咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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18.インターバル

 インターハイ個人戦決勝 実況席

 

 藤田靖子は圧倒されていた。自分も個人戦の舞台に立ったことがあるので、独特の雰囲気や緊迫感はよく知っていた。しかし、今大会は実に異様で、敗北が即死を意味するサバイバル・ゲームの様相を呈していた。

 三尋木咏が設定した特別ルールで、最終戦は得点上位4人で行われる。無論それには異論がなく、むしろ靖子の好みに合ってさえいた。ただ、優勝の為には、そこに勝ち上がることが必須条件になる。その為には、宮永姉妹、荒川憩、神代小蒔という凶悪な面子に勝利するか、運頼みで4人との対戦を回避し、点数で上回るしかない。そして、なによりも複雑怪奇なのは、名前を上げた4人が、そもそも優勝を考えていないことであった。宮永姉妹は互いに潰し合おうとしており、憩と小蒔は宮永咲を倒すことを目的としていた。

(これまでとは違う価値観。これが“ニューオーダー”の始まりか……)

 個人戦開始前、小鍜治健夜は“ニューオーダー” の構築を提唱していた。それは既存のシステムを破壊してしまった欧州の“巨人の改革”を思い起こさせた。靖子は急激な改革を望まない仲間と連携し、健夜の絶対的キーパーソンである宮永咲の包囲網を形成した。現状は靖子の望む展開になりつつあった。こちら側の強力な駒である憩と小蒔の準備は万端で、一度敗れた者たちのスキルアップも著しい。包囲網は確実に狭められており、健夜の野望は阻止できる公算が大きかった。だが、靖子は後悔に苦しんでいた。

(三尋木さん……あなたは正しい。私は、“ニューオーダー”に憧れている)

 昨日、三尋木咏にそう指摘された。表面上は保守的に反発しているが、本心では健夜に協力したがっていると言われた。靖子はその話を否定できなかった。

(惜しい……あまりにも惜しい。宮永姉妹の損失は、更なる10年を私たちから奪う)

 小鍜治健夜の登場から10年間。保守的な麻雀界は、彼女のウィンダム・コール化を恐れた。実力主義から目を逸らし、多数のアイドル雀士を生み出すショー麻雀に舵を切り、健夜を排除したのだ。国内麻雀はおおいに盛り上がってはいるが、実力的な進歩は微々たるものであった。

 簡単な話であった。健夜は、その舵を元に戻そうと言っているだけなのだ。

 

 

