伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚 作:OTZ
―2月20日 午後10時30分 12番道路―
エリカの拉致に成功したロケット団の一味はここの桟橋から太平洋へ出て、イッシュ地方のアジトへと向かおうとしていた。
この時間帯は通行量が少なく目立たずに事を運ぶことができた。
「ラムダさん。おなかの痛みはどうですか?」
ヘリコプターに乗り込む団員たちを横目にしながらランスは話しかけた。
「まだ叩かれた感触は残ってるぜ……。全く無駄な抵抗しやがって」
「そうですか……。まあ、大事になさってください。これからもっと忙しくなるのですから」
「そりゃ。ご親切にどうも」
ラムダはいけすかないような表情をしながら言う。
「それにしても……その女、どうするってんだ」
「さあ。私には分かりませんね。なんでも例の科学者の言いつけなそうで」
「ケッ……。全くサカキ様はこんな女をさらえとか何を考えているのだか。あいつを迎え入れて以来、サカキ様と言う人が俺には分からねえよ」
「……」
ランスが聞き流していると、団員が声をかける。
「ラムダ様! ランス様! 全員が乗り終えました」
「ん。そうか。じゃ、行くか」
彼はそう言ってヘリの入り口に向かおうとする。
「いえ。ラムダさん。私はまだここで仕事がありますので」
「あぁ……そうだったな。ま、無茶はするなよ」
「少なくとも敵前で失禁するような真似はしませんよ」
ランスは冷たい視線を送る。
「チッ。まだ言ってんのか」
「ラムダ様!」
下っ端につられるようにしてラムダはヘリの中へと入って行った。エリカを載せたそれは遠い異国の地へと向かうのである。
見送るとすぐにランスのポケギアに電話がかかった。
「もしもし……。はい、分かりました。明日ですね……」
―2月21日 午後4時 セキエイリーグ 理事長室―
緊急会合終了後、ワタルはユキコを呼び出す。
ユキコは初めて訪れる理事長室の内装に少々驚きつつ、ワタルの前に出た。
「今回起きたことは大変に遺憾であるし、ユキコ君自身も辛い思いをしているだろう。心から同情するよ……」
ワタルがそうユキコを気遣っているとユキコがワタルの目を見ながら
「世間話は結構です。単刀直入に用件をお願いします」
と返した。
「う……うん。そうだね……」
ワタルはそう言いながら、椅子に座り直し、机の上に組んだ手を置いて慎重に話しだす。
「もし……。もし、エリカ君がこのまま見つからない場合、我々はタマムシジムの公認を外す」
「え……?」
彼女は何を言われたのか一瞬理解できなかった。
「ジムリーダーがこのまま見つからないとジムバッジが渡せなくなる。バッジが渡せないということはトレーナーたちは勝ってもポケモンリーグに挑めなくなってしまう。だから、リーダー不在の状態が長く続く……具体的には三週間以上続いた場合は本当に心苦しいが公認を外し別のジムに委譲する決まりになっているんだ」
「そ……そんな! じゃあつまりジムがつぶれてしまうということですか?」
ユキコは鬼気迫った表情で言う。
「まぁ……公認がなくなるだけだからジムそのものは続けてもいい。だけど、あくまで普通のジムとしてやっていかなければならなくなるね」
「そ……そんな……」
タマムシジムは世襲ジム、即ち同一のジムとしては最古の歴史を誇っている。それ故に百五十年近くに渡る伝統に公認剥奪という不名誉な傷をつけてしまうのはジムトレーナーたちにとっても耐え難い屈辱であった。
「僕としても一日でも早くエリカ君が見つかってそんなことが起こらない事を切に願いたい……。タマムシのジムは特に人気が高いからね。それがなくなるとあっては悲しむ人が大勢いる」
「あの……ナツキさんが本当のリーダーになる形で継続はできないのですか?」
「申し訳ないがそれは無理だ。ジムリーダーとなるには少なくともその地方の平均的なジムリーダーが全力で戦った場合と同等の力を持っている必要がある。カントーでいうならグリーン君とまではいかないまでもタケシ君やカスミ君レベルの力がないとリーダーの資格は与えられない」
「そんな……」
代理リーダーは選任が自由な為実力は関係ないが、本物のリーダーとなれば話は全く変わってくるのだ。
ユキコもナツキもジムを管理する力はあっても、トレーナーとしての実力はせいぜいバッジを5個6個持ったエリートトレーナーと同レベルなのだ。全力のジムリーダーなどに勝てるはずがない。
「だから……君含め、タマムシジムのトレーナーたちに万一の事を考えるよう言っておいてほしいんだ」
万一とは言うまでもなく再就職の事である。ジムトレーナーたちは多かれ少なかれ給料を貰っている。特にタマムシジムはエリカの財力もあってカントージムで一番の高給どりと噂されている為より再就職の心配をしなければならないのだ。
「分かりました」
彼女はいろいろな感情を押し殺してそう答えた。ここでいくら反抗しても意味が無いことを分かっているからだ。今はとにかくエリカの発見を待つしか無い。
ユキコが立ち去った後、ワタルに電話がかかってきた。
「はい。……、分かった。すぐに通してくれ」
―午後4時40分 同所―
ワタルは査察部に入る人間の目通しをしていた。
査察部とはリーグ内にある委員によって構成される部門である。リーグの権威が不安定の上公認ジム争いでジムリーダーたちの不正や不法行為が横行していた時代にヤナギが捜査能力の強化と負担軽減の為に設置した。ジムリーダーなどリーグの役員以上にあたる人物の監察と調査を任務としている。1973年の創設以来、警察とのつながりも強く、査察部の人間自身にも判例で限定的ながら捜査権が与えられている。
具体的な業務は役員がリーグ法に抵触する行為をした際に行われる理事会議に伴う資料作成と常日頃の役員以上の素行調査である。
査察部の人員は委員の推薦と理事長の承認によって配属が決定する。ここは基本的にリーグ内の委員と外部からの引き抜きの半々で構成されており、今度入るポラリスは興信所からのヘッドハンティングという形で推薦されている。
「君が今度査察部に入るというポラリス君か……」
「は。左様でございます」
ポラリスと呼ばれたその男は深々と頭を下げる。整った青色の髪に、紺のスーツを着用し、眼鏡をつけ如何にも爽やかな新入社員といった風貌であった。
まるで入るのが確定しているような物言いなのは委員の推薦があった時点でほぼ決まっているようなもので、これまでに承認がおりなかったことはないからだ。
「査察部はリーグの信頼と公正さを守るのが仕事の部署だ。探偵としての経験を活かしつつそれを忘れないようしっかりと勤めてくれよ」
その後も二言三言続けてワタルはポラリスを帰した。
