伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚 作:OTZ
―1957年 2月23日 午後9時 カルミア邸 寝室―
式を終えて、諸事を済ませるとオーキドとカルミアの二人は寝室に居た。
この日、二人は初夜を迎えるのだ。
式を終えてから二人は最低限の会話を除き殆ど会話をしていない。緊張もあったのだろうが互いにとってヤナギの存在があまりにも大きすぎたのだ。
気まずい雰囲気のまま二人は寝室を共にする事となった。五分ほどたっただろうか。オーキドの方から話し掛けた。二人は布団の上でそれぞれ正座している。
「カルミア……さん」
「っ……」
カルミアは電撃にでも打たれたかのように少しだけ身を震わせる。
「あの……」
カルミアは一呼吸置いて答える。
「も、もう。オーキドさ……貴方ったら。私たちはもう夫婦なのですよ? そんな他人行儀な呼び方はよしてくださいまし」
カルミアはそう笑って答えた。が、その実はあまり芳しくはなさそうだ。照れではなく、根底では嫌悪感を持っているかのように接している。
「やっぱり……まだ忘れられないんですか。ヤナギのことが」
カルミアはそれを尋ねられると脊髄反射のように答える。
「い、いいえ! とんでもありませんわ。あの方とのことはもう過去の物として忘れ去りましたわ」
「そうですか……。いえ、だったらいいんです。仮にそうでなかったとしても……俺がヤナギのことなんか忘れさせるくらい幸せにすればいいだけのことです」
彼女はそれを聞いて
「ですから、私はヤナギさんとのことはもう……」
「分かってます。でも、そうとでも自分に言い聞かせないと……あいつへの申し訳なさというか、劣等感というか……そういうのに押し潰されそうになるんです。現に俺はヤナギから奪い取るような形で……」
途中でカルミアが断ち切るような大声で言う。
「やめてくださいっ! 私は本当にヤナギさんとのことは忘れました。今では貴方の為に尽くすと決めたのです」
「その言葉に嘘はない……ですよね」
「ええ」
カルミアは震えを止めてしっかりと答える。
「そうですか……じゃあ」
オーキドは詰め寄ってカルミアの手を取る。
「カルミ……カルミア。行くぞ」
オーキドはつい敬称をつけて言いそうになってしまった為かすぐに言い直した。
「はい……」
こうして二人は布団へ倒れ込んだ
─午前1時 同所─
二人は褥を共にし、一通りの行為を終えた後一緒の布団で横になっていた。
二言三言かわしたのちオーキドが切り出す。
「お前……処女じゃなかったのか」
「えっ……」
「破瓜の血が……出てなかったぞ」
カルミアはやはりきかれたかとばかりに一瞬瞳孔を収縮させる。
「やっぱりヤナギと」
「ち、違いますわ! あの……女性によっては血が出ないということもありますし……」
「……」
その程度のことで納得するはずかない。オーキドは学生時代金回りの良さや人当たりの良さなどで異性からの人気も高く、中には手を出す事もあった。
その中には勿論処女もおり、彼はその特徴について熟知とまではいかずともそれなりの知見があった。
「ほ、本当ですわ! それに私は小中高時代多くの習い事やお手伝いなどをしていましたし、激しい運動で破れてしまった可能性もありますわ」
カルミアがこれほど必死に説明しているのは、高家特有の慣習である覗き見があるからである。
親戚一同にもしも処女でないことが知れ渡れば傷物の嫁に婿をやれるかと破談の可能性が出て来てしまう。一度婚儀をあげた以上それをなかったことにしてしまうのは家名に泥を塗ることにもなりかねない。
「そうか。分かった。俺はカルミアを信じる。変なこと聞いて悪かったな」
オーキドは真実を知るのが怖いのか、彼女を気の毒に思ったのかそれ以上の追及をしなかった。
こうして、二人の初夜は終わった。
――――――――――――――――――――
それから10か月後、12月に第一子が生まれた。
これがスズノメでありエリカの母親であるが、本当の父親が誰であるかは不明である。
DNA鑑定が発達していない時代である為父親が特定するのは難しいというのもあるが、何よりも真実を知るのを恐れたオーキドにそれを行うことは不可能であった。
外から見れば終始円満な夫婦に見えたかもしれないが、家庭内では冷え切っていた。事務的な会話以上の事をすることは少なく、性交もオーキドが誘ったときだけである。
しかし、オーキドはそれでもカルミアの事を精一杯愛した。時折旅行に連れて行ったりプレゼントをあげたり、感謝の言葉を忘れなかったりと彼の考えられる限りの事をした。カルミアも我が子のためにもそれに心から応えようとヤナギのことを忘れようと、この結婚は自分から進んで受けたんだと思うように努めていた。
しかし───
─1967年 7月13日 午後3時 グレン島─
カルミアと生木を裂くような別れを遂げてから十年が経過した。
あれからヤナギは故郷のチョウジタウンに戻って人身をさらに鍛えるために忍術の修行に取り組んだ。ヤナギの精神の根本である忍従や冷徹な精神はここで培われた。
そして十年ほどの修行を経てヤナギは上忍の資格を得た。その間の1962年にヤナギはホウエン地方出身の女性と結婚。カルミアと別れて以来漸く生気が戻ったのだ。因みにこれがナギの祖母にあたる。この夫婦は3人ほど子どもを産んでいるがそのうちの長女がナギの母親である。
そして1967年、ふとまた旅に出たくなる衝動に駆られてヤナギはまたも家を出た。ジョウトを巡ってカントーへ渡るといつの間にやらグレン島にいた。この時ヤナギは34歳になっている。
特に当てもなく町をふらついているとどこからか懐かしい声が聞こえてきた。
「おおおい!! ヤナギ! ヤナギじゃないか!!」
背後から大きな声がしたので彼は振り返った。するとそこには大分顔つきが変わったものの面影はしっかりと残っている青年が居た。
「カツラ……カツラ君か! 久しぶりだな!」
「あぁやっぱりヤナギか! いやぁ大分変わってたから不安だったんだが……良かった良かった!」
カツラは笑いながら三度くらい大きくヤナギの肩を叩く。相変わらず元気が有り余っている男だと彼は思った。
それから二人は意気投合して昼間だというのに飲み屋へと繰り出した。
カツラはあれから地方を回って得た知見を地質学や科学的視点からアプローチした論文をタマムシ大学へ提出し、高い評価を貰って学費免除での入学を許可された。
そこで知り合った同期のフジと共にグレン島の火山についてや古代ポケモンの復元を研究することなどを主目的とした研究所を設立して現在にいたるという。因みに結婚はしておらず男色のままらしい。
ヤナギはそんな彼の事跡に感心しつつ、タマムシで別れて以後の自らの境遇を話した。カルミアとの事も含めてである。
「むぐぐ……許せんなその親父とかいうのは! 何が身分だ! 二人が好きだというのなら思いの通りにさせてやればいいじゃないか!!」
カツラは酒が入っているせいもあるのか大いに憤慨していた。情を重んじる彼からすればこのような大人のしがらみで事が潰されるというのは許しがたいことなのだろう。
「まぁ仕方がないよ。彼女は僕らみたいな一般市民とは訳が違うんだから」
