咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

36 / 66
16.王の資質

「WEEKLY麻雀TODAY」プレスルーム

 

「小鍛治健夜は宮永咲には勝てない」

 高鴨穏乃のその発言から、実に長い沈黙が続いていた。小鍛治健夜が無言で見ている。「そのわけを話せ」彼女はそう要求しているのだ。穏乃はためらっていた。なぜならば、それを話すということは、友人である宮永咲の弱みを教えることになるからだ。

「な……なぜか聞いてもいいかしら?」

 沈黙に耐えかねたのか、西田順子がそれを催促した。

 しかたがないので、穏乃は曖昧な答えを返すことにした。それでも健夜には通じるはずだ。

「ドラゴンズアイ……咲さんは、それを小鍛治プロから奪います」

「ドラゴンズアイって……あれは単なる噂ですよね?」

 健夜の操るドラは周囲の牌を読み取れる。その噂を称して“ドラゴンズアイ”といった。順子は、暗に、それは本当なのかと聞いている。

「肯定も否定も無視もしません。西田さんにとってどれも信じられないでしょうから」

「……」

 追加の質問をシャットダウンする言いようであった。順子は黙る以外にない。

 健夜は穏乃に顔を向ける。

「よく分かりました。穏乃ちゃんと話せて本当に良かった」

 健夜は、“TV向けの優しい笑顔”で言った。ただ、穏乃にとって、そのアイテムは彼女の怖さを再認識させるものであった。

(そうか……あなたは、私以上に咲さんのことを知ってるんだね)

 穏乃にも見えない咲の力の本質、健夜はそれを掴んでいるように思えた。

 健夜はゆっくりと立ち上がった。どうやら、ここでの用事は終えた様子だ。

「いいネタになりましたか?」

「これ記事にしていいんですか?」

「もちろん、ただし、阿知賀の子達の名前は出ないようにしてください」

 やったとばかりに、順子は埴渕久美子に矢継ぎ早に指示を出している。

「ミナモちゃんの件も記事にしますか?」

「……宮永ファミリーの調査は、私のライフワークですから……」

 後ろめたそうに順子が答える。

「そんなつもりで聞いたのではありません。記事に支障のない程度に情報をもらえないかと思いまして」

「喜んで。またメールで送りますよ」

 立ち去ろうとする健夜がアイコンタクトしてきた。ここから逃げたいのかと聞いていた。穏乃と新子憧は郷土玩具の赤べこのように、首を上下に揺らした。

「穏乃ちゃんと憧ちゃんも、私が預かってもいいですか?」

「えー……まだ聞きたいことが沢山あるしなー」

 穏乃は、祈るように手を組んで健夜を見つめた。憧は神様を呼ぶように目を閉じて手を合わせている。

 健夜が笑う。

「しかたありませんね。良い情報を差し上げますので、二人を解放してください」

「……その情報とは?」

「ウィンダム・コールはミナモ・オールドフィールドを見つけただけではありません。既に確保しているのです」

「!」

「そうです。世界戦で実現するかもしれませんね」

「ミナモ……VS宮永姉妹……夢の対決」

 そうつぶやいて、順子は自分の世界に入ってしまった。おそらく記事の構想を練っているのだろう。

 穏乃達は健夜に促され、プレスルームを後にする。固まってしまった順子に呆れながら、久美子が手を振っている。

「助かりました」

 憧と一緒に健夜に礼を言った。あのままだと試合終了まで拘束されていたはずだ。

「二人に会ってほしい子がいるんだけどな」

「いいですよ」

 穏乃は即答した。健夜は“人”ではなく“子”と言ったのだ。つまりは同じ高校生ということだ。拒否する理由はなかった。

「どんな子ですか?」

 憧もそう思ったのだろう。笑顔で健夜に尋ねる。

「無口な子でね、でもとっても強い。麻雀を始めて数か月で地区王者になった天才」

 憧と顔を合わせる。

「も、もしかして、もこちゃんのことでは?」

「……まあ、ここは気がつかなかったことに……」

「え?」

 ひそひそ話を不審に思ったのか、健夜が振り返る。穏乃達は作り笑いを浮かべて「なんでもありません」と言った。小鍛治健夜といえども人の子なのだ。全知全能ではない。

 阿知賀女子の面々と東海王者の対木もこは既に出会っていたのだ。

 

 

 個人戦会場 連絡通路

 

(テルー……勝ち続けるって、こんなに難しいことだったんだね) 

 大星淡は、チームメイトの宮永照の凄さを再認識していた。

 ここまでの2試合、淡の勝利はきわどいものであった。1回戦の小瀬川白望、鶴田姫子の追撃。そして、2回戦では獅子原爽に東場で2万点以上差をつけられ、苦戦を強いられた。オーラスで一発逆転の高火力絶対安全圏が決まらなければ、淡の闘いは、そこで終わっていた。

 ルームGの前で立ち止まる。モニターには友人の宮永咲の名前と一緒に、愛宕洋榎の名前もあった。

(あの愛宕さんとの対戦……サキはまた凶悪化するんだろうな……)

 このインターハイの潮流は、宮永姉妹討伐戦になっていた。洋榎は荒川憩や園城寺怜、辻垣内智葉と並び、その最先鋒に位置している。普通の勝負ではすまないはずであった。

「咲ちゃんが気になるのー?」

 その声に振り返ると、ナース服を着た笑顔の女性が立っていた。照に匹敵する能力を持つと言われている荒川憩であった。

「荒川さん……」

「大星ちゃんも咲ちゃんが目当て?」

 “も”とはどういうことだろうと淡は考えた。

 荒川憩のターゲットは、彼女が連敗している宮永照のはずであった。しかし、憩は咲もそうだと言っている。

「あなたもサキの敵ですか?」

 敵対心を込めて淡は聞いた。これは重傷だなと思った。咲の敵は自分の敵、そんな感情が自然に生まれていた。

「こわいなあ、まるであの子みたいやな……原村和ちゃん」

「……」

「大星ちゃん、そんなん神経張り詰めてちゃあダメやで。せやな、私がちょっと助言したるわ」

「助言?」

 淡は、大きく息を吐いてから聞き返した。場数の違いと言うべきか、憩に簡単にいなされてしまった。

「方法は一つやない。倒す相手は照さんでもええ……」

「そのタヌキに騙されるなよ、大星さん」

 憩の背後から辻垣内智葉が現れ、淡に助言した。これは本当の助言だろう。憩が嫌そうな顔をしているからだ。 

「タヌキちゃいますよ辻垣内はん。私は大星ちゃんになあ……」

「耳を貸さないほうがいい、荒川はこういう戦術に長けている」

 反論は無意味と考えたのか、憩が苦笑いをしている。

 皮肉っぽい笑みを浮かべていた智葉が真面目な顔になり、淡にそれを向けた。

「ただね、私には疑問が残っている。なぜ、君は宮永咲を守ろうとしているのか? 原村和はチームメイトで友人だろうから理解する。でも、君は宮永照に近い立場だ。姉妹の対立が現状ならば、立ち位置は逆のはずだ」

 団体戦決勝での敗北も加味すれば、そう考えるのは当たり前だ。だが、淡にとってあの敗北は、もっと神聖ななにかであった。例えるならば、生まれ変わりの儀式のようなものだ。多分、高鴨穏乃もネリー・ヴィルサラーゼも同じ考えだろう。しかし、その感覚は、あの場にいた3人以外には理解不可能だ。

 淡は、智葉の鋭い目に向かい合う。

「生意気なことを言ってもいいですか?」

「……ああ」

「辻垣内さんが、どうしてテルーに勝てないのか、分かった気がします」

 さすがに智葉の顔も引きつる。淡は構わず話を続ける。

「テルーなら直ぐに気がつく、だって簡単な理由だから」

「……」

「私もサキの友達ですから、ノドカに負けないぐらいの」

 言葉なく突っ立っている智葉に、憩が復讐とばかりに嫌みを言った。

「これは一本負けやな」

「……いや、真剣なら私は死んでいた」

 言葉とは裏腹に、智葉も憩も、笑顔をその場に残して移動していった。

 一人残された淡は、再びルームGのモニターを眺める。

(サキ……私も負けないよ)

 

 

 対局室 ルームA

 

「福路さん……私がなにをしても驚かんでくださいよ」

 姫松高校 末原恭子が眉を下げて言った。おそらく彼女は、なりふり構わぬ宮永照への妨害を画策しているのだなと、福路美穂子は思った。

「はい、でもそれはお互い様になるかも」

「まあ、そうですな」

 普通に打っては勝ち目がないので奇策を使う。それは敗北主義的であるとも言えたが、宮永照と同卓になるものは、その選択を迫られる。自分と恭子は、それを選んでいた。

(照さん、あなたを倒すヒントは、咲ちゃんの打ち方にある)

 今年長野に彗星のように現れ、驚異的な能力で団体戦を制覇した宮永咲は、“絶対王者”宮永照の妹であった。その特殊な打法はなぜ生まれたのか? その答えを美穂子はこう結論付けた。

