咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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第三話 池田華菜の憂鬱

(これは根雪になるなあ……)

 12月初旬の厳しい寒さの朝であった。通学途中の池田華菜は、昨夜から降り続いてる雪を見上げてそう思った。

この時期の降雪は珍しい事ではなかったが、例年ならば降っては解けを繰り返し、本格的に積もるのは、クリスマス前後だった。無論、季節の変化は気まぐれであり、いつもそうなるとは限らない。長野で生活する人間は、それを経験として知っている。だからこそ華菜は、この雪は根雪になると判断したのだ。

(よりによってこんな日に学校見学なんて、彼女も運が悪いな)

 期末試験が近いので、麻雀部は今日でしばらく休みになる。テスト明けに部活は再開するが、冬休み間近ということもあり部員たちの気持ちはふわつくだろう。コーチの久保貴子は、刺激を与えようと考え、来年より風越女子高校に編入する南浦数絵を、今日、見学に連れてくると言っていた。

「華菜ちゃーん」

「おはようみはるん」

 同じ麻雀部の吉留末春だ。学校指定のコート、手袋、ブーツ、厚手のストッキングと、完全な冬の装備であった。

「南浦さん大変だね」

「まあ、同じ長野県民だし、こんな雪じゃへこたれないし」

「コーチ、対局させる気かな?」

「この時期は気が緩むからね、南浦数絵はみんなのいい刺激になるよ。もちろん彼女にとってもね」

 末春が笑いながら「そうですねキャプテン」と言った。

 華菜はこそばゆさを感じていた。尊敬している福路美穂子から、名門風越女子高校のキャプテンを引き継いでから2か月が経過していたが、まだ慣れる事が出来ない。

(福路先輩……本当に私で良かったんですかね……)

 華菜にとって、福路美穂子はあまりにも大きな存在で、つい、彼女の模倣をしようと考えてしまう。こんな時、美穂子ならどう行動したか? どう話したか? 行動の一つ一つに彼女のイメージを頭に思い浮かべる。

(分かっています……みんなを率いるのは私自身ですから、私のカラーを出さなきゃいけない……でも……)

 風越はランキング制を採用している。華菜は順位こそ1位ではあったが、美穂子のような、皆が納得する実績が無かった。求心力不足、それがリーダーとしての華菜の悩みであった。

 

 

 放課後 風越女子高校麻雀部部室

 

 

「池田ぁ、全員集合だ」

「はい」

 久保貴子が白い制服を着た南浦数絵を連れて来た。長野の個人戦では対戦が無かったが、彼女の顔はよく知っている。

「集まりました」

 貴子を中心に、扇状に部員49名が揃った。3年生はすでにリタイヤしているので、この人数だが、それでも恵まれた環境であった。清澄や龍門渕、敦賀の長野トップ4の他校は、4,5人の部員でやり繰りしているのだから。

「わが風越は、校内ランキングが全てだ。団体戦なら5位以内、個人戦なら10位以内に入らなければ、試合に出る権利はない。たとえそれがキャプテンの池田でも、今年の個人戦5位の南浦さんでもだ。私は過去の実績など考慮しないからね」

 そう言って貴子は、南浦数絵を紹介した。いくら何でもやりすぎだと華菜は思った。いきなり実力主義だからと言われても、普通なら戸惑ってしまう。

「宜しくお願いします。来年からお世話になります南浦数絵です」

「個人戦で対戦したのは吉留と大迫かな?」

「はい」

 貴子が怖い顔になり、49名に向かって訓示した。

「いいか、南浦君の入部が、お前たちにどんな影響をもたらすかシミュレートしろ! のほほんと構えていたら、団体戦メンバーも個人戦メンバーも総入れ替えになるぞ!」

 多人数の組織は、規律がしっかりしていないと崩壊する。ダメなものはダメとはっきり言える人間でなければまとめられない。久保貴子は憎まれ役を買ってでもそれを行っている。キャプテンになってから、華菜はそれを理解していた。

「久保さん……」

 数絵が存外な顔つきで貴子を呼んだ。

「……」

「藤田プロから聞いていますか?」

「……聞いている」

「私は団体戦には興味がありません……」

 生意気な口振りの数絵にも、貴子は表情を変えなかった。恐らく予想通りの反応だったのであろう。

「長野県は魔境だ……東京や大阪のような大都市圏よりもインター・ハイへの切符が取り辛い」

「清澄ですか?」

「そうだ、だが、清澄だけではない。龍門渕だって来年もフルメンバーだ。敦賀も一筋縄ではいかない」

 それを聞いて、数絵は軽く溜息をついた。

「片岡優希は個人戦で倒しました。私の標的は宮永咲です」

(ここにもいたし……咲、お前は本当に人気者だな。逆の意味でだけど)