 ――前半戦の全試合が終了し、選手たちの最後の休憩が始まっていた。

「前半戦4試合が終了しました。得点と順位は現在集計中で、まとまり次第発表致します」

 この実況席も短い休憩に入ろうとしていた。本来ならば、前半戦の総評をしてまとめるべきところだが、福与恒子はそれを省略した。

「藤田プロ、後半戦の予想を短くお願いします」

 恒子はすでに休憩モードに入っているのだ。だらだらと話されては困る。そんな目で靖子を見ている。

「……まあいいか。簡単に言うなら、後半戦は全勝組6人とそれを追う者達の闘いだ」

「はい。全勝組は宮永姉妹と荒川選手と神代選手。それと……」

 アシスタントが恒子にホワイトボードのカンペを見せる。

「しろみず? あ、白水選手か、それと辻垣内選手ですね」

「……」

「ゆ、優勝はこの6人に絞られたということですか?」

「まさか、残りは5試合もある。個人戦はそんなに甘くはないよ」

「5試合ですか? 6試合ではありませんか?」

「5試合だ。どんな馬鹿が考えたのか知らんが、トップ4に残れなければ優勝はない」

「……」

「なにかコメントしろ! さすがに気まずいだろ」

「ひとまずこれで中継を終了します。再開は20分後です。チャンネルはそのままでね!」

「なにぃ!」

 三尋木咏の殴り込みを想像すると、靖子の気も重くなった。だが、この休憩時間を利用して確認しなければならないことがある。ここは気持ちを切り替えるしかない。

「藤田プロ……三尋木プロに怒られますよ」

「福与アナ……」

「はい?」

 からかい気味に話していた恒子だが、靖子の真剣な顔を見て態度を改める。

「小鍛治さんを呼べないか? この会場いるはずだ」

「すこやんを? なぜですか?」

「……」

 恒子が呆れ顔になり、スマホを取り出した。

「すこやんにしても、藤田さんにしても、プロ同士なんですからもっと横の繋がりがあってもいいと思いますよ?」

「プロだからだ。私たちプロ雀士は唯我独尊のどうしようもない連中なのさ」

 恒子は画面をタッチして通話を開始する。

「あ、すこやん? どこ? 来られる? うん、すぐ来て、今来て」

 なんという会話なのだと思ったが、彼女たちは友人なのだ。とやかく言う筋合いはない。とりあえず会話は成立していたようだ。

「すぐ来るって言っていました。ただ、三尋木プロと戒能プロも一緒らしいですよ」

「ありがとう」

 三尋木咏が来るということは、ひと悶着あるだろう。ここは腹を括らなければならない。

 

 

「藤田! 開けろ!」

 三尋木咏がドアをバンバン叩いている。馬鹿呼ばわりされて大層ご立腹の様子だ。靖子には三人がなぜ来ているのか見当がついていた。なんらかの大会ルール変更があり、その説明に来たのだ。

 アシスタントがドアを開けると、咏が薄笑いを浮かべて入ってきた。

「馬鹿ですみませんねぇ……私も反省したよぉ。だからルールを変える。戒能ちゃん!」

 突然話を振られた戒能良子が迷惑そうに咏を見ている。軽く溜息をついて諦めたように説明を始めた。

「ルールと言いますか、進行上の変更ですね。トップ4の試合は大会スケジュールの別枠で実施されます」

「日を改めるということか?」

「いいえ、本日中に個人戦は終了します。ただ、9試合目で確定したトップ4人は、他の選手と同時に10試合目を行いません」

「優勝決定戦は他の試合が終わった後か?」

「YES」

 これは小鍛治健夜の要望だろうなと疑った。しかし、彼女はまだ姿を現していない。

「なぜそんな変更を?」

 恒子も疑問を覚えたようで、戒能良子ではなく大会運営委員の三尋木咏に尋ねる。

「それは、言いだした人に聞くのが早いと思うよぉ」

 と言って、咏は後ろを指さす。そこには小鍛治健夜が両手に大きなレジ袋をぶら下げて立っていた。

「すき焼き弁当です。スタッフの皆さんの分もありますので、みんなで食べましょう」

 健夜は、有名な高級弁当を重そうにテーブルの上に置いた。肉料理に目がない靖子には、よだれが溢れる代物だ。

 殺伐とした雰囲気が若干和らぎ、放送室内の小さなテーブルで昼食会を始める。

(美味い……美味すぎる)

 靖子は感動していた。高品質の牛肉もさることながら、割り下の味加減、付け合わせの丁寧さなど、見事なバランスで仕上げられた弁当は、もはや食の小宇宙としかいいようがなかった。

