伝説のトレーナーと才色兼備のジムリーダーが行く全国周遊譚 作:OTZ
※この度、ジョウト編に引き続き、ホウエン、シンオウ、選挙編の改訂を決定しました。その為、上記の改訂が終わるまで後編は投稿しません。ご了承ください。(2017.3.27)
―3月6日 午後10時20分 ヒウンシティ ロケット団アジト 9階 アポロの部屋―
ここはロケット団の最高幹部、アポロが執務する部屋である。
広さは他の幹部と同程度だが、フローリングではなく絨毯であるなど内装が少しだけ豪華だ。
部屋の真正面にはサカキの写真が立派な額に入れて飾っておりまるで御真影の如く荘厳な雰囲気すら漂わせている。他にはサカキの著作した本やグッズなどが至る所に飾られておりほとんど病気である。
アポロはこの部屋で書類の決裁をしている。
そんな部屋に一人の団員が扉をノックした。
「どうぞ」
団員はドアを開けて中に入り、一礼したのち閉めた。
この団員は今日一日の報告をしにこの部屋に来ていた。ひとしきり報告を終えた後団員は付け加える。
「アポロ様に一つ申しあげたいことがあるのですが……」
アポロは作業の手を止めて団員に目を合わせた。
「何ですか」
「ラムダ様が少々不審な動きをしております」
「不審な動き? 例えばどのようなものです?」
アポロはやや眉間に皺をよせる。
「はい。他の団員とやたら広く接触を試みていたり、やたらとポケモンや資金をラムダ様のもとに集中させようとしていたり……」
「ふむ」
アポロは表情一つ変えずに耳を傾けている。
「それと私見てしまったんです。ついさっきの事ですがラムダ様の部屋に例の女が入っていったんです」
これを聞いてアポロは眉をひそめた。例の女とはエリカの事である。
「それは本当の事ですか?」
「はい。この目ではっきりと見ました」
「彼女への無用な接触はサカキ様より直々に厳しく禁じられてる筈ですよ?」
アポロは険しい表情で言う。
「ええ。ラムダ様も承知の筈です。だから何やら嫌な予感がしてアポロ様のお耳に入れた方が良いかと……」
「了解しました。よく知らせてくれましたね」
「それで、どうなさるのですか? 何を話しているか探りに……」
アポロはそれに対し首を横に振る。
「いえ。性急に動いて向こうに感づかれてはなりません」
「では、如何なさるつもりで」
「ともかくラムダが何を考えているのかを突き止めねばなりませんね。まぁ、おおよそ検討はつきますが……」
「な、なにか心当たりでも?」
団員はアポロに少々驚いている。
「彼に叛意らしきものの虞れありと、報告がありましたからね……。考えたくはありませんが、万一の事も」
「し、しかしまさかラムダ様が……」
「彼はあの博士と組んでからというもの、沸々と不満のようなものが感じ取れました。それがいつしか叛意となったのかもしれません。ま、如何なる存念があれど、サカキ様の御心を乱す鼠輩は誰であろうとこの私が決して許しはしませんがね」
とにかくその場は様子見ということでおさまった。
―3月16日 午後2時 同所 地下室―
エリカが雑用でこの部屋を去った時、オーキドはこの部屋にやってくる。
「マツバ君、決心は固まったかね? うぅん?」
オーキドはマツバの拘束台の周りをゆっくりと周っている。
エリカをさらってからも毎日のようにマツバへ千里眼を要求しているのだ。
「何度来られようと無駄です。同じ答えしかできませんよ」
エリカ拉致が現実となった今マツバは更に意固地になって千里眼の譲渡を拒み続けている。
「全く君も分からん人じゃのう。このままじゃと本当に前に言ったとおりの事をせざるを得なくなるのじゃぞ」
「エリカさんが貴方のような人に従うとお思いですか?」
「従うかどうかではない。従わせるのじゃよ」
オーキドは笑みを浮かべながら言う。
「そんな事出来ると本気で思っているのですか」
「ワシを誰だと思っておる」
