咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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 インターハイ団体戦で猛威を振るった清澄高校 宮永咲の〈オロチ〉を、実姉の白糸台高校 宮永照は、個人戦で直接打倒することを決意する。それこそが姉妹和解の唯一の方法と考える照と、別の方法を模索する咲。その対立は、否応なしに周囲の人間を巻き込んでいく。
“恐怖”“怒り”“愛情”“哀しみ”そして“野望”それらの様々な思いは、交差し、入り乱れ、二人を中心に巨大な渦となっていった。
 舞台は個人戦へ、姉妹対決はここに完全決着する。


個人戦編
1.宮永サイド


 清澄高校宿泊ホテル内部 庭園 

 

 原村和は、一人でホテル内の庭園にあるベンチに座っていた。

 すいぶんと長い間、麻雀部のメンバーと共同生活をしている。食事も一緒、風呂も一緒、寝て起きるのも一緒。まるで多数の姉妹ができたようであった。慣れるまで少し時間がかかったが、今はとても充実している。

 しかし、和は不意に一人の時間が欲しいと考えてしまい、この場所に来ていた。

(一人に慣れるって怖いな……)

 和は、持っていたアイスティーを少しだけ口に含み、自虐的に笑った。そして目を閉じ、その充実した時間を与えてくれている友人について考えを巡らせた。

 ――親の仕事の関係上、子供の頃から転校を繰り返していた和は、友人というものに、長い間淡白な考え方を持っていた。その土地にいる間、形なりに仲良くできたら良いだけの存在。それが和にとっての友人の在り方であった。

 それを決定づけたのは、阿知賀での高鴨穏乃達との別れだった。初めて知り合った同じ価値観を持った友人達、和は真に失いたくないと思った。だが、その彼女達とも別れは慣例のようにやってきた。堪え難い喪失感に和は苦しんだ。“こんな思いをするぐらいなら友人など必要ない”。和はそう考えて心を閉ざした。

 だから、次の転校先の長野では、和は友人を作らない努力をした。しかし、その閉ざされた心を開く者が現れた。片岡優希であった。天真爛漫な友人の優希の為に、和は再び慣例に立ち向かう決意をした。

 そして、初めての親への反抗。高校進学に対し父親の準備していた私立学校を拒絶し、優希と同じ清澄高校への進学を決めた。もちろん、和の父親はそれを黙って許すわけがなく、和は不可能とも思える条件を提示することによって、我儘を貫いた。“インターハイ全国制覇”それが清澄に残る条件であった。

 清澄高校麻雀部には、女子部員が4人しかいなかった。よって団体戦は出場不可能で、個人戦にすべてを賭けるしかないと思っていた。ところが、現実は、和の予想だにしない方向に動いた。5人目の部員が登場したのだ。

 その5人目は、和のキャリアを一撃で崩壊させるほどのパワーを持っていた。プラマイ0、嶺上開花。偶然でも滅多に起こらない現象を、5人目は当たり前のように行った。和は、その未知の力に困惑した。

(麻雀が好きじゃないか……)

 圧倒的な力を持つ5人目の部員、宮永咲はそう言った。和は麻雀を愛するがゆえに、努力を積重ねて技量を上げてきた。咲の発言は、そんな和の努力を否定しているように思え、許すことができなかった。

(私も穏乃と同じだったな……恐怖と憎悪……そうするしかなかった)

 もちろん和も馬鹿ではない、要は咲よりも強くなれば良いだけの話なのだが、彼女の力はまったく底が見えなく、恐怖感を払拭できなかった。自分の非力さに和は苛立ち、咲に必要以上に辛く当たってしまい、ぎくしゃくした関係が続いていた。

 そんなある日、なぜ咲が異様な打ち方をしているのか知る機会を得た。インターハイ・チャンピオンを姉に持ち、その姉とは不仲になり、別居している。寂しそうに咲はそう言った。それは自分となにも変わらない、なにかを恐れ、なにかに苦しむ、15歳の少女の姿であった。

 もはや、和は咲を憎む理由がなくなっていた。それどころか、咲を優希と同じ、いや、それ以上の友人として欲した。

 宮永咲と片岡優希、二人は和にとって失って良い友人ではなかった。慣例は打ち破らなければならない。和は二人を永遠の友人として望んでいたのだ。

 

