咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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最終回 華ざかりの森(4)

 3月31日 大阪国際空港

 赤土晴絵

 

 大阪には空港が二つある。主に国際線が離着陸する関西国際空港と国内線がメインの大阪国際空港だ。赤土晴絵は小鍛治健夜と共に、大阪国際空港の中央ターミナルで永水女子高校の到着を待っていた。

 

 あのインターハイの一件以来、健夜に対する苦手意識は薄れてきてはいるものの、完全に払拭(ふっしょく)されたわけではない。無駄口の少ない彼女とは会話のフィーリングが微妙に合わなく、よく無言になってしまう。

 

「そういえば……良子ちゃんから警告をされました」

 

 珍しく健夜からの話しかけだ。彼女は結論から話を始めることが多い。興味をそそるには持ってこいの話術だが、会話が進展しにくくもあった。

 

「戒能良子ですか? まあ、私も噂は聞いていますが」

「評議会からの脱退ですね」

「そうです。それもこれも小鍛治さんのせいですよ」

「私?」

「あたりまえです。熊倉さんも、三尋木も、戒能も、あなたの“ニューオーダー”への対応でてんやわんやです」

「それは……小蒔ちゃん次第ですね」

「……」

 

 阿知賀女子高校と清澄高校の合同合宿は健夜から提案されたものだ。推測するに、その目的は両校の切磋琢磨などという健全なものではない。

 

(檻に入れられた怪物……あなたは、それを解き放とうとしている)

 

 昨年のインターハイで新たな怪物が姿を現した。現在系の怪物である宮永照の妹の宮永咲だ。ただし、彼女の恐るべき力には大きな制約があった。それが、健夜によって自由に動きまわれるようになり、姉と共闘するならば、これまでの世界観が一変してしまう。評議会重鎮(ひょうぎかいじゅうちん)の熊倉トシ、三尋木咏が“ニュー・オーダー”を恐れる理由はそこにあった。異端者である戒能良子は、評議会から離脱し、新勢力を模索していた。彼女らしいといえばそれまでだが。

 

「咲ちゃんの闇はね……私が思っていたよりも深い」

「母親から聞いたんですか?」

「ええ、愛さんからも、照さんからも、咲ちゃん本人からも聞きました」

「神代小蒔は?」

 

 健夜が“鍵”と位置付けた神代小蒔が果たす役割とはなにか? インターハイ個人戦で二人が通常ではなかったことは承知している。しかし、その詳細を知る人間は数少ない。

 

「私だけでは咲ちゃんの足枷(あしかせ)を外せません。それには小蒔ちゃんの助けが必要なのです」

 

 まあ知っていても話すわけがない。それは怪物のアキレス腱を(さら)すことになるからだ。晴絵は仕方なく話題を変えた。

 

「……戒能良子の警告とは?」

「The casual talk ends here」

「どういう意味ですか?」

「馴れ合いはここまでにしましょう」

「彼女らしいですね」

「本当にそうね」

 

 永水女子高校が搭乗している飛行機の電光掲示板が“IN TERMINAL(旅客降機中)”に変わった。小鍛治健夜の頼みの綱である神代小蒔はまもなく到着する。

 

「小鍛治さん」

「はい」

 

 晴絵にはどうしても聞きたいことがあった。なかなか聞きづらいことではあるが、いまなら、タイミング的にベストだろう。

 

「“ニューオーダー”は、あなたの個人的な思惑ですか?」

「そうとも言えるわね」

「……そうなんですか?」

「だって、負けたら悔しいでしょう?」

「もちろん。トラウマになるぐらいです」

「私だってそうよ」

 

 晴絵は自分の立ち位置を決めかねていた。健夜の“ニュー・オーダー”に、いつまでも無関心ではいられない。晴絵は、阿知賀女子学院麻雀部を再建し、インターハイ決勝まで引き上げた。その実績により、この界隈(かいわい)にそれなりの影響力を持ってしまった。大きな問題に発展した“ニュー・オーダー”に肯定か否定かを宣言しなければならない立場だ。

 

(そういうことにしておきますよ……小鍛治さん)

 

 “負けたら悔しい”云々は、健夜に敗北後、長い間低迷していた晴絵への配慮だろう。晴絵にとって、健夜は、もはや“怪物”ではなかった。いや、怪物とは存在するものではない。見るものが造り上げるものなのだ。健夜の行動は、それを示唆(しさ)していた。

 

(穏乃、憧、お前たちにとっての宮永咲もそうなんだな)

 

 健夜がそうであったように、現高校生にとっての宮永姉妹は、“怪物”にしか見えないだろう。この合宿で、阿知賀女子高校麻雀部は、その幻想から目覚めさせられる。そう考えると、健夜の戯言(ざれごと)に付き合わされるのだって我慢できる。

 

(いや……この人のことだから、そこまで考えていたのか?)

