咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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7.和と淡

北海道・東北・関東エリア待機室 白糸台高校

 

 個人戦予選も第5試合までが終わり、白糸台高校からの出場者である宮永照と大星淡は、途中苦戦はしたものの、すべての試合をトップで切り抜けていた。今日はあくまでも予選なので通過順位内ならば問題はないのだが、第6試合ルームJでは、菫に嫌な予感をさせる対局が行われていた。そこでは大星淡と姫松高校 愛宕洋榎が同卓になっていた。

「愛宕洋榎か……」

「私はこの人が苦手です」

 渋谷尭深が言った。彼女は洋榎と対戦したことがないはずであったが、本能的な苦手意識があるようだ。尭深もまた異能の持ち主、そういった嗅覚は鋭い。

「まあな、ある意味最強だからな」

「最強? 宮永先輩よりもですか?」

「だから、ある意味ではだよ――」

 亦野誠子に納得の行かない表情で質問された。菫はそれに答えようとしたが、淡が映し出されている画面の三尋木咏が、同じテーマの解説をしていた。おそらく自分と同じことを言うはずだ。誠子への回答は彼女に任せることにした。

 

『えりりんは王道って知ってる?』

『王道ですか? 定石でしょうか?』

『麻雀にも定石はあるからねぃ、でも王道とはニュアンスが違うねぃ』

『それでは、王道とはなんですか?』

『どっかの阿呆が「牌に愛される」なんて言っていただろう』

『阿呆……藤田プロですか?』

『王道とはね、そういうもんだよ。牌を愛し、そして愛される。すべての雀士が理想とする美しい打ち方さ』

『三尋木プロもそうですか?』

『理想と現実は別だよ。私はなんでもありだからねぃ……王道ではなく覇道だねぃ』

『……愛宕選手は、その王道を突き進んでいると? 彼女は役満を上がったりしましたが?』

『確実性と王道は関係がないんだよ。小手先の技に頼らず、強靭な精神力で勝ちを目指す。だから隙がなく強い。私と同じ覇道を選択した大星の技が、王道のど真ん中を行く愛宕に通用するか……これは見物だねぃ』

『三尋木プロ……今日はいい仕事しますね』

『知らんし』

『……』

 

 

 対局室 ルームJ

 

 東家 加藤静絵 千葉県代表(2年生)

 南家 大星淡  西東京代表(1年生)

 西家 愛宕洋榎 南大阪代表(3年生)

 北家 中島岬  石川県代表(3年生)

 

 東一局

 

「リーチ」

 愛宕洋榎は大星淡の絶対安全圏を初体験していた。W立直の淡に比べ、自分の手牌は五向聴、噂通りの展開であった。

(なるほどな、これは難儀するやろな……だが、ひねりが足らんな)

 自摸番が回ってきて有効牌を引いた。それを踏まえて洋榎はこう考えていた。大星淡の絶対安全圏が他家に影響を及ぼすのは配牌時だけ、その後は普通に打てると。ならば、自分が負けるわけがない。

(まあ、一桁巡で聴牌はでけへんな、この局は大星がどう打つか様子見やな)

 8巡目で一向聴まで手を進められた。五向聴スタートならばこれでも早いほうだが――

「ツモ、門前、W立直。1300,2600」

 淡が9巡目に和了した。チームメイトの末原恭子がいうには、大星淡の絶対安全圏はドラを絡めた火力の高いものと、スピードを優先し、火力を抑えたものがあるらしい。今回はスピードタイプだろう。

 洋榎の悪い癖が出ようとしていた。歯ごたえのある敵と直面すると無性に挑発したくなるのだ。

「おもろいなあ大星、今の小細工、もういっぺんやってみいや」

 洋榎は悪い顔で笑っていた。

 

 

「お望みなら、何度でもやってやるよ」

 売り言葉に買い言葉であった。愛宕洋榎の挑発には決して乗るなと弘世菫からも注意されていたが、淡は感情を抑えられなかった。

(でも、この人は、それだけのことを言える実績があるから)

 それは、淡の成長した部分だった。これまでどおりの減らず口を叩きはするが、心では相手をリスペクトする。宮永咲との死闘を経て学んだ。

 東二局、淡の親番だ。手牌は望む形に仕上がっている。

「リーチ」

 二度目のW立直。ここは貪欲に勝ちを狙う。予選なので勝ちにこだわる必要はないのだが、負けると淡の張り詰めていたなにかが切れてしまう気がした。〈オロチ〉の宮永咲を倒さなければならない。姉の宮永照と闘う前にだ。それは淡が、悩みに悩んだ末に決めたことだ。だが、〈オロチ〉は強い。思い出すと寒気がするほどだ。倒す為には自分のすべてをピークの状態にしなければならない。

