咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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6.姉妹

 清澄高校 控室

 

 モニター画面の中の松実玄は、手負いの獅子のようであった。点数を大きく削られても耐えて反撃の機会を伺っていた。そして今、その時が来たのであろう、目を爛々とさせている。それは、原村和の知っている温和な玄ではなかった。

 ――和は4校の持ち点を確認した。

 

南二局(八本場)終了までの各校の点数

 白糸台高校   224600

 清澄高校     70100

 臨海女子高校   64200

 阿知賀女子学院  41100

 

 白糸台高校 宮永照の恐ろしさを如実に物語る点数であった。和の隣では、その妹の宮永咲が、画面を睨みつけていかめしい顔をしていた。

「咲さん?」

 和の呼びかけに、咲は慌てて表情を笑顔に変えた。

「な、なに和ちゃん」

「……」

 咲は、和の沈黙に、見かけを取り繕っても無駄と判断したのだろう。真剣な表情に戻してから質問をした。

「松実玄さんって、どういう人?」

「そうですね、玄さんは、とっても優しい人ですよ。麻雀も、その性格がよく出ていました」

「でも、今日は違うね」

「はい、玄さんらしくありません」

 麻雀部部長の竹井久が、口を挟む。

「咲、いよいよなの?」

 咲は無言で頷いた。

 画面の中では、玄が牌を普通に並べて理牌していた。

「玄さん……」

 ふと出た和の呟きに、咲は予言めいた言葉を合わせる。

「和ちゃんは、松実さんへの印象が変わると思うよ。でも、しっかりと見ていてあげてね……」

 咲は、和と目を合わせずに言った。その表情は、なぜか寂しそうであった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、松実玄が普通に牌を並べていることから、ドラが復活したと判断した。

(狙いは、準決勝のリピートか? だが、今回は宮永もリーチしないだろう。どうする松実玄)

 手牌には、【北】と【七索】の刻子があった。智葉は、それを槓材として保持することを決めていた。

(松実に賭けるしかない。この槓材はそれをサポートする私の武器だ)

 宮永照がドラ表示牌をめくった。【九筒】であった。

 

 

 ドラ牌【一筒】は、松実玄の手牌の中に刻子として存在していた。それに【五筒】の赤ドラも2枚ある。計5枚、ドラ爆は確かに復活していた。

 松実玄はこれまでとは違う手応えを感じていた。

(手牌にある5枚のドラ。これは、自然に集まったものではない。私が呼び寄せたもの)

 玄は、なにかの歯車が嚙み合ったと実感していた。それと同時に復活したドラ爆も、この局かぎりであることも予感していた。外部からの得体のしれない圧力を体感していた。おそらくは宮永咲からの干渉だろう。

(1回だけ……それでいい)

 第1自摸、赤ドラ【五萬】、これでドラ6。魔法の準備は着実に整えられていた。そして、玄は、赤土晴絵からの指示を回想していた。

『宮永照は、必ずリーチしてくる。なぜなら、玄の力は、彼女にとって許されない不安要素だから。同じ失敗を恐れる絶対王者は、必ず確認と打破を実行しようとするはずだ。それを待て』

 初めて聞いた時は、この局面でリスクを負った勝負はしないだろうとも考えたが、今は晴絵の話を信じられる。

 4巡目、自摸牌は【五索】、玄は1枚だけ持っていた索子の【三索】と交換した。あと1枚の赤ドラを待つ為だ。

 ――異様な雰囲気の中、局は淡々と進んでいった。

 しかし、宮永照の8巡目自摸から、緊迫度が一気に増加した。

「失礼」

 照は、自摸牌を手牌の横に置き、そのまま動かなくなった。

 

 

 決勝会場 観覧席

 

