ずっと一緒だと思っていた。一緒に夢を追い続けていけるものだと思っていた。
日付を跨ごうとする頃、雪が降り注ぐ東京のとあるファミレスで向かい合うように座る私たち二人の間には一枚の封筒が置かれている。先日受けたとある会社のオーディションの合否が書かれた通知証。
私たちの間にはとても重い空気が流れていた。
「……どうするの?」
ピンク色のメガネを掛けた女の子の声。その声に向かい合う女の子は目線を合わせずにずっと下を向いている。
二人の間に置かれた封筒に入った通知証の一番上には『合格通知』と書かれていた。だがその下に添えられた言葉は『多田李衣菜様、お一人のソロデビューに限る』。二人でユニットとしてオーディションを受けたはずなのに合格したのはそのうちの一人だけだったのだ。
三ヶ月ほど前に美波ちゃんに聞かされた武内プロデューサーの解雇の話。その話を聞いたシンデレラプロジェクトのメンバーたちは何時間も話し合いを重ねた結果、武内プロデューサーの退社に従いシンデレラプロジェクトを解散するという結論に至った。私たちのプロデューサーは武内プロデューサーであって、彼が辞めるのであればシンデレラプロジェクトも解散にする。十三人のメンバー全員の一致した意見だった。
いずれシンデレラプロジェクトが解散することは薄々勘付いていた。それがいつからなのか、部署存続のためにそれぞれが活動の場を広げ始めた時からか、ニュージェネレーションズとして活動していた島村卯月がある日を境に来なくなった時からなのか、具体的な時期は覚えていないがいずれ皆がそれぞれの進路を歩むのだと、おそらくアイドル活動を続ける中でメンバー全員が勘付いていたはずだ。それでも、おそらくメンバーの殆どはその嫌な予感を見て見ぬふりをしてアイドルとしての日常を過ごしていた。
「やっぱり解散にしない……?」
「みく……」
みくと呼ばれる女の子の絞り出すような声に多田李衣菜は言葉を詰まらせた。シンデレラプロジェクトの解散まで残された時間は一週間。確実に迫ってきているタイムリミット、二人の間に置かれた封筒は何社も落ちてようやく掴んだ合格通知証なのだ。もしかしたらこれが最後のチャンスなのかもしれない。いや、間違いなくこれが最後のチャンスなのだと二人も気付いていた。
「で、でも、私はみくと……」
「李衣菜ちゃん、アイドルは遊びじゃないんだよ? せっかくのチャンスなんだから……、ね?」
私の事は気にしないで、そう言った前川みくの肩が静かに震えているのを多田李衣菜は見逃さなかった。
アスタリスクとしてシンデレラプロジェクトでは一番最後にデビューした私たち。結成前から何度も音楽性の違いでぶつかっては喧嘩して、何度も何度も「解散しよう」と言い合っていた。そんな何度も何度も言ってきたフレーズが今はとても重くのしかかる。本当に解散するべきなのか、重大なことなのに考える猶予もなく迫ってきているシンデレラプロジェクト解散までのタイムリミット。一人がアイドルとして生き残るためにユニットを解散する――……、あまりにも酷な選択だった。
「私は何とかするからさ、李衣菜ちゃんは頑張りなよ。ロックなアイドルになるんでしょ?」
「みく……。ごめんっ」
座ったまま机に顔を近づけるようにして頭を下げる多田李衣菜。そんな多田李衣菜を見て前川みくは必死に繕った笑顔で唇を噛み締めていた。
デビューから四年と四ヶ月が経過した雪が静かに降り注ぐこの日、多田李衣菜と前川みくのユニット、『アスタリスク』は解散することとなった。
―――――Prologue 別々の道
李衣菜ちゃんとのアスタリスクを解散することになった日から二週間が経った頃、会社の近くにある小さな居酒屋では武内プロデューサーの送別会が行われていた。アスタリスクが解散した日から丁度一週間後、武内プロデューサーの退社に従い約四年間続いていたシンデレラプロジェクトは消滅した。何故武内プロデューサーが346プロダクションを辞めざるを得なかったのか、その理由は誰も知らなかった。でも皆きっと薄々気付いていたはずだ。美城常務から何らかの圧力を受けていたことを。
