咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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15.未来の幻影

 対局室 ルームG

 

 試合終了の礼を終え、原村和はもう一度椅子に座り直す。予想外の疲労であった。不可思議な打ち筋を見せる静岡代表の百鬼藍子に危機感を覚え、制御モードを連続使用した。結果、勝利はできたが、この有様になってしまった。

(こんなことではいけない……)

 負けられない闘いがこれからも続く。和は目を閉じて椅子に深くもたれかかり、気力体力の回復を図る。わずかな空き時間でも無駄にはできない。

 ――扉が開いてだれかが入ってきた。恐らくは次の試合の選手だろう。もう少し休息が欲しかったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

 和は目を開けた。

「和ちゃん」

「……」

 言葉が出なかった。そこに立っていたのは、笑顔の宮永咲であった。和は壁に掛けられているモニターを確認した。2回戦のメンバーに更新されており、咲の名前もそこにあった。

(昨日とは違う……咲さんは本当になにかが変わっている)

 〈オロチ〉の状態の咲は、試合が始まると外部からのコンタクトを遮断する。実際に和は昨日それを見ていた。しかし、今の咲は違う、表情や雰囲気は〈オロチ〉そのものだが、笑顔を作れる余裕があった。

「……咲さん?」

「なんだろうね……今日はあんまり怖くないんだよ」

「怖い?」

「……この状態の私は、試合が始まると怖くて怖くてどうしようもなくなるの……」

 いつもなら恥ずかしそうに話すのであろうが、〈オロチ〉の咲は表情がほとんど変わらない。だが、咲の言っていることは理解できた。和自身にも経験があった。怖かったり不安だったりした場合、自分の殻に閉じこもり視野も極端に狭くなる。〈オロチ〉は咲の恐怖心が生み出したもの、その閉鎖性は徹底している。

「それは、いいことなのではないですか?」

 和はそう考えた。閉鎖性が若干でも緩和されるのならば、それは咲にもプラスの作用を及ぼすはずだ。

 しかし、咲は首を横に振った。

「これはね、神代さんの罠だよ……」

「……」

 100%信じられる話ではなかったが、この咲の変貌ぶりを見ると、オカルトとして否定もできなかった。

 和は昨夜の咲の話を回想していた。心の中に自己否定を繰り返すもう一人の自分が居たらどうするか? シンプルな解決策は妥協点を探して落ち着くことだ。おそらく咲は、その状態なのだと思った。

「和ちゃん、無茶しないでね」

 そう言って、咲が左手を伸ばした。そろそろ移動したほうが良いという合図だ。

「咲さんも」

 咲の助けを借りて、和も立ち上がる。

 ――ルームGのドアが再び開けられた。

「なんやうちの竜華と怜みたいやな。仲睦まじいのはええことや」

 笑いながら入室してきたのは、千里山女子高校の江口セーラであった。

「宮永、もういっぺん、もういっぺん勝負や」

 セーラが眼光鋭く咲を見ている。

「分かりました」

 和の手を握ったまま咲は答えた。表情は変わらないが、その手は震えていた。

(……咲さん)

 和はゆっくりと手を離し、咲にアイコンタクトしてから退室した。そして、通路を歩きながら、和は決意を改める。

(もう迷いません……1分でも、1秒でも早く、あなたを解放します)

 姉妹の葛藤に決着をつけたいという咲の想い、それが和を迷わせていた。だが、その迷いは完全にふっ切れた。

(〈オロチ〉は、あなたを変えているのではなく、ただの上書きなのですね……)

 和は掌を眺める。咲の震えの感覚がまだ残っている。暴力的な攻撃力を持つ〈オロチ〉ではあるが、本体は優しい咲のままなのだ。だから和は許せなかった。愛する咲を苦しめる〈オロチ〉を心底憎悪した。

 不意に既視感に襲われた。この感覚には覚えがあった。咲との初対戦時に感じた怯え、それとほぼ同じ感覚であった。

 和は立ち止まり、左手を胸に当てて大きく深呼吸をした。

(憎しみ、恐怖、それこそが〈オロチ〉の欲するもの……術中にはまっていけない)

 そう、それは分かっている。だが、和の〈オロチ〉を憎む気持ちは静まらなかった。

(穏乃……教えて。あなたはどうやってこの感情を抑えたの? 私は……許せない……咲さんを苦しめる〈オロチ〉を許すことができない!)

 和は、心の中で友人に助けを求めていた。

 

 

 試合会場 通路

 

 園城寺怜に求められているものは、個人戦優勝であった。千里山女子高校は団体戦準決勝で敗退し、シードを逃した。ならば、目標を個人戦にシフトするのは、強豪校なら当然の選択であると言えたが、怜の戦闘意欲は、団体戦敗退の時点でほぼ燃え尽きていた。

(今の私はゴールのないマラソンランナーのように、あてもなく走り続けているだけや)

 無論、チームの皆が怜にかける期待は理解している。親友の清水谷竜華も江口セーラも、自分が優勝したら喜んでくれるに違いない。しかし、怜にはそれがリアリティのない絵空事に思えてならなかった。

 ――ルームAの前まできたが入室をとどまる。そして、昨夜、親友の2人に話せなかった自分の夢を思い浮かべた。

(竜華、セーラ……私の夢はな、2人とはちゃうんやで)

 2人は、自分達の夢は怜を含めた3人で団体戦に出ることだと言ってくれた。それは、涙が出るほど嬉しかったが、怜の夢はそうではなかった。

(私の力は……3人で優勝する為に発現したんやで。竜華とセーラを苦しめた宮永照を倒す為に……)

 昨年のインターハイ、竜華とセーラは“絶対王者”になす術もなく敗北した。だから、自分がなんとかしなければと思った。それこそが怜の能力“未来視”の存在意義であった。

(チャンピオン……今の私にとって、あなたを倒すことが、唯一の心の支えになってしまった)

 怜の夢を打ち砕いた“絶対王者”を打倒する。それが、灰となった戦闘意欲に微かにくすぶる種火だ。消えてしまうか、大きくなるか、それはこの対局で決まる。

(あなたに憎しみはありません……。でもな、私の“未来視”が……あなたを倒せって言うんですわ堪忍してください)

 怜の闘争心はゴールを見失い、迷走を続けていた。新しいゴールがなんであるかは分からない。ただ、この対局の結果が、それを示してくれるように思えた。

 ――怜はルームAのドアを開ける。宿敵であり希望でもある宮永照が、メモ帳を見ながら椅子に座って待っていた。

「チャンピオン……また迷惑かけるかもしれません」

「はい……全力で……」

 照が、メモ帳を閉じて目を合わせる。

(あなたも……同じですか)

 気圧されるほどの鋭い眼光ではあったが、なにか悲壮感が漂う光も片隅にあった。

「全力……約束します」

 この個人戦に、勝負以外のものを求めているは怜だけではなかった。“絶対王者”もそうなのだ。あれこれ考えても仕方がない。照は全力で闘うと言った。ならば、自分はそれ以上の全力で挑むまでだ。

(……この対局で精神力を使い果たしても構わない)

 怜の心の炎が再び燃え始めた。

(セーラ……ゴメンな、また無茶するで)

 

 

 「WEEKLY麻雀TODAY」プレスルーム

 

 高鴨穏乃と新子憧は、西田順子からの質問責め(主に原村和に関すること)で疲弊しきっていた。個人戦の試合が始まってもそれは続いていたが、宮永咲と姉帯豊音の壮絶な対局が、彼女の麻雀記者としての本能を刺激したようで、言葉が少なめになっていた。

