咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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4.運命

 臨海女子高校 移動車両内

 

 今日から始まるインターハイの個人戦には、ネリー・ヴィルサラーゼ達留学生は出場できない。だから、この二日間は、その独特な雰囲気を経験する為、出場選手である辻垣内智葉に団体戦メンバーの4人は同行する。

 ネリーは考えていた。智葉はプレイヤーの引退を決意しているので、これがラストバトルになるはずだ。ならば優勝を目指すのは当たり前のことだろう。なのに、その行く手を阻む宮永咲の弱点を智葉は聞こうとしない。監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムもだ。

「智葉……なぜ宮永の弱点を聞かない?」

 ネリーはほとんど独り言のような小さな声で聞いた。

「ネリーの言っている宮永って、妹のほう?」

 座っていた2列目の右座席から智葉は振り向いた。ネリーは3列目の真ん中に座っている。――智葉の質問にネリーは頷いた。

「その弱点は、私にも対応可能かな?」

 彼女らしい直接的な聞き方だ。ネリーの掴んだ咲の弱点は心理面のものだ。智葉の闘い方は、状況証拠の積重ねで他者の戦術を推測し、先制攻撃する。――確かにそれは、咲には通用しなそうに思えた。

「……できないかも」

「なら聞かないほうがいいよ。ブルっちまうからね」

 メガン・ダヴァンが左隣でアメリカ人らしく大声で笑った。雀明華、郝慧宇もつられている。ネリーもそれに付き合っていたが、智葉の発言が気にかかった。

「智葉は負けてもいいと思っているの?」

「まさか、そんなことは思ってないよ」

「……」

「ネリー……私はね、これまでは勝つことばかり考えていた。善戦しようが、なにしようが、敗者は敗者でしかないからね」

 その考え方はネリーも同じであった。ただし、団体戦が始まる前の話だ。あの闘いを経て、自分は変わってしまっていた。それで強くなったのか、弱くなったのかは、ネリーにも分からなかった。

「けどね……決勝戦でのネリーとメグの闘いをみていて、私は綺麗だなって思ってしまった」

「綺麗?」

「そう……ジェラシーを覚えるほどにね」

 そう言った智葉の表情は、本当に悔しそうに見えた。

「この個人戦……私もネリー達と一緒だ。燃え尽きるよ」

(智葉……だったら宮永の弱点を聞いてよ……仲間ってそういうものじゃないの?)

 ネリーはなぜか哀しくなり、大きな声で叫んでしまった。

「なおさらだよ! 宮永は行き当たりばったりで倒せる相手じゃない!」

 智葉は笑った。その笑顔は実に包容力のある、人の上に立つ人間ならではのものであった。

「ネリー、私と監督を甘く見てはいけないよ」

「え?」

「その弱点を話しても、お前は困らないのか?」

「……」

 ネリーは、自分の宮永咲に対する異常な執着心を自覚していた。咲を倒すのは自分しかいないと思っていた。裏を返せば、自分以外の人物が咲を倒すことを容認できなかったのだ。団体戦終了後の記者会見で、咲は自分以外の存在をほのめかしていた。我慢ならなかった。その相手を探し出し、再起不能にしてやりたいとさえ思った。

「彼女の弱点は、お前の弱点でもあるはずだ。だからいいんだ。無理に言う必要はない」

 智葉の言葉がネリーの心に突き刺さった。それこそが真の理由だったからだ。チームの為を思うのならば、積極的に宮永咲の弱点を話すべきなのであろうが、自らの保身の為に、それを控えていたのだ。

(智葉……監督……私は卑怯者だ。……でもね、そんな私にだってできることがある)

「……約束するよ」

 目を逸らさず、ネリーが話すのを待っていた智葉は、大きく頷いた。

「宮永は、私が必ず倒す」

「ああ、頼むよ。信じている」

 智葉はそう言って、前に向き直った。試合前のコンセントレーションの儀式、腕を組み、目を閉じて物思いにふけっていた。

(この試合が、あなたにとって良いものでありますように……)

 ネリーは、日本の友人の為に、心の中で祈りを捧げていた。

 

 ――メガンに肩を叩かれ、外を見るように促された。

「あそこに、ハラムラとミヤナガがいマスヨ」

 ネリーはメガンの指さす方向に目を向けた。かなり遠くではあるが、歩道の上にセーラー服姿の5人と学ラン1人の集団が歩いていた。その中の1人は特徴のあるショートカットの女性。忘れもしない宮永咲であった。

「ハラムラに、アメリカ式の挨拶を見せてあげまショウ」

 メガンは窓を全開にして身を乗り出した。

 

 

 東京 日比谷通り

 

「ハラムラ! Believe in yourself!」

 臨海女子高校のメンバーを乗せた車が通り過ぎた。今のセリフは、副将戦で和と闘ったメガン・ダヴァンが、アメリカ映画のように身体を車からはみ出させて、手を振りながら笑顔で叫んでいた。

 日比谷通りは交通量が多い道路だ。左側車線を走っていたとはいえ、バイクや自転車だっているかもしれない。褒められた行動ではないが、彼女のかけてくれた言葉が和には嬉しかった。

