咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第二話 見えない恐怖

 インターハイ団体戦は長野県代表 清澄高校が優勝した。昨年までは部員不足でエントリーすらできなかった県立高校麻雀部が、いきなり全国制覇の快挙を成し遂げたのは、宮永咲、原村和、片岡優希の一年生3人の活躍によるものが大きかった。その若いチームの圧倒的な力は、全国高校麻雀部の悩みの種であった。何しろ、少なくとも2年間は倒さなければならない敵として、目の前に立ちふさがるのだから。

 これから始まる個人戦に、その宮永咲と原村和が出場する。強豪校といわれる何校かは、この機会を逃さなかった。来年、清澄高校を打倒する為には、二人の弱点を詳細に探る必要があったのだ。

 

 

 都内 茨城郷土料理店 個室

 

 茨城県出身の小鍛冶健夜は、行きつけの地元家庭料理店の個室で、友人の福与恒子を待っていた。かなりの長時間を待たされているらしく、温厚な健夜でさえ、スマホで時間を確認しながらイライラしていた。

「お待たせー!」

「お待たせっていうレベルの話じゃないよね、1時間の遅刻ってのは……」

 悪びれる様子もなくやって来た恒子に、笑顔のない嫌味を言った。

「ゴメン、ゴメン。でも、現在地を報告しながらだったから。ワクワクしたでしょう?」

「……」

「と、ところで、どうしたの? すこやんからの呼び出しなんて珍しいよね」

 いつもの冗談が通じないと判断したのか、恒子は慌てて話題を変えていた。

「……頼みたいことがあるんだよ」

「頼み?」

 恒子もテーブルに着いて、店員を呼んで飲み物と霞ヶ浦のレンコン料理を注文をした。

「清澄高校麻雀部にコンタクト取れる人を紹介してほしい」

「清澄? じゃあ藤田プロだわ」

 素っ気ない答えに、健夜は驚いていた。

「藤田……靖子ちゃん?」

「現部長と顔見知り、2年生メガネっ子の実家の雀荘常連客、うってつけでしょう」

「こ、こーこちゃん、お願い。靖子ちゃんと会えるようにして」

 大きな声での健夜の懇願に、今度は恒子が驚いていた。

「えー、プロ同士なんだから、簡単に連絡取れるんじゃないの?」

「……意外と私は、そういうのはないんだよ」

「意外でもなんでもないけどね、すこやんの場合は……でも、なんでまた?」

 恒子は呆れ顔であったが、清澄高校と接触をしたがる健夜の本意が分からなかった。

 その健夜は、疑い深く恒子を見て、小さな声で答えた。

「……だれにも言わないなら話すけど」

「ずいぶんと慎重だね」

「これだけは……口外してもらっては困る」

「分かった。だれにも話さない」

 不安気に眉を寄せる健夜に、恒子も真面目に対応していたが、その不審は完全に晴れないようであった。とはいっても、恒子の助けは必要なのであろう。僅かに逡巡した後、健夜は心を決めて理由を話した。

「私は、清澄高校麻雀部の監督になりたい」

「ええー!」

 騒がしかった郷土料理店内に一瞬の沈黙が訪れるほどの大声であった。健夜は大慌てで恒子の口を塞いだ。

「こ、声が大きいよ」

 恒子は、すまないとばかりに何度も頷いて、健夜に手をどけてもらった。

「こりゃあ、おったまげるわー。だって、アマチュアの指導者になるには、プロの資格を失効することになるんだよ」

「分かってるよ」

「……理由を聞いていい?」

 ただ事ではないと感じ取ったのか、恒子は事情の深堀をした。

「咲ちゃんかな……」

「咲ちゃん? 宮永咲?」

 健夜は小さく頷き、沈黙した。

 店員がドアをノックし、恒子の頼んでいた料理と飲み物(アルコール入り)が届けられた。健夜はしばらくの間、恒子が食べるのを眺めていた。

「あの子はね……脆いんだよ、まるでガラスのよう」

 恒子は、歯応えのあるレンコンの肉詰めを食べていたので、すぐには返答できなかった。よく咀嚼してから飲み込んだ。

「あ、あんなに強いのに?」

 慌てて答える恒子を見て、健夜は笑った。警戒心が解け、いつもの友人との話し方に戻っていた。

「あの強さはね、幻影なんだよ」

「……」

「咲ちゃんが自分の恐怖を覆い隠す為に作り上げた砂上の楼閣。崩れる時はあっという間だよ」

 麻雀の実況をすることの多い恒子だったが、プロ雀士とは感性が違うことも理解していた。だから、いまの彼女の話は想像の範囲外にあった。しかし、健夜がなにを望んで清澄の監督になりたいのか、友人として確認する必要があった。