(勝ち続けること……勝って勝ちまくってサキと対戦する。それしかない……)

 7巡目、なかなか和了できなかったが、まだ慌てる必要はない、五向聴スタートならばこの巡目で他家が上がるのは難しいはずだ。その為の絶対安全圏だった。

 しかし――その絶対安全圏は、愛宕洋榎によって破られた。

「ツモ、門前、断公九、平和、ドラ1。1300,2600」

「え……」

「なんや、鳩が豆鉄砲を食ったような顔してからに、上がったのが意外か?」

「五向聴じゃあ……」

 不可能ではないが、五向聴からここで上がるには強力な運が求められる。

「五向聴やったでえ。けどな、私にはそんなん関係あらへん。勝つもんが勝つんや」

 試合前のミーティングで、愛宕洋榎は警戒すべき相手として名前が挙がっていた。しかし、これほどまでのハードパンチャーだとは思わなかった。洋榎は、攻撃力では定評のある淡と、正面切っての殴り合いを要求している。

(王道麻雀……いいよ、やろうじゃない。先に倒れたほうが負けってことよね)

 今まで闘ってきただれとも異なる打ち手、淡の闘争心は久方ぶりに燃えたぎっていた。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 姫松高校

 

「やったで! 大星の安全圏を潰した」

 2年生の愛宕絹恵が姉の活躍に大きな声を上げた。チームメイトの2人は絹恵と同様に嬉しそうであったが、監督代行の赤阪郁乃は浮かぬ顔をしていた。

「まだやで絹ちゃん。喜ぶのは早いで」

「代行……」

「この大星ちゃんはな、劇薬を飲んだんや」

「劇薬?」

「そうやで……宮永咲という劇薬をな」

「……」

 その言葉に絹恵は沈黙してしまった。“劇薬”、実に的確な表現であった。

「普通なら死んでまう薬や……だけどな、この子達は生き残った」

「達ですか?」

「あの卓にいた3人、大星淡、高鴨穏乃、ネリー・ヴィルサラーゼは、その毒性に耐えて生まれ変わった。侮ったらいかんよ」

 絹恵は、羨望と不安が混ざった表情になっていた。羨望は大星淡に対して、不安は姉に対してのものだ。

「お姉ちゃんは勝てますか?」

 郁乃にいつもの笑顔はなかった。絹恵と顔を合わせて、やや強めの口調で言った。

「団体戦前やったら余裕やろな。けど、今日は分からんなあ。――絹ちゃん、漫ちゃんも、ただボーっと見てたらあかんで。劇薬を飲んだ子達は、みんな一年生なんやからな」

「……そうですね」

 

 

 対局室 ルームJ

 

 東三局、愛宕洋榎の親番だった。自模ってきた14枚の牌を眺め、洋榎はほくそ笑んだ。大星淡の絶対安全圏によって配牌は悪かったが、五向聴ではなく四向聴であった。親の第一自摸で手を進められていた。

(ええで大星、W立直でもなんでもしたらええ)

「リーチ」

 大星淡の三連続W立直。非現実的な攻撃だったが、洋榎はそれを取り込み、倍返ししてやろうと思っていた。

(見せたるわ、本当の速攻がどんなもんかをな)

 萬子、索子、筒子、それぞれの塔子を抱えていた。雀頭には【八筒】がそろっており、平和が狙える。三色同順や一盃口が乗る可能性はないが、淡よりも速くは上がれそうだ。

 2巡目の自摸、二つある萬子の塔子の一つが順子に変わる、これで三向聴。洋榎はこの局を6巡で和了るつもりであった。確率で言えば0.3%、パチンコの1回転目で大当たりを引くようなものだ。普通ならば勝負の計算には入れない。

(まっすぐや……まっすぐ進む者には、だれも勝てんのや)

 手を伸ばして牌を取る、その牌は洋榎の期待に応える。それが愛宕洋榎の打ち方、あらゆる奇策、秘策を退けてきた王の打ち筋なのだ。

「リーチ」

 5巡目に聴牌し、すかさず洋榎は立直をかけた。待ちは【三筒】【六筒】の両面待ちだ。大星淡が唇を強く結び、眼光鋭く見ている。彼女の自摸番、牌を取り指で確認する。上り牌ではないらしく、そのまま表にして河に捨てた。視線は洋榎から逸らさない。

