咲〈オロチ〉編   作:Mt.モロー

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9.約束

 阿知賀女子学院 控室

 

「ただいまー」 

 控室の扉を開けて、高鴨穏乃と新子憧が帰ってきた。睡眠不足で倒れそうだった松実玄を、仮眠室に連れていっていた。

「お疲れ様。どうだった?」

「宥姉を応援するってぐずりましたけど、布団に横になったらあっという間でした」

 穏乃は、やや疲れた表情で赤土晴絵に言った。

「そう。起こすのは大将戦ぐらいかな」

「晴絵は? 晴絵は眠くないの?」

「私と宥は交代で少しうとうとしたからね。でも玄は休みなしだったから」

 憧の質問に、晴絵は笑顔で答えた。

「次鋒戦が終わったら夕食タイムがある。そこで休息したら?」

「灼、休息ってのは闘った者がとるんだよ。私は闘っているわけじゃないからね」

「晴絵は、いつもそういう屁理屈でごまかすんだから……」

 鷺森灼は嫌そうな顔をした。

「心配してくれて有難う。でも、今はもっとやるべきことがあるだろう?」

 晴絵はモニターを見つめて言った。そこでは、チームメイトの松実宥が混一色を聴牌していた。

「自模じゃなきゃ上がれないよ。宥姉の特徴が現れすぎてるから」

「でも上がれば12000。立直で裏が乗ればそれ以上」

「立直はかけない。また弘世菫が振り込んでくれる可能性があるからね」

 晴絵の言葉に憧は嚙みついた。

「弘世菫は、もう振り込まないよ。だったら、立直して高めを狙うほうがいいんじゃない?」

「100点の答えだね。だけど、麻雀は100点が正しいとは限らない」

「正しい?」

「うん、麻雀は不確定要素が多すぎる。常に満点の答えを積み上げても、結果が伴うとは限らない。麻雀は結果がすべてだからね」

 憧は釈然としない顔で聞いていた。

「弘世菫が……振り込んだ」

 灼が画面を見てつぶやいた。そこでは、弘世菫が染谷まこの自風牌ドラ1に振り込んだ姿が映し出されていた。

「宥の手を考えると、清澄に2600点渡したほうがいいと判断したか……」

「あくまでも、うちを飛ばすことしか考えてないんですか?」

 穏乃は、白糸台の執念に恐れを抱き、晴絵に質問した。

「シズ、安心して。怖がっているのは向こうが上だよ」

 晴絵は立ち上がって背伸びをした。どこかの骨がいい音で鳴った。

「宮永照は、怖くて怖くてしょうがないんだよ……自分の妹が」

「……宮永咲」

 穏乃の頭の中に、再び現れたものがあった。それは、顔合わせで見た宮永咲の目であった。穏乃は、その恐怖に思わず瞼を閉じて、頭を振ってしまった。

 

 

 決勝戦 対局室

 

(なんちゅう奴じゃ。うちとの点差よりも阿知賀に得点させないことを選んだんか)

 染谷まこは、弘世菫の徹底した姿勢に感服させられていた。

(先鋒戦のアドバンテージが有るとはいえ揺るぎないのお。わしとは覚悟が違う)

 それは、弘世菫だけでは無かった。阿知賀の松実宥も、妹の残した点数を守りきろうとしている。臨海の郝慧宇にしても、高めの上りにこだわり続け、虎視眈々とその機会を伺っていた。

 まこは、郝に顔を向けた。

(今も、聴牌しとったんか、やばいのう、ここで、郝に全開になられたら、手に負えん)

 中国麻雀の恐ろしさと、その応用力の高さを、昨夜の実践対局で知らされた。対抗策はまだ準備できていなかった。それは、一夜漬けでどうにかなるものでは到底なかった。

 

 

 昨日 清澄高校 宿泊ホテル

 