だからこそ誰も何も言わなかった。私たちは武内プロデューサーのおかげでシンデレラになれて素敵な世界を沢山経験させてもらえたのだから。「みんな、最後まで笑顔でいましょうね」、武内プロデューサーの送別会を提案した時に言っていた美波ちゃんの言葉だ。シンデレラプロジェクトのフレーズでもある『Power of smile』、武内プロデューサーがアイドル活動をする上で最も大切なものだと教えてくれた笑顔で、武内プロデューサーを送り出そうと決めていたのだ。
「なんだか全然送別会って気がしないね」
私の隣に座っていた凛ちゃんが苦笑いしながらそう呟いた。みんなの様子を見ていると送別会というにはあまりに寂しさが感じられなかったのだろう。
「そうだね、全然送別会って感じがしない……」
凛ちゃんは他社への移籍が決まっていた。卯月ちゃんが会社に来なくなってニュージェネレーションズが事実上の解散になった後、凛ちゃんはソロ活動を始めるようになった。もともと歌唱力もルックスも持ち合わせていた凛ちゃんはソロ活動に移ってもすぐさまブレイクし始め、世間では『大ブレイクの歌姫』だなんて言われシンデレラプロジェクトでは一番の売れっ子だったのだ。そのせいかシンデレラプロジェクトの解散が決まった後も誰よりも真っ先に移籍先が決まり、年明けからはすぐに新たな会社でソロ活動をすることが決まっている。
凛ちゃんだけではなかった。未央ちゃんは舞台女優へと転向、美波ちゃんと智絵里ちゃんはそれぞれ会社は違えど女子アナに、きらりちゃんとアーニャちゃんはファッションモデル、蘭子ちゃんと李衣菜ちゃんは凛ちゃん同様に他社へと移籍しソロとして活動することになっており、莉嘉ちゃんとみりあちゃんは346プロダクションの他部署へ移動、かな子ちゃんと杏ちゃんは芸能界から離れ普通の日常へ戻ることが決まっていた。みんながみんなそれぞれの新たな道を歩み始めようとする中、進路が決まっていなかったのは私だけだったのだ。
あれから慌てて何度も他社のオーディションを受けても欲しい結果を得ることは出来ず、私だけ進路が決まらずとうとうシンデレラプロジェクトの解散を迎えてしまっていた。
少し離れた席で未央ちゃんと楽し気に話す李衣菜ちゃんをチラッと見る。ずっと一緒に歩んできたはずの李衣菜ちゃんともいつの間にか差が出来ていてしまった。悔しい気持ちが浮かんでくるのと同時に自分への自信へがなくなってくる。
「ねぇプロデューサーさん、シンデレラプロジェクトで何かやり残したこととかありませんか?」
送別会が始まって一時間が経過したころだった。武内プロデューサーの横に座る美波ちゃんの言葉に武内プロデューサーは困ったように首の後ろへと手を持って行った。困った時に武内プロデューサーがいつもしていた昔からの変わらない癖だ。手を首の後ろへと回した直後、一瞬だけ私たちの視線が交わる。武内プロデューサーの視線が何を意味していたのか、私には分からなかったがとりあえず今の私が抱えている寂しさや将来への不安を決して見透かされないように、私は何度もステージの上で見せてきたようなありったけの笑顔を武内プロデューサーにへと向けた。
「そうですね、突然の解散になってしまいましたがこうして皆さんが笑顔でそれぞれの世界に旅立って行く姿が見れただけで私は満足ですよ」
「もーう、プロデューサーは最後まで『笑顔』しか言わないんだから!」
未央ちゃんの言葉にどっと笑いが起こる。武内プロデューサーもそう言われ変わらぬ不自然な笑顔で頬を緩ませていた。
「ただ……。強いて言うならばメンバー『全員』を笑顔で旅立たせることができなかったことだけが唯一の心残りですね」
