咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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5.魔法

 決勝戦 対局室

 

 卓を囲む4人の顔つきは、ほんの数分前までとは、打って変わったものであった。女子高校生とはいえ、彼女たちは競技者であり、であるがゆえに、それは結果を求められた。麻雀は当然ながらスポーツではないが、勝ち抜くにはアスリートと同等の精神力が必要なのだ。

 

 片岡優希は、場の緊迫感にたじろいでいた。

(照姉ちゃんとヤンクミの威圧感は半端ないじぇ。のどちゃんの知り合いの玄ちゃんも、妙に落ち着き払っていて不気味だじぇ。――何か私だけフワフワしていて取り残された感じがする……)

 優希は困惑しながらもサイコロを振り、自分が起家になった。再びサイコロを振った。出目は4と6で、起点は“右10”であった。

 宮永照の前の山から配牌を始める。子の3人もそれに続いた。

 優希は、自分の心拍数がどんどん上がっていくのを実感していた。それは、恐怖心そのものであった。

(――この感覚、長野の決勝戦以来だじぇ。だけど、今回は違う。私はやるべきことが分かっている。衣ちゃんが言ってた私の役割、部長が言ってた、照姉ちゃんへの邪魔立て……思い出せ!)

 優希は恐怖心を払拭する為に、作戦会議で、竹井久から受けた指示を思い出していた。それは、単純明快なものであった。「東場はスピードで圧倒し、南場は辻垣内智葉にまかせろ」それだけであった。

 優希は牌を取りながら、左側にいる智葉をチラリと見た。

(今回、このヤンクミは敵ではない、玄ちゃんを守る為の味方。敵はただ1人、照姉ちゃんだけだじぇ)

 すべての牌を取り終え、ドラ表示牌を開いた。【二筒】であった。

 手牌はW東の二向聴。優希は宮永照を見ながら打牌した。

(いつ見ても目が合ってしまう……これが咲ちゃんの言ってた照魔鏡)

 照が続いて自摸を行い、不要牌を捨てた。優希はそれをじっと見ていたが、常に目が合っていた。八方睨みの龍と同じで、心理的なものであることは分かっていた。しかし、宮永咲の話を聞いた後だと、本当に見られていると思い、気圧されてしまう。

 2巡目、自摸牌はドラの【三筒】、一向聴に手を進めた。

(ドラ牌……咲ちゃんの言ったとおりだじぇ、ドラが玄ちゃんから離れてる)

 優希はハッと何かに気付き、再度、照を見た。相変わらず目が合っていた。

(似ている。そう、私は似たような目をした相手と、毎日打っていた)

 それは、咲であった。そう思うと、優希は心の呪縛が解き放たれていく感じがした。

 3巡目、聴牌。

(部長、言い付けを破るけど許してほしいじぇ。このリーチは面子の3人と対等になる為に、絶対に必要なものだじぇ)

「リーチ」

 その早いリーチに、だれも驚かなかった。むしろ片岡優希なら当然という空気であった。

 優希は自信を取り戻しつつあった。今は東場であり、自分のホームグラウンド、相手がだれであろうと、ここで遅れを取る理由はない。そして、その自摸牌は彼女の期待に答えた。

「自摸! 面前、リーチ、一発、W東、ドラ1、6000オール!」

 鮮やかな跳満和了であった。しかし、優希に笑顔はなく、逆に顔を引き締めた。それは、精神面で立ち遅れていた3人に、ようやく追いつけただけであったからだ。

 勝負は、まだ始まったばかりであった。

 

 

 辻垣内智葉は、点棒を片岡優希に渡しながら思った。

(跳満はやりすぎだろう。ちゃんと自分の役割が分かっているのか? 多分、お前はこう指示されているはずだ。松実玄からは直撃しない、宮永照の親を流す為なら私と点棒のやり取りをしても良い。高い自摸上がりをしない。そんなとこだろう? だったら、それを守るべきだ)

 東一局の一本場が始まった。

 智葉は玄の動作を観察していた。これまでとは異なり、実に落ち着いていた。決勝に向けての、精神的なステップアップがあったのだなと思った。

(それにしても、彼女にドラが集まらないのは痛い。これでは、あいつに有利になってしまう)