「すこやんは、どうしたいの? 自分で倒したいの?」

「そう思っていたけど、今は違うよ……」

「違うの?」

「私は……彼女を守りたい」

 真正直な言い方、こうなると健夜の決意をだれも曲げることはできない。恒子はそれを経験として知っていた。だがなぜそこまで本気なのか聞かなければならなかった。

「なぜ?」

「私の……野望の為だよ」

「……」

 “野望”という言葉に、少し恥ずかしさを覚えたのか、健夜の顔は赤くなった。

「こーこちゃんは知っていると思うけど、私は、ある人に完全敗北したことがある」

「前に聞いたよ、それがすこやんの世界ランキング2位の秘密」

 健夜は僅かにはにかみ、話を続けた。

「その人はとても強い。私では勝てないかもしれない……。でもね、咲ちゃんなら……勝てるかもしれない」

 恒子は箸でつまんでいた料理を落としてしまった。そして、自分の友人、小鍛治健夜のスケールの大きさに驚愕していた。彼女の目は世界に向けられていたのだ。

「そ、その為に?」

「急がなきゃ、個人戦はどうしようもないけど、ネリーちゃんと再戦する前に接触しなければ手遅れになる」

「ネリーちゃん? 臨海の?」

 健夜は口元を引き締めて、大きく頷いた。

「彼女は掴んでいるはずだよ。宮永咲の弱点を」

 

 

 千里山女子高校 宿泊ホテル 会議室

 

 千里山女子高校監督 愛宕雅枝は、宿泊しているホテルの会議室をレンタルしていた。朝から姪である船久保浩子の指揮によって、PCが何台も運びこまれ、ある実験の準備が進められていた。四角に囲まれたテーブルの一つに多数のPCと三つのモニターが並べられている。その他のテーブル上にはタブレットが置かれているだけなので、その一面だけが異様であった。

 雅枝は、浩子からすべての準備が整ったと報告を受け、メンバーに着席するように指示を出した。

 三つのモニターが並べられているテーブルには船久保浩子、上家には江口セーラ、対面には清水谷竜華、そして下家には園城寺怜であった。

「セーラと怜、個人戦における最大の障害はなんや?」

 雅枝は、個人戦に出場する二人に漠然とした質問を投げかけた。 

「そらぁ、宮永照と荒川と違います?」

「怜は?」

「宮永……姉妹」

 不機嫌そうに雅枝は頷き、荒々しく言った。

「ねーちゃんのほうは、もう三年目や。お前らでなんとかせい」

「……」

 二人は苦笑いをするしかなかった。宮永照はなんとかしろですむ相手ではなかったからだ。そんな怜達の感情を無視して、雅枝は話を継続した。

「だけどな、妹は別や……あんな怪物、見たことがない」

 雅枝の顔にはいつもの余裕がなかった。姪の浩子に目で合図をして説明を促した。

「そういうわけで、皆さん方には、仮想宮永咲と闘こうてもらいます」

「朝に、メールで配信されたプログラム?」

 雰囲気を変えようと思ったのか、部長の竜華は言葉を和らげて質問をした。

「そうです、皆さんのタブレットには既にインストールされてると思います。それを使うて、これから私と対局してもらいます」

「なんやズルいで、オレらんとこは、こんなタブレット一枚やのに、船久の前にはモニターが三つも並んどるやないか」

 セーラも緊迫感に耐え切れなくなったのか、少しお茶らけて話した。

 しかし、雅枝はそれを許さなかった。矢継ぎ早に指示を出していった。

「その理由は直ぐに分かる。泉、お前からや、浩子の後ろで妹の手牌をみとけ」

「はい」

 チーム唯一の一年生 二条泉を自分の隣に呼んだ。そして、仮想戦の開始を浩子に伝えた。

「始めろ」

「はい」

 面子の背後に一年生の記録員を配置し、データを収集する。分析にはそのデータが必要になるのだ。その用意周到さに、メンバーはただ事ではないとの意識を強めた。

「こ、これは……」

「ごっついことになっとんな」

 浩子の前のモニターには、それぞれの面の山牌と手配が表示されていた。異常なのは、通常隠れているはずの牌が何枚も見えていた。王牌のすべて。そして、それに絡むドラ牌がどこにあるか浩子に分かるようになっているのだ。