(咲ちゃんの打ち方は、“絶対王者”を恐れさせる力)

 照魔鏡の秘密を話してくれた時に、咲は言っていた。

(「自分の手牌なんてあっと言う間に読まれる。でも、嶺上開花は止められない」)

 つまりはそういうことだ。嶺上開花は“絶対王者”の恒久的な弱点なのだ。

 だがそれは、狙ってできるものではない。美穂子は究極の感覚解放で嶺上牌を推測し、再現しようと考えていた。照魔鏡下では困難なことだが、連続和了を止める最後のカードになる。

 現在、美穂子は右目を閉じている。とはいえ、予選の手は使えないはずだ。“絶対王者”は最初からリミッターを切ってくる。美穂子の眼のスイッチは無視される。

 美穂子は、不運にもこの面子に加わった春日千絵を眺める。落ち着きなく牌を触ったり、点棒を確認したりしている。ベスト50に残れた実力者ではあるが、“絶対王者”との対戦は、二年生の心を萎縮させている。

(春日さん……ここはあなたがキーになる。申し訳ないけど、私はあなたを利用させてもらう)

 その千絵が、ビクッと反応し、入口方向を見ている。“絶対王者”が現れたようだ。

「遅れてすみません……」

 その言葉に恭子が立ち上がる。なぜか知らぬが美穂子もそれにつられてしまった。千絵もそれが礼儀であるかのように立ち上がった。

「対戦を切望していました……姫松高校、末原恭子です」

 照はなにも言わずに頷いた。そして、3人を順番に眺めて、この対局への決意を語った。

「私は……負けるわけにはいかない……」

 末原恭子が笑っている。確認はできないが、自分もその状態のはずだ。

 美穂子は心の中で、照に返事を言っていた。

(それは、私達も同じですよ、チャンピオン……)

 

 

 個人戦総合待機室 姫松高校

 

 これから席決めが開始されるルームAと、既に試合が開始されているルームGが並列してモニターに映されていた。姫松高校からの出場選手である愛宕洋榎と末原恭子が、それぞれで強敵を迎え撃つことになる。

「さっきの千里山に続いて、今度はうちですか……同時に宮永姉妹とぶつかるなんて、運がいいのやら悪いのやら……」

 決勝戦は50人の枠内での抽選だ。姉妹と当たらない確率のほうが低い。ただ、同時に対戦が決まるのは希なケースと言えた。上重漫の発言は、それを踏まえた独り言同然のものであった。

「ええんちゃう? 洋榎ちゃんも恭子ちゃんも、結構楽しみにしていたのよー」

 二人と付き合いが長い三年生の真瀬由子が、屈託なく答えた。

「代行……前に荒川を倒せって言っていましたが、この二人は倒さんでええんですか?」

「倒してもええよー」

 愛宕絹恵がムッとした顔で赤阪郁乃を睨んだ。

「それは、お姉ちゃんと末原先輩が宮永姉妹に勝てないって意味ですか?」

「まさか、二人なら勝てる可能性はあるでー」

 姫松高校麻雀部のメンバーは、宮永姉妹を擁護しようとする郁乃に、少なからず不満を持っていた。絹恵の忍耐は、ついに限界に達してしまった。

「ふざけないでください! 私達は優勝の為に、ここまで努力してきたんじゃないんですか!」

「……そうやで絹ちゃん。洋榎ちゃんと恭子ちゃんは、実力で宮永姉妹を倒したらええだけや、それが麻雀の厳しい掟やで」

「掟?」

「あらゆる努力は美しい、けどな、それは結果に結びつくとは限らない……」

 いつになく真面目な表情で郁乃は話す。

「ちょうど10年前や……今年の咲ちゃんとよく似た怪物がインターハイに現れた。名前はな、小鍛治健夜って言いよった」

 笑いを取ろうとしたのか、郁乃は健夜の名前を大げさに言った。

「その絶対的な強さに、私達は怯えるしかなかった」

「代行はそうかもしれない! でも私達の麻雀は逃げない!」

「そうや。それが掟や」

「……」

「お母さんから聞いとるやろ、小鍛治健夜の登場によって、日本の麻雀は一歩前に進んだ」 

「実力主義……」

 絹恵から怒気が消えていた。郁乃の指摘は的を射ていたようだ。

「私も選手時代はな、小鍛治健夜をぶちのめしたるってな、毎日毎日、練習練習やったで」

「絶対的な存在が必要ですか……?」

「個人的な意見や……善野さんとは考えが違う」

 郁乃は拡大されたルームGに目を戻し、諭すように絹恵に語りかける。 

「絹ちゃん。お姉ちゃんなあ、きっと物凄く強なるで」

「私は、お姉ちゃんが負ける姿を見たくない!」

「私もです! 負けることを前提とした話はやめてください!」

 声を荒げる二年生に、穏乃が微笑む。

「そうやで、その怒りこそが……新しい秩序の源や」 

 

 

 対局室 ルームG

 

  ルームG席順

   東家 宮永咲

   南家 五所川原恵

   西家 愛宕洋榎

   北家 新免那岐

 

 対局は東一局の7巡目まで進んでいた。起家は宮永咲なので、ここは確実に取らなければならない。愛宕洋榎はオカルト要素を信じないが、否定もしていなかった。矛盾しているように思えるが、洋榎らしい住み分け論がそこにあった。

(親では上がれない。全8局で終了する。そういうルールがあるんやったら、そこでプレイさせてもらうで、要はバレーやバスケと同じや、点数が多いほうが勝ちや)

 8巡目、洋榎の手牌にはドラが存在しない。末原恭子によると、上がれる時には、嫌になるほどドラが集中するらしい。つまり咲は、自分に上がらせるつもりはないのだ。

 洋榎は山から自摸牌を取る。

【三萬】

 雀頭として対子で持っている牌だ。刻子になったので、平和から断公九への切り替えを判断しなければならなかった。なぜならば、表になっているドラ表示牌は【一萬】だからだ。

【三萬】が順子に発展する可能性は低いと言えた。

 とはいえ、まだ序盤で、手牌も二向聴の状態だ。とりあえず保持するのは間違いではない。

 洋榎は不要牌である【六索】を切る。

「カン」

 だれもが恐れる咲の大明槓、しかし洋榎は微動だにしない。

(お前が作ったルールや、上がれるわけがない)

 そうなると、咲の意図するものは一つしかない。槓ドラで面子を陽動することだ。

 咲がそれを表にする【二萬】、洋榎の手牌に絡んできた。

(大星で学習済みや……その手には乗らん)

 洋榎は全体の河を眺める。咲は索子で染めているように見える。もちろんフェイクであるのは分かっている。五所川原恵は、筒子を中心とした断公九狙いの捨て牌に見えた。そして、新免那岐。聴牌しているように見え、ドラ牌の【二萬】は彼女が刻子で持っているだろう。洋榎の手を封じる為に仕組まれた河であった。

「私がドラを切れないと思てるやろ、なめてもろたら困るで」

 洋榎の9巡目の捨て牌は【三萬】、すかさず那岐が副露する。

「チー」

 洋榎には分かっていた。なにもかもがフェイクなのだ。那岐の聴牌も、咲の染め手も、恵の断公九も。すべては“魔王”が場を自在に操る為のギミックなのだ。

 洋榎は、光のない咲の目と対峙する。

(なるほどな……根性無しやったら、ビビッてまうかもな)

 10巡目、ドラ牌の幻惑を振り払い、最初に狙っていた平和に手を定める。自摸は有効牌になった。これで一向聴、目は咲に合わせたままだ。

 次巡、咲が自摸の為に視殺戦を降りた。チープなチキンレースは洋榎が勝利した。

(この勝負も、私がもらうで)

 洋榎は躍動し、自摸牌に手を伸ばす。聴牌を予感していた。それは経験則から導き出された確信に近いものだ。

 そして、予感は的中した。洋榎は再び咲に目を合わせ、立直棒を置いた。

「リーチや」

 直撃を恐れず立直を掛ける洋榎に、咲の口元に僅かな笑みが浮かぶ。

「愛宕さん……あなたは強い。その強さが、私を変える」

 予想外の展開であった。咲が対局中に話しかけてきた。その後、咲の微笑は、暴力的な笑顔に変化した。洋榎は、体中の血が逆流していくように感じた。

「そうか……やったらそれ証明してみぃ」

 こんな悪魔に負けるわけにはいかない。異質な、まったくもって異質な打ち手であった。宮永咲は洋榎が受け入れることのできない存在だった。

 11巡目、自分の意思を“魔王”に見せつけなければならない。その為には、この自摸に全精神を集中する。

(こい!)

