ルームUで行われていた試合は、衝撃的な内容で終了した。その影響は凄まじく、各陣営は対宮永照の戦術の見直しを余儀なくされていた。なにしろ時間がなかった。昼休憩までの3時間弱で何らかの結論を出し、選手達に伝えなければならない。その為には体裁など構ってはいられなかった。迅速な行動が必要だった。
北海道・東北・関東エリア待機室 臨海女子高校
だれも口を開かなかった。画面の右端にはルームUの最終的な点数が表示されている。
ルームU試合結果(競技麻雀の為100点単位で計算)
宮永照 41300点(+31.3pt)
福路美穂子 38500点(+8.5pt)
三上寛子 12900点(-17.1pt)
湊未希 7300点(-22.7pt)
大方の予想通りに宮永照の勝利で終わったものの、福路美穂子の打ち筋が見ている者に衝撃を与えていた。
「メグ……これって、あなたのアレが有効ってこと?」
声を絞り出したのは郝慧宇だった。質問されたメガン・ダヴァンは腕組みをして画面を凝視していた。
「逆デスネ……」
「逆?」
「そうデス、ワタシの“暗闇”は、このマシーンには通用しないデスネ」
「松実と同じようにあしらわれる?」
「ワタシにしろ、マツミにしろ、上がるのは遅くなります。ならばその存在は無視できマス」
冷静に自己分析するメガンに、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは満足そうに頷き、補足の説明を始めた。
「あの目を見る力は手段に過ぎないのさ」
皆、監督に注目している。それは信頼の表れだった。彼女ならばこの謎めいた事態を解き明かしてくれる。
「宮永照はビルドすべき役が見えている。相手がなにを持っているかが分かれば、それは驚くべき精度で組み立てられる」
「そうか……精度を下げれば……」
ネリー・ヴィルサラーゼは我慢できなくなり、口を挟んだ。アレクサンドラは、それには答えずに画面を見つめたまま話を続けた。
「小鍛治健夜は意味がないと言っていたが、点数が上がり続けるのは攻勢終末点を決める方程式さ、競技麻雀は役満以上の点数はないからね」
「合理的デス、そこに達する前に個人戦ならゲームオーバーになりマス」
「精度を下げれば点数を上げられない。だったら団体戦のように連荘回数を増やせばいい。メグはそれにやられるだろうな」
メガンは苦笑していた。自分で導き出した結論も同じなのだろう。
「フクジにはそうしませんでした」
「東風戦で福路はラス親だったからね、精度を下げるわけにはいかないよ」
「智葉は対応できますか?」
雀明華が心配そうに聞いた。彼女は対局中以外では仲間を想う気持ちがとても強い。
「可能性はあるが……」
アレクサンドラが苦々しそうな笑顔をネリーに向けた。
「妹が妹なら、姉も姉か……手が付けられん。今は対立してくれているからいいが、手を組んだらどうなるか……」
全くの同意見であった。ネリーもアレクサンドラに硬直した笑顔を返すしかなかった。
中部・近畿エリア待機室 姫松高校
「漫ちゃん、あの子名前なんてったかなあ? 宮守の先鋒」
監督代行の赤阪郁乃から的外れと思われる質問を受けた。上重漫は面食らいながらも返答した。
「小瀬川さんですか?」
「そう、小瀬川ちゃん。 あの子なあ、目が悪いで……」
「代行……なに言ってるんですか?」
ますます意味が分からなくなったのか、漫は困惑していた。郁乃は漫の隣に座っている愛宕絹恵に話しかけた。
「絹ちゃん、そうやろ?」
「……まあ、コンタクトですね」
「わかるのー?」
真瀬由子が驚いて聞いていた。絹恵はそれに笑顔で答えた。
「分かりますよ、ねえ代行?」
「私もコンタクトや。でも、よう合わんから目が細うなってまうなあ」
「???」
普段から目が細い郁乃のそのセリフはなにかの冗談に思えた。三人はよく分からないながらも郁乃に微妙な笑顔を向けていた。しかし、郁乃は笑顔ではなかった。その細い目を薄く開けて、意味ありげな質問を発した。
「小瀬川ちゃんなあ、急にメガネになったらビックリするやろ?」
「ど……どういうことですか?」
皆混乱していた。郁乃がなにを話したいのか全く分からなくなった。
「日本の光学技術は凄いんやでえ、光の反射をなくしたり、陰をぼかしたりできる」
