咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

30 / 66
10.人類最凶

 個人戦会場 連絡通路

 

 原村和は走っていた。既に試合が終わっている部屋もあり、通路には多数の選手が待機中で、駆け抜ける和を奇妙そうに見ていた。宮永咲になにかが起きている。和は気が急いて仕方がなかった。咲のいるルームHまでの距離がやけに長く感じられ、歩いてなどいられなかった。

(淡さん……)

 逆側から大星淡が走ってきている。

「ノドカ!」

 二人はルームHの前で止まった。その部屋では咲がまだ闘っているはずだった。

 淡がチラリと和を見て、心配そうに言う。

「何が起こったかは……分かってる」

「はい……」

 和にもそれは分かっていた。おそらく永水女子の神代小蒔によって、咲は〈オロチ〉化してしまった。だから和は、少しでも咲を落ち着かせたかったのだ。

 ドアが開いて宮永咲が出てくる。その顔は和の知っている〈オロチ〉の顔だ。

「咲さん!」

 その呼びかけが全く耳に入らないのか、咲は目を合わせずに通り過ぎていく。

「サキ!」

 淡はもっとアクティブだった。咲を力尽くで止めようと追いかけたが――淡はそれを途中でやめていた。

「……テルー」

 宮永照がこちらに向かってきている。咲が視界に入っているはずであったが、照は目を合わせない。そのまま、まるで気がつかなかったかのようにすれ違い、咲はどこかの部屋に消えていった。

 ――照が和達の前で止まる。

「今の咲は、なにも見えていないし、なにも聞こえていない。ただひたすら、対戦相手を探している……」

 和は驚いていた。咲の姉の宮永照には非常にクールな印象を持っていた。もちろん表情はイメージどおりなのだが、その声には何か暖かさが感じられた。

「宮永さん?」

 名前を呼ばれ、照の顔が動く。そこにはルームHから出てきた神代小蒔が立っていた。

「神代さん……」

「申し訳ございません。妹さんを……」

「いいえ、だれかがそうする必要がありましたので」

「そうですか……」

「ただ、気をつけてください。咲は必ずあなたを倒そうとします。それが〈オロチ〉のルールですから」

「〈オロチ〉……妹さんもそう言っていた」

 小蒔の表情に怯えの色が見えた。それは〈オロチ〉の恐ろしさを知ってしまった者特有の過剰な反応であった。

「ご忠告有難うございます。でも私は、始めてしまったことに、責任を持ちたいと思っています」

 霧島一族当主の名にたがわぬ、毅然とした態度であった。神代小蒔は、その怯えの色を一瞬で消し去り、宮永照に丁寧にお辞儀をして去っていった。

 照は微かに笑みを浮かべて見送っている。和は、その微笑みを見て思った。

(似ている……咲さんによく似ている)

「原村さん……淡……」

 照に呼ばれて、和は少しビクッとしてしまった。彼女の顔はクールな表情に戻っていた。

「二人の考えは分かっている……」

「……」

「だけどね、これは私達姉妹の問題だ。余計な手出しは無用にしてほしい」

 その気持ちはよく分かる。もしも自分が照の立場だったなら、やはり同じことを言ったかもしれない。だが、今の和には、それは受け入れられなかった。彼女たちに任せてしまうと、最悪の選択をしてしまう可能性が高いからだ。

「……嫌です」

「ノドカ……」

 大胆不敵に見える淡も、さすがに絶対王者と呼ばれる先輩には物怖じするようであった。けれど和は違う、大切な大切な咲に関わることなのだ言わずにはいられない。

「私は、照さんの考えは分かりません……でも咲さんの考えていることは分かります」

「……」

「咲さんは……一番良い終わり方を探しています。でも、それは、ほんの僅かな希望です。そして、それが叶わなかったら……」

「叶わなかったら?」

「照さんと共倒れになろうとしています。咲さんの心の中ではその比率が増しつつある」

 和の意見を予測していたのか、照の表情は変わらない。ただ、視線は和から逸らした。とはいえ、淡を見ているわけでもなく、どこかあらぬ方向を見つめていた。

「……原村さん、一番良いってどういうことだか分かる?」

「え?」

 突然の質問に和は戸惑っていた。

「より多くの人が良いと思うこと、私はそう考える。そうするとね、私達姉妹が消えてしまうのは、一番良いことなんだよ」

 そう言って宮永照は笑った。その笑顔は咲とよく似ているが、もっと包容力が豊かで、見ていると安心する魅力があった。

(ああ……そうなのね……。咲さん……あなたが追い求めているものは、この笑顔なのね)

「だからそれを否定はしない。けどね、原村さん、淡、信じてほしい……」

 その笑顔が少し哀し気になった。照は、和と淡に交互に目を合わせる。

「私も二人と同じだよ……。咲を……〈オロチ〉を、静かに終わりにしてあげたい。それは、嘘ではない」

 照は踵を返した。頭の回転が微妙に遅れ、その笑顔が残像として和の頭に残った。

(なおさらです……なおさら闘わせるわけにはいかない)

「淡さん……」

 和は隣にいる淡の意見を聞こうと目を向けた。その両頬の辺りで、何かがキラキラと輝いていた。

 淡の下瞼に溜まった大量の涙が、睫毛を伝わり、直接床に落ちる。その際に照明の光を反射して一瞬輝く。それが何度も繰り返されていた。

「テルーは……本当はね、サキが大好きなんだよ。だけど、いつも哀しそうに話すの……サキのことを……」

 気丈な淡の涙に、和の涙腺も崩壊しつつあったが、ここはグッと堪える。泣いてもなにも変わらない。自分は咲を守り、そして解放しなければならないのだから。

「だからです……だから、あの二人を対決させてはなりません」

 