 洋榎は自摸牌を指でなぞり、卓に叩きつけた。それは反逆の証であった。

「ツモ、門前、立直、一発、平和……」

 洋榎は裏ドラを確認する。一枚乗っていた。咲が笑顔で眺めている。

「宮永……」 

 洋榎は、自分のプライドを賭けて倒さなければならない存在を見つけてしまった。“魔王”宮永咲こそは、母親から受け継いだ王道麻雀の真の敵であった。ならば、叩きのめすしかない。

「――ドラ3。3000……6000!」

 

 

 対局室 ルームA

 

  ルームA席順

   東家 春日千絵

   南家 福路美穂子

   西家 末原恭子

   北家 宮永照

 

 

 東一局、“絶対王者”は“照魔鏡”を強制し、場をその監視下においていた。長きにわたり、その正体が不明であった“照魔鏡”は、末原恭子の上家にいる右目を閉じた福路美穂子によって、その仕組みが解明されていた。とはいえ、それは“照魔鏡”の脅威を排除するものではなく、むしろその逆の効果を生み出していた。

(手牌が読み取られるのは確実、それが前提のオプションは数少ない……)

 あるいは、もしかしたら、などの可能性は、“照魔鏡”の非情な現実の前に、すべて無効化されてしまった。簡単にいうのなら、“照魔鏡”は、謎の脅威から、確実な脅威に変化したのだ。

 ――東一局も終盤に差しかかっていた。おそらくではあるが、美穂子は自分と同じことを考えているのだろう、上がる意思がないのか、捨て牌がバラバラであった。

 恭子は、親の春日千絵を眺める。二年生ながら、場の流れに順応できる将来性豊かな打ち手で、この対局は彼女の成長に役立つはずだ。

「ツモ、門前、断公九、平和、三色同順。4000オールです」

 16巡目に千絵が上がった。それは見事としか言えなかった。宮永照が上がらない東一局は、多くの者は早上がりを目指す。“上がれないよりはまし”という心理が働くからだ。しかし、千絵は違っていた。自分と美穂子に上がる意思がないと見切り、満貫にまで手を進めた。

(そうや……宮永照は、後半にあんたの飛び終了をちらつかせて圧力をかけてくる)

「一本場」

 千絵の表情は緩まない。自分の置かれている立場をはっきりと理解しているのだ。

 想定どおりの展開に、恭子は、現状はパートナーと呼べる美穂子に目を向ける。

(……福路さん、なんともえげつない……もう一局、チャンピオンから奪うつもりですか?)

 ――美穂子は両目を開いていた。この一本場で、右目のデータを宮永照に取らせる為だ。そして、この局は、彼女も取りにくる。

(ええですよ、そうこなくては、私の作戦が成り立ちまへん)

 12巡目、美穂子が勝負をかける。

「リーチ」

 安手ではないはずだ。少なくとも満貫以上でなければ上がれない。美穂子は宮永照に勝とうとしている。自分とは違う。

 恭子は自分の手牌に目を落とす。まとまりのない勝負不可能な手牌であった。もしも勝負の神様がいるとしたならば、『お前はそれで十分だ』とでも言いたげなものであった。

「ツモ、立直、門前。平和、一盃口、ドラ1。2100,4100」

 14巡目の美穂子の和了。これでいい、これで準備が整った。自分のやるべきこと、それは、宮永照の妨害だからだ。

(準備が整ったのは私だけではありませんな……)

 照は、点棒を美穂子に渡し、やや大きめな溜め息をついた。これから始まる彼女の独演会、連続和了の舞台準備も整っていた。

(考えろ……私が彼女達に勝てるのは考えることだけや、発熱し、オーバーヒートするぐらいに考えろ)

 東二局の自摸を進めながら、恭子の脳はフル回転している。

(この“照魔鏡”ですら、連続和了のパーツでしかない)

 恭子が解かねばならぬ謎、それは“ダンテの定理”であった。祖母のテレサ・アークダンテから、母親のアイ・アークダンテを経て、宮永照に継承された解読不可能と言われている謎だ。

(いや……解いた者は一人だけいる……)

 それは、テレサ・アークダンテを再起不能にしたウィンダム・コールであった。ただし、それは10年以上も前の話で、使い手も、独自の能力である“照魔鏡”を連動した、最も完成度の高い宮永照に移っていた。解読は困難さを増していた。

(鍵はドラか……)

 戒能良子や小瀬川白望の特殊な例を除けば、宮永照には苦手とする相手がいた。阿知賀女子学院 松実玄であった。とはいっても、照は敗北したわけではなく、特殊な条件で玄に振り込み、なにかの力を奪われていた。

「ツモ、門前、東。500,1000」

 照の和了宣言、凍るような冷たい声であった。その安手は、悪夢の連続和了の始まりを意味していた。

(満貫を超えるまでは止めるのが難しい……)

 美穂子も千絵も表情を硬くしている。これから、まとまった失点を覚悟しなければならない。

 恭子は考察を継続しながら、取り位置を決めるサイコロを回す。東三局は恭子が親番なのだ。

(ドラの使い手は三人……松実玄、小鍛治健夜、宮永咲。そして、宮永照はだれよりも妹を恐れている)

 力の順列をつけるのならば、弱いほうから、ドラが集まりやすい松実玄、ドラを操る小鍛治健夜、ドラを支配する宮永咲の順になる。

(ドラの支配……それは王牌を支配すること。それをされると“ダンテの定理”は崩れる)

 そこまではだれでもたどり着く、しかし、そこから先は明確な答えがない。

(王牌……中国語では切り札、皇帝に献上する不可侵の牌……どんなに速く聴牌しようとも、どんなに凄い役を聴牌しようとも、目的牌が王牌にあったらただの道化や)

 定理と呼ばれているからには、その死に牌を正確に把握できていなければ成立しないと恭子は思っていた。その王牌こそが“ダンテの定理”の謎を解く鍵に違いなかった。

 7巡目、照が二回目の和了を宣言した。

「ツモ、門前、断公九、一盃口。1000,2000」

 親の連荘を放棄していた恭子にとって想定内の失点であった。順当な点数の上がり方だが、次からは照の親番なので増加率が高まる可能性がある。照はラス親でもあり、連続和了は2回目の存在も意識しなければならない。だとしたら、初回は早い終了が望まれる。

(連続和了が終了するパターンは三つ、点数の増加に耐えきれなくなり自己終了する。松実ん時みたいに弱点を突かれ終了する。そんでもって……これが重要や……)

 東四局が開始された。恭子は壁牌から牌を自模る宮永照を見る。無表情で目だけが自己主張している。その姿には、幾多の強敵を退けてきた王者の風格が漂っていた。

(なんらかのイレギュラーでも止まる……つまり“ダンテの定理”には、もろさが存在するんや)

 末原恭子は、三度の宮永咲との対戦により、短期間での攻略が困難な相手を認識した。咲の実姉である宮永照もその一人だ。今日は勝とうとは思わない、その次もそうだ。またその次だってそうかもしれない。しかし、最後には自分が勝利する。

 その為の敗北は、決して無意味ではない。

(今日は自分をおとりにする……福路さん、たのんまっせ)

 照の独走を許してしまうと、なんの情報も得られない無意味な敗北になってしまう。ここは福路美穂子にBETするしかない。

「リーチ」

 8巡目に宮永照が立直をかける。この辺から翻数を上げる為に立直を多用してくる。

(立直をかけたっちゅうことは、絶対に上がれる自信があるわけや……それは麻雀の持つ偶然性を無視しとる)

 宮永照の立直後の和了率は7割を超える。偶然の常識からかけ離れた数字であった。

 恭子は照の観察を行う。なんの変化も見られない。恐ろしいまでに冷徹な面持ちだ。

 9巡目、照は上がらなかった。捨て牌の【六索】は、美穂子の危険肺に思えたがスルーされた。もちろん“照魔鏡”によって安牌だから捨てたのであろうが、なにか違和感の残るやり取りであった。

(福路さん……なにをしようとしとるんですか?)

「ツモ、門前、断公九、平和。2600オール」

 10巡目の上り、宮永照が福路美穂子を見ている。あからさまに視線を合わせている。

 美穂子はそれを笑顔で跳ね返し、その理由が隠されている手牌を倒し、投入口に入れる。

 怖いぐらいの静寂が続いている。雀卓の牌をセットする音がやたらとうるさく感じられる。

 牌がせり上がり、照はもう一つの騒音を発生させる。カラカラと回るサイコロの音だ。そして、照は、その静寂を発声によって破る。

「一本場」

 

 

 個人戦総合待機室 清澄高校

 

 竹井久は、大型モニターに映る福路美穂子を眺め、あ然としていた。

「華菜ちゃん……美穂は、もしかして?」

「練習でも何度か試したことはあります。……でも冗談だと思っていた。まさか宮永照を相手に、これを狙うとは……」

 美穂子が狙っているのは嶺上開花に違いなかった。聴牌率を度外視して槓材を揃える。この一本場もそうだ。役無しの状態で刻子を二つ持ち、聴牌を急いでいる。

(美穂……それは愚策よ。あれは咲だからできること、私達には無理よ)

