咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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21.魔王への刺客

 個人戦試合会場 連絡通路

 

 個人戦も折り返し地点を過ぎ、総合順位への注目度が高まってきた。午後になり、インターハイ運営本部は、この連絡通路のほぼ中央のモニターに順位トップ10を常時表示している。当然、その周囲には多くの人が集まっていた。

 

 

 個人戦決勝 総合順位表(第6戦迄) 

  1位 宮永照(白糸台高校 3年)     232.6pt

  2位 神代小蒔(永水女子高校 2年)   199.6pt

  3位 宮永咲(清澄高校 1年)      195.3pt

  4位 荒川憩(三箇牧高校 2年)     189.9pt

  5位 白水哩(新道寺女子高校 3年)   162.1pt

  6位 福路美穂子(風越女子高校 3年)  158.9pt

  7位 原村和(清澄高校 1年)      155.4pt

  8位 姉帯豊音(宮守女子高校 3年)   146.3pt

  9位 江口セーラ(千里山女子高校 3年) 145.6pt

 10位 愛宕洋榎(姫松高校 3年)     138.6pt

 

 

 対戦相手を飛ばし続けている宮永照が頭一つ抜け出し、それを神代小蒔、宮永咲、荒川憩の全勝組が追う展開になっていた。5位の白水哩は、順位こそ変わらないが前の試合の敗北が響き、トップ4に水をあけられてしまった。6位であった辻垣内智葉は、宮永咲戦の飛び終了によって13位に後退し、ランキングから姿を消していた。

 残り試合数を考慮すると、トップ4の牙城は崩せないように思えるが、一つの転機も訪れていた。それはトップ4同士の闘い。宮永咲VS荒川憩であった。

 

 

(7位……4位の荒川さんとの点差は44pt)

 原村和の姿もそこにあった。前半戦で荒川憩に敗れた和は、9位からの午後スタートであったが、着実に勝利を重ねて7位まで順位を上げていた。しかし、ハイパー・リアリストである和は、状況を楽観視できなかった。実質残りは3試合しかなく、44ptの得点差は荒川憩の実力を考えるとかなり苦しいものであった。

「7位か……ノドカ、もう一息だよ」

 和は声の方向に振り返った。そこには笑顔の大星淡がいた。

「白水哩は鶴姫のリタイヤで勢いがない。荒川憩だってサキとの対戦が決まっている。ノドカ自分を信じて」

「淡さん……」

 和は淡の笑顔が意外に思えていた。というのも、前の試合で和は田辺景子と同じ部屋になっており、彼女から「淡と咲の対決は凄まじかった」と聞いていたのだ。

「なにその顔? 私が元気なのはヘン?」

「いいえ……」

「私は全力で闘ったよ……それでね、すべてを理解したの、自分のこと、サキのこと……」

 なにかが吹っ切れたような、実直な笑顔を和に向ける。

「今の私では、〈オロチ〉は倒せない。でも、私にはあなたがいる。だから自分を信じて」

「はい」

 “自分を信じろ”。その言葉を言われるのは2度目であった。最初は個人戦開始前に臨海女子高校のメガン・ダヴァンから言われた。その時は、個の戦いを前にした教訓として受け取ったが、今は言葉の重みが変わっている。

(そうね……自分を信じるしかない。運やツキに頼るわけにはいかない)

 和の頭の片隅にあった宮永咲との直接対決は放棄するしかなかった。ランダムな部屋割りで咲と同室になる。残り3試合でそんな偶然を求めるのは虫のいい話でしかない。トップ4に勝ち上がり咲と対決することが和の選べる唯一の道だ。その為には、自分を信じて勝ち続けるしかなかった。

「大丈夫だよノドカ。私も援護するから。荒川憩と対戦したらコテンパンにしてあげるから」

 悩む心が顔に出てしまったのだろう。淡が明るい声で励ましてくれる。

「そら聞き捨てられへんね」

 背後からの抗議の声、聞き覚えのある荒川憩の声だ。そのタイミングの悪さに淡が慌てている。

「荒川さん……いつからそこに?」

 ごまかすような苦笑いの淡に対し、憩はいつもの笑顔だ。最も、表情と心は同じとは限らないが――

「最初からやで。うちをコテンパンにしてくれるみたいで嬉しいで」

「そうですか? だったら、そうさせてもらいます」

「大星ちゃん、人をコテンパンにするって言うからには、自分がそうされても文句は言わへんということやんな?」

「もちろん……できるならね」

 ――淡も憩も凄みのある笑顔に変わっている。二人はそのまま睨み合っていたが、憩が絶妙の間合いで話を変えた。

「聞き捨てならんちゅうのは、そのこっちゃああらへん。まるでうちが咲ちゃんに勝てへんような言いかたをしたことやで」

 憩の視線が和に移った。表情は幾分穏やかになっていたが、その分、言葉にきつさが出ていた。

 和は(ひる)むことなく即答する。

「咲さんは、荒川さんに勝ちます」

「負けへんって誓うたさかい?」

「そうです」

「もしも……うちが咲ちゃんを倒したら、すべてが終わりになる?」

「そんな仮定は無意味です」

 曖昧な和の答えに、憩が首を(かし)げる。

「和ちゃん、そらオカルトちゃうの?」

「違います。これは真実です」

「そうやろうな。原村ちゃんの主観なら、そら真実やろうな。でもうちから見れば、そらただの信念やで」

「否定はしません……普遍的な真実を私は定義できませんから」

 その答え方が気に入ったのか、憩は声を上げて笑った。

「まあええわ。現在形の真実なんてうちも分らへん」

「……」

「そんなのがわかるのは、神様か “魔王”ぐらいなもんやで」

「そんなオカルトありえません」

 憩は再び楽しそうに笑った。どうやら、和にそのセリフを言わせたかったようだ。

「和ちゃんの真実が嘘にならんとええな」

 そう言い残して憩は(きびす)を返した。向かったのは宮永咲の待つルームEだ。

「ノドカ……あの人」

 憩の後ろ姿を見つめながら淡が言った。

「そうですね……荒川さんは、咲さんを恐れている」

 “絶対王者”宮永照と対等に闘える荒川憩でさえも、宮永咲を恐れていた。和はその気持ちに共感していた。

「……まあ、しかたないか。私もそうだったしな」

 淡も同情を禁じ得ない様子で打ち明ける。和は思った。それならば、自分も告白しなければならない。

「淡さん……」

「え?」

「実は……私もそうでした」

「ふふ」

 淡が、少しバカにしたように鼻で笑った。しかし、不思議と腹が立たない。そのわけもはっきりしていた。大星淡は原村和の友人なのだ。だから和も笑顔を返す。

(ありがとう淡さん。そうですね。あともう少し自分を信じてみます)

 楽観的なる必要はないが、悲観的になることもない。結果を恐れずベストを尽くす。自分を信じるとはそういうことだ。

 

 

(バカバカしい……うちはなにをむきになってるんやろう)

 勝った負けたで大騒ぎするなんて意味のないこと。高校生らしくない()めた考え方ではあるが、それが荒川憩の強さにも繋がっていた。宮永照や辻垣内智葉のような強豪と呼ばれる相手にも、憩は平常心で闘うことができた。

(勝ちたい思てるんか……それとも、負けるのが怖いんか?)