 人間は正直なもので、美味いものを食べている時は味覚に集中し、無言になる。今もそうだ。皆、黙々と食べている。

「ところですこやん。なんで優勝決定戦を分けるの?」

 恒子が箸を持ちながら健夜に聞いた。

「みんなに見てもらう為だよ。今年の決定戦は、全選手にリアルタイムで見てもらいたい」

 健夜も箸を振りながら答える。普段の二人の会話はこんな感じなのかなと思った。

「いいんですか三尋木プロ?」

「昨日みたいに時間も押してないしねえ。いいんじゃない」

「戒能プロも?」

「……少々刺激が強すぎるかもしれません。しかし、必要なことではあります」

 相変わらず含みを持たせる。まあ、宮永咲を潰すなんて言えるわけがない。

「そういうわけで福与ちゃん、放送でこのことを伝えてよ。多分委員長から連絡は入ってると思うけどね」

「わざわざその為に?」

「まあねぃ。それとこの弁当が目当てかねえ」

 咏が健夜に礼をしている。勝手気ままな彼女にしては珍しい。

「食べ終わったら私たちは失礼します。それなりに忙しいので」

「どっかの阿呆の謝罪タイムなんて見たくもないしねぃ」

 咏が厭味ったらしい笑顔で言ってのける。これだからプロ雀士は気に入らない。もちろん自分も含めてではあるが。

 

 

 ――三尋木咏と戒能良子が退出し、この部屋には元からいた2人と小鍛治健夜だけになった。重い雰囲気を察したのか、福与恒子が気を使って提案する。

「私も席を外しましょうか?」

「いや、別に聞かれて困る話ではない」

 藤田靖子は言葉を選んでいた。残念ながら自分もプロ雀士なのだ。ちっぽけなプライドも持ち合わせている。実質的な敗北宣言は言い出し辛い。

 恒子が居心地悪そうに弁当の後片付けを始めた。

「教えてください……」

「……」

 靖子が問いかけた相手は、微笑みを浮かべて次の言葉を待っていた。

「どうしたら……宮永姉妹を救えますか?」

「二人を闘わせてください」

「……ばかな」

「もう私たちにできることはありません。でも、希望はあります」

 健夜から微笑みが消える。それはそうだろう。希望とは僅かな可能性でしかないのだから。

「その……希望とは?」

 姉妹対決の現実化は、破滅への道としか思えなかった。ところが健夜はそれが唯一の希望だと言った。靖子は、その理由が知りたかった。

「照ちゃんの心は決まっている。けれども咲ちゃんは違う」

「宮永咲は……なにをやろうとしているのですか?」

「実現は困難です。いくつもの偶然が要求される」

「それは……」

 そこまで言って、靖子は聞くのをやめた。

 それは苦悩の表情であった。あの小鍛治健夜が、苦悩に顔を歪めていたのだ。

「憩ちゃん、小蒔ちゃん……靖子ちゃんの刺客は強力すぎる」

「……」

「特に小蒔ちゃんはイレギュラーでした。まさかあれほどの力を持っているとは思いませんでした」

「神代は……宮永咲に勝てますか?」

 健夜が小さく頷いた。

「だれもが考えていること……咲ちゃんの力を止めるには元を絶つしかない。小蒔ちゃんはそれができる」

「なるほど……」

 靖子は、なぜ健夜が優勝決定戦を分けたのか理解した。彼女もまた、二者択一の選択を迫られていた。

 その健夜が罪悪感の滲む笑顔を向ける

「私も同じです。汚い大人……咲ちゃんと小蒔ちゃんを秤にかけている」

 その言葉が靖子の心にも突き刺さる。まったくそのとおりだ。選手たちの意志とは無関係に、大人の都合で間引きをしている。汚い、あまりにも汚すぎる。

「小蒔ちゃんと咲ちゃんは同じ弱点を持っています」

「心の弱さですか?」

「二人が順当に勝ちぬけた場合、優勝決定戦開始まで約1時間のインターバルが発生します」

「そのインターバルが……彼女たちの心を蝕む」

 靖子にも経験があった。闘い続けている間はなんとも思わないが、ふと時間が空いてしまうと、よからぬ考えが頭をよぎってしまう。

(神代は宮永咲を抹殺しようとしている。あの優しい姫様には、大きな心の負荷だろうな)

 そうだ。小鍛治健夜は、野望達成の為に神代小蒔を犠牲にしようとしているのだ。そして、その非情な判断は、かつて自分もしたこと。責める権利はまるでなかったが――

 

