咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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13.終わりの始まり

 羽田空港 国際線旅客ターミナル VIPルームラウンジ 早朝

 

 “巨人”ウィンダム・コールは、同伴した小鍛治健夜と貴賓室でロンドン行の飛行機の搭乗手続き開始を待っていた。

 外部の騒音から遮断され、落着きのある調度品でコーディネートされたこの部屋は、だれでも使用できるわけではなく、航空会社が決めた人物しか使えない。麻雀おける世界の頂点であるウィンダム・コールは、まさにVIPにふさわしい人物であり、その資格には文句のつけようがなかった。

「ずいぶんと急ですね?」

 サイズの合わないチェアに座っている“巨人”に健夜が話しかける。

「すまない。こう見えても私は忙しいのだよ」

「そう見えますけど?」

 “巨人”が笑う。そして手に持っていた紅茶を口に含み、驚いたように言った。

「フォートナムか……」

「え?」

「紅茶の銘柄だよ。私がイギリス人と知っての気配りかな? 日本人の勤勉さには感心するね」

「私にはおいしい紅茶としか思えませんでしたが?」

「正常だよ。私だってグリーンティーは区別がつかない」

 吐き出される息と、僅かな表情の変化のみのゆったりとした笑い、2人はそれを楽しんでいた。

「スコヤ……私を呼んだ本当の理由を教えてほしい」

「本当の理由ですか?」

「そうだ、スポンサー探しだとか、私に宮永姉妹を見せたかっただとかセカンダリーなものではなく、真の目的だよ」

 表情を変えぬまま2人は会話をしている。それは突飛な話ではなく、あくまでも予想の範囲内なのであろう。

「おおよその推察はつくが、スコヤの口から直接聞きたい」

「あの姉妹を救う為ですね」

「……」

「ギリギリでした。もしあなたに断られたら、私は神に祈るしかなかった」

「それは良かった。私は神の代わりだけはできないからね」

 健夜が声に出して笑った。

「宮永姉妹にあなたを見せたかった。そうしなければ、あの姉妹は確実に自滅しますから」

「真の敵を確認させたというわけかな?」

「そうではありません……」

「だろうね。昨日も言ったが真の敵は私ではない、彼女達は、自らを束縛する運命と闘っている」

「……」

 静かな貴賓室に、女性の声で英語のアナウンスが控えめに流れる。“巨人”の乗るべき飛行機の搭乗手続きを始めると言っていた。しかし、“巨人”は会話の継続を選択した。

「彼女達を救う方法は?」

「一つだけあります」

「それは心細い話だね」

「そうですけど、あなたと姉妹の対面で、それに希望が持てるようになりました」

 “巨人”が突然真面目な表情を作る。

「スコヤ……」

「はい?」

 健夜も戸惑いを隠せない様子で、表情から笑みが消えている。

「君に“あなた”と呼ばれるのは、なんとも心地が良いものだ。どうだろうか、このままフライトを中止して、どこかの教会で――」

「ミスター・コール……」

 細められた目で健夜に睨まれた“巨人”は、ごまかすように紅茶を飲んでいる。

 それを見て健夜は表情を崩し、話を続ける。

「でも、その希望は決して明るいものではありません……できるのは咲ちゃんだけ」

「なるほど、すべての鍵は彼女が握っているのか。スコヤ、君にとってもね」

「……はい」

 “巨人”が立ち上がる。健夜もゲートまでの見送りの為に後に続いた。

「ロンドンは遠いのだよ、約12時間、決勝戦も終わってしまうね」

「機内でも観られるのではないですか?」

「飛行機の中で12時間も起きていろと? なんとも恐ろしいことを言うものだ」

 “巨人”は怯えたように肩をすぼめた。

 

 

 貴賓室を出て、専用のゲートに向かって歩いている。その通路の床は、特殊な素材を使っているのか足音がしなかった。だが、2mを超える“巨人”が振り返る時には、そんな床でも僅かに音を立てた。