 心のモヤモヤが晴れなかった。宮永咲は、憩にとって特別な相手になっている。その理由の一つを、憩は思い出していた。

 

 ――それは二日前、藤田靖子からの電話で始まった。彼女は宮永咲を倒せるかと質問し、憩は軽く「なんとかなると思う」と答えると、その日の面会を申し出ていた。

 

 

 2日前 午後8時 三箇牧高校宿泊ホテル 喫茶室

 

 藤田靖子は予定の時間より遅れて荒川憩のもとにやってきた。彼女は遅参を謝罪し、喫茶室で高級コーヒー(一杯2000円)をご馳走(ちそう)してくれた。そのコーヒーを飲みながら、憩と靖子は挨拶がてらの軽い話をしていた。

 そして、コーヒーがなくなる頃に、靖子は本題を切り出した。

「宮永咲を潰してほしい」

 実に物騒な話であった。靖子は、「倒せ」ではなく「潰せ」と言っているのだ。

「……理由を聞いてもええですか?」

「あの子を利用しようとする悪い大人がいるんだよ」

「なるほど、藤田さんと同類ですね」

「そうだよ、実にあくどい奴だ」

 靖子の正直さに憩は好感を持っていた。彼女は、お世辞を並べ立てて憩の気を引こうとしていない。そんな大人しか知らない憩には、靖子は唯一信用できる大人であった。

「まあ、勝手に潰れてくれるとは思うけど」

「どういうことだ?」

「あの子の強さは、強烈な自己催眠ですよ」

「自己催眠?」

「藤田さんは嘘をつかない……いや、嘘をついてもすぐわかる」

「私をバカにしているのか?」

「いいえ」

「……」

 どうやら靖子も理解したようだ。深い自己催眠は、嘘をついてもポリグラフ(嘘発見器)に反応しない。なぜならば、嘘を嘘として認識していないからだ。宮永咲の自己催眠はそれほどのディープなものだ。彼女は、なんらかのトリガーにより自分を極限状態にする。そして特定の条件で解除する。その詳細はわからないが、団体戦での結果から、憩にはある程度の推測ができていた。

「きっかけは敗北か?」

「そうやろうな。ほんで解除するにはその相手に勝つことが必要……」

「勝てなかったら?」

「潰れます」

 自分を別の存在と思い込んでしまうほどの深い催眠状態なのだ。敗北の上書きは、彼女から“宮永咲”に戻る鍵を奪ってしまう。憩はそう推測していた。

「可能か?」

「藤田さん……迷っています?」

 自尊心の塊のような靖子の顔に、若干の(かげ)りが見えていた。

「必要な犠牲……憩、この言葉をどう思う?」

「嫌な言葉やで……なんのために必要かは、後付けでどうにでもなるちゅうことですか?」

「そうだ……これが大人の汚さだよ」

 膝こそついていないものの、靖子は懺悔(ざんげ)するように言った。なるほど、「必要な犠牲」には、憩も含まれるらしい。

「失敗したらうちがそうなるとでも?」

「小鍛治さんは宮永を“魔王”と言った。私もそう思う」

「……」

「強制はしない……考えてみてくれ」

「引き受けます」

「なに?」

 実に複雑な反応であった。その「なに?」という言葉には、二つの側面があった。一つは断ると思っていた憩が、二つ返事で了承したことの意外性。もう一つはなにも考えずに引き受けてしまう軽はずみな若年者への嫌悪感だ。

「刺客を引き受けます」

「刺客だと?」

「藤田さん……相手を潰そうと思うのなら、自分も潰される覚悟が要る。それ刺客といわずしてなんちゅうんですか?」

「……すべての責任は私が持つ」

 彼女も覚悟を決めたようだ。靖子が“悪の元締め”を請け負うことになった。これで魔王への刺客の契約は成立した。

 

 ――なぜ引き受けてしまったのか? それは憩にもわからなかった。ただ、一時的な感情ではないことは確かだった。“魔王”宮永咲には、これまでの対戦相手にはないカリスマ性があった。もちろん良い意味、悪い意味を含めてではあったが。

 

 

 憩を苦悶(くもん)させているもう一つのキーワードがある。それは対木もこが言った「オーバーロード」という言葉であった。

(もこちゃん、あんたは天才やで。そのあんたが勝てへんと断言した相手……)

 もこは、憩のもとに身を寄せている天才雀士だ。予想外の手法で“治癒魔法”を破ったこともある。その彼女が、「宮永咲はオーバーロード」だと言った。

 オーバーロードとは、人間の圧倒的な上位概念として存在し、その姿は悪魔と類似していた。彼らを恐れ立ち向かう者には、無慈悲な鉄槌(てっつい)を下し滅ぼす。しかし、それは人間を進化に導く“必要な犠牲”としての作業でしかなかった。もこは、宮永咲にその姿を重ね合わせていた。

(彼女と闘い敗れた人間は……進化してしまう)

 無論、そんなSFチックなことを信じてはいなかったが、奇妙な一致点もあった。それは数時間前に再開した高鴨穏乃の成長速度だった。

 初めて見た穏乃は、自信なさげな発展途上の少女であった。もちろん、憩も彼女の才能は感じ取っており、きっと強くなると思っていた。

 そして、彼女は、団体戦で“魔王”に立ち向かい敗れた。

(……別人としか思えなかった。僅か数日で人間はここまで進化できる)

 再会した穏乃の自信に満ち(あふ)れた姿は、まさに進化と考えるしかなかった。

 

 

(勝ちたい思てるんか……それとも、負けるのが怖いんか?)

 憩は、もう一度、自分の心に同じ質問をする。

 もうルームEの前に来ていた。このドアを開けると。中には宮永咲がいるはずだ。答えが出ないままでは、勝負は決まっている。

 憩はドアノブを握る。その刹那(せつな)、憩の脳裏に、意外な人物の姿が浮かんだ。

(真実か……そうやな原村ちゃん……真実は一つちゃう)

 それは、ほんの数分前の原村和の姿であった。

 彼女は言った。咲が憩を倒すのは真実だと。先ほどは理解できなかったが、今は違っていた。

(うちも……それが知りたい……)

 そうであった。荒川憩は真実を求めていた。自分の選択は正しいのか? 自分の行動は間違っていないのか? 強い自己意識を持つ憩ではあるが、宮永咲との対戦を前に、その正当性に疑問を持ってしまった。だからその答えを、真実を知りたかったのだ。

(現在形の真実に答えることができるのは、神様か“魔王”しかいない)

 憩はドアノブを回す。この向こうには、答えをくれる“魔王”がいるのだ。

 

 

 ――窓のないその部屋に太陽光が差し込んでいるように見えた。その光を浴びて、宮永咲は静かに東家の席に座っていた。

 心のモヤモヤが晴れ、自然にいつもの笑顔になっていた。憩は場決めの牌をめくる。【西】であったので咲の対面に座った。

「宜しゅうなー、咲ちゃん」

「はい」

 咲が穏やかに返事をする。目を合わせてはもらえなかったが、憩はもっと話をしたいという欲求に駆られていた。

「今日は本気で闘うてな」

「荒川さんも……さもなければ」

「さもなければ?」

「きっと……地獄を見ると思います」

 剣呑な話であったが、咲の口調は穏やかなままだ。

 ――なぜかはわからなかった。憩は咲との話を続けたかった。もっと、もっとだ。

「地獄? 咲ちゃんはそれを見たことがあるの?」

 地獄を語る資格があるのは、それを知っている人間だけだ。憩はそれをたずねる。

「終わらない恐怖……」

「……」

「それは……私にとって地獄でした」

 咲の目が動いた。その光のない瞳に、憩は吸い込まれそうになっていた。

(そうやな……それは地獄やろうな……)

 憩は辛うじて自分を取り戻し、“魔王”に答えをくれるように懇願(こんがん)した。

「咲ちゃん……私はな、あんた潰そうとしている」

「わかっています。荒川さんは……覚悟していますから」

 咲が笑った。それは、あらゆるものを恐れさせる“魔王”の笑いであった。

(もちろんや……うちが潰されても文句なんか言わへん。うちはあんたの刺客やさかいね。そう……魔王への刺客)

 

 

 しばらくして、島津祥子と三上寛子も室内にやってきた。役者が揃ったと判断した部屋付きの運営担当者が、第7戦の試合開始を宣告する。

 仮東の宮永咲が回した二つのサイコロは5と4で止まり、彼女の起家で配牌が始まる。

 

 インターハイ個人戦 第7戦 ルームE

  東家 宮永咲    長野代表(一年生)

  南家 三上寛子   南北海道代表(三年生)

  西家 荒川憩    北大阪代表(二年生)

  北家 島津祥子   宮崎代表(二年生)

 

 恐ろしいまでの緊迫感が漂っていた。“宮永咲は親では上がれない”。その通例に従うのならば、この局は“絶対王者”宮永照の東一局同様にサービスタイムになるはずであった。しかし、第6戦で辻垣内智葉が咲から親で上がり、報復として飛ばされてしまったことが(またた)く間に選手間で広まっていた。

(あの辻垣内さんを飛ばしてまうとは……)

 荒川憩は智葉の強さをよく知っていた。強靭な精神力を持つ彼女の持ち点を削りきるなど考えられなかった。だが、対面にいる“魔王”はそれをやってのけた。

 この張り詰めた空気は咲に有利に働く。麻雀は情報戦の側面がある。まだ試合は始まったばかりではあったが、憩が劣勢に立たされているのは確かであった。

(せやけどなぁ……人間って弱いものやで。こんな虚構はあっちゅう間に(くつがえ)る。咲ちゃん……あんたはそれ分かってるはずやで)

