東方月兎騙   作:水代

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第四話 ウサギ怯える

 

 

 ざわ…………ざわ…………

 

 何だか騒がしい。それが私が綿月の屋敷に来て最初の感想だった。

 と言っても普段の綿月の屋敷の様子をほとんど知らないので、もしかするとこれが日常なのかもしれないが。

 月のリーダーである綿月姉妹(王は月夜見様だが、実際の治世を取り仕切るのは綿月姉妹なのでリーダー)である、当然のごとく月の都市の中に屋敷の一や二つ持っている。

 ただ、豊姫様も依姫様も同じ家で二人だけで住んでいるので普段は屋敷は使われていない。

 そんな屋敷を使う時、それがだいたい三種類に分けられる。

 一つが自宅ではできない仕事をする時、一つが人を招く時、一つが緊急時一族が集まる時だ。

 と言っても緊急事態と言うものに私は遭遇したことが無いので、当然そういう用途で使われているのも見たことは無い。

 と、なると今日はどちらだろうか?

 私を呼ぶ、と言うことは仕事はもう終わっている? となると誰かを招いた後?

 それにしては何だか皆慌しい気が…………。

 

「…………おや、レイセン。こんな時にどうかしたのですか?」

 

 聞き覚えのある声に振り返ると、依姫様がとある一室から出てきたところだった。

「依姫様…………豊姫様に呼ばれてきたんですが、今日何かあったんですか?」

 そう尋ねると、依姫様が…………珍しく困ったよな表情をして答える。

「そう、ですね…………あった、と言うか、これからある、が正しい表現ですね」

「これから? まだこれからお客さんが来るなら私は帰ったほうが良いですか?」

 豊姫様に気に入られ、ペットとして扱われようと、私が玉兎であることは確かであり、どれだけそうは見えなくともこの月で玉兎が奴隷階級であることには間違いない。

 わざわざ綿月の屋敷にやってくるほどの人…………そんな人が来るのに私がいたのではマズイのではないだろうか、と思って言ったのだが、依姫様は数秒沈黙し、ふと私を手招きする。

 歩み寄ると、依姫様は私を今自身が出てきた一室に通す。中はどうやら和室のようだ。薄暗いが私の眼ならはっきりと見える。

 と、よく見ると廊下側の扉の反対側にも戸があり、どうやら向こう側は大きな座敷になっているようだった。

「えっと…………? ここで何かあるんですか?」

 状況が飲み込めず、そう尋ねると、依姫様が「しぃ」と人差し指を口元に当てこちらを見てくる。

 一体どうしたと言うのか…………しばらくの沈黙が続き、私がもう一度尋ねようとしたその時。

 

「命月様がいらっしゃいました」

 

 声が聞こえた。多分屋敷の使用人の人の声。

 それが、隣の部屋から。

 そうして。

 

「そうですか…………ここに通してください」

 

 聞いたことのある声がそれに続く。

 そう私はこの声にとても聞き覚えがある、と言うか自身の飼い主を間違えるはずも無い。

「豊姫様の声…………?」

 思わず依姫様のほうを向くと、障子に遮られた向こうを見たまま動かない。

 そうして気づく…………その眼差しの険しさに。

 豊姫様が座敷にいて、その隣の小さな和室に依姫様が隠れている。

 そう考えるとより状況が分からない。

 何故依姫様は豊姫様の隣にいないのか?

 仮にも綿月の人間で、月の軍隊のトップだ。豊姫様と一緒に客人に会ってもなんらおかしくない。

 だと言うのに、その依姫様がこうして隠れながら聞き耳を立てている理由。

 

 とまあ考えてみても情報が少なすぎて推察することもできない。

 とりあえずその客人とやらが来るのを待つしか無いだろう。

 

「失礼します」

 

 と、その時聞こえた聞き覚えの無い男性の声。

 その声を聞いた瞬間、依姫様の視線が一層きつくなる。

 なるほど、この人がお客さんか、と思いつつ聞き耳に集中する。

 