 洋榎も淡をガチ見しながら山に手を伸ばし、牌をつまんだ。願掛けなどはしない。上り牌は必ず引けるはずだ。そのことには全く疑いを持たない。

 ――引いた牌、それは【六筒】だった。

「ツモ、門前、立直、一発、平和――」

 洋榎は、裏ドラの確認をしようとしてその手を止めていた。

「乗っとると思うか?」

「乗ってない」

 一貫した反抗的態度の淡に、洋榎はなぜか好感を持ってしまい、小さく笑った。

 裏ドラをめくる――【三筒】。

「残念やな大星、ドラ1や、4000オール」

「次は親かぶりさせてやる」

 洋榎は、点棒の受け渡しを終えて、牌を投入口にじゃらじゃらと入れる。目に見えるような闘争心を発している大星淡を眺めながら考える。

(こいつがうちに居ったらな……私も恭子もなんの心配もないんやけどな。まあ、ないものねだりしてもしゃーないか、絹と漫をこのレベルまで仕上げんと、姫松は万年シード落ちや)

 東三局一本場の牌がセットされた。サイコロを回し、右10から配牌を開始した。その結果を見て、さすがに洋榎も呆れていた。

(また五向聴かいな……ということは……)

「リーチ!」

 四度目のW立直。大星淡は、殴られた分を殴り返そうとしている。ならば自分もそれを覚悟しなければならない。

(こい大星! 味わってもらうで……格の違いをな)

 

 

 北海道・東北・関東エリア待機室 白糸台高校

 

『大星選手! 5巡目に【北】を暗槓です。立直後ですが、本大会では単独牌の暗槓は認められています』

『……』

『三尋木プロ? この槓はどのような意味があるのでしょうか?』

『分かんねー……』

『またですか……』

『いや、ほんとに分かんねーんだよ。ドラを増やす為……そう考えるが自然だけどねえ』

 

 

 現状では意味不明な槓、弘世菫もそう思っていた。しかしもう一方では、この槓が大星淡の対〈オロチ〉の切り札になるだろうとも思っていた。

「団体戦の時も、淡はこんな槓をしていましたよね」

「あれは感覚的なものだよ。あの槓が結果に及ぼした影響は不明確だ」

「部長、淡になにか指示しましたか? この数日の練習でも、やたらと槓が多かったような……しかも無意味な槓、ドラが増えるわけでもない、上がるわけでもない」

「イメージが掴めたら、積極的に狙えと言ってある」

 亦野誠子の鋭い質問に、菫は少しはぐらかして答えた。

「宮永咲の槓は自分を有利にする為、淡の槓は相手を不利にする為」

「言い方が違うだけで、意味は同じですよね……」

「そうだな……」

 うまく説明できなかった。淡は〈オロチ〉を倒せるかもしれないと宮永照が言っていた。〈オロチ〉が制御できない二匹の龍を、淡は制御できるのではないかと考えていたのだ。なるほど、それを遊撃的に使えば〈オロチ〉を混乱させられる。では、どのように? それは照にも菫にも分からなかった。淡にしても、まだなにも分かっていないだろう。今は見守るしか方法がない。ただし、その時間的な猶予はあまりにも短すぎた。

 

 

 対局室 ルームJ

 

(こっちのドラが乗ったな……)

 大星淡の暗槓によって開かれた槓ドラ表示牌は【六索】だった。愛宕洋榎の手牌には【七索】と【九索】が一枚ずつあった。嵌張待ち用として保持していたが、捨てるべき牌の候補でもあった。

 ――次巡に有効牌が引け、二向聴まで持ってこられた。洋榎は僅かに迷い、【七索】の並びを残すことを決めた。

(嫌な予感がするで……)

 久々に味わう感覚だった。洋榎とて迷いはするが決断後は引きずることは少ない。だが今回は違う。なにか間違った選択したのではないかと思っていた。

 7巡目の自摸牌は【八索】で、結果オーライの一向聴になった。しかし、そこまでであった。そこから手が進まず。12巡目に大星淡に自模られた。

「ツモ、門前、W立直、北……」

 淡も裏ドラ確認の手を止める。

「乗ってると思う?」

「乗らんな」

 淡が牌をめくる。裏ドラは乗らなかった。点数が確定した。

「2100、4100」

(気に入らんな……この私がほっとしてるなんてな……どうやら、本気出さなアカンかな)

「オーラスや大星、挽回してみいや」

「満貫上がればいいんでしょ? 余裕だよ」

 