「ウヅキ……、のコトですか?」
静かに頷く武内プロデューサーを見て眉をハの字にするアーニャちゃん。その様子を見て残りのメンバーも全員が思わず下を向いてしまった。
シンデレラプロジェクトの再選考で最後のメンバーの一人として選ばれた卯月ちゃん。メンバーの誰にも負けない笑顔で誰よりも負けない努力をしていた卯月ちゃんだったが、部署存続のためにそれぞれが活躍の場を広げ始めた頃から徐々にスランプに陥ってしまい、最終的には四年前のクリスマスに行われたニュージェネレーションズのミニライブの開演数時間前になって逃げるようにしてアイドルを辞めてしまった。
それから武内プロデューサーは説得のため毎日のように卯月ちゃんの家まで通ったり私たちも何度も何度もLINEを送ったり電話をかけてはみたが一切返事はなく、とある日を境にスマートフォンを解約されて連絡手段がなくなってしまった。それっきり、卯月ちゃんが今どこで何をしているのか、誰も知らなかったのだ。
卯月ちゃんの脱退に誰よりもショックを受けていたのは武内プロデューサーだった。昔、今西部長が話してくれた武内プロデューサーの過去。同じ過ちをしてしまったと武内プロデューサーは何度も何度も自分を責め立てていたのだ。
私たちはそんな武内プロデューサーを少しでも元気付けるために、必死になってアイドル活動を続けた。その結果、私たちシンデレラプロジェクトは多少なりとも有名になりテレビ出演も雑誌の取材もライブも346プロダクションのアイドル部門の中では群を抜いて多くなっていた。それでも、どんなに残りの十三人がブレイクしても、武内プロデューサーにも私たちの中にも抱えていたしこりは最後まで消えることがなかったのだ。
「どうしてあの時、無理矢理にでも手を引いて連れ戻さなかったのか、今でも後悔してます。島村さんが苦しんでいることにもっと早く私が気が付くことができていたら……」
「もう止めようよ。卯月のことだから今でも何処かで頑張ってるって。それに卯月が辞めたのはアンタだけの責任じゃないよ」
ここまで弱気になっている武内プロデューサーを見たのは初めてだった。無理矢理この話を終わらせるかのような凛ちゃんの言葉。武内プロデューサー同様、卯月ちゃんと同じニュージェネレーションズとして活動していた凛ちゃんも未央ちゃんもショックを受けていたのだ。私は今でも鮮明に覚えている、卯月ちゃんが会社に来なくなって連絡が取れなくなって間もない頃、今はこうして武内プロデューサーを励ましている凛ちゃんがレッスンを終えた後に誰にも見られないように一人でロッカーで泣いていた姿を。
それでも凛ちゃんと未央ちゃんは進み続けた。その結果、二人は別々の道に進むことになってしまったがこうして花開くことができたのだ。
私も、二人のようになれるのだろうか。李衣菜ちゃんと組んでいたアスタリスクが解散して一人で活動するしかなくなった私は自分自身の力で二人のように新たな居場所を作ることができるのだろうか。
そうしなければいけないことは理解していた。だけど、今の私にはとてもじゃないが一人でやっていく自信がなかった。
――やっぱり私にはアイドルは無理だったのかな。
最近になってちらつき始めるそんな不安を、私は見て見ぬふりをするようにして首を横に振ったのだった。
○○○○
「それでは皆さん、今日は本当にありがとうございました。くれぐれも気を付けて帰ってください」
時計の針が九時を過ぎようとした頃、私たちはお店を出て最後の別れを惜しむようにして立ち尽くしていた。私は武内プロデューサーの元へと集まって最後のお別れをしているメンバーたちから少し離れたところからみくを盗み見るようにして伺う。結局、最後までみくと話をすることが出来なかった。あの日以来、微妙に空いてしまった私たちの距離感。その微妙な距離感をどう詰めれば良いのか分からず、私たちはそれぞれ別の席に座り一言も言葉を交わらせることなく解散の時間を迎えてしまっていた。