 

 都内 タクシー車内

 

 タクシーの場合、普通上座は運転席の後ろを指すが、ウインダム・コールはあまりにも大きい為、助手席に座っている。ただ、“巨人”はそんなマナーなど気にも留めておらず、しきりに振り返って昼食の感想を西田順子に上機嫌で話していた。

「ワンダフルとしかいいようがない。あのテッパンで焼かれたワギュウの柔らかさといったら形容する言葉を思いつかない」

「喜んで頂けまして、なによりです……」

「スコヤ、私の心は既にディナーに移っている。何とかニシダとウエブチに同行願えないだろうか?」

 小鍛治健夜は困った顔になっていた。

「ミスター・コール、その前に、お仕事があるのではないですか?」

 我儘なイギリス人の取り扱いに慣れているのか、健夜は優しく進言した。

「そうだったね……私も少々興奮しすぎたようだ。だが、検討して欲しい。私へのインタビューは夕食を兼ねてはいかがかね?」

 “巨人”が強烈な笑顔で順子と久美子に提案していた。二人は笑う以外にできることがなかった。

 

 

 羽田空港から程近い場所の古びた15階建てのマンション。その前でタクシーは止まった。飛行機の発着音が引切り無しに聞こえていた。

「ここかね?」

 助手席から窮屈そうにウインダム・コールが降りた。

「はい、少々、お待ちください」

 西田順子は埴渕久美子と共にマンションのエントランスホールに入り、インターフォンを使い、宮永愛と話をしている。“巨人”と小鍛治健夜は、外でその成り行きをぼんやり見ている。

「スコヤ」

「はい」

「いろいろあるのだ……私一人で会っても良いかね?」

「色々あるのなら、仕方がありませんね」

 小鍛治健夜は笑いながら答えた。“巨人”も口の右側を上げている。

「ミスター・コール、愛さんが会うそうです」

 順子が笑顔で“巨人”を呼ぶ。中では久美子がロック解除された内ドアが閉まらないように押さえている。

「ありがとう、何号室だね?」

「え……605ですが……」

「ご苦労だった。ニシダ、スコヤと待っていたまえ。終わったら連絡する」

「……」

 “巨人”は内ドアを一人で通過してエレベーターの中に消えた。オートロックが作動し、もうだれも入ることはできなくなった。

「小鍛治プロ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫って……だれが? なにが?」

 順子の質問に、半ばあきれ顔で健夜が返事をした。

「……それもそうですね」

 スマートフォンのバイブレーションの音が聞こえた。それは健夜のものらしく、彼女は慌てて取り出している。

「久保さんですか?」

 記者らしい目敏さで、順子は発信者を確認していた。“久保貴子”という名前が見えた。

「はい、咲ちゃんが……」

「……宮永咲ですか?」

「ええ……彼女があの状態になりました」

 その場にいた3人の表情は二つに分かれた。順子と久美子は不安と怯えがまざり合った顔に、そして健夜は、期待と得体の知れない何かの入り混じった邪悪な笑顔になっていた。

 

 

 対局室 ルームN

 

 個人戦予選 第10回戦

  東家 水野夕子   岡山代表(3年生)

  南家 宮永咲    長野代表(1年生)

  西家 佐々野いちご 広島代表(3年生)

  北家 末原恭子   南大阪代表(3年生)

 

 

(ずいぶんと宮永妹には縁があるな。主将より先に私かいな)

 宮永咲とはこれで3度目の対戦となる。

 初戦、末原恭子は姉帯豊音や石戸霞の変則打ちに苦しみながらも、咲とは同等の勝負を繰り広げ、二回戦を突破した。しかし、試合終了後にそのカラクリを知った時のショックを忘れられない。咲は勝負をしていたのではなかったのだ。プラスマイナス0というゲームをしていただけだった。

 そして2回目の闘い、恭子は超早上がりを武器に、咲の弱点を攻めた。彼女の持つ癖から、その勝利パターンを察知し崩す。その手法で、緻密さが必要な咲の打ち筋を前半戦は封じることができた。だが咲は、その恐るべき応用力で、後半戦に巻き返しをしてきた。もちろんその対策はしてあり、止められる自信はあったが、突如能力解放したネリー・ヴィルサラーゼの三連続三倍満によって、それは結論の出ることなく終わってしまった。

(あのオーラス、お前の興味は私ではなくなった……お前をあの状態にしたネリーに移った。今もそうやろ、私なんか目に入っていない)

 しかし、それは疎外感ではなかった。恭子はよく自分を凡人と言っていたが、それは凡人だから弱いという意味ではない。凡人だからこそ、咲やその姉のような怪物に勝つには、英知を積み重ねなければならないという意味だ。そのスタンスでこれまで強敵を打倒してきた。今回だってそれに変わりはない、何しろ3度目なのだから。

(東風戦、こいつのパターンからすると、4局で終わるやろな。ドラ麻雀の火力戦や、2回上がったら勝ちが見えてくる。ここは取りに行くで)

 〈オロチ〉の分析は既に終わっている。親では決して上がらない。推測で58枚のドラ牌が見えている。その牌を面子にばら撒き手牌を探る。あるいは、そのドラ牌をエサに役を決めさせる。または――

