【完結】*君がいるから*   作:ラジラルク

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episode,10 自分を伝えること

 私の思っていた通り、みくは大阪には帰っていなかった。この狭い東京の何処か私の知らない場所で“声優”として新たな生活を送っている。

 千早さんのおかげでみくの今を知ることができた。今に至るまでどのような経緯があったのかは分からないし、声優として新たに生きる道を選んだみくに色々思うことはある。だけど、それでもひとまずみくが東京に残っていることが知れただけでも私は嬉しかった。

 

 だがそんな私に一つ引っ掛かることがあった。

 

 

 

 

「おかしいなぁ……」

 

 

 

 

 何度インターネットの検索エンジンで調べても、“声優 前川みく”に関する情報が何一つ出てこなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――Episode.10 自分を伝えること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンデレラプロジェクトとして何年もアイドル活動をしていたみくのことだから何かしらヒットするだろうと思っていたものの、私の手に握られたスマートフォンの画面には今のみくに関する情報が何一つヒットしていなかった。

 “声優 前川みく”で調べて出てくるのはせいぜいアスタリスクとして活動していた頃に何度かみくが単発でしていた声優の仕事ばかりで、肝心な今のみくの情報は何一つ出てこなかったのだ。

 病院を退院した帰り道、すぐに本屋に立ち寄ると、アニメやゲーム系統の雑誌コーナーに置かれた声優の月刊誌を何冊か手に取りパラパラと捲ってみる。そのうち数冊の雑誌には最後の方に『期待の新人声優』といった最近デビューしたばかりの声優を紹介するコーナーがあり、そのコーナーにもしかしたらと思ったのだ。だがどの雑誌を見ても“前川みく”の名前はなかった。

 

 おかしい――……。そもそもみくほどの知名度があって声優に転向したことが話題になっていないこと自体が不可解だ。

 だけど千早さんが嘘を言っているとも思えない。それに千早さんの話が正しければ、千早さんが主題歌を担当したアニメでみくは何かしらの“声”を当てたことになる。だとしたら少なからずスタッフロールなどにみくの名前は残るはずなのだ。

 だけど千早さんが主題歌を担当したアニメのスタッフ一覧を何度見返しても、みくの名前はなかった。私の交友関係に声優として活動している人はおらず、これだけ探してみくの情報を掴めなかった私は完全に手詰まり状態になってしまったのだ。

 

 

 私は狐につままれたような気分になりながら、久しぶりに自宅へと戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 声優として今を生きている(はず)みくの情報はそれ以降何一つ掴むことができなかった。だけど千早さんが嘘を言っているとは思えないし、何より私も根拠はないもののみくがこの東京の何処かで声優として生きている気がしていた。私の知らない何処かで私の知らない世界でみくは新たな今を生きているのだ。

 

 そんなみくの事を考えると、ふと自分は今何をしているのだろうかと思ってしまう。シンデレラプロジェクトはもう解散してアスタリスクも解散になって、みんな新たなステージでの生活を始めているのに私だけあの日から時計の針が止まったままの気がしていたのだ。

 結局自分にとってロックが何なのか、アイドル活動を通して私は何がしたかったのか、昔から曖昧だった疑問が今になって胸の奥底から這い上がってくる。

 シンデレラプロジェクトとして活動していく中でみんな始動時から見間違えるほどに成長していた。みくも未央ちゃんも、そして武内プロデューサーも――……、みんな面影を残しながらも自分の弱点や欠点を克服してしっかりと成長し大人になっていった。だけど私だけあの頃の曖昧なままここまで来てしまっている。ロックが好きで何となく受けたシンデレラプロジェクトのオーディションに受かってデビューすることになって、アスタリスクとして受けたオーディションで訳が分からいまま私だけが受かって生き残って今もアイドルを続けている。

 そんな何となくここまでアイドル活動を続けてきた私とは対照的に、周りのみんなはちゃんとした目標や夢を持って真摯に活動を続けていたのだ。そして、きっとこの狭い東京の何処かで頑張っているみくも、今は新たな目標や夢を持って頑張っているはずだ。

 

 

 

 

 

――私も変わりたい。

 

 

 

 

 本気で変わりたいと思った。

 二ヶ月後に迫ったシンデレラプロジェクトの復活ライブ。そこで私も変わった姿をみんなに見せたい。そうじゃないとシンデレラプロジェクトのみんなには勿論、新たな世界で頑張っているみくに置いて行かれそうな気がしていたのだ。新たな世界で新たな一歩を踏み出したみんなに置いて行かれないように――……、そして私自身が曖昧にしていたアイドル活動を続ける意味を見出すために。