「君に教えておかなければならないことがあった」

「なんですか?」

 小鍛治健夜は少し遅れて歩いていたが、足を速めて“巨人”の隣に並び、歩きながら話をする。

「あわてて帰国する理由だよ」

「それは興味深い話ですね」

 “巨人”の笑顔は、先程までのものとは違い、イギリス人らしいエスプリのきいたものであった。

「ルークが見つかったのだよ」

「ルーク? チェスの駒ですか?」

「私は愚か者ではない。君の宣戦布告を受けておとなしくしているとでも思ったかね?」

「もちろん思ってはいません」

「宮永姉妹は君にとってルークとビショップだろう? 私もそれを見つけた」

「イギリスで?」

 その問いには答えずに、“巨人”は搭乗手続きを始めた。

 ――それを終え、“巨人”は健夜の前に戻り、「3年後か……長いね、実に長い、気が変わったらいつでも連絡してくれたまえ」と、感慨深げに言った。

「覚えておきます……」

 ぶり返された話に、健夜は食傷気味に答える。

「アナザー・ワンだよ」

「え?」

「さっきの答えだ。分からなければニシダに聞いてみるがいい」

「アナザー・ワンですか?」

 “巨人”の言った『another one』は人のことではなく、もっと漠然としたものだ。健夜が当惑気味にその言葉を繰り返した。

「そうだ、彼女は知っているはずだ。そして、君がそれを知ったら……」

「……」

「絶望するだろうね……君は私と結婚する他はないのだよ」

「……良いフライトを」

 再びジト目で健夜に睨まれた“巨人”は、前歯がくっきりと見える笑顔でゲートを越えていった。

 

 

 インターハイ会場 個人戦選手入場口 ロビー

 

 ロビーは人でごった返していたが、昨日とは様相が異なっていた。 

 ここにいるのは、決勝戦に勝ち残った選手とその同伴者達だ。その人の多さに、大会運営部は危機感を抱き、マスコミ関係者に場外で取材するように言い渡していた。

 では、なぜ彼女達がここに集まっているのか? それは、この個人戦を別のものに変えてしまった宮永姉妹を待っているからだ。特に妹の宮永咲、彼女が試合に復帰できるどうか、それを皆自分の目で確かめたいのだ。

 

 ――千里山女子高校 江口セーラは辺りを見回す。

(なんや、ほぼ全員やないか。ずいぶんと人気者やな、あの姉妹は)