「和ちゃん、こんな所にいたんだ」

 考えごとをしていた和は、近くに来ていた咲に気がつかなかった。

「咲さん」

「少し探したよ」

 和の呼びかけに咲は笑顔で返事をして隣に座った。おそらく咲は、部長の竹井久の指示で自分を探していたのだろう。明日から個人戦が始まるので、今日を軽い調整に充てると部長が言っていたからだ。

「個人戦が始まりますね」

「うん……」

 笑顔ではあったが、咲はちょっとだけ寂しそうであった。

「今度は対戦できるといいですね」

「そうだね……」

 良い話にしろ、悪い話にしろ、咲は会話に特徴がはっきり出てしまう。今は悪い話の特徴が表れている。

「……個人戦は、宮永咲で闘いきりたい」

 咲は、和と目を合わせずにそう言った。

「でも、お姉ちゃんや大星さんは、私を〈オロチ〉しようとしてくると思う。もし、あの状態で和ちゃんと対戦することになったら、私は手加減できない」

 相変わらずだなと、和は思った。いつもだれかのことばかり考えている。その過度の優しさへのアレルギーはなくなってはいたが、自分に対するそれは不要だと和は考えていた。だから和は、いつもより怖い顔を作って咲に言った。

「一番初めの約束……覚えていますか?」

「……そうだったね、ゴメンね、和ちゃん」

 それは、団体戦前夜に咲が和に言ったセリフであった。気がついた咲は、恥ずかしそうに和に謝っていた。

 和も顔をいつもの笑顔に変え、いつものように見つめ合う。それは、なんとも言えない心地良い時間であった。けれど今は、それを自分から終わりにしなければならない。団体戦の副将戦前に咲とした誓い、それへの決意を咲に伝える為だ。

「あの誓いは、必ず守ります。だから、いつだって私は全力で咲さんと闘います」

「……」

「手加減なんかしたら怒りますよ」

「うん」

 

 

 白糸台高校 麻雀部部室

 

 インターハイで連覇を続ける私立高校の麻雀部らしく、部室は至れり尽くせりの設備が用意してある。中でも目を引くのは、個室の存在であった。チーム制を採用している為、部室の中に個室が何部屋かあった。個人戦を明日に控える宮永照と大星淡は、チーム虎姫のメンバー達と個室で調整を続けていた。そしてそれも終わり、部長の弘世菫は最後の確認を行った。

「最終目的は照の3連覇で間違いないな?」

 長時間の対局により腰が痛かったので、手を当てて伸びをしながら立ち上がった。

 宮永照とその隣に座っている大星淡は、なにをいまさら的な顔で菫を眺めていた。

「照、淡も、お前達は咲ちゃんを倒すことに傾倒している。本来の目的、それの確認だよ」

 お茶を入れに行っていた渋谷尭深が、良いタイミングで戻ってきて、メンバーにお茶を渡した。その茶を飲みながら、照は答えた。

「分かっている。ただ、咲は必ず最後までくるよ、だから咲は、絶対に倒さなければならない相手だよ」

「お前らしくないな照」

「……どういう意味?」

「個人戦を勝ち抜くのは並大抵のことではない、お前は去年までそう言っていた。それがどうだ、今年は咲ちゃん以外はまるで目に入っていない」

「……」

 痛いところを突かれたのか、照は押し黙った。

 