 中国麻雀の実践対局が始まっていた。面子は、龍門渕高校から井上純、風越女子の吉留未春、そして染谷まこであった。最初の一荘(中国麻雀は半荘制が無い)は、講師の孫プロから、基本的なルールを教わりながらの対局となった。その違いの多さに、まこは対応しかねていた。まずは牌の数。パズルゲームでよく見かける花牌が加わり、144牌もあった。役も2倍以上の81種類で、それは複雑に複合していた。その他にも、立直やドラが無かったり、フリテンや食い下がりもなかった。また、点数計算も競技麻雀とは全然違うシステムを使用していた。もはや全く別の競技と言っても良かった。

(何よりもこの河の状態じゃ。これじゃあだれが捨てたもんか分からん)

 まこを混乱させていたのは、捨て牌の姿であった。河をきちんと作るのではなく、中央にごちゃ混ぜで捨てられていた。河の形を記憶するまこにとって、それは悪夢としかいいようがなかった。

 

 2回目の一荘が開始された。井上純は沢村智紀と交代していた。

 講師の中国麻雀プロ孫文永は、眼鏡をかけた初老の小柄な男であった。その彼が、疑問があったらいつでも聞けと言い、対局を始めた。

 12巡目

「そこの眼鏡さん」

 孫が目を合わせずに言った。まこ達は顔を見合わせた。

「あのー、みんな眼鏡なんじゃが? 名前で呼んでもらえると助かるのう」

「わたしは、名前を覚えるのが苦手でして……」

 孫は、手を止め、腕組みをして考え始めた。

「こうしましょう。あなたは大、あなたは中、そしてあなたは小と呼びましょう」

 それぞれの胸を指差しながら、沢村智紀、染谷まこ、吉留未春の順番であだ名をつけた。

「ひどい……」

 未春が涙目になっていた。

「オレは?」

 井上純が、未春にお構いなく興味本位で聞いた。

「あなた……女だったのですか」

「失礼な! オレは女だよ」

 孫は、まじまじと純を見つめていた。

「女性ならオレなんて言っちゃだめです。せっかく綺麗なお顔をしているのですから。――そこで、この年寄りからお願いがあります。聞いてくれますか?」

「な、なんですか?」

 純は、恐る恐る訊ねた。

「女性らしいあなたを見てみたい。「私は女です」と言ってくれませんか?」

 深々と頭を下げて懇願し、純を見た。面子の3人も同じく純を見ていた。

「……」

 もう一度、孫が頭を下げた。純は仕方がないという顔で口ごもりながら言った。

「わ、私は……」

 大きな音を立てて智紀が雀卓に前のめりに倒れ込み、雀牌があたりに飛び散った。そして、智紀は凄まじい引き笑いを始めた。

「トモキー!」

「沢村さん」

 純とまこは、智紀を起こした。

「井上さん。こ、これはなんじゃ?」

「トモキーの笑いのツボに入った。10分ぐらいは収まらない」

 純は顔を赤くして言った。智紀の笑いはまだまだ続いていた。孫文永は、それを指差し、涙を流しながら豪快に笑っていた。

 

 

 沢村智紀の状態が元に戻り、4人は席に座り直した。吉留未春は、孫文永をムッとした顔で睨んでいた。

「ハギヨシさーん」

「いかがなされましたか」

 龍門渕高校執事 ハギヨシが、忍者のごとく現れた。

「このエロじじいがセクハラするんです」

「それはいけませんね。セクハラは〈絶対ダメ〉ですからね」

 ハギヨシは、優しい笑顔で未春に応対した。

「恐れながら吉留様。エロじじいという言葉も言われたほうはショックかと存じます」

「むー」

 ハギヨシの進言に未春は頬を膨らませた。

「私から提案がございます」

 大きな文字で名前が書かれた名札を、ハギヨシは4人に渡した。

「この名札を、胸ではなく肩のあたりに付けてください。孫先生、彼女たちを名前で呼んで頂ければと」

 4人は、渡された名札を肩の目立つ部分に取り付けて、孫を睨んだ。

「おおー、いいねえ。でも、場が変わる毎に席替えするので、その都度付け直してもらいますよ」

 先程までとは違い、好々爺然とした笑顔であった。

「あんたあ……名前、覚える気が無いんか」

 まこは、心の底から呆れかえっていた。

 