 池田華菜も同じ思いであった。宮永咲と天江衣。長野のみならず日本を代表する怪物達の相手が、団体戦での華菜の役割だった。

「ほう……だったら、大将にすると言ったら、団体戦にも出るのかな?」

「……」

 貴子が意地悪な笑顔を浮かべて、華菜を見ている。

(そろそろ出番かな)

「南浦さん、私は素直にあなたの実力を認める。だけどね、風越の大将は譲れないよ」

「そうですか?」

 挑発的な目で数絵が見ている。華菜は嬉しくなっていた。この南浦数絵は、1年生の頃の自分にそっくりだったからだ。

「まさか、挨拶だけでわざわざ風越に来たわけじゃないよね?」

「ええ、まさかです」

 貴子が笑いながら指示を出す。

「半荘一回だけだぞ。池田、面子を指定しろ」

「文堂とすーみんでお願いします」

 貴子の犬歯が見えている。全ては彼女の筋書き通りだった。

「文堂! 深堀! 準備しろ。南浦君、いいかな?」

「お手合わせ願います」

 南浦数絵に自分の限界を教える事、それが今日の見学会の主旨であった。これは偶然の対局では無い、想定内なのだ。久保貴子と池田華菜の想定内の対局であった。

 

 

 練習試合が開始された。親は深堀純代で、以下、南浦数絵、池田華菜、文堂星夏の順であった。

 南浦数絵は東場では上がらない。自分の特徴を活かすために、徹底した防御戦を行う。南場で数絵に攪乱されるのを予測した対戦相手は、東場で遮二無二得点しようとする。その行為が連荘が発生しにくい状況を作り上げてしまう。

(残りさえすれば、どんな点差でも南場で巻き返せる。その自信が命取りになる)

 個人戦決勝で、数絵は何回かトップを逃していた。彼女がこだわる宮永咲戦は別として、東横桃子、染谷まこ、沢村智紀戦でも、南場の優位性を発揮しきれず勝利を逃していた。

 風越女子の南浦数絵分析では、一つの答えを出していた。それは火力の低さであった。放っておいたら、役満でも上がりそうな東場の片岡優希とは違い、数絵の南場支配は、彼女の祖父であるシニアプロ南歩聡流の発展型に過ぎず、火力はそれほど高くはないと結論された。

 ではなぜ、個人戦で飛び終了を発生させるほどの爆発力を見せたのか? それは対戦相手の心理ブーストにあると推察された。恐怖心や焦り、その効果によって、数絵の場の支配が劇的に上昇したのだ。

(原村和や福路先輩との対戦があれば、もっとはっきりしたんだけど……)

 “魔王”、ステルス殺法、変則打ち、オカルト容認のデジタル打ち、四人は数絵の南場支配を無効化できる特性を持った面子だ。彼女の苦手とする側面が浮かび上がっていた。

「ツモです。門前、三色同順、白、ドラ1、2000,4000」

 文堂星夏が16巡目に和了した。東場は高めを狙う。そして、最も稼いだ者を南場で守る作戦だ。もちろん数絵には読まれているだろうが、問題は無いはずだ。

「安心しました」

 星夏に点棒を渡しながら、数絵は独り言のように言った。

「なにが?」

「思ってたよりフェアプレイで」

「……私達がつるむとでも?」

「可能性は捨てきれない。なにしろ完全なアウエイですから」

 流石は実戦派プロの孫だけのことはある。自分の置かれた状況を常に把握し、最適な行動を選択する。彼女は一匹狼ならではの警戒心を忘れていない。

 東二局。華菜の配牌は見事なものであった。平和、断公九、一盃口の二向聴、赤ドラも一枚あり、立直で跳満確定だ。この局は数絵が親なので、少しでも高めを狙っていく。

(東場は稼がせてもらう、それこそ優希並みにね)

 何度も観た数絵と片岡優希の試合、東場の優希の破壊力に恐れおののき、ひたすら耐える彼女の姿が確認できた。どのような理由かは不明だが、南浦数絵は東場では上がることが出来ないのだ。

(引きの強さは、私の特徴でもある……)

