咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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外伝
第一話 鶴賀の雪


 三月中旬 日曜日 鶴賀学園 近郊 午前11時

 

 長野県北部の一部は豪雪地帯に指定されている。加治木ゆみの母校である鶴賀学園は、ギリギリエリアから外れてはいるものの、中部や南部に比較して雪が多いのも確かだった。

 今も雪が降りしきっている。もう三月ではあるが、鶴賀地方では季節外れの雪ではなく、ごく普通の雪なのだ。

 

「蒲原、今日は安全運転で頼む」

「雪だからなー、大阪の人間には珍しいと思うぞー」

 

 昨日から続いている雪で、道路は凍結していた。大阪などの都市部なら交通機関がマヒするレベルだ。

 ゆみは、蒲原智美の愛車である古い外車の助手席に乗った。まだ初心者である智美の運転では少々不安だが、この雪では公共交通機関はあてにできない。

 

(利害の一致か……それはそうだな)

 

 これから荒川憩と対木もこを迎えに行く。

 

 ゆみは、自分と智美が抜けた後の鶴賀学園麻雀部を憂慮していた。高校競技麻雀において長野県は魔境だった。ただでさえ手が付けられなかった清澄高校が、小鍛治健夜の監督就任によって、とんでもないモンスターとなった。しかも、それをつけ狙う龍門渕高校も天江衣や龍門渕透華などが健在で怪物クラスだ。つけ加え、名門風越女子高校も南浦数絵等の編入で対抗戦力を維持している。

 そんな魔境に好き好んで来る高校雀士がいるわけがない。高校野球がそうであるように、甲子園に出られる可能性がある高校に良き人材は集まるものだ。

 しかし、ゆみは、昨年のインターハイ個人戦の結果に、一筋の光明を見つけていた。

 

(あんたの最終目標はインターハイじゃないからね)

 

 荒川憩はインターハイ個人戦で“魔王”宮永咲の前に敗北していた。姉の“絶対王者”宮永照戦とは違い、咲戦の敗北は憩にとって屈辱的なものであったはずだ。だとするのなら、憩がなんらかの形でリベンジを考えると推測し、ゆみは、彼女に鶴賀学園への編入を打診した。

 

(長野なら間違いなく咲と闘える。それに団体戦で確実に大将のポジションが得られるのはうちしかない)

 

 話はとんとん拍子に進んだ。憩も鶴賀への編入を考えていたようで、秋に一度会って詳細の打ち合わせをした。驚いたことに、東海チャンピオンの対木もこも同時編入すると言う。これで、鶴賀は他の三校に匹敵する戦力を整えることができた。まさに利害の一致だった。

 

「蒲原、家の鍵は持ってきたか?」

「まあなー。荒川さんの条件に合ってると思うぞー」

 

 蒲原一族はこの辺りでは顔が広い。むりな賃貸住宅も彼女に頼めば抜かりなく探してくれる。とはいえ、憩の特殊な要求には苦労した様子だ。

 

「程度のいい古民家は少ないからなー。買い手がつかなかった再生古民家を期間契約したよ」

「手数をかけたな……まあ、彼女も久や透華と一緒だから許してやってくれ」

「というと?」

「なにを考えているのか分からん」

「ワハハ」

 

 信州の古民家に強い憧れがあったようで、憩はあれこれと無理な注文をしてきた。だが、さすがは蒲原智美というところ、注文に合致した物件を見つけてきたらしい。

 

「待ち合わせは駅じゃなくて駅前公園でいいのかー?」

「電車は遅れなく到着したとメールがあった。これから雪だるまを作るそうだ」

「都会の人間あるあるだなー。でも、浮かれるのは最初だけだよ」

「そうだな」

 

 大阪などの太平洋側に住む人間には、この大量の雪が新鮮に映り、はしゃいでしまうのもよく分かる。しかし、いずれは雪の厳しさに音を上げることになる。雪国育ちの人間の辛抱強さは、生活習慣に耐えることが組み込まれているからだ。