 松実玄がドラを集めてしまえば、照は準決勝と同様に、連続和了の点数アップに苦労すると、智葉は考えていた。しかし、その打算は崩れていた。

(まあいい、今回は個人戦とは違い3対1だからな。要は、お前の親番を速攻で流せばいいだけだ。3万、4万の点差は全く問題にならない)

 そう思って、智葉は照を見る。

 ――照魔鏡。直観的にそれがまだ続いていると判断した。前局の優希の上りが早すぎたからだ。

 智葉は配牌を終えて、手牌を確認した。良い手であった。平和、断么九、場合によっては一盃口も狙えるものであった。

 第1自摸、有効牌を引いた。

(照魔鏡……その謎が解けないかぎり、私はお前に勝てない)

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、智葉をラリーカーに喩えた。相手を悪路に誘い込めれば、無敵だとも言った。対する宮永照はF1マシン。すべてが高性能で、決して道を踏み外さない。相性としては最悪であった。智葉は過去の対戦で、照に揺さぶりをかけたことがあった。筋引っかけ、ブラフなど、何もかも通じなかった。手牌が完全に読まれているように思えた。その為、理牌しなかったり、並べ方を変えたりもしたが、効果がなかった。そして智葉は、すべての要因は照魔鏡にあると結論付けていたのだ。

「ポン」

 優希が玄の捨て牌の【白】を鳴いた。智葉の自摸順が飛ばされた。

(そうか、本来の役割を思い出したようだな、安心したよ。東場のお前は、心強い味方だ。だけど、この局は私がもらう。宮永照にこれ以上情報を与えるわけにはいかない)

「チー」

 3巡目、玄の捨て牌【三萬】を鳴いた。優希を速度で上回る為に喰いタンに絞り込んだ。智葉には、次も上家から萬子が出る予感がしていた。そして【六索】を切った。それは、優希の危険牌であった。

(どうした。上がらないのか? まあ、まだ聴牌してないだろうからな。――お前の反応から、この牌が有効牌であり、鳴けないものであることが分かる)

 智葉は、捨て牌に対する反応速度で手牌を洗い出すことができた。攻撃的にも防御的にも使えるので、それによって、相手に先行した攻めが実施可能であった。

 4巡目、玄が萬子を切り、智葉は鳴いて、聴牌した。【五筒】【八筒】の両面待ちであった。

(片岡も聴牌したか? 次で上がれなければ、多分私の負けだ)

 優希の捨て牌と速度から、それが分かった。そして、智葉の自摸。

(ここでこれか)

 【五筒】それは、赤い色をしていた。智葉は牌を倒した。

「自摸。断么九、ドラ1、600、1100」

 智葉の顔も険しかった。これでドラ牌がフリーであることがはっきりした。つまりは、宮永照の手作りの制約がゼロになっているのだ。そう考えると気が重かった。

(まずは、次だ……)

 東二局、宮永照の親番であった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

 赤土晴絵を含めた5人は、モニターを食い入るように見ていた。

ここから、松実玄の辛い闘いが始まる。それを仲間として見届けなければならない。

 ――画面の中の玄は、打ち合わせどおりに行動を起こしていた。伏せたまま配牌を行い、13枚揃ったら、手前ぎりぎりの位置で立てる。理牌はしない牌も見ない。その状態のまま局を進める。それは異様な光景であった。そして、5人は目撃した。一瞬ではあったが、絶対王者 宮永照の動きが止まっていた。

 

『小鍛冶プロ……松美玄選手のこの打ち方は?』

『宮永照選手の手牌を読む能力への対策でしょうか』

『といいますと?』

『その正確な読みは、眼を見ているという説がありますので』

『でも、これでは松実選手は上がれませんよ』

『上がることは放棄しているのでしょう。目的は、宮永照選手のスピードダウンですね』

『たった13牌の情報を与えないだけで?』

『13牌は多いですよ。麻雀は136牌しかありませんから、約10%です。2巡、いや、1巡でも遅らせることができれば、片岡選手や辻垣内選手には十分だと思います』

『あ、松実選手の第1自摸です』

『自摸切りですね、手牌にすら入れない』

『――赤土監督は思い切った作戦を取りましたね』

『そうですね、赤土さんらしいですね』

 

 晴絵は白けた顔で、画面を眺めていた。

(よく言うね……これはあなたの筋書きでしょう)