「これが……必要な犠牲ですか?」

「……」

 

 ――答えに詰まる健夜を見ることができ、靖子のくだらないプライドも少しは保てた。もう反発しても仕方がない。

「私にできることは?」

「ここで見届けてください。必要ならばサポートをお願いします」

「小鍛治さんは?」

「私はこれから大事な人に会いに行きます。優勝決定戦は彼女と観ることになるでしょう」

「大事な人って……ここで行く末を見守る以上に大事なことってあるの?」

 おとなしく話を聞いていた恒子が口を挟む。この件では彼女も一枚絡んでいる。肝心要な時に現場にいないなんて無責任すぎると思っているようだ。

 しかし、靖子には健夜がだれと会うか分かっていた。それは確かに大事な人物であった。

「アイ・アークダンテですか?」

 靖子の言った名前に恒子が驚いている。

 健夜の表情は厳しかった。それは“ニューオーダー”への強い意志の表れであった。

「ええ、私は、宮永愛と会わなければなりません」

 

 

 選手仮眠室

 

 長い待機時間がある団体戦とは違い、個人戦は試合が連続しており、仮眠室はガラガラのはずであった。しかし、異常な緊迫感のせいか、昼休みに休息を求める選手が多く、結構混雑していた。

 花田煌は上級生の二人と共に、早めに前半戦を終了した鶴田姫子をここに連れて来ていた。彼女は試合を継続できる状態ではなかった。後半戦の出場可否は、この休憩時間での回復度により判断すると監督の比与森楓 が言っていた。

 姫子は泥のように眠っている。五位決定戦の時にも体調を崩していた。リザベーションとは、互いの体を極限まで酷使する禁じ手ではないのかと思ってしまう。

「姫子ん様子はどうだ」

 部長の白水哩が試合を終えて駆けつけてきた。姫子を見て心配そうにしている。

「眠っています。戻った時は話せないほど疲労していました」

「そうか……そんまま寝かせといてくれ」

「部長……」

 姫子の目が開いていた。ちょっとやそっとでは起きないと思っていた彼女が、哩の接近でいとも簡単に起きてしまう。やはりこの二人には特別な繋がりがあるのだろう。

「姫子……エミッタ(注1)は無理ばい。もうやめんしゃい」

「はい……部長と宮永照ん対戦ん決まったら……私は棄権します」

「…………そうか」

「はい」

 ほとんど聞き取れない返事のあと、姫子は再び眠りに落ちた。

 哩は、少し乱れた毛布を掛け直す。

「花田……」

「はい」

「お前が無理やて思うたら棄権させてくれ。私んことは気にせんでよか。監督にもそう伝えてある」

「部長……」

 哩は姫子をじっと見つめている。煌は彼女の背中と会話していた。

「もう昼ばい。みんなは休憩してくれ」

「部長はどうするのですか?」

「私はここにおる」

 煌は困り果てて、上級生に助けを求めた。

「部長ん言うとおりしてよか」

「昼飯はあとで持ってくっけん」

 江崎仁美と安河内美子が口を揃えて言った。なにを言っても無駄で好きにさせるしかない。それが哩をよく知っている二人の意見だ。

 煌は従うしかなかった。そして、親友の鶴田姫子の顔を眺める。穏やかな寝顔ではない。僅かに眉をひそめ、口も薄く開けている。この短い時間での回復は不可能に思えた。

(あなたの想いは踏みにじれない……きっと私は、棄権をためらってしまう)

 仁美に腕を引っ張られた。ここは二人にしておけという指示だ。

(姫子……私は……どうしたら良いのですか?)