「華菜ちゃん……成功率は?」

「ゼロです……」

「美穂はこう言ってなかった。「槓て、こんなに難しいんだ」って」

「ええ……竹井さんも?」

 池田華菜の質問に、久は腕組みをして鼻から息を吐く。

「私は清澄の部長なのよ、部員の力量は把握しなきゃね」

「すると……」

「まこを相手に何度も試したわ、ほとんどが槓をする前に終わる」

「おんなじじゃ、成功率はゼロ」

 染谷まこが意地悪気に口を挟んだ。しかし、それは事実なのだ。嶺上開花は狙って作れる役ではない。

(美穂……確かにそうかもしれない。でも咲の真似は無理よ、宮永照が恐れる理由は咲が規格外すぎるからよ……)

「部長、そんな悲観的に考えなさんな、いけるかもしれんぞ」

「……河が咲と似ているの?」

「全然、じゃが近くはなった。次があればあるいは……」

「一発勝負を狙っている?」

 その質問に答えたのはまこではなかった。

「連続和了を強制的に止めて崩す……宮永照に勝つにはそれしかない」

 名門風越女子高校のコーチ、久保貴子の答えだ。それは美穂子のものと一致するはずだ。

「34分の1、福路ならその確率を13分の1にできる。私はやる価値があると思う」

 麻雀牌は34種類、嶺上牌で上がれる確率はそれがベースになる。だが、感覚解放した福路美穂子ならば、それを王牌の残数(一枚はドラ表示牌)に絞り込めると貴子は言っていた。それは分かるし、多分そうであろう。けれども、嶺上開花の困難さは、その状態を作り上げるのが絶望的に難しいことにあった。

「少なくとも強運は必要でしょうね」

「強運とは楽観的だな竹井……」

「……」

「とんでもない話さ……必要なのは奇跡だよ」

 

 

 対局室 ルームA

 

 東四局一本場、福路美穂子は槓材として【西】を刻子で持っていたが、いまだに一向聴であった。嶺上開花という役を、読みだけで作り上げる難しさを思い知らされていた。

(【西】はだれも持っていない。山か王牌に一枚残っているはず。上り牌も理想的で、このまま進めば、萬子の三面待ちになる。【一萬】は死んでいるけど他は生きている)

 美穂子は両目を見開き、感覚を完全開放していた。面子の手牌は高確率で推測できている。あの宮永照でさえもだ。この局も終盤に差し掛かろうとしている。【西】は照以外ならば捨てるはずだ。特に捨身の戦法を選択している末原恭子ならば、喜んで切るだろう。

 しかし、親の照は、12巡目に、美穂子に絶望を与えた。

 照の切った牌は【西】であった。

「……」

「福路さん……」

 照が対局中に話しかけてきた。美穂子は驚いていた。こんなことは前例がなく、照のその顔は、ひどく険しかった。

「咲の真似は……不可能です」

「そうですか?」

 妹の真似をされて怒っているのか、言葉にも棘があった。

「あの子は……怪物だから。宮永咲は、私が作りあげた怪物……」

「……」

 美穂子は震えていた。この宮永照には勝てないとも思った。凄まじいまでの罪悪感を持ち、それゆえにその清算を望み、姉妹対決を決意した者。そんな人間には勝てるわけがない。

 だが、美穂子はその震えを止める。そして、宮永照の過度な罪悪感を緩めなければならないと思った。

(照さん……咲ちゃんも……あなたたちは罪悪感を持ちすぎている。自分を苦しめ、相手を苦しめる。このまま闘えば、共倒れになる)

「リーチ」

 13巡目の照の立直、間違いなく次巡で和了するだろう。美穂子の読みでは、照の手牌は三色同順だけで、12000にするには一発で上がるしかない。

「ツモ、立直、一発、門前、三色同順。4100オール」

 これで三連荘、手も満貫まで上昇している。次は跳満以上、そろそろ照も苦しくなる。美穂子は笑顔で点棒を渡し、友達のように照に話しかける。

「次は決めますよ。嶺上開花」

「……二本場」

 まるで怒りを堪えているかのごとく照の頬が震えている。

(咲ちゃんは怪物なんかじゃない。照さん……あなただってそう。私がそれを証明する)

 美穂子は理牌を終えて、手ごたえを感じていた。良い配牌であった。槓材も二つある。後は面子の手牌を洗い出し、嶺上開花のプロセスを組み立てる。

(あなたたち姉妹は……ダイヤモンドのように強い。でもね、ダイヤモンドは砕けるの。そして、ダイヤモンドは燃える。その強さは永遠ではない)

 

 

 

(嶺上開花やて? 福路さん……あんた、顔に似合わず無茶苦茶ですな)

 手なりで嶺上開花を成立させるには、いくつもの偶然が必要とされる。はっきり言えば無理なのだ。末原恭子は、その無理筋を行っている福路美穂子を眺める。ブルーとブラウンの目で、面子の挙動を見ていた。全国でもトップクラスの洞察力をフル稼働している。

(そうですか、あなたは“ダンテの定理”は解けないと考える人ですか?)

 そういう考え方も存在する。“ダンテの定理”で“Aの次がBならば次はCである”という決まりがあるとする。なんらかの法則があってCになるのなら解明もできるだろう。だが、それが宮永一族の感性によって決定されるのならば、解くことができない。

 唯一解いたと言われるウィンダム・コールにも別の説がある。

(『ウィンダム・コールの能力が、単純に“ダンテの定理”を凌駕していただけ』)

 解いたのではなく、より強い力で破壊しただけという説だ。飛びついてしまいたくなる分かりやすい説だが、恭子はそう考えていなかった。

(解けない謎はありません……でも、その闘い方は、ちょっと羨ましいですな)

 くしくも美穂子と同じ考えになっていた。宮永姉妹をダイヤモンドに例えていた。

(ダイヤモンドはダイヤモンドでしか削れない。宮永照と宮永咲……)

 東四局二本場は、9巡目に突入していた。美穂子は面子の手を読み切ったのか、目の運動量が少なくなっていた。準備はあらかた整った様子だ。

(ダイヤモンドは、ある角度からの衝撃で、容易に砕ける。……それが嶺上開花)

 考えるだけなら簡単なことだ。しかし、実際にやるとなると、驚異的な精神力が必要になる。恭子は本当に羨んでいた。そんなことができる美穂子の精神力を、妬ましいまでに羨んでいた。

 

 

 福路美穂子は、自分の出しうる力のすべてを出し切っていた。彼女の五感は高性能なセンサーと化し、集められた情報をもとに、他家の手牌を推察する。そして美穂子は、初めて嶺上開花が可能な聴牌状態を完成させた。

(春日さんは萬子を中心に手を作っている。末原さんも同じで、萬子とバラバラの字牌を持っている。宮永さんは、私の手牌を見切っている。二つの槓材【八索】は潰された。でも【二筒】はまだ生きている。待ち牌の筒子の両面待ちは切られた。だから【三索】の頭待ちに変更した……)

 苦しい待ちではあるが、もう9巡目だ。ここから手を変えるのは不可能であった。

 美穂子は宮永照に顔を向ける。

 彼女も連続和了の最中なのだ。美穂子の妨害ばかりはしていられない。

 10巡目、親の照は、自摸牌を横にして置いた。

「リーチ」

(今回は一発はない……)

 普段は読み辛い照の手牌であったが、なぜかこの局は、容易に読むことができた。これも嶺上開花の効果なのかと思った。

(三色と一盃口……一発は必須ではない)

 とはいっても、美穂子の心拍数は一気に高まる。“絶対王者”の立直は、それほどの力を持っていた。

 美穂子の自摸番、狙うは【二筒】からの嶺上開花。上り牌の【三索】は残り46枚の中に2枚ある。王牌にあるとは限らないが可能性はある。しかし、まずは、残り1枚の【二筒】を引かなければ話にならない。

 美穂子は右手を山に伸ばす。汗で湿った親指には【二筒】以外の情報が伝わる。

(ちがう……)

 胃が締め付けられる。指先が震えているのもわかる。吐く息も断続的になっている。

 その極度の緊張は、照に読み取られているはずだ。

(見てはだめ……ここで宮永さんを見たら、私の心は折れる)

 美穂子は自分の手牌に集中し、無駄自摸を捨てる。

 そして、美穂子は視覚情報をシャットアウトした。

 ――恭子が牌を自模る音が聞こえる。僅かに考えてトンという音を立てて打牌した。次は宮永照の自摸番だ。彼女の特徴である手牌の横に牌を置く音が聞こえた。

 ――長い、長すぎる。

 照はなかなか牌を切らない。和了宣言するのではないか? そんな不安に、美穂子は押し潰されそうになる。

(お願い……)

 願うのはだれか? それは美穂子にも分からなかった。しかし、その願いは聞き届けられた。

 照の牌を捨てる音、続いて春日千絵の自摸の音。

(最後の……チャンス……)

 次巡で照が上がる予感がした。だからこの自摸で上がる必要がある。単純な計算で42分の1で【二筒】を引き、約20分の1で【三索】を引く。そんな奇跡を実行しなければならない。

 意を決し、自摸牌を取る。

(!) 