そう言うとマツバは口を噤んだ。
「フン……。明日また来る。良いか。じっくりと考えるのじゃぞ」
そう言うとオーキドは部屋を出ていった。
―同日 午後8時 オーキドの部屋―
オーキドの居室は二十畳ほどの広さで机の反対側の本棚には古今東西の学術書や著作、ポケモンのみならず一般の生物や人間についての生態について書かれた本などが汗牛充棟とばかりにひしめいている。すぐ隣の保存庫も含めれば一万冊程度あるとされておりこれらの部屋の床だけ特別に補強されているほどの重さだという。三種の脚立が用意されており高さによって使い分けている。
机にはパソコンと四枚ほどのディスプレイがありオーキドは常にニュースや監視カメラなどに目を光らせている。全てのカメラの映像がこのパソコンにまで転送される。オーキドは老年ながら機械の扱いには長けている。両隣には実験用の器具や様々な薬品、生物の試料などが鍵つきで厳重に保管されており、彼は暇さえあれば実験と観察に明け暮れて一応の共闘相手であるロケット団と自身のために技術開発には余念がない。因みに地下室前のセキュリティは全て彼の設計である。
他にはトイレや風呂場、ベッド、実験室、給湯室がそれぞれ小部屋としてあり食事はオーキドの求めに応じて団員が作るなり買ってくる為ここで生活は完結している。事実オーキドはイッシュに移ってからの九割はこの部屋で過ごしており先ほど以外にはたまにサカキと対談したり運動で室内ジムに行くのを除けばここから外には出ない。巷ではオーキドの悪事は発覚してないもののある日突然逐電していることになっているため下手に外で姿を見られるのは都合が悪いのである。
そんな部屋に今一人の来客が来ていた。アクロマである。今の彼にとっては唯一心を許せる相手とも言える。
アクロマとオーキドは昨年からの付き合いであり、オーキドは自身の設計を具現化する技術者として彼を信頼していた。
オーキドは老年のため緻密な視力を要求される開発そのものには大分前から手を引いていたのだ。
「マツバさんはまだ落ちないようですね」
アクロマは残念そうな口ぶりで話す。ポケモンの力を最大限に発揮させる方法を追究してる彼にとっては万物を見通せる千里眼は非常に興味深いものなのである。
「うむ。エリカ君の気丈さにでもあてられたのかのう……。頑固なものじゃ」
「早いところ彼の千里眼を解析して様々なデータを取りたいのですがね」
「何を言う。千里眼はワシのものじゃ」
「いえいえ。勿論千里眼は最終的にドクターのものです。しかし、その前に私の方で預かり解析してみたいのですよ」
「君の好奇心は分かるがの……。いくら特殊なものとはいえ眼には変わりない。そうそう長い期間放置するわけにはいかんよ」
オーキドはそう言うと煎茶をすすった。
「そういえばドクター肝煎りの例の薬の開発は進んでいるのですか?」
「む……。ああ、最大の障害じゃった交感神経の操作が解決してあともう少しじゃ。最悪の場合はこれを使うしかないがの……」
オーキドは言葉とは裏腹に残忍な笑みを浮かべている。
「ほう! そうですか……。やはり博士は類稀なる才智の持ち主ですね」
「ホッ……。ワシを誰じゃと思っておるのだ……」
彼は全く意に介さずまた茶をすすった。
二人の話し合いは夜更けまで続いた。
―4月5日 午後2時 ポケモンリーグ 6F 査察部 訊問室―
「心の整理はつきましたか? ナツメさん」
ランスは机に相対する女性にそう語りかける。
「……」
彼女は視線を机の脚の方に遣り沈黙を守ったままだ。
「我々が求める事は貴女の持つ類稀なるその力を使って我々に利する情報を流す事。ただこれだけですよ」
「前にも聞いたわ」
彼女は間を置いて重い声色で話す。
「はい。そうすれば我々は決して貴女の大切なご友人には一切の手出しを致しません」
「ちゃんと……それについては守ってくれるのでしょうね?」