「みんな、こんな大人になってはダメだぞ!」

 晴絵の突然の説教に、4人は目を丸くしていた。

 ――昨日の夜、小鍛冶健夜と阿知賀の戦術について話し合った。4時間ほどであろうか、健夜は熱心にアドバイスをしてくれた。中でも、先鋒戦の松実玄の役割については、約半分の時間を費やして話していた。晴絵は、それを思い出していた。

 

 

 昨日 都内 和食屋チェーン店個室

 

「準決勝で照ちゃんは、赤土さんのところの玄ちゃんに倍満を振り込みました。それはなぜだと思いますか?」

 出し抜けの小鍛冶健夜の質問に、赤土晴絵は即答できなかった。

「まあ、リーチしていましたから」

 わずかに考えて、ありきたりな答えを返した。健夜は不満そうな顔をして、さらに質問を重ねた。

「あの試合の照ちゃんは、リーチした他の局は必ず和了していました。でも、あの局だけは違った。なぜでしょうか?」

「千里山女子の園城寺怜は、1巡先を見ると言われていますが、準決勝では消耗しきって倒れてしまいました。とすると、もっと先まで見る無理をしていたのかも」

 健夜はやっと満足したらしく、優しい顔になった。そして、追加の質問。今度のそれは、難易度が高かった。

「そうですね、怜ちゃんはそういう打ち方をします。しかし、1巡先を読んで変更できなかった未来が、2巡、3巡先を読んだからといって変えられるものでしょうか?」

 考えてみればそうであった。麻雀はできることが限られている。自摸をずらす手番を飛ばす、せいぜいそんなものであった。それは、健夜がいうように、1巡先でも3巡先でも五十歩百歩に思えた。

「別の要因があるとでも?」

「あの局と、他の局の差異は何ですか?」

「……」

 わずかに俯いて答えを考えた。

(差異……あの局だけに起こったこと…………く、玄か!)

 晴絵は顔を上げて健夜を見た。

 ――笑っていた。それは、晴絵のトラウマの笑顔であった。

「そうです。宮永照に倍満を振り込ませたのは園城寺怜ではありません。松実玄です」

 あまりの衝撃に、晴絵の口は開いたままであった。何かを話そうと、必死に口を動かしたが、うまくいかなかった。健夜はそんな晴絵を見て、片眉を少し上げながら、続きを話した。

「照ちゃんの能力は最強レベルです。プロでも勝てないかもしれません。でも、彼女にも弱点はあります」

「宮永照の弱点……」

 やっとのことで、晴絵は言葉を発することができた。健夜は頷いた。

「はい。しかし、だれでもできるわけではありません。今のところは、妹の咲ちゃん、松実玄ちゃん、それと私でしょうか」

「ま、まさか……」

 健夜は再び邪悪な笑顔で言った。

「宮永照のキラー。それは、ドラを操る者です」

 普通の人間ならば、100%信じられない話であったが、晴絵は健夜のそれを身に染みて分かっていたので、受け入れることができた。

 そして、それに対する質問をした。

「玄は……あなたとは違います。ドラを操ることはできません」

「……」

 健夜は、飲み物に手を延ばしたが、中身が空であったので、店員を呼び出し、新しいものをオーダーした。

「試してみましょう。玄ちゃんにドラが集まるようにできますか?」

「今からだと、朝までかかりますよ」

「やってください」

 有無を言わせずな指示であった。晴絵はムッとして言い返した。

「宮永咲を忘れていませんか? ドラを復活できたとしても、1局か2局。直ぐに潰されてしまいますよ」

「1局で結構です。可能ならば、先鋒戦の16局目ぐらいに復活させてください」

 晴絵は、訳が分らなくなっていた。

「16局? 先鋒戦が終わってしまいますが?」

 店員が、飲み物を持ってきた。健夜はそれを受け取り、一気飲みした。

「照ちゃんを甘く見すぎです。16局目には、おそらく2回目の半荘の東場で到達します」

「……ドラを復活させて何をするのですか?」

「準決勝と同じです。局の途中で龍を開放する」

「そ、それで、何かが、変わるとでも?」

 健夜は、その質問に直ぐには答えなかった。代わりに、再度店員を呼んで、焼うどんを注文していた。晴絵は、やれやれといった顔でそれを眺めていた。

 さらに、いくらか間を置いてから、健夜はテレビでよく見る、優しい笑顔で回答した。

「魔法です」

「はい?」

「照ちゃんに魔法をかけてください」

「魔法? 玄が?」

「ええ、松実玄の魔法の前に、宮永照は必ず屈します」

 健夜のその顔は、底なしに優しかった。しかし、その声には猛毒が含まれていた。晴絵は、そう感じていた。

 