 奇跡は起きた。美穂子の自摸牌は【二筒】、牌を並び替えて晒す。

「カン」

 宮永照が見ている。美穂子は目を合わせ、笑顔を返す。

 そして嶺上牌、美穂子はそれを指の腹で撫でて、高く突き上げる。

 ――まるで宮永咲のように。

「怪物ではない。あなたも……咲ちゃんも」

 手をゆっくりと降ろし、静かに牌を置いた。

【三索】

「ツモ、嶺上開花、断公九、ドラ1。2200,4200です」

 その宮永照の表情は、美穂子にとって忘れられないものになった。悲しさ、悔しさ、嬉しさ、怒り、そのどれともつかない表情で美穂子を見ていた。そして、両目からは涙がこぼれていた。

 

 

 個人戦総合待機室 白糸台高校

 

 大型モニターには、嶺上開花を決められた宮永照の姿が映し出される。「おおー!」というどよめきが、会場を震わせている。

 

 

『“絶対王者”が泣いている!』

『……宮永』

『藤田プロ! 涙ですよね。照選手のこれって涙ですよね!』

『そうだな……』

『なにを想う! 高校生最強宮永照! 妹以外に決められた嶺上開花になにを想うのか!』

『……』

 

 

 弘世菫は、その画面が良く見えていなかった。

(ああ……照……)

 恥も外聞もなく泣き崩れていた。亦野誠子と渋谷尭深が心配して駆け寄るほどだ。

「弘世部長……大丈夫ですか」

「すまん……」 

 もう画面を見ていられなかった。ハンカチを目に当ててうつむいた。

「想像してしまう……」

「……」

 菫は、昨日、照が家族について話す姿を思い起こしていた。あんなに楽しそうに妹のことを話す宮永照の姿は、初めて見るものであった。

「きっとな……照は思い出しているんだよ」

「……なにをですか?」

「……初めて、初めて咲ちゃんに……嶺上開花を決められた……」

 だめだ、言葉が途切れる。これ以上は話せない。なんということだ。もらい泣きとは、これほどまでに凶悪なものだったのか。

 

 

 画面がルームG切り替わる。愛宕洋榎の連続和了により、場は東三局まで進んでいた。画面にその経緯が映し出される。

 

 

 対局室ルームG

  東一局   愛宕洋榎  12000点(3000,6000)

  東二局   愛宕洋榎   8000点(2000,4000)

 

 現在の持ち点(東二局まで)

   愛宕洋榎  45000点

   新免那岐  20000点

   五所川原恵 18000点

   宮永咲   17000点

 

 東三局は洋榎の親番であった。既に聴牌しているが、彼女らしくない迷いが見受けられた。

 

 

『愛宕選手迷っているのでしょうか』

『当然だ。愛宕は親だからな。この宮永に、親で立直を掛ける馬鹿はいない』

『でも、親で聴牌。しかもまだ9巡目。これまでの愛宕選手なら迷わず立直ですが?』

『この宮永の手牌を見てもそんなことが言えるのか?』

 

 

 少し落ち着き、涙も引いた菫は、画面を見つめる。

「この最悪な手牌を見るのは二度目だな……」

「ええ……団体戦決勝、高鴨穏乃を撃破した時以来です」

(そういえば、あの時は、咲ちゃんは笑っていたな……悪魔の笑顔で……)

 あの宮永照でさえも怯えた嶺上開花ドラ16を決めた時のように、宮永咲の手牌には槓材が三つもあった。

 会場がざわつき始める。

 

 

『これは……団体戦の……』

『福与アナは知らないかもしれないが、宮永の三槓子狙いは4度目だよ』

『4度目?』

『そうだ……長野の地方予選で、天江衣はこの三連続槓の前に敗北した』

『怪物……ですか? 福路選手があんなに苦労して決めた嶺上開花を、まるで平和のように決めるなんて……』

『……怪物でいいのか? 小鍛治さんは別の言い方をしていなかったか?』

『そうでした……』

 

 福与恒子の大きく息を吸い込む音が会場を包み込んだ。

 

『宮永選手の策略に、愛宕選手はどう決断するのか! 魔王対王道! その雌雄はここに決着だー!』

『まだ東三局だ。飛ばし過ぎだよ』

『……すみません』

 

 

 対局室 ルームG

 

 愛宕洋榎は自問自答を繰り返す。なにが正しいことなのかを。

 ここは宮永咲が指定したフィールドだ。ルールも彼女が決めている。しかしなんの競技を行うかは決まっている。それは洋榎の最も得意とする麻雀だ。だから、アウエイだからとか、ルールがどうだとか、いいわけはしたくなかった。いつでもどこでもきっちりと勝つ。それが洋榎の信じている麻雀であった。

(宮永は聴牌していない……)

 洋榎の聴牌察知は優れた武器であった。それが咲の手牌のリスクを教えてくれている。筒子の染め手なのは間違いがなかった。筒子には、まだ一枚も見えていない牌が4種類もあった。

(天江衣を倒したあれか……厄介やな……)

 ノーテンからでも強引に上がれる信じがたい能力。それが槓を武器にする宮永咲だ。しかも、今は三尋木咏が人類最凶と比喩した状態でもある。危険回避は当然の選択だ。

(逃げるんやない。私は逃げてるんやない……)

 二回連続で和了し、点数も余裕がある。そして、自分の手牌、萬子の混一色で聴牌している。しかも4面待ちでだ。ただ、ドラが一枚もなく、同僚の末原恭子が言った上がれる条件とは異なっている。まるで、「どうせ降りるんでしょ」とでも言っているようであった。

 1巡は立直を掛けずに様子を見たが、続く10巡目も、自摸牌は当たりではなかった。

(安牌……このまま黙聴でやり過ごすか……危なければ降りるまでや)

 打牌しようとした洋榎の手が止まった。頭では理解している。しかし心がそれを許さなかった。

「宮永……少し考えるで……」

「どうぞ」

 これで黙聴ではなくなった。とっくに知られていたとは思うが、立直を迷っていると面子に周知してしまった。

(ありえへん……私は、負けを怖がっている。大星ん時みたいな殴り合いを拒んでいる。殴り合ったら負けると決めつけている……)

 洋榎は捨てるべき牌に手を伸ばすが、指先の震えで内側に倒してしまった。見せ牌ではないのでチョンボにはならないが、屈辱感で洋榎の顔は真っ赤になった。

「宮永……私は嬉しい……こんなにビビらせてくれる相手と出会えたんやからな」

「愛宕選手、私語は控えてください」

 部屋付きの運営委員に注意される。競技麻雀は三味線行為が禁じられているので、イエローカードを出された。

「リーチや」 

 洋榎の立直に、新免那岐と五所川原恵が慌てている。なにを慌てているのか? 自分がいいというのだからなにも問題はないだろう? そう考えると、二人の慌て方がやけに可笑しかった。

(ええんや。見もしないものを怖いなんて、あほらしゅうてしゃーないわ)

 とはいえ、洋榎は覚悟もしていた。連続槓の破壊力は三倍満以上だろう。だが、普通はそんな想定はしない。連続槓で上がる。王の麻雀では考える必要もない。

「ポン」

 咲が那岐の捨て牌である【東】を副露した。これで咲が筒子の混一色であることがはっきりした。

 11巡目、洋榎の自摸番。手を伸ばし引いた牌は【一筒】であった。

(予想しとったで……この展開はな……)

 洋榎は【一筒】を切る前に、咲に確認しなければならないことがあった。今度はレッドカードをもらうかもしれないが、しないわけにはいかなかった。

「私が立直を掛けると思ってたか?」

「……愛宕さんなら絶対に」

「そうか……そら嬉しいわ」

 洋榎は笑顔で【一筒】を捨てた。

「カン」

 大明槓。咲が手牌を倒し、洋榎の河の【一筒】を横に着ける。そして嶺上牌を取り、牌を並べ替える。

「もういっこカン」

 流れるような咲の動きを眺め、洋榎は心の中で驚きの感想を漏らしていた。

(きれいや…………嶺上開花って……こないな、きれいな手やったんやなあ)

 咲が再び牌を並び替える。

「カン」

 三連続槓、咲の前には15枚の牌が美しく並べられている。洋榎はそれを、芸術作品のように眺めている。

 咲は、最後の一枚を表にして置いた。

「ツモ、嶺上開花、混一色、対々和、三槓子、ドラ8。32000」

 気がつけば、裏返された槓ドラによって、咲のドラは8枚までに増えていた。

(セーラの言ったとおりや……桁が違う。ええやろ、まだ1万点以上残っとる。今度はこっちが格の違いを見せてやる)

「あちゃー数えかいなーこら辛抱たまらんわー」

 それは無理やり放った軽口ではなかった。洋榎の心のつっかえが取れていた。簡単なことであった。これまでと同じ麻雀を続けたら良いのだ。それが後悔しない道、それが信じられる道だ。愛宕洋榎は王の資質を持ち前に進む。彼女の進む道こそが王道なのだ。

「おもろなってきたなあ」

「愛宕選手、失格にしますよ!」

「……すんません」

 咲の口元が緩んだ。“魔王”の顔の中に、可愛らしい下級生の一面が見えていた。洋榎は最高の笑顔を咲にプレゼントした。

 