「本当ですか? 本当に宮永妹は……こんなに」

「そう考えるしかあらへん。大将戦で白糸台の大星が全部のドラ牌をめくったのを見たか?」

「ええ……面子の3人の手牌にドラがいやらしく絡んでいました」

「つまりはそういうことや……」

 雅枝は、浩子のモニターが反射して映っている眼鏡を、指で押し上げた。

「宮永妹は、最初からドラ牌が見えとんのや」

「……」

 泉は言葉が出なかった。目の前では、浩子が、関西を代表する高校生雀士三人を相手に、完全に翻弄し、宮永咲のごとく嶺上開花を上がった。さすがにドラ8とまではいかなかったが、その恐ろしさは痛いほど伝わってきた。

「圧倒されています……。大星、高鴨、ネリー、こんな化け物と闘っていたんですね」

「みんなお前と同級や、嫌でも立ち向かわにゃならん。よう見とけ、そして可能性を探れ」

「はい」

 

 

 姫松高校 宿泊ホテル

 

 監督代行の赤阪郁乃をセンターに置いて、団体戦のメンバー(愛宕絹恵は別の用事の為に不在)が車座になって、新たに発生した脅威の宮永咲についてミーティングを開いていた。チームの参謀ともいえる末原恭子によってその説明がなされていた。