 

 

 ――駅の駐車場に車を止めて、ゆみと智美は、近くにある公園まで歩いていた。多くの通行人によって踏み固められた雪は、慣れていなければ転倒の危険があるほどよく滑る。

 

「さすがに寒いな」

「そうだなー。あの二人も寒さをなめていなければいいけど」

 

 それは余計な心配だったようだ。分厚い防寒着に身を包み、耳が隠れるニット帽を被った荒川憩と対木もこが楽しそうに雪だるまを作っていた。

 

「頭を乗せるまで待ってやろう」

 

 かなり大きめの頭を、二人で協力して胴体に乗せている。これで子供の背丈ぐらいある雪だるまが完成した。

 

「加治木さん。こんな感じでええか?」

 

 どうやら自分たちの存在に気付いていたようだ。まあ、荒川憩なら当然と言えば当然だ。

 

「立派なものだよ。学校帰りの小学生が作ったもののように見える」

「ほな、うちらも鶴賀の一員になれたかな?」

「まあね、でも君たちは来年の冬までここにいるのかい?」

「それは咲ちゃん次第やな。なあ、もこちゃん」

「そうだね」

 

 その言葉に荒川憩の執念を感じた。宮永咲は強すぎる。必死にリハビリをしているが、間に合わないかもしれない。ならば、新たなる“魔王への刺客”を準備したら良い。それが、対木もこなのだ。その証拠に、智美に依頼してあった古民家の賃貸期間は2年に設定されていた。

 

「ケイ」

「そやなー。それをつけんとなー」

 

 二人が葉っぱや石ころで雪だるまに顔を(えが)いていく。そして最後に咲の特徴的な前髪のオブジェを飾り付けた。

 

「これは咲なのかー?」

「いえいえ、こらただの雪だるまです。咲ちゃんに似てるんはただの偶然です」

「……」

 

 いつも笑顔のイメージがある憩だが、たまに下衆(げす)い笑顔を見せることがある。それは、咲が関連する話題に多く発生していた。今がまさにそうだ。

 

「荷物は?」

「バッグ二つだけや。あとはトラックで届きます」

「トラック……」

「そら2年も住むんやから一式は揃えなな。それよりも蒲原さん例のものは?」

「もう設置してあるぞー。でも、なんで全自動雀卓じゃないんだ?」

半荘(はんちゃん)付き合うてください。そこで理由を説明します」

「……」

 

 荒川憩は、炬燵型(こたつがた)の雀卓を要求していた。もちろん、牌のセットは人力で行う必要がある。

 

(そうだよな……咲に対抗するにはそれしかない。いいよ、あんたがどこまで本気か確かめさせてもらう)

 

 

 ――鶴賀学園からバスで20分、徒歩15分ほどの場所に荒川憩の拠点となる古民家はあった。背後に大きな竹林があり、周囲を畑に囲まれた一軒家だった。豪雪地帯特有の傾斜のきつい屋根で、一見二階建てに見えるが、天井の高い平屋だ。玄関は雪でも安心の二重引き戸式で空間は広めにとっていた。

 

「蒲原さんおおきにね。こら理想どおりやで」

 

 太い(はり)の天井を見て、憩は満足そうだ。

 

「外観や造りは古民家のだけど内装は今式だなー、水回りも安心していいぞー」

「もこちゃん。先に上がってみんなのお茶を用意して」

「わかった」

 

 対木もこが高めの段差の玄関を上がり、台所のある奥に向かって歩いている。板張りの廊下がキシキシと音をたてていた。

 

「蒲原さん。間取りやらを教えてくれへん」

「ワハハ」

 

 良い趣味の家だなと思った。水回りが集中している北側以外の外周に廊下があり、玄関のある南面には縁側(えんがわ)もあった。内側に(ふすま)で仕切られて六部屋あり、中央には掘り炬燵と囲炉裏(いろり)がある天窓付きの居間があった。