 

 健夜が前に歩き出した。

 

「赤土さん。来ましたよ」

「はい」

 

 前方に神代小蒔と六女仙の総勢七名が見えた。これから、彼女たちを、晴絵の生徒たちの元に送り届けなければならない。

 

(いいですよ小鍛治さん。この合宿中はあなたにお付き合いします。でもね、戒能良子じゃないけど、馴れ合いはこれまでですよ)

 

 

 高鴨製菓 高鴨穏乃

 

 吉野山は桜の名所で、シーズン中は人でごった返す。高鴨穏乃の家は、製菓工場でもあり土産屋でもあった。名物でもある“高鴨饅頭”を求めて、朝から客が途切れることがなかった。

 

(狩宿さん……こんな仕事やったことがあるのかな?)

 

 この多忙な時期に、三日も家を留守にしなければならない。その間、狩宿巴がここを手伝うということだが、彼女が客商売をできるとは思えなかった。

 

 スマホの着信がなった。赤土晴絵からのSMSで。まもなく到着するとのことだ。穏乃は休憩室(居間)で彼女を待っている。穏乃には、頭脳明晰(ずのうめいせき)で永水女子高校参謀である狩宿巴のイメージしかなかった。そんな彼女に、この仕事が可能なのかと考えてしまう。

 

「シズー、狩宿さんを連れてきたよ」

 

 晴絵が私服の狩宿巴を連れてやってきた。ひざ丈のスカートと落ちついた色のカーディガンを着ている。巫女服か制服の姿しか知らないので、実に新鮮に見える。

 

「高鴨さん、これからの三日間宜しくお願い致します」

「そんな、こちらこそ無理を聞いていただいて」

 

 巴が丁寧にお辞儀をする。さすがは礼節を重んじる霧島一族だ。反射的にこちらも返礼してしまった。

 

「狩宿さん、あとは穏乃に任せてもいいですか?」

「はい。他の四人を宜しくお願いします」

「シズ、これから灼や玄のとこにも行くから頼むよ」

 

 晴絵が慌ただしく出て行った。車を離れた所に止めているのか、全速で走っている。残された巴が、店内を見まわしている。

 

「高鴨さん、ここの名物はなんですか?」

 

 一通り点検を終えた巴は、明るく穏乃に尋ねる。

 

「え? 一応饅頭ですけど」

 

 イメージとはずいぶん違うものだなと思った。巴が、こんなに明るく、はきはきと話すとは意外だった。 

 

羊羹(ようかん)はありますか?」

「ええ……でもどうしてですか?」

「アジア圏以外の観光客を多く見かけました」

「そうですね。西洋の方もいらっしゃいます」

「餡子文化がない国の人は、甘い豆に抵抗があるみたいですね」

「……そういえば」

 

 心当たりがある。欧米の客は、土産として饅頭ではなく、市販のクッキーや焼き菓子を買い求めることが多い。

 

「羊羹はいけるんですか?」

「霧島にも海外の方が多数いらっしゃいます。私も調査しましたが、お饅頭よりも羊羹の方が評判良いらしいのです」

「そうなんですか」

「試してみましょう。高鴨さんが着ているユニフォームはありますか?」

 

 穏乃が着ている無地のTシャツとパンツをユニフォームと勘違いしているようだ。

 

「巴さん……実はこれ、私服でして」

 

 恥ずかしそうに答える穏乃に、巴は優しい笑顔を贈った。

 

「それなら私もこのままで。高鴨さん、羊羹の試食品を用意してもらえますか?」

「いいですけど、私も穏乃って呼んでもらえますか」

「分かりました。穏乃ちゃん、私はこう見えても英語が得意なんですよ」

「こう見えてもって……そう見えますよ」

 

 ケラケラと笑う巴につられて、穏乃も笑ってしまった。大丈夫だ。彼女になら留守を任せられる。

 母親に頼んで、試食用の羊羹を作ってもらった。巴は、それを持って表に出る。

 

「Welcome!」

 

 巴の流暢(りゅうちょう)な発音に()かれたのか、早速西洋人と思われる初老の夫婦が寄ってきた。

 

「Would you like to try a sample of Yokan? (羊羹を試食してみませんか?)」

「What exactly is Yokan?(羊羹とはなんだね?)」

「It's a block of sweetened azuki bean paste(甘い小豆 ペーストを固めたものです)」

 

 たちまち、人が集まり、試食した人から感嘆の声があがり、羊羹はかなり売れている。親たちは喜んでいるが、穏乃は逆に、とてつもなく不安になっていた。

 