「破って我々に何の得があるというのです? 大丈夫ですよ。我々も人質をそう簡単に殺すような愚かな真似はしません」
「……。じゃあ、証を見せてよ」
ナツメは俯くのをやめ、ランスに目をしっかりと向けて言う。
「証?」
彼女は頷く。
「毎日一分……いいえ、三十秒でもいいからエリカの声と姿が写ってる動画を私に送って」
「……」
ランスは黙ったままナツメの話を聞いている。
「彼女が確かに生きているという証を私に見せなさい」
「疑り深い御方だ……。ご自分の立場が分かっているのですか?」
「分かっているからこの条件を出してるのよ」
彼女は決然とした表情で一歩も引くまいという姿勢を見せる。
ランスは一分程黙考すると、ふうと溜息をついた。
「分かりました。そこまで言うのであれば応じましょう。ただし動画としてデータをお渡しする事は認めません。万一証拠にでも使われると厄介ですからね」
そう言うとランスはメモ帳をカバンから出し、サラサラと何やら書いてその紙をナツメに渡した。
「これは?」
「我々が出資している動画配信サイトのURLです。このサイトに貴女だけの限定公開でエリカさんの居る場所のカメラ映像を配信します」
ドメインを見てみるとネットをそれほど使わない彼女でも知っているサイトであった。
「ここのアカウントは持っておいでですか?」
「いえ」
「ならば後で私に教えてください。設定が終わり次第その映像のURLをお教えします」
「いやあのちょっと待って!」
彼女は声を張り上げて言う。
「何か?」
「大丈夫なんでしょうね? サイキッカー崩れとかそういう輩のハッキングが横行してるのよ?」
「ふっ……そのあたりは貴女が一番よくわかってるはずですよ? セキュリティに抜かりはありません」
「くっ……」
彼女はそこをつかれると黙るしかなかった。ナツメは今に至るまで何度もロケット団の本拠地を突き止めようとしたが全く上手く行っていない。彼女にとってこのような事は正式にリーダーになって以来初めてであった為強く印象に残っている。世界最強クラスの超能力を持つ彼女で不可能ならば何者にもハッキングは不可能だろう。
ランスは彼女の右肩を掴み、語りかけるように言った。
「今一度申し伝えます。私は査察部の一員として常に貴方を監視する権限があります。余計なことはしないほうが貴方のためですよ」
そう釘を刺した後、肩を突き放してランスは去っていった。ナツメは目下の机をじっと見ることしかできなかった。
─同日 午後10時 ヤマブキシティ ナツメ宅 自室─
ジムを閉めた後、彼女は自宅に帰ってパソコンを開き指定の動画サイトのアカウントを作成した。
作成した後彼女はランスの番号に情報を載せたSMSを送信した。
もうセッティングは終わっていたのか5分ほどでURLが返ってくる。すぐにURLをブラウザにコピーペーストしてリンク先に飛んだ。
映像は高精細カメラで鮮明に記録されていた。カメラは部屋全体が見えるようになっており、前には大きな板のような物があった。
カメラは四隅に設置されているようだが切り替えはできない。現状では誰も映っていない。
「……」
ナツメは黙ったまま映像を凝視する。わかってはいたが透視は不可能のようだ。
やがてカメラの視界内に一人入ってきた。
「エリカ……?」
彼女は身を乗り出してモニタに近づく。
間違いない。服装こそ変わっているものの烏の濡羽色の如き美しく短い黒髪、端正で気品のある顔立ち、チャームポイントのヘアバンド。どれを見ても紛れもなく彼女であることを示すトレードマークだ。
生きていることに深く安堵し、ナツメはどっかりと椅子に座り直す。しかし、それと同時にあの男が言うことが真実であった事に憤りと恐怖を覚えた。
数分ほどして彼女のポケギアがけたたましく鳴り響いた。ナツメは三コール鳴った後に取った。相手はやはりランスである。