『まだ切りません! まだ切りませんよ小鍛冶プロ』

『もう1分経過しています。宮永照選手のこんな長考は見たことがありません』

『聴牌していますが【五筒】単騎待ちですね』

『……宮永選手は立直すると思います』

『この待ちで? それに松実選手はドラを手放しませんよ?』

『いえ、切るでしょうね。宮永選手はそれを読んで袋小路追い込むつもりです』

『宮永選手が動きます。 あー! 牌を曲げたー!』

 画面には、リーチを告げる照の姿が映し出されていた。会場は大歓声に包まれた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「なぜだ! なぜリーチする!」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムは、座っていた椅子から立ち上がり、そう叫んだ。

 ――ネリー・ヴィルサラーゼは、宮永照のリーチを冷静に捉えることができていた。

(ドイツ人のこの監督には理解できないだろうな……)

 そう考えて、ネリーは仲間の3人を見た。郝慧宇と雀明華は、監督と同じく信じられないという顔をしていた。もう一人のメガン・ダヴァンは、アレクサンドラと同時に立ち上がっていたが、表情は真逆であった。

(メグ……いけないよ。こんなところで笑ってはいけない)

 アレクサンドラは、それに気がつき、厳しい口調で言った。

「メグ、楽しそうだな」

「攻撃は最大の防御――」

「ナンセンス! 私達は団体戦を闘っている。そんな独断は許されない!」

「……ハイ」

 メガンは反省している素振りを見せたが、アレクサンドラが視線をモニターに戻すと、ネリーに向かって、下手なウインクをした。

 苦笑しながら、ネリーは考えた。

(メグの言うとおりだ。自分の命を脅かす者が侵入してきたらどうする? こちらも武器を持って、確認に向かわなければ殺されてしまうではないか)

 ネリーの故郷ジョージアは、彼女たちの祖国に比べ、生死の問題が身近にあった。だから、宮永照の行動は、ごく自然なことであり、それが分からない彼女たちのほうが、異質なものに感じられた。

(敬意を表するよ宮永照。でも松実はあなたが思っている以上だよ)

 

 

 清澄高校 控室

 

(宮永照は、前回のパターンにはまり込んでいる。それが分かっていて、なぜリーチをかけるのだろう)

 竹井久も現状把握ができないでいた。そして、その妹の宮永咲に質問をした。

「このリーチの意味は?」

「確認です。前回の倍満振り込みが偶然かどうか。それと、松実さんの力が本物かどうか。――お姉ちゃんの悪い癖です。疑問を疑問のまま残さない。その為には犠牲も厭わない」

 咲の答えは抽象的すぎた。そこで、より具体的な質問に切り替えた。

「咲、松実玄は準決と同じことをしようとしているの?」

「そうですね、この局のどこかで、ドラを切ります」

 咲の表情がみるみる変化していった。それは〈オロチ〉の顔、感情の消え失せた、慈悲のない支配者、魔王の顔つきであった。

「ドラを切る……それは龍の解放。この場で龍が暴れまわる」

 竹井久は、手を固く握っていたことに気がついた。咲に圧倒されていたのだ。

「そうなると、お姉ちゃんは……なにも見えなくなる」

「見えない……?」

「部長の言った“未来”。上がれる牌が分からなくなる」

(そ、それが……あの準決勝で振り込んだ理由? 園城寺怜ではなく、松実玄!)

「前回も、お姉ちゃんは上がれるイメージがあったはずです。だからリーチした。ところが、松実さんのドラ切りから、それが崩された。だから、今回はそれの確認。――再現すれば、松実さんはお姉ちゃんの天敵になります」

 久は、喉がカラカラになり、思わず近くにあった染谷まこのお茶を飲んでしまった。

「さ、咲……お姉さんが、あなたを恐れる理由も……同じなの?」

「……」

 咲は答えなかった。久は再び思った。答えないのは、下手な答えよりもよっぽど分かりやすいと。目の前の魔王は、「そうだ」と言っていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 辻垣内智葉は、宮永照のリーチの意味を探っていた。

(リーチは松実玄へのプレッシャーだろう。彼女は必ずドラを切らなければならない。そして切るとすれば、手牌で余る【一筒】か【五筒】しかない。【五筒】は宮永の当たり牌。【一筒】を切ると手が遅れて宮永に先行されてしまう。なるほど……よくできた罠だ)

 松実玄の自摸番、彼女はゆっくりと手を延ばし、牌を引いた。それは手牌の中に入った。

(追いかけるか……万事休す)

 松実玄の打牌

【北】

(そうか、その角牌、お前が持っていたのか!)