 

「和(フー)」

 孫文永が自摸上がりをした。中国麻雀の自摸はロン上がりに比べて大きく点数を稼げる為、孫はそれを多用していた。

 どうにもならない。それがまこの感想であった。まだ一度も上がることができなかった。このプロの打ち筋は、まさに変幻自在であり、三色、一色系の競技麻雀にはない役を主体に強引に手を作り上げてくる。その対応策が見つけられなかった。そんなまこの苦悩を見越してか、孫文永は温和に助言をした。

「上がれるなんて思わないほうがいいですよ。流れを見ることですね。郝慧宇は間違いなく、わたしのように中国麻雀の役で手を作っていく。それを競技麻雀の役に化けさせるのです」

「先生と郝慧宇さんはどっちが強いんですか」

 吉留未春が聞いた。先程までのエロじじいを見る目とは違っていた。

「あの子は妖術師ですよ」

「妖術ですか?」

「そうです。人の心を読む妖術師です」

「どういうこっちゃ」

 孫は、まこを見て笑った。

「染谷さんは明日、郝慧宇と打つのでしたね」

「そうじゃが」

「見せてあげましょうか? あの子の本当の打ち方を。――郝慧宇の恐ろしさは単釣将(単騎待ち)にあります」

「……中国麻雀は早上がりが圧倒的有利に思えるけど」

 沢村智紀であった。それには答えずに、孫は智紀の捨て牌をポンした。

(単騎待ち……まさか)

 まこの予想は的中した。孫は続けて3副露して裸単騎待ちになった。

「全求人(チュェンチューレン)か」

「ほう。知っていましたか」

 孫が嫌な笑顔で言った。

「染谷さん、私が上がれない牌を切ってください」

「……」

 馬鹿げた話であった。普通に考えれば、適当に切っても上がられる可能性は低い。しかし、この初老の男は、それを防いでみろと言っていた。

「競技麻雀ルールでええか……?」

「いいでしょう、その代わりに現物以外の牌にしてください。あなたは、わたしの捨てた牌を覚えているはずですからね」

 まこは河を眺めた。自分の手牌で最も切りやすい牌は、河に2枚ある【二索】と【六萬】、それと刻子でもっている【七索】だ。そのほかの牌はどれも危なく感じていた。

(現物以外にしろと注文を付けてきた。つまりは、わしの持っている牌はかなり読まれてるっちゅうことか)

 悪待ちを得意とする竹井久と毎日打っていたまこは、こういった心理戦には慣れていた。

(部長と打つ時と同じじゃ考えたら深みにはまる)

 まこは、そう考えて、牌をランダムに選び、【六萬】を切った。

「……無意識に牌を切るなんてできませんよ。その打牌には、あなたの意思を感じます」

 歯茎まで見える笑顔で、孫は1枚だけの手牌を倒した。それは、まこが切った牌と同じ【六萬】であった。

 

 

 今、まこの目の前で起きている情景は、まるで昨日のリプレイであった。郝慧宇は裸単騎待ちに構えた。晒された牌は刻子が4つで、それには【白】とドラが3枚含まれており、跳満が確定していた。

(妖術師か……あの孫先生も恐れる郝慧宇の単騎待ち、ターゲットは――)

 まこは、弘世菫に目を向けた。表情や動作は、これまでと全く変化がないように見えた。

(動じないか、大したもんじゃ。さっき、チーしていたから、手牌も少なくなってる。残り8巡、降りきるつもりか……)