(要はドラを操って好き放題するってことや。58枚、見えてない牌はその裏返し、ほぼ全部見えてると同んなじや……)

 恭子の手牌は七対子の二向聴、団体戦決勝で〈オロチ〉の支配を破った阿知賀女子学院の高鴨穏乃に倣い、咲の読みにくい手で勝負する。ドラが送り込まれるので、順子が多くあると役が筒抜けになる可能性があった。ならば七対子ではどうか? ドラ牌は限りがある。一人の相手に多くても4枚が精々なものだろう。だとしたら、3種の対子は咲が感知不能の可能性もあった。

「カン」

 5巡目、咲は無表情に【白】を暗槓した。恭子の心臓が凍り付く。咲の槓は本当に心臓に悪い、しかもこの状態なら一撃で勝負を決められる危険性だってある。

(早すぎる! 嶺上開花……)

 咲が嶺上牌を取り、ドラ表示牌をめくった。【一筒】であった。和了宣言はなく、咲は【八萬】を捨てた。

(なめんなや宮永! 私の手牌が見えているという意思表示か? だからなんやっちゅうねん)

 槓により増やされたドラ表示牌【一筒】と、最初から見えていた【二索】、恭子の手牌の中の対子には【二筒】【三索】があり、【五萬】の片方も赤ドラであった。もう三種類が咲に知られている。

 8巡目に恭子は聴牌した。立直はかけない。それは死を意味するからだ。立直をかけると咲に狙い撃ちにされる。あの大星淡の様に。

(【四筒】待ち、この牌がドラ牌だったら、私はピエロやな……恐ろしいやっちゃで、ドラ牌は10種類、そん中で私等が見えるのは1枚か2枚ぐらいやろ、全部分かってんのは宮永、お前だけや)

 9巡目の自摸牌に手を伸ばす。上がれるかもしれないし、ダメかもしれない。まだまだデータが足りない。団体大将戦の16局だけでは、この咲の特性は見定められない。

(きたか……)

 盲牌によって上りは確定された。だが恭子は直ぐに上り宣言をせずに、自摸牌を手牌の横に置いた。咲を見る。これまでの対戦時とは異なり、まったく表情がない、その鈍く光る眼で恭子を見ている。

(上がらせてやるってか? ええやろ、上がったる)

「ツモ、門前、七対子、ドラ5。4000,8000」

 

 

(何ちゅう火力じゃ、七対子でドラ5なんて普通じゃない。やっぱりこの子の仕業かいのう)

 東二局が始まった。佐々野いちごは、親の宮永咲を見て考える。

(この局は、高めを狙うていかにゃあならん)

 いちごは団体戦敗退の戦犯として評価されていた。役満に振り込んで前半の大リードを台無しにしてしまったのだから、その評価は正しい。だから、この個人戦で汚名返上を目指していた。

 配牌が終了した。自風牌の【南】が対子である。しかもその牌はドラであった。明かに仕組まれている牌だ。

(4局勝負じゃ……上がれるチャンスは逃したらあかんけえのう)

 アイドル的な扱いをされているいちごではあったが、その実績には文句のつけようがなかった。一年生から鹿老渡高校の主力として活躍し、その打ち筋は多少ムラがあるものの堅実かつダイナミックと言えた。

 6巡目に末原恭子が【南】を捨てた。彼女はドラ牌を持ち続けることに拒絶感があるようだ。宮永咲が自分にドラを集めているのは承知の上での打牌、まるで何かを確認しているようであった。

(姫松の参謀、末原恭子……探っとるなぁ、宮永か、それとも私か?)

「ポン」

 これでドラ3。次は自分の親番なので、その失点に耐えきる得点が求められた。

 ――次巡、いちごの自摸番、引いてきた牌は【南】。

(宮永……これを加槓せえちゅうことか……)

「カン」

 当惑しながらもいちごは自摸牌の【南】を晒してあるものにくっつけた。そして打牌後にドラ牌を開いた。

(これが……“魔王”の支配力……)

 持っている順子にドラが乗った。これでドラ5、上がれば跳満が確定した。いちごは、なぜ宮永咲が“魔王”と呼ばれているのかを理解した。逃れられないのだ。行き着く先が地獄であると分かっていても、そのレールから外れることができない。なぜならば、“魔王”は、その恐怖により、いちごのすべてを支配しているからだ。

 

 

 東二局は、佐々野いちごの跳満和了にて終了した。末原恭子はその結果に顔をしかめた。いちごも水野裕子も、宮永咲の提示したルールを完全に受け入れてしまっている。配牌時にドラがある程度手牌の中にあれば上がれるのではないかと思い、“魔王”に許可される。そこで、そのルールが定着してしまう。しかも、これは自分も含めてではあるが、親で上がれないというのは、もはや大前提になってしまっている。

(次の局、もし水野が上がったら、宮永のシナリオが完成してしまう。最後にあのドラ8で自摸ったらえんやからな)

 前回までの対決では、咲の嶺上開花はここまでの打撃力は持っていなかった。何度か上がられる腹積もりでいても、その後の展開によっては立て直せた。しかし、この状態のそれは、対戦相手に致命傷を与える恐るべき武器なのだ。

(準決のあれは通じない……防ぐことはできない。ならば……攻撃しかない)