 友情と愛情は似て非なるものだ。どちらかを選ぶとどちらかを失う。煌はその選択を迫られていた。

 

 

 個人戦総合待機室 臨海女子高校

 

 集計に手間取っているのか、なかなか個人戦前半戦の順位が発表されない。とはいっても、強豪校ならば自前のスコアラーを準備してある。ネリー・ヴィルサラーゼの所属する臨海女子高校もそうであった。出場選手である辻垣内智葉のポジションは、そのスコアラーから伝えられていた。

「30ポイントが限界だろうな」

 智葉が無機質に言った。現在、智葉は6位でトップとは約44ポイント離されていた。たとえトップ4に残れたとしても、ポイント差が大きいと逆転は難しいということだ。なにしろトップは――

 

 ――“休憩中”と表示されていた大型モニターに、福与恒子と仏頂面の藤田靖子が映し出される。

『お待たせ致しましたー! 前半戦の順位を発表します』

『思っていたより得点差がついたな……トップを独走させたらえらいことになる』

『そうですね。とりあえず発表しちゃいますね!』

『……』

 

 

 個人戦決勝 前半戦試合結果

 

  1位 宮永照(白糸台高校 3年)     164.2pt

  2位 神代小蒔(永水女子高校 2年)   142.6pt

  3位 荒川憩(三箇牧高校 2年)     138.3pt

  4位 宮永咲(清澄高校 1年)      137pt

  5位 白水哩(新道寺女子高校 3年)   127.4pt

  6位 辻垣内智葉(臨海女子高校 3年)  119.7pt

  7位 福路美穂子(風越女子高校 3年)  108.8pt

  8位 姉帯豊音(宮守女子高校 3年)    98.3pt

  9位 原村和(清澄高校 1年)       92.5pt

 10位 江口セーラ(千里山女子高校 3年)  91.6pt

 11位 大星淡(白糸台高校 1年)      91.5pt

 12位 小瀬川白望(宮守女子高校 3年)   83.8pt

 13位 愛宕洋榎(姫松高校 3年)      76.6pt

 

 

 宮永照の独走体勢を見て観客がざわめいている。ただでさえ隙のない“絶対王者”なのだ。得点差という優位性を与えたら手が付けられない。

「サトハ、この点差はどうしマスカ?」

 メガン・ダヴァンは相変わらずだ。こんなに不利な状況でも智葉を信じていた。平常運転の笑顔で質問している。

「直接削る」

 智葉は短く答えた。彼女の試合は続いている。張り詰めるような緊張感を維持し、後半戦開始を待っていた。

 ネリーは、そんな智葉に不安を感じていた。彼女がライバルとみなしている宮永照にはそれでもいいかもしれない。だが、その妹にはどうか? あの凶悪な宮永咲にはそれでは通用しない。

「智葉……」

「どうした?」

 ネリーは宮永咲の秘密を話すことにした。このまま智葉が破滅するのを見ていられなかった。

「無刀流ってできる?」

「無刀流?」

 智葉が白い目をメガンに向ける。『どうせお前が変な知恵を与えたのだろう』とでも言いたげだ。

「真剣白刃取りデス」

 メガンが顔の前で手をパチンと合わせる。時代劇好きな彼女は実に楽しそうだ。

「あのなあ……本当の無刀取りって、相手を恐れない覚悟とか、闘わずして勝つって意味なんだよ。白刃取りなんて不可能だよ」

「そうナンデスカ? ニンジャはよくやってイマシタガ?」

「……」

 メガンの冗談を無視して、智葉がなにかを考えている。どうやらネリーの意図に気がついたようだ。

「ネリー……お前はその意味を知っているのか?」

「攻めないで勝てる?」

「そ、それが“魔王”の秘密か……?」

 ネリーは頷いた。そして、宮永咲の本質的な弱点を智葉に教える。

「宮永咲は防御しているにすぎない。攻めなければ……彼女はなにもできない」

 

 

 個人戦総合待機室 永水女子高校

 

