決勝戦 テレビ中継 実況席
これから対局ステージ上で、決勝進出4校メンバー全員が集合しての顔合わせが実施される。午前中の5位決定戦でも行われていたが、早朝ということもあり、テレビ中継の規模は小さかった。しかし、これからは真の王者を決めるメインイベントだ。一気に規模は拡大され、全国ネットでの中継となる。実況解説は、視聴者人気投票によって福与恒子と小鍛冶健夜に決定されており、2人は実況席で選手の入場開始を待っていた。
「すこやん……今日はメイクが濃いね」
「寝不足で……目に下に隈ができちゃって」
「もー、アラフォーなんだから、気をつけてよね」
健夜は露骨に嫌な顔をしていた。
「アラサーだって何回言ったら分かるの? というか、この話題は中継中はNGだからね」
「えー、だってお約束になってるから、全国のファンが待ってるよ」
「……こーこちゃん」
「はい」
「こーこちゃんの目にも隈が出来るかもよ……私の拳で」
選手入場は成績の良かった高校が優先され、SIDE-AとBでは、Aが優先される。つまりは、阿知賀女子学院、臨海女子高校、白糸台高校、清澄高校の順番で入場する。実況席のモニターには、その4校の入場準備が完了している様子が映し出されていた。
恒子に放送開始5秒前が告げられた。
決勝会場 観覧席
パブリックビューイング会場の一角に、龍門渕高校、風越女子高校、敦賀学園の3校が、ほぼ横並びで座り放送開始を待っていた。これから決勝を戦う清澄高校は、自分達が負けた学校であり、自分達が自信をもって全国に送り出した学校であった。その顛末の最終章を見届ける為にここに来ていた。
そして、放送が開始された。
画面の中には、福与恒子と小鍛冶健夜がおり、それぞれの紹介を兼ねた対話から、中継が始まった。
『9日間のインターハイ団体戦も今日で最後、全国52校の頂点を決める決勝戦が、まもなく始まります』
『そうですね、頂に立ち歓喜を得られるのはたった5人です。その陰には、インターハイだけでも255人、地区大会を含めると万単位の悔し涙を流した少女たちがいます。しかし、その彼女達の存在があるからこそ、優勝者は価値を認められるのだと思います』
『小鍛冶プロも10年前は、その5人でしたよね?』
『ええ、まあ』
『その時は、どう思いましたか?』
『真っ先に思ったのは感謝でした。私達はそれまでの対戦相手すべてに、感謝していました』
『本当ですか? 小鍛冶プロ』
『……なにが言いたいのでしょうか?』
『いえいえ、特に深い意味はありません。ただ、敗者となった10代後半の少女達には、余りにも辛い試練かなと、思いまして。アラフォーの小鍛冶プロに聞くのもなんですが』
『一言多いよね、それに私アラサーだし! て、この話はNGだって言ったよー!』
『さあー! ファイナリストの入場だー!』
『……』
会場の巨大な画面に、対局室に向かって歩く阿知賀女子学院が映し出されていた。
『だれが予想した――SIDE-Aトップ通過! 悲願の決勝進出を10年越しで達成した、阿知賀女子学院の入場だー!』
『決勝戦のカギを握るのは、この阿知賀女子学院でしょうね』
『そういえば、その10年前に阿知賀女子の快進撃を止めたのは、小鍛冶プロでしたよね?』
『……まあ、そうですけど。その時のエース赤土さんは、現チームの監督を務めています。その指導のもと、奇跡的な勝利を積み重ねてきました』
『注目すべき選手はだれですか?』
『全員個性豊かですが、やはり高鴨選手でしょうか』
『あのジャージの子? やはりジャージ仲間としては注目せざるを得ないと』
『……と、ともかく。準決勝戦で白糸台の大星選手を封じたのは、まぐれではありません。阿知賀はいかにして高鴨選手に繋ぐかが、大きなポイントになります』
『常套手段の松実姉妹による先行逃げ切りは、通じなくなっているようですね』
『はい、対局データの蓄積によって、2人の特性はかなり明確になりましたので、苦戦すると思います。思い切った戦術の転換が必要でしょう』
カメラが臨海女子高校の歩く姿に切り替わった。
『続てはー! 決勝常連、臨海女子高校が入場してきたー!』
『いつ優勝してもおかしくない強豪校ですね、今年の留学生の中には、世界ランカーも含まれています。実力的には白糸台高校を上回っていると思います』
『ここ数年も、実力はナンバーワンの評価でしたが、いずれも2位で終わっています。今年優勝する為には、なにが必要でしょうか』
『昨年は白糸台高校の宮永照選手と、永水女子高校の神代小蒔選手に大きく削られたことが、敗因だったと思います。そういった突出している選手による失点を、少なく抑えられれば、総合力の高さで、優勝への道は開けるでしょう』