「メグさーん!」

 和も笑顔で手を振り返す。

「無茶しおるのお、あの外人さんは」

「染谷先輩、あの人は何て言ってたのだ?」

 片岡優希が、学校の先生に対するように染谷まこに質問した。

「……京太郎!」

「え! はい」

「わしが答えてもつまらん。優希に教えてやってくれ」

「えー……」

不満そうにまこを見ていた京太郎だったが、シカトされてしまい、諦めて優希に説明を始めた。とはいっても、彼も完全に分かってはいなかった。

「ビ、ビリービン……ユア……セルフ」

「ふむふむ。それで意味は?」

「あなた自信を……」

「情けないわねえ、まこも須賀君も」

 見るに見かねたのか、部長の竹井久が救いの手を差し伸べた。

「『自分を信じて!』彼女はそう言ったのよ」

「おー、さすがは受験生じゃの」

 久は呆れたようにまこを見ていたが、やがて和と咲に視線を移した。

「メガンさんは正しい……これからあそこに集まる人たちは海千山千ばかり、自分を信じられなければ、勝ち残れないわ」

 久の言った“あそこ”が見えてきた。インターハイ会場、既に何回も来ているが、今日からの闘いはこれまでとは違う、完全なる個の闘いなのだ。仲間でさえも敵になるサバイバル戦。隣を歩いている和の大切な友人の宮永咲でさえも例外ではない。

 咲の表情は硬く迷いが見えていた。彼女が恐れている姉妹対決の選択肢は多くはなかった。その結果も良くないものになるだろう。そうならない僅かな可能性はあると咲は言っていたが、リアリストの和にしてみれば、それは不可能な話であった。

「咲さん、今日の予選は全部トップになるつもりで闘ってください。なにか見えてくることがあるかも……」

 和は、咲をこの大会で倒すことを決めていた。ただ、それには咲が〈オロチ〉の状態でなければならず、抽選で決定される個人戦の対戦では、運が悪いと自力では無理だ。

(お姉さんとは闘わせられない。でも咲さんを〈オロチ〉に変貌させられる人は……)

 切羽詰まった人間が陥る視野の狭いジレンマであった。“自分か宮永照しか咲を〈オロチ〉に変えることができない”そう考えてしまっていた。確実性を重視する和らしくはあったが、あまりにも裁量的すぎた。

 咲がそんな和に、優しく語りかけた。

「大丈夫だよ和ちゃん」

「え?」

「なにをすべきかは分かってるよ……でもね、それには運が必要なの。それが不安なだけだよ」

「運ですか……お互い悩ましいですね……」

 咲は陰のある微笑みを見せていた。そして、その陰の理由をつぶやいた。

「希望か絶望か、それは運が左右する……」

「はい……あり得ると、思います」

 自分の力ではどうにもできないもの、それが運だ。だから和は運に頼った闘いを否定してきた。だが今は違う、この個人戦を和の望む姿で終えるには、その運が何よりも必要になる。和はその困難さを思い、表情を引き締めた。

 

 

 インターハイ会場 個人戦選手入場口 ロビー

 

 個人戦は団体戦のように各校別に控室が与えられない。出場校が多すぎる為だ。その代わりに、北海道、東北、関東と中部、近畿そして中国、四国、九州、沖縄と3っつのブロックで待機室が設けられていた。キャパ的には十分余裕があるので混雑は発生していない。しかし、大混雑している場所もあった。それはロビー。最低限ではあるがマスコミ関係者も出入りが許可されており、有力校が入場するたびに人だかりと喧騒が発生していた。

 

  

 昨年のファイナリストである神代小蒔が在籍している永水女子高校もその洗礼を受けた。ただ、現在その小蒔があまり話すことができず、受け答えはもっぱら石戸霞と狩宿巴が対応した。今はひと段落し、マスコミ関係者の興味は関西勢の有力校に移っていた。

「姫様……」

 曇った表情の戒能良子が、ロビーのソファーに座っている小蒔の前に立った。

「良子お姉ちゃん」

「春! これはどういうことだ?」

「……」

 あまり感情を露わにしない良子が、怒りに任せて従妹の滝見春を怒鳴った。そして、その矛先を実質的なまとめ役である霞に向けた。

「霞……お前が付いていながら……」

「霞ちゃんは悪くありません。悪いのは私です」

 良子の後ろから、薄墨初美が言った。良子はその方向に振り返る。

「初美……お前……」

 朱色に変化した目と唇を持つ初美を見て、良子は絶句していた。

「ボゼの目……なんてことを……」

「私が姫様に提案したんです。二人で八岐大蛇を倒しましょうと」

「八岐大蛇……宮永咲か……」

「はい」 

 良子はいつものクールな顔つきに戻り、腕組みをして考えだした。そのまま1分ほど経過した後、良子は苦し気な声で霞に言った。

「……宮永咲を倒したいのなら、私の指示に従え」

 続いて、従妹の春へ顔を動かした。

「春、どのぐらいできる?」

「半分ぐらい……」

「午前中は集中だ。初美を初戦で宮永咲に当てろ」

 その大胆な作戦に一番驚いていたのは初美であった。

「初戦ですか?」

「そうだ、初美、役割は分かっているな?」

「はい……でも初戦ではあの子はまだ八岐大蛇ではありませんよ?」

 その質問は、クールだった良子の顔を激変させた。不安と焦り、その二つがありありと浮かんでいた。

「あれが発動してからでは遅すぎるんだ! その前の段階でボゼの目を使え、そして宮永を陽動しろ、負けても構わない!」

「続けて小蒔ちゃんに?」

 霞も黙ってはいられなくなった。良子は小蒔と咲を2度対決させようとしていた。最初は八岐大蛇に変貌させる為に、2度目はそれを倒す為に。

「姫様との対決の第一局、初美の陽動が効いていれば、宮永は様子を見るはずだ。そこで“オモイカネ”をインストールする、彼女は八岐大蛇に変貌するだろう……だが、一度“オモイカネ”に入り込まれた人間は……」

 沈黙が訪れた。“オモイカネ”は分家には詳しく伝えられていない。知恵を司る神“オモイカネ”。本家の主のみに降ろすことができる強大な力を持った神。それがどんな力なのかは、霞には分からなかった。ただ、良子はなにかを知っているようであった。