「カン」

(松実玄……私が【北】を揃えているのが分かっていたのか)

 智葉は【北】を大明槓し、槓ドラ表示牌をめくった。それは、4枚目のドラ牌【一筒】であった。そして、嶺上牌を取った。【九萬】片岡優希が、刻子で持っているはずの牌であった。――賭けの勝利を確信し、智葉は躍動した。捨て牌は【九萬】

(片岡! 松実玄をサポートしろ)

 

 

 片岡優希は、今朝のミーティングで宮永咲が言った、『宮永照のリーチは、ほぼ上りが見えている時。そうなると、なにをしても無駄、必ず上がられてしまう』という警告を思い起こしていた。

(でも、なにか違う。これは、玄ちゃんを焦らせる為のリーチだじぇ)

 優希の目からも、照が、松実玄のドラ切りを待っているように見えた。そして、玄がその重圧に耐えきれず振り込んでしまうだろうとも思っていた。

 しかし、辻垣内智葉の大明槓で状況が変わった。しかも、智葉は【九萬】を切り、「お前も続け」と言っていた。

(いいじょ、ヤンクミ、乗ってやる。……照姉ちゃん、これは私からの、心ばかりの贈り物だじぇ)

「カン」

 優希は【九萬】を大明槓。槓ドラ表示牌は【四筒】であった。

 

 

 松実玄にとって、ここが正念場であった。宮永照に上がられると、これまでのすべてが無駄になってしまう。だから、祈るような気持ちで彼女を見ていた。

(もしかして、他家を使って捨て牌の選択肢を増やすことも、見越されていたのかも)

 いつもの、弱気な玄が現れ、余計な心配を始めた。 

 照が動いた。

 たかだか5秒ほどの照の自摸が、やけに長く感じられた。玄の鼓動は異常なまでに早くなり、それが時間感覚を狂わせているのだ。

 照が手牌の横に置いた自摸牌を眺めている。

 玄の心拍数はスピードアップし、時間経過をさらに遅くした。

 ――無限に思える忍耐の時間は、照の字牌の打牌によって終わりを告げた。

(……残った)

 玄は、目を閉じ、大きく息を吐いた。それは、場の面子全員に聞こえるほど、大きな音であった。

 ――そして、松実玄は自信に満ち溢れた動作で、音もたてずに自摸牌を手牌の上に置いた。【七筒】、聴牌であった。

(時は来た……龍を解き放つ)

 どれを切るかは決まっていた。一巡前までは【五筒】しかなかった。だが、今は、辻垣内智葉が増やしてくれた牌がある。玄はそのドラ牌【二筒】を横にして捨てた。

「リーチ」

 玄の待ちは【五索】単騎待ちであった。普通ならば選ばない待ちであったが、ドラ爆の復活した玄ならば、最善の待ちといえた。残り1個の赤ドラ【五索】は、まだ出ていなかった。

 照は、その【二筒】に反応しなかった。一瞥して通した。

 智葉と片岡優希はそれぞれ安牌を速やかに捨てて、照の動向を見守っていた。

 10巡目、玄は驚くほど冷めていた。瞬きもせずに、照の自摸を漠然と見つめていた。

(なんだろう……? この感覚)

 照は、いつもと同じように牌を取り、いつもと同じようにそれを手牌の横に置いた。しかし、そこからは違っていた。照は長い間、その牌を凝視していた。

 そして、照は牌から目を離し、玄と視線を合わせた。

 その視線を受けながら、玄は理解していた。先程の奇妙な感覚は、勝利への予兆現象であったことを。

 宮永照が牌を捨てた。――それは、赤い色の牌であった。

【五索】

 松実玄は、ゆっくりと牌を倒した。

「ロン」

 玄は、ドラ表示牌に手を延ばして、裏ドラを確認した。2枚乗っていた。

「立直、一発、ドラ11……34700です」

「……はい」

 