「58枚か……」

 主将の愛宕洋榎が呆れ顔でつぶやいた。

「そうです、妹が見えとるかもしれない牌はそんだけになります」

「大体半分か……なんちゅうやっちゃ、どないせぇいうんや」

 洋榎との会話は普段通りではあったが、恭子の表情はこれまでになく険しかった。

「主将は、宮永妹の恐さはどこにあると思てますか?」

「そらぁ、嶺上開花やろな、あれは防ぎきれへんからな」

「そうかもしれません……しかし」

「しかし、なんや?」

「……私には宮永妹、いや、宮永姉妹の恐さが、見えんのですわ」

 恭子は少し躊躇ってから回答した。自分でもその言葉に自信がないようであった。

 もちろん聞いている側は、なおさら意味が不明だった。

「末原先輩は、宮永が恐ないのですか?」

 下級生の上重漫の質問に、恭子はいつもとは違う優し気な顔で答えた。

「漫ちゃん、私は、妹と二回も闘っとるんやで、恐さは誰よりもようわかっとる」

 恭子の視線が漫から外れ、監督代行と麻雀部主将の双方に向けられた。

「だけど、嶺上開花が怖いとか、連続和了が怖いとかやない気がするんです」

「恭子……」

「あの二人は恐ろしい……、だけど私は、なにを恐れているのか解らない、それが何よりも恐ろしい」

 沈黙が訪れた。皆、恭子の話の本質を掴みかねていた。

 曲者である監督代行の赤阪郁乃は、呑気そうな口調でそれに対する探りを試みた。

「配牌時にドラ牌が見えている。連続和了のリミッターは外すことができる。――あの姉妹は恐怖を振りまいとるなあ」

「それを意識したら負けです……」

 恭子は怒り気味に即答した。郁乃は解答を得たようであったが、他のメンバーはそうではなかった。

「恭子ちゃん、どういうことなのー?」

 付き合いの長い真瀬由子でさえも、あまり見たことが無い恭子に少々慌てていた。

 恭子は、由子の問いかけには答えず、別の質問をした。それは相手を特定しない言い方であった。

「昨日の記者会見で宮永妹の言った言葉、覚えとりますか?」

「負けへん誓うたって言うとったなあ」

 郁乃であった。彼女は恭子にすべてを話させようと考えていたのだ。

「なぜ誓うたと思いますか?」

「…… 」

「これは想像ですが、宮永咲は、その誓うた相手に倒してほしいのと違いますか?」

「だれに? ねーちゃんじゃない言うとったで」

 洋榎がせっかちそうに聞いた。恭子は間を少し開けて重苦しく言った。

「原村和だと思います」

「原村か……」

 その名前を噛み締めるようにつぶやく洋榎に、恭子は驚きの顔であった。

「主将……驚かんのですか?」

「……決勝の原村和は異様やった。多分、あれがヒントやろ?」

 恭子の表情が変化した。それは驚きから信頼への変化であった。

「そうです。あれは原村なりの解答やと思います。監督の言うた振りまかれた恐怖を無効化してしもたらええんです」

「でけんのか? そんなことが」

「できません。原村でさえも、まだできへんのですから」

「ぶっ倒れてもうたな」

 恭子は大きく頷き、これまでの話の本質を言った。

「見えない恐怖……それに囚われているかぎり、私達は宮永姉妹には勝てません」

 

 

 宮守女子高校 宿泊ホテル

 

 その部屋には、顧問である熊倉トシと麻雀部部長の臼沢塞しかいなかった。個人戦に出場する小瀬川白望と姉帯豊音は、別室で仲間と特打ちを行っている。トシと塞にしてみれば、二人に何らかのテーマを与えてやりたかったが、それはできずにいた。いや、各校のマークすべき相手にはそれなりの対策も練ってある。ただ、突如現れた全く異質な存在が、それらのものを吹き飛ばしていた。出口の見えない迷路、トシ達はそれに迷い込んでいた。

「王牌の支配を破る?」

「そうだよ、阿知賀の大将はそれをやってみせてくれた」

 トシは、団体戦での阿知賀女子学院 高鴨穏乃の闘いを塞に説明していた。

「あの三倍満は偶然じゃなかったんですか?」

「宮永咲にとって、あの【八筒】は安牌だったはずだよ」

 塞は、名伯楽と言われた熊倉トシが部長として選んだだけあり、物事の理解力がすばやかった。

「ま、まさか、高鴨穏乃が!」

 愕然としている塞に、トシは優しく答えた。

「偽のドラ情報を宮永咲に見せたんだよ……自分のそれは隠蔽してね」

「す、凄い……でも……」

 塞の頭の回転の速さに、トシは感心したような顔になった。

「そうだね、条件が厳しすぎる。王牌が彼女のテリトリーに残らなければならないからねえ」

「……」

「それに、この手は、もう通じないだろうね」

「なぜですか?」

 テーブルの茶に手を伸ばし、トシはそれを飲んだ。そして、顔の前で手を合わせて、塞に質問した。

「小鍛冶健夜は彼女のことを何て言っていたか覚えているかい?」

「魔王?」

「よほどの弱点でもないかぎり、奇策は二回も通じないよ、魔王にはね」

「じゃあ、豊音とシロには打つ手なしですか……」

 悔しそうに顔を歪めて塞が言った。しかし、トシの表情は逆であった。

「バカ言っちゃあ困るよー」

 それは、このインターハイに宮守女子高校を導いた策士熊倉トシの顔であった。

「いいかい、私は、奇策は二回も通じないって言ったんだよ」

「え?」

「分からないかい。一回なら通じるんだよ」

「先生!」

 思わず叫んでしまった塞を、トシは優しい目で見ていた。

「白望も豊音も、二回戦ですべてを見せてはないだろう?」

「はい!」

「宮永姉妹の独走を許しちゃいけないよ、このままだと、麻雀界全体を支配されてしまうからねえ」

 優しかったトシの目は、齢を重ねた闘う者の目に変貌していた。

 

 

 永水女子高校 麻雀部部室

 

 永水女子高校の麻雀部部室は、まるで社殿のようであった。高床式の部室内部は、装飾が全くなく薄暗かった。その中で巫女服姿の5人が集まり、会議を開いていた。目を閉じて中央に座っているのは本家の神代小蒔、その周りには、六女仙の内の四人が集まっていた。