 華菜は13巡目に聴牌した。すかさず立直をかける。

 そして、15巡目、華菜は和了した。

「ツモ、門前、立直、平和、断公九、一盃口、ドラ1、3000,6000」

 これで数絵は8000点失ったことになる。

(強い……顔色一つ変えない……)

 無表情で点棒を置く数絵に、華菜はある希望を見出していた。

 絶対的エースであった福路美穂子が抜け、風越は大きく戦力を落としてしまった。その穴を埋める事が風越の喫緊の課題になった。来年の新入部員に期待するのも一つの手だが、常勝を求められている久保貴子は、もっと確実な手法を取った。それが南浦数絵の風越編入であった。華菜は数絵の強靭なメンタルにその手ごたえを感じていた。

(でもね……まだだよ、あんたはもっと強くなれる)

 ――華菜たちの東場の攻勢は続いた。それは南浦数絵の為に、そして風越女子高校の為に。

 

練習試合 東場結果

 東一局      文堂星夏     8000点(2000,4000)

 東二局      池田華菜    12000点(3000,6000)

 東三局      池田華菜    12000点(4000オール)

 東三局(一本場) 深堀純代     8300点(2100,4100)

 東四局      深堀純代     8000点(2000,4000)

 

現在の持ち点

 池田華菜   40900点

 深堀純代   30300点 

 文堂星夏   19900点

 南浦数絵    8900点

 

 深堀純代が起家マークを裏返す。池田華菜は南浦数絵から風の気配を感じていた。実際には存在しないのであろうが、リアルな感覚として意識した。それは、自らのテリトリーに不法侵入した者への、彼女からの警告のように思えた。

「つるんででも、飛ばしてしまえばよかったのです。勝負は非情、私はおじい様からそう教わった」

(凄い存在感だし……人間ここまで変わるものなのか?)

 胃がよじれそうになるぐらいの不快感。華菜にこの感覚を与えたものは過去に3人いた。天江衣、宮永咲、そして全開時の福路美穂子だ。

 南一局。圧倒的な速度で数絵が上がった。ドラを絡めた平和の3900点であった。

 これから彼女の親番になる。勝負は、この親番をいかに早く流せるかで決まる。

 華菜が面子に指名した深堀純代と文堂星夏は、いわゆる正統派麻雀の打ち手だ。それぞれ団体戦の結果を踏まえ、その技術を研鑽し、職人レベルまで腕を上げていた。数絵の支配に音を上げることはない。

(後は私か……)

「ツモ、立直、門前、南。2600オール」

 この和了で数絵は、20000点台まで回復した。僅か2局、あっと言う間の出来事であった。

(以前の私ならここで熱くなって張り合ってたんだろうな……)

 長野団体戦での連続の敗北、個人戦での悔し涙、華菜はこの一年で様々な経験を得た。そして、インターハイ個人戦での福路美穂子の闘いが、華菜の意識を完全に変えてしまった。何のために闘うのか? 何故闘うのか? 思いもよらなかった真理問答が華菜に突き付けられた。しかし、華菜は困惑しなかった。美穂子がその答えを示してくれたからだ。

(心配いりませんよキャプテン……私達は後悔しませんから……)

 華菜は首を振った。違う、美穂子はもうキャプテンではない。今のキャプテンは自分なのだ。

「……ロン、断公九。2000」

「はい」

 数絵の河は、思いのほか分かり易い。星夏が味方の不利を察したのか。自模られる前の振り込みを選択した。これで華菜と数絵の点差は14300点まで縮まった。

「火力が低いから持久戦で対抗したらいい、そういう考えですか?」

 怪訝そうに数絵が質問した。

「そうだよ、そこが優希との違いだ。東場の片岡、南場の南浦とか言われてるけど、本質的な部分はまるで違う」

「そんなことは織り込み済み、火力は連荘で補える」

 無愛想に言ってのける数絵に、華菜は同類としての好感を持った。

(自分の弱点が分からない馬鹿はいないか……。いや、一人いたし……)

 それは去年までの自分。そう考えると華菜はなんだか可笑しくなった。

「いいぞ数絵! ほざいた通りやってみるし」

 いきなり名前で呼ばれた数絵が目を丸くしている。

 南二局二本場、ここで止められる。華菜はそう予感していた。

「ポン」

 3巡目、【中】を副露出来た。ここは特急券を使う。数絵が不敵な笑みを浮かべている。

「ポン」

 彼女も【南】を晒した。スピード勝負を受けるという答えだ。

(私にスピード勝負を挑んだことを後悔させてやる!)