 ――菫は、明日の集合場所と時間を指示して、本日の解散を告げた。チームメンバーは、挨拶をして帰途につこうとしていた。

「照、ちょっと話がある、残ってくれ」

 照は振り返り、立ち止まった。他の三人は、それを気にしつつも部屋から退出していた。

 菫は、ドアが閉まったのを確認してから照に話しかけた。

「照……」

 ――再びドアが開けられた。そこには大星淡が立っていた。

「……どうした」

「聞きたいことがあります。少しいいですか?」

 菫は頭を掻きながら手招きで淡を呼び寄せた。

「臨海のネリーですが、大将戦終了後、サキについて気になることを言っていました」

「敬語はやめろといっただろう」

「……菫はテルーと大事な話があるんでしょ。それを邪魔してるんだから敬語にもなるよ」

 やれやれと思った。きっとこの一年生は、自分と照がなにを話すのかが気になって仕方がないのだろう。菫は苦笑しながら淡に質問した。

「ネリーはなんて言っていた?」

「目で見えていることがすべてではないと」

 ――確かに気になる。主語のない意味不明な言葉ではあるが、その主語が重要なのだと、菫は考えた。そして、答えを知っていそうな照を見た。

「ネリー・ヴィルサラーゼは……あの試合を捨てて、咲を探っていた」

 いつもの感情がない顔で、照はそう言った。

「彼女は辛そうだった、ずっと顔をしかめていたよ」

「ヴィルサラーゼがどんな力を持っているか分からないが、〈オロチ〉を探ろうとしていたんだからね、それなりの苦痛は伴うよ」

「掴んだかな?」

 菫は不安になっていた。もしも、ネリーが宮永咲の弱点を掴んだとしたならば、臨海女子高校は対清澄高校の切り札を持つことになるからだ。

「多分ね……そして、彼女は驚いているはずだよ、自分との類似点の多さに」

「咲ちゃんとネリーがか?」

「ヴィルサラーゼだけではない、天江衣、高鴨穏乃も咲と同類だよ……彼女達の力の源は同じだと思う」

 照は、立ったままで話すことに疲れたのか、壁際に置かれているソファーに座った。

「……教えてくれるか?」

 菫も雀卓の椅子に座り直し、淡は照の隣に移動して座った。

「恐怖だよ……」

「……」

「四人には、共通している特徴がある。相手の上がりを察知する感覚が鋭すぎる」

「それは恐怖ゆえにか?」

「極端すぎる防衛本能……かもしれない。少なくとも咲はそうだよ」

 それは驚くべき発言であった。今、名前が上がった四人は、昨年、今年と猛威を振るった者達だ。その彼女達の力は、恐怖から身を守る為に発現していると絶対王者は言いきった。菫は、その言葉を額面通り受け取れなかった。

「……高鴨穏乃も……そうなの?」

 淡もそう考えたのか照に聞いた。菫も同意見であった。他の三人は別として、阿知賀の大将は違うように思えた。

「うん……ただ、彼女がなにを恐れているのかは解らない」

「だからなの? だから高鴨穏乃はサキに勝てないの?」

「咲の力は巨大過ぎる……小さな波は、大きな波に呑まれてしまう」

 菫は言葉が出なかった。その巨大な波は、高鴨穏乃だけではなく、麻雀界全体をも呑み込んでしまうものに感じられたからだ。

 

 ――だれも話さない状態が暫く続いた。菫は、淡によって中断されていた、照との話を再開することにした。

「照……さっき引き留めたのは、お前と咲ちゃんのことが聞きたいと思ったからだ」

「私は……これで失礼します」

 淡が気を利かせて立ち上がった。それを引き留めたのは、他でもない宮永照であった。

「淡……」

「……」

「ここにいてほしい」

 淡が菫を見ていた。居てもいいのかと許可を求めていた。

 菫が頷くと、淡は同じ場所に座り直した。菫も座っている椅子を照のほうに向けた。

「照、まずはさっきの話だ……」

 照がどう考えているかは分からないが、菫は照を親友だと思っている。だから、彼女が悩み苦しむことを、自分は知っておくべきだと決めていた。

(照、私には話してくれ……)

 あえて厳しい顔で、親友の最も話したくないことであろう“妹”について質問した。

「なぜだ、なぜ咲ちゃんの波は、そこまで大きくなった? 咲ちゃんは、なにを恐れているんだ」

 その質問を覚悟していたのか、照は僅かの沈黙の後、静かに話し始めた。

「私に負けること……」

「なに……?」

「私の母さんは知っているよね?」

「ああ……まあね」

 菫は、宮永照の母親に何度か会っていた。どことなく日本人離れしている彼女は、以前プロ雀士であったとも聞いていた。

「母さんは分かっていたんだ。咲は、優し過ぎる……こういった勝負の世界には向いていない」

「……」

「だから、母さんは、咲を私の為に使うことにしたんだよ」

「ど、どういうことだ?」

「咲には、世界中の強い雀士のデータが与えられ、そのコピーになるように命じられた……私の対戦相手としてね」

「それじゃあ……咲ちゃんは、お前を強くする道具か?」

 照は寂しげに頷いた。そして、なにかを懐かしむかのように、目を細めて言った。

「凄いよ咲は、模倣が完璧だった。私は必死になって打ち破った。――母さんはその結果に喜んだよ。それでね……咲に言ったんだ『決して照に負けるな、それが照の為だ』とね」