「映像。見て頂けましたか?」
「ええ」
「協力、して頂けますね?」
男は念押しするように尋ねた。
「分かった……わかったわよ。言うとおりにすればいいんでしょ」
彼女は渋々とした口調で言う。
「宜しい。貴女が具体的に何をすべきかは後々詳しく伝えましょう」
彼女はモニターを見る。エリカは何かを話してるようだが聞こえない。音量調整には問題ない。
「ねえ。何も聞こえないのだけれど……」
「音声は入れてませんよ。会話の内容から類推されるのも厄介ですから」
「私は協力してやると言ってるのよ?」
「はぁ」
「そんな態度でいいのかしら? 必要なのでしょ? 私の力が」
こうなったら自分の力を最大限利用してやると思い立ちナツメは脅しに出た。
しかしランスは声色一つ変えずに返す。
「やっぱり……」
「何よ」
「貴女はご自分の立場を分かっていらっしゃらない」
「はい?」
「私は今や貴女の生殺与奪を握っているのです」
彼女は顔を歪ませる。どうやら地雷を踏んでしまったようだ。
「いいですか? たった今の貴女の協力するの一言だけで私は貴女を理事会議にかける権限があるのですよ?」
「それが? 調査機関に過ぎない貴方には会議への提訴権はないはずよ」
リーグ法では委員の権力濫用や恐喝、脅迫を防ぐ為に委員自身からの提訴は認めていない。
「分かっていませんね。提訴さえ出来れば問題ないのです」
「……」
「確かに我々は貴方を直接訴える権利を持ってない。ですが訴えるように働きかけることは何人にも許された権利です」
「何が言いたいのよ……」
「理事長なりに貴女が行ったことのリークをし、下命が下れば我々は徹底的に調べ上げます。我々のような組織への内通は事例によると最低でも停職以上のようですね。そうなれば貴女の名誉にも大きな傷がつくことでしょう」
「くっ……」
「貴方がたの理事長は大変正義感が強く誠実なお方だ。だが、所詮は成り上がりの低学歴。我々の言ったことは疑われる事なくそのまま処分に反映されることでしょう」
「……」
「もしここで理事相手に戦ってくれるような方でもいれば変わるかもしれませんが皆、貴女の絶大な力を怖がって深く入ろうとはしない。唯一親友といえるのはエリカさんだけだがこの通りの状態……」
「やめてっ!」
ナツメは居た堪れなくなって思わず大声を出した。
「わかりましたか? 今や貴女の名誉と地位を守れるのは我々だけです。もう貴女はこちら側で活動するしか道は無いんですよ。我々に偉そうなことを言う前に成果を出したらいかがですか?」
ナツメを肩を震わせて一筋の涙を流す。ここまで虚仮にされた彼女の心中は憤懣やる方なかったが感情を爆発させても詮無い事だと思い
「悪かったわね……。少し調子に乗りすぎたわ」
と平静を装った声で返した。
「いいえ。お分かりならばそれで良いのです。成果次第で音声についても考えましょう」
その後も数分ほどはなしてランスは通話を切った。
「もう後戻りはできない……か」
ナツメはポケギアを畳んでモニタのエリカを見続けるのであった。
─同時刻 トキワシティ 某マンション 304号室─
ランスはポケモンリーグへの通勤のためここに潜伏している。
ナツメの調略を終え、ランスはすぐにアポロへ連絡した。アポロは四コール後に電話に出た。挨拶を交わした後に本題へ入る。
「ナツメが落ちました」
「ご苦労。よくやってくれました。これでサカキ様の大望もまた近づいたというものです」
アポロは嬉しそうな声色で言う。ランスはいつものことなので適当に流してつづける。
「はい。そうですね。それで、傍らで他のジムリーダーや四天王などについても調べてみましたが他に我々へなびきそうな人間はいなさそうです」
「前、私に言っていたマチスはどうなったのです? 彼は理事長を嫌っているため引き込めるかもしれないと言ってましたよね?」