『そうなりますと、今、先頭を歩いている、辻垣内選手に期待がかかりますね』
『そうですね、正念場です。宮永照選手とは個人戦の因縁もあるでしょうから』
『準決勝で大活躍した、ネリー選手はいかがですか?」
『ネリー選手の爆発力は凄まじいと思います。ただ、今年の大将戦は、普通ではありませんから、実力を出せるかどうか……』
『普通じゃない? それはどういう意味ですか?』
『分かりません。いえ、予想できません』
『へ……?』
『……』
再びカメラが切り替わり、白糸台高校が進む姿が映し出された。
『本命の本命、大本命。単勝オッズ1.0! 3連覇を目指して出走開始! 白糸台高校の入場だー!』
『宮永照選手……これまでにない殺気ですね、まるで刀の切っ先のようです』
『やはり、史上初の3連覇に向けて、集中力を高めてきたということでしょうか?』
『……そうですね。白糸台高校は宮永照選手の作り出す、大量リードによって試合の主導権を握り、大将の大星選手で畳み掛けて勝利するという、必勝パターンがありました』
『でも、準決勝でそれは破られましたね?』
『はい、決勝では軌道修正してくると思います。ただ、それは想定外のものになるかもしれません』
『――小鍛冶プロ、今日は含みのある発言が多いですね?』
『そうですか?』
『ま、まあ、決勝戦最大のポイントは絶対王者 宮永照選手をいかに止めるかでしょうか?』
『いえ……最大のポイントは、もう一人の宮永選手です』
『え?』
画面では、清澄高校が対局室に向かって歩いていた。
『さあー! 10年前の小鍛冶プロを擁した土浦女子以来の、初出場初優勝の快挙は成るかー! 清澄高校の入場だ―!』
『なんという……』
『小鍛冶プロ?』
『まるで……魔王……」
『すこやん……』
『……』
『すこやん……あなた、笑っているわよ』
カメラが小鍛冶健夜の邪悪な笑顔に切り替わった。それは会場にどよめきを与えた。
画面は清澄高校の入場シーンに戻った。応援している長野3校も画面に映っている異物を目撃していた。――異物 宮永咲。その姿に、天江衣を除く12人は畏怖の念を抱き、青ざめていた。衣は健夜と同類の笑顔を浮かべ、嬉々としていた。
決勝戦 対局室
ステージの階段を上る途中で、大星淡はそれを感じていた。さながら寒冷地の冬のような冷気であった。淡はそれが、宮永咲から発せられていることを理解していた。
(サキが来ている……私の倒すべき相手)
先に上った宮永照が淡を見ていた。その目は振り返るなと言っていた。
(ゴメン、テルー。私、確かめなきゃ)
淡は振り返った。そこには階段を上り始めている咲がいた。そして、その目を淡は見てしまった。
(なんて目なの……まるで屏風に描かれた龍の目)
光の反射が全くなく、大きく見開かれた咲の目は、淡の網膜に焼き付いてしまった。淡は向き直り、瞼を閉じたが、咲の目は、いまだに目の前にあった。淡は、魔王の力に圧倒されつつあった。
高鴨穏乃は震えが止まらなかった。清澄高校は北家に先鋒から横一列に並んでいき、今、幼馴染の原村和が副将の位置についた。そして、全くの異質な存在がその隣に立とうとしている。
(まさか、ここまでとは……怪物すぎる)
対面のチャンピオン宮永照の威圧感も恐ろしいものであったが、宮永咲のそれは、生けるもの共通の絶対的恐怖〈死〉を意識させるものであった。
(自分を信じるんだ。気圧されては駄目だ。自分を、仲間を信じるんだ!)
穏乃は、自分にそう言い聞かせ、震えを無理やり止めた。そして、咲を睨みつけた。
魔王はゆっくりと穏乃を見た。その視線は穏乃の体を貫通していた。
(そう、この感覚。あの準決勝オーラスで感じた得体のしれない力)
ネリーは宮永咲が近くにいることが分かっていた。しかし、それをあえて無視していた。世の中には、見なければ良かったもの、知らなければ良かったものが多数有る。ネリーにとっての宮永咲は、そこに分類されていた。
(この空気……見たら絶対圧倒されてしまう。去年のメグと同じように……)
全校が所定の位置につき、運営の担当者が開会の言葉を、よく分からない早口の日本語で、だらだらと話していた。そしてそれも終わり、掛け声と共に全員で礼を行う。
――それは、一瞬の隙であった。
臨海女子大将 ネリーの位置からは、清澄高校のメンバーが邪魔をして、咲が見えないはずであった。しかし咲は、礼のタイミングをコンマ数秒遅らせていた。そして、その両目がネリーを捉えた。
「エシュマキ……」
ネリーは無意識にそう呟き、礼をせず、棒立ちになっていた。隣のメガン・ダヴァンに注意され、数秒遅れて頭を下げた。
(なんてやつだ……獲物の品定めでもしているつもりか。悪魔め! 見せてやる! 私の本気を!)