「穏乃ちゃん……どういうことか分かる?」

 順子が戸惑いの表情を向ける。ベテラン記者の彼女でも、咲の四槓子和了拒否は意図不明なのだ。

「……わかりません」

「憧ちゃんも?」

「咲の能力は、謎が多いですから」

 もちろん分かっていても教えるつもりはないが、自分も新子憧も本当に分からないので、そう答えるしかなかった。

「和ちゃんなら知っているかしら?」

 順子は、不満そうに穏乃達に問い直す。

「……」

 ――ドアをノックする音が響いた。

「はーい」

「小鍛治です」

 ドアの向こう側から、小鍛治健夜が返事をする。

「どうぞー」

 順子に入室を許可されて、健夜がドアを開ける。スーツに身を包んだ彼女は、いつもとは別人に見える。

「ミナモちゃんの件ですか?」

「それもありますけど……」

 逃げ出す機会を窺っていた穏乃達には、健夜の来訪は渡りに船であった。

「私達はこれで……」

 健夜が優しげな顔で、穏乃の話をさえぎる。

「高鴨さん、新子さん。あなた達にも関係が有ります。ここにいてください」

「はあ……」

 穏乃は、団体戦で阿知賀を導いてくれた健夜に感謝していた。無碍(むげ)に断るわけにもいかない。

「西田さん、私は移動中だったので咲ちゃんの四槓子拒否を見ていません。リプレイできますか?」

「今穏乃ちゃん達ともその話をしていました。小鍛治プロはなにか分かりますか?」

「まずは確認しましょう」

 順子のパートナーである埴渕久美子が、なにかの装置をグルグル回している。それに同調して室内のモニター画面が乱れる。

「南一局の最初からで?」

「はい」

 咲の手牌が映し出されている。九種十牌、ここからの9巡での和了、単純に考えても有り得ない話であった。やられた姉帯豊音にはトラウマになりうる悪夢のはずだ。

 穏乃は健夜を眺める。順子から椅子を準備されていたが、それには座らず立ったまま見ている。表情に変化はない。真面目な解説をしている健夜の顔だ。

 ――8巡目に咲が四槓子を崩す、そして9巡目に和了した。

「もう一度……8巡目から」

「……はい」

 彼女に似合わない厳しい声であった。久美子が少し怯えている。

 四槓子放棄がリプレイされる。

「もう一度……」

「……」

 これで3度目、穏乃は、健夜が何にこだわっているのか気になり、振り返って彼女の様子を見る。

「……小鍛治プロ?」

 穏乃の呼びかけが聞こえなかったのか、健夜は画面を凝視したままだ。ただ、先ほどと違うのは、彼女の目から大粒の涙がこぼれていたことだ。

「高鴨さん、新子さん……よく見ておいて……これが、咲ちゃんの弱点」

 健夜は目を動かさないで穏乃に答えた。だが、その意味は分からなかった。四槓子を上がらないことが弱点になるとは思えない。

「咲さんの……弱点ですか?」

「そう……でもね……この弱点は、彼女自身が作り上げたもの」

 穏乃は、意味を考えるのを止めていた。これは健夜にしか分からないと結論したからだ。その理由は明白であった。健夜と咲は同類なのだ。同類がゆえの共感、共鳴が、健夜にそれを見せているのだと思った。

 

 

 対局室 ルームA

 

 個人戦決勝2回戦 対局室 ルームA 席順

  東家 田辺景子 (徳島代表 2年生)

  南家 久保田莉奈(宮城代表 2年生)

  西家 宮永照  (西東京代表 3年生)

  北家 園城寺怜 (北大阪代表 3年生)

 

 

 東一局、現在この場は、“照魔鏡”の真っ只中であった。園城寺怜は、少しだけ顔を上げて宮永照を観察した。前回の対局時と同じで、いつも目が合ってしまう。チームメイトの船久保浩子の話では、照は面子の眼に映る牌のデータを収集しているらしい。

(ほんまに眼ぇ見てるとは思わへんかったで)

 以前からあった話だが、あくまでも噂レベルの話であった。しかし、千里山のアナリスト船久保浩子は、間違いないと言いきった。その論拠のひとつとして、団体戦決勝の先鋒戦を挙げた。阿知賀女子学院の松実玄は、手牌を完全に隠して自摸切りを繰り返した。その奇策に、宮永照は、自らの代名詞である点数上昇のリミッターを解除し、連荘率を上げて対応していた。そして、決定打になったのは、個人戦予選での風越女子高校 福路美穂子戦だった。彼女は対局の途中で利き目をスイッチした。照はそのイレギュラーに驚くべき行動をチョイスした。それは“照魔鏡”の再実施であった。

 浩子は言った。

(「データ不足の発生が“絶対王者”に変化を与えた。そう考えるのが妥当です」)

 噂話は大抵は間違っている。だから、人はそれを恐れない。しかし、真実ならば話は別だ。特に“照魔鏡”のような凶悪な能力になると、恐怖心が倍増する。

(甘えは許されんってことか……私の手牌は完璧に読まれていることが前提やな)

 “照魔鏡”の支配の中、局は淡々と進んでいく。面子の2年生、田辺景子と久保田莉奈は、なんとかこの場をやり過ごそうと考えているようで、上がろうとする気配が感じられなかった。

 怜は1巡先を読み続けている。9巡目に差し掛かったが、いまだに一向聴で、次巡も聴牌できない。とはいっても、この局は怜も上がるつもりはなかった。“未来視”の再起動を実施しなければならない。復活まで最低5巡は必要なので、実施は早ければ早いほど良い。

(2人の手が遅いのは好都合やけど、連荘は困るな)

 火力が高く、決して振り込まない“絶対王者”が相手なのだ。場が長引けば、だれかが飛ぶ可能性が高くなる。ここは久保田莉奈が上がり、局を進めてくれるのがベストな展開だ。

 10巡目。“未来視”によって次巡での聴牌が約束された。あとは再起動ボタンの和了放棄を行うだけだ。

 11巡目に予定通り聴牌した。だが、次巡で予想外の未来が見えた。

(チャンピオンのポン?)

 東一局はほとんど動きのない照が、怜の捨て牌【二萬】を副露する。理由が分からなかった。しかも、続く怜の自摸は当たり牌の【六筒】だ。

(これは……ノイズか?)

 “未来視”は、連続使用や強烈なインパクトにより、時折、偽情報が混じることがあった。浩子はそれをノイズと呼んで、ピュアな状態に戻すには再起動するしかないと言った。

(阿知賀との練習試合でそれは証明された。ただ……実戦での使用はこれが初めて)

 怜の心に不安がよぎった。

(あほか! なに弱気になってんねん。自分の全力はそないな弱いものなのか)

 怜は自分を鼓舞する。そして【二萬】を切った。

「ポン」

 手牌を晒した宮永照が怜を見ている。顔の向きを変え、完全に直視している。

 ――怜は“絶対王者”の意図を理解した。

(そうか……【六筒】は田辺さんの当たり牌なのか……)

 怜は自摸牌を引いた。【六筒】で間違いなかった。これはノイズではない。“絶対王者”からのメッセージなのだ。

(やってみぃってか? ええやろ、全力って約束したさかいな)

 和了状態の手牌をから【九萬】を選び捨てた。怜の心の視界が暗転した。

(再起動……チャンピオン、私をなめとったら痛い目にあうで!)

 怜はこう考えていた。1巡先では照の戦法を読み切れない。“未来視”が復活したら2巡先3巡先まで読まねばならない。それが自分の全力であると。

 

 

 対局室 ルームG

 

 個人戦決勝2回戦 対局室 ルームG 席順

  東家 宮永咲  (長野代表  1年生)

  南家 洲崎律子 (愛媛代表  3年生)

  西家 真屋由暉子(北海道代表 1年生)

  北家 江口セーラ(北大阪代表 3年生)

 

 

 試合の流れ(東三局迄)

  東一局  江口セーラ   8000点(2000,4000)

  東二局  江口セーラ  12000点(3000,6000)

  東三局  江口セーラ   8000点(2000,4000)

 

 

 現在の持ち点数

  江口セーラ  53000点

  真屋由暉子  16000点

  宮永咲    16000点

  洲崎律子   15000点

 

 

 江口セーラは、中学時代の自分の打ち筋を取り戻していた。基本はあくまでも定石であるが、勝負所の判断基準は自らのインスピレーションを優先する。愛宕雅恵をして抜き身の刀のようだと言わしめるほどの切れ味だ。三連続和了中で、東二局においては、この状態の宮永咲には無謀ともいえる立直を選択し、一発で上がっていた。

(でき過ぎている……)