 神代小蒔は食事も取らずに目を閉じて精神を集中していた。かれこれ30分は続いている。

 石戸霞は、一人でそれを見守っていた。狩宿巴と滝見春は、医務室で“操作”の仕上げを行っており、生贄の役割を全うした薄墨初美は、容体回復が遅く退院が延びそうであった。六女仙は八岐大蛇征伐の為にフル稼働していた。

「小蒔ちゃん、なにか食べないと持たないわよ」

 小蒔がこの状態の時は、自主的にやめるまでいかなる手出しもしてはならない。それが六女仙の掟であった。しかし、霞はあえてそれを破る。小蒔がなにをしているか想像できたからだ。彼女は宮永咲が残した記憶と心で会話しているのだ。どこかで中断させなければ害が残ってしまう。

「愛とは……容易に姿を変える。それは奇妙で……哀しいこと」

 小蒔が目を開けて、小さな声で言った。いつもの優しい笑みもたたえていたが、霞の知っているものとはどこかが違っていた。

「大星さん、原村さん……そして宮永照さんは、愛すればこそ、咲さんを倒そうとしている」

「……」

「“私たち”もそうです。その愛に答える為には、破壊し……蹂躙するしかありません」

(いけない……同化が始まっている)

 それは、戒能良子から“オモイカネ”の反作用として忠告されていた。

(「姫様と宮永咲が同化してしまう可能性がある。だから二人を近づけすぎないようにしろ」)

 霞はその忠告を守っていた。最初の遭遇は小蒔が望んだものなので仕方がなかったが、それ以降は、常に二人を離すよう心がけていた。だが、試合会場はどうしようもない。選手たちは狭いエリアで動き回る。そこで小蒔と咲が接触しても不思議はなかった。

「小蒔ちゃん……あなた、自分と咲ちゃんの区別が……」

「そうですね……“私たち”は近づきすぎました。同じ体や心を共有しているのですから、そうなるのは当然です」

 小蒔が顔を引き締める。

「咲ちゃんの恐怖や希望……それは私の恐怖と希望でもあります」

「……」

「そうするしかない……それが唯一の解決策」

 それは霞に向けての言葉ではなかった。恐らくはもう一人の自分、宮永咲に対してのものだ。

 ――思い詰めたように小蒔が立ち上がる。

「どこへ?」

「春ちゃんのところへ行きます」

 つかつかと歩いていく小蒔を、霞は慌てて追いかける。

(間違いない……咲ちゃんの敗北と同時に、小蒔ちゃんも破滅する。強き力は両刃の剣。それは本家の主でも例外ではない)

 

 

 インターハイ個人戦 一般観覧席

 

 荒川憩は、三箇牧高校の仲間たちと昼食を終えて、対木もこのところへと向かっていた。後半戦開始前にいくつか確認することがあった。

 憩は、歩きながら原村和との死闘を思い出していた。

(あんな闘いをする子やなかった。咲ちゃんがあの子を変えた)

 原村和戦は、憩が敗北した宮永照戦をも超える衝撃であった。彼女のアキレス腱を見つけたからよかったものの、さもなければ負けていた。

(もこちゃんの言うた“オーバーロード”とは……あの“オーバーロード”か?)

 その言葉には様々な意味があった。「過負荷」「支配者」「君主」。一般的に使われるものは、どれも宮永咲とは一致しないように思えた。しかし、憩には心当たりがあった。あの“オーバーロード”ならば、咲とほぼ一致する