「何が違う物か! だいたいな、ヤナギ、お前も良くないぞ。そんなに彼女のことを思うのならば引き下がっちゃダメだろう! いっそのこと駆け落ちをしてでも抗議するとか方法はあったはずだ!!」
「僕もそれを考えたさ……でも、彼女はそれを拒んだんだ。ジムの人々に迷惑がかかるからってね……」
「そうか……。それならば仕方がないな」
カツラは一呼吸置いてそう答え、置いてあった七杯目のジョッキビールを一気飲みした。
「くそう……。それでも納得がいかんぞ俺ぁ……。なんでそんなくだらんことで恋人が別れねばならんのだ……」
カツラは目を据わらせて話す。真っ赤な表情から出来上がってしまっていることは確かである。これ以上この話を続けると暴れそうな危険性もあったのでヤナギは話を切り替える。
「そういえば、お前は何処のジムリーダーが一番辛かった?」
「あぁ? そうだな……フスベのゲンジとかいうドラゴン使いがアホみたいに強かったな。若いからって甘く見すぎたぜ」
ゲンジはイブキから数えて二代前のジムリーダーであった。そして、22歳の頃にホウエンから自分の腕を試すためにフスベへいき、戦災によって亡くなったジムリーダーの跡継ぎ争いに介入。圧倒的な実力を以て他候補者を破りそれ以来2004年にホウエンの四天王となるまで五十年以上にわたってリーダーの座に君臨し続けたのだ。
「あぁあの人かぁ……。うん、確かに強かった。特にホウエン地方に生息しているあのボーマンダとかいうポケモンには手を焼いたよねぇ……」
それから二人はジム巡りをしたときやポケモンを捕まえたときの話に花を咲かせた。三時間くらい経っただろうか、ヤナギがふと呟いた。
「はぁ。こういう経験がもっと社会にいかせりゃいいのになぁ……」
それを聞いてカツラはこう返す。
「そうだな……お! いいこと思いついたぞ!!」
「何だよ」
「ジムをまとめてリーグ形式にしてしまえばいいんだ! そうすればトレーナーそれぞれがどのジムを破ったかわかりやすくなるだろう?」
「ふん……なるほど。でも、それを誰が決めるんだ?」
「俺たちだよ!」
カツラは輝いた目でそう言った。
「ハアッ!? 何言ってんだよ」
「地方ごとにジムをひとまとめにして、公認を与えるんだ!」
「さしずめ、“ポケモンリーグ”と言ったところか……」
「そうだ! ジムの上にポケモンリーグを置いて、その地方の全部のジムを破ったトレーナーにはお前と戦ってもらって一定以上の戦果をあげたものにはその地方の優秀トレーナーとして認めることにしよう!」
「なるほどなぁ……旨いこと考えついたもんだ。分かった僕も協力するよ」
「いや、これはヤナギ、お前が主体になって欲しい」
「どうしてだ」
「どうしてもこうしても、トレーナーとしての名前はお前の方が売れているからな」
「ハハハ……まぁそうかもしれんな。しかしカツラ君、これはとんでもないことになるぞ……。これでポケモントレーナーの株が一気に上がるかもしれない」
こうして、酒場の思いつきからポケモンリーグは始動したのだ。
ヤナギとカツラは一年がかりでジムリーダーに依頼してリーグの構成員になることを求めた。内国ほぼすべてのジムを破ったヤナギの頼みであること、高度経済成長期真っただ中で新進気鋭の気風に満ち溢れていた事などで賛同するものは多くスムーズに話は進んだ。
そして、1968年10月。ポケモンリーグはカントージョウト35ジムの体制で発足した。(一つの町に複数のジムがあることは珍しくなかった)
これはポケモンの世界にとって、そして日本国全体にとって革命的な出来事であった。これによってポケモンジムやトレーナーなどの価値が爆発的に上がり、教育界もこれにあわせて学制を大幅に変えることとなる。(6・3・3・4制→4・5・3・4制)
そして、ヤナギが理事長から引退する1980年代末にポケモンリーグはこの国において確固たる地位を確立することとなった。(バッジ制、四天王や一地方8ジム体制はヤナギ時代に確立された)
─1978年 4月30日 スリバチ山─
ヤナギがポケモンリーグで成功した事は仮面夫婦状態にあった二人にとって深刻な影響を与えた。
ヤナギはどこかで細々と生きているか野垂れ死んでいることをある種の前提として生きてきた二人にとって最早夫婦関係を存続させる理由がなくなってしまったのだ。
しかし、ヤナギは既婚者だということ。それ以上に家名に泥を塗らない為に離婚する訳にもいかず冷え切った関係が10年近くものあいだ続いていたのだ。
これは外部の人間には全くと言っていいほど漏れておらず屋敷の人間の中でも徹底した緘口令が布かれるほどである。一方でこれは二人の仕事にとってはその反動か良い結果を生んだ。オーキドは史上最速と囁かれるほどのスピードで教授職に登り詰めた。カルミアはタマムシジムを見事に戦前と同等かそれ以上なほどに復興を果たして見せ、リーグ公認の座を勝ち取った。
オーキドはこれより2カ月ほど前にカルミアの日記を見つけ、欲望に負けて中身を見てしまった。
中身はオーキドに対する感謝は多少は書いてあったものの、大半はヤナギに対する思いや後悔の念が綴られている。ヤナギに対する後ろめたさや勝手に日記を見た事に対する責めなどでこの事はカルミアには告げなかったもののオーキドにとってはショックの他なかった。
しかし、それでもオーキドはカルミアを愛し続けていた。かつてあれだけ憧れていた女性がどんな思惑を抱いていようと自分の側に居て夫婦で居てくれているという事実だけでも彼にとっては大きな幸せだったのだ。
そして、ゴールデンウィークを迎え、家族旅行の一環でスリバチ山へと行っていた。
―午後2時 山頂―
中腹にある休憩所で昼食を食べ、オーキド、カルミア、娘のスズノメはロープウェーを使って山頂にたどりついた。
一家のいる方向は西側であり、目下には緑が、遠方にはエンジュ市街が見え非常に風光明媚な所であった。そんな景色に見惚れていると、カルミアが足場を崩した。
「あ」
これが、オーキドの聞いた妻としての最後の言葉だった。
それからすぐに凄まじい土砂の音と共に彼女は300mほど落下する。
「お母様……お母様ぁぁぁぁ!!」
スズノメは状況を把握し母親をしきりに呼び続けた。
無意識に足場の崩れた場所に彼女が行こうとしたのでオーキドは肩を押さえて必死に止めた。
「スズノメ。母様は大丈夫だから落ち着きなさい。だがすぐに救急車を呼ばなくては……」
オーキドは近くにあった公衆電話から救急車とレスキュー隊を要請する。
あたりは騒然となり、しきりに母を呼ぶ娘の慟哭が渓谷にこだました。
―5月7日 タマムシ大学病院 723号室―
彼女は昨日集中治療室から出てきた。どうにかこうにか医師たちの尽力で死は免れたものの、植物状態に近い状態であることが宣告された。いつ戻るかは予測できないという。
オーキドはしばらく教授としての仕事を休み、あれからつきっきりに彼女についていた。スズノメはただでさえ病弱なのに母親の事故を受けて部屋で寝込んでしまった。
そうしているとヤナギが見舞いの品を持ってやって来た。
見舞いの品を置くと、話があると言うのでオーキドはそれに従う。
―7階 待合室―
二人はソファーに座る。
「とんだことになったな……。カルミアの容体はどうなんだ」
ヤナギがオーキドに尋ねる。
「ああ……一命は取り留めたが、医師が見せてくれたレントゲンを見る限りだと脳幹は無事だが他が芳しくない。特に頭を強く打ったせいで大脳の損傷が著しい。典型的な植物状態に近い状態であることは確かだ。いつ意識が戻るのかさっぱり見当がつかん」