 

『…………………………お久しぶりで御座います。豊姫様』

『ええ。そうね…………それで? 今さら何か用かしら? “山幸彦”様?』

 

 山幸彦? 聞いたことの無い名前だが…………隣の依姫様を見て、いいから黙っていろ、と言うニュアンスの視線をもらったので大人しく口を閉ざす。

 

『火遠と…………呼んでは下さらないのですね』

『はあ…………今さら私とあなたの間にそのような親しげに呼ぶような関係性でもあるのですか?』

『………………………………いえ、失言でした』

『そうね、それで用件は? これが二度目よ? 言わずもがな、三度目はありませんよ?』

 

 この人は…………本当に豊姫様なのだろうか?

 そんな疑問が脳裏を過ぎる。

 私の知る綿月豊姫様と言えば、もっと明るく元気で、それでいて思慮深く、けれどどこか子供っぽく、いつだって楽しそうに笑っておられる方だ。

 だが今聞こえるこの声の主はどうだろうか、相手を人ではなく…………そう、まるで虫と会話しているような、冷徹なんて言葉では表せない、そうまるで相手を見ていない。眼中に無い、などと言う言葉があるが、それを突き詰めたような…………そんな声色だった。

 好きに対極は無関心だと言うが………………一体この相手は豊姫様に何をしてここまで行き着いてしまったのだろうか。

 自分に向けられた言葉でも無いのに、自分に向けられた声でも無いのに。

 冷や汗が止まらない。

 背筋が凍りつく。

 体の震えは収まらず、歯がカチカチと音を立てる。

 

『兄上様…………命月火照がまた行動を起そうとしています』

『……………………』

 

 その言葉で、座敷の温度が三度は下がった…………そう錯覚するくらい冷ややかな殺気が豊姫様が溢れていた。

 殺気など言葉にしてみれば簡単だが、抽象的過ぎて言葉では分からないし、けれども実際に体感するのは非常に難しい。

 まず相手が感じ取れるほどの感情を発露する機会が無い。それも殺意となると今の平穏な月では有り得ないと言っても良い。

 私自身、訓練中に依姫様が放ったものを数度感じただけだが…………これはその比ではない。

 文字通りの桁違い。

 今すぐ逃げ出したい…………もしこれが自身に向けられたものだとしたなら、とっくに気を失っているだろう、それほどまでに強烈な殺意。

 

『……………………それで?』

『………………え……は?』

『それで…………あなたは私にそれだけを伝えに来たのかしら?』

 

 障子戸に遮られて向こうの様子は見えない…………だが、きっと相手の顔は蒼白になっているのだろうと簡単に予測できる。

 特に命月火照と言う名前が出てきた瞬間、依姫様の表情が一変し、けれど必死に隣に気配が漏れないように気を使い…………それでもビンビンと感じる威圧感。きっとそれを素直に曝け出している隣の部屋はもっと大変なことになっていることは想像に難くない。

 

『…………単刀直入に言います。兄上様を止める際に、綿月のお力を借りたい』

『…………………………………………』

『…………身内の恥故本来は私たちだけで、と言いたいところですが、事は月の都全体に及びます。故にこうして、恥を忍んで参りました』

『…………恥を忍んで、ねえ………………』

 

 くすくす…………豊姫様の笑い声。

 いつもと同じ声のはずなのに。

 どうして今日はこうも…………背筋が寒くなるのか。

 きっとこの時障子の向こう側が見えていたら一つ訂正が入るだろう。

 これは笑い声などでは決して無い。

 

 嗤い声。

 

 相手を貶めるための…………相手を嘲笑う声。

 

 嘲笑だ。

 

『ねえ』

 

 自業自得って言葉は知ってるかしら?

 

 重苦しい沈黙が…………座敷を包んだ。

 

 

 




命月と言う名前は割りと適当につけましたが「火遠」と「火照」はちゃんと神話から付いてます。けど調べないでくださいね? ネタバレでしか無いですし。

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