「……普通に闘っては、初美ちゃんも姫様も勝てませんか?」

 永水の参謀役である狩宿巴は、それが杞憂に感じられたのであろう、少し不満そうに良子に尋ねた。もちろん巴は睨みつけられていた。

「生半可じゃないぞあれは……。おそらく“巨人”にも匹敵する力がある」

 その場に、再び沈黙が訪れた。

 ――霞の視界に、こちらに歩いてくるプロ雀士の藤田靖子が見えていた。まだかなり距離があるが、小蒔の状態を隠しておきたかったので、霞は良子に待機室に入ることを告げた。良子は頷き、小蒔が立ち上がるのを補助した。

「姫様……お気をつけを……」

 

 

 藤田靖子は歩みを速めた。戒能良子が近い続柄の永水女子高校のメンバーと接触している。エースの神代小蒔は既に闘う態勢に入っているかに見えた。宮永咲を倒す駒は多ければ多いほど良い、その確認をしたかった。だが、その意図を気づかれたのか、彼女たちは控室へと足早に消えていった。

 その場には良子だけが残っており、冷たい目線で靖子を見ていた。

「姫のターゲットはどっちだ?」

「妹ですね……」

 靖子の質問に、良子は隠す素振りもなく答えた。それは靖子を安心させた。神代小蒔、彼女も咲にぶつけることができる。

「お前は、どうする?」

 もう一つの確認。後輩の良子に宮永咲をどうしたいのか聞いた。

「どうもこうもありませんよ。身内を2人も傷物にされたんじゃあ、倒すしかありません」

「早めにあの状態にするつもりか?」

「あなただって気になるはずですよ、あの状態がどれだけ続くのか……」

 挑発的な良子の言い方に、靖子は口を曲げて笑った。

 ――雑誌記者の一人が靖子達を見つけて近づこうとしていたが、それは中断された。同行していたカメラマンが、最重要取材対象を発見したからだ。

『清澄だぞ……』

『宮永咲が来たぞ!』

 靖子の位置からも、外の道路の向こう側で信号待ちをしている清澄高校の6人が、ガラス越しに見えていた。記者達は一斉に入り口付近に移動した。

 辺りはざわついていた。靖子はそれを利用し、良子だけに聞こえる声で言った。

「利害関係が一致した。戒能……私に協力しろ」

「是非も……ナッシング」

 

 

 インターハイ会場前

 

「うわー、人多すぎよ」

 竹井久がうんざりした口調で言った。原村和も同じ心境だった。ここから見ても、入り口周辺に黒い人の山がうごめいている。皆、宮永咲の到着を待ちかねているのだ。できることならば、信号がこのまま赤でいてほしい。そう思うほどであった。

「咲さん……私の後ろに」

「う、うん」

「優希! 咲さんの左側に」

「合点! 京太郎! 右に回れ!」

 信号が青に変わってしまった。久と染谷まこを先頭にして、咲を守りながら和達も続いた。――会場の自動ドアが開いた。

『宮永選手! 姉妹対決を前に心境を!』

『約束の相手は、本当にお姉さんじゃないんですか?』

『照選手の3連覇を阻止できますか?』

 カメラのシャッター音とフラシュの光、記者達の質問の嵐と物理的な圧力、その地獄のような包囲に、和達は一歩も前に進めなくなった。久とまこが通してくれるように懇願していたが、その輪は閉じられたままだった。

 

 

「ラッキーですよ、どこかの高校が囲まれています。今のうちにすり抜けましょう」

 会場前に車を止めると、あっという間に照目当ての記者に囲まれてしまう。その過去の経験を踏まえ、弘世菫は車を50mほど離れた場所に止めた。そして、亦野誠子と渋谷尭深を偵察に出した。その誠子が戻ってきて報告した。

「そうか」

 菫も車から降りた。

「照、淡、すばやく待機室まで行くぞ。中には記者は入ってこられない」

 宮永照と大星淡も菫に続く、なぜこんなに苦労しなければならないのかと、うんざりはしていたが、試合前に照と淡を疲労させたくなかった。

 入り口が近づいた。誠子の報告通り、気の毒な高校が囲まれている。チャンスであった。猛スピードで待機室に滑り込めば、無駄な時間を取られずに済む。

 ドアが開いた。女性記者の一人に気づかれたが構いはしない。このまま突き切る。

『白糸台……まさか……』

 女性記者は、信じられないことのようにつぶやいた。その意外な言動に、菫は思わず足を止めてしまった。

 ――あれほど騒がしかった記者達が押し黙って菫達を見ていた。そして輪がモーセの紅海のように割れて、囲まれていた高校と菫達との間に道が形成される。

「清澄……」

 菫は、その運命のごとく偶然に、独り言ちた。

 清澄高校の最後尾。菫達に一番近い場所にいた宮永咲がその声に振り返った。

 それは無意識としかいいようがなかった。菫は自分の後ろにいる人物の為に“道”を完成させた。

「咲……」

「……お姉ちゃん」

 宮永姉妹は、そう短く言って対峙した。

 驚くほどの静寂が続いていた。だれもなにも言わない。二人も、その仲間たちも、周りを囲む記者たちも。

 ――会場入り口の自動ドアが、だれかによって開かれた。午前中とはいえ、外の気温は30℃近く、普通ならば熱風が入ってくるべきだが。ありえないことに震えあがるほどの冷気が侵入してきた。その異常な現象に、菫も周囲の人間も、同時にその方向を見た。