「そんなメガネがあるんですか!」
そう、郁乃はメガネという道具を使用しても照魔鏡を欺けると言っていたのだ。それに気がついた絹恵が大きな声で聞いた。
「ないけどな、あの人なら準備しとるやろなあ……熊倉トシ……」
「宮守の監督……」
郁乃は三人の顔を代わる代わる眺め、いつもと同じゆったりとした口調で言った。
「私もなあ、お姉ちゃんに関しては、ある程度は分かってたんやけど確信が持てんかった。だけどな、あの人ならやるで、熊倉トシは根っからの博打打やからなあ……」
話し方は同じであるが、その表情にはトシの後塵を拝した悔しさが見えていた。
北海道・東北・関東エリア待機室 宮守女子高校
「さすがは名門風越のキャプテンだねえ、ここまで深く切り込むのだから凄いよ」
「はい、私達も気がつきませんでした」
宮守女子高校顧問の熊倉トシと部長の臼沢塞は、待機室の中段に座り、大型画面を眺めながら会話していた。部員の鹿倉胡桃とエイスリン・ウィッシュアートも、隣で二人の話を聞いていた。
「シンプルすぎて分からないってやつだねえ、おかげさまで照魔鏡のカラクリは分かった。やっぱりアレは使えそうだよ」
「シロが宮永照と対局できれば、この怪物を倒せるかもしれません」
「理由なく迷う相手の手は読めない……宮永照だって一緒だよ」
「先生が前に言っていたバタフライ・エフェクトですか?」
塞が小首を傾けてトシに聞いた。
「万能に見える科学だって複雑なものには無力だよ。シロの迷いは“北京の蝶の羽ばたき”その効果は予測不能」
塞は楽しそうに笑った。胡桃とエイスリンも一緒だ。
「シロがどれだけ迷ってくれるか……そこが勝負の綾ですか?」
「綾か……そうだね、どちらに転ぶか分からない、そういう意味なら間違いではないね」
トシも笑っていた。しかし、その笑いは塞達のものとは趣を異にしていた。それは勝負師ならではの不安と期待が入り混じった緊迫感漂う笑いだった。
中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 新道寺女子高校
長野出身である花田煌は福路美穂子をよく知っていた。4年前のインターミドルの長野予選で対戦したこともある。もちろん惨敗したが、その打ち筋は惚れ惚れするものであった。その美穂子が絶対王者をあと一歩のところまで追い込んだ。同郷者として嬉しく思ってはいたが、この手法はチームメイトの白水哩と鶴田姫子には使えないだろうとも考えていた。
「目ですか……」
「哩はなにもできんじゃろうな……」
同じ考えだったのか、間を置かずに監督の比与森楓が言った。
「ばってん仕組みが分かった」
「え?」
煌は驚いていた。自信ありげにその言葉を発したのは、普段は物静かな安河内美子だったからだ。
「これで部長ん弱点がのうなった」
「……?」
江崎仁美も美子に続いた。それは哩を信頼しての発言のようであった。煌は彼女たちに比べ哩との付き合いが短い、だから、なぜそこまで信頼できるかが分からなく、もどかしさを感じていた。そんな煌に楓が優しく言った。
「花田、哩はな、配牌時に翻数ば決めて、そん通りに上がる」
「はい、リザベーションですね」
「お前はそれができっか?」
首を振る以外になかった。よくよく考えてみると、哩の行っていることはとんでもないことだなと思った。
「やり遂ぐっちゅう意思力、哩はそれが超人レベルばい。これまで宮永照によかようにやられとったんな、彼女ん強さん仕組みが見えんやった為や。だばってん、これで一矢報いっことができっ」
意思を挫くもの、それは不安だ。それが解消されれば、哩に死角がなくなると監督は断言していた。そう思うと、先程の美子と仁美の言葉も理解できる。しかし、煌には、気になることも一つあった。
「……姫子はどうしますか」
それは、自分の親友の鶴田姫子のことだ。哩は来年はもう新道寺にはいない。彼女に依存している姫子の強さは今年かぎりのものなのだ。
「お前の言いたかことは分かる。だが、こん二日間は宮永姉妹打倒に集中してもらう」
「……はい」
煌は一回戦の結果を確認した。哩はトップであったが、リサベーション・ディレイが発動していない姫子は-7.3ptの3位だった。
中部・近畿エリア待機室 千里山女子高校
「午後まで当たらんことを願うだけやな……」