 東四局、セーラの親番だ。手牌は萬子の一盃口の一向聴、勝負を掛けたくなる好配牌であった。中学時代ならば迷わず攻撃を継続しているだろう。

(私をおちょくっとるのか宮永? 持ち上げるだけ持ち上げて落とす。そないな見え透いた手には乗らへん)

 高校麻雀の名門、千里山女子高校に入学したセーラは、麻雀部監督の愛宕雅恵から、その打ち筋の矯正を指示された。セーラは無論反発して自己流を貫いた。それでも、一年生で団体戦のレギュラーに選ばれ、全国にまで進出した。だが、セーラはそこで失態を繰り返し、自己流の限界を思い知らされていた。

(宮永、お前との闘いで私は見極めをしたいのや、未練がましくこんな打ち方をしている私が……間違っとることをな)

 2巡目、セーラは有効牌を自模り聴牌した。しかし、立直はかけない。それどころか、聴牌状態をも崩した。

(一盃口が既に完成していた。ちゅうことは、この中のなん枚かはドラ牌や、切れんな)

 親番では上がれない。野生回帰したセーラでも、それは打破できないと思った。この局は降りる。そう決めていた。

 

 

 個人戦総合待機室 千里山女子高校

 

「こいつは化物か……」

 小さな声であったが、愛宕雅恵はそれを言葉にしてしまった。会場は静まり返っている。部員たちにも聞こえたはずだが、だれもリアクションしてこない。理由は簡単に推察できる。全員そう思っているからだ。

 皆、会場大画面に映し出された、ルームGの洲崎律子の手牌をただぼんやり眺めている。実況解説の藤田靖子と福与恒子も困惑が隠せず、焦点のぼけた説明をしていた。

『……これは誘導だな、団体戦の大星のように、江口は振り込んでしまう』

『四暗刻ですよ、河で分かるのでは?』

『かもしれない……だが宮永の河のほうが分かりやすい』

『宮永選手……あ、刻子が有りますがバラバラですね』

『しかし河は萬子を集めているように偽装されている』

『そうなんですか?』

『……』

『す、洲崎選手は四暗刻の【二索】待ちですね』

『なあ、福与アナ。宮永と対戦する者は、なにを一番警戒すると思う?』

『嶺上開花ですか?』

『そうだ、それを踏まえて江口の手牌を見てみろ』

『萬子が半分ですね……』

『萬子は切り辛い、宮永の偽装が効いているからね』

『それと、一枚も見えていない牌が多い?』

『……なんだかんだで、あんたも成長したんだな。正解だよ』

『そ、そうですか? それじゃあスーパーアナウンサーって認めてくれます?』

『……』

 

 

 スーパーアナウンサーかどうかは別にして、そのくだらない落ちが、愛宕雅恵の緊張を解いていた。

「竜華、どうだ、江口は気が付くか?」

 口に手を当てて心配そうに見ている清水谷竜華に声をかける。 

「いいえ……洲崎律子はノーマークです。セーラには宮永咲しか見えていません」

「そうか……嶺上開花の罠にはまるか」

「セーラ……」

「32000ぐらいくれてやれ」

「え?」

 竜華だけではなく、船久保浩子、二条泉も疑問符を浮かべながら雅恵を見ている。まあそうだろう。役満振り込みを許可する監督なんて聞いたことがない。

 雅恵は右の口端を曲げて笑った。

「宮永に振り込むわけやない。これは点数調整や、洲崎のその後は無視してええ」

「仕切り直しですか?」

「そうや、結局は江口と宮永妹のタイマンになる」

「そうなったら江口先輩のものですね」

 二条泉が希望に目を輝かせている。雅恵はそれに頷いたが、希望についてはネガティブは考え方を持っていた。

(泉……希望ってな、叶う確率が恐ろしく低いから“希”“望”っていうんやで……私にしてみれば、希望も奇跡も、同類項や)

 

 

 対局室 ルームG

 

 東四局は8巡目まで進んだ。江口セーラは慎重に捨て牌を選んでいる。

(だいぶ見えてきたな。宮永は萬子待ちやろう)

 宮永咲の河の状態から、萬子待ちを推測した。聴牌しているかは不明だ。仮に聴牌していなくても、咲には嶺上開花という決め技があるので、槓材になりうる牌も捨てられない。

(ドラも一枚も見えてへん。あいつが持ってるんか?)

 セーラは愕然としていた。自分の手牌の中には安全牌がなかった。降りるだけの麻雀が信じられないほどの神経戦になった。ここは感覚に頼るしかない。

(一枚も見えてへん牌やけど、真屋が順子で持ってるはずや)

 セーラの感覚は【七索】切りを指示した。

「カン」

 咲の目が鈍く光り、セーラの河から【七索】を奪っていった。

(大明槓……)

 茫然自失であった。昨日に続いて、またもや勝負勘が外されてしまった。

 セーラは咲の嶺上開花を覚悟する。

 ――しかし

(なに……)

 咲は上がらず普通に【一筒】を捨てて、槓ドラを裏返した。【二索】であった。

 洲崎律子と真屋由暉子も衝撃を受けたようだ。“魔王”の顔色を伺いながら自摸と打牌を行った。

 9巡目の自摸番が回ってきた。山に伸ばすべき手が震えていることに気がつき、セーラは思わずそれを見つめていた。

「こっわー、宮永の槓はほんまに心臓に悪いな」

 セーラは、戯れ言を発して恐怖心をごまかした。

(分かってる。私はお前を恐れてる。せやけどね、そら悪いことやない) 

 相手の強さ怖さを認めなければ、それを克服できない。セーラは愛宕雅恵からそう教わっていた。

(降りきったる……お前の思い通りにはさせへんで)

 咲が嫌がることはなにか? セーラの親番の失点を最小限に抑えられることだ。ならばそれを実行したら良い。そう考えると。次第に手の震えが収まっていった。

 自摸牌に手を伸ばす。引いた牌は【二索】、ドラ表示牌で一枚見えていた。少なくとも嶺上開花は避けられる。セーラの感覚もそれを肯定している。迷わず打牌した。

「ロン……四暗刻、32000です」

 洲崎律子からの直撃、しかも役満であった。

「……はい」

 思わぬ伏兵に足をすくわれることはある。しかし、セーラはこの役満振り込みをそう受け取らなかった。

(すべては宮永妹の思惑通りか……嶺上開花を過剰に警戒した時点で私は負けとったな)

 律子に大量の点棒を渡し、牌を投入口に流し入れる。雀卓がガチャガチャと牌を撹拌している。咲が起家マークを南に裏がえし、サイコロを回す。

(ええやろ……やり直しや。今度は私も武器を使う)

 セーラは上家の真屋由暉子を見た。

(おっきなおっぱいやなあ、竜華とどっちがデカいんやろ)

 そう考えていた時に由暉子と目が合った。セーラは慌ててぎこちない笑顔を返す。もちろん由暉子は首を傾げている。

(この局、あんたは“左手”を使うはずや。ええねん、私がバックアップするさかい存分にやってや)

 南一局、宮永咲の親番だ。彼女の点数を大きく削らなければならない。その為には手段を選んではいられない。

 

 

 対局室 ルームA

 

 試合の流れ(東三局(三本場)迄)

  東一局      久保田莉奈   5200点(1300,2600)

  東二局      宮永照     2000点(1000,2000)

  東三局      宮永照     3900点(1300オール)

  東三局(一本場) 宮永照     6300点(2100オール)

  東三局(二本場) 宮永照     8400点(2800オール)

  東三局(三本場) 宮永照    12900点(4300オール)

 

 

 現在の持ち点数

  宮永照    57200点

  久保田莉奈  18700点

  園城寺怜   12700点

  田辺景子   11400点

 

 

 東三局四本場、園城寺怜の心の視界に光が戻った。

(やっとか……)

 これまでの5局の間、怜は防御に徹して全局で降りを選択していた。凄まじい宮永照の寄せを必死で回避し、ようやく怜の攻撃ターンが回ってきた。

(まずはここで止める……)

 復活したピュアな“未来視”はノイズの影響を受けない。前回失敗した単独での連続和了阻止も可能なはずだ。

 照がサイコロを回し、配牌が始まる。良い牌が集まってくる。平和、断公九の二向聴、立直一発ならば8000点だ。その好配牌に、怜は“未来視”のレベルをアップする。

(2巡先……)

 心臓の鼓動が早くなり、呼吸も浅くなる。

(コントロール……コントロールや)

 前回は無我夢中であった。宮永照を止める為ならばどうなってもいいとさえ思った。だが今回は違う。全力の闘いを約束したのだ。

(全力とは……最後まで闘いきること……)

 鼓動と呼吸が落ち着き始める。まだ平常とは言えないが、闘える状態にはなった。

 2巡先まで読むと聴牌速度が飛躍的にアップする。怜は7巡目に聴牌した。

(チャンピオンの次は跳満……早くはないはずや)

 8巡目の怜の自摸番だ。2巡先に照の立直が見えた。自分の上りはまだ見えないので、どこかで崩す必要がある。手掛かりを求め、面子の河を探る。田辺景子の河には【六索】が切られており、次巡で【三索】を切る未来も見えていた。だとすると、怜が頭で持っている【二索】を待っているのかもしれない。

(平和は捨てるしかない、でも自摸も変わるから組み直しが間に合うか?)