 東三局 9巡目、恭子の手は開始時の二向聴から一向聴へは進んだが、そこで足踏みをしていた。

「チー」

 咲が夕子の捨てた【九索】を鳴いた。三色や混全帯么九を狙っている風でもないので、無意味な鳴きに見えた。考えられるのは、夕子が既に聴牌していて、その当たり牌への誘導だ。咲の捨て牌は赤い【五萬】、恭子はそれをポンすると断公九ドラ1で聴牌できる。ただ、それは咲からの夕子の和了に一役買えというメッセージだろう。恭子は迷っていた。次は親番なので上がれない、だからこの局を取らなければ恭子は苦しくなる。咲はそれも見透かしているのかもしれなかった。

(確認するしかないか……)

「ポン」

(水野が上ってもしゃーない。けどな……これでお前の支配の限界が見える)

「ツモ、門前、断公九、一盃口、ドラ3。3000,6000です」

 水野夕子が牌を倒して和了を宣言した。恭子は軽い溜息をつく。ここが正念場だった。咲の持ち点は12000点。彼女は、必勝パターンである嶺上開花ドラ8を狙ってくる。恭子が勝つには、それを止めるしかないのだ。困難を極める抵抗ではあるが、やる以外にはない。

(嶺上開花……普通なら気にもかけない役やのにな。お前はそれを当然のように上がる。しかも、この状態では、8匹の龍がそれに従う。なぜや……なぜお前はそんな力を持っとるんや)

 東四局、恭子はサイコロを回し、配牌を始めた。

 それを行いながら、恭子は監督代行の赤阪郁乃との会話を思い出していた。『“見えない恐怖”の正体を知ることになる』彼女はそう言った。そうだ、郁乃は“正体”と言ったのだ。“なにか”ではなく“正体”と、それが気にかかっていた。

 配牌が終了した。その結果を見て、恭子は郁乃の言っていることが分かりかけてきた。

「……なに」

 恭子は小さな声でそうつぶやいてしまった。それが聞こえたのか、いちごと目が合った。彼女にも同じことが起きているようで、顔が青ざめていた。恭子が開いたドラ表示牌は【六筒】で、そのドラ牌は咲が槓材で持っていなければならなかった。だが、今【七筒】は恭子の手配の中に順子として存在していた。

(なんでや……ドラ8やないのか?)

 恭子はうろたえていた。底が見えたと思ったら、まだ底がある。恭子にとっての宮永咲はそういう相手であった。この展開にどんな意味があるのか? それが分からなかった。

 ――その答えを咲は、僅か7巡目で示した。

「カン」

 咲が4枚並び替えて倒した牌は【四索】でドラ牌ではなかった。しかし、追加で裏返された槓ドラ表示牌は【三索】、まるでそれが分かっていたかの振る舞いだ。そして咲は嶺上牌を取る。

「ツモ、門前、嶺上開花、ドラ4。3000,6000」

 恭子は動揺が隠せなかった。想定外、実に想定外だった。この東四局、宮永咲が狙っていたものは勝利ではなかったのだ。

(南入……お前はそれを……やろうとしていたのか!)

 

 

 中部・近畿エリア待機室 姫松高校

 

 待機室の大型モニターにはルームNの得点が表示されており、それを見ている者にざわめきを発生させていた。

 

 対局室 ルームN 東四局終了時の得点

  末原恭子   29000点

  佐々野いちご 24000点

  宮永咲    24000点

  水野夕子   23000点

 

 そして、映像はルームNではなく、実況席に切り替わった。三尋木咏が口を開けて固まっていた。固有アイテムである扇子は持っていない。

「三尋木プロ……扇子が落ちましたけど」

 実況の針生えりが覗き込むように言った。咏は慌ててそれを拾った。

「あ……ありえねー」

「今日初めての南入ですね」

「忘れていたよ……この子、団体戦の半荘は全部8局で終わらせていたよね」

「はい……だからこの東風戦は4局かと思っていました」

 咏は、拾った扇子で開いたり閉じたりを繰り返している。

「意味があるんだよ、何かね……」

「で、でも、南入はサドンデスルールでは?」

「つまんねーから私が変えた……サドンデスだとラッキーパンチ一発で決まるからねぃ。ルール表にも書いてあるよ」

「南入イコール半荘戦ですか? まさか……咲選手は残り10試合すべてを……」

 扇子を閉じて、ピシッとテーブルを叩き、少し怒り気味に咏は言った。

「だからありえねーんだよ。……あの人が惚れ込むのも分かるねぃ」

「あ、あの人とは?」

「それは、個人情報につきお答えできませぬ」

「……」

 

 

「代行……代行はだれか知っていますか?」

「小鍛治プロやねえ」

 上重漫の質問に、監督代行の赤阪郁乃はなんの躊躇いもなく答えた。

「そんなのできっこない! 残り全部南入だなんて、お姉ちゃんがさせへんで!」

「絹ちゃん、残りで洋榎ちゃんと妹ちゃんが当たるとは限らないのよー。それよりも今は恭子ちゃんが問題なのよー」

 画面がルームNに戻った。映し出されている末原恭子の顔は、2回戦の大将戦同様に苦悩に満ちていた。団体戦メンバーの3人は、それを確かめてから郁乃を見ている。答えが欲しいのだ。ここからどうした良いのか、その答えが欲しいのだ。

「末原ちゃんが言ってた“見えない恐怖”って覚えとる?」

「……はい」

「実はな、それはちゃうねん」

「ちゃうんですか?」

 また妙なことを言いだしたと思い、皆、郁乃に白い目を向けていた。

「そうや」

 郁乃はいたって真面目であった。そして、聞こえるはずのない末原恭子に語りかけていた。

「末原ちゃん……怖がったらアカンで、それはな、とっくに見えとったんや」

 