仁王立ちという言葉がピッタリくる姿で愛宕雅枝が言った。千里山女子高校の集団は座席に座っていなかった。待機室出入口の近くで立ったまま観戦していた。園城寺怜になにかあった場合を考慮してのことだ。
「とは言っても、対策は打てません。あれは福路美穂子だからできたので……」
「なんや? 後半戦開始まであと4時間近くもあるんやで」
弱気な船久保浩子に、雅枝はからかい気味の視線を向けた。浩子は顔を真剣なものに変え、顎に手を当てて知恵を絞っていた。
「連荘を止めさえすれば、低い点数からの再スタートになる……」
「考えるんや、福路美穂子、松実玄、チャンピオンを止めた者の共通点はなにか?」
「仮に分かったとしても、怜とセーラは対応できるやろか?」
部長の清水谷竜華であった。洞察力の鋭い彼女も、宮永照の弱点は現状対応不可能と思っているらしかった。
「してもらう。これはターニングポイントやで。宮永照かて人間や一朝一夕にはいかん。追加で打撃を与えておけば、明日の決勝に望みをつなげられる」
有無を言わせぬ態度で雅枝は言った。それは、メンバーの不安や迷いを断ち切る力があったようだ。浩子が笑顔になり、活動開始を宣言した。
「分かってることから洗い出しまひょか、部長、泉、別室に移動しましょう。ええですね、おばちゃん」
「泉は置いていけ」
「ああ、妹ですか?」
雅枝は一年生の二条泉に顔を向けた。
「泉、お前の役割は見届けることや、宮永咲がどう闘うか、それを見届けろ」
「はい」
泉は画面を見つめた。そこでは同じ一年生の“魔王”宮永咲が、永水女子高校の薄墨初美と対戦していた。異様な展開、3連続流局中、それがこの部屋の進行を遅くしていた。
選手仮眠室
個人戦の抽選は一回戦ごとに実施される。手間暇を考えたら、最初に20回分実施し、発表してしまったほうが楽なのだが、選手達に緊張感を維持させるにはこの方法が良いと大会運営は考えたのだ。石戸霞と滝見春は、その抽選を“操作”しようとしている。薄墨初美と“魔王”を合わせることができた。二回戦では神代小蒔と“魔王”を合わせなければならない。
だれもいない仮眠室の一室でその儀式を行っている。正装で集中していた春の目が開いた。
「だめでした……」
「大丈夫よ春ちゃん。午前中は後6回チャンスがあるから」
春は疲れたようにため息を漏らした。
「彼女を守っている者がいる……姫様と合わせるのは難しいかも」
「……宮永咲の守護者?」
「一人じゃない……三人もいる」
「原村さん?」
霞の質問に、春は少し考えこんだ。
「彼女もそうかもしれない……でも、もっと強い力を持った者がいる」
「そう、お姉さんね?」
春は頷き、自分の力では立ち向かえないと吐露した。
「姉が妹を守る力……それはあまりにも強すぎる」
「待ちましょう、彼女の力が弱くなる時を」
時間はかぎられているが、焦っても仕方がない。霞はそう考えて一先ずは待機室に戻ろうと思った。
「春ちゃん、戻りますよ。初美ちゃんの準備をしなければなりません」
初美は今、通常の状態ではない。霞はそれが心配でたまらなかった。
中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 永水女子高校
不安そうに画面を見ている狩宿巴の隣の座席に石戸霞と滝見春は座った。巴も気がついたのか、「お疲れ様」と声をかけた。
「巴ちゃん、姫様は?」
「3位で終わりました。早めに“オモイカネ”を起動させなければ予選敗退もあり得ます」
巴が春を見る。その春は申しわけなさそうに謝った。
「ごめんなさい」
「チャンピオンが窮地に陥らなければ“操作”できません」
「そうですか……何とか午前中にその機会が欲しいですね」
「初美ちゃんは? “ボゼの目”は何回使いましたか?」
「もう3回目です。残りは……2回ほどでしょうか」
霞は画面に目を向けた。そこでは薄墨初美が宮永咲を相手に闘っていた。試合開始前には真っ赤であった初美の目と唇は、色がかなり薄くなっている。
「こんなに……」
「ええ……急激に鉄が減少しています」
初美の父親から聞いていた。“ボゼ”は、その目を使用させる対価として、初美に血を要求していた。もっと具体的に言うのならば血中成分の鉄だ。だから初美は、儀式により目や唇が赤くなるまで鉄濃度を高めてきたのだ。