「霞さんの絶一門は、咲ちゃんにも効果が出ていました」

 狩宿巴は、自校が敗退した団体二回戦の大将戦の見直しを行っていた。

「でも、あの子は、それを逆手にとりました。集まる牌の種類が狭められるわけですから、鳴きを駆使して、霞さんよりも先に上がる作戦を選択しました」

「……嶺上開花、いえ、槓の力を思い知らされたわ、手を進めるのに嶺上牌を利用するなんて、あの子じゃなければできないわよね」

 薄墨初美は、なぜ巴がそんなことを言い出したか理解できなかった。もっと大事なことがあるはず。そう思い、それをストレートにぶつけた。

「それよりも、あの子が決勝戦の状態になったらどうするのですかー?」

 当然の質問であった。目を閉じている小蒔以外の全員が巴を見ていた。その巴は、冷静ではあったが、どこか諦観じみた強弱のない口調で答えた。

「はっちゃん、それは考えてはいけない」

「え?」

「あの状態の宮永咲には、たとえ姫様でも勝てません。だから稼げる時に稼いでおく……それが私の提案です」

「……」

 だれもが驚いていた。分家の六女仙には、本家への絶対的な信頼と服従が義務付けられていたからだ。今の巴の発言はその両方に背いていた。そして巴は、それを更に続けた。

「超新星 大星淡を相手に14万の点差を半荘で0にした驚異的な支配力。あの宮永照でさえも対戦を避けたほどの怪物。直接闘わないほうがいい」

「八岐大蛇です……あの最終局、はっきりと姿が見えました」

「姫様……」

 どこから起きていたのかは不明だが、神代小蒔は目を開けていた。

「宮永咲さんと、そのお姉さん……彼女たちは暴虐のかぎりを尽くす魔物です。それを鎮めるのが私達の役目だと思います」

「でも姫様、私達には、魔物を酔わせるお酒も、打ち倒す剣もありませんよー」

 相手が八岐大蛇ならば、倒すには泥酔させる酒が不可欠であった。初美にはそれが思いつかなかった。

「私が生贄になります。その隙に初美ちゃんが彼女を倒してください」

 初美を見た小蒔の表情は、いつもの柔和なものではなかった。自らスケープゴートとなることをも辞さない、霧島神境の長の顔であった。

「彼女たちが魔のものならば、必ず倒せるはずです。私達はそういう家系に生まれてきたのですから」

「……」

 分家の四人は、このような小蒔を見るのが初めてであった。温和でのんびりとした本家の姫様。それが小蒔であるはずであった。しかし、彼女はやはり本家を継ぐ者、目の前にある危機に対して、強力なリーダーシップを発揮していた。

「巴ちゃんは、こう考えているのでしょう? 個人戦は点数勝負、彼女たちとの対戦は回避して決めてしまえば良いと」

「はい……半荘で稼げるポイント以上の点差が決勝前にあればと思いまして」

 小蒔は問い詰めるように話を続けた。

「春ちゃんに、その神様を降ろすのですか?」

「……対戦はランダムに決定されますが、はるるなら、ある程度調整できますから」

「いけません」

「しかし……」

 厳しい顔であった。それは巴が反論を躊躇うほどであった。

「あの姉妹とは、正面からぶつかります」

「残念ですけど、それは聞けません」

「初美ちゃん!」

 狩宿巴に続いて初美の造反、石戸霞は危機意識を覚えて戒めた。だが、初美はそれを無視して自分の意見を姫に伝えた。

「姫様……個人戦で、少しだけはるるの力を使わせてください」

「……」

 小蒔は無言で初美を見ていた。初美はその視線から逃れるように、滝見春に顔を向けた。

「姫様より先に私を宮永姉妹にぶつけて」

 再び初美は小蒔と目を合わせた。もう逸らさない、その目は造反者の目ではない。忠誠を誓う者の目であった。

「贄には、私がなります」

 

 

 新道寺女子高校 宿泊ホテル

 

 新道寺女子高校の白水哩と鶴田姫子は“リザベーション”という特殊な連携技を使う。それは、あの宮永照でさえも破れないとお墨付きを出した強力な打法で、団体戦でその無敵ぶりを全国に見せつけていた。しかし、欠点もあった。哩と姫子が連続した時間軸に乗っていなければならず、それゆえに団体戦のみで使用可能と思われていた。だが、特訓を重ね、個人戦でも使うことができるようになった。“リザベーション・ディレイ”哩の結果は一局遅れて姫子にリンクする。これまでどおり増幅されてだ。哩の調子に左右はされるが、姫子は優勝を狙える存在であったのだ。