 

「君にこんな趣味があったとはな」

「小学校の遠足で白川郷をみて以来憧れていました」

「でも冬は厳しいよ。ここは再生古民家だから断熱はしっかりしているけど、通学や買い物なんかには苦労するぞー」

「ぼちぼち慣れていきますよ」

 

 居間にある掘り炬燵に三人で入った。この温もりにはゆみも逆らえない。眠気を覚えるほどの心地よさだ。

 

「お茶です」

 

 対木もこから茶托(ちゃたく)(下の皿)付きの湯呑を渡された。

 

「ありがとう」

 

 感情表現が苦手だと思っていたもこが笑った。彼女が普通にコミュニケーションできることにゆみは安心した。妹尾佳織はともかくとして、東横桃子と津山睦月は社交性が高くない。鶴賀の強みである結束力はなんとか維持できそうだ。

 

「すごい、全部そろっていた」

 

 と言って、もこは、憩の前に麻雀牌セットを置いた

 

「蒲原さんに食料やら備品やら必要なものは頼んどいたからな。一週間ぐらいは引きこもれるで」

「良かった」

 

 憩はおもむろに麻雀牌を炬燵の天板に広げた。

 

「うちらは全自動雀卓の犬なんですわ」

 

 智美の『なぜ全自動麻雀卓ではないのか?』。その質問に憩は唐突に答え始めた。おそらく、ゆみの考えと一致しているだろうが、確認してみたいことが多数ある。

 

「君はいかさま麻雀の話をしているのか?」

「加治木さん……とぼけちゃ困ります。あなたは、うちと同じ結論にたどり着いたはずです」

「過剰評価だ。それは、だれでも考えることだ。宮永姉妹は合法的ないかさま麻雀を打っている。だから誰も勝てない」

「勝たれへんとは思いまへん。ただ……まずは彼女たちと同じ土俵にあがらな」

 

 憩がじゃらじゃらと音をたてて牌をかき混ぜ始める。

 

「麻雀牌は裏と表のみ……そやさかいこの時点で68枚前後の牌が見えてます」

「だからこうやって裏返しながらかき混ぜているんだろう?」

「せやけど34枚の自分の牌山(はいやま)を作る時に20枚近くの牌の位置を記憶できます。目のええ人やったら他家の牌山かて覚えられます」

「君の言いたいことは分かる。それが咲の……ウインダム・コールの麻雀だ。だが、本質はそうじゃない」

「さすが加治木さんですな」

 

 かなり慣れた手つきで17枚の牌を重ね、憩は自分の牌山を作った。もこも同様に牌のセットを完了している。自分と智美も牌に手を伸ばすが、PCや全自動卓に慣れ過ぎていて思うように牌が組めない。

 

「どのぐらい牌を覚えましたか?」

「見たものは……すべて覚えた」

 

 ようやくのことで自分の牌山を組み上げた。少し遅れて智美も作り上げ、配牌ができる状態になった。

 憩はサイコロを二個あまり回転しないように振った。出目は三と六の九だった。

 

「自九か?」

「サイコロの出目はコントロールできます」

 

 憩はもう一度サイコロを振った。今度の出目は五だった。

 

「自五、自九。これやったら、王牌(わんぱい)がなんであるかが分かります。加治木さん。この状態であなたの親で初めてみまへんか?」

「荒川君……私をなめないでもらいたいな。いかさまの研究は私だってしている。開門場所が自分の牌山から始められる確率は十一分の二だ」

 

 麻雀初心者の頃、ゆみは、狙った出目が出せるように猛烈にトレーニングしたことがあった。要は縦回転だけさせれば良いのだ。

 

(4回転……久しぶりだな)

 

 二と三が上になるようにして。それぞれ中指と薬指の上に置く。縦にだけ4回転すれば自五が完成する。簡単なことに思えるが、実は信じられないほど難しい。それに数年ぶりの実戦だ。成功率は10%ぐらいだろう。