 迷っている時間はない、ここは照の立直阻止の為に【二索】を打牌する。

「チー」

 景子が副露してくれた。これで自摸巡を遅くできる。

 9巡目の怜の自摸番、改変された未来が見える。次巡の照の立直は消えていた。

(いける……私は、“絶対王者”に対抗できる)

 11巡目、組み直しが完了し、再び聴牌した。そして、2巡先の上りが見える。

(あとは、“照魔鏡”で崩されないことを願うだけや)

 自分の手牌はすべて読まれている。照の妨害は覚悟しなければならない。

 慎重さが要求される局面だが、次巡の怜の捨て牌は、横になっていた。

「リーチ」

 一発狙いの立直。怜の“未来視”は、それをしても良いと教えていた。

(2巡先は見えない……それは存在しないから)

 照が興味深そうに怜を見ている。『早く上がってみせろ』そんな顔をしている。

 怜は、照に小さな笑顔を返す。

 13巡目、“未来視”に狂いはなかった。怜の自摸は当たり牌であった。

「ツモ、門前、立直、一発、断公九……」

 裏ドラを確認する。表示牌は【一索】1枚乗った。

「ドラ1、2400,4400」

 照も納得した様子だ。微かな笑顔で怜に点棒を渡した。

(あなたのよくやる様子見ですか? そなら次は本気ですな……)

 点棒を受け取りながら怜は考えていた。これからなのだ。試合前に約束した全力の闘いは、これから始まるのだ。

 

 

 対局室 ルームG

 

(洋榎に振り込んで以来か……)

 江口セーラは勝負所で立直を多用する傾向にあった。その為、過去に何度か役満振り込みの失態を演じていた。セーラが思い出しているのは、高校1年インターハイの大阪ダービーでの一幕であった。姫松高校 愛宕洋榎とのルーキー対決で、セーラは緑一色に振り込んでいた。

(あれはリーチかけとったしな……)

 しかし、今回は違う。対宮永咲には悪手とされる嶺上開花への過度の警戒が、その大きな要因であった。咲から提示された情報で消去法を行い、過去の遺物である勝負勘に頼り、捨て牌を選択してしまった。

(洋榎、お前なら引っかからへんかったやろな)

 セーラが持つ愛宕洋榎へのコンプレックスが出てきていた。

 洋榎の打ち筋は、惚れ惚れするほど迷いがなく、セーラは対戦結果で大きく負け越していた。とはいえ、彼女は麻雀部監督の愛宕雅恵の娘で、妙に馬が合い、なんでも話せる間柄であった。

 セーラは一度、彼女の打ち筋について聞いたことがあった。

(『迷わんよ、常にベストな選択をしとるからな』)

 それが洋榎の返事であったが、『ベストな選択』とはなにかが分からず、それは確率のことなのかと質問をした。

(『確立やない、正しいもんや』)

 抽象的すぎてなおさら分からなかった。セーラは、『正しいとはなにか?』と重ねて聞いた。 

(『正しいとは信じられるものやで』)

 答えにはなっていなかったが、セーラはなぜか納得してしまった。

(洋榎、監督……あんた達の信じるもの……それが少し羨ましかった)

 羨ましいは憧れに変わり、セーラは王道の打ち筋に、自分の成長した姿を思い浮かべた。

反発していた監督とも和解し、洋榎の後を追うことにした。だが、キャリアの違いは歴然としており、セーラはいつも一歩及ばなかった。それが、過去の栄光である勝負勘への未練に繋がっていたのだ。

(ええやろ、私が試金石になったる。私等の打ち方が“魔王”にどこまで通じるか、それを試したる)

 南一局の配牌が終了した。セーラの手牌はバラバラで、ここは辛抱の麻雀を覚悟しなければならない。しかし、セーラは悲観していない。この局は宮永咲の親番、別の攻め手が攻撃を仕かけるはずだ。

「左手を使ってもいいでしょうか?」

 有珠山高校 真屋由暉子が面子に尋ねる。

「いいですよ」

 競技麻雀で左手の使用は禁じられてはいない。ただ、手が交差接触する危険性があるので、プレイヤーはマナーとして左利きでも右手で摸打を行っているのだ。由暉子の左側でその影響を受けるのは洲崎律子であった。彼女も由暉子の癖を知っているのか、嫌な顔をせずに了承した。

(そうや、この局しかないやろ)

 セーラも船久保浩子からそれを聞いていた。由暉子は、日に一回に限定されるが、左手での摸打により満貫以上を和了できるらしかった。本来ならば自分の親番で使うのがベストであろうが、ここは“魔王”の支配下だ。彼女がそれを使うなら、この局しかないはずだ。

(ベストか……洋榎、私達のベストはしんどいな……)

 ベストとはなにか? それは一概には答えられない問題だ。様々な局面で選択肢は変わるだろう。しかし、セーラ達のベストは変わらない、常に一択だ。それは“美しきこと”。

 ――南一局は6巡目まで進んだ。

「リーチ」

 由暉子が牌を横にする。彼女を止められそうにない。どうやら“魔王”もそれを容認しているようだ。なんの動きも無しに局を進める。

(サポートするまでもないか……ええなこの子、うちの“高1最強”にも見習ってもらわんと)

 最凶の“魔王”を前にしても、自分の打ち筋を貫き通せる自信が由暉子にはあった。セーラはその姿に、なにか美しさを感じていた。

「ツモ、立直一発、門前、平和、一盃口、ドラ1。3000,6000です」

 由暉子の跳満が決まり、セーラの望む最良の展開になっていた。しかし、問題はここからだ。一人沈みになっている“魔王”がこのままで終わるとは思えない。現に、宮永咲から強烈なオーラが発せられている。

(くるか宮永……そうやな、洲崎から点棒を回収せないけんからな)

 セーラは考えていた。宮永咲と宮永照、二人は姉妹ではあるが打ち方はあまり似ていない。ただ恐るべき共通点があった。

(この目に見えるような上がろうとする意志、それが分かっていながらも、誰も止められない)

 実力行使を止められない恐怖。それが対戦相手を萎縮させる。だが、今のセーラは違っていた。止める止めないではなく、いかにして実力行使に反抗するかに集中していた。それがセーラの一択、『ベストな選択』なのだ。

 南二局の配牌が終わり、親の律子がドラ表示牌を裏返す。【西】、咲の風牌だ。圧倒的な圧力がセーラを襲った。

(お得意のドラ8パターンか? すんなり上がれると思うなよ……)

 セーラの手牌は四向聴で、咲に先行できる代物ではなかった。ならば、戦法は一つしかない。“魔王”の和了を妨害することだ。

 

 

 現在の持ち点数(南一局終了時)

  洲崎律子   44000点

  真屋由暉子  28000点

  江口セーラ  18000点

  宮永咲    10000点

 

 

 

 対局室 ルームA

 