 

 

 

 

 

「え、多田さん? それ、どうしたの?」

 

 

 

 

 退院した次の日、出社してすぐに廊下で顔を合わせたプロデューサーは驚いたように眼を点にして私を見つめている。

 

 

 

 

「へ、変でしょうか……」

 

「765プロの菊地真がキャピキャピ路線に走った時なみに違和感あるわねぇ……」

 

 

 

 

 プロデューサーの言う例えがよく分からなかったが、多分あまり良くは思われていないのだろう。私は正直な想いを言葉にしながらも、変わった動物を見るような眼で見つめるプロデューサーに思わず溜息をついてしまった。

 

 

 

 

「おいおい、だりー。どうしたんだよ? もしかして頭の打ち所が悪かったのか?」

 

 

 

 

 なつきちはもっと酷い言いようだった。おまけに今にも噴き出しそうな口を必死に両手で抑えながら笑いを堪えている。

 そんなに変かなぁ、なんて不貞腐れたように呟くと私は肩に掛かった真っ黒な髪を手で触ってみる。鏡に映る私は悔しいが違和感バリバリの私だった。

 退院したその日、私は生まれて初めてエクステを付けることにした。初めてで付け方が分からなかったから、行きつけの美容院でここ数年ずっと明るいままだった髪も真っ黒に染め、エクステを付けてもらった。エクステによって私の胸の辺りまで伸びた髪はもう何年も肩にかかるくらいの長さにしかしてこなかったせいか、自ら望んで付けてもらったとはいえ違和感しか生んでいなかった。

 そんな長い髪を両耳の後ろの辺りから三つ編みにして下げることにした。特にこの髪形がしたかったわけではない。ただ、私は変わりたかったのだ。今までの自分とは違う、新しい自分に生まれ変わりたかった。

 一番手っ取り早く変わるには外見を変えるが一番簡単だと、そう思った私は今までの自分との決別の意を込め、髪を真っ黒に染めエクステを付けることにしたのだ。

 

 

 

 

「それにそのミニスカートもどうしたんだよ」

 

「どう? 似合ってるでしょ?」

 

 

 

 

 自慢げにピンクのミニスカートの両脇の袖を握ってポーズを決めてみる。そんな私を見て、なつきちは言葉を失っていた。

 エクステを付けてもらった帰り道に立ち寄ったお店で買ったミニスカート。今まではあまりこういった可愛い系の服はあまり買ったことがなかった。だけどこれを機にイメチェンでもしてみようかな、そう思い立った私は今までだと手に取る事すらなかったスカートをレジへと運んだのだ。

 

 

 

 

「ホントにどうしたんだよ。マジで頭の打ち所悪かったのか?」

 

「いや、特に意味はないよ。ただこういうのもロックかな~って思っただけ」

 

 

 

 

 私の言葉になつきちは何も言わず、ただただ大きく溜息を付いただけだった。

 

 

 

 

 私のイメチェンは予想以上に大不評だった。

 会社ではすれ違う人たち皆が必ずと言っていいほど足を止めて私の方を振り返り、別人のように変わり果てた私を見て友人たちは爆笑するか本気で心配するかの二パターン。中にはご丁寧にファンレターに『失恋でもしたんですか?』と言って心配してくれるファンの人もいたくらいだ。

 

 

 

 

「色々試行錯誤しているようね」

 

 

 

 

 偶然とある音楽番組の収録で一緒になった際、たまたま控室で居合わせた千早さんはそんな私を見て静かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「そんなに変ですか? プロデューサーから『菊地真がキャピキャピ路線に走ったときなみの違和感』って言われたんですけど……」

 

 

 

 

 控室の鏡に映る黒髪の自分を見ながら、力なさげに三つ編みに結んだ髪を触る。エクステを付けてから早二週間が経過したが、二週間が経過した今でもなお鏡に映る黒髪で三つ編みの自分の姿を見慣れることができずにいた。

 千早さんは私の横に立つと少しだけ屈んで鏡に映る私を覗き込む。うーんと唸るようにしてじっと鏡の中の私を覗き込んでいると、そのままゆっくりと屈んだ膝を伸ばして再び私の方へと視線を向けた。

 

 

 

 

「あんまり分からないわ。ただあの時の真と同じくらいってのは結構ヤバいのかもしれないわね」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 

 