 そこには、小鍛治健夜と優に2mを超える金髪の青い目をした“巨人”が立っていた。

「This situation is very nice (すばらしいシチュエーションです)」

「Are they so? (彼女たちがそうか?)」

 身長差が50cmはあろうか、“巨人”は首を傾げ、健夜に聞いた。

「Yes, they are Miyanaga sisters (はい、宮永姉妹です)」

 “巨人”は興味深そうに宮永照と宮永咲を見ていた。そして、ポツリとつぶやいた。

「I get you…… (なるほど……)」

 そう言って、“巨人”は前進した。記者達がざわめき始めた。

『ウィンダム・コール……』

 だれかが“巨人”の名前を呼んだ。世界の頂点“巨人”ウィンダム・コール、それが彼の名前だ。世界選手権3連覇の後、主要なタイトルを総なめし、無敗のまま引退を宣言した。ただし、それは彼のリタイヤを意味しなかった。それどころか、自分を至高の存在に高める為の宣言だった。

 彼は言った。

『私と闘いたければ、世界選手権で優勝するか、私の指定した大会で勝つことだ』

 彼は年に数回、その条件を満たした者と非公式な頂上決戦を行った。そしてそのすべてに圧倒的な力量差で勝ち続けている。つまり彼は、麻雀の世界における完全無欠のラスボスなのだ。

 “巨人”が咲と照の前に歩み寄った。

「サキ、テル……アナタタチと、闘う日を、楽しみに待ってマス」

 流暢とは言えなかったが、彼は、自分で考えた日本語で二人に告げた。咲と照は、一瞬ではあったが、目を合わせて同時に頷いた。

 “巨人”は嬉しそうに歯を見せてニーっと笑った。そして、体を翻し、小鍛治健夜と共に、大会事務所の方向に歩いていった。当然、マスコミ関係者はその超VIPの後を追いかける。

 ――弘世菫は圧倒されていた。闘わずして敗北するとはこのことだと考えた。まるで世界が違う。あの“巨人”の前ではまともな麻雀は打てないと確信していた。

(照、そして咲ちゃんも……なぜお前たちは、そんなに平然としていられる? ウィンダム・コールが恐ろしくないのか?)

 先程ちらりと姉妹で意思疎通していたのを菫は見ていた。彼女たちの最終目標も彼に違いないのだなと思った。

「照、行くぞ」

 しかし、今は姉妹和解の時ではない。菫はそう判断し、照に待機室への移動を指示した。照も無言で頷き、それに従った。妹は、その姉を気掛かりそうに目で追っていた。

 

 

「小鍛治健夜……まさか“巨人”を来日させるとは……」

 プロ雀士の藤田靖子が竹井久の傍らに立ち話しかけてきた。

「“巨人”を最も苦しめた相手、それが小鍛治プロだからね。靖子、あなた勝てる?」

「……」

 同い年の友人のように答える久に、靖子は苦虫を嚙み潰したような表情になった。

 ――麻雀に携わる者ならば、だれでも知っている人物がいる。それは、今、目の前に現れたイギリス人雀士ウィンダム・コールだ。その強さは次元が違うとまで言われていた。

 原村和にしても“巨人”を倒すことは目標ではあったが、まだまだ先の話だと考えていた。しかし、和は驚くべきものを見てしまった。宮永咲と宮永照はそうではなかったのだ。まるで予想されていたかのように、眉一つ動かさずにあの“巨人”と向かい合っていた。

 靖子が横目で咲を見ていた。なにか言いたげな顔をしている。

「宮永……私はフェアプレイを心がけている。だから、お前にアドバイスがある」

「はい?」

「荒川憩には気をつけろ」

「え?」

 実に違和感のある助言で、和は不審に思っていた。咲も同じ気持ちなのだろう、戸惑いながら聞き返した。

「いいか、荒川はな――」

「呼んだー?」

 靖子の隣にナース服を着た三箇牧高校 荒川憩が立っていて、楽しそうに笑顔をこちらに向けていた。

「憩……なんでここにいる?」

「なんでて、仲間が“巨人”さんを見たていうから来てみたんやけど、遅かったみたいやな。でも、あの人は見たで、あの岩手のおっきい人なあ」

「姉帯か?」

「そう姉帯さん、怖かったでー、なんやごっついもんが後ろに見えとった」

「……」

「みんな考えていることは一緒やな。なあー咲ちゃん」

 憩はそのフレンドリーな笑顔を咲に向けて、恐ろしいほど低いトーンの声で言った。

(この人もそうなのね……。咲さん、あなたは敵が多すぎます)

 和は、敵がまた一人増えたと思った。咲の敵は自分の敵でもある。荒川憩、昨年の個人戦2位の実力者だ、最大限に警戒しなければならない。

「ここにも、怖い子がおったで……原村ちゃんやったなあ。よろしくな」

 その感情が表に出すぎていたのか、憩は和にも“怖い笑顔”を向けた。

 ――靖子が意図的に咳払いをして、皆の注目を集めた。

「そういうことだ。お前たち清澄高校は、団体戦で頂点に立った。その借りを個人戦で返そうと考えるは自然だよ」

「それは詭弁やな……」

「……憩、話があるちょっと来い」

「こわー」

 靖子が憩の腕を掴んで、挨拶もなしに移動し始めた。その無礼さを代理で謝っているのか、憩が小さくお辞儀をして手を振っていた。

「なんやようわからん奴じゃの……」

「ええ……でもあの子は強いわよ、半端なくね」

「……そうじゃの」

 久と染谷まこも、新たな敵の登場に憂鬱そうであった。

『おい、新道寺だぞ……』

 久がその声の方向に目を向けた。

「ちらほら記者たちも戻ってきたみたいね、私達も移動しましょう」

 そう言って久は待機室へ歩き始めた。また囲まれては大変なので、和も速足で続いた。

「……のどちゃん」

「はい?」

 片岡優希が辺りを見回しながら言った。

「咲ちゃんが……いないじぇ」

「え!」

 和は立ち止まり、必死になって探した。だが、どこにも見当たらない。

(最後に確認してから1分も経っていない。まだ近くにいるはず!)