 だれかが外でマスコミに囲まれているのが見えた。その喧騒から宮永姉妹のどちらかだと思われた。セーラの周囲にも異様な緊迫感が張り詰めていた。

 セーラの肩を叩く者がいた。その方向を向くと、よく知っている姫松高校の面々が立っていた。

「きたか?」 

 愛宕洋榎が短く聞いた。それには「姉妹のどちらだ」というニュアンスも含まれていた。

「わからん。姉ちゃんかもしれんし、妹かもしれん」

「どっちならええんや?」

「そら妹やで、オレはもういっぺん闘いたいさかいな」

「恭子」

 洋榎が振り返り、末原恭子を呼んだ。

「江口は物好きやなぁ」

 呆れ顔で恭子に言われた。さすがにセーラはカチンときて言い返す。

「あんたに言われたないで。なんなんや自分らは」

「なんやてなんや?」

「なんや」

「なんや?」

「なんやと」

「なんや!」

「セーラも2人もええ加減にせんと」

 セーラには園城寺怜と清水谷竜華が、愛宕洋榎と末原恭子には姫松のメンバーが間に入ってその場を収める。

「なんやてなんやー」

 お呼びでない風に登場したのは、三箇牧高校の荒川憩だ。笑顔ではあるが、彼女も宮永姉妹が気になって仕方がないのだろう。

 セーラの悪戯心に火が付いた。このドタバタに憩も巻き込んでやろうと思った。

「なんやおまえは?」

「なんやのー?」

「なんや……」

 洋榎が乗ってきた。こんな時の息は、ぴったりと合う。

「なんやー」

「なんや」

「な――」

「これいつまで続くんですか? いい加減にしてください先輩たち!」

 一年生の二条泉に厳しく注意された。セーラ達は、廊下に立たされている生徒のように、横並びで入口方向に向き直る。

「清澄やね、ちょっと制服が見えた」

 制服ではない白衣を着ている憩が言った。

 セーラも目を凝らして記者たちの囲みを見る。

「おったな……」

「せやな」

 セーラはもう一度辺りを見回す。

 すぐ近くには新道寺女子の集団がいた。白水哩と鶴田姫子が険しい顔で見つめている。

 その隣には、辻垣内智葉と留学生達がいた。少し離れた所に福路美穂子がおり、頭一つとびぬけた姉帯豊音の姿もあった。皆、宮永咲を確認できたようだ。

(永水のやつらがおらんな……)

 宮永咲を病院送りした元凶と噂される、神代小蒔の姿が見えなかった。あんな独特の衣装なのだから、いれば嫌でも目につく。

 ――記者の囲みが解け、入り口の自動ドアが開いた。清澄高校の先頭にいたのは宮永咲であった。

「なんや……これは」

 その宮永咲は、昨日までの暴力的なオーラが消え去り、何か白い光に包まれているように見えた。

「オーバーロードか……」

 荒川憩がつぶやいた。彼女が絶やさなかった笑顔が消えていた。

(ようわかる、ようわかるで荒川……この宮永には隙が見えない)

 新境地でも見つけたのか、宮永咲は昨日とは別人にみえた。それゆえにセーラは、彼女を畏怖していた。

(ええやろ……最後にはもってこいや)

 セーラは、意地の抵抗をした。顔を曲げて無理やり笑顔を作った。

「姉ちゃんもきたで」

 園城寺怜が厳しい顔で外を見ている。新しく記者の囲みが形成されていた。まだこの会場に現れていないのは白糸台高校だけだ。

「チャンピオンのお出ましや……」

 愛宕洋榎が独特の笑顔で言った。彼女の主敵も、怜と同じ宮永照なのだなと、セーラは思った。

 

 

 原村和は、宮永咲の敵の多さに閉口していた。会場入りした和達を待ち構えていたものは、おびただしい数の目であった。好意的なものはほとんどなく、すべて咲への敵意が剥き出しにされていた。

 和は咲の前に出て、その視線攻撃から咲を守ろうとした。

「部長……少しここで待っててもいいですか?」

 それは、和の予想外の言動だった。咲はそう言って、その場に立ち止まった。部長の竹井久は、しきりに後ろを振り返り、「お姉さんがくるわよ、いいの?」と、聞いた。

「ええ……確認したいことがありますので」

 和は不安心が募っていた。

(咲さん……確認したいこととはなんですか? まさか……)

 ドアが開き、白糸台高校の選手達が入ってくる。先頭にいたのは弘世菫であったが、咲を目の前にして、脇に逸れた。

 後ろにいた宮永照が、そのままゆっくり進み、咲の目の前で止まる。

 話すことに罪悪感があるのか、この姉妹は対峙すると沈黙してしまう。

 しかし、今回は、姉としての本能が沈黙を破った。

「……大丈夫?」

「うん」

 長い隔たりを経て、普通の姉妹の会話をする2人、表情は硬いままだが心は別のようだ。

 今度は、妹が姉に質問をした。

「……お姉ちゃん」

「……なに?」

「あの人を倒せる?」

「倒せるよ」 

 咲の表情が和らぐ。仲違いの後、初めて姉に見せる笑顔なのか、照は驚いたように目を大きくした。

「良かった……」

 咲は、そう言って立ち去ろうとした。

「咲……」

 それを照が止めた。その表情は哀し気で、今にも泣きだしそうであった。

「咲……もう……終わりにしよう」

「……うん、今日で終わるから」

 咲は笑顔で答えて、その場を後にした。今度は照も止めなかった。ただ、咲を見送るその顔には、深い哀しみが刻まれていた。

(咲さん……あなたは、なにをしようとしているのですか? 私は、あなたを信じていいのですか?)