 ならば、自分のやるべきことは分かっている。弘世菫への嫌がらせ。それは、竹井久の指示でもあった。

 

 

(狙いは私だろうな)

 弘世菫は、郝慧宇のこの打ち方を知っていた。彼女が銀メダルを獲得したアジア大会でも何度か見せていたからだ。

(心を読むと言われているが……。まあ、うちにも似たようなものがいるからね)

 似たようなものとは宮永照であった。彼女も鋭い狙い撃ちを仕かけてくることがあり、菫はその対応策を習得していた。しかし、それは郝には通用しないだろうとも思っていた。

(照は、狙っている牌を切らせるほうに仕向けてくる。だが、こいつは単騎待ちで、心理的な圧力をかけてくる)

 菫は、過去の経験から、ある結論を導き出していた。

(照や淡と同じだ。最初は翻弄されてしまうだろう。しかし、それを学べば後半戦に繋げられる)

 菫は、郝の現物である【一索】を切った。

「ポン」

 染谷まこがそれを鳴いた。すかさず菫の自摸番が回ってきた。

(私の安牌を減らす作戦か……いいぞ、それでなくては染谷らしくない)

 菫は、再び郝の現物を捨てた。

 15巡目、郝は自模って来た牌を、一瞬だけ菫の死角に隠してから切った。【四索】であった。

(……今、待ちを変えたのか?)

 現物を切り尽くした菫は、郝の妖術にかけられていた。

 

 

 臨海女子高校 控室

 

「【四索】で待っていたように見えますよね?」

「そうだね、あれが郝の怖さだよ。今でも見分けがつかないもの」

 ネリー・ヴィルサラーゼは、雀明華の質問に困り顔で答えた。実際のところ、ネリーは郝の単騎待ちが大の苦手であった。1巡や2巡ならば何とか外すこともできる。だが、それ以上となると非常に苦しくなるのだ。今のような牌のすり替えトリックを使われると、完全に逃げ場がなくなってしまう。

(多分、弘世菫は、私と同じロジックで同じ間違いを犯すだろうな……)

「考えに考えて自摸切りに逃げる。郝の噂を知っているのならなおさらだよ」

 辻垣内智葉の言葉にネリーは顔を引き締めた。そして、その言葉通りに菫は郝に振り込んだ。それは、なんの変哲もない牌【八筒】であった。

「4連続振り込みデスネ……」

 信じられないものを見る顔つきでメガン・ダヴァンが言った。

「この、強靭な精神力はなんだ? 普通なら戦意喪失じゃないか?」

「彼女は、次のタクティクスを考えてマスネ」

「ありえないやつだな……」

 アレクサンドラ・ヴィントハイムとメガンの会話は、ネリーの痛い所を突いていた。運の波を読むネリーにとって、この状況は、まさに戦意喪失する事態であったからだ。ところが、このモニターに映っている白糸台の次鋒は、そんなことを微塵も感じさせていない。

(弘世菫……化け物か)

 

 

 決勝戦 対局室

 

 手牌が郝慧宇に読まれているならば、それ以外の牌を切ればいい。そう考えて弘世菫は、自摸牌の【八筒】を切った。だが、あり得ないことに、郝はそれを待っていた。

(偶然か? あるいは私が自模る牌が分かっていたのか? ――どっちにしろ、このオプションは使えない)

 非科学的な2択ではあったが、菫にとっては、僅かでも可能性が有ればそれは現実であり、そして、危険性が高ければ回避するのが正解であった。チームメイトの宮永照や姫松高校の末原恭子のように、検証を繰り返すことは無意味であると思っていた。

「チー」

 南二局8巡目、菫は、染谷まこの捨てた萬子を鳴いた。これで一向聴。

(先ずは、郝より先に聴牌することだ)

 同巡、郝の自摸、彼女はすばやく牌を取り、その牌は手牌に入った。そして、トリッキーな動きで萬子を捨てた。

(まだだ、まだ郝は聴牌していない)