(巴さんが帰ったあとどうしよう……) 

 

 口コミとは恐ろしいものだ。英語が通用する店として評判になったら、穏乃はそれに対応しなければならない。それを考えると、激しく頭が痛くなった。

 

 

 松実館 松実玄

 

 松実館は煩忙を極めていた。昨年までは、姉の松実宥がいたので、二人でこの時期を(しの)いでいたが、今年は、玄だけだった。宥は東京の大学に合格し、住まいも向こうに移している。東京での生活基盤の確立には、同じ大学に進む弘世菫にとても世話になった。だが、玄はどうにも心配だった。菫には感謝しているが、彼女の持っている宥への好意は、実に怪しく思えたからだ。とはいえ、もう、四の五の言っても仕方がない。今はどうやって今年の春を乗り切るかを考えよう。

 

 玄は、従業員控室のドアをノックする。

 

「準備できましたか?」

「はい。松実さん、中に入って確かめてください」

 

 明日から、清澄高校との合同合宿だ。玄は、強い罪悪感を感じていた。この時期は幼いころから姉妹で家の手伝いをしていた。それを、休んでもいいのだろうかと考えてしまう。しかも、先ほど赤土晴絵から助っ人として預かった滝見春と石刀明星はこういった仕事はしたことがないと言っていた。

 

「これでいいでしょうか?」

「……」

 

 見事な着こなしだった。二人とも松実館の作務衣(さむえ)を熟練者のように着こなしていた。エプロンの位置や紐の結び方など文句のつけようがない。

 

「二人とも……本当に初めてですか?」

「初めて……」

「神境でも接客しますし、こういった衣装もよく着ますから」

 

 そういえば、彼女たちは、由緒正しき神社の後継者なのだ。礼儀作法、衣服マナーなどは身に()みついているのだろう。感情表現が乏しいと思っていた春も、普通に対応できるようだ。明星は、従姉の石刀霞によく似て、人当たりがとても良い。

 

(お姉ちゃんの服じゃ小さかったかな)

 

 二人はとても胸が大きい。姉の作務衣では少々きつめだ。

 

「春ちゃんも明星ちゃんも、もうちょっと大きめの作務衣のほうがいいかな? その、おもちが……」

「おもち……?」

「おもちとは、なんでしょうか?」

 

 これは失言だった。二人が“おもち”の意味を知るはずがなかった。ここはごまかすしかない。

 

「なんでもありません。それでは、作業の説明をしますね」

「気になる……教えて」

 

 春が意外なほど喰いついてきた。こうなったら、“おもち”のスペシャリストとして二人に説明しなければなるまい。

 

「二人とも……お姉ちゃんに負けないほど良いものをおもちで」

「……?」

 

 二人が呆気(あっけ)にとられていた。だが、玄の視線の先にあるものが互いの胸であることに気付き、春が、明星の胸を人差し指でつついた。

 

「おもち?」

 

 明星も負けじと春の“おもち”をつついた。

 

「おもち……ですか?」

 

 大興奮した玄の鼻息があらくなる。このまま二人に混ざってつつきあいができたら死んでもいいとさえ思った。

 

(いけない……そんなことをしたら、現実的に人生が終わってしまうのです)

 

 玄は、脂汗(あぶらあせ)を流して、その欲望を鎮めた。

 

「そ、そうですね。良いものをおもちでの“おもち”です」

「よいものを――」

「――おもちで」

 

 春と明星に胸をつつかれる。ここは天国であろうか。それならば、こちらも同じことをしても許されるはずだ。

 

「はい、良いものを……おもちで」

 

 欲望のおもむくまま、玄の左右の腕は、春と明星の“おもち”に突撃していた。

 

 

 Sagimori Lanes(鷺森レーンズ)

 鷺森灼

 

 鷺森レーンズには、かつての阿知賀こども麻雀クラブのメンバーが集まっていた。彼女たちの目当ては、今年の全中チャンピオンである十曽湧だ。そうは言っても、志崎綾と佐々岡よし子以外はまだ小学生で湧と直接の接点はない。いわばスター選手を一目見ようと集まってきた野次馬なのだ。

 

「灼! 二人を連れてきたよ」

「あー、赤土先生だ!」

 

 元気だけはあるギバード桜子が赤土晴絵を見つけてはしゃいでいる。

 

「おや、桜子ちゃん。て、まだ開店前なのに、みんなもいるのか……」

「十曽さんを見たいんだって」

 

 鷺森灼が前に出て、桜子たちをなだめた。

 

「そうか、綾は十曽ちゃんと対戦経験があるんだね」

 