 咲への不信が、初めて和に発生していた。

 そんな和に気がついたのか、咲は和の手を握り、いつものように優しく言った。

「大丈夫……信じて」

 

 

インターハイ会場 通路

 

「小蒔ちゃん、どうしても会わなければならないの?」

 石刀霞は神代小蒔を追いかけていた。普段はゆっくりと歩く小蒔が、信じられない速度で歩いている。巫女服は歩きにくい。追いつくのも一苦労だ。

「会うというか、レシーバーの範囲内に入れば良いのです。宮永さんの情報を回収する必要がありますので」

「……」

 ようやく追いついた。息が切れてしまったので、しばらくの間呼吸を整える。

「小蒔ちゃん……質問していい?」

「もちろんです」

「もしも“オモイカネ”が敗れたら……小蒔ちゃんはどうなるの?」

「それは私にも分かりません」

「そうなの?」

「だって、“オモイカネ”は敗れたことがありませんから」

 にっこりと小蒔が笑う。優しい本家の姫様、その優しさゆえに六女仙は彼女に従う。だからこそ不安なのだ。霞達は神代小蒔を失うことを、なによりも恐れていた。

 

 

 清澄高校がこちらに向かってきているのが見えた。宮永咲は“オモイカネ”の仕組みを知っているはずなので、小蒔との接近を避けると思われたが――

(小蒔ちゃんと目が合っている。でも、あの子はまっすぐ進んでくる)

 そして、小蒔と咲は、通路ですれ違い、そのまま立ち止まった。原村和と片岡優希が、小蒔との接触を危惧して、咲に歩くように促したが、彼女はまったく動かなかった。もちろんそれは小蒔も同じだ。きっと二人は、心で会話しているのだなと霞は考えた。

 やがて咲は、何事もなかったかのように動きだした。清澄高校の最後尾にいた竹井久が、頭を下げたので、霞も返礼する。

 小蒔が霞にしがみついた。肩が上下するほど、呼吸が荒くなっている。

「小蒔ちゃん、大丈夫?」

「……彼女の記憶は……15歳の少女が持っていて良いものではありません」

「咲ちゃん?」

「圧倒的でした……私の頭の中に……彼女の哀しみが一杯に……」

 小蒔は泣いていた。倒すべき相手である宮永咲に心から同情していた。

「霞ちゃん……同じなのですよ」

「同じ?」

 小蒔は霞から手を離し、自力で立ち上がり背筋を伸ばす。ただし、その涙は止まらなかった。

「レシーバーの自己否定を克服し、“オモイカネ”を凌いだと思ってしまう。それは、これまでに自滅した人達と同じ道を歩んでいるのです」

「……」

「だって、“オモイカネ”とは、私のことなのですから……」

「皆……あなた敗れて自滅する……」

「私の前では、あらゆる知略は無意味です。その絶望ゆえに自滅してしまう。彼女も……咲ちゃんも……それは同じ」

 感極まったのか、また小蒔が霞にもたれかかる。優しき霧島神境の姫、神代小蒔。彼女に二度とこんなことはさせられない。その為には、六女仙が全滅しても構わない。小蒔にはいつも笑顔でいてほしいから。霞は、小蒔の頭を撫でながら、そう決意していた。

 

 

 インターハイ会場 プレスルーム付近

 

「藤田プロ、いいんですかこんな所に私達がいて」

 新子憧が落ち着かなそうにきょろきょろしながら、藤田靖子に質問した。

 清澄高校メンバーとこの会場まできていたが、高鴨穏乃達は選手入場口から入れないので途中で別れた。一般入場口から入ろうとしたが、靖子が『一緒にこい』と言うので、それに従うと、こんな所まで連れてこられていた。