 ――前方より知っている顔の二人がやってきた。憩はいつもの笑顔で話しかける。

「あれー、なんでいるん?」

「荒川さん。まあ、来年の為の勉強ですかね」

「ふーん。そんなら、穏乃ちゃんも憧ちゃんも、来年は個人戦に出るのー?」

「はい、和に刺激されました」

 答えたのは、阿知賀女子学院の高鴨穏乃と新子憧であった。

「和ちゃんなー。強かったでぇー、今日はもう堪忍してほしいわ」

 二人が笑う。和とは同級生であったと聞いている。彼女の活躍が嬉しいのだろう。

「せや穏乃ちゃん、聞いてもええか?」

「ええ」

「穏乃ちゃんは、団体戦のあと強なった思う?」

「わかりません」

「即答やな。なんで?」

「だって、あれ以来、牌に触っていませんから」

「…………ごっつ強なったなぁ」

 まるで別人であった。自分の力に自信が持てず、憩たちに助けを求めてきた高鴨穏乃とはレベルが違っていた。成長をはるかに超えて、進化でもしているのではないかと思った。

 憩は自分の考えに確信を持った。対木もこの“オーバーロード”とは、“進化をうながす者”だ。

(悪魔のような姿形……圧倒的な上位概念。なるほど……ピッタリやな)

「それじゃあ、午後も頑張ってください」

「おおきに」

 穏乃と憧が手を振って離れていく。

(真偽は自分で確かめろちゅうことか……)

 憩は、来た道を引き返していた。対木もこの言いたかったことは理解した。あとは自分の問題であった。どうしょうもない焦燥感が憩を襲っていた。これを鎮める方法は一つしかなかった。宮永咲と闘い、そして勝つ。

(“オーバーロード”か……そんなオカルト、ありえへんなぁ)

 

 

 個人戦総合待機室 白糸台高校

 

 後半戦開始まで残り15分になった。大型モニターには第5試合の対戦表が次々と表示されている。上位陣絡みの部屋割りに観客がざわめいている。そしてルームKの面子が映し出された瞬間、周囲は大きな歓声に沸いた。

「淡……」

 弘世菫は体に震えが走っていた。いつかは来るとは思っていたが、いざそれに直面すると平常心ではいられない。

「やばいですよ……宮永先輩も鶴田姫子とですから」

「淡ちゃんに連絡しましょうか?」

 亦野誠子と渋谷尭深も同じようだ。なにしろ、今ここには宮永照も大星淡もいない。

「連絡はとれない……」

 二人のスマートフォンを見せる。邪魔されたくない話があるといって、菫はそれを預かっていた。

 機転の利く誠子が立ち上がる。

「きっと屋上です……宮永先輩はよく行きますから」

「いずれ気がつくとは思うが……早めに連絡してやってくれ」

「はい」

 菫は、預かっていたスマホを渡す。気が急くのか、誠子と尭深は走りだした。

 言うまでもないが屋上にはモニターが設置されていない。二人は直接会場に向かうと言っていたので、この情報を知るのは試合開始直前だ。普通ならばいざ知らず、この対戦では悪影響をおよぼす。少なくとも淡には心の準備が必要だ。

(誠子、尭深。急いでくれ)

 

 

 試合会場 屋上

 

 昼食が終わり、大星淡は宮永照を屋上にさそった。そこは嫌になるほど暑かったが、ちょっとした日陰もあり、東京らしからぬ涼しい風も時折吹いていた。

 その日陰に座り、淡はすべてを宮永照に話していた。宮永咲への想い、照への想い。そして原村和のことや神代小蒔のこともだ。一方的な話であったが、照は黙ってそれを聞いてくれていた。