 阿知賀女子学院中等部に麻雀部は存在しない。だが、高等部監督に赤土晴絵が就任したことにより、フリーエントリーで中学生二名が地区個人戦に出場し、なんと、志崎綾が全国に進出していた。

 

「はい、一回戦で……飛ばされましたけど」

「ああーあの時の!」

「湧ちゃんは姫様に近いんで、運が悪いとそうなりますねー」

 

 十曽湧と薄墨初美が晴絵の背後から現れる。正直、身長はこどもたちと大差がなかった。特に初美は綾やよし子よりも小さい。

 とはいえ、チャンピオンの登場に、こどもたちは大いに盛り上がっている。

 

「湧さんの同級生の方ですか?」

 

 よし子が、湧の隣で笑っている初美に暴言を吐いた。

 

「よし子ちゃん! この人は薄墨初美さんといって原村さんとも対戦した、とっても強い人なんだよ」

 

 灼は慌てて、初美をフォローする。怒らせてしまっては大変だ。せっかくの合宿が台無しになる。

 

「鷺森さん、気を使わないでください」

「……」

「慣れていますから……霞ちゃんと一緒に歩いてると『妹さんですか?』とか、(ひど)い時には『お子さんですか?』とか言われますから」

「私も……明星ちゃんと歩いていると大体妹に間違えられます……」

 

 灰色の目で独白する初美と湧の姿に、場は一気に暗い雰囲気になってしまった。このままではまずいと思い、灼は話題を変えることにした。

 

「お……お二人はボウリングの経験はあるんですか?」

「この間、みんなで初めてやりました」

「面白かったですね。私が一番で、湧ちゃんが二番でしたよー」

「ちなみにスコアは?」

 

 初美が顎に指を当てて考えている。

 

「178だったかな? 湧ちゃんは?」

「初美ちゃんが178なら、私は175ですよ。3ポイント差でしたから」

「初めてで……そのスコア?」

 

 考えられないスコアだ。初心者は大抵100以下になる。もしも、本当なら、原村和に匹敵する逸材(いつざい)ということだ。

 

「ビデオは少し見ました」

 

 あっけらかんと答える湧に、灼の野望が再点火した。

 

「プロになりませんか……」

「灼……なに言ってんの?」

 

 晴絵のあきれ顔に、灼は我に返った。

 

「興味本位ですけど……最下位はどなたですか?」

「霞ちゃんです」

「ああ……」

 

 予想どおりだった。あの体型ではボーリングは難しい。そう考えると、伝説のスコアを残す原村和が、いかに特異な存在であるかが分かる。

 

「ああってどういう意味なのだ」

 

 もっとも年下の山谷ひなが不思議そうに灼に尋ねる。

 

「石刀さんは……」

「霞ちゃんはおっぱいが大きすぎて球が見えないんですよー」

「初美ちゃん、また怒られますよ」

「玄ちゃんや和ちゃんより大きいの?」

 

 それに答えたのは晴絵だった。

 

「憧の神社に行けば石刀さんに会えるかもだよ」

「ほんと!」

 

 こどもたちの興味は、全中チャンピオンよりも、石刀霞の“おっぱい”に移った様子だ。これはまずい、霧島神境筆頭巫女に失礼があっては大変だ。

 

「今日は、憧と大事な引継ぎがあるから、明日にしなよ」

「灼ちゃんは見たことあるの? 凄かった?」

「抽選会で見たけど……霞さんはシード校で遠くにいたからよく分からなかった」

「分かった! 明日見に行く」

 

 桜子が元気いっぱいに答え、湧に握手をねだり、それに応じてもらえると、満足そうに笑って走り出した。こどもクラブのみんなもそれに続き、阿知賀の春を楽しもうと外に飛び出ていった。

 

「すみません……騒がしくて」

「神境でもこういうのはありますよー」

「六月の神境もこんな感じですね。結構浮かれちゃいます」

 

 晴絵が時計をチラチラ見ている。

 

「晴ちゃん……なにか用事でも?」

「実は小鍛治さんを迎えに行かなきゃならないんだ」

「姫様と霞ちゃんの件ですかー?」

 

 事情を承知しているらしい初美の質問に、晴絵が頷いた。晴絵の車には永水女子高校の全員は乗れなかったので、神代小蒔と石刀霞は小鍛治健夜と共にタクシーで移動しているようだ。

 

「小鍛治さんと姫様を迎えにいかないと」

「え? 神代さんも行ってるの?」

 

 神代小蒔は助っ人要員ではないと聞いていた。宮永咲の補佐役として合宿に参加するはずだ。

 