「いいんだよ、お前たちは私の取引材料だ」

「はあ……」

 穏乃は、なんのことか全然分からなかったので、とりあえず返事だけはした。

「あ、いた。おーい西田さーん」

「あら、藤田プロじゃないですか? 今日は解説では?」

「そうです。だから、この二人を預けます。とは言っても、返さなくても結構です。煮るなり焼くなり好きにしてください」

「ええー!」

 当然の反応であった。話の脈略が全く掴めない。そもそもこの西田という女性とも面識がない。

「あ……あの時の」

「あら、よく覚えていたわね憧ちゃん」

 憧は知っている様子で、穏乃に耳打ちをした。

「ほら、和と偶然会った時にいた人よ」

「そうだ、原村和マニアの『ウィークリー麻雀Today』の西田記者だ」

 靖子にオタク呼ばわりされた西田順子が嫌な顔をする。

「マニアとはなんですか……でも、阿知賀のこの二人は、確かにごちそうですね」

「よろしく頼むよ。それと、あとで聞きたいことがあるので協力も頼むよ」

 立ち去る靖子に、西田がにこやかに手を振っている。取引材料とはこういうことだったのだ。穏乃達は情報とバーターにされていた。

「さあ、穏乃ちゃん、憧ちゃん、プレスルームに入ろうかあ。たくさんお話聞かせてね。あと写真も撮らせてねえ」

 弱冷房の通路とも思えぬ冷気を感じ、穏乃達は身震いをした。

 

 

 インターハイ個人戦 選手待機室

 

 決勝の出場選手は50名、待機室も予選の3部屋から1部屋に減らされていた(残りの2部屋は一般開放された)。全出場選手が集うこの待機室に、三箇牧高校 荒川憩の姿もあった。

「ちょっと外に出てきます」

 憩は、監督にそう言って待機室を出た。会うべき相手は、一般席にいる対木もこだ。憩はロビーで見た宮永咲に不安心を掻き立てられていた。

(なんやこのモヤモヤは……私らしくないで)

 歩きながら考える。憩にとって勝った負けたは意味のない話だった。一昨日、藤田靖子から宮永咲を潰せと言われた。彼女の打ち筋から可能と判断し、何気なく引き受けてしまった。本音で言えば、去年敗北した姉の宮永照戦に集中したかったが、それはそれで必勝を願うほど重要なものでもなかった。勝てば喜び、負ければ悲しむ。当たり前のことではあったが、それに囚われすぎるのも馬鹿馬鹿しいと思っていた。いわば、憩は勝負にドライなのだ。

 ――憩は、会場中段の座席にいるもこを発見し、その前に立った。

「もこちゃん、少し話があるんやけど」

「ケイ……迷いが見えるよ」

 図星だった。憩は、初めて知った感情の対応に苦慮していた。勝ちたかった。宮永咲になんとしてでも勝ちたかったのだ。そうしなければ自我か保てないと思うほどであった。

「オーバーロードに勝てるやろか?」

「そう考えているのなら……ケイは負けるかも」

「……」

 憩はもこの隣の席に腰をかけた。もこから飲み物を渡される。まるで憩がくるのが分かっていたようだ。

「攻撃は最大の防御を否定して、ケイは攻撃の為の防御を選択している」

「あかん?」

「いけなくはない。でも、あの子には通用しない。なぜなら、彼女は防御の為の防御をしているから。あの凶悪な攻撃力は、その極端な防御力が変化したもの」

 信じられない話だった。憩はもこの言った話が当てはまるものを、あらゆるジャンルから探したが思いつかなかった。攻撃と防御は表と裏だ。それが一体となっているものは有り得なかった。

(そうか……それが、オーバーロードか……)