 5巡目、有効牌を引いた。これで聴牌だが、捨てなければいけないのは、まだ一枚も見えていない【東】だ。十中八九、数絵が待っている。

 華菜はそれを切った。

「ポン」

 数絵の発した言葉は、「ロン」ではなく「ポン」であった。

(楽しい……本当に久しぶりだ。こんなに楽しい麻雀を打てるなんて……)

 6巡目、華菜は当たり牌を引いた。

「数絵……感謝する……」

「え?」

 言葉の意味が分からず、弱り顔の数絵を見つめて、華菜は牌を倒した。

「ツモ、中。500,700」

「……」

 勝負の大勢は見えていた。これで点差は16700点、残り2局で逆転するには、次の華菜の親番で大き目の役を上がる必要が有る。

「どう?」

「……これは将棋や囲碁ではない、私が「まいりました」と言うとでも?」

「もちろん思ってにゃいし、これはエールだよ、「がんばれー」ってね」

「……早くサイコロを回してください」

 あからさまな不機嫌さで数絵に催促された。華菜は“耳”を出しながらボタンを押した。

 

 

――「ここまでだな」

 久保貴子が練習試合の終了を伝えた。

 

 

練習試合結果

 東一局      文堂星夏     8000点(2000,4000)

 東二局      池田華菜    12000点(3000,6000)

 東三局      池田華菜    12000点(4000オール)

 東三局(一本場) 深堀純代     8300点(2100,4100)

 東四局      深堀純代     8000点(2000,4000)

 南一局      南浦数絵     4000点(1000,2000)

 南二局      南浦数絵     7800点(2600オール)

 南二局(一本場) 南浦数絵     2300点(文堂星夏)

 南二局(二本場) 池田華菜     1700点(500,700)

 南三局      南浦数絵     5200点(1300,2600)

 南四局      文堂星夏     1100点(南浦数絵)

 

 

最終得点

 池田華菜   36400点

 南浦数絵   26400点

 深堀純代   23900点 

 文堂星夏   13300点

 

 

「南浦さん、団体戦はね、楽しいよ」

「……」

 南浦数絵は動けなかった。椅子に座ったまま、得点表示を見つめている。池田華菜の問い掛けなど耳に入っていない様子だ。

「来年の団体戦の大将戦、今年の長野トップ4が揃ったとするよ、相手は宮永咲、天江衣と敦賀は多分、東横桃子。風越は私……」

「……」

「勝てると思う?」

「……分かりません」

「南浦さんの意見でいい、教えてほしい」

「……無理ではないでしょうか」

 華菜は目を細めて笑った。

「そうかもしれない。でもね、私は上手く負けることが出来る」

「上手く負ける?」

「それはね、勝つことよりも難しい。でも私ならできる。だから力を貸してほしい」

 数絵は雀卓に手をついて立ち上がった。そして華菜の前にやって来た。

「総合力で清澄に勝つとでも?」

「片岡はインターハイで化けた。だから、南浦さんに彼女を任せたい」

 南浦数絵が初めて“普通”に笑った。クールながらも愛嬌がある素敵な笑顔であった。しかし、放たれた言葉は、生意気な下級生そのものだ。

「私は信用できない人間に後ろを任せることはできません」

「……」

「今回は私も落度がありました。来年四月にもう一度対戦して下さい」

「いいよ、次も勝つけどね」

「あり得ませんが、もしそうなったら検討します」

 目も合わせずに数絵は言い切った。余りの傲慢無礼な態度に、華菜の堪忍袋の緒が切れた。帰り支度を終え、華菜に背向けている数絵に怒鳴りつけた。

「数絵! 約束だかんな! 今度負けたらお前は風越の先鋒! 忘れんなよ!」

「覚えておきます」

 少しだけ振り返り、数絵は返答した。華菜には彼女が笑っていた様に見えた。隣では久保貴子が華菜にウインクしている。

 池田華菜は憂鬱であった。信じられない程生意気な後輩が、あと数か月で誕生する。しかもそれが、昔の自分に瓜二つとなれば、憂鬱になるしかなかった。

(キャプテン……私もこんなんだったんですか?)

 華菜は再度頭を振った。また美穂子をキャプテンと言ってしまった。

 憂鬱だった。池田華菜は何もかもが憂鬱であった。

 

                              池田華菜の憂鬱 完


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