 

 対局室 ルームG 現在の持ち点(東三局まで)

   宮永咲   49000点

   新免那岐  20000点

   五所川原恵 18000点

   愛宕洋榎  13000点

 

 

 対局室 ルームA

 

 競技麻雀のルールブックに、対局中の会話について以下の記載がある。

『手牌に関する発言、鼻歌口笛、過度な独り言、同卓者との度が過ぎた会話を禁ずる』

 これまでに何人もの選手が、このルールに抵触し、失格となっていた。にもかかわらず、協会は明確な罰則付けをせず、結局はその部屋の監視員の裁量に任せっきりになっていた。

「あなたは思い違いをしている……」

 南一局、7巡目。“絶対王者”宮永照は、“嶺上開花”とういう離れ技をやってのけた福路美穂子を見ながら自摸牌を取った。

 よくしゃべる。かつてないほど、宮永照はよくしゃべった。

「私が怖いのは嶺上開花ではない……」

 照は、手牌の横に置いた自摸牌を倒す。

「ツモ、門前。発。500,1000」

 二度目の連続和了開始を告げる安手であった。

「それでも……あなたは恐れている。咲ちゃんの嶺上開花を」

「そうです、私が恐れるのは……」

 照は、面子から渡された点棒を揃えてボックスに収納する。そして、顔を上げる。

 涙は引いているが、表情は悲し気なままであった。

「宮永咲の嶺上開花だけです……」

「宮永選手、会話は控えめお願いします」

「はい、すみません」

 監視員から私語を警告されて、宮永照が頭を下げて謝る。その隙を見計らって、南二局の親の美穂子がサイコロを回す。

(油断も隙もない……さすがは“魔境”長野のナンバーワンやで)

 末原恭子は、福路美穂子への認識を改めていた。異能者が渦巻く長野県個人戦で、ぶっちぎりの一位通過した実力は、誰もが認めるものであった。ただ一方では、運が良かっただけとの評価もあった。対戦者のペースを崩す片岡優希や南浦プロの孫娘との対局をうまく回避し、宮永咲は前半戦プラマイゼロゲームをしていた。そのおかげで美穂子が一位抜けしたという意見だ。実は、恭子もそう思っていた一人であった。

(とんでもないですな……あなたは文句なしです。だからこそ私は、あなたに賭けられる)

 恭子の持ち点は7200点。これをうまく使い、美穂子を勝たせる。それが恭子の戦術であった。これまで、面子の飛び終了をちらつかせて手を絞らせてきた“絶対王者”に対し、自分の飛び終了を人質にして、同じことを強制する。

 南二局7巡目、連続和了のセカンドステップ。照は3900周辺の手を組んでいるはずで、そろそろ聴牌しているだろう。相変わらず河が分かりにくいが、上り牌の候補は推測できている。

(早上がりの3900。役牌、一盃口……だとすると、これか)

 統計とは恐ろしいものであり、それによって見えなかったものが見えてくる。団体戦の脅威であった松実姉妹の打ち筋が良い例であった。蓄積されたデータを数値化し調査する。その結果、彼女達の脅威は対応可能なものになった。宮永照の連続和了にしてもそうだ。どのステップでなんの手が選択されやすいかは判明している。もちろん“絶対王者”の脅威が無くなるわけではないが、対処方法の選択肢は増える。

 恭子の捨て牌は【八索】、多分照の当たり牌のはずだ。栄和では一翻減るが、点数上昇の条件は満たす。そして、これは“ダンテの定理”のイレギュラーになりうるのかも推察できる。

 照は、その牌をちらりと見ただけで、山に手を伸ばす。

(上がらんか……じゃあ、この局では上がれまへんなチャンピオン)

 その考えを肯定するように、照は自摸切りを行う。

【五索】

 恭子の読みが外れているのかもしれない。しかし、合っているとしたならば、“ダンテの定理”は偶発的な和了を拒むということだ。

(一つずつや、一つずつ詰めていったらええ……判断を焦ったらあかん)

 それは、宮永咲への対応を反省してのものだった。見えたこと、分かったことが、すべて正しいと決めつけて対応した。その結果が昨日の惨敗だ。心を折られる敗北、恭子はそれを初めて味わった。

 ふと、チームメイトの愛宕洋榎の顔が頭をよぎった。

(主将は宮永妹と対局しとるはずや、もしかしたら、負けるかもしれへんな。……いや、あの怪物が相手や、負ける可能性のほうが高い)

 恭子が知っているかぎり、宮永咲は、洋榎が初めて闘う怪物クラスの敵になる。その凶悪さは超弩級で、負けた場合は自分と同じ完全敗北になるはずだ。

(いらん心配やったな……『負けてなんぼ』あんたならそう言うのやろな)

「ロン、断公九、ドラ3。8000です」

「はい」

 南二局11巡目、宮永照の変調を察知した美穂子が、春日千絵からのロン上りに狙いを定めて和了した。他家を活用する美穂子らしい攻め方であった。

(ええですな福路さん。チャンピオンとの点差が6100になりましたなあ。これで私ん持ち点の7200を全額あんたに賭けられます)

「一本場です」

 積み棒を置いて美穂子がサイコロボタンを押した。あまり回らずに4と6で止まった。美穂子は右10から配牌を開始する。照以外の表情は、驚くほど硬かった。皆、恭子と同じことを考えているはずだ。

(この局で終われなければ、宮永照に負ける)

 根拠はまるでなかったが、この卓に渦巻く空気がそう教えていた。恭子は、その空気を発生させている“絶対王者”に視線を向ける。 

(チャンピオン、うちの主将はあんたの妹に負けるはずや……だからあんたにも負けてもらう。いや、あんただけやない、荒川、神代、辻垣内……宮永咲。全勝組とか言われているやつらには、みんな私が土をつけたる)

 配牌を終え、恭子の頭脳は高速回転を始めた。導き出す答えは、福路美穂子の当たり牌。

 

 

 個人戦総合待機室 姫松高校

 

「末原先輩……」

 上重漫が画面を見つめてつぶやいた。だれよりも漫に厳しく、そして、だれよりも優しい先輩。それが上重漫にとっての末原恭子であった。

「漫ちゃん。勝つってな、点数で上回ることだけやないで」

「……」

「見てみい、あれだけ対戦相手ぇ四苦八苦させた宮永照が、恭子ちゃんに手玉に取られてる」

「はい……宮永照はなにがなんでも勝たなければならない。末原先輩はそこを攻めています」

 赤阪郁乃が満足そうに頷く。しかし、漫の表情は険しいままであった。局面が望み通りに進んでいなかった。恭子が賭けている福路美穂子の手が伸びていないのだ。

「役無し一向聴……立直一発は確定やろけど、点数が足りないのよー」

「先輩、宮永照は?」

「同じなのよー、一向聴、平和。早上がりのパターン」

 画面に恭子の手牌が映る。バラバラではあるが、福路美穂子の待ち牌になる可能性のある【三筒】は持っていた。

「待ってますね、福路さんは必ず立直をかける」

 冷静を装ってはいるが、その言葉を発した愛宕絹恵には焦りが見られていた。いや、彼女だけではない、この対局を見ている者すべてが、焦りを感じていた。“絶対王者”とはそういうものなのだ。あと一歩までは追い詰められるが詰め切れない。福路美穂子の手牌の悪さは、その予感をさせていた。

「絹ちゃん、大声だしてもええ?」

「……ええけど?」

 上重漫は、海に潜る時のように大きく息を吸い込み止める。そして、その肺に溜まった空気は、大音量の音声となり吐き出された。

「末原先輩! 頑張って!」

 会場からそれに同調した歓声が上がる。大衆は多くの場合判官贔屓だ。特にこの個人戦での宮永姉妹の強さは度が過ぎている。昨日の小瀬川白望のような快挙を、皆、心待ちにしているのだ。 

 

 

 対局室 ルームA

 

(これが私の限界なの……攻め切れない……)

 南二局一本場、福路美穂子は7巡目に聴牌した。【九萬】の刻子と二つの順子があり、上り牌は【三筒】か【六筒】。これでは立直一発で上がっても2600で、ドラが一枚乗っても5200にしかならない。勝つには雀頭か【九萬】にドラが乗るしかない。

(立直はかけられない、こんな裏ドラに頼るなんて……)

 美穂子の脳裏に、再びあのルーレットが現れる。既に球は投入され、回転速度も落ちている。今にも止まりそうだ。

 立直をかけない美穂子を見て、末原恭子は安牌を切った。

 ――ルーレットは数字が目視できるほどゆっくり回転している。“緑の0”以外ならば宮永照の勝ちだ。

 照が自摸牌を取り、手牌の横に置く。聴牌しているのは分かっている。後は上がるか否かだ。その動向から目を離せない。

 ――ルーレットの球がポケットに落ちそうになり、弾かれた。球はもう一度落ちるべきポケットを探している。

 照は上がらなかった。無駄自摸である字牌を切った。春日千絵も緊張している。慎重に牌を選び打牌した。

 8巡目、美穂子の自摸牌は【九萬】であった。

(70符……ドラが乗れば8000!)