 長かった東三局が終わり、園城寺怜の親番の東四局7巡目。2巡先を読み続けていることによって、怜の手牌はすばらしい状態に仕上がっていた。既に三暗刻は確定しており、【四索】の対子もある。それが繋がるかどうかで四暗刻まで期待できる。とはいっても、それは宮永照にも察知されているはずだ。確実に安手で流しにくるだろう。

(ここまでこられたのは奇跡みたいなもんやな……だからこそ、ここは取りに行く)

 2巡先までの未来には、だれの和了も見えていなかった。次巡の久保田莉奈の捨て牌が【四索】で、それを鳴けば聴牌できる。しかし、大逆転終了可能な親の役満を放棄することにもなる。

 怜は決断した。無理をすべき時が、今、到来したのだ。

(……3巡先)

 和太鼓のような心臓の音、浅く速い呼吸音、トクトクと脈を打つ音、それらの不快な音が怜の耳に届いていた。3巡先を見るとはそういうことだ。怜の体は、限界を超えた仕打ちに悲鳴を上げているのだ。

(……見えた……チャンピオンのリーチ)

 なぜ照が立直を掛けるのか。一瞬であったが疑問を覚えた。しかし、そこまでであった。身体的な過負荷が、怜から深慮の機能を奪っていた。

「ポン……」

 莉奈の捨て牌を副露した。対々和への切り替えの選択だ。

(消えた……チャンピオンのリーチが消えた)

 そして、その先に、怜の和了も見えていた。だが、未来視を解くわけにはいかない。自分が対峙している相手は、“絶対王者”の宮永照なのだ。結果を確認するまで、油断はできない。

 心機能も肺機能も全く落ち着かない、完全なオーバーフローだ。12巡目、この局で和了できるはずだ。そこでいったん未来視を止めなければ、前回と同じ過ちを繰り返してしまう。

(きた……)

 当たり牌を引いた。すかさず未来視を閉じる。怜の身体は、正常な状態に戻ろうと努力を始めた。

 呼吸が幾分楽になる。役の宣言ができそうだ。

「ツモ……対々和、三暗刻。4000オール」

 親の満貫、これで照が射程距離に入った。ただ、不安要因も存在した。それは、田辺景子の持ち点が5000点になってしまったことだ。照からの直撃が不可能なこのシチュエーションで、取れるオプションは2種類しかない。

(次で跳満を上がるか、田辺さんに差し込むか……できるやろか)

 現状は宮永照が優位であった。嫌なほど程計算されている。ゴミ手でも上がるだけで良いのだ。対する怜は、一撃で決めるのならば跳満以上が必要とされた。

(やったる……次も……3巡先や)

「一本場!」

 怜らしくない大きな声で宣言した。サイコロを回す。そして、怜の心の目は、3巡先を見ていた。分かっている。3巡先を見る無理はこれが最後だ。これで勝てなければ次はない。

 

 

 現在の持ち点数(東四局終了時)

  宮永照    48800点

  園城寺怜   33900点

  久保田莉奈  12300点

  田辺景子    5000点

 

 

 

 個人戦総合待機室 清澄高校

 

「部長は咲から母ちゃんの話は聞いとるか?」

「いいえ、だって咲は話したがらないから」

「そうか……」

 染谷まこが深刻そうな顔をしている。竹井久はその質問の意図が気になり、確認を試みる。

「宮永愛でいいのかしら?」

「似とらんのじゃよ……咲は」

「え?」

 まこは、悩まし気に話を続ける。

「愛宕姉妹の打ち筋は母親にそっくり、松実姉妹だってそうじゃ。親子ってなぁそがいなもんじゃ」

「宮永姉妹は違うの?」

「お姉ちゃんは似とる。要は“ダンテの定理”の流れじゃのぉ」

「ゴメンまこ。私はアイ・アークダンテの現役時代を知らないの」

 宮永愛はアイ・アークダンテという名前でプロ雀士登録をしていた。現役生活は1年ほどではあるが、いまだに最強雀士というカテゴリーでは候補に上がる名前だ。

「“ダンテの定理”たぁ止められん麻雀じゃ……彼女は日本で初めてそれを見せた」

「なるほど……宮永照はそれを受け継いでいる。でも、咲だってそうでしょ?」

「咲はなあ……もっと凶悪な奴によう似とる」

(そう……まこ、あなたもそうなのね)

 先ほどの姉帯豊音戦で、久は咲の背後に凶悪な影を見ていた。おそらくそれは、まこの見たものと同じはずだ。

「ウインダム・コール?」

「ああ……そうじゃ」

 まこは眉を寄せて頷いた。

「でもね、私達の知っている“巨人”のデータは、10年近くも前のものよ」

 ウインダム・コールは用心深かった。世界選手権3連覇後の引退。その後の試合はすべて非公式で、出てくる映像情報は彼の編集が加えられており、牌譜も公開されていない。純粋な彼の打ち筋を確認できるものは、引退前のものしかないのが現状だ。

「じゃが、河はよう似とる。10年前の“巨人”とプラマイ0時の咲の河は、おおかた一致する」

 久に向き直ったまこの表情には、不安心がありありと浮かんでいた。

「嫌な感じじゃ、見えん歯車が一つずつ噛み合わさっていくような……そんな気がする」

「どういう意味?」

「ええか部長、模倣するにゃあその仕組みを理解せにゃあならん」

「まさか……咲は“巨人”の謎を解いたって言うの?」

 無敵を誇る“アルゴスの巨人”のシステム、その謎を解いた者は皆無であった。咲が解いたとは信じられない話であったが、模倣の原理は間違いがなかった。形だけの物まねならだれでもできる。しかし、結果を伴う模倣はシステムそのものから真似なければならない。

 考えこんでいる久に、まこは追加の質問をした。

「無敵の“巨人”を、一時的にせよ劣勢に立たせたのはだれじゃ?」

「……小鍛治プロ?」

「小鍛治健夜の別名は“ドラの支配者”」

「咲と共通するわね」

「部長、これが偶然か? まるで咲は……ある目的だけの為に作られた機械じゃ……」

 まこは言葉に詰まり、口を震わせている。きっと、凄まじい境遇の後輩に、心の底から同情してしまったのだろう。

(まこ……もう遅いわよ。歯車はね、とっくに動いていた。残念だけど、あなたはそれに巻き込まれる。だって、その中心にいるのは、あなたが守ろうとしている大切な後輩の宮永咲なのよ)

 

 

 「WEEKLY麻雀TODAY」プレスルーム

 

「へくち!」

 幼稚園児のようなくしゃみであった。高鴨穏乃と新子憧は、そのくしゃみをした小鍛治健夜を見た。

「ごめんなさい」

 恥ずかしそうに顔を赤くして謝る。三十路近い女性とは思えないしぐさだ。穏乃は笑顔でそれに答えた。

「ミナモちゃんは咲ちゃんと同い年なのですか?」

 気を取り直して、健夜は西田順子に質問をした。

 その話は穏乃にも衝撃であった。第三の宮永の存在。名前はミナモ・オールドフィールド。姉妹の従妹で、不確定情報ながら、姉妹は彼女が苦手であったらしい。話が本当ならば信じられないほどの脅威になる。

「はい、今年の6月で16歳ですから、咲ちゃんや穏乃ちゃん、憧ちゃんと同学年ですね」

 穏乃は少し照れてしまい、憧に助けを求める。だが彼女は、モニター上のルームGの試合に釘付けになっており、話も上の空のようであった。

「憧ちゃん、気になる?」

「セーラさんは不器用ですから、咲には相性が最悪です。……でも、あの人は真っ直ぐな麻雀を打ちます。私はそれが好きでした」

 埴渕久美子の問いかけに、憧はモニターを見たまま答えた。穏乃はその話を本人から聞いたことがあった。憧は、江口セーラに生理的な苦手意識を持っていたが、彼女の麻雀には好意を感じると言っていた。何度も闘った末の感情移入がそこにあるのだろう。