「私たちは、本来違う神には仕えることはできません」

「だから、当主の姫様が一時的に他の神様にお仕えする許しを請うのです」

 

 初美と湧が、その疑問に適正な答えをくれた。よく神様同士の嫉妬や喧嘩などと聞くが、霧島神境当主の神代小蒔なら、それをなだめられるのだろう。

 

「それじゃあ灼。二人をよろしくね」

「春ちゃんも気をつけて」

 

 にこやかに手を振っているが、朝から動きっぱなしで晴絵も疲れているはずだ。彼女のために、この合宿は有意義なものにしなければならない。インターハイで敗退したあの日。自分たち阿知賀女子学院は全国制覇の誓いを立てた。

 正面にある自動ドアから出ていく晴絵の後ろ姿に、灼は、それを再認識した。

 

「きっと小巻ちゃんもじっとしていられないはずですよー」

「霞ちゃんとの豊栄(とよさか)の舞はきれいですからね」

 

 初美と湧が楽しそうに笑っている。こう言ってはなんだが、ボウリング場の仕事は結構肉体労働だ。しかも、今は繁忙期。きっと音を上げてしまうことになる。

 

「申しわけありません。ここの仕事は結構きついですよ。多分、二人は外れを引いてしまったのかも」

「鷺森さん、私たち六女仙は本当はアルバイトなんてできないんです」

「……そうなんですか?」

「私たちは、大学まではストレートで進めます。でも、そのあとは、地元に戻り、伝統や民族文化の継承が義務付けられています」

「結構……厳しいですね」

 

 気の毒そうに頷く灼に、初美と湧が笑顔で答える。

 

「そんな顔しないで下さいよー。私たちは、それを望んでるんですからー」

「初美ちゃんの言うとおりですよ。私たちには、それが自然で、あたりまえのことなんです」

「……」

「生まれて初めてで最後のアルバイト。私たちは本当に楽しみなんです」

「巴ちゃんも、春ちゃんも、明星ちゃんも、きっと今頃は楽しんでますよー」

「そう考えると……姫様は少し可哀そうですね」

「湧ちゃん、だから姫様はじっとしていられないんですよー」

「そうか」

 

 実に楽しそうに笑うものだなと灼は思った。伝統継続を義務付けられた家に生まれた彼女たち。灼には想像もできない世界であったが、二人の振る舞いを見ていると、それほど堅苦しいものではないのだなと感じた。

 

「そういえば、十曽さんは明日からじゃなきゃ仕事できないんだよね」

 

 中学を卒業したとはいえ、3月31日までは湧と明星は就労できない。それならば、少し息抜きをしてもらおうと灼は思った。

 

「今日は午後オープンだから、1ゲーム私と勝負しませんか?」

「鷺森さんはベストスコアいくつですか?」

「300」

「さ、300って、パーフェクトじゃないですかー」

 

 素晴らしい。麻雀基準でしか物事を考えられない新子憧や高鴨穏乃とは大違いだ。二人はボーリングに対しての理解度が高い。

 

「ハンデを100差し上げます」

「それだけじゃ不十分です。湧ちゃん!」

「はい」

 

 初美のよくわからない指示を受けて、湧が外に出て行った。

 

「十曽さんは……どこに?」

「巴ちゃんの分析で、鷺森さんはプレッシャーに弱いと聞いています」

「……」

「湧ちゃんは、さっきの子たちを呼びに行きました。必ず鷺森さんを応援するでしょうからね」

 

 自然に湧きあがる笑みを、灼は抑えられなかった。面白い、実に面白い。確実に阿知賀の障害になる永水女子高校。その前哨戦(ぜんしょうせん)としてこのゲームを楽しもうではないか。

 

「薄墨さん……本気でお願いします」

「もちろんですよー」

 

 

 

 阿知賀某神社 

 新子憧

 

 それほど大きくない新子憧の神社は宮司(ぐうじ)であり禰宜(ねぎ)である父親が全てを取り仕切っていた。大きくないとは言うものの、この神社は世界遺産として登録されており、自分か姉の新子望があとを継がねばならない。

 正直、憧は、家のことには無関心で、望に任せっぱなしにしていた。

 

「新子さん、これから霞ちゃんがお世話になります」

「神代さん、そんな他人行儀は止めてください。こちらこそお世話になります」

 

 霧島神境当主である神代小蒔と筆頭巫女である石刀霞は神境の装束に身を包み。本殿で待っていた憧と望の前に現れた。はっきり言えば、衝撃を受けた。自分や姉も、それなりに作法等の教育を受けているが、二人の完璧な身のこなしは次元が違っていた。

 

「私、こんな服でここにいていいのかしら」

 