「それは、矛盾じゃあないのか?」

「トレーニングにおいては矛盾ではない、母さんの言った負けとは、真の負けのことだから」

「それが……サキの価値観になっちゃったんだね」

 おとなしく話を聞いていた淡が口を挟んだ。咲に感情移入してしまったのか、思い詰めた表情だった。

「そうだよ、だから咲は私にだけは負けることができない」

 照は、そんな淡に優しく話した。

「原村和ならいいの?」

「咲は、〈オロチ〉の連鎖からの解放を望んでいる。原村和は、その為に選ばれた」

 菫は疑問に思った。なぜ原村和でなければならないのかと。

「お前と原村の違いはなんだ? その選択に、どんな意味がある?」

 照の微笑みが消えた。おそらく話したくない領域に入ってしまったのだろう。照は僅かに考えて、それを話すことを決意してくれた。

「だれであれ……咲は敗北するとすべての力を失う。それは咲も分かっているはずだ。だからこそ自分が望んだ相手に、それをしてほしいと……咲は思っているんだよ」

「お前なら?」

「あの咲を作り出したのは私だよ、だから私に負けると……咲は、矛盾に苦しみ、恐らくは……」

 照は、そこで口を閉じてしまった。聞かなくても分かる。照が〈オロチ〉に完全敗北した時と同じ事態が起きるはずであった。

(そうか、お前は咲ちゃんをこの世界に引き込みたくなかったのだな……。だから、不仲を演じて突き放した。私達には妹がいないと嘘をついた……)

 そこまで考えた時、菫は重大なことに気がついた。

(私の……せいか?)

 そう、宮永照を麻雀部に引きずり込んだのは自分であった。途轍もない罪悪感が襲ってきた。菫は、すがるように照を見た。

「照……私がお前を――」

 照は、今日初めて普通に笑った。その笑顔は、菫の罪悪感を幾らか和らげてくれた。

「私と咲は……麻雀から逃れられない。いずれこうなることは分かっていた」

「もしも……私なら? 私ならサキは大丈夫?」

 なぜ淡が、そこまで宮永咲に思い入れるのか菫には理解できなかった。しかし、照は理解しているらしく、その笑顔を淡にも向けた。

「淡は優しいね。でも、結果は同じだと思う。咲の力は幻影だから。存在する理由がなくなれば……消え去るだけだよ」

「サキ……」

 淡は泣いていた。照はそれを黙って見守っていた。あの、団体戦終了後のように。

「私と咲を引き裂いたのは麻雀だよ。だから、それを修復できるのも麻雀しかない」

 だれとも目を合わせず、つぶやくように照が言った。

「麻雀でなら、私は咲と話ができる。『私に負けるのは怖くない』、ずいぶんと遠回りしたけど……そう話してあげたいんだ」

(そうか……結果が同じならば、早いほうがいいということか……。照、お前は本気で咲ちゃんと和解しようとしているのだな……)

「この個人戦で、私が〈オロチ〉の連鎖を断ち切る! それが咲への罪滅ぼしだから」

 菫にも、それが最善の方法に思えた。ならば、全力で協力するしかない。なぜなら、宮永照は、自分の大切な親友だからだ。

 

 

都内 有名とんかつ料理店 個室

 

 小鍛治健夜は、友人の福与恒子に、藤田靖子との会食のセッティングを依頼していた。恒子はその期待に応え、店の予約までしてくれていた。

 靖子は時間に遅れることなくやってきて、健夜の前に座っていた。

 