 9巡目、まこが捨てた【八索】を郝がポンした。菫の自摸番が飛ばされた。

 11巡目、菫は、三色同順を聴牌。その捨て牌の【一索】を、すかさず郝が副露した。

「チー」

 郝の呼吸が乱れた。ついに追いつかれてしまった。

(【八萬】【八筒】が見えていないし三色同刻か? あるいは染め手。まずいな……ドラも1枚あるし、最低でも7700か)

 菫の決断はすばやかった。今度は普通に降り切ればいい。そう考え、そう行動していた。

 そして17巡目、安牌は残り1枚、郝が序盤に捨てた【三萬】だけであった。とはいえ、その牌は切れない。相変わらず気配は読めないが、松実宥が待っている牌に思えたからだ。

(考えろ! 考えて使えるオプションを切り分けろ!)

 菫は、郝の待ち方を3種類に分けて考えていた。

 一つ目は地獄待ち、あえて確率の低い待ちでそれを誘導する。

 二つ目は、その逆。残りの牌を考慮して、まだ見えていない牌や確率の高い牌で待つ。

 そして三つ目は、それ以外のすべて、当然ながら最も選択の幅が広い。

(郝は、私が三つ目を選ぶと思っているだろう? そうだよ、そのとおりだ)

 現状は悲観的ではなかった。三つ目の選択肢の牌は、菫が降りた後に自模ってきた牌で、郝は正確に把握できていないだろう。ならば主導権はこちら側にあるはずだ。

 結果、菫が選んだ牌は、場に1枚出ている【二筒】であった。

「ロン、三色同刻、ドラ1 7700です」

 郝は当然のようにそれで和了した。

「はい」

 菫は思った。

(選択肢が間違っていたとは思わない。牌を選ぶ基準が間違っていたんだ。急がなくては……この妖術師を欺かなければならない)

 菫の表情は全く変化しなかった。しかし、彼女の掌は汗にまみれていた。

 

 

 阿知賀女子学院 控室 

 

 モニターの中では、松実宥が南三局を闘っていた。映し出された彼女の手牌は既に一向聴だが、役はなかった。

「これが今の郝慧宇の弱点だよ、面前自摸役無、彼女は読み切れない。まあ、いずれは克服されるだろうけどね」

「じゃあこれもリーチ無し?」

「そう指示してあるよ」

「自摸でしか上がれないならリーチしたほうが有利だよ」

 新子憧は焦れていた。赤土晴絵は、白糸台高校に大きく離されているにもかかわらず攻めようとしない。その戦術に不満を持っていた。

「憧、今朝のミーティングで私は言ったはずだよ、玄と宥は防御にしか使わないって」

「でも、こんな好機を逃すなんて……」

 晴絵は、自己主張を強める憧に10年前の自分を重ね合わせていた。

(この子に私と同じ間違いをさせてはいけない)

 そう考え、あえて厳しい口調で憧に言った。

「何もかも想定済みだよ、弘世菫が早上がりを仕かけてくるのも、郝慧宇が単騎待ちでそれを阻止してくるのも」

「……」

「だから私は宥に、郝が調子づいてきたら弱点を攻めろと命じてある」

「なんの為?」

「決まっているさ、三すくみに持ち込む為さ」

 南三局が終了した。晴絵の目論み通り流局した。聴牌は宥と清澄高校の染谷まこであった。

「麻雀は4人でやるものだよ、三すくみになっても清澄高校がいる」

 憧の思考力の高さに晴絵は微笑んだ。

「そうだね、彼女はワイルドカードだよ」

「ワイルドカード? ジョーカーのこと?」

「そうさ、いいカードだよ、なにせ染谷まこは決して弘世菫にはつかないからね」

 晴絵のその言葉に憧は笑った。彼女から尖った部分が消えていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 次鋒前半戦はオーラスを迎えていた。染谷まこは、なにもできなかった自分の不甲斐なさに腹を立てていた。得点数でいえば、プラス3800点で、郝慧宇の次に良かったが、その内容を考えると、忸怩たる思いであった。