 ――理牌(りーはい)を終え、憩は手牌を確認する。悪くない手牌であったが和了は放棄する。この局を咲の観察に使うためだ。時間は長ければ長いほどよく、可能ならば流局をさせたかった。

 局が進むにつれて憩は奇妙な現象に気が付いた。それは咲の捨て牌と、憩の自摸牌の一致であった。最初は3巡目、咲が自摸切りした【三萬】を、同巡憩も自模った。それは決して珍しいことでない。麻雀牌は34種類しかなく、まま起こる現象ではあった。だが、同一局で三度四度と起こってはどうか? しかも咲は自摸牌だけではなく手牌から切ることもあった。これはなんらかの意図があると考えるしかない。

「ツモ、門前、平和、断公九、ドラ2。2000,4000」

 16巡目。三上寛子が『自分が上がってもいいのか?』という戸惑いの表情で和了した。

(おおきに。16巡なら文句はあらへんで)

 ――東二局も咲の(こころ)みは継続されていた。憩は、それは自分がドラ牌をどうするかを測っていると推察した。咲がこれほどまでにコントロールできるのだから、重複する牌はドラに間違いはない。だから憩は、あえて保持と破棄を一対一で選択していた。

(見えている危険をうちがどう処置するか? それが知りたいんか?)

 咲は二局も続けて同じことを繰り返している。そのデータがどれほど重要なのかは分からないが、いつまでも気にしてはいられない。憩にも東一局から調査していることがあった。それは、宮永咲が本当に自己催眠状態なのかということだ。

(間違いない……この子には恐怖心が存在している)

 恐怖心は自己催眠状態ではあってはならない。それは矛盾だからだ。なんのために自己催眠をかけるのか? 心を(むしば)む不安や、耐えがたい恐怖心から逃れたいからではないのか? 憩は混乱していた。咲の心理状態が把握できなければ“治癒魔法”は使えない。

(まいったなあ。この局も観察するしかあらへんか……)

 憩はアクティブな仕掛けをする。無駄な鳴きや危険牌の打牌をしてみる。可聴範囲ギリギリのため息や耳障りな牌の(こす)れる音をたてる。

(無反応か……なるほど)

 咲が自己催眠状態であるのは確実なようだ。睡眠と覚醒の間にある状態では時間の感覚がなくなる。彼女の力は、恐怖心を含めた過去の記憶の先鋭化ではないかと推測する。

(……うちの力はこの子に通用するんか?)

 憩は、自分の“治癒魔法”を疑似催眠術の一種と考えていた。

 雀士は集中力が極めて高い。憩はその無意識に働きかけるのだ。恐れる心や楽になりたいと思う気持ち、憩が引き出せるキーは多数ある。それを牌の凝視や、言葉の誘導、表情、牌が出す音などで導き出す。ただ、それは言うほどたやすいものではない。人間は疑り深い生き物で、催眠術の成功率などたかが知れている。

 しかし、憩はそれをほぼ100%のレベルで成功させている。

(能力か……そんなんに頼らなあかんのか)

 憩と闘った者は、その力を恐るべき“能力”として認めていた。ところが、憩自身がそれを認めていなかった。なぜならば、憩は正真正銘のリアリストだからだ。そんな得体の知れないものは信じるに値しない。

(「自分の力を信じなければ、憩はオーバーロードに負ける」)

 昨夜、対木もこからそう宣言された。彼女が言った信じるべき力とはなにか? それは人々が“能力”と呼ぶものではないのか? 咲の力が恐怖心への反作用だとするならば疑似催眠が付け入る隙はない。そんなものは咲の障壁に弾かれてしまう。もっと強力な力が必要になる。

「つ、ツモ、門前、平和、一盃口、ドラ1。1300,2600です」

 ――15巡目に今度は島津祥子が上がった。東二局も咲は様子見であった。憩との自摸牌の重複は5回もあった。意図的にすべての牌を保持してみると手牌は三色同順の一向聴まで進んだ。

(システムを構築された。この子が自在にオペレーティングできるシステムや……うちらはその上でしか動けへん)

 これまでの観察の結果をへて憩はそう結論した。三上寛子と島津祥子はシステムには逆らえないだろう。それに従うかぎり快適動作が約束されているためだ。逆らうものは、辻垣内智葉のように苦痛と懲罰(ちょうばつ)が与えられる。よほどの“M”でもなければそれを望みはしない。

(不明なものは在るものとして扱うしかない……か。ほんまに、嫌になるぐらいの原則論や)

 憩は自分の力を“能力”と認識するしかなかった。このシステムに逆らうには――いや、オーバーロードに勝つためには、自分の“能力”に頼るしかなさそうだ。

 ――東三局は憩の親番だ。しかし、まだ“治癒魔法”は使えない。それには仮想敵が必要になるからだ。憩の点数復活が心理的ダメージになる仮想敵、その相手は宮永咲しかいない。

(攻撃のための防御……そうやな、私の“能力”はそんなもんや。一度攻撃を受けなければ発動できない)

 そして、わずかに(うつむ)き自己催眠をかける。目には目を、自己催眠には自己催眠を、憩は(おのれ)の“能力”を強化する。

(この能力に彼女は対抗できない。彼女はただの人間、“魔王”などではない……)

 “治癒魔法”はどんなビハインドでも挽回可能。全国の高校雀士を恐れさせたその能力に例外などない。憩のセルフブーストは完了した。

 ――憩は顔を上げて面子を確認する。両隣の寛子と祥子は、観念したように青い顔をしている。二人は協力者になってくれるだろう。そして対面の宮永咲は、光のない目で憩を見ている。まるで早くサイコロを回せと催促(さいそく)しているようだ。

「さて、辻垣内さんに続くで」

 あえて刺激的な言葉を使ってみる。咲には影響がないかもしれないが、寛子と祥子には有効だ。二人は敏感に反応し、憩を見ている。咲の思うようにはさせない。

 ――実に良い牌が集まってきた。配牌を終えると平和の二向聴(りゃんしゃんてん)でドラも2枚あった。思わず上りを目指したくなってしまう。

(読まれているか……うちが無理をするって分かっている)

 この局は和了されるのが前提になっている。咲はそれが分かっているのだろう、よだれが出るような牌を憩に集めた。

(倍満クラスを狙うてるんか? ええで、うちには点数は関係あらへん)

 憩は慎重に捨て牌を選んだ。字牌が二枚あるが、手作りに関係しない【二萬】を打一捨て牌にした。

 続く寛子は字牌を切ったが、咲は違っていた。彼女の捨て牌は、憩に新たな混乱を与えていた。

【二萬】

(うちに合わせた……なぜ?)

 4巡目にも咲は【七筒】を合わせ、7巡目にも【四索】を合わせてきた。

 そして11巡目。憩は断公九を聴牌した。途中で牌の流れが変わったので平和から切り替えた。余り牌は安牌で保持していた【七筒】だ。

(上がられても構わへんのやさかい立直してみよか……)

「リーチ」

「ロン」

 憩はその言葉が信じられなかった。栄和(ロンホー)を宣言したのが宮永咲であったからだ。

(そんなあほな……その【七筒】は4巡目に切っている……)

 憩は咲の河を凝視する。

「三筒……」

 憩の顔から血の気が引いていく。4巡目に咲が捨てた牌は【七筒】ではなかった。

 ――それは【三筒】。

(このうちに……こんなんを……)

 

 

 個人戦総合待機室 千里山女子高校

 

(宮永愛……お前ってやつは……)

 多くの人間は、なぜ荒川憩が宮永咲に振り込んだのか分からないだろう。しかし、愛宕雅恵はそれを理解していた。その光景を見たことがあったからだ。いや、正確にはその牌譜(ぱいふ)を見たことがあった。それは雅恵のライバルであった宮永愛(アイ・アークダンテ)が、まだ欧州リーグに参加している時のもので、愛はドイツ人雀士のこの戦法に敗れていた。宮永咲が見せたのは、それの完全なリピートであった。