 憧の手に力入る。おそらく今は、友人である咲ではなく、江口セーラを応援しているはずだ。

「凄い抵抗ですね……真屋ちゃんに牌を集めて差し込みを狙っている」

 順子の感想は、すぐさま健夜に否定される。

「残念ですが、次の局でそれは終わります」

 健夜は、咲の考えが読めるかのように断言した。

 ――結果が健夜の言葉を証明した。咲が嶺上開花ドラ8の24000点で和了し、一気にトップに躍り出た。

「セーラさん……」

 憧が思わずつぶやきを漏らした。

 穏乃にも憧のセンチメンタルな気分が伝染した。セーラの闘いに、団体戦での大星淡の姿がオーバーラップしていた。

「咲ちゃんと小鍛治プロは、どちらが強いんですか?」

 順子の記者らしい好奇心による質問だ。穏乃も現実に戻される。なぜならば、その答えを知りたいという欲求に逆らえなかったからだ。

「団体戦の中継で、福与恒子が聞いていたことがありましたよね。うやむやになりましたけど」

「……」

 健夜は、少し考えてから穏乃に視線を合わせる。

「その質問は、私よりも穏乃ちゃんに聞いてはいかがですか? 私は咲ちゃんとは対戦していませんし」

 いきなり話を振られた穏乃は、慌てて反論した。

「私だって小鍛治さんとは対戦していませんよ!」

「でも、穏乃ちゃんは、私の打ち方を知っているはずですよ」

「……」

 図星であった。阿知賀女子学院の監督は赤土晴絵だ。そして、彼女こそは、小鍛治健夜の謎に最も近づいた者、穏乃は、それを晴絵から聞いていた。

「西田さんとかいますけど……言ってもいいんですか?」

「どうぞ、隠すほどのものではありません。私も穏乃ちゃんの意見が聞きたい」

 穏乃は深呼吸した。西田がボイスレコーダーを準備している。相変わらずスイッチが入っていない。

「小鍛治さん、あなたは“ドラの支配者”だ」

「……」

「ドラゴンズアイ……あなたの操る龍は“眼”を持っている」

「それで……?」

「あなたは宮永咲には勝てない!」

 

 

 対局室 ルームG

 

 試合の流れ(南二局迄)

  東一局  江口セーラ   8000点(2000,4000)

  東二局  江口セーラ  12000点(3000,6000)

  東三局  江口セーラ   8000点(2000,4000)

  東四局  洲崎律子   32000点(江口セーラ)

  南一局  真屋由暉子  12000点(3000,6000)

  南二局  宮永咲    24000点(6000,12000)

 

 

 現在の持ち点数

  宮永咲    34000点

  洲崎律子   32000点

  真屋由暉子  22000点

  江口セーラ  12000点

 

 

 南二局で江口セーラは、真屋由暉子と洲崎律子に有効牌を供給し続け、なんとか宮永咲の和了を阻もうとした。しかし、咲は、そんなセーラの抵抗をあざ笑うかのように、強烈な打撃力を持つ嶺上開花ドラ8で上がった。

(止まらへんか……しゃあないな。最後は私が親やさかい、次は確実に取らなあかん)

 持ち点10000点から一撃でトップに躍り出た宮永咲に対し、セーラは逆に役満放銃から失点を重ね、12000まで点数を落としていた。現状、親番の上りは不可能、勝利の為には、次での三倍満が必要だ。仮にそれが達成できたとしても、オーラスで咲の和了を阻止しなければならない。その困難さに心が折れてしまっても、だれも文句は言わないだろう。しかし、セーラの選択肢は一つしかない。

(難しいけどな……それしかないのなら、それをやるまでや)

 南三局が開始された。三倍満を完成させるというのは並大抵のことではない。配牌時にそれなりに手が揃っていなければ断念せざるを得ない。

 ――配牌が終わった。手牌の並びには咲の凶悪な意志が宿っていた。

(宮永……)

 親の真屋由暉子が裏返したドラ表示牌は【四筒】、そして【五筒】は、セーラの手牌の中に刻子として存在していた。しかも2枚は赤ドラだ。既にこの時点でドラ5、断公九の二向聴で、萬子の一盃口も絡められる好配牌であった。

 セーラは、この罠を仕組んだ咲を睨む。昨日の疲弊しきった姿とは違い、“魔王”の風格で自摸番を待っている。

(すべては、プラマイ0の布石か……)

 プラマイ0で勝つプロセスとして、面子の点数を平均化しなければならない。その為に咲は、前局の三倍満で洲崎律子から12000点を回収していた。

(お前の考えてるいることは分かってる。16000点……それを失いたいんやな)

 咲の策略には驚くしかなかった。彼女は、この局でセーラに倍満を振り込むことによって、オーラスでの点数調整に最適な環境構築を目論んでいた。暫定トップでオーラスを迎える律子が守りを固めるのは明白だ。何しろ、“魔王”撃破の快挙が掛かっているのだから。由暉子には跳満縛りを発生させ、行動の自由を奪い、セーラには早上がりを意識させる。それが、咲の望む環境設定なのだ。

(もしも私が……それを拒否したら……お前は、どうするんや?)

 親の由暉子が【中】を捨て牌し、セーラの順番が回ってきた。

 【四萬】

 これで一盃口が役に加わり、門前で上がれば8翻であった。立直をかけ、一発や裏ドラが乗ると、セーラの勝利条件の三倍満も期待できる。

(よだれが出そうな展開やな……)

 ――そこから暫く無駄自摸が続く。恐れ入る演出であった。不自然さを排除する為にセーラの聴牌は10巡目まで焦らされた。

 セーラは牌を眺めながら口を開く。

「少し考えてええか?」

 咲が無表情に頷き、他の2人も了承してくれた。とはいえ、マナーとしてのリミットは数十秒ほどであろう。それは、セーラの錯綜した心をまとめるには、あまりにも短い時間であった。

 【二索】【五索】の両面待ち、その申し分のない手牌を、セーラは凝視していた。

(上りを拒否したら……お前はどうする……)

 先ほどと同じ問答を繰り返す。

 個人戦開始前、セーラは園城寺怜の為に宮永姉妹と無理心中をしようと考えていた。それは怜の直訴によって中断していたが、再びその考えが心をよぎった。

(宮永の足を引っ張るのは間違いじゃない……しかし……)

 セーラは咲に目を向ける。視線が合い、その光のない目が判断を鈍らせる。目を牌に戻して問答を継続する。嫌な汗が出てきた。正しいとはなにか? その価値観がセーラを苦しめる。

(ええやろ……その罠はまったるわ。形のないものに怯えるのは性に合わん)

 セーラは顔を上げる。そして牌を横にして切った。

「リーチ」

 下家の咲が自摸牌に手を伸ばす。もう結果は見えている。立直一発で9翻、裏ドラは乗らず三倍満には届かない。だが、罠と分かっていても上がるしかない。

 咲が一度自摸牌を手牌の横に置いてから捨てる。

 【五索】、しかも赤ドラだ。これで10翻、咲から最高級のエサを提示された。

「ロン。立直、一発、断公九、一盃口、ドラ6。16000」

「……」

 裏ドラを確認しないセーラに、咲が疑問の目を向けている。

「そやったな、念のために見とくか」

 セーラは王牌に手を伸ばし、裏ドラをめくった。【西】、予想通り無関係な牌だ。

 16000点の点棒が咲から渡され、セーラはそれを受け取る。

「おおきに、次は暗槓からの嶺上開花か?」

 無理に笑顔を作り、挑発的な質問を咲に浴びせる。

「……はい」

 “魔王”が姿を現した。その冷酷な答えが、周囲の気温を一気に低下させていた。“魔王”は実施すべき行為を断言した。セーラも、由暉子も、暫定一位の律子も、それを止められる気がしないのだ。“魔王”が創出した寒さに震え、たじろぎ、畏怖していた。

 牌のセットが完了した。

(嶺上開花ドラ4……普通ならレア役や……それが止められんだと……?)