 と考えて、和は走り出そうとした――

「見つけた!」

「どこ! 優希!」

 優希が指さした方向、そこでは新道寺女子高校が5,6人の記者に囲まれていた。咲はその記者の中に紛れていた。男女問わずスーツ姿の集団に、1人セーラー服の宮永咲がいた。目立ちまくりだ。しかも咲は取材対象の鶴田姫子や白水哩ではなく、違う人物を笑顔で見ていた。

(しまった……花田先輩ですか)

「ゆ、優希! 急いで!」

 和はスプリンターさながらのダッシュを見せた。優希も追随する。

「咲ちゃん、今にも抱きつきそうだじぇ」

 咲には抱きつき癖があった。可愛い動物やぬいぐるみなどには迷うことなく抱き着いてしまう。和は焦っていた。もはや選べるのは最後の手段しかない。

「花田先輩! 逃げてください!」

 その叫びが聞こえたのだろう。数メートル先の花田煌と目が合った。しかし、すべてが遅かった。咲は信じられないほどの笑顔で、横から煌に抱きついていた。

「わー! な、なんなんですか! み、宮永さん!?」

 煌は突如咲に抱きつかれてパニックになっていた。

 速度を上げて和を追い越した優希が、写真を撮りまくっているマスコミをかき分け、咲に近づいた。

「か、片岡さん! 助けてください……」

「咲ちゃん、離すのだ! 花田先輩困ってるじょ!」

「やだ! このまま長野に持って帰る!」

 和は、その咲の無邪気さにクラクラしていた。

(こ、このままでは……咲さんに萌え殺される……ここは、心を鬼にしないと)

 和もマスコミに謝りながら咲の傍に寄り、優希と共に咲を掴んだ。

「咲さん! 花田先輩はもう長野県人ではありません! 試合が終わったら佐賀に帰らなければならないんですよ!」

 咲の力が緩くなった。和と優希は力任せに咲を引っ張り、煌から引き離した。

 煌はその場にへなへなと座り込んでしまった。咲は不満そうに下を向いていた。

「原村さん……すばらですよ……」

「いえ、こちらこそ申し訳ございません」

「この子……宮永さんはどがんしたと?」

 新道寺女子の部長の白水哩が近づき、和達に引きつった顔で質問した。必死に笑いを堪えているように見えた。

「咲ちゃんは、花田先輩の熱狂的なファンなんだじぇ!」

「ふ、ファン?」

 哩は崩れ落ちた。“腹を抱えて笑う”それを完璧に体現していた。部長の異常事態に、鶴田姫子が大慌てで介抱していた。

「原村さん……」

「はい」

 何とか自力で立ち上がった煌は、中学生時代の先輩の姿に戻っていた。

「あなたは間違っていますよ、私はまだ長野県人です! それに新道寺は佐賀ではありません。福岡です!」

 その話し方に、咲の目がキラキラし始めた。再び飛びつこうとした所を、遅れて到着した染谷まこと竹井久に取り押さえられた。

「咲……ええ加減にせんか!」

 煌は“顔色の悪い笑顔”でそれを見ていた。

 和は心苦しそうに煌に言った。

「先輩……今度咲さんに会ったら、迷わず逃げてくださいね」

「……はい」 

 

 

 中部・近畿エリア待機室 風越女子高校

 

 待機室には大型モニターが設置され、それに向かって、席がひな壇型に配置されている。大きな映画館に類似していた。福路美穂子達はその後ろのほうに座席を確保していた。

「清澄、遅いですね……」

 池田華菜は退屈そうに足をバタバタさせていた。

「そうね、清澄は優勝校だから記者さんの質問攻めに遭っているのかも」

「見てきましょうか?」 

 華菜が目を輝かせて椅子から立ち上がった。

「清澄ならしばらくきーひんで」

 その声の方向を見た。そこには姫松高校 愛宕洋榎がいた。

「愛宕さん……なにかあったのですか?」

「なんや、知らんのかいな? “巨人”がやって来てな、宮永姉妹に絡んでいったんやで」

「やっぱり、“阪神”じゃなきゃだめですか?」

「せや、今年こそは優勝やって、ちゃうわ!」

 美穂子は、華菜と洋榎のやり取りが面白くてたまらず、思わず口に手を当てて笑ってしまった。

「福路さん、なんやこのちっこいのは!」

「うちの大将の池田華菜です」

「……思い出したわ。県予選で宮永妹と天江衣と闘こうてたな。あの数えは見事やったわ」

「そ、そうですか!」

 華菜の頭から“耳”が見ていた。

「“巨人”て、あの“巨人”か?」

 そう聞いたのは、コーチの久保貴子だった。顔の血の気が引いていた。

「そうです。ウィンダム・コールです。小鍛治プロが連れてきました」

 末原恭子の説明に、貴子は目を伏せてしまった。姫松高校のメンバー達は不思議そうにそれを見ていた。そして貴子はその状態で、ぼんやりと恭子に聞いた。

「赤阪さんは?」

「代行ですか? 代行ならなんや用事があるとかで外に行ってます」

「……」

(コーチ……小鍛治プロとなにかあるのですか?)