「そうか……。生きているだけ本当にもうけものだぞ。あの高さから落ちて助かるなんてそうそうない」
「確かにそうだな……。ところで話ってなんだ」
ヤナギは顔をしかめて神妙な表情で切り出す。
「タマムシジムの事なんだが」
「うむ」
「カルミア女史があんなことになってしまった以上、代わりのリーダーを立てる必要がある。このジムの場合、慣習から娘であるスズノメ女史に継いでもらうのが筋なのだが……、今は確か」
「ああ……相当なお母さんっ子だからな……。あの事件以来ずっと寝込んでしまってる」
「やっぱりそうか……。ジムに聞いてみても要領を得ない返答しか返ってこないから何事かと思いきや」
ヤナギはそう言って天を仰いだ。
「それで?」
「このままだとトレーナーがバッジ集める際に支障が出てくる。だから、三週間以内にどうにかズズノメ女史を説得してリーダーを継ぐようにしてほしい。さもなくばリーグ法に基づきタマムシジムの公認を外さなければならなくなる」
「分かった。私からも言っておこう。ただ恥ずかしい話娘はあまり私の事を好いてはいないみたいでな……。良い返事をやれるかどうかはわからないぞ」
「それでもいい。私やジムトレーナーからもどうにか復帰してもらうよう頼んでみるつもりだ」
「そうか……」
「私としてもポケモンジムの中で長い歴史をもつタマムシジムを公認から外したくはない。早々に立ち直ってリーダーを継いでくれると助かるのだが……」
ヤナギはそう呟く。
「それにしても、お前も随分と偉くなったもんだな……」
オーキドが恨み半分な調子で言う。
「お前こそ。ポケモン博士として大分名をはせているそうじゃないか」
「ま……ぼちぼちだけどな」
「やっぱりあの父の言うとおりだったな……カルミア女史はオーキドと結ばれるべきだったんだ」
「へぇ」
「家庭を持ち、守るべきものができた今だからこそあの人の言っていたことの意味がしっかりと分かる。そりゃ、お婿さんにはちゃんと稼いでいて社会的な地位がある人に来てもらいたい……って」
「……」
「オーキドはどうだ? 彼女と暮らして幸せだったか?」
「あ……そら、もちろんだ」
「そうか……。きっと同じ事を思っているだろう。おっと、そろそろ行かないと。じゃあなオーキド」
そう言ってヤナギは立ち去っていった。
オーキドは深い悔悟の念に包まれた。ヤナギはかつて結婚を反対したカルミアの父親を許すほど精神的に成長、成熟しているのに自らは二十年前で立ち止まったまま何も成長していないのである。
オーキドはそんな重い気持ちに押し潰されそうになりながら、スズノメを説得するため屋敷へと戻っていった。
─────────────
滑落事故はオーキドにとって受難であるほかなかった。
確かに救急隊を呼んだり付きっきりでついたりとオーキドの事後の対応は夫として何ら申し分はないが、事故はオーキドがもっとカルミアに注意していれば防げたのではないかという論調が世間の多くを占めていた。
事後の対応はほとんど知らされることなくマスコミはおもしろおかしく事故に関する検証や特集を多く組みオーキドの見落としを厳しく糾弾した。
カルミアの親戚とは不仲になり、滑落事故から一月半後に離婚。これはオーキドにとってこれまでの仮面夫婦生活に今回の事故がのしかかってきた為それが引き金となったのである。
精神を病んだオーキドはそのままタマムシ大学を休職。これは数年に及びどこぞで隠遁生活を送っていたという。
そしてこの隠遁生活のあいだにオーキドの心中は大きく変わった。ヤナギに対する後ろめたさは激しい憎悪へとかわりカルミアやその娘以下に対しては倒錯した愛情へ、そしてこの状況下に誰も助けてはくれなかった世間に対しては大きな復讐の念を抱くのだ。この大願が全て叶うまでタバコは吸わないと決めたのもこの頃である。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
あれから二十年以上の月日が経過した。
ヤナギとカツラはリーグから身を引いてジムリーダーとなり、昭和が終わりを告げ、ミレニアムや金融ビッグバンなどの言葉が市中を賑わせていた。
そして、カルミアの家にも大きな動きがあった。1993年にスズノメが漸く結婚し、同年の暮れにエリカが生まれた。カルミアは1996年に奇跡的に意識を回復する。
カルミアは1年のリハビリで事故前と同様にまで回復した。その後、育児にさほど熱心でなく多忙であったスズノメにかわってエリカの教育や監督をする事とした。そして、才気煥発な彼女に目をつけて徹底的な英才教育を施した。
エリカは極めて優秀な子どもであった。まず1歳の頃に児童文学を読め始めて基本的な文字を覚え、5歳の頃には普通の大人でも遠ざけてしまうような専門書を読んでいた。そして小学一年生の現在では高校レベルまでの学習分野は全て押さえてしまったという。
しかし、進みすぎてしまった彼女はとっくの昔に覚えてしまった分野をまともに勉強する気が起きなかった。その為授業中は退屈のあまり寝てしまったり、起きていても花の絵を描いていたり古典を読んだりと好き放題であった。テストでは算数は計算問題一つに長々と証明を書いたり、国語ではわざと旧字体で書き取りを回答して見せたり読解問題では出題者が求めていることを大幅に超えた解答をしてみせたりと先生方をほとほと困らせた。
このようなある意味で問題児であったエリカに匙を投げかけていた教師は家族にどうにかちゃんと授業やテストを受けるように指導するように要請した。
―2000年 7月4日 午後0時30分 智院小学校 校庭―
エリカのクラスは給食を終えて、校庭に遊びに出ていた。エリカたちのグループはうんていやブランコなどの遊具で遊んだり、ゴムとびなどをして談笑していた。
「そういえばさ、昨日昼寝してたらいつの間にかうちのしゅん(コラッタのニックネーム)がさー腕にだきついちゃってて、離そうとしても離れてくれなくてさー困った困った」
と、一人の少年が笑いながら話してる。どうみても迷惑そうではない。
「あらあたしのニドちゃんだってこの前弟の持ってるニドくんと一緒にボール遊びさせたらボールが刺さらないようにちゃんとお鼻の先や頭で渡しあってたの! お利口だしとってもかわいかったわー!」
その後も口々にポケモンを持っている子が自慢合戦をはじめた。
この時ポケモンをもってないエリカやその他数名は肩身の狭い思いをしていた。
「どうだエリカ! 羨ましいだろ!」
男子の一人が堂々とエリカに言って見せる。普段勉強で勝てない分こういう所で自慢しようというのである。
「べ……別に羨ましくなんかないですわ」
エリカは精一杯強がってそう返した。
「またまたそんなこといってー。エリカちゃんとこってジムリーダーのお家でしょ? 余ったポケモンとか貰えそうなのに」
確かにそうであるが、カルミアがポケモンを渡そうとしないのである。
「だ、だからそんなポケモンなんて見飽きているから、わざわざ自分で持つほどではないかなと思っただけですわ! 全くポケモンの一匹や二匹如きでほんとお子様ですわねー」
エリカは平然とした顔でそう言って見せたが内心は全くの逆である。
こうして昼休みは過ぎ去って行った。
─同日 午後9時 カルミア邸 居室─