 親のセーラの回したサイコロが【右10】で止まる。セーラは“魔王”の前の山から配牌を始めた。

(だったら、プラマイ0を阻止したらええ……)

 セーラの気持ちが乗り移ったかのような配牌が続く、役はないが二向聴、手が進んで立直をかければプラマイ0を崩すことができる。

 ただ、それはだれもが考える手法で、おそらく成功例はないだろう。セーラにもそれは分かっていた。しかし、セーラはそれを選択した。実行すべき一択として決定されたのだ。

(……やるとなったらなにがなんでもやる、それが私達の麻雀や)

 

 

 個人戦総合待機室 白糸台高校

 

 大型モニターにはルームGの試合がメインで映し出されており、観客は黙々と見つめている。画面から伝わる場の空気が、観客の無駄話を抑制しているのだ。

 解説の藤田靖子もその影響を受けていた。福与恒子の振りにも、歯切れの悪い言葉を返すだけで、いつもの説得力がなかった。

 ――しかし、オーラスの宮永咲の変貌に、靖子は語気を強める。

『宮永……正体を現したか……』

『宮永咲選手……凄い雰囲気ですね、団体戦決勝のオーラスと被ります』

『そういえば、福与アナはそれを実況していたんだよな?』

『彼女は小鍛治プロの言う“魔王”ですよ』

『“魔王”、頂点に立つものか……小鍛治さんが言うと、なかなか意味深だな』

『藤田プロ……すこやんにははぐらかされましたが、もしも二人が闘ったら、どちらが勝つと思いますか?』

『そんなこと分かるわけがないだろ』

『そうですか……』

『まあ、分かっていることもあるが……』

『それはなんですか!』

『ドラを操る者同士……二人が闘ったら、ただでは済まない』

 モニター上でルームAの宮永照の姿がズームアップされた。

『おーっと、その話は後だ! ルームAで動きがあったぞ! “絶対王者”にピンチ到来だー!』

『……』

 

 

 そこまでのものではないだろうと、弘世菫は思っていた。園城寺怜の気迫のこもった追撃は驚異的ではあったが、照と怜の相性を考えると、まだ危機感を覚えるほどではなかった。

「園城寺怜は未来を変えられない……宮永先輩はそう言ってました」

 亦野誠子がされてもいない質問に答えた。

「園城寺は和了を放棄した。あれは照対策のはずだが?」

 今度はきちんと質問をする。いささか意地悪な質問ではあるが、誠子はそれに対応する。

「まだ効果は認められません。この局を園城寺が取ったら、あるいはですが」

「そうだな……あるいはだ」

 9巡目に突入したその卓では、照と怜の両者が聴牌していた。

(園城寺……“絶対王者”とは、無慈悲なものだぞ)

 命を削るような凄みで迫る怜に対し、照はクールな殺戮マシーンと化している。立場上言葉には出せないが、菫は園城寺怜に感情移入していた。団体戦の時といい、彼女の闘いには、魂を揺さぶるなにかがあるのだ。

(照……せめて……一気に倒してやってくれ)

 

 

 対局室 ルームA

 

 オーバークロックの状態。チームメイトの船久保浩子は、園城寺怜の3巡先の読みをそう言っていた。パソコン用語らしく、怜にはチンプンカンプンではあったが、現状は浩子の言葉どおりであった。

(『2巡先なら、園城寺先輩の能力範囲です。だけど3巡先はいけません、一時的に使うのならともかく、連続使用なんてしたら壊れてしまいますよ』)

 肺の機能だけでは呼吸が難しく肩を上下させてそれを補う。心臓もずっと太鼓を叩いている。手の動きも遅くなっている。けれども、脳だけは凄まじい速度で動いている。

 ――3巡先に、怜の上りが見える。平和、三色同順の自摸上り、立直一発で跳満だ。

(浩子……これはな……ほんまに壊れてまうで……)

 再起動からわずか数局、ノイズ混入の可能性は少ない、ならば、見えているものは真実のはずであった。しかし、怜は3巡先を継続する。ここが最大のポイントだ。妥協は許されない。

 宮永照が【八索】を捨てる。見えていた未来と一致する。

 そして、10巡目、怜は宮永照とはなんであるかを知ることになる。

(…………なに……)

 2巡先に怜が上がるのは変更がなかった。だが、その先の未来も存在した。それは時間のパラドックスであった。3巡先に照が3900で上がる未来が見えている。だとすると、どちらかが間違っている。怜の和了か? 照の和了か?

(これは……ノイズか……?)

 11巡目、照の和了以降の未来が消えた。自分と照の上りは変更がない。怜は混乱していた。理解できない現象が強烈な眩暈を誘発した。

「うう……」

 倒れそうになったので、怜は両手で椅子を掴み、身体を支える。前かがみになり、呼吸を整え、未来視を解除する。

(ノイズやない……浩子……私達は、間違っていたのかもしれへん……)

 心臓の太鼓のリズムが遅くなり、眩暈も治まっていく。怜は闘いを継続する。

「リーチ」

 次巡で上がる未来が存在する以上、ここは立直を掛ける。逆転勝利には不可欠な要素だ。

 呼吸が落ち着き、怜は頭を上げる。皆、怜が見た未来と同じ牌を捨てている。

 問題は次の自摸だ。未来視では【六筒】を自模り和了のはずだ。怜は不安気に山に手を伸ばす。

(まるで幻影でも見ているようや……)

 怜の手が途中で止まる。照を含めた面子の3人が心配そうに見守っている。

(幻影…………そうか……幻影や)

 すべてがそれで筋が通る。なぜ未来を変えられないのか? 簡単なことだ。その未来は、そもそもが存在しない宮永照の見せる幻影なのだ。

 怜は、震える手を再び動かし牌をつまむ、その皮膚感覚は【六筒】以外の牌であることを教えていた。

(そうや……前2局で私が止めたのは、チャンピオンの上りやない……リーチや)

 1巡先ではあるが、怜は未来視を再起動した。

(……三倍満)

 未来は組み替えられていた。照の3900は、一気に三倍満和了に改変されている。“絶対王者”は一撃決着を望み、リミッターを切っていたのだ。

 怜は、自摸牌である【一筒】を捨てる。

(勝てない……あなたの作り出す幻影を……私は見分けられない)

 怜はそう結論した。宮永照は、怜の見る未来に幻影を混入させている。意図したものなのか、彼女の持つ力ゆえなのかは不明であるが、なにが幻影であるかを識別できないのならば、今は勝ち目がなかった。

 照が牌を自模り、目だけを動かして怜を見た。

「園城寺さん……これが私の全力」

 倒された牌は、美しいまでに萬子に染められていた。

「ツモ、門前、平和、清一色、二盃口。6000,12000」

 怜の視界がぼやける。

(チャンピオン……私は、あなたの弱さを知りました。あなたも私と同じ……負けることを恐れる、普通の高校生……“絶対王者”……それも幻影ですな……)

 ――少しだけ意識が飛んでいたようだ。気が付くと怜は、宮永照に担がれていた。

「チャンピオン……」

「大丈夫?」

「はい……なんとか」

 心配そうに訊ねる照に、怜は笑顔を向ける。

「怜ぃ!」

 親友は裏切らない。予想どおりというべきか、清水谷竜華が怜の救出に駆け付けた。

 照の安堵のため息が聞こえた。安心した表情で怜を竜華に引き渡す。

 離れ際に、怜は照に問いかける。

「チャンピオン……負けないでくださいよ」

「……努力はする」

 答えにくそうに照は言った。

 竜華が照から自分を受け取り、肩に担ぎなおした。

(あなたが、なにを恐れているか分かったような気がする)

 照が礼をしてその場を立ち去る。それを見送りながら怜は考える。

(骨肉相食む闘い……それは悲しいことですな……)

 彼女が恐れている者は、妹の宮永咲に違いなかった。もう一人の親友江口セーラが、現在形で闘っている相手だ。

「竜華……セーラは?」

「苦戦しとるで。妹ちゃん激強やわ」

 怜と竜華は顔を合わせて笑う。それは信頼の現れであった。どんな強敵であろうが、江口セーラならば納得した答えを見つけられる。

「竜華……あの部屋付き担当者の前で私を降ろして」

「……なにすんの?」

「まあ……けじめやな」

 竜華は、雀卓から離れた場所にいる運営担当者の前に怜を立たせた。すぐそばに寄り添ってはいたが、今、怜は自分の足だけでそこに立っていた。

 戸惑っている中年男性の前で、怜は最後の見栄を張る。

「千里山女子高校三年、園城寺怜は……個人戦を棄権します」

「……ハイ」

 運営担当者は慌てて本部と連絡を取っている。それはそうだ。リザーバーの手配をしなければ、競技が継続できないからだ。

 竜華が再度怜の腕をとる。まだ自力で歩けそうにもなかったので、怜はそれに甘えた。

「竜華……見つけたで」

「なにを?」

「ゴールや……私は、まだまだ走れるで」

「私も付き合うたる。打倒“絶対王者”やろ?」

 怜は頷いた。そうだ。自分ができたのだから、かつての憧れの存在、江口セーラができないはずはない。

 