「おばちゃん……こら、あれとちゃいますか?」

「せや。浩子、なんか写真があらへんか?」

「お待ちを……」

 雅恵の姪である船久保浩子もそれを知っている。興味を持った浩子に、以前に教えたことがあるのだ。

 浩子は指が見えなくなるぐらいのすばやい操作でタブレットPCを操作している。

「これなんてどないですか?」

 浩子がさかさまに写った女性の写真を見せた。

「ええやろ。竜華、怜、泉。ちょい移動するで」

 雅恵は周囲の人間に話を聞かれたくなかった。メンバー全員を連れて会場奥の立ち見エリアに移動した。

 清水谷竜華、園城寺怜、二条泉。皆、雅恵の説明を待っていた。やはり、このトリックが分からぬ様子だ。

「今から浩子が順番に写真を見せる。ただ見るだけや。手も声もだしたらあかん」

 まだ始まってはいないのだが、三人共無言で頷く。浩子は1メートルぐらい離れ、タブレットをかざすようにして竜華、怜、泉の順番で写真を見せる。

「まずは竜華や。なんか気ぃ付いたか?」

「さかさまの女の子の写真やった。結構可愛ええとは思うけど……」

「それだけか?」

「……」

「怜は?」

睫毛(まつげ)が長いな思た」

「泉?」

「そうですね……なにか変だなとは思いましたけど」

 それだけではダメだ。こんな見せ方をするのだから、なにかがおかしいのは当たり前だ。どこがどうおかしいのか、はっきり言わなければ赤点回答でしかない。

「まあ……そろいもそろうて、宮永咲にやられてもうたな」

 三人共無言であった。雅恵の出した問題に、まともな回答を出せなかったのだ。そうなるのは当然だ。

「浩子」

「はい」

 浩子はタブレットの自動回転をロックして、写真の女性が正位置になるように画面を見せる。

「なんやこれ……」

「浩子、これさっきと同じ写真?」

「そうです」

「……」

 実に奇怪な写真であった。その女性は、目と口が福笑いのように逆向きに配置されていた。三人共、今自分が見ているものが信じられないようだ。

「これが脳内補正や……人間は逆向きにものを見せられても瞬時には判断でけへん。脳の中で正位置に補正する」

「……」

「最初の写真は、目と口が正しい配置でした。皆さんの脳内イメージと一致したわけです」

 浩子が説明を補完する。これで謎が解けたはずだ。あとは宮永咲のトリックに気が付くかどうかだ。

「まさか……荒川憩は【三筒】と【七筒】を見間違えたんじゃ……」

 気が付くとするならば竜華だろうと思ってはいたが、その答えでは不満足だ。雅恵の言葉も厳しめになる。

「違うで竜華」

「……違う?」

「ええか、荒川憩はな、宮永咲の切った【三筒】を、脳内で【七筒】に変えてもうてん」

 

 

 個人戦総合待機室 宮守女子高校

 

 臼沢塞は驚愕していた。熊倉トシの説明にはリアリティがなかった。まるで別世界の話を聞いているようであった。

「麻雀牌には天地がある。河の作り方は人それぞれだけどねえ」

「宮永姉妹は正逆混在型でしたね……」

「まあ、圧倒的多数派だね」

 だとするならば、牌の正逆は二分の一。宮永咲の切った【三筒】は、彼女から見て正位置、対面の荒川憩からは逆位置に見える。

(理屈では分かるけど……)

 そう、理屈では分かるけれど納得できない。そういうものは多い。特に初めて見るものに対しては、そう感じるのは仕方がない。

「いたんだよ、こういう打ち方をする雀士が。私は彼女をよく知っているよ」

「え?」

「愛ちゃんは彼女が苦手だった。最も、すぐに克服してしまったけどね」

「宮永咲はその雀士の打ち方ができるのですか?」

「違うよ、咲ちゃんはコピーしているだけ。完コピだねえ」

「コピーですか……」

 塞は少し安心した。咲がラーニングした相手の力を取り込めるのならば、まさに無敵の存在になるからだ。

「安心なんてできないよ。コピーかどうかなんて見分けられないからね」

 塞を(とが)めるような口調でトシが言った。

「……そうですね」

「おそらく……愛ちゃんは、この子に有力雀士の対局データを詰め込んだ。それをすべて完コピできるとするならば、もはや手に負えない」

「……」

「塞……麻雀の才能ってなんだと思う?」

「才能ですか?」

「そう、才能」

 塞は考える。自分もかつては才能があると言われたことがあった。ただ、いざ才能とはなにかと問われると、答えに詰まってしまう。

「最良の選択ができることですか?」

 自信がないので答えも疑問形になってしまった。トシは優しい微笑みを返す。

「そうだねえ、一局で考えるのならそうかもしれないね。でも塞の言った最良の選択には劣勢の場合も含まれるからね」

「……はい」

 そうなると、もう塞には答えがわからない。トシに答えをくれるように懇願(こんがん)する。

「咲ちゃんは、最大の効果が得られる選択をする。団体戦の時も、豊音との個人戦も、あの子は途中から完全に場を支配してしまった」

 なるほどと思った。宮守が敗れたあの団体戦でも、宮永咲は序盤に嶺上開花を決めただけで、後半戦迄他の面子に好き放題させていた。そして、嶺上牌を活用して、石刀霞の絶一門(ぜついちもん)を破り、姉帯豊音の友引先負(ともびきせんぷ)を破った。末原恭子にいたっては、プラマイゼロのサポートまでさせた。まさに支配と呼ぶにふさわしい。個人戦でもそうだ。豊音の羅睺(らごう)を受けきり、想定外の手法で撃破した。咲は、それだけのことができる引き出しを持っているということだ。

「荒川憩は勝てませんか?」

「憩ちゃんもただものではないからね。まだ分からないけど、この一手は大きいねえ」

 荒川憩は、自分の得意分野で失敗をしてしまった。確かに大きな一手だなと、塞は思った。

「そういえば……」

 疑問がほぼ解消され、気持ちにも少々ゆとりができた。塞は、咲がコピーして見せた雀士が気になった。

「宮永はだれをコピーしているのですか? 先生はよく知っていると言っていましたけど」

「彼女はね、欧州リーグでは“マジシャン”と呼ばれていた。確か、当事無敵だった愛ちゃんの母親のテレサ・アークダンテにも勝っているはずだよ」

「だ、だれですか?」

「彼女の名前は、“マジシャン”アレクサンドラ・ヴィントハイム」

 

 

 個人戦総合待機室 臨海女子高校

 

 ネリー・ヴィルサラーゼにはなにが起こっているのか分からなかった。メガン・ダヴァンも雀明華(チェーミョンファ)も首を傾げていた。しかし、監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは仏頂面で腕組みをして画面を眺めている。その隣では、郝慧宇(ハオホェイユー)がなにか言いたそうにアレクサンドラを見ている。

「監督……」

「なんだ?」

 郝が我慢できなくなったように問いかける。アレクサンドラは酷く迷惑そうだ。

「これって、監督の“マジシャン”の打ち方ではありませんか?」

「……」

 アレクサンドラは質問に答えず、なぜか顔を赤くしている。

「監督……なにか恥ずかしいのデスカ?」

 アレクサンドラがメガンを睨みつける。そのメガンは、振り返ってネリーに肩をすくめて見せる。

「“マジシャン”は私の黒歴史だからな……。そうだよ、宮永は私の打ち方を模倣している。使っている牌は違うがね」

 隠しきれないと考えたのか、アレクサンドラはため息交じりに告白する。

「“マジシャン”? 監督の打ち方?」

 今度は雀だ。本人はそのつもりはないのだろうが、彼女の質問は少しバカにしたような言いかたになってしまう。アレクサンドラは苛立(いらだ)ちが隠せない。

「ただの心理トリックだ。マジックではない」

「心理トリックデスカ? それならばアラカワの独壇場ではアリマセンカ?」

「メグ、お前の持っているペンを貸してくれ」

 突然の申し出に、メガンは困惑していたが、胸のポケットに刺さっている黒のボールペンをアレクサンドラに渡した。

「なくなっても構わないか?」

「それは困りマス。 智葉にもらったものデスカラ」

「分かった。努力する」

 なんとも不穏な答えにメガンは心配そうだ。アレクサンドラは郝に向かって、両手を広げて差し出す。メガンのペンは右の(てのひら)にある。

「郝はマジックの心得があったな?」

「私も監督の同類ですから」

「香港ではマジックをなんという?」

「奇術ですかね」

「奇術か、面白いな。いいか、私が奇術をやって見せる。お前はそのタネを言い当てろ」

「……分かりました」

 アレクサンドラは“マジシャン”さながらの動きで、メグのペンを操り、死角に入れたり出したりしている。速くもなくゆっくりでもない。目で追うことはできるが、偽装も紛れている。