 憩はその言葉の意味を理解した。そして、自分の感情もなんとなく分かった。人間は未知なものを恐れるものだ。そう、自分は宮永咲を恐れているのだ。

「もこちゃん……」

「ん?」

「私はな、勝ちたいねん……」

 もこが持っていた紙パックのコーヒー牛乳を飲んだ。お気に入りなのか、彼女はそればかり飲んでいる。

「ケイ……なら迷わないことだよ」

「……」

「自分の力を信じる……それはとても大事」

「そうか……防御の防御……あの子は恐怖心の塊」

「そう……だから迷ってはいけない」

  

 

 インターハイ個人戦決勝 実況席

 

 藤田靖子は機嫌が悪かった。TV解説は嫌いではなかったが、良い解説にはアナウンサーとの会話のリズムが大切だと思っていた。この解説を引き受けた理由も、相手が村吉みさきだと聞いていたからだ。だが、実際に目の前にいるのは、相性が最悪の福与恒子であった。

「……村吉さんは?」

「村吉先輩は急遽海外出張で、その代わりにスーパー・アナウンサーの私が登場しましたー」

「帰ってもいいか?」

「じょ、冗談ですよー。騒がしくしませんから付き合ってくださいよ」

「……」

 小鍛治健夜は、よくもこんな奴と一緒にできるものだと思ったが、まあ、相性も人それぞれなのだろうなと、自分を納得させた。

「今日は開会式がありません。いきなり抽選ですよ」

「分かってるよ、私だって出たことがあるんだからな」

「へえー、すこやんと同じく10年前ぐらいにですか?」

 靖子は無意識のうちに恒子の胸倉を掴んでいた。そして、無自覚に言葉を発した。

「な、殴ってもいいか……いいのか?」

「わー! 藤田プロ、落ち着いて!」

 ADが慌てて止めに入った。靖子も我に返り、恒子に謝った。

「2人共、10秒前ですよ」

 ADが離れ際に、靖子達に告知した。なるほど、目の前のデジタルタイマーがカウントダウンしている。その数値がどんどん0に近づいていく。

 ――放送開始だ。

「団体戦に続き、この個人戦でも決勝の実況を担当するのはー、スーパー・アナウンサーのー、福与恒子です!」

「……」

「そして、本日の解説は、いぶし銀のプロ雀士、藤田靖子さんです」

「……藤田です」

「ああーテンション低いですねー藤田プロ。なにか悪いものでも食べましたかー?」

「いいえ……」

 ADから恒子にメモが渡される。

「え……もう抽選?」

「……」

 これはどこかの動画サイトに放送事故タグでアップされるなと思い、靖子の気は重くなる一方だった。

「さあー運命の抽選開始だー! 初戦は大事ですよね。藤田プロ」

「とても大事です……」

「それではルームAからルームLまでの12部屋のメンバーを発表します」

 映し出された対戦表、そこには気になる部屋がいくつもあった。

「初戦からか……」

「藤田プロ、注目のカードはどの部屋ですか?」

 相手がだれであろうとそれはそれ、靖子はプロとして解説に集中することにした。

「まずはルームBだな。ここには清澄高校の宮永咲と、宮守女子の姉帯豊音がいる。団体戦の再戦だが、姉帯は奥の手を使うかもしれない」

「奥の手ですか?」

「そうだ、昨日、宮永照を破った小瀬川白望のようにね。宮守は熊倉さんが率いているのだから、きっとそうなる」

「その小瀬川選手もルームFで強敵とぶつかります」

「白糸台高校の大星淡と、新道寺女子の鶴田姫子か……これは苦しいね」

「宮永照選手は、比較的安全でしょうか?」

「福与アナ、個人戦を甘く見てはいけない。トップ50の闘いに安全なんて言葉は当てはまらない。これからの10試合はすべて死闘になると思ってほしい」

「失礼しました……」

 

 

 インターハイ個人戦 選手待機室 宮守女子高校

 