「一度だけ打診はしましたが合衆国軍人としてのプライドが許さないとか何とか言われてけんもほろろに断られました」
アポロはそれを聞いて少し語気を強めて尋ねる。
「まさか、それでリーグ側に走るなんてことは……」
「大丈夫です。やはり彼はワタルを嫌ってますから転ぶことはないでしょう。それどころか全力の我々と刃を交わすことを心待ちにしてましたよ」
「訳がわかりませんね……。まぁいいです。当初から我々の計画ではナツメさえ手中に入れば良いのですから。昨晩の電話で私に監視カメラの開示方法について相談されましたがきちんと手筈通りにしましたか?」
「はい。映像のみということで承服させました」
「宜しい。彼女にとってエリカは生きる希望のようなものです。これを使わない手はありませんよ」
アポロは上機嫌そうな声で言う。
「それにしてもよくそこまで掴んでますね……。我々の持つ調査書にすらそんな事は書いてないですよ」
「エリカの所持していたポケギアの発信履歴から見れば誰でもピンときますよ。それに彼女の力の強さとそれ故の孤独は私の耳にも入ってましたしね」
「なるほど……」
「それはともかく、今貴方がすべきはナツメの監視と管理です。我々に完全に心服するまで仕立て上げるのです」
ランスはそれに対して疑問で答えた。
「余計な労力ではないですか? リーグの情報を流すだけならば取りあえずは逆らわないようにしておけば十分と心得ますが」
「実を言えばサカキ様より厳命が下っているのです。ナツメをこちらのアジトにまで引き込むように……と」
「サカキ様が? 何故です?」
「どうやら例の科学者のご所望のようです」
「また? 危険なことを言いますね全く……」
ランスはやや辟易とした声を出す。
「サカキ様の言葉は神託です。反論は許しませんよ」
アポロは厳しい口調で返した。
「し、しかし今回ばかりは本当に無茶では? リーグの内通者として彼女を使うのにその要求は我々にとって不利な状況を作り出しかねないと思うのですが」
「何もずっと留め置くと言ってるのではないです。一度でいいから連れてくることを要求しているのだそうで」
「何を企んでいるのやら……」
「だから、このアジトまで連れてきても大丈夫な程に彼女を精神的に教育することを私は望むのです」
「はぁ……」
ランスは深いため息をつく。
「不服ですか?」
「いえ」
この男に楯突けば何されるか分かったものではないとランスは理解している為渋々と承諾した。
「まぁ……いいでしょう。ランス。それでは頼みましたよ」
そう言ってアポロは電話を切った。
「勝手なことばかり言ってくれるよ……」
切れた後ランスは天井を仰ぎながらそう呟いた。
―4月13日 午後8時30分 ヒウンシティ 某ビル 地下室―
普段エリカは午後6時頃まで仕事に使われ、7時に夕食を食べている。マツバの分をあげてから自分の分を食べているので一時間程度は平気でかかってしまう。
そして今はマツバの拭身、すなわち風呂の代わりで体を拭いている。当初は戸惑っていたが今では大分慣れた。
「いつも悪いね……エリカさん」
マツバは毎日どこかしらでそう言う。
「お体は常に清潔でなければなりませんわ。お風呂に入れない以上仕方のない事です。マツバさんが気にかけることはありません」
これも当初は双方羞恥のあまり何も言えなかったが最近では慣れてきたのかこのくらいの軽い会話はかわせるようになった。
今日の仕事のことなどを話しながらエリカは丁寧に体をウェットティッシュで拭く。上半身を拭き終わると次は下半身に行く、身体を拭くときはパンツ一枚は身につけているが性器や尻も拭かなければならない。その時だけはパンツも下ろして丁寧に拭く。流石に彼女も抵抗があって最初の数日は遠慮していたがやはりやらなければならないと思ったのか今ではきちんと拭いている。最初はやはり赤面ものだったが最近は排泄で慣れてしまったのか平常心でやれている。