 それは、二人を連れてきた小鍛治健夜も同じ思いの様子だ。憧たちも巫女服を着ており。一人スーツ姿の健夜は違和感で焦っていたようだ。“元祖怪物”の健夜でも、こんな時は慌てるのだなと思い、少し可笑しくなった。

 

「小鍛治さんいいんですよ。私の隣に座ってください」

 

 健夜は窮屈(きゅうくつ)そうに足を折り曲げ、憧の隣で正座している。

 

「憧ちゃん……私よく分からなくて。小蒔ちゃんは何をしようとしているの?」

「石刀さんがうちの神様に仕えることをお願いするんです」

「そうか……小蒔ちゃんは――」

 

 小蒔と霞がご神体の前にひざまずく。これから祝詞(のりと)奏上(そうじょう)がはじまる。

 

「――小鍛治さん。これから儀式がはじまります。お静かに」

「はい」

 

 流れるように、歌うように言霊(ことだま)を発する小蒔の姿に、憧は、伝統という言葉の持つ深さを感じていた。家のことは家のこと、自分のことは自分のことと考えていた憧には、二人の気高さを見て恥ずかしくなる思いだった。

 

(本当に……神様と話しているみたい)

 

 宮司の父親にしろ、姉にしろ、自分にしろ、祝詞とは決められた言葉を読み上げるだけだ。しかし、小蒔や霞は、何も見ずに、まるで会話をしているように言葉を発していた。

 

 二人が立ち上がり、大きく礼をして、儀式は終了した。隣では緊張しっぱなしだった健夜が大きく息を吐いていた。

 

「装束はこのままで了解をもらいました。霞ちゃんは胸が大きすぎて仕方がありませんからね」

「小蒔ちゃん。余計なことは言わない」

「はい、すみません」

 

 一目で好きなる女子とはいるものだなと、憧は再確認した。かつての高鴨穏乃や宮永咲、そしてこの神代小蒔だ。

 

「小蒔さん、うちの桜は見ました?」

「千本桜ですね、もう、それは見事で。踊りだしたくなります」

「小蒔ちゃん、それは止めましょうと言ったはずよ」

 

 楽しそうに振る舞う小巻を、霞が落ち着くように合図する。

 

「どういうことですか?」

 

 その憧の質問に答えたのは健夜だった。

 

「豊栄の舞だったかしら……小蒔ちゃんはそれを舞ってはどうかと言っていたような」

「乙女の舞ですか?」

「そうね、新子さんも一緒にいかがですか?」

「こら! 小蒔ちゃん、ここは神境ではありませんよ」

 

 乙女の舞は憧も習ったことがあった。しかし、間の取り方や、位置の取り方が難しく、まともには舞えなかった印象がある。見てみたい。神代小蒔と石刀霞の乙女の舞を見てみたい。

 

「石刀さん……私、二人の舞を見てみたいです」

「でも……舞楽(ぶがく)はどうしたら」

「霞ちゃん、お土産コーナーにCDがありましたよ」

 

 少々興奮しながら小蒔が言った。彼女は本当に乗り気のようだ。 

 

「CD……。でも、場所も……」

「舞に決められた場所はありませんよ」

 

 まあ、その気のなった小蒔は、霞でも止めることはできないのであろう。結局彼女は折れて、境内で豊栄の舞を観光客に披露することになった。

 

 

 

 憧はCDラジカセに豊栄の舞をセットして境内に置いた。姉の望はポールコーンを置いて、舞台を作った。何事(なにごと)かと外国人観光客が集まりだす。

 

「We are going to present the Toyosaka no mai to everyone. (これより、豊栄の舞を皆さまにご披露します)」

 

 こんな英語でよかったかなと思いながらも、憧は観光客に呼び掛けた。「おおー」と歓声が上がり、観衆が増加していく。

 

 そこに、お土産用の桜の枝を持った神代小蒔と石刀霞が息の合ったな足取りで現れる。観客の拍手が大きくなる。

 

 憧がCDをかけ、舞楽が流れ出すと、二人は、静かに舞を始めた。それからの躍動感に、憧も観客も言葉を発することができずに魅了されていた。まるで春の訪れを喜ぶ蝶のように、華麗に、優雅に、小蒔と霞は舞っていた。その流れるような動作、慈愛に満ちた二人の表情に、感動して涙を流している人もいた。実は新子憧もその一人だった。

 

(これは稽古なんかで身につくものじゃない……本気ってそういうことなのね)

 

 自分がいかに家のことをないがしろにしていたかが分かった。それを見せつけられ、自分が恥ずかしくなると同時に、この家に生まれたことを喜んだ。豊栄の舞は、豊穣(ほうじょう)を喜び、一族の繁栄を喜ぶものだ。