 東四局開始時の二人の持ち点は以下のようになっていた。

  愛宕洋榎 38800点

  大星淡  29900点 

 

 

 強気のセリフを放った大星淡ではあるが、愛宕洋榎の王道麻雀の物凄さを実感していた。全く気が抜けなく、正攻法では太刀打ちできなかった。とはいえ、それに呑まれるような淡ではなかった。勝つことを諦めたりはしない。

 配牌が終わり、オーラスの手牌を確認した。二向聴でW立直はブロックされている。淡はそれを嫌な兆候とは思わなかった。これまでがうまくいき過ぎていたのだ。絶対安全圏はコンスタントに出せるものではない。

(4翻縛りか、この手だとドラを絡めるしかないね……)

 手牌には中張牌の刻子が二つあった。断公九に纏めての立直、それがベストの形だろう。

(……槓できるかもしれない)

 淡は【三筒】の刻子を見て、そのイメージが頭に浮かんでいた。

 宮永咲との対戦以来、淡は槓にこだわるようになっていた。それによって勝率が上がるわけでもなく、ドラが絡むわけでもなかった。それどころか、完成されていた戦法を阻害する改悪でもあった。しかし淡は、槓できる局面ではそれを実施した。その理由は、部長の弘世菫がくれたアドバイスの為であった。

(「宮永咲は王牌を支配している。だけど、その王牌の中にも彼女の自由にならない牌が2枚ある。お前は、それを支配しろ。その2匹の龍で〈オロチ〉を倒せ」)

 実に曖昧な話ではあったが、淡はそこに光明を見出していた。分からないなら分かるまで試せばいいと考えていた。そうしなければ、あの凶悪な〈オロチ〉には勝てないはずだ。

 3巡目にその機会が訪れた。淡は迷うことなく牌を並び替えて倒した。

「カン」

 嶺上牌を取る。咲とは異なり、それは有効牌ではなかった。だが、なにか流れが変わったようにも思えた。

 洋榎が見ている。疑う余地もない強敵であったが、〈オロチ〉と殴り合った淡にとっては、恐怖の対象ではない。

 8巡目まで局は進んだ。淡は断公九で聴牌したが、これでは立直しても満貫に届かない。淡は速やかに決断した。強烈な速攻がある洋榎が相手なのだ、もう1翻増やす時間はない、ならば一発か裏ドラに賭けるしかない。

「リーチ」

(負けるわけにはいかない! テルーの為にも……サキの為にも!)

 

 

(大星の槓は厄介やな……気にしたら負けやろ。無視するしかない)

 愛宕洋榎は、大星淡の槓に得体のしれないなにかを感じていた。オカルトなど信じてはいないが、自分の打ち筋を崩してくるものは排除する。

 5巡目の淡の槓により持っていた【四筒】がドラに変わった。今回は切ろうと思っていたが、その巡目で同じ【四筒】を自模り、雀頭を作ることができた。スピード優先のこの対局、手を崩すのはリスクが大きすぎたので、保持したままの状態だった。

 ――淡が立直をかけた。続く洋榎の自摸は無駄牌だった。一向聴で一手遅れている。

(一発やったら、私の負けやろな)

 9巡目の淡の自摸を、洋榎は冷静に眺めていた。勝つ時は勝つ、負ける時は負ける、当たり前のことだが、普通の人間は負けの可能性は排除する。勝負は勝つ為に行うという考え方だ。洋榎は違っていた。勝負は“証明する為”に行うのだ。母親の愛宕雅枝から受け継いだ王の打ち筋の正当性を証明する為だ。勝ち負けは問題ではない。それを貫くことが重要なのだ。

 ――しかし、そんな洋榎にも、邪心が芽生えていた。大星淡が上がらず自摸切りをしたからだ。

(一発は無しか……おもろうなってきたな。ここで私が聴牌したらどうする?)

 洋榎の心臓は高鳴っていた。自摸牌を取る。有効牌で平和を聴牌した。立直はかけない、このケースでは1000点が勝負を分ける。

 次巡も淡は上がらず。再びの洋榎の自摸番だ、思わず指に力が入る。引いてきた牌を手牌の上に置いた。

(あかんか……だが、まだ負けたわけではない)

 無駄牌である【中】をわざと大きなモーションで打牌した。当然ながら淡も、こちらの聴牌を察知する。

 二人の息詰まる自摸が続いた。

 ――そして14巡目、和了したのは――大星淡。

「ツモ、面前、立直、断公九……」

 晒された淡の手牌を見て、洋榎は愕然としていた。

(大したもんや……こいつは負ける恐怖を超越できるちゅうことやな)