 

(なんとかなるものだな)

 

 狙いどおりの自五だ。『荒川スマイル』で憩がゆみを見ている。評判どおりだなと思った。彼女の笑顔は恐ろしい。

 ゆみは、自分の牌山を五列残して配牌を始める。これで裏ドラ牌の【三萬】が確定し、死に牌に【白】【七筒】【一索】が含まれることが分っている。

 

 変則的な親決めだったので。南家は智美、西家はもこ。北家が憩だ。

 

(【三萬】と【七索】……彼女がその牌をどう使うかだな。私に自五を強制したということは、自分の牌山を有効に使えるということだ。多分、すべての牌を記憶していると思っていいはずだ)

 

 ゆみにとって、これはただの遊びではなくなっていた。インターハイ予選以来のヒリヒリとした感覚。ほとんど眠っていた勝負師としての才能が目覚めていた。

 

(分析力では美穂子にはかなわない。推察力も和にはかなわない。でもね、私は、二人が不足しているものを持っている)

 

 自分の一手、二手の先を行く福路美穂子の分析力には、正直かなわないと思う。また、見えている情報から相手の手牌や最終形を推察する能力も、原村和は神の領域に達していた。なにしろ、あの“魔王”を苦しめるレベルなのだ。

 

(美穂……和……君たちは保守的すぎる。確率に囚われすぎている)

 

 ゆみは将来プロ雀士になろうとは思っていない。だから確率は絶対的なものではなかった。もっと相対的であるべきだと思った。簡単に言うのなら。二人が絶対に選択しない博奕性(ばくちせい)の高いオプションも選択できる。

 

「これが咲の本質かな?」

「あの子は……何年も何年も、最高レベルのいかさま麻雀を続けてきたんですよ。まあ、太刀打(たちう)ちできません」

「宮永照、宮永愛、テレサ・アークダンテ、ミナモ・オールドフィールドか……寒気がするね」

 

 配牌が完了した。【白】が二枚あるが一枚は王牌にある。もう一枚は不明だが、最初の数巡で出なければ無視してもよい。そうなると流れにもよるが平和狙いで進めるべき手牌だ。

 

(お互い様子見だよね……そうだろう、荒川憩)

 

 ゆみの【北】切りから東一局が始まる。

 

「荒川君。咲との闘いは完敗だったということか?」

 

 憩が目を細めて自分の山から牌をつまんだ。そして、その自摸牌は手牌に入り、その隣の牌を切った。

 

【三萬】

 

「この打牌には色々な意味がありますな」

「……そうだな」

 

 近代麻雀のセオリーである初手の字牌切りを放棄し、あえてゆみが仕込んだ【三萬】

を打牌した。宮永姉妹のようにこの場を支配しているという意思表示だ。

 

「咲ちゃんとの対戦……うちは勝利を確信してました」

「……」

「彼女の手札をさらけ出さしたはずやったけど……」

「そうか……全自動卓の犬か」

「ええ、全自動卓のもつ公平性に飼いならされとったんです」

 

 二巡目。憩の捨て牌は【七索】だった。

 

「私が五を出すことが分っていたか?」

「加治木さんも蒲原さんも隣におるもこちゃんが調べつくしてます。そのデータをもとに誘導しました」

「もしも私が失敗していたら?」

「高い確率を優先するのやなしに、低い確率を無視する。それが加治木さんや思てます」

 

 ゆみは声を上げて笑った。なるほど、そういう言いかたも当てはまる。それが美穂子や和にはないゆみの特徴だ。何度も闘うことが前提ならばまったくの悪手だが、限定された対局ならば優れた対抗手段になる。

 

「君を鶴賀に迎えられて、私は嬉しく思う」

「それは光栄です」

 