―2月22日 午後3時 ヒウンシティ 某所―
エリカは強力な睡眠薬をかがされていたため、この時間まで目が覚めていなかった。連行された後はずっとベッドソファに寝かされていた。
そして、彼女が目を覚ますと目の前には多数のモニターがあった。
しかし、何よりも目の前の人物に釘付けになる。
「目を……覚ましたようじゃな」
「オ……オーキド……っ! どうして貴方が……」
彼女の表情からは驚きの感情と憎悪の感情が交錯している様が読み取れた。
「こ、ここは何処ですの!? 一体、私をどうしようと」
「わしが死んでおると本気で思っておったのか……それにしても、錯乱するのは君らしくないのう……。まあ、茶でも飲んで落ち着くのじゃ」
オーキドは不気味なほど丁寧な様子で彼女に見えるように茶を淹れている。
彼女は拘束をされていない。その為とにかく逃げようとドアに行こうとするが
「無駄じゃよ。外には多数の団員がおる。その前に、どうやって外に出るのか分かっておるのか?」
部屋は密室である為外へ通じる窓がない。廊下に団員がいるということはここから脱出することはまず不可能である。
状況を把握した彼女は観念した風にベッドソファに戻った。
「どういうつもりですの」
エリカは敵意を宿した声で言う。
「そう焦らずゆっくり話そうではないかの」
それとは対照的にオーキドは湯呑に淹れた茶をエリカの前に置き、同じ急須で自分の分も淹れる。
「私はここで漫然と時を過ごしている場合ではないのですわ! 私がジムに戻らなければ……」
「潰れる。のじゃろ?」
「存じているのであればすぐさま私を解放しなさいまし! さもなければ然るべき手段に」
「残念だのうエリカ君。ここは日本ではない。そうでなくてもここは公の力の及ぶところではない事くらい賢い君ならばわかっとるはずじゃぞ」
「うっ……」
彼女はそういわれると黙する他なかった。
「長く水分を口にしていなくて喉がかわいとるじゃろう。遠慮することはないその茶を飲むといい」
と言いながらオーキドは毒が入っていないことを誇示するかのように一口で飲み干して見せる。
それを見た彼女は仕方のない風に茶に口をつけた。
「ふう。やはり寒い日には温かい緑茶が一番だの。どうだね。エリカ君や」
彼女はほんの一口飲んで机に置く。
「なってませんわね……。湯加減に濃さ、分量など何もかもが滅茶苦茶ですわ。せっかくの上質な茶葉もこれでは仏作って魂入れずというものです」
エリカはそうオーキドの茶を酷評する。
「ホッホ。やはりかの千家の一員よ。茶ではかなわぬの」
「それで、私をどうするというのですか。そろそろ答えてくださっても宜しいのではありませんこと?」
彼女は落ち着いてきたのか先ほどよりは切羽詰まったような様子がなくなっている。
「エリカ君。君はさらわれる直前にあの男……ラムダに何と言われた?」
「確かマツバさんがどうとか……」
彼女は記憶をたどりながら話す。
「君自身、マツバ君とはどういう関係なのかね?」
「どうもこうも……同じジムリーダーの一人ですわ。夫と旅している道中で少し親しくなりましたがその矢先にあの事件でしたし……」
彼女は簡潔に答える。
「ふむ。ではマツバ君のことはどう思っているのかね?」
「噂に違わぬ頭の良さを持っており、また先のエンジュ騒乱での行動や悪に立ち向かう豪胆かつ毅然とした姿勢は私含め見習わなければならないと思いますわ。尊敬に値する御仁だと思います」
エリカはオーキド並びにロケット団に対するあてつけかのように悪意がこもった声で話した。
「ほうほうそうか……。マツバ君が死んだことに関してはどう思っておるのかの?」
「許されないことであると考えてますわ。リーグの解散などという無理難題と人命を天秤にかけるなど言語道断の所業です。私個人としても、せっかく出来た高い学識を持ったお友達を失って残念な限りですわ」
オーキドはそれを聞いてかすかに笑みを浮かべる。そして机上のラックに入っていたリモコンを取出し、4と書かれたモニタの電源をつけた。
そしてそこに映された光景を見て彼女は眼を見開く。
「マ……マツバさん?」
そこには四肢を拘束され、目隠しもされたマツバが映されている。
「不思議な顔をしておるのう」
「と、当然ですわ! 亡くなっているはずの方がどうして……。本当にマツバさん当人なのですか?」
「確かめたければ、当人の口から聞いてみると良い。おい」
オーキドの一声でドアが開かれる。そこには三人の団員と一人の幹部格の男がいた。
エリカを立たせ、ふと彼女は幹部の顔を見た。
「貴方は……アポロですか」
「お久しぶりですね。エリカさん。では我々についてきてもらいましょうか……」
挨拶もそこそこに四人の男とエリカはぞろぞろと部屋から退出する。オーキドは同行せずにエリカの座っていたソファに腰を下ろし4番モニターに注視する。当然のように彼はエリカの飲みさしを旨そうにあおっていた。
―午後4時 同所 地下室―
一行はエレベーターで一階まで降り、そこからは張り紙でカモフラージュされた隠し扉から階段で下りて行った。
永遠に思えるほど延々と下りると地下室のフロアの出入り口にさしかかった。そこで思い出したかのようにアポロはエリカにあるものを手渡した。
「これは……尿瓶ですか? 一体どうして」
妙な表情をしたエリカにアポロは冷厳に一言で返す。
「直に、分かりますよ」
彼女は怪訝な表情をして尿瓶を懐に入れる。そして、2分ほどしばらく歩くと左に堅牢そうな鉄扉が現れた。どうやらここがマツバが監禁されている部屋のようだ。
アポロは指紋と声紋、虹彩、最後に暗証番号といったセキュリティを解除して鉄扉のロックが外された。
エリカはこれから目にする光景への覚悟からか固唾を呑んでいる。
重々しく鉄扉が一人の団員の手で開けられる。
すると、突き放すようにアポロはエリカを中に押し込む。彼女はバランスを崩して倒れこんだ。
「な、何を無礼な」
「我々が案内するのはここまでです。あとは言わなくても賢い貴女ならばすぐにお分かりになることでしょう。それでは」
アポロは頭を下げると、振り返らずに廊下へと出ていく。そして鉄扉がゆっくりと閉まった。
彼女はこの時いよいよ閉じ込められたことを察するのだった。
「エリカ……さん?」
背後から声がした。今にも消え入りそうなか細い声。
彼女は振り返る。マツバは地面より30㎝ほど高い場所に気を付けの姿勢で拘束されていた。服は黒の長袖長ズボンである。
部屋はひどく殺風景であり、拘束台以外には個室のトイレ付ユニットバスと洗面器、布団とシーツ、自動調節のエアコンくらいしかなかった。壁および床はコンクリートが剥き出しになっており、よりいっそう陰鬱な雰囲気を醸し出している。