「カン」

 美穂子は槓ドラに賭けることにした。めくった牌は【北】で、手牌には絡まなかったが、まだ終わりではない。期待できる裏ドラは2枚に増加した。

 美穂子は嶺上牌を取る。嶺上開花の必要はない今回は無駄自摸でいいのだ。

(ふふ……)

 美穂子は嶺上牌の【四索】を見て笑った。考えてみれば当たり前のことだ。嶺上開花なんて、宮永咲以外には、そうそうできることではない。

 その【四索】を横にして捨てる。美穂子はこの局面を創り出した末原恭子に、感謝と謝罪をしていた。

(私一人ではこんなことはできなかった。もう一度照さんに勝負をかけられる。……本当なら、もっと確実な手で挑みたかった。でもごめんなさい……これが、私の精一杯)

「リーチ」

 下家の恭子がすかさず【三筒】を切る。

「ロン、立直、一発……」

 ――ルーレットの球がポケットに落ちる。その数字は“赤の16”であった。

 その非情な現実に、裏ドラを確認しようとしていた美穂子の手が止まった。末原恭子と目を合わせる。彼女も察した様子だ。目を閉じて小さく頷いた。

 裏ドラは乗らなかった。美穂子の点数が確定する。

「……4500です」

「はい……」

 

 

 対局室ルームA 南二局一本場までの経緯

  東一局      春日千絵  12000点(4000オール)

  東一局(一本場) 福路美穂子  8300点(2100,4100)

  東二局      宮永照    2000点(500,1000)

  東三局      宮永照    4000点(1000,2000)

  東四局      宮永照    7800点(2600オール)

  東四局(一本場) 宮永照   12300点(4100オール)

  東四局(二本場) 福路美穂子  8600点(2200,4200)

  南一局      宮永照    2000点(500,1000)

  南二局      福路美穂子  8000点(春日千絵)

  南二局(一本場) 福路美穂子  4500点(末原恭子)

 

 現在の持ち点

   宮永照   42800点

   福路美穂子 41200点

   春日千絵  13500点

   末原恭子   2500点

 

 

 個人戦総合待機室 千里山女子高校

 

「洋榎、笑うてまんなぁ」

「笑うしかあらへんやろ。洋榎は最強の敵と闘うてるんやからな」

 違う学校とはいえ、愛宕洋榎は、愛宕雅恵の娘であり、船久保浩子の従姉妹であった。話の人称が近くなる。

 愛宕雅恵は、親族である船久保浩子に質問を投げかける。

「宮永咲、天江衣、大星淡、三人の共通点はなんや?」

「偶然役ですか?」

 即答する浩子に、雅恵は笑う。

「お前にも、洋榎にも、絹恵にも、私はこう教えたはずや、偶然役は切り捨てるしかないてな」

 浩子はそれに答えず、一年生の二条泉に意地悪な顔で問題を出す。

「泉、嶺上開花を根本的に止めるにはどうしたらええ?」

「根本的? 槓させないことですか?」

「海底撈月は?」

「必ず上がったらええんちゃいますか?」

「ダブルリーチは?」

「……先輩、不可能な質問してます?」

「まだまだやな。気がつくのが遅すぎるで」

「……」

 ダブル立直を根本的に止めるには配牌させてはいけない。天和や地和だってそうだろう。つまりは取れる対策がないのだ。だから偶然役は仕方のないものとして処理するしかない。何千分の一、何万分の一の確率でしか発生しない偶然役。それは、あらゆる雀士の死角にあるが勝負に大きな影響を与えるものではない。しかし、浩子に質問した三名は、その死角に居座り攻撃してくる無法者なのだ。

「よっしゃ洋榎! 満貫や、取り返したでえ」

「あの、船久先輩。他校よりも江口先輩の応援したらどうですか?」

「セーラさんは大丈夫やろ。今ダントツやしな」

「まあ、そうですけど」

 満貫を和了した娘の洋榎は、画面の中で笑っていた。それはもう、見たことのないぐらいに楽し気に笑っていた。

(洋榎……楽しいか? せやろな、そいつはお前が見たこともない怪物や。だから覚悟もせにゃならん。お前は真の敗北を知る。それはな……結構きついもんやで)

 宮永咲の怖さは死角からの攻撃ではない。“巨人”のシステムをベースとした点数調整能力なのだ。それこそが愛宕雅恵をして、対応不可能と言わしめるゆえんであった、

 

 

 対局室 ルームG

 

 南二局、愛宕洋榎は上機嫌であった。日焼けしそうなぐらいに肌はひりついている。体験したことのない緊迫感だ。その中で、洋榎は満貫を和了した。無論自分の力だけとは思わない。ドラをすべて拒否したとはいえ、初めから自分の上りは“魔王”に許可されていたのかもしれない。しかし、洋榎は自分の道を貫いた。信じられる捨て牌、信じられる待ち牌を選択し、望む形で和了した。決して“魔王”から与えられたものではなかった。

(私が上がるのに、いちいちお前の許可が必要か? 私の手牌は私のものや。支配力? なんやそれ、麻雀にそんなもんがあってたまるか)

 しかし、南三局にその思いは覆される。これまでの戦法がまったく通じない相手。愛宕雅恵から受け継いだ“王道麻雀”を鎧袖一触で葬り去る力を持った悪魔。その存在を意識せざるをえなかった。

 6巡、7巡、8巡と連続して洋榎は赤ドラを自模った。そして9巡目、赤ドラは四枚になり、洋榎は“三色同順”を聴牌した。

 言葉無き圧力であった。宮永咲は、愛宕洋榎の親番に、意地を貫き通せと指示していた。

(恭子……無理や。こいつを相手に、存在を無視するなんてでけへんで……)

 恐怖や怯え、それは自らが発生させるものだ。地上100メートルの橋、幅が5メートルならさほど怖くはない。だが、幅50センチならばどうか? 渡るのは恐怖そのものであろう。宮永姉妹と対戦する者は、自ら橋の幅を50センチにしてしまう。それは洋榎も分かっている。しかしながら、この現状はどうにもできない。

(この恐怖は幻影や……ここは地上100メートルやない!)

「リーチ」

 洋榎は意を決し、不要牌を横にする。

(簡単なことや。高さが分からないのなら落ちてみたらええ。高かったら死ぬだけや)

「くるでー! 一発くるでー!」

 バンジージャンプを飛び出すように、洋榎は虚勢を張り、自摸牌を取る。監視員が呆れてみている。

 自摸牌は【八筒】、もちろん当たりではない。

「あかんか」

(だれかの当たり牌やろな、一番凹んどる新免やろか……まあ、一ぺん負けるのも……悪うないか)

「ロン、役牌、ドラ3。8000!」

「はい」 

 予想と現実が一致した。那岐に満貫を和了され、立直棒と合わせて9000の失点だ。もはや致命的といえた。

 オーラスが開始された。宮永咲が面子にいる卓では、南四局は真の意味でオーラスであった。洋榎の持ち点は18000、対する咲は41000。逆転するには、ロンなら跳満、自摸なら三倍満が必要であった。

 洋榎は、手牌を見て苦笑いをした。

(上がらせるつもりは無いってか? 見事にバラバラやな) 

 ドラ麻雀を強制されているので上がってみなければ分からなかったが、洋榎は早々に結論を出していた。

(セーラ……この感情、どう処理したらええ? 同じや、手も足も出んかった。完全敗北やで……)

 洋榎は何度も勝負で負けたことがある。ただし敗北をしたことがなかった。なぜならば、敗北とは自分自身が決めるものだからだ。母親から教わった麻雀は、誇りに満ちていた。運が悪かったり、点数で遅れをとったりすることはある。しかし、自分達の麻雀が負けたわけではない。なぜか? 洋榎の信じる麻雀は正しく真っ直ぐだからだ。それを信じるかぎり、敗北はしない。

(そうや……私等の麻雀が負けたわけではない。負けたのは愛宕洋榎や……)

 洋榎は、自分に敗北を味わわせた宮永咲を眺める。対局中ちらりと見せた笑顔も今はなく、人間味のない“魔王”の顔になっている。

(宮永……お前ら姉妹がなんぼ強いかて、それは永遠ではない)

 良いペースで局が進む。新免那岐も五所川原恵も、早い解放を望むべく打牌をしている。

(次は絶対に倒す。もしもダメならその次、それでもダメなら絹がお前たちを倒す。それもダメならな……私か絹の子がお前たちを倒す……)

「ツモ、門前、平和。400,700」

 予定調和的な咲の和了であった。試合終了のブザーが鳴り、四人で立ち上がり礼をする。

「ありがとうございました」

 洋榎は、礼を終えて遠くなっていく宮永咲を見つめている。

(ええか宮永……私達の永遠の力が……お前たち姉妹を倒す)

「始まりや。私達の闘いは今始まった……」

 わざと大きな声で言った。監視員が嫌そうな顔をしている。もう対局は終わったのだ。なにをしゃべろうが自由なはずだ。

 洋榎は監視員に向かって舌を出した。

 

 

 対局室 ルームG 試合結果

   宮永咲   42500点

   新免那岐  20300点

   五所川原恵 19600点

   愛宕洋榎  17600点

 

 

 対局室 ルームA

 

 南二局二本場。実質これがオーラスになるはずだと末原恭子は思っていた。残りの点数は2500、理想的なのは福路美穂子に振り込むことだが、宮永照の気迫が凄まじい。恐らくはリミッターを解除して跳満の一撃決着を狙っているはずだ。

(なら勝機はある。いくらチャンピオンでも跳満の早上がりは難しい)

 6巡目。親の美穂子が顔を上げて、河を見ている。その表情には焦りが浮かんでいた。

(しまった! 順子場か!)

