咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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 咲〈オロチ〉編のアフターストーリーを3話程投稿いたします。
各話、時系列がバラバラなのでここにて説明を致します。

第一話 清澄の優しい風(本日投稿)
 インターハイの団体戦も個人戦も終わった後の清澄高校の話です。

第二話 坂の途中(7月投稿予定)
 インターハイ団体戦後で、個人戦前の白糸台高校 大星淡の話です。

第三話 見えない恐怖(8月投稿予定)
 インターハイ団体戦後、個人戦に出場する選手たちの〈オロチ〉への苦悩を描いた話です。


アフターストーリー
第一話 清澄の優しい風


 

 インターハイが終了し、清澄高校も2学期が始まっていた。3年生の竹井久にしてみれば、この時期は受験勉強に本腰を入れるべきではあったが、今月末より開催される国民麻雀大会のメンバーに選出されており、それは先延ばしするしかなかった。しかし、準備は進めなければならない。その為には、学業以外の負荷を減らす必要があった。最たる学生議会長は、任期が来月まであるのでどうしようもない。ならば、麻雀部部長を、インターハイを経て指導者として覚醒した染谷まこに引き継いでしまえば良い。久はそう考えて、本日、その引継ぎの実施を、まこに告げていた。

 

 

 清澄高校 旧校舎 麻雀部部室

 

「咲は?」

「ああ、同じクラスの京太郎が連絡しとる筈じゃ」

 竹井久は国民麻雀大会のメンバー表を染谷まこに渡して、部室の一番好きな場所であるベランダに向かった。

「まだ卒業と言う訳にはいかないみたいね」

 手すりにもたれかかり、外を眺めながら言った。麻雀部長としてここに立つのも今日が最後、そう考えると、それなりに寂しさを感じていた。

「だったら、部長の引継ぎも今日じゃなくても良かろうに」

「あら、それはダメよ。美穂も蒲原さんも引き継ぎはもう終わってるのよ。まこだって秋季大会の準備があるでしょう?」

「まあ……そうじゃが」

 隣に立っていたまこは苦笑しながら答え、手に持っていたメンバー表に目を落とした。

「長野の今年はジュニアAもBも結構いけるのう」

「そうね、衣ちゃんが出るとは思わなかったわ」

 それは確かに意外であった。龍門渕高校の天江衣はこういった大会には興味が無いと思っていたが、インターハイでの宮永咲に影響されたのか、今回は出場を打診していた。

「福路さん、加治木さん、龍門さんに部長、それに衣ちゃんじゃ、ちょっと対戦相手が気の毒じゃのう」

「ジュニアBは優勝候補筆頭よ、うちから3人と桃子ちゃんに南浦さん。中学生枠を入れたって、飛びぬけてるわよね」

「咲次第じゃろな。先鋒で使うか、大将にするか」

 それは長野県の話ではなく、染谷まこ自身の悩みに聞こえた。だから久は、少しだけアドバイスをすることにした。

「靖子が言ってたわ、咲は大将に置いた方がいいって。いるだけで、相手のプレッシャーは計り知れないって」

「藤田プロか……」

 まこは、そう言って視線を逸らした。久にはその理由が分かっていた。清澄高校 麻雀部は、プロ雀士の藤田靖子から“ある提案”をされていた。

「まこ……」

 久に呼ばれたまこは、僅かに間を置いてから目を合わせた。

「靖子の提案、真剣に考えてる?」

「真剣も真剣、知恵熱が出るぐらいじゃ。しかし……わしには決断しきれん。どうしたらええかの?」

 来年の清澄高校はインターハイ連覇が期待されている。明らかにそれが、まこの重荷になっており、その顔には苦悩の色が浮かんでいた。

(私も同じだったな……。結局この1年、何も出来なかった……)

 それは正直な感想であった。ほぼ同世代のプレイングマネージャーでは、指導育成に限界があったのだ。久はそれを悔やんでいた。

「私は、みんなを強くする事は出来なかったわ……」

「……」

「出来たのは、みんなのコンディションをベストな状態に持って行く、それだけよ……」

「部長……」

 まこは驚いた顔で久を見ていた。

「咲も和も優希も……もともとが凄かったのよ。あ、もちろん、まこもね」

「人をおまけみたいに言ってからに……」

 いつものまこの口調だ、久はそれを聞いて笑った。

 ――藤田靖子の提案、それは清澄高校麻雀部に外部の指導者を置くことであった。初めは藤田靖子がその指導者かと考えたが、実際はとんでもない人物が名乗り出ていた。久は、その名前を出して、まこの質問への回答をした。

「小鍛冶プロは、みんなをもっと強くできる……私はそれを見てみたい」

「しかし……あの人の目当ては咲じゃろう」

 その言葉に、久は目を丸くした。

(そう……それがあなたの悩みなのね。良かった、あなたが後輩で。だけどその優しさは命取りになるわ、清澄は全国の高校の標的なのよ、綺麗事ではすまされない)