「初戦であの子と当たるんだね」

「うん、でも良かったよー。あれを抑えるのは結構きついんだよ」

 姉帯豊音が言ったあれとは、恐らく羅睺(らごう)のことだろう。臼沢塞も麻雀部の他のメンバーも、豊音のそれは見たことがない。熊倉トシ曰く、羅睺を内部に抑えることによって、豊音の六曜が発現したらしい。あの恐ろしい六曜をおまけのように扱う羅睺とはどれほどの力を持っているのか、それを考えると塞も寒気がしてしまう。

「行ってくるよー」

 豊音は、あえて明るく振舞っているが、その力の解放を恐れているようにも見える。

「豊音、あの子は出てきただろう? だからいいんだよ、あの子なら、宮永咲なら、豊音の力にも耐えられる。見せておやり」

「はい」

 熊倉トシが、豊音の不安を打ち消すようにエールを送る。効果はてきめんだった。豊音の表情から恐怖心が消えていた。

「シロ、相手は次期エース達だよ、順風満帆にことは進まないと教えてあげなさい」

「……はい」 

 相変わらずのダルさ加減だ。しかし、小瀬川白望はこのチームをだれよりも大切に思っている。残り僅かの宮守女子高校麻雀部を、彼女は愛しているのだ。

「豊音、行こう……」

「豊音、シロ、頑張って!」

 塞も、鹿倉胡桃とエイスリン・ウィッシュアートと共に二人に声援を送る。これが最後だと思うと、少し悲しくなったが、それは表には出さない。昨日の熊倉トシが外出した後にみんなで話し合った。最後は絶対泣かないで終わろうと。だから塞は笑顔だ。胡桃もエイスリンも、豊音もシロもだ。お祭りのフィナーレは今始まったのだから。

 

 

 インターハイ個人戦 選手待機室 新道寺女子高校

 

 思い詰めたように画面を眺めている鶴田姫子を見て、花田煌は、多分姫子が部長となにか約束をしてるのだなと思った。しかし、自分にできることといえば、いつもと同様に姫子を送り出すしかない。

「姫子、すばらですよ! 大星淡、小瀬川白望、あんな相手と初戦から闘えるのですから、すばらとしかいいようがありません」

「花田はポジティブやなあ、うちも見習わんばね」

 姫子が苦笑いとともに言った。

「哩、リザベん件は本気かい? 大星も小瀬川も一筋縄ではいかんばい」

 監督の比与森楓が、白水哩によく分からない確認をしている。

(どういうことだろう……リザベーションになにか制約でも?)

 煌は分からなくなり、直接哩に聞いてみることにした。

「部長、姫子となにかあるのですか?」

「まあ、隠す必要は無かけんね。今日、リザベーションば発動すっ条件ば付けたんや」

「条件ですか?」

 哩はそれには答えずに、ジッと姫子を見ている。

「……初戦でトップになること」

 やっとのことで口を開いた姫子であったが、そのシビアな条件とは裏腹に、表情は決して暗くはなかった。いや、むしろ明るいと言えた。

「なに花田、そん顔は? すばらじゃなかと?」

 姫子の笑顔は無理に作っているものではなかった。なにか吹っ切れたような姫子の成長が伺えるものであった。

「姫子……」

「大星は準決で後ればとった相手。小瀬川さんな、あんチャンピオンに土ば付けた相手。本当にすばらばい」

「……はい」

(そうです、あなたは笑っているのが一番似合います。大丈夫ですよ。きっとトップになれます)

 煌も精一杯の笑顔を返す。

 姫子が頷いて立ち上がる。

「部長、行きましょう」

「ああ」

 哩の腕にしがみついて姫子は競技ルームに向かっていった。その後ろ姿に煌は、声に出さないエールを送った。

(姫子、頑張って下さい。来年は部長もいませんよ、私達で新道寺を牽引するのですから)

 

 

 インターハイ個人戦 試合会場通路 清澄高校

 