 

 ――画面の中では、松実玄が自摸切りを続けていた。晴絵は、心の中で玄に謝罪していた。

(玄、こんなことをさせてゴメン。でも、お前は、宮永照に立ち向かうには、精神的に弱すぎる。だから、あと14局。ドラ復活の時まで、何とか耐えきってくれ)

 このからくりを知っているもう1人、松実宥は画面に映っている妹を、心配そうに見ていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(片岡、まだか?)

 東二局 7巡目。辻垣内智葉は焦っていた。宮永照が、そろそろ聴牌しそうな気配があった。対する片岡優希は2巡前から聴牌しているが、なかなか上がれないでいた。

(松実玄の自摸切り。その効果は宮永だけじゃない私達にも及んでいる)

 智葉は、玄の打ち方が、眼の動きを読ませない打牌方法であると理解していた。目的は、優希と智葉へのサポート、照の和了を遅らせること。しかし、それには、今、直面している副作用もあったのだ。

「リーチ」

 宮永照が、牌を横にした。

(きたか、でも、これは探りだろう。私達の動きを試している)

 そのリーチには、いつもの怖さが感じられなかった。しかし、連荘させるわけにはいかない。智葉には、優希の上り牌が読めていた。【三筒】【六筒】。河には1枚ずつ出ていた。

(平和、断么九、2000か3900か?)

 松実玄は自摸切り。

 智葉の自摸、【六筒】であった。振り込むべきか悩んだが、もう一回だけ、東場の優希の引きに賭けることにした。

 だが、それは叶わなかった。優希は字牌を捨てた。

 8巡目。

 照と目が合った。いや、合ったように思えた。

(まずいぞ……これは完全に宮永のペース)

 照が山に手を延ばし、牌を取った。智葉は、脂汗が滲み出ていた。

 ――照は上がらなかった。【五筒】を捨てた。

 表情には出さなかったが内心ほっとしていた。そして、自分を恥じていた。

(役割を忘れていたのは私だった。まったく、3900ごときが惜しいとはな)

 【六筒】を切った。優希はすまなそうにロンをした。予想通りの平和、断么九、ドラの3900点であった。

(宮永……)

 智葉は歯ぎしりをしていた。自分が、照のペースに嵌っていることに気が付いていた。それは、過去に通ったことのある自滅の道であった。

 

 

 次の局が始まっていた。親の松実玄は、前局と同じ手順で、手牌を組み上げた。

 片岡優希は、歯痒そうに、それを見ていた。

(東場なのに、配牌があまり良くない。玄ちゃんに攪乱されてるじぇ)

 優希の手牌は三向聴。対子で持っている【白】【西】をポンできれば、萬子の混一色が狙えそうであった。宮永照から、その【白】が出た。

「ポン」

(照姉ちゃん……わざとか?)

 字牌の切り出しは、一般的な打ち方であったが、疑心暗鬼に陥っていた優希は、そう捉えなかった。

 再び、照の自摸、捨て牌は、赤色の【五萬】であった。

「ポ、ポン」

(この巡目で、こんな牌を……嫌な予感がするじぇ)

 もう一度、照が山から牌を取った。【三萬】を手出しした。

 次巡、優希は聴牌した。待ち牌は【西】と【八萬】のシャボ待ちであった。そして【八萬】は玄の自摸切りから出た。

(困ったじょ、赤ドラの追加で8000点。これは上がれないじぇ)

 玄から出た【八萬】はスルー。照が自分を見ている気がしたが、それを確認することができなかった。優希の心中に、再び恐怖心が芽生えていた。

 自摸番が回ってきたが、その動作は鈍かった。引いたのは【一萬】。照が張っているか不明だが、優希は、その不要牌を切れなかった。完全に戦意を喪失していた。

 優希の捨て牌は、安牌の【西】であった。

 

 

(片岡、あきらめるな! お前の助けが必要だ!)