(甘えとった……何もかも部長任せで、自分自身で考えとらんかった)

 まこの頭にある言葉が思い浮かんだ。

(「来年は頼むわよ」)

 長野県大会の初日、自宅への帰りの夜道で、竹井久はまこにそう言った。

(そうじゃの、わしがしっかりせにゃあな)

 今日の結果はどうであれ、来年はそれ以上のものが求められる。宮永咲、原村和、片岡優希、他校が羨むほどの戦力を率いて闘うのだからそれは当然だ。校名も全国に知れ渡り、部員も大きく増加するだろう。とんでもない重責であった。それを久から引き継げと言われていたのだ。そんなことにも気がつかず、呑気にこの場に来ていた自分が嫌になっていた。

(強くならにゃあ……すべてにおいて)

 まこは、そう考えて、唇を噛んだ。

「自摸、三色同順、断公九、ドラ1、1000,2000」

 弘世菫が、1副露で上がった。

(おおう、なんという強メンタルじゃ、一番凹んでいるのにものともしない)

 まこは、菫のその姿に憧れを感じていた。

 

 前半戦終了のブザーが鳴った。

 

 まこは天を仰いだ。照明が眩しかったので目をつむり、そのうえに手をかぶせた。そのまま、しばらくじっとして心をクールダウンした。そして、目を開けた。

 ――郝慧宇は席を離れていて、いなかったが、弘世菫と松実宥は席に座ったままであった。

 

 

「あのう、ご迷惑でなければお話してもいいですか?」

 宥が菫に対して言った。

「いいですよ」

「弘世さんは、とても頑丈なんですね」

「頑丈……ですか?」

「ええ、心がとても」

 菫は、何故か顔を赤くしていた。

「松実さんこそ……心が強い」

 そんな顔で言われた宥も顔が赤くなった。そして、そのまま見つめ合いながら沈黙してしまった。

 まこは、耐え切れなくなり、口を挟んだ。

「なんか、うちの咲と和をみているようじゃのう」

「咲ちゃん?」

「和ちゃん?」

 菫と宥が同時に言った。2人は、また、見つめ合ってもじもじしていた。

 まこは、それを見てポリポリと頭をかいた。

「なんじゃ、弘世さんは咲のことを知っとるんか?」

「直接は知らないが、照から宮永咲がなんであるかは聞いているよ」

「なんか、わしの時は松実さんと話し方が違うのう」

 菫は、冷たい表情になり、まこと向き合った。

「染谷、お前には失望したよ」

「え……」

「あの打ち方はなんだ? お前の持ち味が出せていないではないか」

「うう」

 きつい言葉であった。しかし、それによってまこの憧れは更に強くなった。

「……弘世さん」

「なんだ」

「弘世さんは、大学でも麻雀はやるんかいの?」

「そのつもりだが」

 まこは最高の笑顔になり、菫を睨みつけた。

「追いかけてええか? 今日は勝てんかもしれん、じゃけど、次は必ず勝つ」

「守れるのか? その約束を」

 菫は、真剣な表情で問いかけた。

「はい、必ず」

 その答えに菫は頷いた。

「ま、松実さんは原村和を知っているのですか?」

 菫が宥に質問した。その変貌ぶりに、まこは開いた口が塞がらなかった。

「和ちゃんは、中等部でしたけど、阿知賀に1年間いたんですよ」

「へえ、それじゃあよく知っているのですね」

「いえ、私はあんまり。だけど妹の玄がよく遊んでいました」

 菫は、宥に笑顔で語りかけた。

「麻雀をやる女子というのは特殊なのですね。原村君の件にしても、うちの照と咲ちゃんにしても、偶然とは思えないシンクロが起きてしまう。広い日本ですが、そういったフィルターをかけると狭いのですね」