 アレクサンドラが手の動きを止めて、甲を上に郝の前に出す。

 どういうマジックなのかの説明すらなかったが、郝は右手を指さす。

 ネリーもそう思っていた。アレクサンドラの手の動きからペンの最終位置は握られた右手の下にあるはずだ。

 アレクサンドラが手をゆっくりと動かす。郝はそれを止める。

「違います。メグのペンは、監督の(そで)にあります。触ってもいいですか?」

「……どうぞ」

 アレクサンドラは夏でも長袖の上着を着ている。郝はペンがその袖の中に隠されていると推測した。そういうマジックだと判断したのだ。右手にあると思わせてそこにはない。それでは左手と考えるがそこにもない。ではペンはどこに消えたのだ? 驚くほどシンプルなマジックだ。

 郝はそこまで読んでペンは袖にあると言っていた。“マジシャン”も“妖術師”と呼ばれる郝慧宇の目はごまかせないとネリーは思っていたが――

「!」

 ――ペンはアレクサンドラの袖にはなかった。郝の表情に焦りが見える。左手も調べるがそこにもなかった。

 郝はしばらく考え込んでいたが、ハッと思いつき、アレクサンドラのタックパンツを見ている。

「まさか……」

 ネリーも気が付いた。アレクサンドラは黒ずくめの服装が好きであった。今も黒いパンツに黒い靴を履いている。

(落としていたのか……監督はペンを自分の靴の上に落としていた)

 アレクサンドラは自分の靴の上から、黒いボールペンを拾い上げ、メガンの胸のポケットに差す。

「そういうことだ……よく知っている人間ほどプリミティブなトリックには気が付かない」

「荒川だから引っかかったのですね?」

 郝は降参した様子だ。いつもの監督と生徒の関係に戻っていた。

「そうだ……一発勝負だがね。ただ、宮永のこういうセンスは超一流だ」

「荒川は負けるのですか?」

「まさか」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムに皮肉っぽい笑いが戻っていた。ネリーはその笑顔があまり好きではなかったが、彼女は、それをネリーに向けている。

「そうだろうネリー? 宮永の勝ちはまだ見えていないはずだ」

 そのとおりであった。この勝負の行方はまだネリーには見えていない。運命は、いまだに二人の間で揺れ動いているのだ。

 

 

 対局室 ルームE

 

 対局室ルームE(東三局まで)

  東一局    三上寛子   8000点(2000,4000)

  東二局    島津祥子   5200点(1300,2600)

  東三局     宮永咲  12000点(荒川憩)

 

 持ち点(東三局まで)

  三上寛子    31700点

  宮永咲     30400点

  島津祥子    28200点

  荒川憩      9700点

 

 

(『憩、盲点とはね、見えないから盲点というのではなく、見えていないことに気が付かないから盲点というのだよ』)

 目の構造上だれでも存在する盲点を、荒川憩の父親はそう説明していた。心理学者らしい取って付けたような言いかただが、宮永咲の行為は、まさしくその盲点を突いていた。

(まあええ、一回の表はそっちの勝ちでええで)

 憩は昨年の個人戦決勝を思い出していた。

(あれには参ったで。一回の表裏はあったけど、二回の表のままのコールドゲームや……)

 憩が敗北した宮永照の戦法は実に単純であった。“治癒魔法”が自分にも効果を及ぼすと確認した照は、“連荘地獄”で攻め続けて憩の能力発動を完封した。その終盤に憩は初めて投了(とうりょう)を意識した。屈辱的な負けだったが不思議と悔しさを感じなかった。

 その後、憩に対する幻想が独り歩きした。試合終了後に照と談笑する憩の姿が『荒川憩は凄い。“絶対王者”が直接対決を避けた』という印象を植え付けた。それはケガの功名とでも言うべき効果を憩に付与(ふよ)した。幻想という触媒により“治癒魔法”が怪物クラスの能力に変化したのだ。

(辻垣内はんがいないのは痛いなあ……)

 とはいうものの、照の戦法への決定的な対抗策は準備できなかった。ただ、他家を活用して“連荘地獄”を止めるシミュレートは何度も行い、手ごたえを掴んでいた。止めさえすれば“治癒魔法”は発動できる。それは昨日の予選で証明済みだった。しかしながら、憩がパートナーと想定していた辻垣内智葉を、目の前にいる宮永咲はトップ4から脱落させていた。偶然だとは思うが、でき過ぎているのも確かだった。

(あかん、今は集中やで。一回の裏の攻撃……)

 東四局が始まっていた。憩はポジティブ側に回路を切り替え、咲の行動を予測する。咲は原村和とチームメイトなので憩の能力の特性をよく知っているはずだ。だとするならば、彼女は憩がこの局では仕かけないことを見抜いているだろう。

(八局縛りの足かせあるさかいね、おっきな手では上がれへん……できることは難易度アップだけのはずやで)

 憩の合計失点は現在15300なので“治癒魔法”の条件は倍満だ。咲は、憩に追加で失点させて条件を三倍満に引き上げようとしている。三倍満の出現率は0.04%で四暗刻や国士無双よりも低く、清一色や混一色をベースに他の役やドラを加えるのが一般的だ。はっきり言えば狙って作れるものではなかった。

 8巡目。恐ろしいまでに有効牌が集まってくる。三暗刻の一向聴で立直をかければドラが乗り、倍満に達するかもしれない。しかも、咲はそれを許可することも分かっている。

(持ち点を平均化したほうが闘いやすいってか……なるほど、魔王様の考えそうなことやな)

 憩は刻子で持っていた【四萬】を捨てる。その合図に咲が反応する。

「リーチ」

 そのつもりなら予定どおり三倍満への条件引き上げを行う。咲の立直はそう言っていた

(ぜひともそうしてほしい……そのほうが、うちにも好都合や)

 憩は咲に笑顔を向ける。それはやせ我慢ではない。自らの能力を最大限に引き出せる基盤を咲が作ってくれた。そして、それを使用して倍返しできる。その期待感による自然な笑顔であった。

「ツモ、門前、立直、一発。1000,2000です」

 咲がなんの感情も表にせず上がった。ここまでは憩の想定どおりだ。

(あ、今、三上さんをちらりと見たなぁ? そらあんたの癖やで。自分で攻められへん時は、パートナーの顔を確認する。もうばれてもうたで)

 三倍満で上がるには、よほどのことがないかぎり立直が不可欠になる。条件引き上げにより憩に立直を強制し、三上寛子に振り込ませる。それが南一局のシナリオだ。上出来のシナリオであった。憩が三倍満和了に四苦八苦している間に、咲は安全圏に逃げ込めば良いだけだ。たとえ憩が“治癒魔法”を決めても、咲ならば残った局で修正可能だ。

(ハプニングは必ず起こるものやで。もしそれ予期してへんとするんやったら……そらただの傲慢(ごうまん)やで)

 

 ――南一局。荒川憩の手牌は尋常(じんじょう)ではなかった。宮永咲が表にしたドラ表示牌は【一萬】で、憩は【二萬】を4枚持っており、赤ドラの【五萬】もあった。すでにドラが5枚もあり、明らかに三倍満へ誘導されていた。

 1巡目、咲は定石どおり字牌を切り、島津祥子もそれに続く。

「カン」

 憩は迷わず【二萬】を暗槓(あんかん)する。悪手とされる早い段階での槓ではあるが、咲の筋書きを混乱させるには重要な一手になる。

(乗ったか……)

 憩が追加でめくった牌は【六萬】。手牌に【七萬】が一枚あるのでドラは6枚に増加した。刻子で持っている【北】を活かして混一色で立直をかければ11(はん)に到達する。ただし、憩の混一色狙いは全員に知られてしまった。

「ふふ……」

 思わず漏れてしまった笑いに面子が顔を上げる。

「失礼した。気にせえへんでください」

 意図したものではなかったが、思わぬ効果があったようだ。特に宮永咲は他の二人より手牌に目を戻すのが遅れていた。おそらく彼女の頭の中では、様々な憶測が飛び()っていることだろう。