 

 決勝会場 観覧席

 

 観衆は、松実玄の数え役満によって大爆発していた。だれも彼も信じられないものを見たと感じ、大声で語り合っていた。中継の福与恒子の実況が、それをさらにあおった。

『宮永照! まさかの大量失点! 数え役満振り込みだー!』

『2回目ですね……宮永選手が松実選手に振り込むのは』

『そういえば、準決勝でも倍満に振り込んでいましたが、偶然ではない?』

『分かりませんが、振り込みのプロセスは同じです。宮永選手がリーチして、松実選手がドラを切る、そして放銃』

『で、では、次局も同じことが』

『いえ、それはないと思います。宮永選手はもうリーチしないでしょう。……それに』

『それに?』

『松実選手には、もうドラが集まらないような気がします』

『こ、小鍛冶プロ、ちょっと待って下さい! 今、順位表が更新されました』

 

南二局(九本場)終了時の各校の点数

 白糸台高校   189900

 阿知賀女子学院  75800

 清澄高校     70100

 臨海女子高校   64200

 

『阿知賀女子 松実玄、2位に浮上だー!』

 恒子の絶叫に近い実況で、会場は、大歓声に包まれていた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室

 

「玄さん!」 

 高鴨穏乃は興奮していた。リーチしていたとはいえ、あの宮永照から役満を上がった松実玄は、本当に魔術師に見えた。いったい、どんなトリックを使ったのか知りたくなって振り返った。そこには赤土晴絵と松実宥がいるはずであった。

「赤土さ……」

 ――穏乃の見た晴絵は、ひどいものであった。顔をグシャグシャにして泣いていた。

「玄ちゃん……」

 晴絵の隣にいた宥が呟いた。やはり、涙をぼろぼろとこぼしていた。

「宥! 泣いちゃだめだ! ここからは、もっと厳しくなる」

(……そんな顔で言ったって、説得力がありませんよ……赤土……さん)

 穏乃は、貰い泣きの経験がなかった為、なぜ、今、自分が泣いているのかが、分からなかった。ただただ、涙が留まるところを知らずに溢れ出ていた。

(これは……そういうものなんだな、だってほら、憧も、灼さんもみんな一緒だよ)

 玄の魔法は、宮永照だけではなく阿知賀女子学院の全員にもかけられていた。

 

 

 白糸台高校 控室

 

 大星淡は、宮永照の役満振り込みを、意外とは思わなかった。むしろ照ならば、それもあるだろうと、考えていた。それよりも、もっと気掛かりなことがあった。

「弘世部長。なぜ、松実玄はここまで引っ張ったのでしょうか?」

 弘世菫は、淡の丁寧語での質問に、5秒ほどフリーズしていた。

「……あ、ああ」

 菫は、疑わしそうに淡を見ていたが、冗談で言っているのではないと判断したのか、説明を始めた。

「今回の役満振り込みは、準決勝の倍満振り込みと、ほぼ同じ展開だっただろう?」

 菫のよく使う話術であった。質問と回答を繰り返し、問題を紐解いていく。淡は、それが嫌いではなかった。

「テルーのリーチが前提条件ですか?」

「そうしなければ、照が振り込むわけがない。淡も知っているはずだ」

「テルーに大量リードさせて、リーチをかけやすい環境を作ったと?」

 納得がいかない顔つきで、淡が聞いた。菫は、出来の良い生徒を前にする教師の面持ちであった。

「淡の疑問はもっともだよ。照なら、点差に関係なく、東場だってリーチをかける」

「うん、苦手を作らない。それがテルーのやり方だからね」

 言葉が崩れかけている淡に、菫は微笑んだ。

「淡無理しないで、いつもの淡が一番だよ」

「……」

 菫は、表情を真剣なものに変えて、モニターを指差して言った。

「テレビ中継を利用して、照の能力を丸裸にしようとしているやつがいる。それは、多分、阿知賀の監督じゃなく、もっと狡猾なやつだ。そいつの指示で、わざわざ16局目まで引っ張ったのだと思う。データは多いほどいいからね」