「マ、マツバさんですか!? まあ……なんとおいたわしいお姿に……」
マツバは以前、エンジュシティで見かけたときとは全く違う姿になっていた。髪には艶がなく脂ぎっており、肌は乾燥しきってボロボロになっている上に毛もやや深くなっている。
不潔なだけでなく栄養失調になりかかっている状態であった。
「ああこの声……エリカさんだね。あの男、本当に……やりやがったのか」
マツバの声には明白な憎悪が含まれている。
「どういう事ですの……?」
「僕が千里眼を渡さないって……わがままを言ったばかりに……オーキドはエリカさんをさらったんだ。全部僕のせいなんだ。本当にごめんなさい……ごめんよ」
目隠しから涙が流れている。嗚咽している声もあわさって心の底から陳謝しているようだ。
「そ、そんな馬鹿げた要求に応じる必要なんてありませんわ! マツバさんにとってその眼は命と等しいほどに大事な授かり物だという事は私にも分かっています。ですから私に謝る必要なんてこれっぽっちもありませんことでしてよ」
エリカは懸命にマツバをフォローする。
「いや……だけど……くっ」
「マツバさん? どうされたのですか」
マツバは太ももどうしを擦らせている。
「い……いやなんでもないよなんでも」
「とても苦しそうなお顔をされてますけど……」
エリカの言うとおりマツバは苦悶の表情をしている。体は震えており、唇を噛んでいる。
「も……もしかして御小水ですか?」
「ぐっ……な、何を言ってるんだいエリカさんそんな訳。はぐっ……!」
震えがまた一段階上がる。体がまさに自由を欲している。そんな状態であった。声ではしきりに否定してもそれをしたがっていることはだれの目にも明らかである。
エリカはここで尿瓶を懐より取り出した。アポロの言っていた事がどういう事であったかを察したようである。
「マ……マツバさん。失礼致します」
羞恥よりも部屋が汚れることを嫌ったのだろうか。エリカはすかさずズボンのファスナーを下げ、尿瓶に陰茎をつなげる。しっかりと繋げ、出ている最中は目を背けていた。
「エ、エリカさん……」
マツバの方は放尿の快感からかエリカへの羞恥心からか顎を上にやっている。
「……」
放尿が終わると彼女は黙したまま個室へ行き、尿を風呂場のトイレに流し洗面器の水と備え付きのブラシで丹念に洗浄した。
終わると彼女は尿瓶を蛇口の近くに置き、マツバの近くへと戻った。
しばらくの間気まずい沈黙が続く。
数分ほどしてエリカが顔をあげて話し始めた。
「き……気にすることはありませんわ! 御小水をすることは生物にとって必要な行為ですものね。自分で出来なければできる人が手伝うしかありませんし……」
「……」
マツバは黙ったままである。よりにもよってエリカに下の世話をさせてしまったことがあまりにも彼にとって精神的打撃が大きかったのだろう。
エリカはその後も励まし続けたがマツバの反応は変わらなかった。
―同じころ オーキドの部屋―
「ククク……だから言うたじゃろう。年寄りの言う事は聞くものじゃよマツバ君や。尤も今となっては後の祭りだがの。ホッホッホッ!」
オーキドは好物のプリンを食べながらご満悦の様子だった。
「このワシに逆らった罰はこの程度では済まぬぞ。さてこれからどうしようかのう……」
オーキドは笑みを浮かべながら今後のことに思考をめぐらすのである。
―2月22日 午前7時 ストレンジャーハウス―
ワタルとの通話を終えたレッドはそのままベッドに倒れ込み 、睡眠を取った。
朝を迎えると彼は起き、伸びをした後ふと床を見た。
ヒトモシとピカチュウが寄り添って眠っている。遊び疲れて帰ってきたのだろう。
その後彼は机に目をやる。三つ折りになった紙の表面にはレッド君へという文字が書いてあった。どうやらフウロの残した書き置きのようだ。
レッドは紙を広げる。中身にはこう書かれていた。
――
拝啓 レッド君へ
昨晩はあのような事を言ってごめんなさい。
しかしこれはレッド君自身の目を覚まさせる事にはどうしても必要な行為だと思ったのです。
レッド君はエリカさんに対して冷めていると言っていましたけれど、本当にそうならそうとやっぱり本人に直接話して別れる別れないの話をするのが私は筋だと思います。順序を守らずに私に迫ったことはいけないことだと思いますし、何よりエリカさんに失礼だと思います。
レッド君、貴方にも色々と思うことがあってこのような行動を取ったということは私にも分かります。しかし、私には貴方の期待に応えることは出来ません。
最後に、エリカさんは本当にレッド君を愛しています。さらわれてしまったことは大変腹立たしいことですが、レッド君はその事はひとまず横に置いて今すべきことにまっすぐ取り組んでください。エリカさんもきっとそれを望んでいると思います。私はお互いの為にもレッド君から身を引きます。前のように直接話して相談にのってあげることは出来ないけれど、陰ながら上手くいくことを願っています。
敬具
フキヨセシティジムリーダー フウロより─
レッドは手紙を読み終えると三つ折りに戻して本に挟み、リュックにしまいこんだ。
レッドは持参してきた缶詰をポケモンたちと食した後、ストレンジャーハウスを抜けて比較的砂嵐のおさまっているヤマジタウンまで移動。
そしてそのまま彼はフキヨセまでリザードンに乗って戻っていった。
─同日 午前9時30分 フキヨセカーゴサービス─
レッドはなんとなくカーゴサービスへと向かった。もしかすると昨日まで聞いたことは何かの間違いで本当は帰ってくるのではないかなどと考えている。
彼にとってエリカを失ったことはそれだけショックな事のようである。昨晩のワタルの電話で彼女の愛の深さを知ってから彼は特にエリカをいとおしく思うのであった。
それから数時間以上に亘ってレッドはカーゴサービスの待合室に座り続けた。ピカチュウとヒトモシは何度も目を合わせてレッドの顔を見て心配そうな表情をしている。何度か気をかけて鳴いていたがいずれもレッドは「心配するな」の一言と頭を撫でてやって終わりである。
そうこうしていると、カーゴサービスのゲートから一人の人物が出て来た。ゲートの開く音が聞こえるとレッドは立ち上がってそこを見た。
しかし、当然そこに立っていたのはエリカではない。先ほど届いた内国からの荷物を台車に載せて運んでいる従業員であった。
それを見るとレッドは何だとでも言いたげに座席に力なく座る。
三十分ほど前に飛行機がついてから何度かナギがフロントとバックヤードを行き来していた。ナギは三度目くらいに従業員通用口から昼食のパンを持ってレッドの隣に座りこんだ。
―同所 午後0時30分―
「久しぶり……と言うほどでもないわね。どうしたの? こんなところでしょげ込んで貴方らしくもない」