 淡の手牌は現状3翻しかないので、裏ドラが乗らなければ洋榎の勝ちだ。しかし、淡はそれに賭けて、洋榎よりも早く上がる選択をしたのだ。

「どう思う?」

 真剣な顔で淡が聞いてきた。洋榎も真顔で答える。

「可能性はあるで」

 裏ドラ牌を2枚めくった。【東】【白】、断公九の淡にとって、その牌は無関係なものであった。

「――1300、2600」

 悔しそうに淡が点数宣言をする。その後、対局終了を告げるブザーが鳴った。

 洋榎は、壁にかけてあるモニターで最終的な点数を確認した。

 

  愛宕洋榎 37500点

  大星淡  35100点 

 

「次は……100回倒す」

 礼を終えた淡が言った。洋榎は僅かに口の右側を上げて頷いた。

(勉強させてもらったわ……。大星、宮永姉妹と闘う前にお前と卓を囲めてよかった。感謝するで。でもな、私もお前と同じや、素直な返答はできんのや)

「上等や! 100回倒す? ええやろ、そなら私は100回返り討ちにしたるわ」

「なんか、おばちゃんみたいな話し方なんですけどー」

 洋榎は心の中でなにかが切れたのを感じていた。それは多分、堪忍袋の緒。

「……なんやて」

 

 

 愛宕洋榎が顔を真っ赤にして睨んでいる。大星淡も、一言多かったかと悔やんでいたが、謝るには遅すぎた。

「もういっぺん抜かしてみい! 今なんて言ったんや!」

 なにが気に障ったのか信じられないぐらい激怒している。ここは笑ってごまかすしかなさそうだ。

 ルームJのドアが開いてだれかが入ってきた。

「主将、なに大声で騒いでんですか? 外に駄々洩れですよ」

「恭子、ええか、このアホがな、私のことをタレ目のババアやて言いよったんや」

 愛宕洋榎のチームメイトの末原恭子であった。彼女は困ったような顔で洋榎と淡の両方を見ている。

「大星……この人はな、こう見えても結構気にしいなんやで。あんまり生意気ばっかしてたらアカンよ」

 人格者の恭子らしく、穏やかに注意をしてくれた。だけど、淡にも反論がある。少なくとも“タレ目のババア”などとは言っていない。

「私は、ただおばちゃんみたいだって……」

「……なんて?」

 恭子の顔も赤くなった。関西人との感性の違いに淡はゲッソリしていた。

「だれがももひきババアやねん!」

「そんなこと言ってないよね!」

「大星! ええ度胸しとるやないけ。主将! こいつには、いっぺん痛い思いをさせたらなきゃアカンのと違いますか?」

「せやで、挟み撃ちにしたろやないか」

 淡は、もうどうにでもなれと思っていた。なにを言っても無駄だと考え、苦笑いをするしかなかった。

 またドアが開いた。今度よく知っている人物が入ってきた。

「原村……」

 その言葉に驚いた恭子が振り向いた。肘で原村和の大きな胸に打撃を加えてしまった。

「痛!」

「ご、ごめんな!」

 和は胸を押さえてうずくまった。恭子は肩に手を置いて、心配そうに声をかけていた。

「大丈夫? 大事な大事な胸を殴ってしまって、本当にごめんな」

「そ、そこまで大事ではありませんが……もう平気です」

 そう言って、和はよろよろと立ち上がる。姫松高校の2人は、それをサポートした。

 洋榎と恭子は、気が削がれたのか、平常心に戻っているようだ。表情を緩めて淡に向き直り、普通の大きさの声で言った。

「命拾いしたな大星、今度会うたら1000回倒したるわ」

「私は10000回や、首を洗うて待っとれや」

 まるで台風のようであった。2人が退室したと同時に淡は大きな溜息をついた。

「……あんがとね、原村」

「いいえ」

 和は笑顔で頷いて雀卓に座った。淡も次の試合があるので、部屋を出ようとしたところ、

「淡さん」

 と、和に名前で呼ばれた。淡はドキリとしてしまい、反射的に振り返った。

「どこに行くんですか?」

「どこって……次の試合があるし」

「ここにいてください。あなたはここで私と闘うのです」

「え……」

 淡は、壁のモニターを見た。そこにはこう表示されていた。

 

 七回戦 ルームJ

  小走やえ  奈良代表(3年生)

  原村和   長野代表(1年生)

  大星淡   西東京代表(1年生)

  宇津木玉子 埼玉代表(3年生)

 