 昨日から過剰に小鍛治健夜に反応する貴子が気になっていた。やはり昨日であったが、突然訪れたプロ雀士の藤田靖子と会ってからのことだ。そこでなにかを告げられたのだろうと美穂子は考えた。

「その“巨人”に清澄は連れてかれたんですか?」

「違うのよー、妹ちゃんが騒ぎを起こして、大会事務所で説教されてるのよー」

 呑気な華菜の質問に、真瀬由子が特徴のある話し方で答えた。

「咲が? 騒ぎですか?」

「あれは、笑ろうてもたで、新道寺の花田煌に抱きついて『長野に持って帰るー』ってな」

「ああ……」

 華菜と吉留末春が顔を見合わせてげんなりとつぶやいた。

 

 ――多数ある館内のスピーカーからチャイムが聞こえてきた。続けて女性の声で、個人戦開会式の案内がされた。

『お知らせ致します。午前9時より、メインホールにて開会式を行います。出場選手は移動を開始してください。なお、開会式終了後、そのまま競技に移行いたしますので、所用はそれまでに済ませておいてください』

 

「さて、始まるでえ。清澄のに挨拶しとこと思たんやけど、しゃーないな」

「竹井さんが来たら伝えておきますよ」

「ああ、頼むで池田さ……、面倒くさいな、今度から池田でええか?」

「いいですよ、愛宕さん」

 そう言って、愛宕洋榎と姫松高校のメンバーは去っていった。洋榎には人を引き付ける魅力があるようで、華菜も楽しそうに受け答えしていた。

「さて、私も行こうかしら」

 美穂子も開会式に向かうべく席を立った。

「もうですか? まだ30分以上ありますよ、竹井さん達が来てからでも遅くありませんよ」

 華菜なりに気を使ってくれているのか、無理に笑顔を作って美穂子を引き留めていた。

「華菜、私も久に伝言があるの」

「はい……」

「真実はいつだって見えている。ただ人は……それに納得できないのよ」

「え……? どういう意味ですか?」

 当惑している華菜に、美穂子はキャプテンスマイルを向けた。

「お願いね、華菜」

 久にとごまかしていたが、美穂子が本当に伝えたかった相手は、かけがえのない後輩である華菜だった。

(華菜、見ていて、私の闘いを……真実に抗う姿を!)

 

 

 試合会場 通路

 

 宮永照が早めに会場に行きたいと言ったので、弘世菫は大星淡を伴い、記者たちが入れない通路を使って移動していた。もちろん菫は開会式には出られない。そこの入り口までの付き添いだ。

「思い出した!」

「どうした、淡」

 突然大きな声を上げた淡に、菫と照は振り返った。

「私、トイレに行くんだった。テルー、菫、先に行ってて、すぐ追いつくから」

「ああ……」

 淡は、菫達を追い越し、トイレへの通路へ曲がっていった。

「なんという、下手くそな演技……」

 照もそう思ったのだろう。苦笑しながら淡の消えた通路を眺めていた。

 とはいえ、せっかく淡が気を利かせてくれたのだ、少し照に質問をしようと菫は考えた。

「なあ照……お前と咲ちゃんは、“巨人”が怖くないのか?」

「……恐れてはいない。私も咲もね」

「……なぜ?」

「“巨人”とは何回も闘ったから」

 その衝撃の言葉に、菫は身体が硬直し、立ち止まってしまった。

「なんだと……それは本当か?」

「本人とではないよ、咲が模倣したウィンダム・コール。それと何回も何回も闘った」

(そうか……やはり、お前たちの最終目標は彼を倒すことなのだな)

 予想と一致する答えに、菫は安堵し、身体が自由になった。ただ今度は抑えられないほどの好奇心が疼いた。

「勝てるのか?」

「咲の模倣なら負けることはない」

(……無敵の“巨人”に土をつけられるのか!)

 菫は興奮していた。全雀士の夢、それは巨人の討伐。その偉業達成の可能性のある者が目の前にいるのだ。鼻息も荒くなる。

「期待を裏切るようで悪いが……咲の模倣は不完全だった」

「え?」

「母さんが言ってた。80%ぐらいだって」

「そうか、残りの20%が分からなければ勝つとは言い切れないか……咲ちゃんも完璧じゃあないのだな」

 照は怒ったような表情で菫を見た。

「例外は二人だけだ……」

「一人はウィンダム・コールか?」

 照は頷いた。そして、二人目の名前を菫に伝えた。

「もう一人は……小鍛治健夜……」

 

 

「もう……咲のせいでひどい目にあったわ」

 大会委員長にねちねちと注意された。団体戦での2回の遅刻も話に持ち出され、今度なにか問題を起こしたら失格にしますよと、念を押された。まあ、実際に迷惑をかけているので、久にも反論ができなかった。

「和、咲、さっきアナウンスがあったわ。そのまま開会式に出て。荷物は預かっておくから」

「はい」

 返事は和のみであった。久は倒れそうになるぐらい血圧が低下していた。きっと顔色は真っ青のはずだ。

「す、須賀君……咲は?」

「そ、そう言えば……こそっとトイレって言ってたような……」

「京太郎! なにをしてんじゃ! 咲から目を離すなって言ったじゃろう!」

「すみません!」

 平謝りを京太郎はしていたが、そんなことをされても仕方がない。咲を早急に探さなければならない。

「優希、和、須賀君! 急いで、本当に失格になるわよ」

「はい」

 3人は、その指示に散っていった。

「頭が痛いのう……」

「頼むわよ……約束だからね。部長さん」

「頭痛がひどくなった……帰ってええか?」

 現状は最悪に近かったが、久はまこの弱りきった顔を見て楽しくなっていた。苦楽を共にしてきた後輩 染谷まこ。他のだれよりも付き合いが長い自分のよき理解者。彼女に自分の後を任せられることは、何よりの幸せであった。

「ええ、明後日ね、みんなで帰りましょ」

「……」

 

 

 大星淡は大きなあくびをしていた。チームのみんなには内緒であったが、昨日はほとんど寝ていない。あれこれと考えた結果、一部を除いて尊敬している弘世菫の指示に従おうと考えていた。宮永姉妹の話は部外者がどうこう言えるものではない。だから照のチームメイトである自分たちは、彼女に協力することが最も良い選択なのだと菫は言っていた。もちろんそうだと思っていたが、別の手段も考えざるを得なかった。照の方法では、必ずどちらかが再起不能になる。淡は、そのどちらも受け入れることができない。それが未だに引きずっている迷いなのだ。