 美穂子の打牌もそれを肯定していた。完全に降りていた。順子場はそれと意識しなければ、手牌に遅れを生じさせる

(妹限定のものかと思ってたが、こんな所でも……なんちゅう懐の広さや……)

 6巡のビハインド。それは取り返すことができないものであった。“絶対王者”とはなにか? その最終回答を、宮永照は12巡目に示した。

「ツモ、門前、混一色、一気通貫。3200,6200」

 

 

 個人戦総合待機室 清澄高校

 

 会場の画面には、今終わったばかりのルームAの最終得点が表示されている。

 

 対局室 ルームA 試合結果(南二局二本場にて終了)

  宮永照   55400点

  福路美穂子 35000点

  春日千絵  10300点

  末原恭子   -700点

 

 

『試合終了ー! 宮永姉妹、順当に1位勝ち抜けだー!』

『本当に順当か? 姉も妹も、かなり苦しんでいたぞ』

『そうですか? 照選手はそうかもしれませんが、咲選手は圧勝だったような気がしますけど?』

『麻雀は点数だけではない。宮永咲は愛宕洋榎を心理戦に持ち込まなければならなかった』

『……はあ』

『……これまで圧倒してきた力勝負を避けていたように見えた』

 

 

(美穂……十分よ……今度は私と二人で、宮永照を倒しましょう) 

 竹井久は、画面に映る親友の福路美穂子に、そう語りかけていた。

 “絶対王者”を二度までも心胆を寒からしめた洞察力。久は美穂子を誇りに思い、今度は自分がサポートしなればと思った。

(そういえば、華菜ちゃんは)

 池田華菜の周りには、片岡優希と久保貴子が立って、なにかをスタンバイしていた。

「コーチ……なにしてるんですか?」

「いや、面白そうだったから……すまん」

 久は、面目無さそうに謝る貴子を見て笑ってしまった。堅苦しいイメージのある貴子だが、こんなふざけたこともできるのだなと思った。

「なんだ、つまんないじぇ、池田はまた泣くと思ったのに、空気を読めない最悪なやつだじぇ」

「つまんねーじゃないし……」

 池田華菜がじゃれ合おうとしていた優希の顔色が変わる。

「のどちゃん……」

 久と華菜も、優希の見ている方向に顔を向ける。

「和……正念場ね」

「荒川憩……相性が最悪ですね」

 大型モニターのルームEの4回戦メンバーに以下の名前が羅列されていた。

 

 

 個人戦決勝4回戦 ルームE

  北大阪代表 荒川憩(二年生)

  熊本代表 細川緑(三年生)

  山形代表 高橋麗華(二年生)

  長野代表 原村和(一年生)

 

 

 インターハイ個人戦 一般観覧席

 

「相性が最悪、それはケイにも言えること」

 対木もこが言った。無口なもこではあったが、突如信じられないほど饒舌になることがあった。

「荒川さんも和が苦手なんですか?」

 高鴨穏乃は、もこがその状態だと判断し、話しかける。彼女の意見は的確で非常に有意義だからだ。穏乃はその意見を求めていた。

「珍しいケース、ケイは原村さんとは闘いたくないと言っていた。互いに苦手意識を持っている。これは興味深い」

「心理学とデジタルってこと?」

 新子憧は荒川憩をそう分析していた。基本はデジタルだが、ポイントポイントで心理学を応用する。“治癒魔法”の時はそれで誘導されてしまう。

「シズノ、アコ。二人はケイに勝った?」

「全然です。お手上げ状態でした」

「アコは?」

「私も……“治癒魔法”で誘導されて終わり」

「ふふふ」

(笑った……もこさんが笑った)

 穏乃は、感情をほとんど表に出さないもこが笑ったことに驚いていた。

「ケイの“治癒魔法”は、心理学だけでは説明がつかない」

「ど、どういうこと?」

 憧が慌てている。穏乃も同じだ。荒川憩は原村和と同系の打ち手だと思っていた。もこは、それに含みを持たせている。

「人間は無意識の状態をコントロールできない。当たり前だけどね」

「……」

「ケイと打っていると、なんでこんな牌を切ったんだろうって思うことが何度もある」

「……そうね」

「本人は認めてないけど、それがケイの力。彼女は望む牌を引き出すことができる」

「和は……それに耐性があるんですか?」

 荒川憩の衝撃の力に、穏乃は焦っていた。そんな力が本当なら、和は勝てないと考えていた。

「耐性のある者は存在しない。あの宮永照でさえも引き出された」

「じゃあ、なぜ相性が悪いって言うの?」

 もこの笑いが強烈になった。歯を見せて楽しそうに笑っている。

「原村和は可能性がある」

「可能性ですか?」

「そう……インヴァデシャン・システム」

「???」

「無効化システム。彼女には、その属性がある」

 

 

 個人戦総合待機室 白糸台高校

 

「淡……」

 亦野誠子が立ち上がりつぶやいた。無理もない。淡の対戦相手を見ればだれでもそうなる。

「宮永咲を病院送りにした……」

「神代小蒔だろ」

 渋谷尭深の後を弘世菫は引き継いだ。全勝を狙うなら絶対避けたい相手であった。なにしろ小蒔は、予選で唯一宮永咲に勝ち、その後はパーフェクトな勝利を続けている。ここまでの3戦もそうだ。すべて4万点以上に加点し、相手をまったく寄せ付けていない。

 

 実況解説も菫達と同じ部分も注目していた。大星淡VS神代小蒔、それは、ただのドリームカードではなかった。

 

『全勝組もここが分岐点だな』

『ええ、全勝同士の対局が続きますね』

『ルームEもそうだが、この大星と神代の対局は、今後に大きな影響をもたらすかもしれないな』

『ルームCですね。藤田プロはどちらが有利と考えますか?』

『神代だろうな……今の神代は、去年以上の強さに見える』

 

 

 弘世菫もそう思っていた。この個人戦で、宮永姉妹の次に上げられるキーパーソン。それは神代小蒔であろうと考えていた。

(淡……そいつは、咲ちゃんと同等と考えろ。さもなければ、お前は粉々にされる)

 菫は祈るように目を閉じる。淡の想いは知っている。宮永照よりも前に妹を倒す。どちらかを選ぶ究極の選択ならば、菫も間違いなく淡と同じ選択をする。しかし、その道は平坦ではない。神代小蒔はほぼラスボスに近い存在だ。だから、菫には祈るしかない。

(淡……自分を信じろ……神代は絶対ではない、必ず隙はある。思い出せ、お前はあの宮永咲と殴り合ったのだ。怖いものはなにもない……)

 

 

 個人戦会場 連絡通路

 

「恭子ー」

 後ろから末原恭子の同僚である愛宕洋榎の声が聞こえた。ただ、まだ声が遠かったので、彼女が近づくまで待つことにした。久々の飛び終了で、恭子の心も重かったのだ。

「恭子、どないやった?」

「ああーすってんてんです……」

 振り返ると、洋榎は涙を流していた。あまりの出来事に、恭子は沈黙してしまった。

「なんや、私が泣いたらあかんのか」

「いや……」

「自分の気持ちに嘘はつきとうない……悔しいから泣く。それだけや」

「洋榎らしいわ……」

 恭子は逆に安心した。愛宕洋榎は恭子の予想以上に強かった。これで自分も次に進める。

「あれーどーしたん?」

 鹿老渡高校 佐々野いちごが、洋榎を見つけて走ってくる。

「愛宕さん……考慮しとらんかったの?」

 アイドル視されているだけあり、いちごは実に可愛らしい振る舞いであった。ただ、性格の悪さも併せ持っているようで、顔には薄笑いを浮かべている。

 洋榎は顔を真っ赤にして、いちごの手を払いのける。

「うるさい! この……いちご、いちご、いちご大福!」

 そう言って洋榎は走り去っていった。恭子の隣では、いちごが洋榎に払われた手をさすっている。

「なんなのあれ?」

「まあ、怒らんで下さい。あれでも照れてるんです」

「だれと闘うたの」

「……宮永咲です」

 いちごも、恭子と一緒に、予選で咲と同卓になっていた。その名前に彼女も反応する。

「なら……リベンジせにゃあならんな」

「そうですな……」

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。