カルミアは小学校にあがって与えたばかりのエリカの部屋に入って連絡帳を見せた。
エリカは正座させられている。
「エリカさん。これはどういう事ですか?」
カルミアは正しい言葉づかいを覚えさせる一環として孫といえど敬語で接している。
「御祖母様、しかしですね授業が退屈で退屈で仕方ありませんもの……。掛け算や割り算なんて2歳の頃には完全に覚えてしまいましたし」
エリカの通っている小学校は日本全国でも随一の名門校である為普通の小学校よりも進み具合が段違いに早い。
「学問というものは基礎を疎かにしてはならないのですよ。例え馬鹿らしいと思ってもしっかりと熟していく事こそが肝要なのです」
「私はもうその基礎を固めたんです! 飛び級を許してくれるのならすぐにでも高校や大学へ行きたいのですけれど……」
この国の教育制度は義務教育、特に初等教育を色々な側面から非常に重視しているためどんなに優秀であっても小学校段階では飛び級が許されていない。(中学、高校は最高でそれぞれ一年ずつの在学が可。つまり二年間である)
「エリカさん。良いですか。学校というものは勉強だけを学びに行く場所ではないのです。学友と学識を高め合ったり知見を広めたり、また一緒に何かを成し遂げたりといろいろなことを学ぶために行く場所なのです。貴女のいる小学校という場所はその初期段階であり、非常に大事な局め……」
「お祖母様。小言は結構です。とにかく、私にとって学校は退屈である他ないのですわ。図書館やジム、博物館に居た方がよっぽど時間を有効活用しているというものです!」
カルミアは言い訳を繰り返す彼女を見て深くため息をついた。
そこでふと、棚の上にあるナゾノクサやマダツボミなどのぬいぐるみが目に入った。
カルミアはクスりと笑って巾着袋から一つのモンスターボールを出して見せる。
「あ……お祖母様! それって……」
モンスターボールを見るとエリカは目をらんらんと輝かせた。
「そう。モンスターボールですね。中にはナゾノクサが入っています」
カルミアは雑用用にたまたまナゾノクサを連れていたのだ。
そして、カルミアはモンスターボールからナゾノクサを出す。
「ナゾ……」
ナゾノクサは少し眠たいのかうつらうつらとしている。
「か、かわいい!」
エリカは反射的に抱きついて頬ずりをしてみせた。
彼女自身、周囲のポケモンを見せびらかしている同級生を見て内心とてもうらやましく思っていたのだ。
「エリカさん。そのポケモンは貴女に差し上げます」
「え……し、しかし良いのですか?」
「ナゾノクサくらい、屋敷の裏庭に行けばいくらでも捕まえられますしね……。但し、条件があります。これからのテストで一番を取り続ける」
「なんですか……そのくらいでしたら余裕ですわ」
エリカはナゾノクサを脇に据え、得意満面になって返す。
「話は最後まで聞きなさい! ……、それで、もう一つの条件は連絡帳にこのような事を書かれないこと、つまりちゃんと授業を受け、先生のおっしゃる事を聞く事です! わかりましたね?」
「は……はい」
自信がないのか、エリカは下をむいてしまった。
「これらをきちんと守れましたら……。学年があがるごとにポケモンをご褒美に差し上げます。但し、一度でも守れなかったらそのナゾノクサも含め全て没収しますからね。分かりました?」
「は、はい!」
エリカは引き締まった表情で答える。
「宜しい。ではもうそろそろ寝なさい。明日も学校はありますからね」
「分かりました。おやすみなさいませ。お祖母様」
エリカは恭しく頭を垂れた。
カルミアはドアを閉めて立ち去って行った。
それからエリカは興奮冷めやらぬ様子でナゾノクサを四方八方から眺めたり、スケッチをとったりした。
そうこうしていると限界を迎えたのかナゾノクサはその場に倒れて寝てしまう。
「ナゾノクサ……あ」
彼女は同級生がニックネームをつけていたことを思い出した。
せっかくなので自分もニックネームをつけてやろうと思ったのか数分程考える。
「クロ……そうだわ! ナゾノクサ、貴方は今日からクロ! 嬉しい?」
彼女はナゾノクサを高い高いの要領であげながら尋ねる。クロとはナゾノクサの体が黒かった事から思いついた単純な名前である。
上に生えている葉っぱが前に垂れる。これを承諾の返事だと思い込んだのか
「まぁ! 私も嬉しいわ! ……、ともうこんな時間ですか。クロ、一緒におねんねしましょうねー」
エリカは先に布団を敷いてクロを寝かせ、翌日の授業の教科書をランドセルに入れた後一緒に床へついた。
翌日、渡し忘れていたとカルミアからクロの入っていたモンスターボールを受け取る。
以後、エリカは見違えたかのようにしっかりと授業を受けテストも当然のように満点を取り続けたという。
クロとの関係も良好であり、まるで妹でも出来たかのように大事に育てていたという。エリカが水を与えれば美しい深緑の葉っぱを揺らして答え、彼女はそれを見て微笑んでいた。
二年生に上がった時、エリカは新たにマダツボミを手に入れた。
こうして彼女の小学校生活はより実りあるものとなっていく。しかし、二年生の梅雨。事件が起こった。
―2001年 6月8日 午後4時15分 タマムシシティ 中央公園―
この日、エリカはいつものようにクラスメイトと公園に居た。クラスメイトの手持ちたちも混じってわいわいと楽しくボール遊びや鬼ごっこ、かくれんぼなどをして遊んでいた。
しかし、日が傾き始めたこの時刻に突如ベトベトンが襲来。あたりは騒然となり、クラスメイトたちは早々にポケモンをモンスターボールに入れて退散した。だが、ベトベトンに一番近いところに居たエリカは腰を抜かしてしまい、動くこともままならなかった。
ベトベトンは僅かなスピードではあるがエリカに近づき、のみこもうとしている。
そこで立ちはだかったのがマダツボミとクロである。(エリカはマダツボミのことをネッチと呼んでいる。根をみせていることからつけたらしい)
我に返った彼女は二匹を戻そうとした。
「っ……! ネッチ、クロ! 戻りなさい。貴方たちの手に負えるような相手ではないはずですっ……!」
彼女は精一杯声を絞り出していう。ベトベトンはベトベターの進化系であり、非常にしぶといポケモンである。進化前の二匹ではとても勝てないだろう。
しかし二匹はエリカの方を見て首を振る。
「そんな……無茶な……強がりを言わずに、言う事を聞いて」
と言いながら彼女はモンスターボールに手をのばし、かざそうとする。が、マダツボミの蔓で弾き飛ばされる。
「ネッチ……。どうして」
「ツボツボッ」
マダツボミは身振り手振りでどうにか自分の意思を伝えようと試み、蔓を差し出す。
エリカには伝わったが
「ここで自分たちを戻しても私が捕まる……? ばっバカにしないでください! この程度の事で動じるような……」
エリカはどうにか立ちあがって、大丈夫な風に見せようとした。しかし、さっきよりも大きく見えたベトベトンの巨体を見てやはり腰を抜かしてしまう。
彼女は机上で全てのポケモンについて知ってはいたが実際に見ることは慣れていない。自分の身が危険だとなれば尚更である。
「つっ……」
彼女は尻餅をついて顔を歪ませた。
「ナゾ! ナゾナッゾ!」
「……ツボ」
ナゾノクサが強く主張した風な素振りを見せると、マダツボミは仕方がないとばかりに頷く。マダツボミはすばやく後方にさがった。