 

 都内マンション 605号室

 

 古いとは言っても、元は高級マンションであったらしく、室内の作りは豪華さがあった。柱のない20畳ほどの大きなダイニングルーム。その中央に置かれた応接セットに、宮永愛とウインダム・コールが向かい合って座っていた。最も、“巨人”はその名が表すように規格外の大きさの為、ほぼ体育座りになっていた。

 宮永姉妹の母親の愛は40代で若干老けて見える。ほぼ日本人と言っても良い容姿ではあるが、鼻から顎のラインが、やはりハーフの特徴が出ていた。感情を抑えたその表情は姉の照にそっくりであった。

「英語で通じたと記憶しているが?」

「一度しか会っていないのに、よく覚えていましたね」

「一度で十分ですよ、ミセス・愛。お母様はお元気ですか?」

「あなたは緻密な情報網を持っていると聞いています。テレサがどうなったかはご存じなのでは?」

 睨みつけるように愛が質問した。“巨人”は形式的な謝辞を述べた。

「失礼した。施設に居られるのだったかな?」

「自殺癖がありますから……母はあなたに完全敗北してから、もぬけの殻になってしまった。だから私は長野の家に引き取ったのですが……」

「ご苦労されたようですね」

「……」

 意外な労いに、愛は言葉に詰まっていた。“巨人”は彼女が落ち着くのを見計らい、静かに言った。

「テレサ・アークダンテは倒さなければならない存在だった。私は脅威となっていたダンテズ・シーオレム(ダンテの定理)を完膚なきまでに潰しておきたかった」

「完全に潰したとお思いで?」

 愛の口調がトゲのあるものに変わった。“巨人”は僅かに眉を上げた。

「それがあの言葉の意味かね?」

「あの言葉とは?」

「あの非公式試合の後、テレサ・アークダンテを抱えながら、あなたはこう言った『ウインダム・コール、お前を必ず倒す』とね」

「当然の権利を言っただけ、私は母からそれを受け継いでいるのだから」

 “巨人”はテーブルに置かれた紅茶を飲んだ。高さが合わないのでソーサを持ち上げていた。無礼を詫びるように愛に礼をする。

「今日、娘さん達を見させてもらった。権利の請願は彼女たちが行うのかな?」

「権利の請願……イギリス人らしい笑えないユーモアですね。いいでしょう、権利の請願。あの子達はその為に私が作り上げたマシーンです」

 “巨人”は笑っている。皮肉の応酬が楽しくて仕方がないらしかった。

「私はスコヤとある約束をしている」

「スコヤ……? 小鍛治健夜?」

「そうです。スコヤは宮永姉妹を育てる為に3年の猶予をくれと言うので、私はそれを受け入れた」

「育てる? 照を? 咲を?」

 紅茶を飲み干し、テーブルに音もなく置いた。そして、愛に目を合わせる。

「あなたは良い仕事をした。あの子たちは私を脅かす存在になるだろう。だから本音で言えば、個人戦終了後に対戦を持ちかけて潰してしまいたい」

「ウインダム・コール……」

 愛が憎しみを込めてつぶやく、当然だろう“巨人”は過去だけならず未来をも宮永愛から奪おうとしているのだ。

「しかし、私は紳士だからね、約束は守るよ。だがね、ただ手をこまねいてみているわけにはいかない」

 “巨人”は飴と鞭を使い分ける。愛は、その取引に応じるしかなかった。

「私の質問に答えてもらうよ、ミセス・愛。拒否は約束の反故と受け取る。その結果は解ると思うが?」

「……分かりました。話せることは話します」

 オホンと“巨人”は咳ばらいをして、顔を優しいものに変化させた。

「ダンテズ・シーオレムを伝えたのはテルだけかね?」

「……そう。ただ、そのままではない」

「それはそうだろうね、そのままなら結果は同じだ」

「照は、あなたを倒せますよ」

「なぜ分かる?」

「あなたのコピーを何度も倒したからです」

「サキかね?」

「ええ」

 “巨人”は鼻から大きく息を吐いて、説得するように愛に話した。

「ミセス・愛、分かっているはずだよ。サキのコピーは条件が特殊すぎる。プラスマイナス0の為だけでは、私には遠く及ばない」

「あなたは自分の弱点が分かっていない」

「無論だ。弱点などないからね」

「では、質問させてもらいます。勝とうとする意志と負けまいとする意志、どちらに優位性がありますか?」

「ふむ……それが弱点だとでも?」

 僅かに考えて“巨人”は不満気に答えた。

「私は母親としては最低だと思っている。自分の娘に優劣をつけて育てた。咲は照のスキルアップの道具、あくまでもあなたを倒すのは宮永照であるはずだった」

「……」

「先程の答えです……だから私は、照には“絶対に勝て”と、咲には“絶対に負けるな”と言い聞かせていた」

「勝とうとする意志のほうが強いということか?」

「そうです。でも、咲の負けまいとする意志は、恐るべき怪物を生み出してしまった……」

「スコヤから聞いている。まだ見ていないがね」

「だったら、すぐにでも会場に戻ったほうがいい。そして、あなたは自分の弱点を知ることになる」

「……」

 宮永愛は笑っていた。それは、自分の作り上げたものへの確固たる自信と後悔が混ざり合った複雑な笑いに見えた。ただ、巨大な宿敵を前にしてもそれができるのは、彼女の執念であるとしかいいようがなかった。

 

 

 対局室 ルームN

 