「珍しいですね、小鍛冶さんから呼び出しなんて」

「呼び出し……まあ、間違いじゃないけど」

 靖子はメニューを手に取り、眺めながら健夜に聞いた。

「カツ丼頼むと思ってます?」

「まあね、その為に、恒子ちゃんにお店を選んでもらったんだから」

「じゃあ一つ、期待を裏切らなきゃ」

 健夜に注文が決まったかの確認をしてから、靖子は呼び出しボタンを押した。

 程なくして、店員がオーダーを取りに来た。

「三元豚ロースカツ定食、大盛りで」

「大盛りなんだ……」

 健夜は苦笑し、靖子と同じものを普通盛りで注文した。

 ――料理が届けられ、靖子はものすごい勢いで食べていた。あまりのワイルドさに、健夜は目をパチクリさせていた。

「清澄ですか?」

 完食寸前ではあるが、靖子は箸を休めて質問した。健夜は頷き、その質問に質問で返事をした。

「靖子ちゃんは、どこまで考えていたの?」

「私が考えていたのは、天江衣をいかにして国麻に引っ張り出すかということと……」

「と?」

 靖子はラストスパートをかけて完食した。時間は10分もかかっていないだろう、その証拠に、健夜の定食は、まだ半分以上残っていた。

「長野には、地方大会だけで終わらせるには、惜しい選手が多くいますので」

「南浦さんのお孫さんとか?」

「あれは……ぐずりましたけど、なんとか風越に編入させました」

 靖子はお茶に手を伸ばして飲んだ。そして、健夜と目を合わせて言った。

「風越にも、龍門淵にも、鶴賀にも、全国に出してみたい選手がいます。私は彼女達に均等にチャンスをあげたい」

 靖子のスタンスは明確であった。後進の育成に熱心な彼女は、そのバランサーになろうとしているのだ。

「去年の龍門淵は脅威でした。全員が一年生で、天江衣という怪物までいた。彼女達の卒業まで、他校の優秀な選手達は完全に埋没してしまう可能性があった」

「清澄はそれ以上?」

 靖子は不機嫌そうに眉をひそめた。

「なに言っているんですか、あなたが監督ならどこだってそれ以上ですよ」

 良好な雰囲気とはいえなかった。靖子は、健夜の目的に探りをいれた。

「――決勝戦の阿知賀の闘い……あれ小鍛冶さんですか?」

「……」

「やっぱりね、赤土晴絵にしては大胆過ぎると思った。宮永咲のあの状態が分かっているようでしたから」

 健夜は諦めたように、鼻から大きく息を吐き、靖子に自分の目的を告げた。

「私は……宮永姉妹を麻雀界のバランサーにしようと考えています」

「バランサー? バカなことを言わないでください! あの二人は突出しすぎている」

 小鍛治健夜は邪悪な笑いと共に、その恐ろしい野望を語った。

「私の考えているバランサーは、現状で調和をもたらす者ではありません。圧倒的な力で一度すべてを破壊し尽くし、そこから新たな秩序を作り上げる者です」

「それはバランサーではない! ブレイカーだ!」

「結果が同じなら、過程は問題ではありません! 靖子ちゃん、よく考えて」

「……」

 感情的な話になっていたが、健夜は笑いを消していなかった。そして、その笑みを口元に残したまま、優し気な口調で、残酷な質問を靖子にした。

「戦国時代のような今の日本の麻雀界、良く言えば実力伯仲、悪く言えばどんぐりの背比べ。国内的には盛り上がっているかもしれませんが、世界的実力では二流です。このままでいいのですか?」

「小鍛治さん……あなたはなにを……?」

 烏合の衆など相手にならないとばかりの言い方に、靖子はたじろいでいた。無理もない。相手は小鍛治健夜なのだから。

「私と宮永姉妹とで、日本の麻雀界を再構築する。そして“巨人”を倒して世界制覇する」

「ばかな……」

 それ以上言葉にならなかった。考え方のスケールが違いすぎていたのだ。

「私は一度“巨人”に挑み敗れた。でも、まだ諦めたわけではない」

「そ、その為に……宮永姉妹ですか?」

 未だに無敗を誇る世界の頂点“巨人”、それは健夜が唯一敗れた相手であった。彼女がリベンジを考えているのは靖子も知っていたが、これほど強引な手法を使用してくるとは予想外であった。