 

 CDが終わり、二人が観客礼をして奥に下がった。大拍手が湧きあがった。憧は、涙をぬぐいながら、望と一緒に後かたずけを始めた。

 

「What time is the next show?(次のショーは何時からですか?)」

 

 あちこちから、問い合わせが殺到した。これは困ったことになった。この舞が恒例行事と認識されてはとんでもないことになる。霞が在宅中の三日間はなんとかなるかもしれないが、それ以降は自分と望では役者不足というものだ。ここははっきりと断言しておくべきことだろう。

 

「This time only.(今回だけです)」

 

 

 4月1日 名古屋駅 11時10分

 清澄高校 原村和

 

 原村和たち清澄高校麻雀部は中央本線で名古屋駅に到着していた。監督の小鍛治健夜の指示で、全員制服を着ている。阿知賀に公共交通機関だけで移動しようと思ったら、最短でも6時間以上かかる。今回は、名古屋から小鍛治健夜が迎えに来てくれるというが、原村和の心配は生理現象のことだった。しかも自分のことではなく、宮永咲のことであった。

 

「ちょっとオーバーだと思うな……」

「なにがオーバーじゃ。咲、おぬしのせいでわしたちがどんだけ苦労していると思っとんじゃ」

 

 部長の染谷まこが、半ギレ気味に咲を注意する。彼女の気持ちはよく分かる。トイレが近く迷子癖のある咲に、これまで何度も冷や汗をかかされている。

 

「だからって、全員でトイレ行く必要あるのかな?」

「見張ってなきゃ咲ちゃんはどこ行くか分かんないからな。まだ見たことはないけど、小鍛治監督は怒るととっても怖いと思うじぇ」

 

 今回の阿知賀女子学院との合宿には、和も希望を持っていた。健夜の目的は極端に言えば一つしかなかった。それは咲から“オロチ”の脅威を取り除くことだった。現時点では“オロチ”の排除は不可能だ。それならば共存させたらよい。それが健夜の目的だった。どのように行うかは教えてくれなかったが神代小蒔の助けを借りるとのことだ。

 

(目的は違いますけど……それが最善なのでしょうね)

 

 和と健夜は、二人だけで咲について話し合ったことがあった。その時に言われた言葉が、頭から離れない。

 

(『私は、“オロチ”を排除しない。咲ちゃんには、共存できる方法を学んでもらいます』)

 

 健夜は隠すことなく咲を自分の駒として使うことを宣言していた。それに和は反発したが、健夜は和の矛盾点を強烈に指摘した。

 

(『和ちゃんの気持ちはよく分かります。でもね、今はまだ咲ちゃんがそれを望んでいない。それに、このままでは、彼女は再起不能になりますよ』)

 

 何度頼んでも、咲は和との対戦を受けなかった。たとえ闘ったとしても、和には、“オロチ”に勝つ自信がなかった。それは、ただ闇雲(やみくも)に、対戦を懇願する和に対する咲の優しさだったのだ。

 

(『それにね……私でも、照さんでも、咲ちゃんから“オロチ”を取り除くことはできない。それができるのは、あなただけ』)

 

 今できることは何か? それを考えた場合、健夜の策が最善なのだろう。光を失った咲の目に、少しでもそれを取り戻せるのならと思い、和は健夜に同意した。

 

 

 咲が、その目で和を見ている。考え事をしていたのが気付かれたようだ。

 

「京ちゃんのお土産なんにしようか?」

 

 今回は置いてきぼりの須賀京太郎への土産のことだ。さすがに、今回の女子だけの合宿には同行できず、しかも、本年度から新設される清澄高校男子麻雀部の初代部長として彼が推薦されていた。その下準備に大忙しのはずだ。

 

「そうですね……穏乃の家のお饅頭なんかどうでしょうか?」

「そっか、穏乃ちゃん家は和菓子屋さんだったね」

「おー、穏乃の家に行けば食べ放題ってことだな」

 

 京太郎のことよりも自分の食欲のことが優先のようだ。そんな片岡優希にまこは呆れ顔だ。

 

「饅頭なんて、たくさん食えんじゃろう」

「饅頭はタコスの次の次ぐらいには好きだじぇ」

「……じゃあ、タコスの次は?」

「ラーメンだじぇ」

 

 タコスにラーメン。カロリーの塊であったが、優希は、なにを食べても太らない。それが和には結構羨ましかった。

 

「あった!」

 

 トイレの標識を見つけて咲が走り出す。これが怖いのだ。なかなかのスピードで、あっという間に消えてしまう。そうなっては困るので、三人で咲を包囲しながら追跡する。トイレの中でも、咲のドアの前で仁王立ちだ。確かにここまでする必要は無いなとは思う。