 納得のできる答えだった。異常な打ち方、異能な打ち手をぶつけて、照がどう対応するか。それはだれもが欲しいデータであった。そいつは、この決勝戦の舞台で、それを実行した。淡は底知れぬ不気味さを感じていた。

「淡……」

 菫が、滅多に見せない不安気な顔で淡を呼んだ。

「なーに」

「あと2局で前半戦が終わる。そうしたら、照の所に行ってくれないか?」

「なんで?」

「照に質問してほしい。私からだと前置きして」

 菫は、言葉を選んでいるのか、僅かに間を置いた。

「――そういうことなのか? と」

 意味の分からない質問ではあったが、淡は引き受けた。菫は、自分の3倍は照との付き合いが長い。だから、2人にしか分からないやり取りがあるのだろうなと思った。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 南三局、辻垣内智葉は、松実玄のドラ爆が終了していると考えていた。前局の流れるような打ち筋とは異なり、この局は考えながら打っている。だから、智葉には、玄の手牌がよく見えていた。そしてもう1人、宮永照の打ち方も一変していた。これまでは、ほとんど効果のなかった智葉の仕掛けに照が反応していた。その為、見えなかった照の手牌が、推測できていた。

 6巡目、智葉の手牌には【西】が3枚と、【一筒】【九筒】の対子があり、【一萬】と【九萬】を含む萬子が多くあり、チャンタが狙えそうだった。だが、その萬子は対面の照も集めている感じがした。智葉は、照の手牌を確実に読む為に、探りの牌を切った。

【四萬】

(反応は遅いが見る時間が長めだった。ということは、既に順子で持っている牌か)

 7巡目、照は自摸牌を手牌の左側に入れて索子を切った。自摸牌の入った位置は、萬子が固まっているはずであった。

 上家の玄が【三萬】を捨てた。照の反応速度は、先程よりは早かった。

(同じか、【三萬】を絡めた順子は持っているのか?)

 智葉の自摸番。引いてきた2枚目の【一萬】を手牌の上に置いて、照を見た。相変わらずのポーカーフェイスであった。しかし、なにかが違っていた。

(そうか、この牌か……。お前には見えているんだったな、私の牌が)

 智葉は、照の役を一気通貫と推測した。待ち牌は、今自摸った【一萬】であろう。

(聴牌しているのか? まあ、この【一萬】は切るわけにはいかないな)

 楽しかった。これまでできなかった宮永照との駆け引き。智葉はそれを満喫していた。

 捨て牌は、手を崩して【九萬】。照の河に【五萬】があるが、構わずに切った。

(通ったか、そして、その反応。間違いない、一通の【一萬】待ちだ)

 12巡目、チャンタ、一盃口に張り替えが完了し聴牌した。上がり牌は【三萬】。自分と照が1枚持っており、玄の河に1枚出ているので、1枚しか残っていなかった。対する照も、待ち牌の【一萬】は残りが1枚で条件は同じであった。

 次巡の自摸番。取って来た牌は、刻子で持っている【九筒】。この巡目で、暗槓は意味のないことだった。しかし、智葉は牌を並べ変えて倒した。

「カン」

(残り1枚ずつの【一萬】と【三萬】、それが、王牌にあったらどうする?)