「このままだと、はっちゃんは鉄欠乏性貧血を起こします。薄墨の叔父様から丸薬はもらいましたか?」
「ええ、私が持っています。間に合うといいのですかが……」
普通の鉄欠乏性貧血ならば命に係わることは少ないだろう。だが“ボゼの目”は違う。それは薄墨家の禁忌の術なのだ。禁じられるにはそれなりの理由がある。霞は初美の父親の顔が忘れられなかった。薬を渡された時、薄墨の主はなにかを覚悟した顔であったのだ。
対局室 ルームF
一回戦開始時の席順
東家 石田芳美 秋田県代表(2年生)
南家 平愛実 山形県代表(2年生)
西家 薄墨初美 鹿児島県代表(3年生)
北家 宮永咲 長野県代表(1年生)
試合経緯
東一局 流局 聴牌 薄墨初美
東二局(一本場)流局 聴牌 薄墨初美
東三局(二本場)流局 聴牌 薄墨初美
東三局(三本場)
薄墨初美は、自分の役割について考えていた。
主である神代小蒔は、自らも因縁のある宮永照ではなく、その妹の宮永咲を倒すことを、個人戦前の会議で決めた。咲の暴走を許すと、それは大きな災いとなり、あらゆるバランスが崩されるからだと小蒔は言った。とはいえ“魔王”の力は強大で、小蒔でさえも持て余し気味であった。そこで初美は“魔王”を陽動する贄となることを志願したが、力不足なのは否めなかった。だから薄墨に伝わる秘術“ボゼの目”の使用を決意し、“魔王”の興味を惹きつけることにした。それを自分の役割と決めていた。
小蒔の使う“オモイカネ”は起動時が最も重要なのだ。その時に“魔王”が〈攻撃〉や〈防御〉ではなく〈様子を見る〉を選択するように、初美は“魔王”に美味いものとして喰われなければならない。多くの贄がそうであるように、最期は悲惨な結果で終わるはずだ。だが、それでもいい、“贄たる者”とはそういうものなのだから。初美はそれを自然な感情で受け入れていた。
(あと2回ですかね……かなりフワフワしてきました)
“ボゼの目”に備えて、通常ならば心機能や肝機能に障害を起こすレベルまで血中鉄を高めてきたが、この三連続流局でそれは急速に失われ、初期の貧血の症状が現れていた。この対局が終われば、初美は力が尽きて倒れてしまうだろう。二回戦には進めない。
下家にいる宮永咲を眺めた。団体戦決勝の時とは違い、光沢のある大きな目で手牌を見ている。配牌の悪さに困っているようだ。
(どんな気分ですか? 自分以外の力で支配されるは)
今の咲は、愛嬌のある普通の高校一年生に見えた。しかし、“ボゼの目”は初美に彼女の本質を教えていた。内に潜む“悪霊”は常人の域ではないと。
(“魔王”ですか……これは止めなければなりませんね)
“ボゼの目”により、初美には“悪霊”が識別できる。では、麻雀においての“悪霊”とはなにか? それは、勝つことへの執着心で生み出される生霊のようなもので、牌に取り憑き場を終局させようとする。初美はその黒く濁った牌を、自らの捨て牌により浄化し、無害な牌に変える。その結果、同卓の面子は無駄牌が集まり、聴牌すら困難になる。
――初美は贄としての役割を実行した。
(流局だけではつまらないでしょう? これで少し楽しんでください)
「ポン」
4巡目に石田芳美の捨てた【東】を副露、初美は親なのでW東が確定した。続く宮永咲の捨て牌は【北】であった。
「ポン!」
初美の横には【東】と【北】が晒されている。それは面子になにかをイメージさせていた。
(“魔王”さん……喜んでもらえて何よりです。存分に味わってください)
北家ではないが、初美の代名詞である裏鬼門の型にはまっていた。こうなると、宮守女子の臼沢塞のような例外を除けば、面子のとる行動は固定化されてしまう。なんとしてでも初美より先に上ろうとするはずだ。だがそれは不可能だ。“悪霊がつきたる牌”はすべて初美に祓われてしまうからだ。
そして15巡目、初美は和了した。
「ツモ、W東。1000オール」
「W東のみ……」
初美の点数宣言に平愛実が顔色悪くつぶやいた。3000点ならばこれまでの流局と同じで、なんの為に裏鬼門を装ったのか分からない様子であった。
(“ボゼ”は自分の“悪霊”が見えませんのでね……攻撃には使えません。今もあなた達の自摸を腐らせながら早上がりを目指しました。裏鬼門に似たのは、たまたまの……偶然?!)