 

「お待たせしました……」

 

 咲がげっそりした表情で出てきた。それはそうだ。こんな環境下では落ち着かないだろう。

 

「部長、のどちゃんが咲ちゃんにGPSをつけてるから大丈夫じゃないのか?」

 

 優希の冗談に和は凍り付いた。咲が、制服の後ろやスカートの(すそ)を手で探っている。

 

「……」

「咲さん! 嘘ですよ、優希の冗談です」

 

 咲はすぐに笑顔になった。優希の冗談につきあっただけだった。しかし、部長のまこは深刻な表情だ。

 

「咲……今度迷子になったら、本当にGPSをつけるからな」

「……はい」

 

 どこまで本気かは不明だが、彼女の苦労を考えれば、そのセリフには重みがあった。

 

「あ、小鍛治監督だじぇ」

 

 指定された西口付近で小鍛治健夜が手を振っている。体型にマッチしたスーツ姿で、テレビ解説時のラフな恰好(かっこう)とはまったく違い、実に落ちついている。

 

「まこちゃん、順調だった?」

「はい、咲には常に見張りをつけていましたから」

 

 健夜はだれでもちゃん付けで呼ぶ。それは部長の染谷まこでも同じだ。結局、過剰なまでの咲包囲網は健夜の指示だったということだ。まあ、石橋を叩いて渡る彼女らしくはある。

 

「まだ時間があるのよ、昼食にしない?」

「やった、さっきから腹がぎゅるぎゅる鳴ってるのだ」

「優希ちゃん、名古屋といえば?」

「名古屋といえば?」

「そう、名古屋といえば?」

「……エビふりゃー」

「ということで、そこを予約してるのよ」

 

 健夜の案内で地下に降りた。そこは、巨大エビフライで有名な店だった。

 

「こんなの食べれないよね」

「そうですね」

 

 咲と二人で、サンプルの巨大エビフライを見て唖然としていた。大きいことはお得感があってよいとは思うが、度が過ぎている。

 

「普通のを頼んであるけど、ジャンボにも変更できるわよ」

「じゃあ、私はジャンボで」

 

 優希ならそう言うと思ったが、ぜひ一人で食べきってもらいたいものだ。

 

「うわ」

 

 着席してから数十分で料理が届けられた。優希のエビフライは皿からはみ出して30cmはあった。優希も度肝(どぎも)を抜かれていた。

 

「お姉さん……これはどうやって食べるのだ?」

「ハサミで切って食べてください。美味しいですよ」

「……」

 

 確かに、優希の膳にはハサミが付いてきている。優希は、器用にハサミで巨大エビフライを切り分けている。自分たちにも料理は届いているがそれどころではない。全員で優希の動向を見守っている。

 優希は、切り分けたエビフライをフォークに刺して、タルタルソースをたっぷりつけてほおばる。

 

「ど……どうじゃ?」

「順位が変わったじぇ……」

「……順位?」

「2位がエビフライ、3位がラーメンだじぇ」

「ま……饅頭は4位か?」

 

 何のことかわからない健夜が笑い出した。

 

「とにかく美味しいってことね。さあ、みんなもいただきましょう」

「いただきます」

 

 優希の言う通りだった。これまでのエビフライの概念を変えるものだった。全体的な順位は決められないが、エビフライに限定すれば、ナンバーワンであることは間違いない。

 

 

 満腹になった五人(特に片岡優希)は、赤土晴絵と合流して、彼女の車で松実館に向かった。

 助手席には小鍛治健夜、セカンドシートには染谷まこ、そして、サードシートに一年生トリオが並んで座った。和はお尻が大きいという理由で真ん中に座らされている。満腹すぎて睡眠中枢(すいみんちゅうすう)が刺激されたのか、優希はほどなくして眠ってしまった。まあ、車では阿知賀まで三時間ほどかかる。眠るという選択は有効だ。

 

「咲さんは眠らないのですか?」

「ごめん、和ちゃん。私、楽しみで眠れないんだよ」

「神代さんに会うことがですか?」

「うん」

 

 以前にも聞いたことがあった。咲にとって神代小蒔は姉と同じかそれ以上の存在だと。

 

「早く会いたいな……」

 

 咲の顔は、まるで恋する乙女のように見えた。本人が違うと言っても、和はそれに嫉妬してしまう。悪い癖だと思う。しかし、それは仕方のないことなのだ。和の咲への感情は、神代小蒔や宮永照を凌駕(りょうが)していた。完全無欠の愛、それが和の感情なのだ。

 




最終回 華ざかりの森(5)
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