 こんなに早く降りてしまった片岡優希を、辻垣内智葉は非難していた。とはいえ、智葉の手牌も重かった。既に聴牌しているであろう、宮永照への追撃は、半ばあきらめていた。

 ――結局、その後も手が進まず、東三局は流れた。

 聴牌は照のみ。優希が照の、平和、三色、ドラ2をみて、青くなっていた。

(惑わされるな。これは宮永のよく使う手だ。こんな風に、結果だけを見せつけ、心理的に追い込んでいくんだ)

 智葉は、優希の減速を確信した。それは、全くの想定外であった。

 

 東三局終了時の各校の点数

  清澄高校    119800

  白糸台高校    96400

  阿知賀女子学院  92400

  臨海女子高校   91400

 

 前半の得点により、清澄高校がトップであったが、阿知賀女子学院 松実玄の上り放棄の打ち筋によって、片岡優希と辻垣内智葉は混乱していた。その為、清澄高校、臨海女子高校の宮永照対策は機能不全となっていた。そして、宮永照は、場を自分の支配下に置きつつあった。

 

 

 松実玄は、明け方まで続いたドラ復活の儀式の途中で、姉の松実宥が、「まるで、天江衣ちゃんと打っているみたい」と言っていたのを思い出していた。聴牌できない上がれない状態が続くらしく、それには、赤土晴絵も同意していた。

 おそらく、片岡優希と辻垣内智葉も、自分の自摸切りでリズムを狂わされ、難儀しているのだろう。それによって、本来の目的である2人をサポートし、宮永照に先行させるという意味も失われていたが、玄はぶれなかった。

(次の宮永照の親番。それさえ流してくれればいい。これは、阿知賀の為だから。その為には2校が沈んでも構わない。――ドラ復活まで、残り12局。それまでは、この作業を繰り返す)

 東四局が始まっていた。

 玄は、何度も練習した手順で手牌を揃えた。牌は決して見てはいけない。照はそれを読むのだと、晴絵から散々聞かされた。だから、それを守っていた。

「ポン」

 3巡目、照が智葉の切った【発】をポンした。

(宮永照が自摸牌をずらした場合は直撃される可能性がある)

 玄は変化を与えた。牌を手牌に入れ、自分側から最も左の牌を捨てた。

 

 

(何だじぇ、直撃を警戒して自摸切りをやめた?)

 片岡優希は、松実玄の変化をそう考えていた。

 次巡も玄は、同じ動作を繰り返した。

(それにしても、手が進まない。玄ちゃんに掻き回されっぱなしだじぇ)

 優希は、それが、合宿で手酷い目にあった天江衣の能力と、同質のものと判断していたが、その対応が、玄には通じないことも分かっていた。

(玄ちゃんは、上がる意思がないからな。本当に厄介だじぇ)

「カン」

 宮永照の暗槓。それは優希によからぬ想像をさせていた。何しろ、妹が妹なだけに、普通の槓には思えなかった。

(嶺上……咲ちゃんのお姉ちゃん……)

 照は、嶺上牌を自摸切りした。

 

 

 辻垣内智葉は愕然としていた。宮永照の一挙一動に神経をすり減らしていた。それは、格の違いとしか言い様がなかったからだ。有りもしない嶺上開花に怯え、そして安堵している。馬鹿げたことであったが、現実に智葉は、その道化を演じていた。

 松実玄の打牌が、再び変化した。手牌の中から、ランダムに捨て牌を選んでいた。

(決められたルーチンを着実にこなしている。大したものだ。勝利できないと分かっているのに。まてよ……勝利できないとだれが決めた)

 玄の行為に何か意味があると考えるなら、それは時間稼ぎであった。智葉は聞いたことがあった。松実玄のドラ爆は復活できると。

(ドラの復活を待っているのか? 何の為に?)