 

 ルームA試合結果(南一局にて終了)

  宮永照    73800点

  園城寺怜   20900点

  久保田莉奈   6300点

  田辺景子   -1000点

 

 

 個人戦総合待機室 千里山女子高校

 

「ここまでやな」

 愛宕雅恵は園城寺怜の棄権によって、自校の優勝戦線からの脱落を判断した。無論、江口セーラの試合は継続されるが、トップ4に残る為には、彼女が直面している危機を乗り越えなければならない。雅恵の目には、それは困難に思えていた。

「そうですな……嶺上開花ってのは、ここまで厄介なもんだったんですね」

 姪の船久保浩子が同意をする。ただ、その十把一絡げな考え方には釘を刺しておく。

「アホぬかせ、こいつは特注品や」

 画面に映された宮永咲の手牌は、単騎待ちで聴牌の状態だ。刻子のドラ牌を持っており、ドラ牌槓からの嶺上開花で跳満になる。持ち点はピッタリ30000点、プラマイ0が完成する。

「なぜだ……なぜ、リーチもかけられない……」

 二条泉が悔しそうに言葉を放つ。良いことであった。悔しいという感情は、多くの場合プラスの作用をもたらす。雅恵が泉に与えた役割は、このインターハイを見届けることだ。悔しさを知り、それを学んだら良い。

「それが“百の目を持つ巨人”のスタイルや。だれも逆らうことができない」

「服従しろっていうんですか!」

 雅恵は、ムキになって反論する泉に、微笑みを返した。

「だれがそんなこと言うたんや」

「……」

 雅恵は乱暴に泉の頭を撫でる。髪がぐちゃぐちゃになった泉はちょっとだけ嫌な顔をしている。

「あの小鍛治健夜が宮永姉妹を取り込もうとしている。物騒な話やろ?」

「……はい」

「服従か……それは楽な選択やな。私がそんな横着者に見えんのか?」

「……すみませんでした」

 ルームGの試合が終了した。宮永咲はプラマイ0でセーラを退けた。これで千里山女子高校の優勝戦線からの脱落が決定的になった。

 雅恵は希望という言葉が嫌いであったが、園城寺怜と江口セーラが宮永姉妹に屈した今、それに活路を見出すしかなかった。

 雅恵に残された希望、それは一年生の二条泉であった。

「お前にはうちの高校に入ったことを後悔してもらう。“魔王”? それがなんやっちゅうねん。ぶちのめしたらええのや。絶対に服従なんかせーへんで」

「はい!」

 泉が、いい顔で返事をした。隣では浩子がそれをからかっている。

(反抗の準備を急がなければならない……)

 雅恵は、宮永姉妹が対立しているうちに、熊倉トシ等と融合して、反抗勢力を作り上げようと思っていた。なぜならば、その遅れは、小鍛治健夜の“ニューオーダー”の完成を加速させるからだ。

 

 

 対局室 ルームG

 

「宮永……麻雀ておもろいな」

 江口セーラは、試合終了の後、宮永咲にそう話しかけていた。後悔はなかった。自分は信じられる選択を行い、届かなかった。ただそれだけの話だ。

 思えばセーラは、捨てられない過去に苦しんでいた。それがこの対局ではっきりした。真の江口セーラの闘いはこれから始まるのだ。こんな楽しみなことはない。

「はい」

 無表情で宮永咲が答える。セーラは満面の笑みで肩を叩く。

「頑張りーや。負けたらオレがゆるさへん」

 そう言ってセーラはルームGを離れた。

 

 

 ルームG試合結果

  宮永咲    30000点

  洲崎律子   29000点

  江口セーラ  22000点

  真屋由暉子  19000点

 

 

 ――部屋を出たセーラを待っていたのは、姫松高校 愛宕洋榎であった。

「なんや、洋榎か」

「なんやとはなんや、ご挨拶やな」

「そやな……すんまへん」

「……セーラ、ええ顔しとるで」

「そら、元がええからや」

「……どやった妹は?」

 不敵な笑みを浮かべ、洋榎が質問した。

 セーラはそれに答える前に、入口に掛けられているモニターを確認した。

 

 

 個人戦決勝3回戦 ルームG

  南大阪代表 愛宕洋榎(三年生)

  長野代表  宮永咲(一年生)

  岡山代表  新免那岐(三年生)

  青森代表  五所川原恵(二年生) 

 

 

 激闘を終えて、感情が昂っていたセーラは、自分の次の試合しか目に入っていなかった。どうやら洋榎は、ここで宮永咲との対戦が決まっているらしい。

「なんや。オレの次は自分か……難儀な話やで」

「難儀やない。私はむっちゃ楽しみなんや!」

 相変わらずだなとセーラは呆れる。本心かどうかは分からないが、愛宕洋榎はどんな強敵が相手でも、自分の打ち筋を曲げずに精一杯楽しもうとする。

「お前には勝てんわ、ただ、気ぃ付けておきや」

「なにをや……」

「桁が違う、宮永妹は強すぎる。オレはなんもできんかった」

「言葉と顔が一致せーへん。お前は随分と楽しそうやで」

「ふふ……」

「気色悪……」

 ドン引き状態の洋榎とすれ違い、セーラは次の試合会場へと足を進める。

「セーラ! 見せたるからな!」

 後ろ姿に洋榎が大声で話しかける。洋榎が見せたがるものは一つしかない。

 セーラは振り返らずに、負けずと大声で言う。

「見せたりーや! 格の違いをな!」

 返答はなかった。その代わりに、ドアを開けて閉める音が聞こえた。王道麻雀の本家が、“魔王”とどう闘うか? 試合がなければ熱中して観ていただろうなと、セーラは思っていた。

 

 個人戦総合待機室 清澄高校

 

「竹井さん……今度もし私が泣いたら殴ってもらえますか」

「華菜ちゃん……」

 ルームFの対戦表が公開されている。竹井久の隣に座っている池田華菜が、それを見て深刻な顔で懇願している。

 ――目の前を片岡優希が通り過ぎていき、華菜の頭を平手で殴った。結構いい音がするものだなと久は感心した。

「イテー! 今じゃないし!」

「なんだ、池田は殴ってほしいのかと思ったじぇ」

 華菜と優希が頬っぺたをつねりながら取っ組み合いを始めた。

「上級生には……敬語を使え」

「池田ごときに……それはもったいないじぇ……」

 周りの迷惑になるので染谷まこと吉留末春が止めに入る。久と久保貴子は、顔を見合わせ、げっそりしている。それぞれの問題児の説教をしなければならない。文字通り頭の痛い話だ。

 

 

 個人戦決勝3回戦 ルームF

  西東京代表 宮永照(三年生)

  長野代表  福路美穂子(三年生)

  南大阪代表 末原恭子(三年生)

  新潟代表  春日千絵(二年生) 

 

 

「華菜ちゃん……美穂はなにか策があるの?」

「分かりません……ただ、キャプテンはこう言っていました」

 真っ赤になった頬をさすりながら華菜は言った。

「まだ終わりじゃない……見ていてくれと」

「そう……」

 画面にルームFが拡大された。遅れて到着した宮永照を、福路美穂子と末原恭子が出迎えている。いや、出迎えているというよりは、待ちかねて立ち上がったというのが正しい見立てだろう。そこには、映像でさえも伝達可能な緊迫感漂う間があった。

(美穂……未来は決まっていない、真実は見えるものじゃない……宮永照の幻影を打ち破って!)

 親友の美穂子の集大成がこれから始まる。久は手を握り締め、祈るように美穂子にエールを送り続ける。

 


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