「……」
レッドは黙ったままである。
彼女は一回溜め息をついた後に話す。
「エリカさんの話は聞いたわ。ホウエンでもそれなりに大きなニュースになってたし……。うちのリーグでも何か情報を得次第伝えるように指令があったの」
「そう、ですか……」
レッドは弱弱しく答えた。
「エリカの事で迷惑をかけてしまって申し訳ない限りです」
「貴方が謝ることはないでしょ」
「何であっても将来の……妻となる人がしでかした不始末です。俺に責任がないとはいえません」
それを聞くとナギは息をついて
「そう……。思ったより真面目なのね」
「俺……。どうも乗り気になれないんですよ。ワタルさんもフウロさんも……先に進むことをエリカさんも望んでいるだろうって言うんですが俺はそんな事よりもエリカを救い出すことに専念したいんです」
レッドはようやく話す気になったのか少しずつ話し始めた。
「レッドさん。それは貴方のすべきことではないわ。リーグと警察がすることよ。彼氏である貴方がエリカさんのことで居てもたってもいられないのは分かるけれども、貴方はあくまでトレーナー。ましてやただのトレーナーではなく使命を帯びているのよ。今はとにかく目の前の事にひたすら向かっていくべきじゃないかしら」
しかしレッドは黙ったままである。
「じゃあ、こう考えたらどう? 今一生懸命にバッジをそろえてポケモンマスターになることが、エリカさんを救う筋道になるって」
「どういうことですか?」
「ジムリーダーをあんなあっさりと拉致できる組織なんてそうそうあるものじゃないわ。おそらく敵は相当に手強い。だからこそ貴方はそれを倒す為にも力をつける。そういう事よ」
現在の所ロケット団、ひいてはオーキドが関わっているということはレッド自身、そしてワタルやシロナなどのごく一部の憶測にすぎない。その為レッドはそれについて言及せず
「確かに考えようによってはそうかもしれませんが、それだともし手遅れになった場合の事を考えると……」
「急がば回れ、よ。手遅れと言うけれど貴方が今の力で攻め込んで負けたらどうするつもりなの? その時になって力及ばずだったと後悔して済めばいいけれど、もしそれで貴方が捕まったら誰がエリカさんを救い出すのよ!」
レッドはその言葉を聞いて返す言葉が無かった。
それと同時に心に熱く滾るものがではじめる。
「今、全国のトレーナーの中でエリカさんを救い出せる可能性が限りなく高いのは夫であり、全国屈指のトレーナーである貴方ということ。これは事実よ。しかし、それに驕ってはダメ。今貴方が出来うる限りの力をつけて、最後に敵に臨むことこそがあなたが今やるべきことなのよ」
彼はこれを聞き考えを切り替えた。ナギの言うとおり、残りのリーダー、特にヤナギ以来の大敵となるであろうシャガを打ち破り全国を制覇し、ポケモンマスターとなる事が妻を救う一番の近道であると自覚したのだ。
「分かりました。ナギさん。俺目が覚めました。ここでいじけていたってはじまらない。必ず強くなってエリカを助けてみせますっ!」
そう言ってレッドは立ち上がる。彼はナギに深く頭を下げた後、カーゴサービスを飛び出していった。ピカチュウとヒトモシは慌ててそれに続いた。
ナギは駆けていくレッドを見守りつつ昼食のパンの袋を開けてかじる。
彼女が昼食をとっていると側の柱の影からそっと一人の少女が出てきた。
フウロである。フウロは書置きの手前レッドの前には姿を現さず事情を話したうえでナギにレッドを励ますよう頼んでいたのだ。
「先輩」
「ん?」
「本当にありがとうございました!」
フウロは深々とナギに頭を下げた。その顔には感謝の念がいっぱいに詰まっている。
ナギは少し間を置いた後
「あのまま居座られたんじゃ、こっちだって気が滅入るしね……。当然の事よ」
「またそんな事……。でも、これでレッド君は本当に立ち直ってくれたと」
「フウロ」
ナギはパンを半分食べたところで尋ねる。
「は、はい?」
「涙、出てるわよ」
「えっ?」
フウロは自らが気づかないうちに涙を流していたようだ。
「ねぇ。一つ教えてほしいんだけどさ」
「な、なんでしょうか」
フウロは慌ててポケットからハンカチを出して涙を拭いている。
「私の勘違いなのかもしれないけど……もしかして、フウロってあの子の事」
フウロは涙を拭き切って
「い、嫌だなあ! そんな訳ないじゃないですか! ほら、そろそろ午後のお仕事の時間ですよ行きましょ!」
と、いつもと変わらない笑顔で従業員口へと駆けて行った。
「ま、そう言うならそういうことにしておきましょうかね」
ナギは残りのパンも食べた後、身に着けていた水筒のお茶を飲んでフウロに続いた。
こうして、フウロとレッドの仲は閉ざされることとなったのである。
―2月23日 午前8時 ヒウンシティ 某ビル 地下室―
あれからエリカは夕食をとった後、布団を敷いてすぐに眠りについた。
そして翌日、彼女はある一声で叩き起こされる。
「起きなさい!」
彼女は女の声で起こされた。
「だ、誰ですか貴女は」
エリカは眠い目をこすりながら尋ねた。相手の女はほかに数人の女の下っ端をつれている。
「あたくしの名前はアテナ。ロケット団の幹部でサカキ様からあなたの監視役を命ぜられたの」
「幹部、幹部と……私やマツバさんの為とはいえロケット団はそんなに人手が足りないのですか?」
「うるさいわね! サカキ様からしたらあんたやそこの坊やは人質なのよ。そのお目付けなら相応の人に任せるのが筋ってものでしょうが」
アテナは澄ました顔をしてそう返して見せる。
「そんなに丁重に扱う心積もりがあるのならばもう少し良い待遇にしていただいても宜しいのではありませんこと? あのような使い古しのお布団では寝た感じがしませんわ。やはり、お布団は羽毛百パーセントでエンジュの職人たちが丹精込めて作った物でないと」
「分かったわ。今度からはそうするように仕入れ係に言っておくわ」
エリカはわざと怒らせようとしたつもりでいった様子である。しかし、アテナは存外あっさりと言い分を通した為エリカは当惑気味の表情をしている。
「あら……左様でございますか……」
「随分と意表を突かれたような顔をするわね。あんたはセンセイとかいう科学者のお気に入りだから当たり前よ」
エリカはそれを聞いて複雑な表情になった。
「そ、それで私に何のご用なのですか?」
「確かにあんたはセンセイのお気に入り。でもね」
下っ端たちは示し合わせたかのように衣服とバケツ、掃除道具を差し出す。
「同時にセンセイはあんたのあくせくと働く姿もご所望のようでね! ここのビルの掃除、全部きっちりやってもらうよ!」
しかし、エリカは平然と道具を受け取りにっこりとした笑顔で