(いきなり原村とか……まだ心の準備ができてない……)

「淡さん」

「……はい」

「私は名前で呼んでいるんですから、私も名前で呼んでください」

「!」

 思わず顔が赤くなってしまった。咲との会話を聞かれていたのと訝しんだが、和に馬鹿にしている様子はない。

「わ、私はサキみたいに、なんとかちゃんみたいには言えないんだから、呼び捨てだよ、ノドカ」

「はい、結構です」

 和が嬉しそうに笑った。淡も硬い表情を解いて、場決めの牌を引き、和の隣に座った。

「ノォーであるうー!」

 大きな帽子を被った宇津木玉子が叫びながら登場した。彼女は涙を流しながら淡達に嘆願した。

「我王国に、お前たちのごとき悪魔は必要ない。即刻立ち去るがよい」

 淡と和は呆然と顔を見合わせる。

「……だれだっけ?」

「確か埼玉代表の……穏乃達と対戦しているのを見ました」

 続いて小走やえがドアを開けて入って来て、大声で嘆いている玉子につっかかった。

「あんた王様なの?」

「余は王である。ひれ伏すがよいぞ」

「ふーん、あんたが王なら、私は王者だよ。見せてあげるわ、王者の打ち筋を!」

 横目で和を眺める。目の前で繰り広げられている寸劇に苦笑しているようだ。

「ノドカ、私は今日、王様に縁があるみたい……」

「王様ですか?」

「うん、さっきの愛宕さんも王道だし」

 和が声に出して笑った。そして、茶目っ気たっぷりで淡に言った。

「本当ですね、王様に気に入られて良かったですね。淡さん」

「ノドカ……」

 

 

 奈良県 阿知賀 鷺森レーンズ

 

 高鴨穏乃は、TVの力を思い知らされていた。休日でもポツリポツリとしか客がいなかったこのボーリング場が、連日の大盛況で順番待ちが発生するほどだ。鷺森灼のヘルプ要請を受けて、阿知賀女子学院の麻雀部メンバーが交代で手伝いに来ている。今日は自分と新子憧の番だ。第3レーンの客がゲームを終えた。穏乃と憧は、そこの掃除を行うべく移動した。

「シズ、オイルお願い」

「はーい」

 穏乃は、持ってきた年代物のオイルマシンを動かそうとしていた。

「シズー」

 聞き覚えのある声で呼ばれた。それは赤土晴絵だった。隣には憧の姉の新子望もいた。

「赤土さん」

「お姉ちゃんも……ここのユニホームなんか着て、どうしたの?」

「二人とも休憩に入って、私たちが交代するから」

「休憩?」

「まあ、ざっくばらんに言ってしまえば、和の試合を見てこいってことだよ。灼にも声をかけてきた」

 憧と目が合った。気になっていることを、どちらが聞くかの譲り合いになっていた。

「和とだれが闘っているの?」

 結局は憧が聞いた。晴絵は楽しそうに答えた。

「大星淡。シズは気になるだろ?」

 穏乃と憧は全速力で休憩室に向かって駆け出した。

 

 