「和ちゃん、これまでありがとうね」

「咲さん……そんな言い方はやめてください」

 先程からの咲の態度に、原村和は違和感を覚えていた。 なにかを諦めてしまったような感じで、それは、和にとって許されるものではなかった。

「ううん違うの。さっきね、お姉ちゃんとちょっとだけ話ができたでしょ? もしも私が、和ちゃんと出会ってなかったらって思うとね、なんだかお礼がしたくなっちゃって」

「……咲さん」

 〈オロチ〉の状態とは思えぬ咲の笑顔であったが、和の不安は拭えなかった。

「咲さん……なぜ照さんにあんなことを聞いたのですか?」

「……それが、お姉ちゃんとの約束だから」

「約束ですか?」

「うん」

 寂しそうに答える咲を見て、和の不安は高まっていった。どこか、手の届かぬ所に咲が行ってしまう気がした。和は思わず咲の手を握った。

 咲が笑顔を向ける。それは和の大好きなはじけるような笑顔ではなかったが、〈オロチ〉の陰がある笑顔でもなかった。なにか別の暖かさを感じる――

(これは、照さんの笑顔と同じ……)

 そうだ、一度だけ見た宮永照の笑顔、それとよく似ていた。

 咲はその笑顔で、和に優しく答える。

「どこにも行かないよ……私はあの誓いを守ります」

「はい」

 

 

 インターハイ個人戦 試合会場通路 白糸台高校

 

「テルー……さっきのサキとの話。あれどういう意味?」

「別に……そのままの意味だよ」

 大星淡は苛立っていた。分かってはいたが、受け入れざる事態に直面すると、人間は素直な反応ができない。淡の場合は苛立に変換されていた。

(テルー他に道はないの? サキを倒す以外に道はないの?)

「私がサキ倒す。それでもいい?」

「駄目だと言った覚えはない……」

 無機的な答えを返す照に、淡の苛立ちはピークに達した。

「テルー!」

 睨みつけた先にいた者は、絶対王者という称号とは別人のよわよわしい女性であった。彼女は、宮永照は、なにかを酷く恐れている。

「テルー……怖いの?」

「うん……私は怖い……逃げ出せるのならそうしたい」

「……」

「こんな……こんな土壇場で……私は……迷っている」

「テルー……」

「正しい道はない。だから最善の道を選んだつもりだった。けどね……それは咲を……」

「迷ったらダメだよ! それは後悔に繋がるって菫が言ってた」

「……」

「後悔って怖いよ……だってそれはね、死ぬまで自分に纏わりつくんだよ」

「ああ……そうだね、私の迷いは、咲を苦しめる……そうだ、淡のいうとおりだ……」

 

 

 都内 タクシー車内

 

 小鍛治健夜はウィンダム・コールを見送りした後、直ぐにタクシーを拾い、インターハイ会場に向かっていた。しかし、夏休みにもかかわらず都内の道は混雑しており、羽田空港から距離的にはさほどではない会場でも、このペースだと所用時間は1時間以上と見込まれた。

 また信号で止まった。慌てることの少ない健夜でさえも、後部座席から道路状況を気にしている。

 健夜のスマホが震える。タクシーに乗り込んで直ぐに西田順子にメールを送っていた。“巨人”の言い残したアナザー・ワンについて、彼女に情報を求めていた。

 ――画面を確認する。やはり西田から健夜の質問への回答であった。

 そこにはこう書かれていた。

 

『アナザー・ワンとは、おそらくミナモ・オールドフィールドだと思います。宮永姉妹と一緒にテレサ・アークダンテから手ほどきを受けたイギリス人です。彼女は姉妹の従妹で、雀力も優れていたと噂されています。これから会場にいらっしゃるのですか? その際はプレスルームまでお越しください。詳しく話しましょう』

 

 健夜の顔から、見る見るうちに血の気が引いていった。そして、震える声でつぶやく。

「もうひとつの……特異点……ミナモ・オールドフィールド」

 




今回のなんや問答は、尊敬するだぶすけ様の漫画を参考にさせて頂きました。

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