「私、お掃除は大好きですわ。毎日ジムの掃除は欠かしたことがありませんもの。ここの掃除もきっちりとやらせてもらいますわ!」
と悠然と答えてみせる。
思い通りの反応を見せないのが気に食わないのかアテナは段々と顔に青筋を浮かべる。
「いいから、さっさと着替えてやりなさいよ! 一つでも埃を見つけたらおしおきしちゃうんだから! ほら、あんたたち何をしてるの早く着替えさせなさい!」
「は、ははっ!」
エリカの体に触れようと下っ端が動くがエリカは袴から扇子を取り出して閉めたまま手を弾いた。下っ端たちは手を腫らして痛がっている。
「私一人で出来ますわ。着替えましたらすぐに出ますから出て行ってくださいます?」
「こ、このーー! さっきから舐めた真似しくさってからに……!!」
先ほどからの言動にとうとう怒り心頭に発したのかアテナはエリカを平手打ちにしようとする。
しかし、下っ端たちは腫れてない方の手で必死に押さえた。
「アテナ様! おちついてください!」
「そうですよ! 余裕かましてられるのも今のうちですってば! 今に従順になりますって!」
下っ端の説得にアテナは怒りを抑え込ませる。
「そ、それもそうね……。いい? 着替えたら必ずすぐに出て来なさいよ!」
そう言って掃除用具と服を残してドアを閉めた。
エリカは掃除用の服装を抱えて更衣室がわりとばかりに風呂場へと向かう。
「エリカさん……」
「何用ですか」
エリカは少々いらだちを残した声で言う。
「貴女はやはり変わってないな。そういう気丈なところが……」
マツバはふっと口元を緩ませながら言う。
「しかし、やっぱり凄いよ。連れ込まれた翌日であんなに威勢良く向かっていけるなんて」
「私がここで弱みをみせたら向こうの思うつぼですわ。ここは、気を強く持っていかなければ」
「やっぱり、強い人だよ。エリカさんは……」
マツバは1年近く閉じ込められた上にエリカが拉致されるという最悪の結果を経てから精神がかなり削れてしまっている。諦念も漂っているように見える。
「マツバさん。気を強く持ってくださいまし。このままで絶対におわらせはしませんことよ。今は雌伏の時ですわ」
そう言って彼女は風呂場のドアを閉めた。
「気を強く持て……か。ハハ。時の試練とは残酷だな」
マツバはそう力なく笑った。
──
あれから彼女はアテナの監視下のもとビル全体の雑用をそつなく完璧にこなしてみせる。わざと廊下を汚されたり、汚物の回収などの汚れ仕事をやらせるなど団員からの嫌がらせやアテナのいびりは執拗にあった。しかし、そんな中でも彼女は挫ける素振りすら見せずむしろ堂々と振る舞って見せた。因みに他にも雑務担当の人間はいるようだが一回も話したことや一緒に作業をしたことはない。
そんなある日のこと。
─3月5日 午後1時 同所 3階 団員食堂─
この時彼女は食堂を掃除していた。
団員たちの食事マナーは決して良いとは言えず、食べかすや果物の皮などがそこら中に落ちており彼女は掃除に苦慮していた。
そんな最中、アテナが下っ端数人を引き連れてやってきた。
「そこ! もっと力入れて掃除なさい!」
アテナは指をさしてエリカを注意した。
「これを見てください」
「何よ」
アテナが床に目をやると今日の定食のデザートであったバナナの皮が十枚ほど落ちている。
「バナナの皮が沢山落ちているのですわ。力を入れると果肉で逆に床が汚れてしまいますが……」
と彼女は言い返す。
「口答えするんじゃないの! 床が汚れるならまたそこを掃除すればいい話じゃない! だいたいあんたはいつもそう反抗して」
アテナはそう詰め寄ったがバナナの皮に足を取られてそのまま転んでしまった。
「いっつ……。もう、何なのよ! さっさとあんたが掃除しないから転んじゃったじゃないの!」
アテナは後頭部を押さえながらエリカをまくしたてる。
「ちょうどやろうとしたところに貴女が先を塞いだのでしょう? 言いがかりはよしてくださいまし」
「むきー! どうやら、お仕置きが必要なようね! そこに直りなさい。その尖った牙へし折っちゃうから!」
アテナはどこからともなく、ムチを取り出し、床に先鞭を叩きつける。
しかし、そこである人物が仲裁に入る。
「そのくらいにしておいたほうがいいぜ」
それは偶然、団員と昼食を共にしていたラムダであった。
「何よラムダ! 邪魔する気なの?」
「アテナよぉ。お前、サカキ様からのお達し忘れたのか? この女には一切の暴行を加えるな……って言われただろ?」
「クッ……。で、でも!」
「もっとも、サカキ様からのお仕置きを受けたいってなら止めはしねぇがな」
ラムダは残忍に笑いながら言う。そうまで言われてはさすがにアテナも溜飲を下すしかなかった。
「行くわよ」
「し、しかしアテナ様。このままで宜しい」
「興が醒めただけよ。全くなんてタイミングの悪い時に来るのかしら! いーい? しっかり掃除しておくのよ」
「言われなくてもそう致しますわ」
そう言い残してアテナは笞をぐるぐる巻きにしてまとめ、下っ端を連れて注文をしに奥へと去っていった。
エリカは掃除を再開し、ラムダも下っ端を連れて食堂を去ろうとする。そして去り際にエリカに声をかける。
「じゃぁな。エリカさんよ」
「これで、罪が消えたとでもお思いですか?」
エリカはそうラムダに訪ねる。
「まさか。俺ぁそんなつもりであのじゃじゃ馬に声をかけたんじゃねぇ。ただ単に激情のまま振る舞って仲間が傷つくところをみても目覚めが悪いって思っただけだ」
そう言ってラムダたちは去って行く。
その後、エリカは掃除をすませ、その他諸々の雑用も終えて夕食の時間を迎えた。
―同日 午後6時 地下室―
夕食の時間になると、ドアが開けられ食事が手渡される。
エリカとマツバの二人分な訳であるが同一のレパートリーではなく、エリカの方が断然まともな食事でマツバのは必要最低限+αといったところである。酷い時はカロリーメイト一箱と牛乳だけという日もあった。
これは初日の夕飯の時点でエリカは抗議したが処遇上の理由で止むを得ないと返されてしまう。
さて、食事はいつも下っ端の団員から手渡されるのだが今日は様子が違った。
お盆を二つ手渡された後、下っ端と思しき男はパッと顔を上げてみせた。
「話がある。午後10時くらいに迎えに来る。分かったな」
そうとだけ言うと返事も聞かずに下っ端は部屋を出て行った。
―地下室内―
エリカは食事は必ず先に拘束されているマツバにご飯を食べさせ(食事中も決して拘束を外してはならないと厳命が下っている)、エリカはこっそりと自分の分のおかずもマツバに分けている。その後、自分の分を食べている。
食事後は毎日マツバの体をウェットティッシュで丁寧に拭き、風呂のかわりにしている。これは決してロケット団側からの指示ではなくエリカ自身の善意である。