 末原恭子は、これまでも強敵にぶつかり、叩きのめされたことが多数あった。しかし、その都度相手を分析し、再戦ではそれを打倒してきた。自分の最大の利点である超早上がりを駆使してだ。ただ、この宮永咲は、唯一再戦で打倒しきれなかった相手だ。咲に目を向ける。その顔は姉の照以上に無表情で、目は生命力が感じられなかった。恭子は圧倒されかけていた。一度大きく目をつぶって、意識をリセットする。そして、自分の個人戦の出場意義とはなにか思い出す。一つは、主将である愛宕洋榎のサポート、もう一つは、宮永咲へのリベンジだ。

(8局縛りがあるんなら、宮永は自摸和了しかでけへん、ドラ8やったら相手を飛ばしてまうからな。ここは積極的に攻めてもええはずや)

 南一局、ドラ表示牌は【三萬】で、そのドラ牌はまだ一枚も見えていない。多分咲が持っている。嶺上開花ドラ8。最低でも16000点で、何かが絡むと24000点になってしまう。上がられるとほぼチェックメイトだ。

(偶然か……それとも意図的か? 私だけ三倍満をロンしてもええようにしてある。なんともいやらしいな。お前の邪悪さがよう分かるわ)

「チー」

 7巡目、佐々野いちごの切った【七索】を副露した。これで断公九を聴牌、恭子は平常心を取り戻そうと考えていた。過度の警戒は咲の思う壺――

 

 ――『“見えない恐怖”の正体を知ることになる』。突如、頭の中に赤阪郁乃の言葉が去来した。

 

(…………そうか……そういうことか)

 郁乃の言った『“見えない恐怖”の正体』、恭子は、それを掴んでしまった。

「カン」

 目の前では、咲が【四萬】を暗槓していた。もはや結果は歴然としている。彼女は嶺上開花ドラ8で上がるはずだ。

「ツモ、門前、断公九、嶺上開花、ドラ8。6000,12000」

 恭子はそれを、TV中継を見るかのように漠然と見つめていた。

(そうや……あの準決で宮永との決着が有耶無耶になった時、私は……安堵していた)

 見えなかったのではなかった。見たくなかったのだ。その恐怖はとっくに見えていた。決して勝てない存在がいる。その明確な答えを、頑なに拒否し続けていた。恭子は、それをはっきりと認識した。

(善野監督……代行……私は……だれよりも弱かったんですね)

 試合は継続されているが、恭子の心は虚ろで、もはや勝ち負けの感覚が喪失していた。

 ――ブザーが鳴っている。どうやら試合が終わったようだ。室内のモニターにはその結果が表示されている。

 

 対局室 ルームN 試合結果

  宮永咲    47000点

  佐々野いちご 23000点

  末原恭子   18000点

  水野夕子   12000点

 

 完敗であった。点差の問題ではなく、気持ちの面で完全に負けていた。しかし、末原恭子は、それに押しつぶされてしまう軟弱者ではなかった。

(認める……お前には勝てんかもしれん。だけどな、お前の妨害は可能や……)

 四人で立ち上がり終礼を実施する。宮永咲が感情なく「ありがとうございました」と言って去っていく。恭子はそれを目で追いながら、個人戦の意義を回想していた。

(宮永……明日も当たるとええなあ、そん時は、どんな手使ってでも、お前をトップから引きずり降ろしたる)

 自分の弱さを知る。それは善野一美から教わった。そして、それに正面から向き合う。赤阪郁乃から教えられた。恭子は二人に感謝していた。まだだ、まだ闘える。たとえ勝てないにしても、愛宕洋榎の為の闘いは無意味ではない。

 

 

 奈良県 阿知賀 鷺森レーンズ

 

 高鴨穏乃と新子憧は、赤土晴絵によって再度休憩室に押し込まれていた。今度は宮永咲を観察しろとのことであった。二人にとって、咲は掛け替えのない友人であり、倒さなければならない敵でもあった。今テレビ画面に映し出されている咲は、その倒さなければならない〈オロチ〉の状態であった。

「に、二連続南入……シズ、これって、意味があるの? 必ず8局で終わらなきゃ〈オロチ〉を維持できないとか?」

 憧が心なしか震える声で質問してきた。穏乃にはその答えは分からなかったが、咲の状態には違和感を覚えていた。

(こんなにギラギラしていたかな? もっと冷たく触ると凍死してしまいそうな怖さだったような)

 とは言っても、その答えも不明であった。ただ、穏乃は死闘を繰り広げた経験により、感覚的な答えは出せていた。

「違うよ……咲さんは何かを狙っている」

「何かって何?」

「なんだろう……」

「……」

 煮えきらない答えに、憧があ然としている。

 その側にあるドアが勢いよく開けられ、赤土晴絵が入ってきた。

「シズ、憧、すぐ家に戻って準備して」

「……はあ」

 準備しろと言われても、何の準備かはっきりしないので、二人はそう反応するしかなかった。晴絵は答える代わりに、テーブルに新幹線の切符と宿泊チケットを置いた。

「これって……」

「学校に掛け合ってきた。二人はまた東京に行ってもらう。個人戦をリアルに見届けてほしいからね。宿は前回と同じだ。二泊分取ってある」

「は、晴絵……この新幹線の時間……ギリギリ過ぎる」

 憧が言った。切符の発車時刻は京都発17時28分と書いてある。現在に時刻は14時32分、まさにギリギリの勝負、阿知賀は公共交通機関へのアクセスが不便なのだ。

「……二人共、30分で準備してくれ……私が京都まで送るから」

 晴絵の表情は固まっていた。ロボットのように話し、ロボットのように突っ立っていた。穏乃たちは、それを無視して家路を急いだ。

 