「クロ……?」
エリカはクロを見つめる。
「ナゾ……」
クロはエリカの顔を見た後
「ナゾ!」
精一杯の笑顔を見せた。そして、すぐさまベトベトンの懐中へ突撃を敢行する。今まで彼女が見た事もない速さで、クロは敵の懐へ飛び込んだ。
マダツボミはクロの支援の為、最大限の蔓を出し、ベトベトンの動きを封じ込める。
ベトベトンはもがきながら蔓の桎梏から逃れんとした。
こうして、一つの巨体の前に二匹の小さな勇者が戦いをはじめた。
―午後4時20分 タマムシジム 事務室―
この日はカルミアとスズノメが合同で予算のチェックを行っていた。しかし、その場に公園での大事を見たジムトレーナーが息を切らして駆け込んできた。
このトレーナーの名前はナツキ。後の臨時ジムリーダーであるが、当時はまだ駆け出しの新人であった。
「リーダー! 大リーダー(カルミアを指す)! た、大変です! 中央公園でエリカお嬢様がベトベトンに襲われています!」
「なんですって……! 分かりました。すぐに行きます!」
「はいっ。今にも飲み込まれそうな勢いですから急いでくださいっ!」
「そう……ご苦労様です。下がっていいわ」
そう言うとナツキは深々と頭を下げて事務室から出て行った。
「あの子は?」
カルミアがスズノメに尋ねる
「最近入ったナツキという子です。年は若いですがなかなか見込みがあると思いますが……あの子が何か」
「礼儀正しい子だと思うたらそういうことじゃったのか……。や、何でもない」
「そうですか。それにしても、あの子ったら……。すぐに助けに」
スズノメが反応したが、カルミアが押さえる。
「いやスズノメ。あんたは引き続き仕事をするのじゃ」
カルミアは当時68歳である。その為エリカが居ないところでは基本的に婆言葉になっている。
「そ……そんな殺生な! お母様、私はエリカの母親ですよ? 娘が大変な目に遭っていると言うのに仕事も何も」
「確かにあんたはエリちゃんの母親……。しかし同時にリーダーでもあるのじゃ。リーダーたるもの本来の職務を放棄する事は私が許さんぞ。それに、言ったはずじゃぞ。エリちゃんの事は私に任せ、あんたはリーダーとしての職務に専念せよとの」
「た……確かにそう仰りましたけれど、けれども……」
「その上、私には一つ気がかりな事があるのじゃ」
「き、気がかり?」
「エリちゃんが襲われているということはあの子の持っとる子たちが……」
―午後4時25分 中央公園―
クロは懐に突っ込むかと思いきや大きく飛び上がって黄色い痺れ粉を噴霧した。
まずは動きを封じてエリカを飲みこませないようにしようという算段である。
目論見は当たった。ベトベトンは麻痺し、動きが更に鈍る。それに乗じてマダツボミがさらに締め付けを強くし、苦しめる。
「ナゾー」
ベトベトンは仕返しだとばかりにクロを捕まえようとするが小さい上に小回りがよく効く。蔓の助力もあってすばしっこく魔の手を避け続けた。
エリカはその様をじっと見守る他なにもできなかった。
クロは10分程走った後、とどめだとばかりに眠り粉を撒こうとする。しかし、走り過ぎて疲労が溜まったのか、ベトベトンの痺れ状態が早く切れたのか噴射準備を整えて葉を蕾型にまとめた頃、遂に捕まってしまう。
「ナゾッ!?」
あまりにも不意打ちだったのかクロは当惑気味である。
ベトベトンは遂に好機を得たと、クロを思い切り締め付ける。
「クロ!」
エリカは捕まったクロを見て思わずそう叫んだ。
軋む音が聞こえてきそうなほどにベトベトンは強く握りしめていく。クロは必死に逃れようとするが力の差はどうにもならない様子だ。マダツボミの方はどうにか蔓をクロの方へ向けようとするがすぐに弾かれてしまう。
前にも増してベトベトンが強くなっている所を見るとクロから養分を吸い取っているようだ。
クロからは段々と生気がぬけていく。葉はしおれていき目にも光がなくなっていく。
「そんな……クロ! しっかりして! 貴女は私の大事な大事なお友達でしょう! こんなところで力尽きてはなりませんわ!」
クロはエリカの言葉を聞いて最後の抵抗を試みようと精一杯足で握る手を蹴ろうとした。しかし、それすら自由にできない程ベトベトンは強く握りしめている。
「クルシメ……クルシメ……」
ベトベトンからは時折そのような声が聞こえてくる。
そして
「コレガ……トドメダ」
とクロを握る力を最大限なまでに強める。するとたちまち生気を失って色あせている葉っぱが紫へと変色した。
エリカはこれを見て瞠目する。
「そ……そんな……こんなことって」
それもそのはず。この色はポケモンが毒に冒された時に発色するものである。
しかし、クロ(ナゾノクサ)は草と毒タイプである。本来ならば無効化するタイプが効いてしまっているのだ。
「クロ……クロォォォォォォ!!」
しかし、今度はクロからの返答はない。
その直後、厖大な量の葉っぱが刃となってベトベトンに襲い掛かった。
エリカが背後を見ると放ったのはそれぞれカルミアとスズノメのモジャンボとウツボットのようであった。カルミアは結局スズノメに根負けしたようである。この一撃を堪えられなかったのかベトベトンはクロを放し、そそくさに近くの池へ戻って行く。
どうやら、二匹にとっては強大であってもそれなりの強さを持つポケモンからすれば大したことは無いレベルだったようだ。
エリカはすぐさまクロの所へ駆け寄る。
「クロ! しっかりしてよ、クロ!」
エリカは抱き寄せて呼びかける。しかし、クロは目を閉じたまま動かない。葉っぱも紫に萎れたままである。
「クロ……クロックロッ! クロォォォォ!!」
エリカの慟哭は公園中に響き渡った。
「そんな……草と毒のタイプを持つポケモンが毒タイプのポケモンに毒で殺されるなんて今まで聞いたことが……」
スズノメが言う。
「確かに普通に考えれば有りえないことよの。しかし、耐えられる閾値を越す毒を持つポケモンが毒を与えれば……このような状況が起こりえるということかもしれんの」
そのことを遊具の陰で一人聞いている男がいた。
男は一度舌打ちをすると何処ぞへと消えていくのだった。
―8月13日 午後3時 シオンタウン ポケモンタワー―
クロの死から二か月が経過し、初盆がやってきた。
エリカは暫くの間クロを失った悲しみから立ち直れなかった。クロが亡くなった直後のテストで二番手に降格したほどである。さすがにこの時はカルミアは大目に見た。四十九日の法要を終えてクロをポケモンタワーに埋葬するようになって漸くクロの死と向き合う。
線香をあげ、祈念を済ませた後エリカはぽつりと言った。初盆とはいえポケモンに対するものなので付き添いはクロをエリカに与えたカルミアのみである。
「どうして……クロとマダツボミは私を守る為にわざわざあのような事をしたのでしょう」
エリカはあれ以来、クロのような悲劇が起こった時愛着を持ちすぎたが故に本分が手につかなくなるということを防ぐ為にニックネームをつけることをやめた。ネッチと名付けていたマダツボミにもあだ名で呼ぶことはなくなったのである。
しかし、クロだけは今更変える気が起きなかったのかそのままである。
「エリカさん。貴女には一つ言っていないことがあります」
「はい」
「実は、マダツボミに関しては事前に私がいざという時に貴女を身命を賭して守るようにきつく言いつけていたのです」
「えっ……」