みくはこれからどうするのだろうか。アイドルを続けるのか、それとも諦めて大阪に帰るのか――……。アスタリスクが解散してから二週間が経った今、みくの進路は何も聞かされていなかった。もしかしたらもう他社への移籍が決まっているのかもしれないし、未だに決まってないのかもしれない。もしみくがこのまま進路が決まらず、アイドルを辞めるなどと言い出したら……。私はその言葉を聞きたくなかったせいか、みくに進路のことを聞くことができずにいたのだ。
私だけが生き残ってユニットメンバーであるみくを切り捨てる、そんなことをしてまでアイドル活動を続ける価値があるのだろうか。私はあの日以来ずっとそんなことを考えていた。アイドル活動への情熱が消えたわけでもないし、昔から憧れていたロックなアイドルになる夢も未だに持ち続けている。だけどその自分の願いは他人を蹴落としてまで手に入れる必要があるものなのだろうか。大事なユニットメンバーを切り捨ててまで夢を叶えて、私はそれで満足できるのだろうか。
もちろんみくがこれで私を恨んだりすることのないことくらい理解していた。みくは分かっていたのだ、これがアイドルサバイバルで決して遊びや仲良しこよしでアイドルはやるものではないということを。誰よりも真面目にアイドル活動に向き合っていたみくを五年も隣で見てきた私が一番分かっていることだった。
「りーな、何も言わなくていいの?」
私の隣で心配そうに声を掛けてきたのは未央ちゃんだ。何処からか聞いたのか、それとも私たちの様子を見て察したのか、未央ちゃんは誰よりも早く私とみくの微妙に開いた距離感に気付いていたのだ。昔は自己中心的な言動が目立っていた未央ちゃんだったが、今となってはこうして周りに気を遣うことの出来る大人へと成長していた。
「もっと私がしまむーのことを気にかけてあげることができてたら、こんなことにはならなかったのにね」
卯月ちゃんが去った日、未央ちゃんはそう話していた。あの日以来、未央ちゃんは変わった。以前のように自分の事ばかり考えるのではなく常に周りのメンバーたちの変化に敏感に気付くことが出来るようになり始めた。未央ちゃんも卯月ちゃんが苦しんでいることに気付けなかった自分に腹が立って不甲斐なく思って、ずっと苦しんでいたのだ。そんな苦い経験をした未央ちゃんだからこそ、今の私たちの様子は見ていられなかったのかもしれない。
「これで最後になるかもしれないんだよ? 後悔しないの?」
「うん……」
未央ちゃんの言葉の意味も私が今やらねばならないことも、頭では理解できているはずなのに。どうして行動に移せないんだろう。どうして自分の気持ちに素直に行動することができないのだろう。今のみくに一言だけでも、「頑張れ」って声をかけてあげることができたら少しでもこの開いてしまった距離を縮めることができるかもしれないのに。
だけど私は結局何も声をかけることができなかった。過去の相棒が今どういった心境でこの場にいるのか、分かっていたのに私はその場から動けずにただただ遠くから見つめることしかできなかった。
それから暫くして、武内プロデューサーの送別会は幕を下ろした。寮生であるアーニャちゃん、蘭子ちゃんの二人と共に私の帰る方向とは真逆の道へと足を進めていくみくを、私は立ち尽くしたまま見送ることしかできなかった。そんな私を隣で未央ちゃんが心配そうに静かに見守っていた。
☆☆☆☆
その日の夜は眠れなかった。脳裏に焼き付いたみくの後姿。何度もその後姿がフラッシュバックする度にあの時どうして何も言葉をかけてあげれなかったのだろうという自責が私を襲い続けていたのだ。
“これで最後になるかもしれないんだよ? 後悔しないの?”