そして夕食を食べた後は皿洗いを自ら行って、翌日の朝食で食器を取りに来るまで置いておく。いずれも最初の頃はかなり戸惑い、躊躇している事もあったが今ではすっかり慣れてしまっている。
その後、彼女は風呂に入るのだが、その用意をしている最中マツバにぽつりと打ち明けた。
「そういえば、夕食を運んできた下っ端が私に話があると持ちかけてきたのですが……。マツバさんはなんだと思われます?」
「見当もつかないよ……。今更エリカさんをどうするというのだか……」
「確かにそれは言えてますわね……。しかし応じなければ応じないで後々面倒でしょうし一応は行ってきますわ」
「何もないことを祈っているよ」
それから、彼女は風呂に入り、午後10時を待つ。
―午後10時10分 同所 8階―
時間ピッタリに下っ端はやってきた。二人のようである。
エリカは先導に従って地下室を出て、階段を登り、地上へ出る。そこからエレベーターを使って8階まで昇った。因みにこのビルは10階建てであり、ロケット団が一棟全て所有している。
地下室に放り込まれて以降、彼女がここまで上がるのは初めてである。着いてしばらくすると、幹部室と書かれた部屋に入らされた。
―幹部室―
彼女は普段の関係からアテナに呼び出されたのかと思ったが、奥の机に座って居たのはラムダであった。
「よし、よく連れてきた。まぁ、そう硬くならずに座りなさいな」
ラムダはそう彼女の目の前にある椅子に着席を促す。彼女はそれに従い着座した。
その後下っ端たちはドアの前に立つ。
「一体私に何の御用ですの?」
彼女は警戒心を持ちながらも不思議そうに尋ねる。
「まず、俺の話を聞いてくれ」
「は、はぁ」
「単刀直入に言おう。俺は今のロケット団……いや、サカキ様のやり方にゃうんざりしている」
「そのような事、幹部ともあろう方が言って宜しいのですか?」
「そう思っているのは俺だけじゃねぇ。”前”のサカキ様に憧れて入ってきた連中は皆そう思っているぜ」
その言葉に後ろの下っ端たちはうつむく。
「お前らだってそうだろ?」
ラムダは下っ端に尋ねる。
「ラムダ様の仰せのとおりです! 俺は、かつてのサカキ様のまるでニドキングのように暴れ回り、カントーを駆け回っているサカキ様に憧れてここに入ってきた! レッドやゴールドとかいう生意気なガキに潰されてもサカキ様は必ずや帰ってくると信じていた」
もう一人の下っ端が続くかのように答える。
「だから、サカキ様が戻られて復活しようとしていると聞いた時俺は、本当に心の底から嬉しかった。だけど、戻ったらサカキ様は前とは随分変わられてしまった……」
「変わった……? どういうことです?」
エリカがラムダに尋ねる。
「御嬢さんも勘付いてはいるはずだぜ。オーキドだよ。あの胡散臭ぇ科学者だかポケモン博士に関わってからサカキ様は変わってしまった。前のように暴れ回る力や牙を失い、まるで操り人形のようにあいつに従っちまってる。あげくの果てにエンジュを占領し、掠奪、破壊。そして今度はイッシュを獲ろうときた……。だが、サカキ様は本心ではそんなことを望んじゃいねぇはずなんだ!」
「どうして……そう思うのですか?」
「もともと俺たちロケット団は裏社会というかあくまで闇としての組織であることを存在の理由にしている。俺はサカキ様の先代、サカキ様の母様の時代から仕えてきているが天国の母様もこんなことは望んじゃいないし、サカキ様も本心から表立って世界を分捕ろうなんて考えちゃいない! 俺たちはあくまで影の部分で暗躍するからこそこの黒の制服を身にまとっているんだ! だからこそ今のサカキ様には目を醒ましてもらいたい! 真の意味でのロケット団の復活を夢見ているのだ」
後ろの下っ端二人は拍手している。
「それで……それを私に伝えてどうしろというのですか?」
「お前を自由の身にする。マツバの坊ちゃんはともかくとして、あんたは完全にあの科学者の私利私欲によって連れ出された可哀想な被害者だ。サカキ様もあいつの命令さえなければ連れ去ろうなんて真似はしなかった筈だ。それに、お前さんみたいに強かで厄介な女、ここに置いてたらこっちの気が危うくなりそうだしな」
エリカはあまりのことに目を瞬かせながら尋ねる。
「そ……それって本当なのですか? 私を……ここから解放してくれると?」
「嘘だったらこんなに長々と本音を話したりはしねぇよ。サカキ様には本当に目を醒ましてもらいたい。そして、前のような真っ当な悪の組織に戻って欲しいんだ。これが俺たちの心からの願いだ。そもそも俺にゃ地方や国、世界を分捕るなんて無茶な仕事だしな」
ラムダは笑いながら言う。
「で、どうする気だ? お嬢ちゃんがここから出たくないと望むなら無理強いはしねぇ。別の方法を考えるが……」
彼女は数分程黙した。
つい数週間前に自らをさらった男を簡単に信用できないが、これは千載一遇のチャンスである。その上、今脱出に成功すればジムをも守る事ができるのだ。
「分かりました。そちらの提案に乗る事にしますわ」
「よしきた! そうと決まれば計画の詳細……といきたいところだが。もうすぐお嬢ちゃんの就寝時間だ。まあここからの話は追って知らせよう」
「はい。ここからは共闘……ですわね」
「そうだな。おっと、勿論これは極秘だ。誰にも言うんじゃねぇぞ。もしこれがアポロなんかに知れたら俺は一発でクビだ」
こうしてこの瞬間からエリカとラムダの極秘の関係が始まったのだ。
―3月14日 午前10時 セキエイリーグ 理事長室―
エリカの失踪発覚から三週間が経過した。
ナツキはこの間に退院した為ユキコに代わってナツキがリーグにへと赴き、理事長たるワタルから直々に剥奪を言い渡される。
「ナツキ君……。エリカ君がいなくなって今日で三週間だ」
「はい」
ナツキは弱弱しい声で答える。
ワタルが剥奪の旨を記した紙を出す。
「こちらとしても本当に不本意であるが、規則は規則。リーグ法第三四条に則り――」
「待ってください!」
「何だ」
「もう少し、もう少しだけ待ってはいただけないでしょうか!」
ナツキは頭を下げて頼み込んだ。
「ナツキ君。僕としても気持ちは痛いほどわかる。だけれど、これ以上流れを止めるのはトレーナー全体にとって良くない事だ。だから……」
「まぁ、良いではないか。ワタル殿」
急に割って入ってきたのはヤナギであった。
ワタルは突然の来訪に驚きつつも、すぐさま冷静に対応する。
「し、しかし。規則ですよ? バッジの受け渡しはリーダー自身が受け渡しをしなければ……」
「ならばその子を仮のリーダーではなく本物のリーダーにすれば良い話だ。エリカ女史が発見されたらすぐに交代すれば良い事」