 ――2年生の花田煌は部長の白水哩と監督の比与森楓に呼び出されていた。

「およびでしょうか?」

「まあ、そけー座り」

 監督の比与森楓に、ホテル備え付けのテーブルセットのソファーへ座るように指示された。対面には監督の他に白水哩と同級生の鶴田姫子も座っていた。

「花田は、宮永姉妹についてなにか知っとーか?」

「小学中学を通じて、あの姉妹は公の場には姿を表しませんでした」

「そうか……」

 残念そうに笑う哩を見て、煌は何故か罪の意識を感じてしまった。

「お役に立てなくて申し訳ございません」

「よかよ、原村は、お前ん後輩か?」

「はい、原村さんは、片岡さんと一緒に途中入部してきました。惜しかったですね、もう少し早ければ、インターミドルに出られて、すばらな結果を残せたかもしれません」

 煌の独特な話し方に、哩と姫子は苦笑していた。

「お前は変わっとーね。後輩にも敬語で話すったいなあ」

「私は呼び捨てにされとーばい」

「姫子は特別です。それはすばらなことですよ」

 姫子は思わず口に手を当てて笑った。煌もそれが嬉しそうであった。

 ――煌は自分が呼ばれた理由を考えていた。おそらく宮永咲や原村和と同郷だからであると思われた。しかし、彼女たちが哩と姫子の脅威になるとは思えなかった。

「私を呼んだのは宮永さんと原村さんの情報を求めてですか? “ディレイ”ならば問題がないのでは?」

「お前は、そう考えとーんか?」

「ええ……」

 哩の浮かない顔に、煌は違和感を覚えていた。それを補足するように監督が説明をした。

「哩は新道寺のエースではあるが、全国レベルでは最強ではない。去年を見てわかると思うが、滅法打たれ弱い……巨大な敵と対戦して打ち負かされると、哩は小さなスランプに陥ってしまうんだよ」

 本気で話すと煌には理解できないと判断したのか、楓は微妙にアクセントの位置が違う標準語で話していた。

「私の不調は、姫子に繋がるけんね」

「宮永さんと原村さんは部長にとって巨大な敵なのですか」

 笑い飛ばされるはずの質問だったが、驚くことに哩は頷いた。

「花田……私は馬鹿じゃなか。どがんしてん勝てん相手はいるもんや。ただ、そういった相手からん負けは……私のスランプば長うすって思う」

「特に宮永咲だね、あの子のあの状態は、哩に大きなダメージを与える。それは新道寺の敗北を意味するんだよ」

「……」

 煌は同郷の生み出した怪物に、改めて畏怖の念を抱いた。

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

 この日は午前中から慌ただしかった。龍門渕高校と鶴賀学園の麻雀部メンバーが訪れ、長野に帰ることを連絡していた。2校とも清澄高校の応援の為に、わざわざ東京にきていたのだ。竹井久達は、それを感謝の気持ちを込めて見送っていた。

 そして今、長きに渡って久達を支えてくれていた風越女子高校の三人も、個人戦の開始を前に別れを告げていた。

「寂しくなるわ」

「はい……でも、これからは敵同士ですから」

「そうね」

 風越麻雀部の部長 福路美穂子は個人戦の長野県予選をトップ通過していた。終始安定した打ち筋で、2位以下の原村和、宮永咲に大きく差をつけて決めていた。当然、全国制覇も狙っているはずであった。

「原村さん、宮永さんも、私と闘うことになっても手加減は無用ですよ。個人戦とはそういうものです。僅かな油断が命取りになります」

「はい!」

 その美穂子の忠言に、二人はチャレンジャーとして返事をした。

「それは美穂も同じよ、全力できてね」

「もちろん、私は三年生なのですから」

「……」

 久のインターハイは既に終了している。美穂のセリフを羨んだのか、久は、ほんの少しだけ寂しそうな顔になった。

 

 