みくの後姿と同時にフラッシュバックするのは未央ちゃんのセリフ。未央ちゃんの言った通りだった。私はあの時何も言葉をかけれなかったことを今になってこうして後悔している。
アスタリスクとして活動した五年間、正直私が思い描いてたロックなアイドルには少し離れた路線になってしまっていたがそれでも十分すぎるほどの経験をさせてもらえた。ギターの才能があってまさに私の理想とするロックなアイドル像のなつきちやどことなく話が合う未央ちゃんと一緒のユニットだったら良かったのに、だなんて思うことも沢山あった。でも最初は嫌で嫌で仕方がなかったみくとのアスタリスクも途中からはみくと一緒じゃないとダメなんだと、そう思えるようになっていた。なつきちや未央ちゃんじゃなくて、みくとだからこそここまで来れたのだ。本人の前では素直になれず気持ちを伝えることができなかったが、私はみくに感謝をしていたのだ。
カッコいいセリフやみくを感動させるようなセリフを言えなくても、せめてその感謝の気持ちだけでも伝えることができたら――……。
――本当にこのまま別れて良いのだろうか。
みくに伝えたいことが沢山あった。アイドル活動に真摯に向き合うみくの姿を見て沢山のことを学ばせてもらったこと、みくとだからこそ辿りつけた夢のような世界のこと。
五年間の思い出が一つ一つ、順々に脳裏に浮かんでくる。くだらないことで喧嘩をしてはすぐに「解散しよう」と決まり文句のように言っていたこと、何度もみくの寮に泊まりに行っては夜通しで打ち合わせや作詞をしたこと、そんな他愛もないけど私にとってかけがえのなかった日常。そんな日常ももう終わってしまったのだ。これから私たちは別々の道を歩むことになる。それなのに別れの一言も言わずに、このまま別々の道を進んでも良いのだろうか。
私は決意を固めるとまだ夜が明けていない街へと飛び出し、始発の電車に飛び乗ったのだった。
☆☆☆☆
みくたちの住む寮に着いたのは薄っすらと太陽が姿を現した頃だった。ポツポツと灯りが着いている346のアイドル寮。みくの部屋の窓からは灯りが零れていなかったが、私は居ても立っても居られずに寮の玄関のドアをゆっくりと押した。
「リーナ、朝からどうしたんですか?」
「アーニャちゃん!」
寮に入り大浴場の傍にある洗面台のスペースのところでアーニャちゃんに会った。スウェット姿で歯ブラシを咥えたままのアーニャちゃんが驚いたように目を見開いている。
「みくは? まだ寝てるの?」
「えっ、リーナは何も聞かされてないのですか?」
きょとんとした様子で首を傾げるアーニャちゃん。何も聞かされていない、とは一体どういう意味なのか。私も思わず首を傾げてしまう。
「ミクは昨日の夜、ココを出て行ったんですよ」
「えっ!?」
アーニャちゃんの言葉を聞き、私は思わず走り出した。みくの部屋があった三階のフロアを目指して階段を駆け上がる。着こんだコートの中が熱を帯びはじめ、次第に髪の毛が汗で顔に張り付き始めたが私はそんなことも無視して、ひたすらみくのいた部屋を目指して走り続けた。
長い長い階段を駆け上がり、一直線に続く長い廊下の一番端にあるみくの部屋。ようやくその部屋へと辿り着いた私が見たのは鍵のかかっていない、真っ暗で殺風景な部屋だった。
「みく……」
みくがいたはずの部屋からは生活感がなくなっていた。締め切ったカーテンが外からの光を遮断して部屋を闇に染めている。その闇に染まった部屋の真ん中に置かれた机にはみくが愛用していた猫耳が取り残されたように置かれていた。その猫耳だけが、みくがここで生活していたことを証明していた。
昔、みくから聞かされた話を思い出した。猫は気まぐれな生き物でどんなにお世話になった人の元でも、ある日突然何も告げずにふらっと出て行くものらしい。そして殆どの猫は一度家出をすると自ら帰ってくることはないのだと。
私はそんなことを思い出しながら、呆然と空き部屋となったみくの部屋の中で残された猫耳を握り締めて立ち尽くしていた。