 準決勝の事例から、松実玄にドラが集まっても宮永照には通じない。しかし、それは智葉の希望になった。少なくとも松実玄は死んではいないのだ。

 

 ――東四局も流局した。今回も聴牌は宮永照だけであった。そして先鋒戦は、南場に突入していた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

「そろそろか?」

 弘世菫は、大星淡に聞いた。

「そうだね、これで全部確認できたと思うよ」

「ならば、対戦相手には気の毒なことだな」

 菫は、本気で同情していた。予測が正しければ、彼女たちは、これから暴風雨の真っただ中に立たされる。

「テルー……」

 淡の言葉には憂いがあった。信頼しているはずの照にも、不安がぬぐえない様子だ。まだまだ、再起は遠かった。

 菫は考えていた。1年生の淡は、あの宮永照を見たことがない。昨年の白糸台代表チーム決定戦で、照は10万点を1人で削った。得点上昇リミッターを外しての無限に思える連荘。それはまさに怪物であった。

(――照、見せてやれ、お前の真の力を。全国に、そして淡に)

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南一局、7巡目。それは、始まりであった。

「自摸。面前、平和、一盃口。700、1300」

 宮永照が、この試合で初めて上がった。比較的に安めの上がり手は、これまでと同じ過程を予想させた。

 

 南二局、照の親番。智葉は当然ながら、早上りを目指した。手牌もそれに答え、平和の一向聴であり、申し分がなかった。

(いける、いけるぞ。これで宮永の親を流せば、まだまだ闘える)

 照は前局、2600で上がった。だから、今回は3900を狙ってくると、智葉はイメージしていた。2巡目の自摸、聴牌した。リーチはかけず、速度を優先した。今回は片岡優希、松実玄から出てもロンする。その為に点数は抑えてある。

 そして、智葉は不用意に【九索】を切った。それは、照の待ち牌であった。

「ロン、東。2000」

「2000?」

 智葉は、思わず言葉に出していた。照の意外な上りは、それほどのインパクトを持っていた。

「……はい」

(2000だと! 点数が下がっている。どういうことだ?)

 智葉は、頭をフル回転させてその理由を考える。だが、答えは得られなかった。そして、試合前の作戦がすべて瓦解したことを思い知らされた。

(もう打つ手がない……。いや、一つだけ……)

 智葉は、藁をも掴む心境で、松実玄を見ていた。

 

 

 南二局、一本場から、この場は、宮永照という暴風雨に襲われた。それは、破壊のかぎりを尽くしていた。一本場から五本場までは、怒涛の自摸ラッシュ。そして、六本場では片岡優希に直撃をしていた。照の得点推移は以下のようになる。

 

 一本場 12300点(4100オール)満貫

 二本場 24600点(8200オール)倍満

 三本場 12900点(4300オール)満貫

 四本場  7200点(2400オール)

 五本場 13200点(4400オール)

 六本場  9500点(9500:片岡)

 

南二局(六本場)終了時の各校の点数

 白糸台高校   184100

 清澄高校     84500

 阿知賀女子学院  67200

 臨海女子高校   64200

 

 そして、クライシスは、七本場にやって来た。7巡目、宮永照はリーチをかけた。その河の状態から、手牌の中は、索子に染まっているのは明らかであった。

 10巡目、松実玄の自摸切り【六索】

「ロン」

 照は牌を倒した。

「立直、平和、清一色。26100」

 白糸台高校は、ようやくターゲットを捉えることができた。阿知賀女子学院の残りは41100点。それは、役満直撃ならば一撃で削れる点数であった。

 

 

 清澄高校 控室

 

 竹井久は、現状を最悪と判断していた。2位とはいえ、白糸台とは10万点近く離されている。そして、片岡優希が残りの局で挽回できる気運は、ほぼなかった。しかも、阿知賀の状況も憂慮すべきものだ。

(優希、何とかこの半荘は耐えて、まだ、策はある。それを必ず伝えるから、お願い!)

 久は、祈るような気持であった。

「咲! いまのは?」

 染谷まこが、松実玄への直撃について聞いていた。

「五面待ちでしたので、松実さんから出る確率は高かったと思います」

 咲は平然とした顔で言った。

「宮永照を止められる?」

「今は無理です」

 久の質問に、咲は即答した。

「場に和了しない衣ちゃんがいるみたいなものですから。お姉ちゃんも影響を受けていますが、2人はもっとひどいことになってますね。――それに」

「それに?」

 咲は、つかの間ためらっていたが、久を見て話し始めた。

「さっきのステージの上で、お姉ちゃんは、こう言いました「昔とは違う」と」

「どういう意味?」

「分かりません。ただ、本当に昔とは打ち方が変わっています。前はもっと隙がありました。でも、今日は全く隙がない。まるで、部長の言ったように、未来が見えているみたいですね」