 ――風越女子高校の福路美穂子と池田華菜、吉留未春の三人は、コーチの久保貴子のいる別棟に向かっていた。長い間、清澄高校と共同生活を行ってきていた棟を離れ、一度外に出る。外もホテルの敷地内なので程よく整備され、宿泊客が快適に過ごせるように工夫されていた。美穂子は涼しそうな木陰のベンチを見つけて、そこで休憩を取ることにした。

「どうぞキャプテン」

「有難う、吉留さん」

 気配り上手な未春が、三人分の飲み物を買ってきて渡していた。それを受け取りながら、華菜は言った。

「今はまだ普通の状態です。このままでいてくれるといいのですが……」

 宮永咲のことを言っていた。〈オロチ〉の状態になると手が付けられない、だからこのままでいてほしい。美穂子を敬愛する華菜にとっては、それは願望に近いものであった。

「華菜、その言い方だと、私は咲ちゃんに勝てないのかな?」

「い、いえ、そんなことはありません!」

 慌てて反論する華菜に、美穂子はいつもの笑顔を向けた。

「それはいいことなのよ」

「え?」

「常に負ける可能性を考える。それは敗北主義ではないわ、最悪の結果を未然に防止する合理的な考え方よ」

「……そうですね」

 池田華菜に不足している部分がそれであった。引きの強さを武器に、直球勝負で勝ち続けてきた華菜は、負ける可能性を重視していなかった。その為に、二年連続で天江衣の術中に嵌り、挫折を味わうことになった。だが、その経験を経て池田華菜は変わりつつあった。

「華菜、吉留さん……私の最後の闘いは、きっと違和感を覚えると思う」

「違和感ですか?」

 そう聞いた未春も、美穂子が才能を開花させた一人であった。池田華菜に憧れていただけの少女を、華菜と同じステージにまで引き上げていた。

「私はね、これまで絶対に勝ちたいと思った相手がいなかったの……」

「清澄の部長さん……もですか?」

「そうね、ちょっと違うかも」

 美穂子が竹井久を語る時、華菜の表情には陰ができてしまう。それは、どんなに取り繕っても隠せないものであった。

「竹井さん以上の存在ですか……だれですか?」

 華菜が陰のある顔で質問した。美穂子はそれを見て、笑いながら答えた。

「宮永照さんかな」

「……」

 当たり前と言えば当たり前だが、その名前は二人を絶句させた。しかし、なぜ美穂子がその名前を口にしたのかは、二人は理解していた。

「咲ちゃんが話してくれた照さんは……とても衝撃でした」

「照魔鏡ですか?」

 美穂子は小さく頷いた。

「生まれて初めて……闘う前に勝てないと思ったのは……」

「キャプテン……」

 心配そうに見つめる後輩を安心させる為に、美穂子はあえて力強く言った。

「でも、試してみたい」

「え?」

「私の力で、照魔鏡を破れるかどうか試してみたい」

「キャプテン!」

「いえ、違うわね……私は、宮永照を必ず打ち破る」

 先程、美穂子が言った違和感とはそういうことであろう。自分はその為なら手段を選ばない。宮永照と対戦するまでは、なにがなんでも勝ち抜く、その決意を言っていたのだ。

 

 

 姫松高校 宿泊ホテル

 

 愛宕絹恵が戻り、再び会議が招集された。絹恵は、監督代行の赤阪郁乃の指示で千里山高校に出向いていた。そこで行われていた実験は郁乃の提案で実施されていたのだ。その情報を絹恵が持ち帰っていた。