「なにか、素敵な言い方ですね」

「そんな……」

 菫は下を向いて赤面していた。宥も同じであった。――まこは、もう我慢できなかった。

「あのなあ、あんたら……」

「染谷!」

「はい?」

「上級生には敬語を使え」

 まこは、どこかで聞いた科白だなと思ったが、マナーとしては正しいのでそれに従った。

「はい、すみませんでした」

 ふと横を見ると、郝慧宇が休憩から戻っていた。

「席替え……」

 郝は、牌をめくった。【東】であった。

「楽しそうだった。なに話してたの?」

「ああ、弘世さんの心臓には毛が生えているって話じゃ」

 まこの軽い反撃に、菫は眉をひそめる。

「私もそう思う……」

 顎に指をあて、少し考えてから、郝はその発言をしてしまった。

「キンタマ」

 場が凍り付いた。3人とも、文字通り動けなくなっていた。

「弘世は、キンタマが大きい」

 10秒後ほどであろうか、真っ先に解凍したのは、やはり菫であった。

「あの……それをいうのなら、肝っ玉では?」

「そう! それ! 私、何て言った?」

「……」

(も、もうだめだ……こらえきれんわ)

 まこは、雀卓を叩いて大声で笑い出した。

 

 

 清澄高校 控室

 

「染谷先輩、なんだか楽しそうですね」

 画面に映し出されている光景を見て、原村和が言った。

「ええ……ほんとに」

 答えた竹井久の顔はにこやかであった。それを見て、不思議そうに片岡優希が質問した。

「本当に行かなくてよかったのか? 先輩、苦戦してるじょ」

「いいわ、もう大丈夫よ」

 そう言ってから、久は、1年生の4人を、まじまじと見つめ、ニッと笑った。4人の頭のうえには、疑問符が浮かんでいた。

(まこ、大丈夫よ、あなたは来年もここに来られる。今日の失敗は、必ず来年返して。1万や2万、削られたって平気よ、私が何とかする。だから、次の半荘は、これからの踏み台として使って)

「部長……ニヤニヤしてるよな?」

 須賀京太郎は、久の笑いが理解できなかったので、他の3人に確認してみた。

「なにか可愛いものでも見つけたのでしょうか」

「可愛いもの?」

 宮永咲が和に聞いた。

「ほら、テレビなんかで、可愛い犬とか見ると顔がニヤけませんか?」

「あー、分かる」

「私は猫のほうが好きだじょ」

「あのなあ……染谷先輩は犬猫の類かよ」

 京太郎は、女子の感覚にはついていけないと考え、脱力していた。

 ――後半戦は既に開始されていた。

 

 

 決勝戦 対局室

 

 次鋒後半戦の席順および持点数は以下のとおりである。

 

 後半戦 東一局

  東家 郝慧宇

  南家 弘世菫

  西家 松実宥

  北家 染谷まこ

 

 後半戦 東一局開始時の各校の点数

  白糸台高校   171600点

  臨海女子高校  105100点

  清澄高校     64600点

  阿知賀女子学院  58700点

 

 白糸台高校は2万点弱のマイナスであったが、阿知賀の得点をほぼ防ぎ切り、最低限のミッションはクリアしていた。

 その阿知賀女子学院も得点は微増だが、松実宥に与えられた仕事は現状維持なので、これも予定に沿っていた。

 約1万5千点増加した臨海女子高校ではあるが、それは満足できる数字ではなかった。 

 そして、清澄高校。点数はともかくとして、他校に自由に打たせているという点で、作戦は失敗していた。

 それらの結果によって、各校の戦術は修正され、後半戦に突入した。

 

 それは、まれに見る神経戦であった。前半戦後半からの三すくみの構図は継続されており、自分の役割を把握した染谷まこが、それに加担し、約半分が流局となった。結果、後半戦は以下の流れで進んだ。