初美は赤い目を見開いて咲を見た。彼女は笑っていた――そして楽しそうに言った。
「すみません、ちょっと時間をもらってもいいですか?」
咲は雀卓の下に両手を伸ばし、なにかもぞもぞと動いていた。
「お待たせしました」
「なにをしてたんですか?」
怪訝そうに愛実が質問した。
「少しリラックスしようと思いまして」
「リラックス?」
今度は石田芳美だ。確かにリラックスと足元をまさぐるのとは言動が一致しない。
「はい、靴下を脱ぎました」
咲はニコニコして話していたが“ボゼの目”には違うものが見えていた。それは、漆黒のオーラがにじみ出ている“魔王”の姿であった。
中部・近畿エリア待機室 清澄高校
「脱いだのう……」
「ええ、一回戦から本気よ」
竹井久は、いきなり宮永咲を本気にさせる薄墨初美の力量を掴みかねていた。小四喜の上りが多い異様な打ち手であったが、個人戦ではそれを封印している様子だ。彼女をよく知っているであろう原村和は試合でいない。同じ永水でも、竹井久が闘った滝見春は堅実な雀士で参考にならない。そこで、エースの神代小蒔と対戦した片岡優希に手掛かりを求めた。
「優希、神代小蒔ってどんな感じ?」
「あの巫女さんか? うーん……お姉ちゃんに近いかな」
「お姉ちゃん? 宮永照?」
「そう、照姉ちゃん。対戦すると意識が変わる。勝つ負けるから、諦める諦めないにな」
「……この子も同じ?」
「このロリは玄ちゃんに近いと思う。上がる意思が無いってのは、本当に厄介だじぇ」
(そうか……でもなんの為に? この子だって3年生、最後のインターハイのはずよ、試合を捨ててまで咲を本気にさせる理由はなに?)
「多分、神代さんの為に闘ってるんだじぇ。玄ちゃんも穏乃達の為に闘ってたからな」
なるほどと思った。そして久は、優希の成長に驚いていた。
(それもそうね。だって優希は先鋒なのだから。各校のエースが集う修羅場で闘ってきたんだもの、こういった経験は誰よりも豊富)
しかし、新たな疑問が発生した。なぜ永水女子はここまで咲を敵視するのか、それが久には理解できなかった。
対局室 ルームF
東三局の四本場、薄墨初美には黒く滲んだ牌が幾つか見えていた。手牌にある牌を使い、それを浄化する。初美は、指で牌を触り、それを選択する。先ずは石田芳美の有効牌となりうる“悪霊”を祓わなければならない。手牌の【七筒】に触れると黒さが薄れていく。
(これですか)
6巡目、初美はその【七筒】を捨てた。黒い滲みが消え去り、一つ目の牌の“悪霊”は祓われた。次の浄化は、だれかの副露がなければ6巡後に宮永咲が自模る牌だ。
7巡目の初美の自摸番、同じ作業を繰り返し、14枚の牌に指を触れた。
(なんですか……これは?)