「さすがに牌譜まではくれへんか……ケチやなーオカンは」

「アイディアは私が出したのになー」

 愛宕洋榎と郁乃はぶつくさと文句を言いながら、絹恵からデータをもらっていた。

「全部で半荘16回か……浩子の一人勝ちやないかい」

「一回も勝てなかったって、園城寺さんでもセーラさんでも」

「竜華でもだめかいな」

 皆、ショックを受けていた。そのデータは、千里山女子高校の選手は宮永咲には決して勝てないことを表していたからだ。

「でも、後半、江口セーラがええとこまでいってますね」

 末原恭子は点数に着目していた。前半は飛び終了も多いが、後半になるとセーラが船久保浩子の点数を脅かすまで迫っていた。

「開き直りやて言うとったな」

「なんやそれ、まあセーラのアホのことやから、自分のことしか考えんで打ってたんやろな」

「そう、それや! なんで分かったん? お姉ちゃん」

 絹恵の驚きを余所にして、洋榎と恭子は目を合わせた。

「これは、いけるんとちゃうか?」

「まだ、何とも言えません」

 対宮永咲の突破口を見つけたと思った。しかし、それは、愛宕絹恵の次の報告によって封じられた。

「そう言えば、オカンが代行に伝えてって」

「なんなん?」

 絹恵はメモ用紙を取り出して読んだ。

「再現できへんかったって、一度も」

 滅多に動揺しない郁乃の顔色が変わった。

「一度も……?」

「はい、ドラ8、国士無双、宮永咲が決勝卓でやったことは、一度も再現できなかった」

「なん……やて」

 だれもが言葉を失っていた。これまでの対策が白紙に戻されたようなものだった。

「じわじわくるな……」

「主将……」

 愛宕洋榎は、深刻な顔をしている全員を見渡してから言った。

「ドラが見えてるだけやあらへんてことかいな……まずいな、私達は押し潰される……見えない恐怖にな……」

 

 

 千里山女子高校 宿泊ホテル 会議室

 

 約8時間におよぶ実験が終了し、団体戦メンバーの五人は、会議室の一角で椅子に座り、疲れを癒していた。監督の愛宕雅枝はデータ分析の為に別室に移動していた。実験に使用した機材は、下級生達が忙しそうに片付けていた。

「まあ……分かっとったんやけどな」

 清水谷竜華の膝枕の上で園城寺怜はつぶやいた。この実験で最も衝撃を受けていたのは彼女だった。未来を見る力、それが完全に抑えられた。変えられるはずの未来が変えられない。既視感を覚える光景だった。そう、あの準決勝で宮永照を相手に見た光景と同じであった。

「決勝戦で阿知賀の子が、宮永照に役満振り込ませた時に、もう分かってたんや」

「怜……」

「悔しいなあ……私達は、あの姉妹には勝てへんのかなあ」

 そう言って園城寺怜は、竜華の膝に顔を埋めた。涙を隠すように。

「なに言うてますのや。園城寺先輩がそんな弱気では困ります」

 船久保浩子が立ち上がり、責めるように怜に向かって言った。

「船久!」

 江口セーラが浩子を怒鳴りつけた。だが、浩子は逆にセーラを睨みつけた。

「先輩……私は、頭にきていますのや」

「……」

「絶対に負けないなどと、小生意気なことを抜かしとる一年坊に、お灸を据えてやらにゃあ気がすみませんのや」

 浩子は再び怜に問いかけた。

「園城寺先輩、見た未来は変えられない……だから手詰まりですか?」

「なにが言いたいん? はっきり言わんと」

 部長の竜華が腹立たし気に言った。

「まって竜華……浩子……続けてもろてええか?」

「見えんようにしたらええんです……」

「……」

 園城寺怜は膝枕より顔を上げ、浩子と向かい合った。

「そうか……」

「そうです」

 千里山女子高校の悩めるエース園城寺怜は、今、生まれ変わった。これまで絶対的な信頼を持っていた自分の能力、それを、いったん捨てる時がきたのだ。

「闘える……これで、私は、あの姉妹と闘える」

 

 

 高校競技麻雀の華である団体戦はチームプレイが基本となる。しかし、個人戦はそうではない。個としての純粋な強さが要求される。失敗してもだれも助けてはくれない、場合によっては同じ高校同士で闘わねばならない、あらゆる面での強さがなければ、頂点にはたどり着けない。

 今年の個人戦に出場する選手たちは、その前段階として、宮永姉妹から与えられている恐怖に打ち勝たなければならなかった。そうしなければ、頂点を極めるなど夢のまた夢なのだ。

 

 

                           第三話 見えない恐怖 完




 
 これでアフターストーリーは終了になります。
 個人戦の終了後になりますが、以下の外伝を投稿予定です。

 1.咲とネリーの再戦
 2.〈オロチ〉の始まり
 3.清澄の阿知賀遠征
 
 ずいぶんと先の話になりますが、こちらも宜しくお願い致します。   

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