 咲は、少しはにかみながら笑ったが、久にとっては、笑い事ではなかった。

「止める方法はあるの?」

「きっと、松実さんが、何かを仕かけます。近いうちに。それは保証します」

 久は、咲が何を言っているか分からなかった。しかし、今の咲は、久がすべてをかけた〈オロチ〉の咲であった。

(疑問を感じてはだめ、それは、後戻りすること。だから、前に進むしかない)

「須賀君!」

「なんすか?」

「休憩中は走ってもらうわよ。優希に伝えてほしいことが、いっぱいあるんだから」

 京太郎は、うんざりした顔をしていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南二局(八本場)、片岡優希は心が折れそうになっていた。

これまでの敵とはスケールが違っていた。辻垣内智葉、神代小蒔等、名だたる強敵と闘ってきた優希ではあったが、宮永照は別世界の住人であった。孫悟空のように、掌の上で弄ばれていた。何もかもうまくいかない時、敗北者は要因を自分自身で固定して、その他の要因を排除してしまう。優希も、それにはまり込んでいた。

 7巡目、照がリーチした。

(これは……清、いや混一だじぇ。また多面待ちで、玄ちゃんを狙うつもりか?)

 優希は、智葉への差し込みを考えたが、まだ聴牌していないようであった。

(しっかし、大したものだじぇ、3位で手詰まりなのに、全く目が死んでないじぇ。何が、ヤンクミを動かしているのかな)

 優希も勝負をあきらめたわけではなかったが、既に意識は次の半荘に移っていた。しかし、目の前の智葉は、現在を闘っている。未来に逃げたりはしていなかった。

(思い出したじぇ……阿知賀が飛んだら何もかもが終わり。でも、それを阻止できれば、仲間に繋ぐことができる。私の役割は繋ぐことだ)

 現状は、決して手詰まりではなかった。そして優希は、それを実行した。

 11巡目、優希の自摸。捨て牌は【四萬】、おそらく、照の待ち牌。

「――ロン。立直、南、混一色。14400」

「はい」

(まだ終わりじゃないじぇ。見ていろ、宮永照)

 優希の闘志に再び火が付いていた。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『まさか、最初の半荘で……』

『そうですね、小鍛冶プロ。次は九本場、連荘でいえば10連荘になります。こんなの見たことあります?』

『い、いえ、ありません』

『しかも、2位の清澄には15万点以上の差をつけています。ぶっちぎり状態ですね』

『宮永照選手は自分の制約を断ち切ってきましたね』

『そう、それです!』

『福与さん、声が大きいです』

『これまでの伝説、点数が上がり続ける連続和了とは何だったのですか?』

『自分自身に制約をかける選手はいますよ。例えば藩数縛りとか』

『なぜ、そんなことをするのですか?』

『オカルトですね。自摸が良くなるとか、上りやすくなるとか、そんなものです』

『小鍛冶プロは信じていないのですか?』

『ええ、まあ』

『では、宮永照選手は何の為に?』

『私の想像では、心理的プレッシャーを与えるギミックです』

 会場の観衆は騒然となった。

 

 

「ギミックですって」

「咲の言った本気の宮永照とは恐ろしいものだな」

 龍門渕透華の問いかけに、天江衣は噛み合わない答えを返した。

「阿知賀の先鋒は何年生だったかな?」

「私達と同じ2年生」

 沢村智紀であった。智紀はさらに続けた。

「松実玄は、うちとの練習試合では、あの能力は出していない」

 衣は、けたけたと、ひとしきり笑った後、その笑いを消して言った

「トモキー、あれは、枕詞のようなものだ。意味はない。むしろ、これから起こることこそ、松実玄の真骨頂」

「なんですの?」

 透華は不審げに聞いた。

「透華、来年は大変だぞ、清澄に阿知賀、魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行のようだ」

 意味不明な回答であったが、衣は楽しくて仕方がないという素振りであった。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「赤土さん、次が……」

 松実宥は声が上ずっていた。

「ああ、そうだね。次だ」

 モニターの画面からでも分かるほど、場の空気が変わっていた。宮永照、片岡優希、辻垣内智葉、全員同じ方向を見ていた。その方向には松実玄がいた。彼女は、薄っすらと笑みを浮かべていた。

(ドラの復活だ。やれ、玄! 宮永照を、倒せ!)

 


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