「そう、特に妹の咲ちゃんは……私の切り札になる」

「それが理由……その為に清澄の監督に……?」

 健夜の顔から笑みが消えた。それは、対戦相手を絶望のどん底に叩き込んできた。国内無敗“ドラの支配者”小鍛治健夜の表情であった。

「私しかいない」

 その顔で、靖子を見据えながら健夜は言った。

「私なら……あの子を、真の魔王に育て上げられる」

 圧倒的、まさに圧倒的であった。靖子はその威圧感に耐えられなかったのか、逃げるように席を立った。

「保留にさせてください」

「……」

「あなたは、どんぐりの背比べと言いましたが、切磋琢磨して強くなる者だっている。それを否定するのは傲慢でしかない」

 微力ではあったが、靖子は常識論で抵抗した。しかし、靖子は感じていた。この小鍛治健夜を止めるには、相当の覚悟が必要であることを。

「秩序ですか……あなたが作り出そうとしているものは、恐怖に支配された秩序です。それが分かっているのですか?」

「新たなステージに上がるには……犠牲はつきものです。それを恐れては駄目」

 冷徹に言ってのける健夜を、靖子は睨みつけた。

「宮永咲に刺客を送ります。それに勝てなければ、この話はご破算でお願いします」

「刺客……憩ちゃんね」

「宮永咲は、荒川憩には勝てない……あの状態でもね」

 健夜の顔に邪悪な笑みが戻った。そして、宣戦布告してきた藤田靖子に強烈な回答を送った。

「靖子ちゃん……あなたは必ず、私に協力することになる」

「時間がありません。本日は失礼します」

 そう言い捨てて、靖子は足早に部屋を後にした。スマートフォンを取り出し、電話を掛ける。相手は、宮永咲への刺客、三箇牧高校 荒川憩であった。

 

 

 弘世菫 自宅

 

 弘世菫の親友の宮永照は、早々に大学進学を決めていた。もちろん特待生としてだ。公式には、まだ決めていないと言っていたが、菫には既に連絡されていた。当然ながら、菫が照を放って置けるわけがなく、一般入試でその大学の受験を決めていた。

 高校三年生は休む暇がない。今はインターハイ中なので、日中はそれに時間を割かなければならない。そして、家に帰ったら、受験勉強が待っている。菫は夕食を食べて直ぐに、机に向かい、それをしていた。

 

 机の上に置いてあるスマートフォンが鳴った。その着信音から、掛けてきた相手が大星淡であることが分かった。

「はい」

『菫、ごめん、寝てた?』

「あのなあ、私は三年生なんだぞ、やってることは分かるだろう?」

『ああ、勉強?』

「淡、お前が照を追いかけるなら、今から勉強しておいたほうがいいぞ。それなりに難関だからね」

『……』

 菫は、氷が解けて薄くなったコーヒーを飲んだ。淡がなぜ電話を掛けてきたのか、今の沈黙で理解した。

「迷っているのか?」

『私……サキと闘えないかもしれない』

「なぜだ?」

『わからない……』

「淡……私はね、今日の話はお前に聞かせたくなかったんだ。こうなることは分かっていたからね」

『うん』

「だけど、照はお前にも聞かせた。それが何故か考えてくれ」

『それは分かってる……でも、分からないのは自分の気持ちだよ』

「だろうな……」

 それは淡にしか分からないこと、菫はそう思っていた。だから、それしか言えなかった。

『テルーの“あれ”は、サキを倒せるかもしれない……』

「逆を言えば、倒せないかもしれない。もし照が失敗したら、お前が〈オロチ〉を倒せ。咲ちゃんが原村和を選んだように、照はお前を選んだ」

『菫……お願い……私に指示を出して』

「もう既に出してある。迷うな、照は本気で決着をつけたがっている。だから、お前は宮永咲を苦しめろ。そして、可能ならば〈オロチ〉に変貌させろ」

『……』

「私や淡が立ち入ってはいけない話だ……照がそう望むなら、協力することがベストだよ」

『サキ……』

「淡、正しい答えなんてない、だから迷っては駄目だ! 迷いは……後悔に繋がるぞ」

『うん……』

 

 

 清澄高校 宿泊ホテル

 

「時間も遅いし、これが最後の半荘よ! 咲、和、仕上げにかかって頂戴」

「はい」

 明日、個人戦に出場する宮永咲と原村和は、片岡優希と染谷まこを面子に卓を囲み、半荘を三回ほどこなしていた。これ以上の調整は無意味と判断した竹井久は、咲と和に、実戦をイメージした対局を要求した。

 二人の雰囲気が一変した。特に和は、透き通るような白さの顔になった。

(和、強い選手はペース配分も完璧なものよ)

 団体戦で使用した和の新しいモード、それは強力ではあるがコントロールしきれていなかった。だから久は、それができるまでは、連続の使用を禁じ、半荘での回数も制限した。もちろん、その回数は和に任せてある。 