「……」
「……」
先程までの会話も下半身、特に性器を拭いている時はかなり乏しくなってしまう。そしてやはり男の悲しき性なのだが勃ってしまっている。そこについているカスも取らなければならない為見ようによってはまるで手でしてしまっているような格好にもなる。
この時が彼女にとって最大の屈辱である。独身ならばともかく結ばれる人がいるというのに他の異性へこのような事をしなければならないと言うのは得も言われぬ感情で満たされるだろう。貞操観念が高い彼女ならば尚更である。今では表情に出なくなったが当初はやはり時折歪んだ表情を見せることもあった。
「エリカさん……ごめん、ごめんなさい……」
マツバもそんなエリカの心中を察してかそう常に懺悔の念を垂れる。
「いいのです。いいのですよ……」
彼女もレッドへの申し訳無さからかそれ以上の言葉が出てこなかった。
しかしそれもせいぜい五分から十分程度である。股間と尻を拭き終わった後はパンツを着せ直し、足部を拭いて終わりだ。彼女は丁寧にやるためだいたい三十分程度かかる。
拭身が終わったあとは服を着せ、ひげ剃りもついでにして終わりである。因みに頭はシャンプーハットをかぶせた上で洗っている。二十センチ程度の身長差がある為適当な箱を台にして洗う。
「はい、綺麗になりましたわよ!」
彼女は終わるといつも達成感に満ちた声でそう言う。視界が塞がれているためこうして終了を告げるのだ。
「うんなんだか清々しいよ。やっぱりエリカさんは上手いね」
「フフ、そう言って頂けるとこちらもやり甲斐がありますわ。さてとお片付けをしたらお風呂に入って来ますわね」
そう言うと彼女は使ったウェットティッシュをまとめてゴミ袋に入れる。
「そう。ゆっくり入って来なよ。ま、言わなくてもエリカさんはお風呂長めだけど……」
「女性は色々とお風呂でしなければならない事があるのですわ」
彼女は軽い口調でそう返した。
「そっか。エリカさんはきちんとそういうことに時間かけそうだものね」
その後も会話しつつ三分ほどで後片付けを済ませると着替えを持って風呂場へ入った。
―風呂場―
バスルームは彼女の為なのかやや広めに作られており足を思い切り伸ばせるほどの広さの浴槽がある。それに加えて洗面所と仕切りを隔てて洋式トイレがある。勿論彼女はここで風呂に入り体を洗い一日の汗を流すのだがそれが終わるとある事をする。
着替え終わった彼女は洋式トイレに入って胸ポケットに差してるペンと着替えの服の中に仕込んであった便箋を取り出し、サラサラと文書を綴り始めた。
そう、彼女はここで手紙を書いているのだ。なんの手紙かと言えば脱出に一時でも成功した際、それでも追手に捕まりそうになったらピジョットに託す手紙だ。ここなら監視カメラもない上に個室なので集中して手紙を書ける。しかし時間は監視してる人間に怪しまれないようせいぜい三十分である。自分のバスタイムを短縮してまで彼女は日々手紙に書く文書を案じている。
しかし中々案がまとまらない。書きたいことが多すぎるというのもあるが何しろ相手はレッドである。彼に正確に伝わるような文章を心がけねばならない。下書きに色々と熟語を書いてはバツ印をつけたり、書きかけの手紙を破棄したりと彼女は悪戦苦闘しながら書いている。
「分かりやすい平易な手紙というのは思ったよりも難しいですわね……」
彼女はふとこう呟く。考えてみれば彼女が手紙を送る相手と言えばほとんどが大卒や高卒などこの世界では比較的学歴の高い人物である(半分以上が中卒)。手紙でなくても彼女が普段接する人物は似たようなものだ。ジムの募集要項は女性であることは勿論、それなりに高い学識や意欲を持った人物を条件としている為ジムトレーナーは全員タマムシ高校や京筑高校など偏差値70以上の学校の在籍経験がある人物だ。勿論リーダーである以上いわゆる低学歴の人間とも関わらねばならないが大抵は適当にあしらっている。ミカンやレッドは少ない例外といえよう。