 休憩室のドアを開ける。8畳ほどの畳敷きで、中央にテーブルとテレビが置いてあるだけの殺風景な部屋だった。鷺森灼が3人分のお茶を準備している。

「灼さん、今何局ですか?」

 穏乃は画面を凝視している灼に、状況の説明を求めた。

「東二局、大星淡の親番」

「えー、小走さんも一緒なの?」

 今度は憧の質問、それにも灼は、茶を渡しながら淡々と答える。

「東一局は彼女が取った。原村さんの枠内でだけど」

「和……また制御モードなの?」

「前局は違った。これは大星の親を流す為、多分だけど」

 画面に映っている原村和の顔は、青みがかるほどに真っ白であった。あの団体戦の時と同じだ。穏乃は、その状態の和をよく知っている灼に聞きたいことがあった。

「……大星さんのW立直は和に通用しない?」

「シズ……W立直ってね、分かりやすいんだよ」

「え?」

 答えたのは灼ではなく憧であった。

「配牌時に偶然聴牌している。打ち手の意思とは無関係。待ちも偶然の産物」

「だから、捨て牌は純粋に要らない牌になる。筋や裏筋も含めてね。偶然の引っかけなんて確率的に考慮する必要もないわ」

 二人がかりの説明に、穏乃は混乱していた。言っている意味は分かるのだが、それをうまく説明として組み立てられなかった。

「五巡目ぐらいで上がらないと、原村さんに20枚もの牌の情報を与える。彼女にとっては必要十分だと思う」

 灼の発言とほぼ同時に、和が5200点を宇津木玉子から栄上りした。

「凄い……流すのに苦労した大星さんの親をあっと言う間に」

 東三局が始まっていた。ここは和の親だ。連荘を狙っているはずだ。

「原村和は場の制御をかけてくる。だから、他の三人はその枠の中で闘うしかない」

 つぶやくように灼が言った。団体戦を思い出しているのだろう。表情がこわばっている。

「和の制御に逆らうとどうなるんですか?」

「ほぼ上れなくなる」

「制御内だと?」

 灼は穏乃に顔を向け、ボカロのようなフラットな声で言った。

「上がることは可能、ただし、その比率は永遠に4:6」

 穏乃にも二人がなにを恐れているか分かった気がした。一局、二局の対戦ならば、和にも勝てるかもしれない。だが、もっと長いスパンだと、敗北は確実だ。

 ――ルームJでは、和が連荘に成功していた。点数は7700点。

「さっきの状態はね、その比率を3:7上げる為なのよ、処理する情報量の増加は計り知れない。私には無理だよ……」

 和の変貌に一番驚いているのは、この憧なのかもしれないなと穏乃は考えた。子供の頃の二人は、同じデジタル派として鎬を削っていた。その技量アップに努めた憧に対し、和はそれを究極レベルまで追求し、コンピュータプログラム同然の打ち方になっていた。

(そこまでしないと……あの人には立ち向かえないからだね)

 穏乃には、和の変貌が奇異なものとは思えなかった。なぜならば、彼女のすぐ近くには、あの前代未聞の怪物“魔王”宮永咲がいるのだから。

 

 

 中部・近畿エリア待機室 清澄高校

 

「のどちゃん、一歩抜け出したじぇ」

「そうね、和らしい打ち方だわ」

「ちゅうか、こんなん和にしかできんわ。大星は2回も手を潰されとる」

 東三局の一本場、和は普通に打っていた。制御モードを使用したのは大星淡の親番時のみなので、オーラスでもう一回使うだろう。

 竹井久は考えていた。原村和の打ち方に、幾つかの付け入る隙を見つけていた。

(上り辛い状態なのは間違いないけど、上がれないわけでない)

 その懸念が現実になった。9巡目に、小走やえが自摸上りしたのだ。

「まあ、こういった瞬発力で攻めるしかないのう。高い役は作れんじゃろうがな」

「そうね、でも和なら、『計算済です』って言うかもね」

「大星にはそうかもしれんけど、小走は正統派じゃけん、油断できんぞ」

「……」

(まこ、私が心配しているのは、小走やえではなく大星淡よ。だってこの子は、あの咲とガチンコ勝負をしたのよ、精神力は半端ないわ)

 久はルームJの点数を確認した。

(15000弱の点差……この和から跳満を上がるのは難しいと思うけど……)

 嫌な雰囲気になっていた。大星淡も、和の隙に気がついている可能性がある。

 

 七回戦 ルームJ これまでの経緯

  東一局    小走やえ 4000点(1000,2000)

  東二局    原村和  5200点(宇津木玉子)

  東三局    原村和  7800点(2600オール)

  東三局一本場 小走やえ 4000点(1000,2000)

 

 オーラス開始前の各持ち点

  原村和   35000点

  小走やえ  30400点

  大星淡   20400点

  宇津木玉子 11200点

 

 

 対局室 ルームJ

 

(凄い寄せ……菫ともテルーとも違う。ノドカは未来形で寄せてくる)

 ここまでの四局、大星淡は手も足も出なかった。愛宕洋榎とバトルで多用したW立直は、まるでなかったかのように潰されてしまった。そして、それ以後も聴牌が悪い待ちなってしまい、和了が遠ざかっていた。その理由の多くは、原村和の前半戦の打牌で必要な牌が“処理”されていたからだ。

(何て言ってたっけな……飽和状態?)

 いまだに意味が分からなかったが、それはこういうものなのだろうなと淡は思った。

 7巡目。手牌には刻子二つと対子が一つあった。勝つ為には跳満以上が必要なので、三暗刻を狙い、ドラを絡めることにした。

 原村和を見た。上級生の亦野誠子から聞いた、真っ白な顔の制御モードであった。淡は弱気になっていた。6回戦で愛宕洋榎に負けてしまい、緊張の糸が切れてしまったのだ。

 8巡目に赤ドラの【五索】を引いてきた。これで対子も二つになった。そして、あるイメージが淡の脳裏に浮かんだ。

(【一萬】……槓できるかもしれない)

 淡は思い出していた。自分はなんの為に闘っているのか? 宮永姉妹を対戦させない為だ。闘えばどちらかが再起不能になる。それは、淡にとって、何よりも我慢のできないことであった。

(そうだ……一回や二回負けたからって、弱気になっている場合じゃない! ノドカ! お前に負けるようなら、私はサキと闘う資格がなくなる。――だから勝つ!)