 

 インターハイ個人戦予選 実況席

 

 その異常事態に、針生えりと三尋木咏は中継の音声を止めて話をしていた。現在、ルームFでは宮永咲が、三連続南入を決めていた。咏はそれを見て苦々しく言った。

「まずいねぃ、このままだと、また午前様だよ」

「どうしますか?」

「サドンデスルールに戻すしかないねぃ、ちょいと委員長と話してくる。宮永の次の試合はちょっと止めるからね。本人にも確認しないと不公平だしねぃ」

「三尋木プロが映ったら実況してもいいですか?」

 えりが意地悪く言った。咏はにやりと笑い、それに答える。

「いいよ、ただ、『天使降臨です!』って言ってね」

「……」

 

 

 中部・近畿エリア待機室 清澄高校

 

「何ちゅうやっちゃ。南入三連発ですべて40000点越え勝利、身内とはいえ、怖あなるのう」

「ええ……」

 染谷まこのいうとおりだった。南入など計算してできるわけがない、しかし、宮永咲はそれを普通に行っている。では、なんの為か? 竹井久には想像もできなかった。だからこそ、まこのいうように咲を恐れてしまう。

 咲の13回戦の部屋が表示される。ルームG、彼女たちは大幅に遅れているので、部屋は判明していたが、同室者は参加人数が多いので不明だった。

 

 個人戦予選 第13回戦 ルームG

  東家 鶴田姫子   福岡代表(2年生)

  南家 宮永咲    長野代表(1年生)

  西家 岩田道子   滋賀代表(3年生)

  北家 松丸聖    千葉代表(3年生)

 

「リザベーションだじぇ!」

 片岡優希が楽しそうにしている。確かに、無敵のリザベーションと咲との対決は見物であると言えたが――

「……鶴田姫子」

「どないしたん……部長」

 まこが心配そうに見ている。それはそうだろう。自分は今、ひどい顔になっているはずだから。久は気がついたのだ。なぜ、咲が南入を繰り返していたかを。

「咲……あなた……」

 会場の大型モニターから、針生えりが実況を再開したらしく、声が聞こえていた。

『ただ今、ルームGでは大会ルール作成委員でもある三尋木咏プロと宮永咲選手の話し合いが行われております。連続の南入により咲選手の試合に遅延が発生しておりますので、その確認と思われます』

 なにを話しているかは分からないが、咲は何度も頷いていた。咏はしつこく何度も確認し、その場を立ち去った。

『試合が開始されます』

 ルームGの試合開始のブザーが鳴った。

 久の心にあの罪悪感が再来していた。自分はこの凶悪な咲を、世に解き放ってしまったのだ。

 

 

 インターハイ個人戦予選 実況席

 

「ただいま……」

 内輪の話になるので、再び中継の音声を止めている。

「どうでしたか?」

「ルールはそのままだよ」

「え……」

 三尋木咏が解説席にどかっと座り、扇子で手遊びしている。

「もう必要がないんで南入しないってあの子が言うんだよ」

「なぜですか?」

「わかんねー」

「……」

 実況再開のサインが針生えりに示された。

「三尋木プロ、始めますよ」

「あいよ」

 なにか納得していない咏を横目に、えりが実況を始める。

「これは注目の対決となりました。プロでも敗れないリザベーションを使う鶴田選手と咲選手が同室となりました。三尋木プロ、本当にプロでもあの技は敗れないのでしょうか?」

「まあ、チートプレイヤーだからねぃ。個人戦では改良してきたね。前の試合の白水哩選手の結果が反映される」

「前の試合の結果と言いますと……」

 えりの手元にアシスタントからデータが届けられる。

「東一局に2翻役を、東四局に満貫を上がっています。これは――」

 カタンと何かが落ちた音が聞こえた。えりがその方向を見ると、咏がまた扇子を落としていた。

「三尋木プロ……」

「えりりん……白水哩は……今何試合目?」

「え? し、白水選手ですか」

 アシスタントが慌ててメモ紙をえりに渡す。

「白水選手も遅れていたようで、たった今、13回戦が終わりました」

「……最凶だよ」

「最強ですか?」

「彼女は……宮永咲は人類最凶……」

「三尋木プロ……?」

 咏が震える手で扇子を拾い、目だけを動かしてえりを見ている。

「これが南入していた理由だよ」

「よ、よく分かりませんが……」

「さっきえりりんが言った白水哩の結果は、12回戦の話だろう?」

「!」

「そうだよ……切られたのさ。リザベーションは宮永咲の南入によって破られた」

 

 

 対局室 ルームG

 

(切れた……部長との繋がりが……切れた)

 鶴田姫子が持っていたはずの東一局満貫キー、それが、跡形もなく消えてしまった。そのわけも分かっていた。リザベーション・ディレイのシステムが壊されたからだ。宮永咲は執拗に南入を繰り返していた。それにより、咲との対局者は他よりも遅れてしまうのだ。それを利用された。リザベーションの効果は前後の試合に限られる。姫子と白水哩は2試合分離されてしまっていた。

 姫子の手牌は満貫を上がるべく一向聴まではスムーズにことが運んでいた。だが、つながりが切れてからは無駄自摸が連続していた。

(やばか、このまま宮永に大き目上がられたら、取り返しがつかん)

 姫子は焦っていた。この局、ドラが見えていない。だれが持っているかは想像がつく。となると、最悪の結果しか考えられない。

 10巡目、咲の目が鈍く光った。

「カン」

 ドラがいきなり4枚も見えた。そしてそれは槓ドラによって倍数になる。咲は嶺上牌を取り、表にして置いた。

「ツモ、門前、混一色、南、ドラ8。8000,16000」

 数え役満、親かぶりの16000点の失点だ。リザベーションが切れた今、それはほとんど挽回不可能と言えた。しかし、姫子の闘志は萎えていない。顔を上げ、真正面から咲を睨みつけた。

(宮永咲! 勝ったて思うな! 明日や、明日もう一度や!)