 東一局、ここで和は使用した。抜きんでた引きの強さを見せる優希を止められるかの実験だろう。

「リーチ」

 親の優希が5巡目に立直した。

 久の位置からは、和の手牌は見えないが、優希のそれは見えている。僅か5巡で三色同順を聴牌できるのも凄いが、頭の単騎待ちで立直できるのも凄かった。優希はこの自摸に絶対的な自信を持っているのだ。

 その立直を受けて、優希の上家にいる和は、ドラ牌の【白】を切った。

「ポン」

 優希の下家のまこがそれを鳴いた。その間にいる咲は安牌を捨てて、再び和の自摸。いつもと同じ速度で迷いなく【三萬】を捨てた。

「ロン、白、ドラ3。7700」

「はい」

 立直した優希に自摸すらさせない打牌であった。失点はともかくとして、和の筋書きどおりに場が動いた。

(この巡目で、まこの手牌が読み切れるの?)

 久はその考えをすぐに否定した。読み切る必要はないのだ。この状態の和は、恐るべき数の情報を処理し、和の絶対的真理である確率を導き出す。まこが上がるまでに、38枚の牌が見えていた。それは和にとっては少ない数値ではなく、約4分の1もの確実な情報なのだ。そこから最も可能性の高いものを選択し、まこに差し込みをした。

「一発だったじょ……」

 優希が自模るはずだった牌をめくって言った。

「なかなかの偶然ですね」

(まったく……嘘ばっかり。あなたは、優希や咲の牌の偏りもパラメーターに入れているはずよ)

 次局が始まっていた。久は、もう一人の個人戦出場者である宮永咲に目を移した。姫松に見抜かれた彼女の癖は直せていないようだ。癖とは無意識の行為であり、それを意識的に修正しようとすると、動作に不自然さが出るのだ。今も嶺上開花可能な山に目を向けようとして中断していた。

(咲……もうわかっちゃったわよ。――これは、時間がかかるわね)

 とは言え、久はそれほど悲観的に考えてはいなかった。咲の癖を読んで、嶺上開花があると分かったらどうするか? そう、それを阻止しようと考えるだろう。自分の打ち筋を崩してでも、早上がりを狙ったり、鳴きを使って咲の自摸をずらしたりする。そうしなければ確実に敗北してしまうからだ。しかし、結果は同じだ。多くの者は咲に敗北する。警戒しすぎるがゆえに。

 

(……咲に対抗する方法があるわ) 

 久は、はっと目を見開いて和を見た。そこにはいつもと同じ顔を紅潮させた彼女がいた。

(怪物が生みだす恐怖を……無効化してしまえばいい)

 恐怖と後悔、それは一対のものだ。宮永咲や、その姉の宮永照は、対戦相手にそれを強制してくる。だが和はその影響を受けない。確率を信じているかぎり、どんな強敵でも恐怖感は発生しない。そして、結果的に敗北したとしても、それは確率上のものにすぎず、後悔もしないのだ。

(そう……咲が言った相手はあなたなのね……)

 団体戦の副将戦前に、和と咲は涙ながらになにかを話し合っていた。久は、それが二人だけの“負けない誓い”なのだろうなと思った。

 

 ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。久は対局の邪魔をしないように、静かに部屋を出て、画面を確認した。

 掛けてきていたのは、藤田靖子であった。

「はーい」

『私だ……遅くなったが優勝おめでとう』

「なーに? そんな律儀な性格だったかしら?」

『いや、大したものだよ。あの白糸台を倒したんだからな』

「ありがとう」

 珍しく沈黙が訪れた。久と靖子の会話では、それは滅多にないことだった。

『ところで久、来年は清澄も大変だ……部に監督を置くつもりはないか?』

 あまりにも唐突な提案であった。久はそれに戸惑い、探りを入れた。

「えー、靖子がなってくれるの?」

『私じゃない、もっと……とんでもないやつだ』

「……だれ?」

『今は言えない。一度、染谷と話し合ってみてくれ』

 久の戸惑いは、不安へと変化した。こんな靖子の口調は、久の記憶にはなかったからだ。

『久……大きな渦が発生しつつある……清澄を中心としてね』

「渦? うちが中心?」

 靖子の話は抽象的すぎて意味が解らなかった。しかし、ただごとではない感じは、十二分に久に伝わった。

『いや……済まん。中心は清澄ではない』

 久の不安は頂点に達した。

『宮永咲……巨大な渦が、彼女を取り囲もうとしている』

 






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