 

 東一局      流局     聴牌 弘世菫

 東二局      流局     聴牌 弘世菫、郝慧宇

 東二局(一本場) 松実宥    5500点(1400,2700)

 東三局      染谷まこ   3900点(郝慧宇)

 東四局      流局     聴牌 弘世菫、郝慧宇、松実宥

 南一局      郝慧宇    12000点(染谷まこ)

 南二局      郝慧宇    8000(2000,4000)  

 南三局      流局     聴牌 弘世菫、松実宥

 南三局(一本場) 弘世菫    4300点(1100,2100)

 南四局      流局     聴牌 郝慧宇、松実宥

 

 後半戦 終了時の各校の点数

  白糸台高校   174700点

  臨海女子高校  120200点

  阿知賀女子学院  61600点

  清澄高校     43500点

 

 次鋒戦の終わりを告げるブザーが、大きな音で鳴った。

 

「有難うございました」

 染谷まこは、深々と弘世菫に礼をした。

 完敗であった。最下位にも転落した。しかし、今、菫から貰った言葉が、染谷まこを悲観的にさせていなかった。

(「私は約束を守らない人間は嫌いだ。だから必ず守れ。2年後を楽しみにしている」)

 まこが一方的にした約束への回答であった。自分に対しては最後まで笑顔を見せなかったが、その言葉には優しさが感じられた。まこは、目標となる人物を見つけることができたのだ。

(じゃが……)

 階段を松実宥と仲良く並んで降りていく菫を見て、まこはげんなりしていた。

 

 

 決勝戦 テレビ中継 実況席

 

 試合は休憩時間となったが、中継はまだ続いていた。小鍛冶健夜と福与恒子は次鋒戦のまとめを行っていた。

「次鋒戦が終わりましたが、何とも疲れる試合でしたね」

「はい、点数では計れない様々な要素の闘いがありました」

「それは、どういったものでしょうか?」

 健夜はその質問に、すぐには答えなかった。僅かに考えて話を変えた。

「団体戦で最も重要なポジションはどこだと思いますか?」

「やっぱり大将でしょう」

「そうですね、大将は大事です。先鋒もそうでしょう。でも、最も大事なのは次鋒だと、私は考えています」

「なぜですか?」

「試合の大勢はだいたい次鋒戦で決します。リードしていればそれを盤石にする。劣勢ならば中堅以降の足場を作る。それが次鋒の役割です。できなければ混沌とした状態や、諦めムードが漂う展開になってしまいます」

「この決勝戦はどうでしたか?」

「白糸台高校の弘世菫選手は、点数を大きく失いましたが、簡単にはいかないという意思を他校に見せつけました」

「後半戦の流局の連続でも、常に聴牌を維持していましたね」

 恒子の良い反応に健夜は笑顔で頷いた。

「臨海女子高校と阿知賀女子学院の2人は、それぞれの役割を果たしたと思います。それは、点差の縮小と点数の維持です」

「阿知賀は維持でいいのですか? まだ10万点以上差がありますが?」

「赤土監督は、それでよしと判断したのでしょう。松実宥選手からは、得点を稼ごうという意欲が見られませんでした」

「清澄の染谷選手はいかがですか? やはり大きく失点しました」

「ここが胸突き八丁です。中堅、竹井選手に期待しましょう」

「その中堅戦ですが、見どころを簡単にお願いします」

「怪物が1人います。その子には、4分の1の確率で私も勝てないかもしれません」

 健夜の表情に、恒子はただならぬものを感じていた。

「小鍛冶プロ、それはだれですか? 雀明華選手ですか?」

「いいえ、雀明華選手ではありません。その子は常識の範囲外にいます」

「……」

「分からない……全く分からない。白糸台高校 渋谷尭深という存在が……」

 それは、小鍛冶健夜が初めて見せる不安の表情であった。

 

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