滲みが消えなかった。祓うことのできない“悪霊”それがその牌に憑いていたのだ。次巡で自模った牌でも同じだ。初美は予想外の展開に焦っていた。
(別の方法を考えなければ……)
あの忌まわしき牌を宮永咲から離してしまえばどうだろう。西家の芳美が待っている可能性の高い【西】を初美は持っていた。それを切れば彼女は鳴くはずだ。
「ポン」
予想通りだ。芳美が【西】を晒した。しかし――
(こんな……ばかなことが……)
“悪霊”の憑いた牌もずれていた。芳美のポンでずらされた分だけ、黒い滲みが移動した。咲がその巡目に“悪霊”の憑いた牌を引くのは確定されたままだ。
(違う……嶺上牌が分かるとか、槓のイメージが掴めるとか、そんな生易しいものじゃない! この子の怖さはもっと別な所にある)
初美は恐怖を感じていた。反撃が全く通じない絶対的な強者には、服従するか、無意味な反抗をして殺されるしかない。自分は今、その無意味な反抗をしている。
ジワジワとした恐怖が継続している。咲がその牌に手を伸ばした。初美は目を逸らさない、どんな結果になろうとも見届けなければならない。
「カン」
“悪霊”の憑いた牌を手牌に入れ、咲は【東】を暗槓した。そして嶺上牌を取る。
「カン」
再びの暗槓、今度は【北】だ。初美は恐怖により肌が粟立っていた。
(連続槓……これは……止められないの?)
咲は【六索】を表にしておき、和了を宣言した。
「ツモ、面前、東、混一色、嶺上開花。3400、6400です」
初美の意識が一瞬飛んだ。それは“ボゼの目”の多用による肉体的な限界に達したことを意味していた。自分の前の山を大きな音で倒してしまった。
咲を含めた面子の3人が心配そうに見ている。
「だ、大丈夫ですよー。次はオーラスです。頑張りますよー」
自分でも空元気なのが分かっていた。目が霞み、貧血独特の浮遊感もある。次に“ボゼの目”を使えば、きっと倒れてしまう。
(絶対に勝てない相手……あなたはそうなのかもしれませんね)
オーラスの牌がセットされていく。親の咲が不安そうに初美を見ている。
(それでもいいです。私の役割は、勝つことではありませんから。あなたの謎を確認して姫様に伝える。だから……次も“ボゼの目”を使います)
初美は精一杯の笑顔を咲に返した。咲は僅かに躊躇してから、サイコロのボタンを押した。
ルームFのオーラスが開始された。
一般観覧席 特別室
「初美……もういい、もう十分だ」
藤田靖子の隣で、同じプロ雀士の戒能良子がそう言ったように聞こえた。聞き取り困難なほどの小さな声だったので、靖子は質問によってその確認をした。
「薄墨はもう倒れそうだな」
「実際に倒れると思います。とっくに限界を超えていますから」
画面を見つめたまま良子は答えた。あのつぶやきの確認は終わった。
靖子も画面を見つめる。試合前は真っ赤だった薄墨初美の唇は、周囲の肌と見分けがつかないぐらいに変色していた。目も通常に戻り、スローな瞬きを繰り返し、今にも閉じてしまいそうであった。
「なぜ彼女たちはそこまで宮永咲にこだわる?」
率直な疑問だ。永水の援護射撃は自分にとっては助かるが、彼女たちには何のメリットがあるのだろうと思った。
「霧島一族の定めですかね」
「定め?」
良子は前を向いたまましばらくの間口を開かなかった。やがて、オーラスの配牌が終了した頃に、靖子と目を合わせた。
「彼女たちは伝統的価値観を維持継続していくことが義務付けられています。高校や大学の学業が終わったら、それぞれの土地に戻り、その維持継続に生涯を費やす。彼女たちはそれを受け入れています」
「お前は違うな?」
戒能良子は同じ一族、例外は許されないはずだ。
「だから私は……あの地に二度と戻れません」
良子の顔はコンプレックスに満ちていた。プロ雀士の夢を捨てきれず、道を踏み外した自分が許せないのであろう。
「彼女たちはどんなに強くても学生時代で競技を終えます。だからこそ真剣なのです。どんな相手だろうが全力で立ち向かいます。なぜならば、それが彼女たちの青春の証なのですから」
良子は再び画面に目を戻した。その顔は、まもなくリタイアする薄墨初美を羨んでいるように見えた。