「クロに対しても貴女が居ない隙に同様のことを言い渡しました。その上もしエリカさんの身に危険が及んだら最悪の場合は当人の指示を無視してでも排除に向かうように……と」
「では、あの行動は全て……」
「はい。私の言いつけを守った結果です」
「そんな……では、クロが亡くなったのはそのせいなのですか!?」
彼女は今までにないほど祖母をきつく責め立てる。
「私は確かに身命を賭して守るよう言いつけました。しかし、同時にあまりにも実力差がある相手ならば貴女を連れて逃げるようとも申しつけました」
エリカはすぐにあの時マダツボミが蔓を差し出したことを思い出した。あれは、決してエリカを馬鹿にしているのではなくこれに捕まって逃げることを頼んでいたのだ。
「そんな……」
「私自身あのようなポケモンが市中に現れることを充分に想定していなかったという咎があります。そして私が行き遅れたからクロはあのような姿に……。その点は本当に申しわけなく思っています」
カルミアはエリカに白髪の多く交じった頭を下げる。
「……」
エリカは幼い頭中で一生懸命考えた。つまり、クロがベトベトンに向かっていったのはカルミアの指示によるものではなく完全な自らの意思に基づいて行動したのである。飲み込まれてしまいそうな主を救うためにその小さな躰をあの巨体に向けたのである。
そう考えると、エリカには悲しみの感情よりも感謝の念がこみあげてきた。
「クロ……ありがとう……」
彼女はクロの小さな墓石に近づき、抱き寄せる格好で墓石に頬をつけた。
初めてクロと出会ったあの時と同じように──
────────
それ以来、あの条件を満たした後はカルミアがモンスターボールを与えて屋敷内でエリカに捕まえさせる形とした。カルミアは反省としてエリカのポケモンに口出しを一切しなくなった。
あれからまた月日は流れる。
エリカは小学校を卒業すると飛び級を利用して二年間で中学高校をパスし、12歳という前代未聞の速さでタマムシ大学へ入学した。
しかし、エリカが14歳の時にエリカの母親であるスズノメが急逝。残された先代ジムリーダーであるカルミアは告別式の翌日エリカを呼び寄せた。
─2007年 3月27日 カルミア邸 応接間─
カルミアとエリカは向かい合って座っている。
「お祖母様。折りいった話とは?」
エリカは表情をキリリと引き締めて尋ねた。
「単刀直入に申しあげます。エリカさん、貴女にはスズノメの後を継いでタマムシジムを引き継いでもらいたいのです」
次の瞬間、彼女は目を見開かせた。
「そ……そんな! 私には荷が重すぎますわ。お祖母さまだって昔はリーダーを務めていたのですから復帰する形でついたほうがいいのでは。そのお手伝いでしたら私はいくらでも致しますし」
エリカは本心からいっている様子である。実際にエリカ当人がジムに行ったことは何度もあるが、目的は植物の観察やトレーナーの顔を知っておく程度のことであった。この時点ではジムトレーナーとの親交はほぼなかった。というより、ジムの大御所にあたるカルミアの孫でありリーダーの娘に下手に接触して面倒が起こることを嫌っていたのだ。エリカ自身が凄まじい才智の持ち主であることがそれを増幅させていたことも否定できない。
「私ももう長くはありません。頭を打ってここまで生きてこれたのが不思議なくらいなのですから。もってあと十年もつかわからない命だったら貴女にリーダーになってもらった方がなにかと宜しいと考えたのです」
「し、しかし……私のような若輩がリーダーなんて」
「今、セキエイで四天王をされているワタルさんは16歳で、エンジュシティのマツバさんは17歳でリーダーになったそうです。それに私自身17歳でリーダーになりましたしね。貴女くらい若くても充分につとまる職です」
「そ、そうなのでしょうか……」
「それに、貴女を厳しく育ててきたのは全ては明治以来の由緒ある歴史を持つこのジムの立派なリーダーとなってもらいたいからです。そう考えるならばこれを機会にリーダーになるのが自然という物」
エリカはそこまで言われて、数分ほど黙した後
「承知いたしました。僭越でありますが、その話お受けしますわ」
「左様ですか! 嬉しい限りです。では私は貴女にリーダーとしてやるべき事や心構えなどを伝授します。貴女が立派なリーダーとなるようできる限りのことは致します。これは私が最後に貴女に教える事です。心して臨んでください」
こうして、この瞬間からエリカのジムリーダーとしての人生が始まったのである。
─3月28日 午前8時 タマムシジム 最奥部─
翌日、カルミアはスズノメの逝去後初めてジムを開いた。
総勢53名のジムトレーナーたちが集まり、そわそわとしている。
トレーナーたちの目に晒されながらカルミアが口をひらく。エリカはカルミアの右隣にいる。
彼女は内心非常に緊張していたが、カルミアからリーダーたるもの堂々とありなさいと言われているため泰然自若としている。
「3月22日、先代ジムリーダーを務めていたスズノメが亡くなったことはすでに耳にしておいでだと思います。通夜や告別式のお手伝いに来ていただいた方には大変感謝しております。スズノメも黄泉の世界でさぞや喜んでいることでしょう。さて、今回は次代のジムリーダーについてお話をさせて頂きたいと思います」
カルミアは一呼吸おいて続ける。
「ご存じの方もいると思いますが私は今から三十年ほど前の滑落事故で重体となる前まではここのリーダーをしておりました。あの事故を契機にスズノメに交代したのです。そのいきさつを考えれば私が継ぐのが筋なのでありましょうが、私ももう先は長くありません。その為、若輩ではありますがスズノメの娘であるエリカにジムリーダーを継いでもらおうと考えるに至りました。ただ、リーダーとしての教育はまだこれからの為数年は私が監督し、それに加えて特定のトレーナーに補佐していただこうと考えております。では、エリカさんご挨拶を」
カルミアはエリカにマイクを渡す。因みに滑落事件の本当の詳細を知っているのはこの中ではカルミアのみである。当時勤めていたジムトレーナーは既に引退しており(タマムシジムのトレーナーは三十歳前後を目途に寿退社もしくは企業に就職などするのが慣例となっている)、エリカ含め知ってるジムトレーナーは一人で旅行に行ってたカルミアが足を滑らせただけという話になっている。無論これはオーキドのことを記憶から葬り去りたがっているカルミアやスズノメ自身の要請による物であり、緘口令は確実に守られているのだ。
「皆さん初めまして。ジムリーダーを引き継がせていただくことになりましたエリカです。維新以来、激動の歴史と時の試練を乗り越え、格式のあるジムを私のような未熟者にどこまでリーダーとしての職務が全うできるか不安ではありますが皆様と一緒に伝統を守りより良いジムを作って行こうではありませんか!」
エリカは堂々と立て板に水の如く話した。
ジムトレーナーたちは驚きと共に盛大な拍手を送った。
「はい、どうもありがとうございました。では、先ほど言った通りトレーナーに補佐して頂きたく思いますが……、ナツキさん。貴女はいかがですか?」
「えっ……私ですか!?」
ナツキは突然の指名に当惑している。
「貴女は年はまだ17と若いですが、なかなかに優秀な見識や洞察力があると見込んでいます。年も近いですし貴女ならばきっとエリカの片腕としてやっていけると思うのですが……」