 その質問の相手は、自分と宮永照であった。そして、その答えも分かりきっていた。

(通ってきた道が行き止まりで、燃料も残り少なく戻るに戻れない。となると――)

 智葉は、槓ドラをめくった。

【一萬】照の待ち牌。

(そうだ……死ぬしかないのさ)

 照の反応を確認した。その視線移動は、智葉の答えを肯定していた。

 15巡目に、智葉は【三萬】を引いた。面前、チャンタ、一盃口、西、ドラ2の跳満であった。

 智葉は確信していた。宮永照は、松実玄によってなにかの力を奪われている。これまでの神がかり的な打ち筋ではなく、普通の麻雀を打たざるを得ないのだ。

(普通の麻雀なら互角だ。いや、悪路に誘い込めば、私が有利)

 それは、監督アレクサンドラ・ヴィントハイムの自分への評価であった。それを、宮永照に試すことができる。そう考えると、なんだか楽しくなっていた。

(分かっている。私は笑っている。でも仕方がない、今は特別だから。だって、自然と顔がほころぶのを、止めることができない)

 智葉は、宿敵の宮永照と、対等に勝負できる喜びに打ち震えていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

 画面の中の辻垣内智葉は、優しく微笑んでいた。ネリー・ヴィルサラーゼは、こんな顔の智葉を初めて見た。

「智葉、笑ってるね」

 監督のアレクサンドラ・ヴィントハイムは、不愉快そうな顔で頷いた。

 ネリーは、なぜ、監督がそんな顔をしているか、おおよそ見当がついていた。

(智葉は、きっと――)

「メグ!」

 アレクサンドラが叫んだ。それは、彼女に似つかわしくない大声であった。

「ハイ」

「この半荘が終わったら、お前は、智葉に会ってきてくれ」

 

 ――モニターから、試合終了のブザーが聞こえた。

 

 南四局は、智葉が親の満貫を上がり、次の一本場で、松実玄が3900点で上がり、終局した。画面には、各校の持ち点が表示されていた。

 

前半戦 半荘終了時の各校の点数

 白糸台高校   181800

 臨海女子高校   86100

 阿知賀女子学院  70100

 清澄高校     62000

 

 白糸台高校との点差に、アレクサンドラは、表情をさらにしかめていた。

「会って、どうするのデスカ?」

 メガン・ダヴァンは、中断されていた指示を催促した。アレクサンドラは意外そうに答えた。

「指示が必要か? 智葉の意思を教えてくれ」

 メガンは困った表情で「ハイ」と答え、控室を後にした。

 ネリーは首を振っていた。

(何だかんだ言って、この人は凄い。お見通しって訳だね)

 アレクサンドラは、ネリーを睨んでいた。その顔は、以前にも増して険しかった。

 

 

 試合会場通路

 

 松実宥は、試合終了と同時に、控室を飛び出した。妹の松実玄に会う為、マフラーをなびかせて通路を走っていた。なにか話があるわけではなかったが、疲労がピークに達しているはずの妹の側にいてやりたかったのだ。

「玄ちゃん!」

 宥は、松実玄を見つけて呼び止めた。化粧室からの帰りなのであろう、ハンカチで手を拭いていた。

「お姉ちゃん」

 玄が走り寄り、そのまま宥に倒れ込んだ。

「く、玄ちゃん」

「お姉ちゃん、ゴメン。私、眠いの……」

 無理もない。と、宥は思っていた。昨夜、玄は全く寝ていない。そして、さっきまでの緊張の連続。それが、やっと解放されたのだ。だれでもそうなる。

 宥は、そのまま、近くにあった長椅子に、玄を寝かせた。

「時間がないの、でも1分だけ寝かせて。ピッタリ1分で必ず起こしてね」

「いいよ」

 玄は、宥の膝枕で、あっという間に、寝息をたてていた。

 宥は、時計を見ながら、少しでも時間がゆっくり進むように念じた。しかし、それは叶わなかった。だから、宥は少しだけ嘘をつこうと思った。

 時間は、1分を過ぎ、20秒ほどオーバーしていた。

「玄ちゃん、1分経ったよ」

 優しく玄を揺すった。

「んー」

 目を開けた玄は、先鋒戦の途中であったことを思い出して跳び起きた。

「もう1分?」

「うん」

「じゃあ行ってくる」

 玄は、立ち上がり、歩き始めていた。

「玄ちゃん、しっかりね」

 宥のエールに、玄は足を止めて振り返った。

「おまかせあれ」

 