「なるほど。だが戒能、質問に答えてくれ。なぜ宮永咲にこだわる?」
「姫様……霧島一族は、うつしよの急激な変化を嫌いますからね。それは、あなたも同じではないのですか?」
「うつしよ?」
「現世ですよ……プロ麻雀界と言い換えてもいい」
「……」
中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 永水女子高校
「初美ちゃん……」
「棄権しましょう。これ以上は無理です」
「分かっています。ただ、この試合だけは終わらせてあげたい」
狩宿巴の進言は正しい。石戸霞の目にも薄墨初美が限界を超えた闘いをしていることが分かっていた。しかし、同じ三年生として、初美の悔いが残らないようにもさせてあげたかった。
「はっちゃん……」
滝見春も小さな声でエールを送っていた。「あともう少しだから頑張って」そんな心理が彼女にそれを言わせていた。
巴がそんな霞たちを見て、諦め顔で言った。
「では、すぐ助けられるように霞さんたちはルームFの前で待機して下さい。運営事務局にはそう伝えます」
「お願いします。春ちゃん、競技場に向かいますよ」
「はい」
霞と春は小走りに競技場へと向かっていった。
中部・近畿エリア待機室 千里山女子高校
「監督……これは……」
「せやなあ、あれやろなあ……」
二条泉は画面横の点数表示を確認した。
一回戦ルームF 東四局開始時持ち点
宮永咲 34200点
薄墨初美 30600点
石田芳美 17600点
平愛実 17600点
「薄墨以外に満貫を上がらせる。でも……上がりますかね?」
宮永咲は確実にプラマイゼロを狙っている。だが、これまでとは違う。自らの上りではなく、他家の上りによって達成しようとしている。泉にはその考え方が不可解であった。
「上がるやろな。石田と平にしてみれば、宮永と薄墨がいるこの卓は捨て場みたいなもんや、ちょっとでも点数を回復して二回戦に繋げられるんやで、御の字やろ」
愛宕雅枝は冷徹に言ってのけた。確かにそうかもしれないが、なぜ満貫だと分かるのか? なぜ薄墨初美が上がれないと分かるのか? なぜなぜを何回も繰り返してもその答えは出そうにもなかった。
「……監督」
「なんや?」
「私が宮永妹の力でまったく理解できないのは……このプラマイゼロです」
雅枝は怒ったように泉を睨んだ。
「なにを言うとるんや、そんなの当たり前やないか」
「え?」
「分からんから苦しんどるんや、この“魔王”に立ち向かう全員がな……」
「はい」
「わからんで終わったらあかん、来年、千里山の対宮永妹要員はお前やからな」
「……はい」
対局室 ルームF
(こ……これが、“魔王”の力……)
薄墨初美は、今、見えている光景が、現実のものとは思えなかった。朦朧とした意識が見せる幻覚ではないかと疑った。なぜならば、王牌も含めた四面の山。自分のものを含む手牌。そのすべてが“悪霊”に取り憑かれ、暗黒の卓になっていた。牌を浄化する方法は一つしかない。河に捨てることだ。
(私の手牌まで……これがプラマイゼロの秘密なのですね)
初美は自分の手牌を見た。五向聴、上がれそうにもない。宮永咲は石田芳美か平愛実に満貫で上がらせたがっている。そのことへの執着心が異常なまでに強いのだ。すべての牌に“悪霊”を憑かせるほどに。
(なぜですか……なぜあなたはそんなに…………怖がっているのですか?)
このプラマイゼロは攻撃の力ではない、完全な、そして究極な防御の力だと初美は思った。その咲が守ろうとしているものを突き詰めなければ、きっと彼女は倒せない。しかし、初美にも希望があった。神代小蒔の“オモイカネ”なら、それを解き明かせるはずだ。
(姫様……“魔王”の力は、この極端な防御力の裏返しです。見かけの攻撃力に騙されてはいけません……場を支配する八岐大蛇は……この力が転じたものです)
初美の意識が薄らいでいく。だれかが和了したようだ。もう、音もあまりよく聞こえなかったが、終局のブザーが鳴っているらしい。初美も立ち上がらなければと思ったが、体がいうことを聞かない。
(霞……ちゃん?)