「そ……そんなに私のことを……。分かりましたやらせていただきます」
こうして、エリカとナツキのリーダーと補佐としての関係は始まったのである。
その後二人は事務室へ通され、ナツキの口からジムの現況がエリカに話される。
スズノメ時代は本人が病弱であり精神的に弱いと言うことがあってカルミア時代までの輝かしい成長は陰りを見せた。
それでもカルミアの病状が悪化する2005年頃まではどうにかこうにかジムの仕事は回せていた。しかし、本人が病気がちであったことからなかなかポケモンの訓練にさく時間が取れずポケモンジムとしての強さはみるみるうちに下がっていき、トレーナーの歩き方をはじめとするハウツー本やトレーナー雑誌には「休息の地」などと揶揄される事態に陥った。
2006年になるとスズノメはいよいよ命旦夕に迫るほど病状は悪化。カルミアはこれに対してリーダーまでたどり着けないようにトレーナーのポケモンを増強したり、通路を複雑にしたりと様々な対策を打った。リーダーにまで辿りつくとなんとかたっていることはできるのでできる限りのことを行わせた。
2006年末にとうとうスズノメは倒れ、翌年正月より三ヶ月は代行という形でカルミアがリーダーを務めた。そして、3月22日。スズノメは息を引き取った。
何度もかいているとおりスズノメ期でタマムシジムのポケモンジムとしての権威は失墜し、リーグでは公認から外すことも何度か真剣に議論されたほどである。しかし、明治以来の歴史があること、初代理事長であるヤナギの意向などで外されることはなかった。
しかし、トレーナーの間ではタマムシジムは最弱の判定を下されるほどである。タマムシジムはこの時まさに停滞期に陥っていたのだ。新人リーダーのエリカの双肩にはジムの地位向上と言う課題が大きくのしかかっていた。
────────
あれから二年。
エリカはカルミアの監督やナツキの補助によってリーダーとしての心構えや知識知能を身につけ今やカルミア無しで立派に切り盛りできるようになっていた。
エリカはこの当時カルミアと同等程度のポケモントレーナーとしての強さはあったので最弱の汚名はどうにかすすげた。しかし、スズノメ時代の悪評を拭いきるには至らずまだまだ課題は残っている。
カルミアはといえば2009年の元日以降はエリカは完全に自立したと判断し、やっと訪れた平穏を残り少ない命の中で享受していた。
そんなある日のこと
─2009年 8月13日 午後9時 カルミア邸 居室─
この時のエリカはタマムシ大学の卒業が確定し、秋期卒業生として式を来月に控えている。エリカは戦後では最年少かつ首席で卒業するため各界の著名人が集まる中、学位授与式で総代として答辞を述べることとなっていた。
そんな中、エリカはこの日クロの見舞いに行き、レッドと初めて会ったのだった。
エリカは週に一回程度カルミアの部屋に来ては本を借りに来たり返すついでに話すことが習慣となっている。
「エリちゃん。答辞の進み具合はどうなのじゃ」
カルミアは元日以降エリカに敬語を使うのをやめ、かつてスズノメに対して使っていた口調と同じような語り口で接している。
「なかなか難儀してはいますが……。少しずつ進んでいます」
「折角このような名誉ある大役を仰せつかったのじゃ。しっかりとがんばりゃにゃあの」
「はい。勿論です」
彼女はしっかりとした表情で答える。
「それと、ヒウン大学からの招待留学。これはどうするつもりじゃ?」
エリカの類稀なる頭脳の噂は遠くイッシュ地方の名門大学であるヒウン大にまで届いており、彼女は入学金及び授業料など免除の上大学院編入を打診されていた。
「お断りするつもりです。確かにイッシュ地方は興味深いところですが、私は今の所この街、この国から離れて暮らしたくはないのです。それに、ジムもありますし……」
「フム……そうかの」
カルミアはそうとだけ答えた。
数秒ほどの間の後エリカが話しかける。
「あの、お祖母様」
「なんだい、エリちゃん」
「私、今日一人興味深いお方に会いましたの」
「へぇ……あんたがねえ。珍しいの」
カルミアは興味津々な様子で受ける。
「トレーナーなのですが……。マサラ小をでた後に3か月ほどで三人のジムリーダーを倒し、ロケット団をも鎧袖一触で倒す力を持った強い御方です」
「それはかなり有望じゃの……ここ数年ではそこまで強い力をもったトレーナーというのは聞いたことがない」
一般的なトレーナーからしてジムリーダーの壁は非常に高く、特に一人目に関しては半年か一年掛かりで倒すのが通常である。
しかしそれを数か月で数人倒すと言うのは驚異的なスピードである。
「名前はなんというのじゃ」
「確か……レッドという名前です。性格はごく普通の少年といったところですね。しかしそれとなく大成していきそうな雰囲気は感じ取れました」
「そうかの……。もしかすれば、エリちゃんのよき伴侶となるかもしれんの」
「もうお祖母様ったら……。まだ私はそれを考える段階にありませんわ。それに私とは住む世界が違うのですし」
彼女はにこやかに笑いながらそう返した。
「ほう……。ならば、住む世界が同じならば付き合うのかの?」
「フフフ……。それは、どうなのでしょうね。分かりません」
この後も夜が更けるまでカルミアとエリカは雑談を続けた。
この時の彼女は公私ともに順風満帆でありいつまでもこの時が続くことを望んでいた。
しかし、何事にも終わりは訪れる物なのだ。
―2009年 9月25日 午後2時 タマムシ大学 構内―
エリカは学位授与式において見事総代の役目を果たし、栄えあるタマムシ大学の首席卒業生として名を刻んだ。
その後エリカは友人と共に卒業パーティーに出ようとしていたが突如屋敷の人間がある事を伝えに来た。
「お嬢様! 一大事でございます」
「あら……。どうされたのですか? そんなに息を切らせて」
使いは呼吸を整えて
「落ち着いて聞いてください。大奥様が……屋敷に戻られてすぐ倒られました」
「えっ……!?」
彼女は一瞬何を言われたか把握できなかった様子である。
カルミアは学位授与式の後屋敷に戻ったが、部屋に戻る直前に倒れてしまった。
すぐに当直の医者が呼ばれカルミアを診察した。どうやら滑落事故での脳挫傷で負った病が再発したようである。
エリカはパーティーの出席を取りやめて自宅に戻り、カルミアの看病を付きっ切りで行った。屋敷で亡くなる事を願っていた本人の希望があり、カルミアは病院に運ばれず当直の医者及びタマムシ大学病院からの医者が治療を行っていた。
―9月28日 午前11時 カルミア邸 居室―
倒れてから数日、カルミアは一時的に病状が安定し、意識が回復。会話が出来る程度にはなっていた。
死期を悟ったカルミアは幼少の頃から自らに仕えている執事を呼びつけている。
「これを」
と言ってカルミアは執事に一枚の封書を手渡した。
表面には宛名が書かれている。
執事は受け取ると
「かしこまりました」
と言って立ち去っていった。
─午後2時 チョウジタウン ポケモンジム 事務室─
ヤナギは毎日散歩を終えると事務室でリーダーとしての職務を行っている。
挑戦に来る者もいるが1週目トレーナーの手加減状態で戦うときを除けば十分ほどでおわるのでほとんど事務仕事である。