(プランは完璧でも、結果がそれに伴うとは限らへん。その失敗の要因は、多くの場合は人間の心の問題やで)

 7巡目の憩の自摸は【八萬】であった。これで混一色の一向聴になったが、“治癒魔法”の準備は整っていなかった。まだ咲のパートナーである三上寛子が降りていない。

「ポン」

 8巡目に咲の捨て牌の【発】を寛子が副露した。聴牌したのは間違いないだろう。

(役牌のみの安手か……うちに飛ばれたら困るさかいね)

 寛子の聴牌は憩にも必要な要素だ。ここは変則的な“治癒魔法”を仕かけるしかない。

(そろそろこっちも本気出すとしよか……)

 憩は自分の望む牌がどこに在るのかが分かる。その牌はドラ表示牌として一枚見えている【一萬】だ。

(咲ちゃん、あんたが見えてるのは王牌(わんぱい)の一枚だけや。うちが持ってるかは不透明やろう? やさかい迷ってもらうで)

 混一色狙いならば持っていても不思議ではない牌だが、【二萬】が暗槓で(さら)されているので用途は限られる。【一萬】の不確実性が憩の武器になるのだ。

 残りは三枚。憩が一枚と祥子が一枚持っていた。そして、なによりも重要なのは、咲も一枚持っていることだ。

(島津さん。その牌は持っとったら危険やで。うちはまだ聴牌してへん。いまの内に切ってもうたほうがええ)

 10巡目。憩は自模ってきた【二索】をわざと斜めにして捨て、あとからそれを直した。麻雀の模打(もーた)はルーチンワークと言ってもよく、イレギュラーな行為は強く心に残る。憩はそれを利用して祥子にシグナルを送る。

(これが私の能力……だれにも破れない)

 “魔王”に勝利すためには自分の力を信じなければならない。必ず祥子は【一萬】を切るはずだ。

 11巡目。島津祥子は憩の“能力”に屈した。彼女は【一萬】を打牌し、その後に牌と憩を何度も見比べていた。

(おおきに島津さん。その行為が【一萬】の存在を特別なものに変える)

 その成果がはっきりと出た。咲の疑念が強まり、持っている【一萬】の保持を決めた。願ってもないことだった。憩が聴牌する前に切られては元も子もないからだ。

(咲ちゃん……あんたからその【一萬】を引き出す。無意識の恐怖を味おうてもらうで)

 咲は恐怖によって心がガードされている。接触は困難であると思っていたが、手がかりとなるキーワードを試合前に憩は聞いた。

『地獄とは終わらない恐怖』

 彼女の言う“終わらない恐怖”とはなにか? その謎を解くヒントは、団体戦後の記者会見で話していた。

『自分は決して負けないと誓った』

 それこそが咲の恐怖の本質だと確信した。なぜそうなのかは不明だが、彼女は“敗北”を異様なまでに恐れ、それが暴力的な障壁を作り出している。憩は、そこから咲へのアプローチができると考えていた。

(恐れるだけやらあかんで。上手う付き合う方法を考えな)

 憩は“終わらない恐怖”への肯定(こうてい)のシグナルを送る。咲にはその状態をレベルダウンして維持してもらう。憩はそれを辛抱強く継続し、咲の障壁に隙間を空けていく。

 迎えた13巡目。憩は【八萬】を自模り、混一色を聴牌する。

「リーチ」

 従順さを装い、咲の望みどおりに三倍満狙いの立直をかける。

『これで荒川憩は、次巡に三上寛子に振り込むことになる』

 咲はそう考えて緊張感を緩めるだろう。その状態の人間の心には必ず隙ができる。

 憩は、【一萬】の打牌を咲に(うなが)す。

(そんな地獄待ちをするのはあんたの部長さんだけやで。【一萬】を切ることはええことや)

 憩は微笑みを浮かべ、通常の姿を見せる。今は特別な状況ではないことを咲に意識させる。そうして憩は、“能力”を最大出力で発揮した。それが咲の無意識エリアを拡張させる。

(もうその牌しか見えへんやろう。安心して切ってええで)

 14巡目。咲は自然な動作で捨て牌を河に置き、そのままフリーズしてしまった。指を離さず、なんの牌を捨てたのかはまだ憩には見えない。

(認めたほうがええで咲ちゃん。それは現実や)

 咲が顔を上げる。目が合ったので憩は満面の笑みを送った。咲は眉毛をピクリと動かして、ゆっくりと指をどけた。

 見えた牌は、憩が指示した【一萬】であった。

「ロン。立直、一発、門前、混一色、ドラ6。24000」

「……はい」

 無表情ではあるが、憩には咲が動揺しているように見えた。

(一回裏の逆転スリーランやで。咲ちゃん……あんたは照さんとはちゃう。うちの攻撃を止められへん)

 

 

 インターハイ個人戦 一般観覧席

 

 宮永姉妹は、高校麻雀の世界では完全な悪役であった。その強さに観衆は畏怖(いふ)し、倒してくれるヒーローを心待ちにしていた。だからこそ、昨日の小瀬川白望や神代小蒔はヒールを打ち破ったベビーフェイスとして喝采(かっさい)をあびていた。

 ――実況の福与恒子がヒーローの再登場を絶叫している。観客の興奮のボルテージが上がり、荒川憩への声援で会場が揺れていた。

 

 高鴨穏乃は唇をきつく結んだ。宿敵というには時間が短すぎるが、宮永咲は穏乃にとってそんな存在だ。彼女が負けるとは思えなかったが、なにかが違うのも確かであった。穏乃を蹴散らした圧倒的な強さが今は感じられなかった。

「穏乃、ケイは宮永に勝てるかもしれないよ」

 隣にいる対木もこが穏乃に話しかける。沈着冷静なもこではあったが、憩の活躍が嬉しいのだろう。彼女も少し興奮している様子だ。

「まだ三局もありますよ」

「違うよ穏乃。この場合は『あと三局しか残っていない』だよ」

「咲が対応しきれないって言うの?」

 新子憧が穏乃を飛び越えて質問した。

「宮永咲は自分の無意識が拡張されたことを知ってしまった。いずれは対応できるかもしれないけれど、憩の能力は、たった三局でどうにかできるものではない」

「私はこのまま終わるとは思えないわ」

「気を悪くしないで聞いてほしい。これは松実姉妹の衰退によく似ている」

「玄と宥の?」

「彼女たちもこれから成長するかもしれない。だけどね、かつてのような強さは二度と取り戻せない」

「……二人がそれを知ってしまったから?」

 さすがに憧は頭の回転が速い。言われてみればそうであった。松実玄と松実宥が全国大会で勢いを失ったのは対策されたからではなかった。本当の理由は、二人が対策されたことを知ってしまったからだ。

 ――再び会場が大歓声に包まれる。 

 南二局。荒川憩が11巡目に満貫を自摸和了した。

 

『荒川選手連続和了! 今度は満貫だー!』

『実質次で勝負は決まるだろうな。憩の親番だ、宮永が八局縛りを固持するのなら上がられたらほぼ終わりだ』

『なるほど。それでは次局で宮永咲選手の反撃があるのですか』

『その可能性もあるが、もう一つの可能性もある』 

『藤田プロらしくない難しい解説ですね』

『……』

『そ、それはどのような意味でしょうか?』

『憩は今、負荷がかかっていない。このままオーラスに持ち込む手もあるということだ』

『……つまり“治癒魔法”を使わせない?』

『去年の宮永照とは逆の発想だよ。憩の収支をプラスにしておけばあの力は発動されないからな』

『しかし……そうなると宮永咲選手は、オーラスに役満を要求されますが?』

『お前は宮永咲の役満を見たことがないのか?』

『……』

 

 藤田靖子の解説に、観衆の声がどよめきに変わった

「ケイ……疑ってはダメだ。自分を信じて」

 その対木もこのつぶやきは、周囲の声に打ち消されるべきものであった。しかし、穏乃には聞こえてしまった。

(無理もありません……だって咲さんはまだ負けていませんから)

 宮永咲の顔が画面に拡大される。これまでとは異なる表情ではあるが、敗北者の表情ではなかった。それがもこを不安にさせている。

 それは空気感染のように伝播(でんぱ)し、穏乃の不安も増大させた。

(咲さん……負けちゃだめだ。あなたを倒すのは、この私ですから)

 

 

 インターハイ運営事務所

 