 

 試合会場ラウンジ

 

 大星淡は、宮永照を見つけて、ソファーから立ち上がり手を振った。

「淡……なんでこんな所にいる?」

「なんでって、それはまあ心配だったし、それに、菫から伝言があるから」

 淡は、自分の正直な感情を伝えるのが苦手であった。だから、今も照れながら話している。

 照の笑顔は、それを見透かしていた。

「伝言? 菫の?」

 淡は、菫の言葉を、そのまま伝えることにした。

「そういうことなのか?」

「そうだよ」

 即答であった。そして、照は笑顔のまま、話を続けた。

「負けたよ……松実玄に」

「そんな! 点数じゃ10万点以上リードしてるのに?」

「点数は関係ない勝ち負けは自分が決めるものだよ」

 言葉は厳しいものであったが、照の表情は変わらなかった。

「あの子にしろ、咲にしろ、ドラを制御できる子の前では、私は無力だ。なにも見えなくなる」

「見えない?」

「最善の道を教えてくれる羅針盤。彼女たちは、龍の力で私からそれを奪う」

 なんとなくではあるが、淡にはそれが理解できていた。自分自身も、高鴨穏乃から、同じ作用を受けていたからだ。

「テルー、楽しいの?」

「うん、咲以外の子に負けるのは初めてだから」

「また……サキ」

 淡は、ふくれっ面をしていた。照は、それを見て、珍しく声を上げて笑った。

「淡……咲はね、お前と同じだよ」

「私と? サキが?」

 心底迷惑そうに淡が言った。

「性格は正反対。でもね、咲は淡と同じで、負けを知らない」

「……」

「昨日の話だよ。完全なる負け、お前達はそれを知らない」

「知らなきゃいけないこと?」

 淡の反抗的な質問に、照は優しく答えた。

「淡はね、知ればもっと強くなる。もし、今日、咲と闘えば、それを知ることになる」

「……」

「でも、咲は違う。知れば再起不能になってしまう。私はそれを見たくない」

「テルー……」

 淡は、宮永照がただの雑談をしているのではないと、初めて気がついた。

「咲もそれは分かっているんだ。だから、プラマイ0という手段で、敗北の感覚を消し去ることを思いついた。プラマイ0を続けるかぎり、決して負けないからね」

 宮永咲のプラマイ0の能力は、淡も聞いていたが、それを実施する理由が不明であった。それが、自己防衛の為であると、照から聞かされた。淡は驚きのあまり、ソファーに座り込んでしまった。

 照も、その隣に座り、前を向きながら言った。

「咲のプラマイ0は強力だよ。並の人間では破れない。でもね、私は何度も破った」

「何度も?」

「そう何度も。その結果、生まれたのが〈オロチ〉だよ」

 照の表情が変わった。それは、ひどく寂しそうであった。

「咲は、負けを受け入れることができなかった。だから、それを〈オロチ〉変貌への手段として使うことにしたんだよ」

「負けを?」

「負けなければ〈オロチ〉になれない、だから負ける。咲は意識のすり替えで、敗北を排除したんだ」

(テルーは、妹が嫌いなわけではなかったんだ。むしろ、その逆。本当に大切に思っている)

 淡は大きな溜息をついて、あえて、悪態をついた。

「テルーは、ほんとにシスコンだよ。サキのことしか頭にないの?」

 照は笑いながら答えた。

「そんなことはないよ。かわいい後輩を思ってのアドバイスさ」

「アドバイスなんかもらってないんですけど」

「そうだね、でも、私はこう思っている」

 照は、淡と目を合わせて、笑いを消して告げた。

「〈オロチ〉を倒せる可能性がある者は3人。それには、淡、お前も含まれている」

 


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