ずさんだ。

 3人は、しばらくの間その歌を聞いていた。郝は目を閉じ、メガンは笑顔でリズムをとっていた。

 ネリーにとっても、それは心地よいものであった。明華の歌声は母親の声によく似ていたからだ。聞くたびに、故郷での数少ない幸せな時を思い出してしまう。

「いい歌デスガ、試合中はダメデス。怒られます」

「でも、私は明華の歌が好き」

 明華は郝に「メルシー」と言って、フランス人らしい、気取った会釈をした。

「ネリー」

「うん?」

「ミヤナガには勝てそうですか?」

 メガンは真顔になって、ネリーに問いかけた。

「メグ、私は宮永に負けてないよ」

「そうデスカ……」

 メガンは複雑な顔でつぶやいた。

(分かっているよ、メグ。今の私は宮永に吞まれている。それは認める。でもね、私は死んではいないよ、吞み込まれていても、内部からチャンスを待つ。私の力を知っているでしょう? 〈運の波〉は私と共にあるのだから)

「メグ……」

「ハイ」

「私……がんばるよ」

「ソレダ!」

 急にメガンが大声を出したので、周りの3人は飛び上がった。

「び、びっくりしたー」

「なんですか、もう」

 郝と明華が咎めるような視線をメガンに投げた。

「今のワタシ達にとって、最もピッタリくる言葉デス」

「がんばる?」

 ネリーが聞いた。それに対してメガンは今日一番の笑顔で答えた。

「そうデス! みんなでカンバリマショウ!」

 日本語の「ウザい」とはこういうことを言うのだろうなと、3人は思った。しかし、この素直さが彼女の魅力でもあった。だから、その言葉は3人に前向きな力を与えていた。

「そうね、私もがんばるよ」

「うん。がんばる」

 郝と明華も今日一番の笑顔であった。そして、3人はネリーを見ていた。

 ネリーは、少し照れながら、大きな声で言った。

「がんばろう!」

 生まれて初めての感情であった。チームの一体感。ネリーはそれを感じていた。だけど、それも今日で終わり。そう考えると、急に寂しさが込み上げてきた。

 ――智葉がドアを開けて入ってきた。

「みんな、そろそろ時間だ」

 それは驚くほど静かな声であった。

 4人は無言で頷き、ゆっくりと立ち上がる。そして、やはり無言で前に歩き出していた。

 

 

 白糸台高校 移動車両内

 

 3連覇を目指す高校らしく、送迎車もそれなりに高級車であった。7人乗りのメルセデス。チーム虎姫のメンバー5人は、それに乗り込んでいた。

 大星淡は3列目のシートに宮永照と座っていた。普段ならば、ムードメーカー的に無駄口をべらべら喋っていたが、今日は一言も口をきいていなかった。

「淡、今日は静かだな?」

「まあね……考え事をしてた」

 弘世菫の気遣いに、淡は素直に答えた。

 超新星と呼ばれ、自信に満ち溢れていた大星淡は、今は見る影もなかった。さっきまで行われていたミーティングでも、積極的発言はなく、副将戦で終わりにするという方針にも、それでもいいと思っていた。淡は照の話した宮永咲の影に怯えていたのだ。

「テルー」

「うん」

「今日はあれ使うの?」

 淡は、照に気のない質問をした。

「あれは、咲との対決までとっておく」

「そう……そうだよね」

 淡にも分かっていた。何回か見たことのある照の新しい打ち方。それは、どう考えても、対〈オロチ〉用であった。

「淡、私は勝ちたいの……」

 照は平静を装って話しているが、明らかに不安を抱えている。

 淡の心に、怒りの感情が芽生えていた。照に、ここまでプレッシャーを与える咲を、許すことができなかった。それが不毛なものであることは理解していたが、自分を抑えることができなかった。

(会ったことも、話したこともないテルーの妹サキ。私は、お前程憎いと思ったヤツはいない! 倒してやる! 絶対に倒してやる!)

 咲への怒りが頂点に達した。その感情が、超新星 大星淡を復活させていた。

 


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