 久は、まこの懸念を取り除いてやろうと思い、約1年半分の感謝の気持ちを込めた“最高の笑顔”で話した。

「もちろん! 小鍛冶プロの目的は咲を探る事よ。だけどね、その為には、自分の手の内もさらけ出さなければならない」

「……和と咲みたいなもんか?」

「そうね、相手の弱点を知る事は、自分の弱点を教える事よ、そのリスクを冒してまで、あの人は清澄の指導者に名乗り出ている……受けてもいいんじゃないかしら?」

「阿知賀や宮守みたいに、一気に強くなる可能性があるっちゅうことか……」

 久は頷いた。良い指導者とはそういったものと考えていた。プレイヤーの力量を最大限に引き出す術を知っている。

「小鍛冶プロは、もっと凄いわよ、なにせ麻雀でやり残している事は一つしか無いって言われてるんだから」

「一つ?」

「そうよ、あの人がやり残しているのは、ただ一つ、負ける事」

「……理解できん話じゃの、部長は分かるんか?」

「全然」

 まこが呆れた顔で自分を眺めていた。妙な話ではあるが、久はそれが心地よかった。

(まこ……あなたはもう十分苦労してきたわ。だから、この話は受けたほうがいい)

 ――ベランダから見える川の傍の木陰から、宮永咲と片岡優希が原村和を支えながら出て来るのが見えた。久は大きく手を振って合図した。咲達も気が付いたのか、手を振り返している。

「もうすぐ来るのう」

「そうね……」

 柔らかな風が吹いていた。 

 その風は、意識しなければ気が付かない程の微風ではあったが、暑くもなければ寒くもない優しい優しい風であった。その風に包まれながら、久は心の中で呟いていた。

(良かった、本当に良かった。……諦めない、私はこれからも決して諦めたりしない)

 

 

 30分前 清澄高校校庭

 

 本日の部長引継ぎの実施は、昼休みにメールで染谷まこから部員に発信されていた。携帯等を持っていない宮永咲には、クラスメイトの須賀京太郎に伝達する様に指示されていたが、咲は放課後すぐに、『ウィークリー麻雀Today』の西田記者の取材要請をうけて、いなくなってしまった。京太郎はその大事な連絡をしようと、咲を捜し回っていた。

 

 

 原村和と片岡優希は、宮永咲を捜しに行っている須賀京太郎を、玄関前で待っていた。その顔は不機嫌極まりなかった。京太郎から、おおよその事情は聞いたが、それはただの怠慢に思えたからだ。

 ――京太郎が息を切らして帰って来た。

「校内を捜したけど見当たらない……取材も終わってるみたいだし、部室に行ってるんじゃないかな?」

「アホ京太郎! 家に帰ってたらどうする! 走って確認してこい!」

「ええー、咲ん家は結構遠いんだよな……」

「ゴチャゴチャ言わずに、早く行け!」

 優希の剣幕に、京太郎は逃げる様に走り去った。

 和は、京太郎がちょっと気の毒になり、優希に訊ねた。

「これからだと須賀さんは引継ぎに間に合いませんよ?」

「分かってる、これは罰だじぇ! 咲ちゃんはきっとまだ校内にいると思う」

 いつもふざけてばかりいる優希であったが、今回は本気で怒っているのだろう、顔が笑っていなかった。

「のどちゃんは、ここで見張っててほしい、私は部室までひとっ走り――」

 優希がそこまで言った所で、遠くから2人を呼ぶ声が聞こえた。

「原村さーん、片岡さーん」

 西田記者と同行しているカメラマンであった。正直な話、和は彼女が苦手であった。ずけずけとした聞き方に抵抗を覚えてしまう。

「西田さん! 咲さんの取材は終わったんですか?」

「ええ、終わったわよ」

「それで、咲さんは何処に?」

「部室に行くって言ってたわよ」

 和と優希は顔を見合わせて、その場を立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと待って! 2人共」

 西田が慌てて和達を呼び止めた。

「取材は咲ちゃんだけじゃあないのよ、あなた達にも聞きたいことが……」

「申し訳ありません、今日はこれから大事な用事がありますので」

「大事な用事? それは何?」

 西田はボイスレコーダーを取り出し2人に向けた。

 和は麻雀以外では感情が表に出やすかった。今も嫌そうな顔をしているのだろう。西田はそれを察したようで、ボイスレコーダーを引っ込め、作戦を変えてきた。

「せめて……写真だけでも撮らせて、清澄1年生トリオのね。お願い!」

 そう言って、顔の前で手を合わせた。彼女が職業として持っている能力をいかんなく発揮された。和と優希は断る事が出来なかった。

 

 