 とりあえずは顔でも洗おうと、トイレへの角を曲がった。――そこには信じられない人物が不安そうに歩いていた。それは淡の頭の中にこびりついてはがれない二人の宮永の一人、宮永咲であった。

「……サキ」

 名前を呼んだ淡を見て、咲は顔を笑顔に変えていた。

「お、大星さん! 良かった、道に迷っちゃって、今度遅刻すると失格になっちゃうんだよ」

「また迷ってんの? まあ、うちにも似たようなのがいるけど」

「……だれ?」

「宮永照って人だけどね」

 咲は淡の冗談に笑った。

(なんでだろう……私はついこの間まで、あんなにサキを憎んでいたのに……今はこんなに……友達になりたいなんて思ってる……)

 自分の顔が赤くなっているのが分かった。淡はそれを見られないように、咲の手を取り前に歩き出した。

「こっちだよ、あっちに行くとマスコミがいるからね。案内するよ」

「ありがとう。大星さん」

「サキ」

「え?」

「私は名前で呼んでんだから、私も名前で呼んでよね」

「え? じゃあ淡ちゃん」

 名前を覚えられていて、淡は嬉しくなった。自然に口角が上がっていた。

「淡ちゃん……聞いていい?」

「……なに?」

「お姉ちゃんは……よく笑う?」

 淡は歩くペースを遅くして咲を見た。その顔は先程までとは違い、哀しみに満ちていた。

 

 

 原村和は、今日はずっと走りっぱなしでかなり疲れていた。予選を通過できなかったら、そのせいにしようとさえ思っていた。

(まったく、咲さんには弱りものです)

 とはいっても、咲のことを考えると、笑みが浮かんでしまう。和はいけないいけないと首を振り、咲の捜索に集中した。しばらくすると、その咲の声が聞こえてきた。前方のT字路の先にいるのか、声が近くなってきた。咲以外の声も聞こえてきた。だれかは不明だが、真剣な話をしているのだろう。声から緊張感が伝わってきた。

『テルーはほとんど笑わないよ、だから、たまに笑うと凄く嬉しいんだ』

『私のお姉ちゃんの記憶は……笑顔だよ。いつも笑っていて、私に優しくしてくれた』

『サキ……』

『きっと笑わなくなったのは、私のせいなんだろうな……』

『ち、違うよ! テルーが笑わなくなったのは……』

『あ、淡ちゃんごめん。ごめんね』

 咲の会話の相手が、団体戦で闘った大星淡であることが分かった。和は盗み聞きをするつもりはなかったが、今は出辛いタイミングであることも確かだった。

『サキ……もしも私があなたを倒したらどうする……』

『そう……お姉ちゃんから聞いたんだね』

『うん』

『どうもしないよ、だって負けられないから、淡ちゃんにもお姉ちゃんにも』

『なぜ? なぜテルーじゃなくて原村なの?』

『私はね……こんな所にいるはずがなかったんだよ。お姉ちゃんとのことがあって、麻雀を止めようと思ってたの』

『……』

『でも、私を導いて、麻雀を始めるきっかけを作ってくれた人がいた。それが和ちゃん……』

『それでなの? それで、原村になら負けてもいいと思ってるの?」

『違うよ。淡ちゃん』

『え?』

『和ちゃんはね……強いよ。いずれ私は……和ちゃんに勝てなくなる』

 優希が走ってきた。渡りに船であった。二人でならこの出辛い状況を打破できる。優希に合図して二人で飛び出した。

「咲さん!」

 演技で咲を怒ろうと思っていたが、咲と淡を見て、それができなくなってしまった。二人は涙ながらに話していたのだ。

 和は堪えていた涙を制御できなくなってしまい、ポロポロとそれがこぼれ落ちた。

「ごめんなさい……立ち聞きしてました」

 うつむいて謝る和を、友人二人と大星淡が慰めていた。

 

 

 大星淡は心の中で、弘世菫の指示を破ろうと決めていた。先程、少しだけ原村和と話ができた。見かけとは違い、彼女はごく普通の優しい高校一年生だった。ただ、一つだけ淡と共通点があった。それは咲への想いだ。彼女はこう考えているはずだ。宮永照と闘う前に咲を〈オロチ〉を倒すと。なぜか? 簡単だ。これ以上咲が苦しむ姿を見たくないからだ。1分1秒でも早く咲を解放してやりたい。屈折した考え方かもしれないが、淡達にはそれしか選ぶ道がなかった。

(テルー、菫、ごめん。これは私なりに考えた結果だよ。これしかない! これで行くしかないの!)

 淡の迷いは完全に消えていた。できるかどうかは別問題だが、やるべきことは決定された。ふっきれた淡の歩みは躍動感があり、力強かった。そして、照達に追いついた。

「テルー!」

 心の師である宮永照への裏切り。その罪悪感を隠す為に、淡は精一杯の笑顔を作った。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 清澄高校

 

「ヤッホー。華菜ちゃん」

「竹井さん……お疲れ様ですって言ったほうがいいですか?」

「そうね、そうしてくれる?」

「ほんに疲れたわー」

 竹井久と染谷まこは、風越の3人の隣に腰を掛けた。その隣で須賀京太郎と片岡優希がなにか話し合っていた。

「部長、さっき優希と話してたんですが……」

 咲を失踪させた張本人の京太郎が、申し訳なさそうに提案した。

「なーに」

「長野に帰ったら麻雀部専用でスマホを1台買ってもらえませんか?」

「えー、まあ優勝したし、そのぐらいなら予算を貰えるかな」

「それを咲ちゃんに持たせるんだじぇ、強制的にな!」

「!!!」

「なんじゃ、その『その手があったのか』的な顔は……」

 呆れた顔で染谷まこが言った。 

「でもそうしてくれると私達も助かります。咲ちゃんと連絡取る時は一苦労で」

 吉留末春は切実そうであった。確かに、一度学校経由で咲と連絡を取っていたなと、久は思い出していた。

「始まるし!」 

 華菜がモニターを見るように言った。自分は出場しないが、インターハイ最後の二日間が始まろうとしていた。

 