 自摸牌を確認する。それはイメージと一致した。

 

 

「カン」

 9巡目に大星淡が【一萬】を暗槓した。ひっくり返された槓ドラは【七筒】だった。

(【七筒】……)

 原村和の制御モードが解けていく、顔に赤みが増していく。

(ゲーム・ブレイカー……すべての計算がリセットされる)

 和の上がり牌は【五筒】【八筒】の両面待ちで、【八筒】は、小走やえと宇津木玉子が持っており、その出上がりを誘導していた。だがドラに変わった為、二人ともそれは切らないだろう。残りは山の中にある2種類合わせて3枚のみ。

(淡さん……なかなかの偶然ですね、あなたの槓は私の制御を崩しました。ここからは普通の勝負です。待ち牌は【五筒】【二索】のシャボ待ちのはず、残りは同じく3枚!)

「リーチ!」

 淡の立直、雰囲気が変わった。まるで咲と打っているようだ。そうだ、思い出した。ここにいる大星淡は、和の愛する宮永咲が認めた人物なのだ。

(運に頼らない……条件が同じならば、冷静なほうが勝利する)

 和は静かに牌を自模り、指でなぞる。違う、この牌ではない。和はそれを直接河に置いた。淡が笑っている。和と同じ動作を繰り返した。

(邪心を持っては駄目、確率は私を裏切らない……)

 数巡、二人は意地を張りあった。そして――

「ツモ……」

 大星淡に上がられた。恐らくは三暗刻、裏ドラを期待しているはずだ。

 しかし、淡の手牌は和の想像を超えていた。

(赤ドラ……2枚も……)

「門前、立直、三暗刻――」

 淡が裏ドラを確認する。乗らなかったが、跳満は既に確定していた。

「ドラ2、3000,6000」

 終局のブザーが鳴る。

 軽くため息をついて和も立ち上がった。もちろん後悔などしていない。だが教訓は残った。咲との対戦ではこんな展開は論外だ。だから、それを教えてくれた淡に感謝していた。

 礼を終えて淡のほうを向く、ひどく厳しい目で和を見ている。

「ノドカ……私と約束して!」

「約束ですか?」

「もし……もしも私がサキを倒せなかったら……あなたが必ず倒して」

「淡さん……」

「テルーと闘わせては駄目だよ」

「分かりました」

 和は淡から目を背けた。同じ約束は言えない。自分は咲と誓ったのだ。だれかを頼るわけにはいかない。

「いいよノドカ……言わなくてもいい」

「え?」

 淡の表情は変わらなかったが、声の質が優し気なものになった。

「あんたはサキに選ばれたんだから」

 和は無言で頷いた。

「悔しいけど……認めてあげる」

 淡が動きだした。和の隣をすれ違っていった。

「だから私との約束は必ず守ってよね」

 淡が背中で言った。そして、ドアを開けて出て行った。振り向いて見送っていた和は、向き直り目を閉じた。頭の中で友人の顔を思い浮かべていた。それは宮永咲でもなく片岡優希でもない。奈良の友人の高鴨穏乃であった。

(穏乃……咲さんは本当に不思議ですね。私と淡さんは、ほんの数分、咲さんについて話しただけなのに、もう仲良くなれました。私も、淡さんも、咲さんは大切な人です。でも、私たちは……咲さんを雀士として再起不能にしようとしている。こんな皮肉な運命もあるんですね。でもね穏乃、私も淡さんも、もう迷うことはやめました。だって、それはあの人が望んでいることなのですから)

 目を開けて和も歩き出す。ドアを開けて通路に出る。午前中最後の試合を控えた選手達であふれていた。和の次の試合はルームDで行われる。部屋に入る前にもう一度コンセントレイトする。

(私の個人戦の目的はただ一つ、咲さんを〈オロチ〉の連鎖から解放すること。その目的の為なら、私自身が再起不能になっても構わない)

 和は制御モードの使用頻度を上げようと思った。どのみち〈オロチ〉と闘う場合、全局で使用しなければならない。だから、今の内に、体に耐性を付けようと、和は考えたのだ。

 


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