目の前に石戸霞らしい人物が立っている。幻影かと思ったがそうでなないようだ。ならば伝えなければならないことがある。
初美は最後の力を振り絞り、霞の巨大な胸を収めている巫女服の襟を掴み、口を彼女の耳に寄せた。
「霞ちゃん……このままで……」
霞が驚いたように見ている。
(そうです……このままです……このまま姫様に……)
初美は力尽きた。霞にもたれかかりながら気絶していた。
(初美ちゃん……)
石戸霞は一緒にきていた滝見春と共に、薄墨初美を救急隊の持ってきた担架に乗せた。
「春ちゃん、先にいっていて」
「わかりました」
春は、初美に付き添い、救急隊と共に部屋を後にした。
「石戸さん……その、薄墨さんは大丈夫でしょうか?」
宮永咲が聞いてきた。心底心配している表情だった。
「初美ちゃんは今日体調が悪かったから、ちょっと無理しちゃったみたいね」
「そうですか……」
「宮永さん、初美ちゃんは強かった?」
できるかぎりの笑顔を作り、咲に質問をした。初美が言い残したように、彼女を警戒させてはならない。
「はい……とっても」
「良かった。初美ちゃんに聞かせてあげるわね」
「ええ」
「次は姫様がお相手します。神代小蒔はとても強いですよ。対戦はあなたにとっても良い経験になるでしょう」
穏やかに話したつもりではあったが、咲に敵対心を見破られた。だが、彼女はそれを喜んでいるように見えた。霞は思った。おそらく姉の宮永照と同じ理由だろう。彼女たちは心の奥底では強い敵を欲しているのだ。
「はい」
それを裏付けるように、宮永咲は明快に返事をした。
試合会場 VIPルーム
「……スコヤがなぜ私を呼んだか理解した」
「ありがとうございます」
「テルにもサキにも明確な意図がある」
「あなたを倒すことですね」
“巨人”ウィンダム・コールはサイズの合わない椅子にもたれかかり笑っていた。
「そうだね、特にサキは私の打ち方をアレンジしている。なかなかの強敵だ」
「それで済めばいいですね」
「もったいぶった言い方だねスコヤ、はっきり言えばいい。自分が彼女たちを鍛えると」
紳士的な振る舞いではあったが、“巨人”の顔が少し怖くなった。
「ばれていましたか」
「気をつけなさい、私はイギリス人なのだから。ブシドー精神を持ち合わせていない。未来形で自分を脅かす存在は、弱いうちに倒してしまえばいいと考えるかもしれない」
「それは私が全力で阻止します」
小鍛治健夜も怖い顔で“巨人”と向かい合った。“巨人”の口から大胆に白い歯がこぼれていた。
「面白い、実に面白い。だが、なぜだね? スコヤはあの二人を使ってなにをしようとしているのだね?」
「ニュー・オーダーですね」
「ニュー・オーダー? 日本の麻雀界を作り替えるとでも?」
「まさか」
「?」
珍しく“巨人”が戸惑っている。健夜の挑発的な表情と発言との辻褄が合わないようであった。
「私達は、あなたを倒して世界の新秩序を作ろうとしているのですよ、ミスターコール」
「なるほど……それは愉快だ。しかし、ニュー・オーダーならもっと効率の良い方法がある」
「?」
今度は健夜が戸惑っている。
「私はこう見えても独身でね、前に提案したはずだよ」
「……その話ならお断りしたと思いますが」
健夜がうんざりした顔になった。何度か話したことのある話題なのだろう。
「なぜだね? 簡単ではないか? 私とスコヤの結婚で、完全なるニュー・オーダーが構築できる」
「……」
「検討してほしいね。ともあれ宮永姉妹は楽しみだ。確かに強くなる可能性はある」
「3年間の時間を頂きたいと存じます」
健夜は笑顔に戻して、丁寧にお辞儀をした。“巨人”もイギリス式に返礼する。口約束ではあるが契約は成立した。ただし、“巨人”はそれに条件を付けた。
「その代わり、こちらからも情報の開示を要求する」
「情報ですか?」
「宮永姉妹の母親に会わせてほしい。それはおそらく私の知っている人物だ」
健夜の眉が下がった。それは宮永姉妹のウイークポイントになりうるものだからだ。