「……ダンテの定理って知ってる?」

 初めて照が口を開いた。しかも、なかなか答えにくい質問だ。

「……知ってるよ、でも菫から聞いたレベルだけど」

「それ以上はだれも知らない。私たちはそうしているからね」

「……テルーもそれができるの?」

 照が頷き、持ってきたレモンティーを口に含む。

「祖母のテレサから母さんへ……そして私に引き継がれた」

「なんでそんなこと話すの?」

「同じだよ……私も聞いてほしい。淡にね」

「……」

 涼しい風が二人を撫でる。

「なんで……照だけなの? 一子相伝とか?」

 照が笑った。実に楽しそうだ。

「違うよ。私の従妹にもダンテの定理は伝えられた」

「従妹? 従妹なんていたんだ」

「日本人じゃない。イギリス人のミナモ・オールドフィールド。歳は淡と同じだよ」

「じゃあサキとも同い年だ」

 快晴だと思っていたが、いつの間にか雲が現れて太陽を包み込む。

「淡……なぜ咲には伝えられなかったと思う?」

 周囲が暗くなる。それに相まって話の雰囲気も変わった。

「……なぜ?」

「簡単だよ……咲はダンテの定理ができないんだ」

「……」

 照が再び飲料を口に含む。

「定理と言われているが、実際は定理ではない。私たちの特性による技だよ」

「咲は……その特性がないの?」

「そう……だから……咲は、私の影として育てられた」

「影……」

 雲が晴れ、照り付ける太陽が復活した。照はそれに手をかざして眺める。

「咲は私の影……でもね、咲の影は私じゃないの」

「それが……〈オロチ〉なの……」

 照は手を降ろし、それを見つめていた。

「影に影はできない……あるのは漆黒の闇。だから、それを消し去るには、私がいなくなればいいだけ……簡単だよ」

(ノドカ……この姉妹を対戦させてはダメだ。私とあなたで必ず――)

「宮永先輩! 淡!」

 上級生二人が駆け寄ってくる。アウトドア派の亦野誠子はそうでもないが、渋谷尭深は死にそうになって走っている。

「どうしたの?」

 尭深がしゃがみ込んだ。照が慌てて飲み物を渡す。

「……二人の対戦相手が決まりました」 

 ハアハア言いながら尭深が答えた。大丈夫ですということであろう。

「宮永先輩は鶴田姫子です」

「鶴姫……あの人は手強いよ」

「役割が逆になっている。鶴田さんを封じれば、白水さんを抑えられる」

 沈着冷静な分析だ。淡にはとても真似ができない。

 誠子が見ている。なにか言葉を選んでいる。

「淡……問題はお前だ」

「私?」

「……そうだ」

「だれ?」

「……宮永咲」

 その名前に、淡はなにも反応できなかった。

「時が……きたよ」

 漠然と一言だけつぶやく。神代小蒔から予言されていた咲との対戦。淡のすべては、この時の為に存在していた。希望、恐怖、友情、愛、ありとあらゆるものが込められた最後の闘い。身震いするほどの闘争心が淡を包み込む。

(ノドカ……約束を守ってよね)

 原村和との約束。もしも自分が咲を倒せなかったら、和がそれを引き継ぐ。だから、淡は全力で闘える。

「サキを倒してもいい……そう言ってたよね?」

 淡は照を直視して聞いた。

「ああ……淡なら、咲も納得する」

「違うよテルー。あなたは? あなたはどう思うの?」

 照は僅かに考える。そして、いつもと同じように無表情に答えた。

「いいよ……淡なら」

 

 

 個人戦総合待機室 清澄高校

 

(淡さん……)

 原村和は友情と愛情の板挟みにもがいていた。あの大星淡ならば、この連鎖を止める資格はある。その一方で、咲に勝ってほしいとも思っていた。なぜならば、和は、自分が咲を解放すると誓っていたからだ。その想いが淡との友情に陰を作っていた。

「和ちゃん……もう行こうか」

「え?」

 宮永咲が表情を硬くして言った。試合開始10分前なので、移動してもおかしくはなかったが、原村和には嫌な予感がしていた。

「咲さん……急がないでください。淡さんは以前とは別人です」

「分かってるよ。きっと苦戦する……」

「……」

「でも、負けないよ」

「……はい」

 咲が席を立った。竹井久、染谷まこ、片岡優希、須賀京太郎も、不安そうに見ている。

「全力で……倒すしかない」

「咲さん……」

「今の私は……それしかできないから」

 

 

(注1) 白水哩は、リザベーションをトランジスタに例えていた。送り手側はエミッタ、増幅された出力側はコレクタ。

 




次回:「淡色の遊撃」

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