 戒能良子と三尋木咏が運営事務所に戻ると、大会委員長が血相を変えて話しかけてきた。

「二人がいない間に大変なことが起きています」

 委員長は咏にTVをすぐ見るように指差す。

「なんなの? そんなに慌てふためいて……」

 委員長をあしらう咏の顔は冷ややかなものであったが、画面を見てそれが変わった。

「これはこれは……」

 いやみったらしい咏のにやけ顔に戻ってしまった。ただし、幾分引きつってはいた。

 良子もその画面を見る。なるほどと思った。これならば、二人の反応は理解できる。

 

 

 対局室ルームE(南三局まで)

  東一局   三上寛子   8000点(2000,4000)

  東二局   島津祥子   5200点(1300,2600)

  東三局    宮永咲  12000点(荒川憩)

  東四局    宮永咲   4000点(1000,2000)

  南一局    荒川憩  24000点(宮永咲)

  南二局    荒川憩   8000点(2000,4000)

  南三局   三上寛子   6400点(宮永咲)

 

 現在の持ち点(南三局まで)

  荒川憩    40700点

  三上寛子   34100点

  島津祥子   23200点

  宮永咲     2000点

 

 

「たいしたもんだねぃ魔王様は、できるかどうかは別にして、役満ならば逆転可能にセッティングしてるよぉ」

「それは無理だと思いますよ」

「ほう、なんでだい?」

 普段はあまりこちら側の話に口出ししない委員長ではあったが、今回はなぜか反論してきた。咏はそんな彼を物珍しそうに見ている。

「私は大学で臨床(りんしょう)心理学を専攻していました。今の宮永選手は、荒川選手に感情制御されているように見えます」

「おやおや……それで? これからどうなるんだい先生」

「宮永選手はこのまま敗北します」

「だってさ良子ちゃん。あんたはどう思う?」

 この戦術。荒川憩ならやるかもしれないと予想はしていたが、ここまで効果が出るとは考えていなかった。宮永咲が勝利する為には、この状況下で役満を上がるしかなかった。委員長が勝負ありと判断したのも納得できる。

 ――画面が切り替わり、その宮永咲のアップになる。

「なんだと……」

 良子は低い声でそうつぶやいた。怒り、驚き、どちらともつかぬ感情が湧き上がる。

「ど、どうしたの良子ちゃん」

 咏から声をかけられたようだが耳に入らなかった。良子の視線は画面の宮永咲に釘付けになり、全意識もそこに集中していた。

「なぜだ……姫様……なぜ宮永に味方する?」

 

 

 対局室 ルームE

 

(アホな! そんなんありえへん)

 荒川憩は、自分の“能力”が宮永咲に通用しなくなったと認識した。信じられなかった。“治癒魔法”の発動はともかくとして、一度キャッチした咲の意識はコントロールできるはずであったが、それを完璧に無効化されてしまった。まるで、咲に別の人格が発生したようなものだ。

(一人の人間には一つの人格しかあらへん……ジギルとハイドかて一つの人格の表と裏にすぎへん)

 咲を穴が開くほど見つめる。無表情で光沢のない目はこれまでと同じだが、一つ相違点もあった。

(瞬きをせえへん……まさか……あんたは)

 ――オーラスはすでに中盤に差しかかっていた。憩の手牌は上がるのが不可能なほどのゴミ手で、三上寛子も島津祥子も多分同じだろう。二人は怯えながら打牌を繰り返していた。この場は宮永咲に完全に支配されていた。

 ――いや、彼女は宮永咲ではなかった。

(神代さん……なぜや? なぜ咲ちゃんを助ける)

 間違いなかった。目の前にいるのは永水女子高校の神代小蒔だった。だが、アンチ・ニューオーダー派の小蒔が、咲を援護する理由が憩には分からなかった。

(助けてへんのか? ……咲ちゃんは昨日と今日で別人になってもうた。咲ちゃん、あんたまさか……)

 憩の自摸番が回ってきた。山に手を伸ばすが、震えでうまく牌がつまめない。

(なんや、この震えは……うちは恐怖してるんか?)

 恐怖、恐怖であった。荒川憩は愕然(がくぜん)としていた。咲の攻略の手がかりとして使用した恐怖により、自分は敗北しようとしている。40000点近いリードをしていながら投了を考えている。

(オーバーロードか……こらしばらく立ち直れへんな)

 憩の震えは収まるどころか激しさを増していた。なんの手出しもできずに局は16巡目まで進行した。そして、咲の河はとある役満を作製中であることを明確に表していた。

(初めてや……うちは負けるのが悔しい……)

 地団駄(じたんだ)を踏みたくなるような衝動があり、悔恨(かいこん)の念で泣きたくもなった。そう、憩は敗北感を知ってしまったのだ。知ることの恐怖。憩はそれを痛感していた。

(うちは刺客に失敗した……これがその代償(だいしょう)

 ここから立ち直るにはどれほどかかるだろうか? 半年、いや一年はかかるかもしれない。難儀(なんぎ)ではあったが、それでもいいと憩は思った。一年なら来年のインターハイには間に合う。

(咲ちゃん……負けんといてや。うちの最後のリハビリは、来年あんたを倒すことや)

 ――17巡目。咲は牌を倒した。その並びの美しさに、憩は目を奪われていた。それは40種類の麻雀役の中で、最も美しいとされる九蓮宝燈(チューレンポウトウ)であった。

「ツモ、九蓮宝燈。8000,16000」

 試合終了のブザーが鳴っている。勝負は決したのだ。点数で言えば(わず)か1300点差の惜敗だが、心の中では完敗であった。

 咲を含めた三人が立ち上がる。部屋付きの監視員がきて憩にも起立するように指示するが、どうにも身体が言うことを聞かない。

「すんまへん。腰が抜けたみたいで立てまへん。終礼はこのままでええですか?」

 とてもそんな気分ではなかったが、憩はぎこちなく笑顔を作った。監視員は憩の心情を察し頷く。

「終礼」

 監視員の合図とともに、少々デコボコしているが終礼をする。

「ありがとうございました」

 咲が憩に背を向け立ち去ろうとしている。彼女を引き留めなければならない。

「咲ちゃん」

「……はい」

 咲が足を止めて振り返る。無表情ではあるが瞬きを何回かしている。彼女はもう宮永咲に戻っていた。

「来年もあるんやろうな?」

「…………はい」

 憩は対戦前と同じ笑顔を咲に送った。

 ならばそれで良い。来年の再戦を夢見て――今はこの悔しさを噛み締めるしかない。

 

 

 対局室 ルームE 試合結果

  宮永咲    34000点

  荒川憩    32700点

  三上寛子   18100点

  島津祥子   15200点

 

 

 都内マンション 605号室

 

 親子の絆の強さを小鍛治健夜は感じていた。荒川憩の猛攻に、健夜も一時は宮永咲が負けるのではないかと考えてしまっていた。しかし、咲の母親の宮永愛はそうではなかった。自分の娘が危機にどう対処するか分かっているかのように、冷静に対局を眺めていた。

「これで何人目かねえ……」

 愛が呆れたように言った。

「県予選を含めたら数えきれません」

「まったく……照のように有無を言わさず倒してしまえばいいものの……」

「そうですね」

 確かに来年を考えると頭の痛い話だ。咲をライバル視する選手は増えすぎていた。今年3年生の江口セーラや愛宕洋榎にしても、後輩がその意思を引き継ぐことになる。そして、その数はさらに増殖する。

「小鍛治プロ……私にはウインダム・コールとの契約がある。あなたに照と咲を渡さなければならない」

 大会が最終局面に至り、愛は核心に触れた話をしようとしている。健夜も気を引き締めて愛と向かい合う。

「私はあなたに関するある噂を聞いたことがある」

「噂ですか?」

「そう噂ですよ……あなたはテレサと同じことをしたらしいね?」

「私もテレサさんの件は噂でしか知りません」

 愛が笑う。このようなやり取りを好むようだ。彼女はさらにそれを続けた。

「テレサはウインダム・コールに再起不能されたわけではない。それはご存知?」

「はい。2回目の半荘は彼の能力の調査に使ったと聞いています。私と同じように」

「なら話は早い……答え合わせをしようじゃないか。最終目的は同じなはずだからね」

 お前が掴んだウインダム・コールの秘密を話せ。宮永愛はそう言っている。それは覚悟していたことだ。彼女から大事な娘を譲り受けるのだから、信用の(あかし)としてこちらから提示する必要があった。