 ガクッと肩を落とす私を見て、千早さんは口元に手を当てて笑っている。

 今までずっと短かった髪の印象が強すぎるせいか、それともただ単純に私には似合ってないのか。どちらが原因なのかは分からないが、ここまで不評だと間違っても私に合っていないというのは間違いないのだろう。

 容姿や私服を変えれば少しは雰囲気も変わるかな、だなんて単純に思っていた。明るい色じゃなくて真っ黒な三つ編みの髪にしたら『ちょっと大人になったね』だなんて言われるんじゃないかと思っていた。だがそれは浅はかな想像だったようで、思ってた以上に自分のイメージや雰囲気を変えるのは難しいのだと痛感させられていた。

 

 そんな私を見て暫く笑っていた千早さんは突然何かを思い出したかのように笑うのを止めると、椅子の上に置いていた千早さんのバックの中を探るようにして漁り、すぐに長方形の小さな封筒を手に取りだした。そしてその封筒を右手に握ると、私の前にスッと差し出す。

 

 

 

 

「これ、なんですか?」

 

 

 

 

 何も言われずに受け取った封筒。手で触った感触によると中には硬い紙のようなものが何枚か入っているようだ。

 

 

 

 

「明後日、765の定例ライブがあるの。招待枠で二枚チケットを貰ったんだけど、多田さんに渡そうと思って。暇だったら見に来てくれない?」

 

「ウッヒョー! これ、ホントに貰っていいんですか!?」

 

 

 

 

 私は興奮のあまり思わず変な声が出てしまった。

 346の定例ライブは日本のアイドル界でもトップクラスの人気を誇るライブなのだ。チケットも高倍率でファンクラブ会員でもなかなか手に入れることができないだなんて話はよく聞くし、765の定例ライブのチケットがネットオークションなどで凄まじい額で取引されていることも知っている。

 正直、765プロは346プロと今の会社を合せてもかなりの差がある。私たちシンデレラプロジェクトがブレイクしていたと言っても、到底765プロに敵うレベルではなかったのだ。

 そんな日本屈指のトップアイドルグループのライブが生で見に行けるなんて。同じアイドルとして、765プロのライブは間違いなく良い勉強になるはずだ。

 

 

 

 

「ありがとうございます! 友達誘って絶対行きます!」

 

 

 

 

 千早さんを含む日本のトップアイドルたちのライブを生で体感して、もしかしたらずっと曖昧にしてきた『自分自身がアイドル活動を通して何がしたいのか』が見つかるかもしれない。 

 いや、きっと見つかるはずだ。私の直感がそう反応していた。

 

 突然の事で興奮冷めぬ私を千早さんは思わず苦笑いしながら見ている。だけどそんな千早さんを横目に、暫くの間私は千早さんから受け取った招待券を大事に大事に握り締めていた。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 ライブ会場には独特の雰囲気が漂っていた。横浜にある二万人弱の収容のライブ会場ではライブの前日の夜中からグッズの物販のために何百人も並んでいたらしく、開始数時間前に来た私たちは想像を絶する凄まじい数の人が溢れかえっている様子に驚きを隠せなかった。そんな大勢の人の波によって会場に到着してからライブ会場に入るまでにも相当な時間を要してしまった。想像を絶するお客さんたちの年齢層は幅広く、男性も女性も、年配の人もいれば小さな子供たちもいる。女性しかいないアイドルグループにしてはちょっと珍しい光景だ。

 そんな大勢の人で溢れ返るライブ会場から少し離れたところでは何人もの人が『チケットを譲ってください』と書かれた段ボールやプラカードを片手に通り過ぎていく人たちに声をかけている。おそらくチケットの選考に落ちてしまったものの、どうしてもライブに参加したくて希望の薄い僅かな可能性を信じてライブ会場にまでやってきた熱心なお客さんたちなのだろう。

 

 私たちのライブとは明らかに違っていた。私たちもこのライブ会場でライブを行ったことはあったがここまで異様な光景にはなっていなかったはずだ。当たり前だが当日券なんか販売されていなかったらしく、ファンクラブの先行販売の確率も二十倍だと聞いた。

 これが日本のトップアイドルたちの実力なのだ。凄いとは思っていたがまさかここまでだとは思っていなかった私は思わず息をのんでしまう。

 

 

 

 

「765のライブは初めて来たけどやっぱりすげーな。日本のトップアイドルっていう肩書も伊達じゃないみたいだ」

 

 

 

 