「京太郎か? 咲ちゃんが見つかったじぇ、すぐに戻ってこい」

 片岡優希は、電話で須賀京太郎を呼び戻していた。先程までとは違い、その表情は笑顔であった。

「どうですか?」

「ちょっと遅れるぐらいかな、ああ見えても京太郎は、走るのだけは早いからな」

 褒めているのか、けなしているのか分からない言い方であったが、実に優希らしかった。そう思うと、自然に原村和の顔もほころんだ。

 ――部室の有る旧校舎までの、小さな川のほとりの道を優希と歩いていた。ここは、和のお気に入りの場所であった。途中にある木陰で、咲を初めて見つけた場所。通るたびに、それを思い出してしまう。

「またあそこにいたりして」

 優希がその木陰を指差して言った。実際に咲は、そこで居眠りしている事がよくあった。

「さすがに今日は、いないと思いますよ」

 近づくにつれて、それが間違いであったと認識させられた。咲の特徴のある前髪が、チラチラと見えていたのだ。

(……これは、須賀さんのせいです。須賀さんが大事な連絡をしなかったからです)

 何とか咲を弁護しようと思ったが、場合が場合だけに、それは苦しいものになった。

「こんな時に居眠りとは不届き千万! ちょっと驚かしてやるじぇ」

 いつもの悪ふざけをする優希の顔であった。止めようかと思ったが、たまには“有り”かなとも思った。

「私はここで待ってますから、咲さんを連れて来て下さい」

「分かった。連れて来るじぇ」

 優希が川を飛び超えて、忍び足で咲に近づいて行った。やがて咲の前に立ち、大声で起こす――筈であった。しかし、優希はそうしなかった。咲の前に立ったままで、和を手を振って呼んでいた。

 ただならぬ事態に、和は慌てていた。普段ならば、近くの橋を渡るのだが、優希と同じく川を飛び越えた。

「ゆ――」

 優希が大声を出すなとばかりに、口に指をあてた。

 近づいてみると、驚くことに優希は泣いていた。そして、咲を指差した。

 ――咲は、眠っていた。よく見ると両目の端に微かな筋が残っていた。それは、涙が流れて渇いた跡の様であった。手元には一冊の本を抱えていた。先程、西田記者から渡されたのか、発売前の『ウィークリー麻雀Today』であった。その表紙の見出しに、こう書かれていた。

 

 “白糸台高校 宮永照 独占インタビュー 『宮永咲は私の妹です!』”

 

 和は咄嗟に手を口に当てた。そして目も閉じた。不思議なことに、目を閉じても涙は出てくる。次から次へと止めどもなく溢れてくる。

「咲ちゃん……よかったじぇ……」

 優希のその言葉に、和は目を閉じたまま頷いた。

(本当に…………本当に、よかった……)

 

 

 ――咲を起こさなければならなかった。その為には、和達にも準備が必要だった。

「どうですか?」

「大丈夫、もう涙は見えないじぇ。――私は?」

「OKです」

 泣きっ面で咲を起こす訳にはいかなかったので、2人はお互いの顔をチェックし合った。そして和は、大きく息を吸って、かなり大きめの目覚ましコールを行った。

「咲さん!」

「うわあ!」

 咲は慌てて飛び起きた。

「何やってるんですか、こんなところで居眠りなんて!」

「ご、ごめんなさい……。あれ?」

 咲にまじまじと顔を見つめられた。和は、何故か居心地の悪さを感じていた。

「和ちゃん……優希ちゃんも、なんか、泣いてるみたいだけど?」

 止まっていた涙が、再びポロポロと流れ出した。

「あ、あたりまえです……今日は部長の引継ぎが……あるんですからね。私も優希も、咲さんも……部長には、お世話に……」――それ以上は言葉に出来なかった。

「ごめんなさい!」

 咲がそう言って立ち上がり和を支えた。優希も逆側から腕を支えてくれている。

「本当にごめんなさい、部室に行こう、ね!」

「もう……」

 申し訳なさそうな顔で謝る咲に、和はもう少しだけ、すねた演技を続けようと思った。

「……」

「あ! 見て和ちゃん! 部長が手を振っている。 おーい!」

 和の大好きな笑顔で、一生懸命手を振っている咲を見て、演技を続ける事のばかばかしさを感じた。和も顔を上げて、部室のある旧校舎最上階を見た。そこでは、今日が部長としての最終日になるであろう、竹井久が大きく手を振っていた。

 

 柔らかな風が、3人の髪を小さく揺らした。

 その風は、意識しなければ気が付かない程の微風ではあったが、暑くもなければ寒くもない優しい風であった。その優しい風に包まれている間、和は時間がゆっくりと流れている様に感じた。そして、そのゆるやかな空間の中で見た、大好きな咲の笑顔は、原村和の記憶に、永遠なる美しい時間として刻まれていた。

                           

                       清澄の優しい風 完

 


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