『エシュマキ』それはグルジア語で悪魔を意味していた。
予定されていた儀礼がすべて終わり、全校は特設ステージより退場となった。
原村和は、安堵の溜息をついていた。無事に顔合わせを終えることができてホッとしていたのだ。
(ひやひやものでした。咲さんのお姉さんと、そこの大将。穏乃と臨海のネリーさん。皆、咲さんに目の敵のような眼差しを向けていましたから)
和自身も、対局室に入ってからの咲には戸惑っていた。まさに、昨日本人が言っていた異質なものであったからだ。
(でも、咲さんは咲さんです。守りますよ私が)
「咲さん、下りますよ」
和は注意を促す為に咲を見た。
咲は和を見ていなかった。無表情に横を向いていた。その視線の先には、敵意を剥き出しにした大星淡がいた。
「サキ……」
「……」
「大将戦、楽しみにしてるよ。お前を叩き潰してやる!」
「……私も、楽しみです。再起不能にしてあげます。……大星淡さん」
咲は、アクセントがない口調で淡に言った。
淡の髪は逆立ち、咲に詰め寄ろうと踏み出したが、肩をだれかに掴まれて引き留められた。
「よせ、淡」
それは宮永照であった。照は淡に落ち着くように目配せをした。
――そして、宮永咲と向かい合った。
「咲……」
「お姉ちゃん……」
辺りがざわついた。4校全員が、まだステージ上に残っており、2人を固唾を飲んで見守っていた。
「大星さんに伝えておいて、私のことを」
「その必要はない」
突き放すような口調で、照は答えた。
「咲、お前は今日、ここには上がれない」
「そんなこと……」
「私を甘く見るなよ。昔とは違う」
「その言葉、そっくりお姉ちゃんに返すよ」
「分かっている……分かっているよ、咲」
照はそう言って、咲に背を向けた。
「だから……お前をここに上げない」
照は階段を下り始めた。それが合図になり、阿知賀、臨海女子のメンバーも下りていた。咲がまだ動かなかった為、清澄高校だけがステージ上に取り残された。
和は一人っ子なので、姉妹というものの本質がよく分からなかった。それゆえに仲睦まじき姉妹に羨望を持っていた。しかし、咲と照は、そんなものには程遠い、まるで敵同士のように見えた。
(咲さん……いったいお姉さんとなにがあったの?)
和は気を取り直し、咲を落ち着かせようと考えて声をかける。
「咲さん、戻りますよ」
咲が、和の大きな胸に倒れ込んできた。さすがに和は慌てた。それは全国中継されていたからだ。
「さ、咲さん」
咲を引き離そうと肩に手を置いた。
――咲は震えていた。そして和には、咲が泣いていることが分かった。
「和ちゃん……私、お姉ちゃんと話せたよ……」
それは和にしか聞こえないほど小さな声であった。
「今はいいの……憎まれても。でも、そのうち……」
(ああ、もう、この人は……)
和は咲を力いっぱい抱きしめた。
「大丈夫ですよ、いつも私が側にいますから。約束したじゃないですか」
和の両目からは、涙が滝のように流れていた。
「だから……だから、泣かないで下さい。咲さん」
咲は、和の胸の中で小さく頷いた。
決勝会場 観覧席
観覧席のどよめきが増していた。和と咲のハグもそうだが、宮永照と宮永咲の睨み合いが、いろいろな憶測を呼んでいた。
解説の小鍛冶健夜は、その話題に触れていた。
『「お姉ちゃん」て、言っていましたね』
『宮永咲選手が宮永照選手にですか? ……ちょっと言い辛いなこれ』
『それでは、咲ちゃん、照ちゃんではいかがですか?』
『TVなので、それはちょっと』
『……』
『確かに、2人にはそのような噂がありました。でも、本当に姉妹なのですか?』
『分かりません。だけど、よく似ています』
『似ている? 顔がですか?』
『ええ、顔もそうですが、何よりも雰囲気がそっくりです』
会場のどよめきはピークに達した。
試合会場通路
大星淡は、先程から何度も頭を振り、瞬きを頻りに繰り返していた。
「どうした淡、目にゴミでも入ったか?」
弘世菫は心配そうに聞いた。
「……どうしよう。サキの目が消えない……消えないの!」
淡はそう言って、両目を手で押さえた。
(……あの淡が……こんなに取り乱している)
菫は、淡を落ち着かせるべく近づいた。そこに宮永照が割り込んできた。
「落ち着いて」
「テルー……」
「そして、よく考えて、咲の目は見えている?」
淡は、目を閉じたり開いたりした。
「見える……目を閉じても追いかけてくる」
照は、パニックになっている淡を優しく抱きしめた。
「違う! 違うんだ淡」
「……」
「それは見えているんじゃない。お前が……覚えているだけだ」
菫は、照の目から涙がこぼれたのを見逃さなかった。
(宮永照が同僚の為に泣いている。そうか、これもお前の通って来た道なのか……)
「だったら勝たなきゃイカンよな!」
菫の考えは、言葉となり、口から発せられた。
「尭深! 誠子! そう思うだろう!」
2人は頷いた。
「見せてやる! 白糸台の恐ろしさを」