 健夜がそう考えている時、宮永愛は口調穏やかに忠告をする。

「話したくなければ話さなくてもいい。ただ、あなたが聞きたくなくても私は話す」

「いいえ、まずは私の話を聞いていただきます」

 うまい駆け引きであった。そう言われたらこう答えるしかない。とはいえ、健夜はすべてを話すつもりはなかった。愛ならば、比喩的(ひゆてき)な答えですべてを把握してくれる。

「……帰納法(きのうほう)です。ウインダム・コールは帰納法の麻雀を打っています」

「さすが小鍛治健夜だね……そのとおりだよ。そう考えなければ筋が通らない」

「テレサさんは咲ちゃんにそれをコピーさせた?」

「やれと言われてもできるのもではない。だけどね、咲はある条件下でそれができるようになった」

「プラスマイナス0ですか?」

「はっきり言えばね……私は信じられなかった。あんなことができるとは思わなかった」

「……」

「でも、限定された力ゆえに欠点もあった。照はそこを見逃さなかった」

 そのプラスマイナス0を破った力が“照魔鏡”なのだろうなと健夜は推察した。

「咲はね……おそらくその時に敗北を受け入れたのだと思う。だけど、私とテレサはそれを許可しなかった」

 平静を装って話しているが、宮永愛の表情に(かげ)りが浮かんでいた。

「それで、私たちはどうしたと思う?」

「……分かりません」

「咲に“ドラゴンズ・アイ”をコピーするように命じたのさ……」

「まさか……」

 無論、自分もコピーされたのは分かっていた。しかし、この展開は、健夜にも予想できなかった。

(咲ちゃん……あなたは……)

 愛に見られている。どうやら健夜の心は看破(かんぱ)されたようだ。

「当然、完全なコピーは無理だった。ただし、ウインダム・コール同様に限定的なコピーはできた」

「……」

「それでね……咲の才能は恐ろしい怪物を創り出してしまった。あなたの“ドラゴンズ・アイ”とウインダム・コールの“百の目”……それを融合させてね」

「そ……それが〈オロチ〉なのですか?」

「あなたと咲は惹かれ合ったのさ。それはもう……必然的にね」

 

 

 個人戦総合待機室 白糸台高校

 

「部長、淡は荒川憩に勝ちますよ!」

 亦野誠子が興奮している。第8試合もほとんどの部屋が試合を終えており、残っているのはチームメイトの大星淡と荒川憩が対戦中のルームBだけだ。しかも、もうオーラスで憩は20000点割れで聴牌すらしていない。誠子が興奮するのは仕方がない。

(荒川に勝つか……前試合で弱体化しているとはいえ、あの荒川憩に勝つのだからな。照……お前は正しかった。淡は敗北を知って驚くほど強くなった)

 そうは言っても、手放しに()めるわけにはいかない。

「今回は特別だよ。荒川は宮永咲戦を引きずっているからね。誠子、締めるところは締めないとあいつは調子に乗るからね」

「ええ、そうですね」

 大型画面から大きなブザーの音が聞こえる。観客は大騒ぎになり、誠子もそれにつられて立ち上がり喜んでいる。

 ルームBの試合は終了した。前評判で宮永照と並ぶトップ2の荒川憩を、“超新星”大星淡が撃破した試合であった。

 

『荒川選手まさかの大失速! なんと、二試合連続で勝利ならず。総合順位が気になりますね藤田プロ』

『……』

『藤田プロ?』

『ん……ああ、そうだな』

『それにしても今年の一年生は凄いですね。まさか荒川選手が敗れるとは思いませんでした』

『憩は……荒川は納得しているだろうな。この敗北は意外ではない』

『宮永咲選手との試合で燃え尽きたとでも?』

『福与アナ……麻雀はね、メンタルの勝負でもあるんだ――』

『おーっと! 話はあとだ! 第八試合までの得点集計がまとまりました。注目のランキング発表だー!』

『……』

 

 

 個人戦決勝 総合順位表(第8戦迄) 

  1位 宮永照(白糸台高校 3年)     289.4pt

  2位 神代小蒔(永水女子高校 2年)   259.6pt

  3位 宮永咲(清澄高校 1年)      254.3pt

  4位 原村和(清澄高校 1年)      219.1pt

  5位 福路美穂子(風越女子高校 3年)  218.8pt

  6位 白水哩(新道寺女子高校 3年)   214.0pt

  7位 愛宕洋榎(姫松高校 3年)     194.6pt

  8位 江口セーラ(千里山女子高校 3年) 192.2pt

  9位 姉帯豊音(宮守女子高校 3年)   189.3pt

 10位 荒川憩(三箇牧高校 2年)     187.9pt

 

 

『長野は魔境だな……トップ5に3人も入っている』

『長野出身も含めると宮永照選手もそうなりますね』

『出身者だと原村和は除外されるな』

『……』

 

 

 この二人の実況解説では、こういった嫌みの言い合いがお約束になっていた。また始まったとばかりに観客から苦笑が漏れている。

「原村ちゃんが上がってくれました。でも点差は0.3ポイントしかありません」

「そうだな……福路美穂子はそつがない。このまま進めばいいが……」

 渋谷尭深も心配そうだ。照本人には言っていないが、チーム虎姫のメンバーは、可能ならば姉妹対決を避けたいと考えていた。大星淡の阻止が失敗した今、最後の希望は原村和だけになってしまった。

(咲ちゃんも本気だ……姉妹対決が始まってしまったら、止められるのは、彼女しかいない)

 

 

 個人戦試合会場 連絡通路

 

(福路さんとはたった300点の差しかない……失点をできるだけ抑えないと)

 悲願の4位に浮上したとはいえ、福路美穂子の実力ならばあっという間に逆転されてしまう。原村和は覚悟を決めた。咲との誓いを守る為には、後先を考えてはいられない。残り2試合を全力で闘わなければ、すべてが無駄になる。

「ノドカ、このままだよ。これでサキと闘える」

 大星淡の声だ。彼女は和との約束を守った。あの難攻不落の荒川憩を撃破してくれた。

「淡さん、あ……」

 ありがとうございます。と言おうとしたが、淡の背後にその荒川憩がいたので、和は言葉を変える。

「あ……らかわさん。なぜここに?」

「大星ちゃんにコテンパンにされた荒川でーす」

 ひょうきんな言いかたであったが、自暴自棄(じぼうじき)になっている様子もない。だとすると、彼女はなにかを伝えにきたのだろう。

「この人さっきからこの調子なんだよねえ」

 大星淡も弱り顔だ。憩は表情をいつもの笑顔に戻し和と淡を見比べている。

「実はな、二人に宣戦布告に来たんや」

「はあ」

「咲ちゃんを倒すのはこのうちやで」

「ああ……」

 淡と目を合わす。『またか』言葉にしなくてもそんな声が聞こえる。まったく、宮永咲という人間は、なんでこうも敵を作ってしまうのか? 

「また闘うのを楽しみにしとるで。あ、大星ちゃんは今度倍返しやさかいね」

「それじゃあ私は倍倍返しで」

「せやったらうちは倍倍倍――」

 憩は淡との言葉遊びを満喫し、笑顔のまま戻っていった。

「いい人なんだけど……物凄い強敵だよね」

 淡が疲れたような顔を和に向ける。

「そうですね……」

 淡の顔が急に硬直した。その見開かれた目は、和の背後を凝視している。なにか異変があったに違いない。和は、そこになにがあったかを思い出す。モニターだ。そこにはランキングが表示されていたモニターがあったはずだ。

「ノドカ……ゆっくり振り向いて、ゆっくりだよ」

 淡の狼狽(ろうばい)を見ていると、なにが映っているか想像ができる。和の心臓が高鳴る。

(運命か……今だけは信じてもいいかな)

 和は指示どおりゆっくりと振り返る。目に飛び込んできたルームAの対戦表は、和の手や足、いや、全身を震わせていた。

(誓いの時がきました……私はこの試合にすべてを捧げます)

 

 

  個人戦第9試合 ルームA

   原村和    長野代表(一年生)

   春日千絵   新潟代表(二年生)

   宮永咲    長野代表(一年生)

   風間えり子  静岡代表(三年生)

 

 




次話:「誓いの時」

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