「そ、そんな! 無理です、私にそんな他のジムリーダーと対等に戦えるだけの力なんてとてもとても……」
ナツキは両手を大きく振って否定する。
「エリカ女史は必ず戻ってくると私は信じている。そう簡単に苦境に屈するような弱い女ではない。それに、いまの女史にはあの男がいる。あの男がいる限り決して彼女は折れたりはせぬよ。それまでの間本物のリーダーらしく振る舞えば良い」
「し、しかし! 三週間以内にリーダーの所在が掴めない場合他に移譲すると言う決まりを作ったのは他ならぬ貴方なんですよ!?」
「法というものはもっと柔軟に用いねばならん。エリカ女史の遺体が見つかったわけでもなし、ここで公認を取り上げるのは早計というものだ。それにまだタマムシジムの後釜はまだ見つかっておらんのだろう?」
それを尋ねられるとワタルは黙るしかなかった。原則として公認ジムの代わりとなるジムは同じ街になければならない。しかし、リーグができる遙か前からあのジムがあるため、気後れのためかジムリーダーとなりうる力を持ったトレーナーはタマムシではなくヤマブキなど他の街へと散ってしまっている。
「は、はい」
「ならば今剥奪しても状況は変わるまい。代わりが見つかるまでの間でも暫定的にリーダーに任せれば良い」
「わ、分かりました。ヤナギさんがそこまで言うなら仕方ありませんね……」
そういうわけで、ヤナギの鶴の一声によってナツキが暫定的にジムリーダーとなることでこの件は解決した。如何に理事長のワタルといえど、創設者であり、初代理事長の意向には逆らえないようである。
「では、私はここでお暇するかの」
「あ、あのヤナギさん! ありがとうございました」
ナツキは出て行こうとするヤナギに深々と礼をする。
「なに、ほんの気まぐれよ。カッカッカッ」
ヤナギは高笑いをして理事長室を後にした。
―4月1日 午後1時 セキエイリーグ 第三会議室前―
ポケモンリーグでは月の初めに定例会が行われている。その地方のジムリーダーたちが集まり、自らのジムについて挑戦者の数やジムバッジを獲得した者の数などを報告やチャンピオン直々にリーグからの連絡。その後は近況を報告しあい、時にはバトルをして親睦を深めている。
当然、その中にはナツメもおり、エリカ失踪から意気消沈気味の彼女に対しカスミやアンズなどの同業者は励ましていた。
定例会が終わると三々五々ジムリーダーたちは帰っていく。ナツメもテレポートを使ってヤマブキジムへ帰ろうとしていた。そんな時、彼女はある人物に話し掛けられた。
「もし、ヤマブキジムのナツメさんでしょうか?」
ナツメが振り返ると男はスーツを羽織っていて、襟には白と黒のモンスターボールを模したバッジがつけられている。
「査察部の方が一体何の御用かしら?」
査察部の人間がリーダーに話しかけることはあまりない。ナツメは平静を装いながらも身構えている。
「私は査察部のポラリスと申す者です。貴女に少しお伝えことがあるので、訊問室までご同行願えますでしょうか?」
男は彼女に名刺を手渡す。彼女はそれを恭しく受け取り、ポケットにしまった。
「ええ。分かりましたわ」
彼女はやましいことは何もしていない。堂々とした様子で男の指示に従った。
─午後1時10分 同所 訊問室─
訊問室は一つの窓に机とパイプ椅子がワンセットという殺風景な部屋であった。
席について開口一番にナツメはポラリスに尋ねる。
「それで私にお伝えしたいこととは?」
「現在行方をくらませているタマムシシティジムリーダーのエリカさんについてのことです」
ナツメはその名前を聞いて食いつくかのように表情を変えた。
「エ、エリカについて何か分かったのですか!?」
「ナツメさん。確か貴女……超能力者ですよね? 空前の力を持つ貴女でも居所は掴めないのですか?」
ポラリスは少々煽ったかのような口調で言う。
「分かってたらとっくの昔に救い出してるわよ!」
彼女は苛立ってるかのような口ぶりで言う。
「そう……、そうですよね。あなたならきっとそうするはずだ……」
彼は先程までの落ち着いた口調から変化している。
「何よその意味ありげな態度……」
「貴女の言うとおり、知っていますよ私……いや、我々は」
「我々……?」
不思議に思った彼女は超能力を使ってポラリスを念視する。数秒後、彼女は驚愕の表情を見せた。
「どうやら、おわかりになったようですね。流石は空前の力を持つエスパー少女だ」
「ロ……ロケット団!? どうして、こんな所に!」
「そんなことは今はいいでしょう。正体が分かったところで本題に入ります。ナツメさん、我々と取引をしませんか?」
「取引ですって?」
ナツメは怪訝な表情を見せる。
「そう。貴女が私の要求に従うのならば我々は決して今預かっているエリカさんを殺しはしませんし、丁重に扱います。しかし、もし吞まないのであれば即座に惨たらしい方法で苦しめた末に殺害し、野ざらしにします」
「ふ……ふざけないで! 誰がそんな滅茶苦茶な要求を……あんた、このことを査察部の部長にでも伝えたらどうなるか分かっているんでしょうね?」
「浅はかですねぇ……。我々がそんな根回しの甘いことをするとでもお思いで?」
「嘘……」
彼女はまたも超能力を用いて委員会全体の情報について集めた。
「腐ってるわ……。まさかポケモンリーグの一機関であるここがこんなに腐敗してたなんて……」
彼女は大きく落胆した表情で俯いた。
「そう。査察部は全て我々ロケット団の手中です。さあ、貴女どうしますか?」
「条件って……何よ」
渋々ナツメは話を聞く気になったようである。
「簡単な話です。貴女のもつそのお力を我々のために使っていただければいい。リーグの情報をこちらに流して欲しいのですよ」
「要するにスパイをしろってことね……」
「そういうことです」
「……」
彼女は黙して考えている。
「言っておきますが、貴女の力で彼女を救い出すなんてことは無駄ですよ。我々はある科学者によって貴女の力のみならず超能力の持つ特殊能力を完全に封じ込める装置を至る所に配置しているのです。私もエリカさんをさらったところまでは同行していますが、どこに居るかは知りませんしね」
「くっ……!」
抜け目のない対応にナツメは唇を噛むしかなかった。
「従わないというのなら我々は先ほども言ったとおりエリカさんに対し非道かつ残酷な処置をせねばなりません。聞くと貴女とエリカさんは無二の親友であるとのこと。貴女のその正義感で大事なお友だちをなく」
「やめてっ! ……、分かったわよ。エリカを失ったら私、とても……耐えられないもの」
彼女は涙をにじませながら承諾した。
「賢明な判断です。話は以上。私は査察部です。私の一声で場合によってはいつでも貴女をジムリーダーの座から引きずり下ろし、大事なお友だちをも失わせることが出来ることをゆめゆめ、忘れないよう……」