 

 

 中国・四国・九州・沖縄エリア待機室 新道寺女子高校

 

(そうです。姫子、いい顔していますよ。今日は負けてもいい、だから自分だけの力で、その怪物に立ち向かってください。部長を頼りにしたり、泣き言を言ったりしたら、私が許しませんよ)

 東二局、姫子が満貫を取り返す。花田煌は笑顔で報告する。見れば分かるのでその必要はなかったが、煌は声に出して言いたかった。

「監督、姫子が満貫で上がりました」

「そうやなあえ、こりゃあこれで良かったんかもしれんね」

「はい、すばらです」

 比与森楓は煌の個性的な話し方に思わず笑ってしまっていた。だが、直ぐに表情を引き締める。

「そいばってんね、姫子はこう思うとーじゃろうね。明日ならリザベーションは破れん、だけんそれで宮永咲ば倒すとね」

「私もそう思います」

「花田……」

 煌は画面に顔を戻して、独り言のように言った。

「でも、この宮永さんと、普通の状態で闘えたことは、姫子の大きな財産になります。羨ましい、姫子はきっと強くなります」

 終局のブザーが鳴っている。姫子は満貫で一矢報いたが、最初の役満が響いていた。

 

 ルームG 試合結果

  宮永咲  61000点

  鶴田姫子 15000点

  岩田道子 12000点

  松丸聖  12000点

 

(あと7戦ですよ姫子。完敗ですから悔しいのは当たり前です。だから次を勝てばいい、そしてその次も、さらにその次も。必ず、予選を突破してください。それが、あなたの為ですから)

 

 

 試合会場 VIPルーム

 

 小鍛治健夜と“巨人”ウインダム・コールは、この部屋に戻ってきていた。時刻は既に17時を回っている。個人戦予選も終盤に差しかかっていた。大体の選手は19回戦を闘っている。しかし、宮永咲は17回戦を、運悪く咲と同室になった選手達は18回戦を闘っていた。

 先程からウインダム・コールは画面を見つめ声を発しない。咲の闘いをじっくりと見ている。

「……スコヤ」

「はい」

「私は、人間を怖いと思ったことはない。ただね、人間の想いは、時々怖くなる」

「私もそうです」

 “巨人”が笑う。それは健夜だけに見せる特別な笑いだ。

「条件を変更してほしい」

「……」

「このアークダンテの亡霊達は、場合によってはスコヤ以上の強敵になる」

「……それで?」

「スコヤが二人を育てるのを待つ。いいだろう。そして私と対戦する。それもいいだろう」

 “巨人”は笑顔のままであったが、微かに陰が生まれていた。それが何であるかは、本人にも、健夜にも分からなかった。

「私は対価が欲しいのだ。私だっていずれは負ける時がくる。ただ、それはソフトランディングだと想定している」

「老いですか?」

「そうだ、老いてよぼよぼになり、静かに身を引く」

 “巨人”が老人の真似をしてみせる。健夜は楽しそうに笑った。

「ありえない話ではあるが、仮に私が宮永姉妹に敗北したら、それはハードランディングだよ」

「……」

「私が勝ったら、あなたは私の妻になる……それが追加条件だ」

 健夜は僅かに顔を赤らめたが、表情は変わらない。“巨人”に立ち向かう闘士の顔だ。

「いいでしょう……私達は負けませんから」

「ベストな選択だ。あなたは、勝っても負けても欲するものを手に入れられる」

「……ニュー・オーダー」

 “巨人”が顔を画面に戻す。

「まずは、この危機を脱してからだ。サキは普通の状態ではない」

「ええ……」

 

 

 一般観覧席 特別室

 

「宮永咲は止められなかったようだな」

 藤田靖子が腕組みをしながら言った。

「宮永は……“オモイカネ”に入り込まれた人間の典型的なパターンを進んでいる」

「……パターン?」

「レシーバーは姫様から離れると、独自に活動する。埋め込まれた者の考えや決断に常に疑問を投げかける。そして、埋め込まれた者は、それを振り払う為に攻撃的になるのです」

「この宮永もそうだというのか?」

「ええ……自滅への道を歩んでいます」

 戒能良子は自分の一族の力に絶対的な自信があるのだろう。靖子はそれに少し干渉してみようと考えた。

「私にはそうは見えない。神代小蒔は後半宮永咲に圧倒されていた」

「私達一族がなぜ千年以上も続いていると思いますか?」

「利用価値があったんだろうな」

「正解です。今はそんなことはありませんが、過去には血生臭い話も多数ありました」

 良子がこちらを向いた。その笑顔は非情としか言えなかった。

「“オモイカネ”を破った者はいません。皆、例外なく自滅しています」

 画面では宮永咲がまた役満を上がっていた。なるほど、良子のいうように攻撃的すぎる。ただ、それが自滅への道かどうかは、靖子には分からなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。