 何人も何人もの人を掻き分け、ようやくライブ会場に入ることが出来て自分たちの席に落ち着いた頃、なつきちは疲れたように溜息交じりにそう言った。

 千早さんから招待券のチケットを貰った後、私はすぐになつきちを誘った。昔から何度か765プロのライブに行ってみたいとぼやいてたなつきちは私の誘いを聞くと、「行く行く、絶対行く! 資格試験があっても絶対行く!」と興奮気味に誘いに応じてくれた。幸い日曜日だったからなつきちも何も予定がなかったらしい。765プロのライブに行けることがあまりにも楽しみだったのか、昨晩はあまりよく眠れなかったと今朝クマを作ったなつきちは私に話してくれた。

 

 

 

 

「私ってさ、あんまり他のグループのライブとかって観たことないから変な感じする」

 

「そうだな。だりーはいつも向こう側にいる人間だもんな」

 

 

 

 

 ライブ開始を数分後に控え、会場は溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。そんな大勢の人たちの視線の先にあるカーテンがかかったステージ。いつも私はカーテンの向こう側に立つ人間だったからこうして観客席からステージを見つめていると変な感じがする。

 

 

 

 

「でもライブのこういう始まる数分前の独特の緊張感のある空気、好きだな。なんかワクワクする」

 

「どう? アイドル復帰する気になった?」

 

「あはは、そりゃねーわ。あたしじゃこんなデカイとこでライブなんか無理だよ」

 

 

 

 

 隣で笑ってそう言うなつきちだったが、その眼はアイドルを目指していたあの頃と同じ憧れを羨望した眼をしていた。

 今は髪も黒くなって背中からギターが消えてしまって、あの頃とは変わってしまったなつきち。そんななつきちだったが、この直でライブの感触を体感して何か込み上げてくるものがあるのだろう。

 

 それからすぐに会場の電気が完全に消えて真っ暗になった。それと同時に輝きを放ち始めるペンライトの光。そして会場が揺れるほどの大歓声が沸き上がる。色とりどりのペンライトが左右の揺れ、耳が張り裂けんばかりの大歓声が鳴り響き、ゆっくりとステージと観客席を遮っていたカーテンが上へと登り始め――……。765プロのライブが幕を開けた。

 

 ターボがかかったようにより一層ボリュームが上がる大歓声。気が付けば私もなつきちも、腹の底から大きな声援を上げていた。そんな無意識な行動に気付くこともなく、私たちは幕が上がったステージを見つめている。ステージの真ん中にはおとぎ話に出てくる王子様のような恰好をした一人の女性がスポットライトに照らされて立ち尽くしていた。

 

 

 

 

“みんなァ! 今日は来てくれてありがとうー! 最後まで全力で突っ走るから、みんなも全力で着いてきてね!”

 

 

 

 

 スピーカー越しに聞こえてきたのは王子様の格好をしたアイドルの観客を煽る声。それに呼応するかのように、観客席からは一際大きな大歓声が鳴り響く。その大歓声が予想以上に女性の声が多く混じってて、思わず私は辺りを見渡してしまった。

 

 

 

 

「菊地真は男性より遥かに女性に人気あるからなぁ。あんな衣装が似合うのも菊地真だけだよ」

 

「詳しいねなつきち。私、765って竜宮小町と千早さん、天海春香しか知らなかったよ」

 

 

 

 

 なつきちの小声の解説でようやく理解することができた。

 なつきちの言う通り、あの着こなしは普通の女性にはできない。女性のはずなのに完璧なまでに王子様の衣装を着こなす菊地真は同じ女性の私から見ても思わずうっとりするような魅力がある。

 確かにこの菊地真がキャピキャピ路線に走ると違和感バリバリだろう。私はプロデューサーに言われた言葉を思い出して思わず苦笑いしてしまった。

 

 それから菊地真は『自転車』を高らかに歌い上げた。私自身、この曲は全然知らない曲だったがそれでも思わず無意識にリズムを刻んでペンライト揺らしていて、いつの間にかのめり込んでいた。

 そして簡単なMCを挟んで次に歌ったのは先ほどの曲とは全く異なる曲調の『変わらないもの』。これは私と千早さんが出したアニソンカバーアルバムの第一弾で収録されていた曲だから私でも知っていた。

 元気に高らかに歌っていた先ほどとは打って変わって、静かなメロディーを一つ一つ丁寧に歌い上げる菊地真。自転車の時とはまるで別人のような、低い声で歌う菊地真の『変わらないもの』はCDで聴いた時よりも遥かに魅力的で心に響く何かがあった。

 

 

 

 

“ありがとうございましたー! まだまだ続くから、みんなも全力で着いてきてねー!”