 

 大型モニターに映像が映し出された。そこには、実況の針生えりと解説の三尋木咏が映し出されていた。

『あと数分で開会式が開催されます。本日の実況は、私、針生えりと、ゴールドハンド三尋木プロの解説でお送りいたします』

『なにそれ、知らんし』

『知らんしじゃありません、三尋木プロの獲ったタイトルを言っているんです』

『ああーあれねぃ、あんなの欲しくなかったし』

『……と、ところで、三尋木プロは団体戦の結果をどのように捉えましたか?』

『えりりんは昨日の小鍛治さんのラジオ聞いた?』

『……はい?』

『要は相性だよ』

『宮永咲選手のことでしょうか?』

『さあねぃ』

『ええー! ちゃんと答えてくださいよ! 三尋木プロ評判悪いですよ、なんでもはぐらかすって』

『だって、本当にわかんねーから』

『……』

 画面が変わり、大会委員長が開会宣言をして、続けて特別ゲストの紹介をしていた。その名前は中継を見ているものすべてに激震を与えていた。

『本日は特別ゲストによるスピーチを頂戴致します。ご紹介いたします。世界の頂点、“巨人”ウィンダム・コールさんです』

 途轍もなく大きなアラサーの金髪の男が、威圧的なオーラを背後にして壇上に上がった。その隣には、通訳として小鍛治健夜が立っている。どこもかしこも騒然としていた。彼がこのような場所に立つのは前代未聞だったからだ。

 彼のスピーチは健夜の翻訳で全国に伝えられた。

『皆さんの中には、私と闘いたいと思う方がいると思います』

『その方法自体は簡単です。世界選手権で優勝してください』

『とはいえ、それは長い道のりであるのも確かです。そこで、これもなにかのご縁、日本だけの特別ルールを設定します』

 次のウィンダム・コールの言葉を健夜は訳さなかった。困ったように“巨人”を見ていた。

「Please translate(訳してください)」

 “巨人”は笑顔で言った。

『ここにいる小鍛治健夜に勝つことができれば……無条件で対戦しましょう』

 会場全体が震えるような爆発的な声が上がった。困難と思えた“巨人”との対戦に道が開かれたのだ。だがそれは、同じレベルの難易度の高さだった。相手は国内無敗の怪物、小鍛治健夜なのだから。

『皆さんと会える日を楽しみに待っています』

 深々と礼をして、彼は壇上を降りた。何もかも持っていかれていた。余韻が物凄く個人戦所ではなくなってしまった。その為、競技開始が10分遅らされていた。

『うふっは! 小鍛治さんに勝てってよ!』

『できませんか? 三尋木プロ』

『わかんねー、小鍛治さんは凄いからねぃ』

『どの辺が凄いのですか?』

『なにしろ、英語が話せるし』

『そこー!』

 じりじりと時間が過ぎていく。真綿で首を絞められるような感覚とはこのことだろう。久はそれに耐えていた。ただ、大会委員長の判断は正しかったようだ。ざわついていた館内も落ち着きを取り戻していた。

『抽選を開始します!』

抽選結果が次々と映し出されていく。その結果に久は目を疑った。

「竹井さん……キャプテンからの言い伝えがあります」

「え?」

「真実はいつだって見えている。ただ人は、それに納得できない」

「そう……」

「竹井さんは運命を信じますか?」

 華菜のその質問を、過去にも自分で考えたことがあった。偶然と思えないことはあるものだ。美穂子との縁、そしてこの抽選結果。

「信じていなかったわ……でも」

「ええ……」

「美穂……」

 画面に再び咏が映った。

『これはこれは……興味深い部屋が二つある』

『はい、一つはルームF、清澄高校 宮永咲選手と永水女子高校 薄墨初美選手が同室です』

『そうだね、そしてもう一つ、ルームU、宮永照VS福路美穂子……見たかったカードだねぃ』

 

 

 対局室通路

 

 福路美穂子は予選で宮永照と対戦することを不運だと思っていなかった。遅いか早いかの違いだけ、いつかはぶつかることになる。たとえ東風戦だろうが、半荘戦だろうが勝つべき者が勝つ、それが真実だ。

 美穂子は思い出していた。昨日行った恐るべき照魔鏡の実験を。宮永照は自分の二歩も三歩も上を行っている。勝ち目はほぼない。だが、後輩の池田華菜に伝えたように、人間はおとなしくそれを受け入れることができない。それに拒絶抵抗し、苦しみぬいてから受け入れる。自分もそうだ。

 美穂子の前の扉には大きく“U”と書かれていた。そして脇のモニターにはその部屋に入っても良い者の名前が表示されている。一番上に自分の名前があり、その下には、こう表示されていた。“白糸台高校 宮永照(三年)”

(宮永さん、あなたの力には及ばないかもしれない。だけど一つだけ試してみたいことがある。それが私の真実を受け入れる為の抗い……)

 美穂子は僅かに躊躇し、扉を開けた。中では面子の3人がすでに着席していた。宮永照はメモ帳を見ている。席決めの牌を引いた【南】であった。

「隣ですね」

 仮東の席に座っている照に話しかけ、席に着いた。

「はい、福路さん」

 メモ帳を閉じて、照が目を合わせてきた。これまでにない鋭さであった。

(そう……あなたも必死なのね、咲ちゃんの為に……)

 試合開始のブザーが鳴った。仮東の照がサイコロを回した。

 ――運命の個人戦予選は今始まった。

 


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