それ故に彼女はレッドに手紙を書くことに苦労している。レッドの尊厳を傷つけずかといって難しくないように書かねばならない。だが、今日は書き始めて三日目である。ようやく案がまとまり半分程度書いたらいい時間になっていた為トイレから出た。書き損じた手紙はビリビリに破いてウェットティッシュと一緒に捨てた。
─4月12日 午後3時 同所 廊下─
彼女は休憩時間を使ってトイレに行き、用を済ませた後廊下を歩いていた。するとある人物にぶつかった。
「すみません」
彼女はぶつかった拍子に頭を下げそう言った。
「いえ……。おや?」
男は彼女から落ちた一つの封筒を手に取った。
彼女はそのまま行こうとした為拾って飛び止める。
「もし、落とし物ですよ」
「あら、どうも……」
エリカは振り返ってその人物の顔を見る。
彼女は少し間を置いて続けた。
「アポロ……」
と言いながら封筒を受け取ろうとする。
「……」
アポロはわずかに違和感を覚えたのか封筒を引き下げる。
「申し訳ありませんが中を検めさせていただけませんか?」
アポロはエリカの様子をうかがう。
「いいですよ」
彼女は平然とした様子で答える。
アポロは封を開け中に入っていた三つ折りになっている紙を取り出し、読む。
紙は用品の願箋のテンプレに則って物品名と数量の欄に『濡れ富士 2箱』とだけ書かれている。
「失礼しました」
紙を封筒に戻してエリカに返す。彼女は軽く頭を下げてそそくさと立ち去った。アポロはどこか腑に落ちない表情をしていた。
─同日 午後8時 アポロの部屋─
アポロはエリカの監視役であるアテナを呼び出していた。
「で、あたくしに何の用?」
「エリカの事ですがね……」
「あぁ、あの生意気な小娘ね……。それが?」
アテナはよほどエリカの事を腹に据えかねてるのか憎さ満載に言う。
「今日彼女とぶつかって手紙が落ちたのです」
「へぇ」
「私は何かひっかかるものがあってその手紙を拾った後に中を検めたのですが、彼女は手紙を返すまでずっと冷静でした」
「それで?」
「彼女は聡明で隙のない人だ。しかし、それだけに私が手紙を見つけた瞬間に見せたあの間が気になって仕方がない。なにかまずいものでもみられたかのような……。そこでです。明日、あの地下室から出るゴミを調査してください」
アテナは少しだけ瞼を動かす。
「ゴミを?」
「はい。手紙に原因があるとしたらきっとそのゴミの中に答えがある筈です。紙をそのまま捨てるなんて雑な真似はしないでしょうから紙屑一つ逃さず拾い、セロテープなり接着剤で上手く復元しなさい」
「分かったわ。命じておく」
「頼みましたよ」
─4月28日 午前10時 ビル裏口付近―
この日、ラムダは反乱を起こしその隙をついてエリカはラムダ側の団員に連れられて脱出した。
数百メートル程を走って一応の安全を確保した上で彼女はピジョットの入ったモンスターボールを手にする。しかしまるで見計らったかのようにロケット団に取り囲まれる。
「おや、エリカさん。そのモンスターボールで何をなさるおつもりですか?」
恐ろしいほど紳士的な口調で語りかけてくる男。それはまさにアポロであった。
「ア……アポロ……!」
「そんなに怖い顔をしていては、貴女の美しいお顔が台無しですよ?」
アポロは笑いながらそう言ってみせる。
「どうして……」
「どうして? 何を言うんですか。貴女が教えてくれたんじゃないですか」
「はい?」
エリカは瞠目して彼を見た。
「危うく見落とすところでしたよ」
アポロは懐からセロハンテープでくっつけられたボロボロの便箋を取り出す。
便箋には彼女が書きかけで処分した手紙の文面が綴られていた。
「嘘……」
彼女から全身の力が抜けた。
─番外編2-3-2(前) 明かされた秘密 終─
次こそこのルートの最後です。