そんな最中、トレーナーの一人が来客を知らせてきた為事務室へ直通の勝手口に通すよう頼んだ。やがて、ドアがノックされた
ドアを開けると男は深く頭を下げてカルミアの執事であることを名乗った後
「これは大奥様からの書簡であります。では」
とだけ言って立ち去る。
ヤナギはドアを閉めて手紙を開封する。一読した後東の方角に目をやった。
─午後7時 タマムシシティ カルミア邸 居室─
エリカは三日ぶりにジムを開いた後、すぐさまカルミアのもとに向かい看病をした。
そんな最中カルミアはエリカに遺訓の如く話す。
「エリちゃん……。あんたは小さいころからよく私の言いつけを守り、勉学に励んでここまで立派に成長した……。ばあさまはそれだけで十分に幸せなのじゃ……」
エリカはそれを聞いて、カルミアの手を取り目に涙を溜めて言う。
「そんな……そのようなこと仰せにならないでくださいまし! 私はまだまだお祖母様と一緒にいたいのです! それに……お祖母様が万一亡くなってしまうと私……」
エリカの肉親は他界しており、兄弟もいない。カルミアが亡くなればいよいよエリカには明白な親戚や家族がいなくなるのである。
「大丈夫じゃ。エリちゃんは強い子。一人でもしっかりとやっていけるしその為の術は教えてきたつもちじゃ。しかしの」
「しかし?」
「エリちゃん……あんたの花嫁姿を見る事無く旅立たなければならないことが口惜しゅうての……。エリちゃん、何度も言ったが貞操は大事に、伴侶は時間をかけて選ぶのじゃぞ。流れに任せてしまうのが一番宜しゅうない。自分にとって心の底からそして、相応と思った殿方とのみ結ばれるのじゃ。さもなければ……暗い影を落とすことになるやもしれぬ」
カルミアにとっての気がかりはとにかくその一点のみであった。自らと同じ轍を踏ませてはならぬと異性との交流や貞操観念については口を酸っぱくして教育していたのだ。
エリカとはその後も二言三言ほど話し、下がらせた。
―午後11時 同所―
カルミアは執事を呼び出した。
「久々に……外の空気をすいたいのじゃ。離れの庭で良いから出させてはくれぬかの」
「大奥様。気持ちはよくわかります。されど、夜風は病の身体には特にこたえますぞ」
執事はこう言ってカルミアの要望を退けたが、カルミアは懇願した。
根負けした執事は最後の願いを聞き届けたとばかりに車椅子を持ち出し、カルミアを離れにある東屋まで連れて行った。
―東屋付近―
カルミアは最早自分の意思では歩行することもままならないほど病状は深刻であった。東屋につくと、カルミアは執事に言う。
「はぁ……やはりここは心が落ち着くのう……」
「左様でございますな」
ここにある庭はカルミアが特に大事に育ててきた植栽が植えてある。あたりには花の良い香りが漂い、時折ポケモンたちの動く音がきこえる。
「すまないが、一人にさせてくれぬかの」
「ハッ。かしこまりました」
カルミアは懐からおもむろに鈴を出す。
「気が済んだらこの鈴を鳴らす。それまでこの周囲には誰も近づけるでないぞ」
執事は黙礼して去って行った。
十分ほどしただろうか。カルミアはなんとか動く両手で一度手拍子を打つ。
すると、カルミアの目の前に一人の老人が姿を現す。
「来て、頂いたのですね」
カルミアはにっこりと笑ってその老人を見る。
「病床にある貴方から急に手紙が来れば私でなくてもそうするだろう。久しぶりだの、カルミア女史よ」
老人はヤナギであった。彼は彼女にお辞儀をする。
「あら。もう理事長とリーダーの間柄ではないのですから、前のように接していただいてもいいのですよ?」
カルミアはくすりと笑って言う。
「もうこの喋り方が板についてしまったのでな……。全く年は取りたくはないものよ」
「ふふふ。左様ですか……。それにしてもよくここまでたどり着けましたわね」
「貴方と別れた後少しばかり忍びの技を仕込んだのでな」
「なるほど……。そうでしたか」
それから少しばかりの沈黙が続く。
「それで。今日は一体何用だ」
「私の命は最早風前の灯火にあります」
「倒れたと聞いた時は驚いたがの……それでも今の貴方を見る限りだと元気そうに見えるが」
「端から見るとそうなのかもしれません。しかし、自分の躰のことは自分がよく知っています。それに、四肢はあまり言うことを聞いてくれませんしね……」
ヤナギは黙して聞いている。
「ですから、ヤナギさんには……いえ、ヤナギさんだからこそ伝えておきたいことがあるのです」
「分かった。聞こう」
「ありがとうございます。それで、私には気掛かりなことがあるのです」
「というと?」
「私の元夫、オーキドさんのことです」
ヤナギは暫く間を置いて答える。
「うむ」
「今から八年ほど前にこの街でベトベトンが出たことはご存知ですか?」
「かなり話題になったからのう。知っておる」
「あの池にはたしかにベトベターとベトベトンが生息しています。しかし、危害を加えたりしなければ外には出てこないはずなのですわ。それなのに少し離れた噴水近くの公園まで襲いかかってくる。これはなんだか妙ではありませんか?」
「確かにそうだの」
「そこで私は一つの推論を建てました。オーキドさんがあれを仕組んだのではないかと」
それを聞いてヤナギは目を見開かせて驚く。
「ま、まさか。そのような」
「ポケモンの性格を変えてしまうほどの生物学の知識及びポケモンの生態に通じている方はそうそういるものではありません。その上オーキドさんは私に対してたいそう親切にしていただけましたが、心の奥底ではヤナギさんへの劣等感に満ちていることが私にはひしひしと感じ取れました。私自身もともとあの方を好いてない為尚更そう思うのかもしれませんけれど……」
「なるほど……。あの事故で貴女を失い、力尽くでも奪い取る為にその手駒として貴女の孫娘であるエリカ女史を襲わせたと」
「だとするなら憤懣やるかたないですが……。何分証拠がありません。しかし、オーキドさんが私、そしてこの一族、もしかすればヤナギさんの建てたポケモンリーグにまで恨んでいるやもしれません。確信はありませんし、妄想の類かもしれませんがヤナギさんにはお伝えします」
「あいわかった。十分に注意しておこう」
「それと……この事は私が亡くなった後も内密にお願い致します。向こうに気取られでもすれば何が起こるかわかりませんし……」
「うむ」
カルミアは言い終わると、空を見上げた。
郊外に建つこの屋敷から見える星空は非常に美しいものである。
「今日は……綺麗な星空ですね」
「空気が澄んでいるせいか、チョウジよりもよく見えるような気がするの……」
「ええ。……、このような美しい情景と……最期に貴方が立ち会い、話を聞いていただけた。それだけで今日が旅立ちだとしても笑って黄泉の国に行けそうですわ。何よりも私の最後の使命であったあの子を……エリカを一角の女性に育てることが出来たのですから」
ヤナギは口をつぐんで引き締まった表情でカルミアを見る。
「本当……よかったですわ」
そう言うとカルミアは目を閉じる。その表情はとても安らかな表情であった。
ヤナギは煙玉をだして屋敷の人間に知らせすぐさまその場を立ち去った。
─こうして、戦後の混乱を切り抜けてタマムシジムを本格的に復興させ、次代へと繋げていった一人の女傑がこの世を去った。享年76。
カルミアは安らかに世を去ったが、これからが本当の始まりなのであった。
─過去編 玉虫色の一族(後編) 完─