 

 

 

 

 歌い終わった後、額の汗を一拭いして菊地真は軽く頭を下げステージを去っていった。登場した時なみの大歓声(殆ど女性の声)に惜しまれるようにして去った後、再びステージはスポットライトの電気が落ちて闇に包まれる。

 次は誰が出てくるのか。菊地真が最高潮にまで上げた会場のボルテージはそんなワクワクの期待感に包まれている。

 

 そして菊地真が去ってから二分ほど経ったころ、突然前触れもなくステージにスポットライトが当てられた。少しばかりボリュームが下がり始めていたお客さんの大歓声は一気に蘇ったかの如くボリュームが上がっていく。そんな大歓声が包むステージの上でスポットライトに照らされていたのは、蒼い髪をした如月千早だった。

 

 マイクを握り締めている千早さんは何も言わなかった。その空気にならうように、一気に盛り上がっていた大歓声のボリュームも少しずつ落ちていくと、瞬く間に会場は静まり返ってしまった。先ほどまでの菊地真のステージとは全く違う、何も音がない不穏なステージに会場全体には妙な緊張感が走り始める。

 

 

 そしてその無音の世界が暫く続いた後、静かなメロディがゆっくりと流れ始めた。そのメロディにならい、静かに千早さんを見つめていたお客さんたちは青色のペンライトをゆっくりと左右に動かしている。

 千早さんが歌うこの曲を、私は知らなかった。せっかく千早さんが誘ってくれたんだからと思い、ライブに来るまでに千早さんの曲を色々聞き漁っていたのだが、この曲は全く聞いたことのない初めて聞いた曲だった。

 静かなメロディに千早さんの美しい声が響くバラード曲。私はいつの間に握っていたペンライトを下ろし、思わず見入ってしまうほどだった。

 

 そして歌い終わった後、会場には大歓声ではなく大きな拍手が巻き起こった。その時気が付いた、私の近くの大勢のお客さんたちが首にかけていたタオルマフラーを目元に当てていることを。沢山の人が千早さんの歌を聞いて涙を流していたのだ。千早さんの曲を聞いてただただ泣いている人、歌詞に自分を照らし合わせて泣いている人、理由はそれぞれあるのだろうが大勢のお客さんが涙を流していた。

 もしかしたら千早さんが自分の思いや伝えたい気持ちを届けるには“歌”だけで十分なのかもしれない。派手な登場シーンとかきらびやかな衣装とか、みんなを楽しませるMCとか、千早さんには全く必要ないのだと思う。ただ千早さんは心を込めて歌うだけで大勢の人に“何かを伝える”ことができるのだ。

 

 

 これが本物のアイドルなのか。私は握り締めたペンライトを下ろしたまま、ステージに立つ千早さんを見つめていた。“歌う”という行為だけでここまで人に感動を伝えることができる、千早さんの姿を私はしっかりと目に焼き付けたまま静かに立ち尽くしていた。

 

 千早さんは深々と頭を下げるとそのままステージを去ってしまった。何も言わずに去ってしまった千早さんだったが、歌い終わった後の表情は今まで見たことのないような満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 後から千早さん本人に聞いた話だが、あのライブの日はちょうど交通事故で亡くなった弟さんの命日だったらしい。そして歌った曲は『約束』というタイトルで、昔千早さんが生き残った者の重圧に耐え切れずに逃げ出そうとした時、765プロのみんなが作ってくれた曲なのだと話してくれた。

 

 「私にとって『約束』は大切な曲だから。どのCDにも収録してないし特別な時にしか歌わないの。この曲のおかげで私もだいぶ変われたわ。今まで出せなかった自分の本心を曝け出せるようになった気がするのよ」

 

 そう聞いて私は千早さんが私を765プロのライブに誘ってくれた意味をなんとなくだが理解することができたような気がした。みくとの一件で自分が何なのか、アイドル活動を通して何をしたいのか、迷ってる私にヒントを与えてくれていたのだ。

 本当の自分を曝け出すこと、そうすれば自分がアイドル活動を通して何をしたいのか、ずっと曖昧になったままだった自分の気持ちに答えを出すことができる。そんな気がしたのだ。

 

 私はライブが終わって帰った後、夜ももう遅い時間だったが薄暗い電気をつけ机に向かった。一枚のメモ用紙に向かい合うようにして座ると私はシャーペンを握り締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

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