ポラリス、ことランスはそう言い残した後自らのポケギアの番号を記した紙を置いて去って行く。
残されたナツメは自らの無力さにむせび泣くしかなかった。
─4月17日 午後3時30分 ソウリュウシティ ポケモンジム─
エリカの拉致事件から2カ月近くが経過しようとしていた。
レッドはナギの激励を受けてから見違えるように修行に打ち込み、ポケモンたちを徹底的に鍛え上げた。
そして、満を持してシャガに挑み、リザードン、ピカチュウ、カビゴンを失うも残り三体。対するシャガは残り二体にまで追いつめられた。因みにシャガからの要請でダブルバトルで戦っている。
しかし、シャガは焦るどころかむしろ笑っていた。
─────
「戻れ、ボーマンダ」
ラプラスの冷凍ビームの直撃を受け倒れたボーマンダをシャガは戻す。これでシャガの持つ手持ちは残り二体である。
「フッ……。私もここまで待っていた甲斐があった物よ。私をここまでやりこむとはのぅ……」
しかし、シャガの表情には余裕が伺える。
「いえいえ、貴方こそ。2カ月もの間必死で鍛えたポケモンをここまで破るなんて流石はヤナギさんと並ぶトレーナーですよ」
シャガは数秒ほど間を開けた後
「レッドよ。随分と余裕だな」
「はい?」
「まぁ良い。そろそろ私も奥義を見せる時が来たかの……。行け、オノノクス! サザンドラ!」
シャガが繰り出したポケモンはイッシュ地方でも指折りのドラゴンポケモンである。そしてシャガはすぐに
「刮目して見よ、これがドラゴン使いの最大にして最強の奥義、双竜の契りだ!」
指示が下ると、二匹の龍は地鳴らさんがばかりの咆哮を上げ、サザンドラからは青色の、オノノクスからは赤色の波導が発生する。そして、二つの波動は磁石が引き合うかのように互いに近づき、やがて衝突し結合する。そして波動と共に一つの結界のような壁が形成されると、その壁ごと波動が消え失せた。
双龍の契りとはシャガの生み出した奥義であり、二匹の能力を著しく上げる技である。
「オノノクス! カメックスに逆鱗! サザンドラ! ラプラスに龍の波導!」
レッドはこの技の発動には少しだけ動揺したが、結界があるということは下手に動かない方が最善であると考え
「カメックス! まもる! ラプラス! 眠れ!」
と、自らの身を固めることに専念した。
カメックスはオノノクスのジュエル込みの攻撃を弾き致命傷を免れたが、ラプラスは龍の波導の直撃を受ける。
体力は8割ほど残っていたのでまさか死にはしないだろうと思っていたが、予想は外れ一撃で倒れてしまった。
「う……嘘だろ……」
「言ったであろう。これがドラゴン使いの最強の奥義であるとな」
レッドは帽子を目深に被りなおしてラプラスを戻した。
そしてレッドは最後のモンスターボールを取り出す。
「さすが、やはりシャガさんは他のリーダーよりずっと強い……。だけど、こっちもこのままやられるわけにはいかない! いけっ、シャンデラ!」
レッドはシャンデラを繰り出した。2か月の修行でヒトモシからシャンデラにまで見事に育て上げ、レベル80代にまでもってきたのだ。
「シャンデラ! オノノクスに鬼火!」
シャンデラは火の玉をいくつか放ち、見事に命中させる。オノノクスはやけど状態になり逆鱗の威力が若干下がる事になった。
「シャンデラか……。サザンドラ、シャンデラに悪の波導!」
サザンドラは禍々しい波導を放ち、シャンデラに直撃させる。かなりの痛手であったが、気合の襷を持たせていた為ギリギリのところで耐えきる。
「オノノクス! カメックスに逆鱗」
シャガはとにかく弱点となり得るカメックスを潰したいのか執拗に攻撃する。カメックスは甲羅の中に篭って猛攻を耐え続けた。
レッドはいまだとばかりに指示を下す。
「カメックス! 吹雪だ!」
カメックスは一転して攻勢に出る。
オノノクスの攻撃の隙をついて砲塔を出現させ、そこから大量の吹雪をお見舞いする。
吹雪は二体同時に攻撃出来る為サザンドラにも大きなダメージが降りかかる。が、やはり双龍の契りの効果か一撃では倒れなかった。オノノクスの体力は半分近く、サザンドラも同様といったところである。
「シャンデラ! オノノクスに祟り目だっ!」
シャンデラはオノノクスに対し畳み掛けるように攻撃をかける。運よく急所に当たり、吹雪の影響もあってオノノクスは遂に倒れた。
「よしっ! これで残り一体……」
「甘いっ! サザンドラ!」
シャンデラはサザンドラに隙を突かれ、先ほどと同様に悪の波導の直撃を受ける。当然ながら耐えきれるはずがなくシャンデラは地に落ちた。
「よくやった……。シャンデラ、戻れ」
レッドはシャンデラを戻す。これで一対一。カメックスとサザンドラの一本勝負である。
体力はほぼ同じ。しかし、両体の攻撃力から考えてこれが最後の勝負となることは明白だった。
「レッドよ……。これで終いにしよう。サザンドラ! カメックスに流星群だ!」
「こっちこそ! カメックス! もう一回吹雪だ!」
サザンドラは大量の星を、カメックスは吹雪を降らせ、同時にそれらは衝突した。
一分ほど衝突は続き、シャガもレッドも動静を固唾を飲みながら見守っている。
そして、星は冷え固まって地に落ち、吹雪はそのままサザンドラに襲い掛かる。サザンドラは咆哮をあげながら倒れた。
「やった……。勝った! 勝ったぞ! やったぜカメックス!」
レッドはカメックスと抱き合いながら勝利を噛みしめた。
シャガはサザンドラを戻す。
「フッ……。私も耄碌したかの……。まさかこんな青年一人にやられるとはな。よくやったレッドよ、その努力に冠し、これを授ける」
シャガはレッドにレジェンドバッジを差し出す。
「はい。ありがとうございます」
レッドはエリカの分もとばかりに深々と頭を下げた後、バッジを受け取った。
「確か……。バッジはあと一つだったかの」
「はい」
「そうか。ここより北の街にシズイがリーダーを務めるセイガイハジムがある。そこに行って最後のバッジを受け取ると良い」
「ええ。分かってますとも! 必ずそっちでも勝ってバッジをコンプリートして、リーグで、PWTで勝って……」
「うむ。志を高く持つことは良い事だ。ぴぃーだぶりゅーでぃーでの活躍も期待しとるぞ」
レッドは途中で遮られたが、シャガの激励に対してスッキリとした顔で応え、ソウリュウジムを後にした。
こうしてシャガを倒し、残りのバッジは一つとなったレッド。
しかしレッドにはそれ以上にエリカを救い出すという思いが強く宿っていたのであった。最早彼は完全に生まれ変わり、エリカの真の伴侶として思いを胸に新たに歩んでいるのである――
―番外編2-2 歴史の分かれ目 終―
次でイッシュ第二ルート編は完結です。