 インターハイ出場の夢を後輩に託したゆみではあったが、正直、それは極めて困難なことだと思っていた。しかし、荒川憩と対木もこの加入により、県予選突破の道筋が見えてきた。かわいい後輩である東横桃子。津山睦月、妹尾佳織が、その栄冠をつかめるのならば、ゆみの夢は叶ったも同然だ。

 

(荒川君……私だって咲と闘っているんだよ。だからね、彼女を倒すむずかしさはよく分かっている)

 

 十巡目。憩が自摸上りをして手牌を(さら)した。

 

(平和……しかも【三萬】と【七索】が絡めてある)

 

「わざと見えるようにして【三萬】と【七索】を加治木さんの方に置いときました。あなたならその牌をどう使うか予想可能です」

「同じ牌を自分の牌山にセットしていたのか?」

「咲ちゃんと同じですよ。いきなり嶺上開花を連続で上がって見せる。だれもが通常の麻雀ではないと意識します」

「なるほどね……それでは、様子見はここまでにするよ」

「ええ」

 

 ゆみは手牌を倒し、中央に寄せてじゃらじゃらとかき混ぜる。いかさま有りの麻雀だとこの時点で勝負は始まっている。

 

「なあー荒川さん」

 

 智美が洗牌しながら憩に話しかける。いつもの笑顔が控えめになっている。こんな時の智美は割といいことを言うものだ。

 

「咲に負けてから、ずっといかさまの練習をしてきたのか?」

「そう、ケイと私は、ありとあらゆるいかさまの練習をしてきた」

 

 質問に答えたのはもこだ。彼女の洗牌は実に洗練されていた。単純に牌を裏返して混ぜているように見えるが、雀士にはもう一つの目である皮膚感覚がある。すでに裏になっている牌でも親指で読み取れる。自然な動きで無駄牌と好牌を自在に積み込んでいるのだろう。憩も同様だ。実に鮮やかな手並みで牌山を組み上げている。

 

「でもなー。競技麻雀はいかさまの排除が前提になっているんだぞー。いまさらいかさまの技術を磨いてなんになる?」

 

 憩が頭を上げて笑っている。

 

「蒲原さん……七って結構出るものですよ」

「七? ああ、サイコロか」

 

 智美が憩の言葉につられるようにサイコロを振った。麻雀を行う者ならだれでも知っていることだ。二個のサイコロを振った場合、七が出る組み合わせは6通りだ。もっと言うのならば、開門場所が親の対面になる確率は36分の10と最も高い。

 しかし、智美が出したサイの目は四だった。

 

(当たり前のことが不自然に思える……やはり、この荒川憩という人物は、咲や衣と同じモンスターか)

 

 智美がゆみの牌山から自摸を始めた。当然、憩に無駄牌が集まるように仕込んでいたが、そもそも無駄なことではなかったかと考えてしまう。

 

(治癒魔法……そのための準備局か)

 

 ゆみは“能力”というものを否定してはいないが、認めてもいなかった。それは、なんらかの効果を及ぼすが、研究分析により無効化できるものという認識だ。無論、憩とは初対戦であり、彼女の“治癒魔法”は映像データでしか知らない。この半荘では対応しきれないだろう。だが、ゆみは宮永咲とも天江衣とも対戦している。二人と憩を比較することは可能だ。

 

聴牌(てんぱい)している……)

 

 その配牌時の衝撃は、ある意味二人を超えていた。偶然か? あるいは智美が四を出すことが分っていたのか? 役はないものの、ゆみの第一自摸は憩の山から取ることになる。もしも地和(チーホー)ならば、それは荒川憩に強制されたものだ。

 

 そして、ゆみは第一自摸牌により地和を完成させた。しかし、牌は倒さなかった。

 

「……ゆみちん」

「蒲原、しばらく待ってくれ」

 

 ありえないことだった。自分の積み込みを完璧に見抜き、智美のサイコロの目を完全に予想しなければ、こんな芸当は不可能だ。

 

「荒川君……これは試合でもなければ練習でもない。少し雑談をしないか?」

「いいですよ」

「蒲原の質問の続きだ。競技麻雀においていかさまの価値はどこにある?」

「そらいかさまがでけへんから価値があれへんちゅう意味ですか?」

「すまない……愚問だったな」

 

 それは、心理学を麻雀に応用した“荒川憩”ならではの発想だなと思った。そして、智美が感じたように“荒川憩”以外の人間には無意味なことなのだ。

 

「ゆみちん……どういう意味だ?」

「彼女は……いかさまを行う者の心理を体感しているんだ」

「……咲や衣ちゃんの心理ってことか?」

「荒川君、このぐらいならネタバレしても良いだろう?」

 

 憩は「ええですよ」と言って手牌を伏せる。これも一種のマナーだ。やむを得ない場合での局の中断。その場合はすべての面子で手牌を伏せておく。ゆみも地和確定ではあるが手牌を伏せる。

 

「完璧な人間はおりまへん。あの原村ちゃんだっておっきな隙がありました」

「でも和の伸びしろは大きいぞ」

「そうですなぁ。あれが咲ちゃんに対抗する一つの手段です」

「……」

 

 ゆみに、麻雀を継続させる決意をさせたのは、インターハイ個人戦の咲と和の対戦だった。きれいごとを一切排除した二人の死闘に心を動かされてしまった。荒川憩にとっても、和や咲との対戦は、これまでの価値観を一変させるものだったに違いない。

 

「せやけどなぁ、うちはあんなんできまへん。そやさかい、別の手法を考えました」

「心理面で咲を抑えるということか?」

「牌の位置が分かっとったらどういう挙動をするか? 上り牌が分っとったらどういう河を作るか……この7カ月、ええ勉強させてもらいました」

「もしも……君が長野の決勝で咲と闘った場合、天江衣もいれば、池田華菜だっている。それを無視できるのか?」

「とんでもない。無視なんてしまへん。むしろいてもらわな困る。彼女たちも、大事なピースですから」

「……」

 

 さきほどよりもさらに下衆い憩の笑顔。彼女は本気なのだ。本気で咲を倒そうとしている。

 

「東横さんには悪いけど、副将はもこちゃんに譲ってもらいます」

「私が原村和を封印します。それも、大事なピースですから」

「咲に防御させてはいけない。そういうことだな?」

「よくわかっていらっしゃる。あの子は防御の権化(ごんげ)ですから」

 

 憩の下衆い笑いが自分うつったのが分かった。なんということだ。己の欲望がこれほど強いとは思わなかった。想像している。来年の地区予選。鶴賀学園が魔境長野県を突破してインターハイに出場する姿を想像していた。

 

「蒲原、想定どおりだ。桃には先鋒をやってもらう」

「ワハハ。これで優希と南浦は封印できるな」

 

 憩が倒していた牌を立てる。

 

「ほな続きといきまひょ」

「牌を立てる必要はない。分かっているはずだが」

「ええ」

 

 親の智美が不思議そうな顔をしている。

 

「悪いな蒲原……地和だ。16000もらうぞ」

「ち……地和」

 

 あ然としている智美に和了牌を見せる。憩ともこは牌を伏せたまま中央に寄せてかき混ぜている。

 

「見せてもらえるのかな、治癒魔法」

「そんな、見せるだなんて……」

「……」

「ぜひ堪能してください。そして――」

「――咲に対抗できるか評価しろと?」

「ふふふ」

 

 雪深い信州古民家の屋根の下。下衆い笑顔を浮かべた女子四人が、掘り炬燵に入り、天板の上で麻雀牌をかき混ぜている。見方によっては不純と言える光景だ。ただ、その不純物こそが鶴賀の新しい血なのだ。正しいかどうかは分からないが、魔境長野を勝ち抜く為に、ゆみはそれを必要とした。

 

(咲……お前が踏み出した道。遅ればせながら私も行くことにした。だから……私も手段を選ばない)

 




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