それから何度も何度もリテイクになってしまい、私は同じ曲を何回も歌い続けた。リハではもっと歌えていたはずなのに、体調だって決して悪いわけでもないのに、何故か自分の思ったように歌うことができないのだ。マイク越しに聞こえる私の歌声は間違いなく私の声のはずなのに全然違う人の歌声のような錯覚さえ覚えてしまう。
「よし、オーケー! 多田くん、お疲れさま」
何度も何度も撮りなおして、もう何度目か分からなくなった頃に飛び出てきた監督の言葉。椅子に下ろした腰を重そうに上げると、私に向かって手招きをしている。『もういいよ』のサインだ。だが監督はそうは言ったものの、表情はイマイチピンときていないような、納得した表情ではなかった。それは私も同じだった。自分らしさを出せないまま終わってしまったレコーディング、消化不良な気持ちと自分への不甲斐なさと、色々な想いが私の心をにモヤモヤを生み始めている時だった。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
そう私に声をかけたのは、私の前にレコーディングを終えたはずの如月千早だったのだ。
Episode.6 歌い続ける義務
突然私に声をかけてきた如月千早。驚く私をまるで気にもせず、私の今後の予定を聞いてきたのだ。収録後の予定は何もなかったことを話すとそのまま私は如月千早に誘われ、二人で収録スタジオ近くのファミレスへと行くこととなった。今日が初対面で全く面識のなかった私をいきなりファミレスに誘って一体何をするつもりなのか――……、ファミレスまでの道中で私の少し前を歩く如月千早の背中を見てはずっとそんなことを考えてはいたものの、全く見当が付かなかった。私の前を歩く如月千早も時々私の方を振り返るだけで何も話してくれず、私はただただ如月千早の背中の後を付いて歩くだけだ。
そんな風に無言のまま歩き続けること五分、大きな国道沿いのファミレスに入った私たちはドリンクバーだけを注文し向かい合うにして座った。店内はランチタイムを過ぎたばかりでそれほど混んではいなかったものの、ランチを終え未だにポツポツと残ったお客さんたちがそれぞれの机の上で世間話に華を咲かせている。
「急に誘ってごめんなさい。時間、大丈夫だった?」
ようやく如月千早が口を開いたのは私がジュースを注ぎに行き、帰って来た時だった。申し訳なさそうにそう言った如月千早はグラスに入ったストローを力なく回している。
「いえ、全然大丈夫ですよ。それよりどうしたんですか?」
「ありがとう。私もどうしようか迷ってたんだけどね、ちょっと失礼な事を聞いてもいいかしら」
相変わらずの無表情のまま言った如月千早の『失礼なこと』という言葉に私は思わず背筋が凍りついた。昨晩、未央ちゃんも言っていたが如月千早は生真面目過ぎるが故に気難しい人だとよく言われているらしい。私は正直楽屋でのマナーや他社の先輩アイドルへの気遣いなど、そういった類のものが未だにあまり分かっておらず、もしかしたら何か私の何気ない行動で会社は違えど実績実力では圧倒的に先輩である如月千早に失礼なことをしてしまったのではないか――……。そういった不安が頭を過ったのだ。
目の前で私をじっと見つめる如月千早に私の身体は身動きが取れず、金縛りのように固まってしまう。その金縛りの中、私は如月千早の言葉に黙って頷くのが精一杯だった。346でも今の事務所でも、何度も何度も他社のアーティストたちに迷惑をかけないよう常々言われていたのに……。私の耳の横辺りをひんやりとした冷や汗がゆったりと流れ落ちている。
「お節介だったらごめんなさい。多田さん、何を迷ってるの?」
「……え?」
てっきり怒られるものかと身構えていた私の耳に入って来たのは全く予想外の言葉だった。思わずポカンとしてしまった私を如月千早はじっと見つめている。
「迷ってる……、ですか?」
「えぇ、私にはそう見えたけど」
首を傾げるようにして再度確認すると如月千早は一度だけ静かに首を縦に動かすとそのまま唇をストローへと付けた。『迷っている』とは一体どういう意味なのか、イマイチピンと来ずに私も如月千早の真似をするかのようにグラスに刺さったストローを口元へと運んだ。そんな私を見てか、如月千早はストローから口を離すと思わず苦笑いを浮かべている。
「ごめんなさい、言葉足らずだったわね。私が言ったのはね、迷いながら歌ってるように見えたってことなの」
「私、迷ってるように見えました?」
「そうね、なんだからしくなかったわ」
それから少し話をしてくれて、如月千早は実はアスタリスクを結成してから間もなく行われたアイドルフェスを見に来ていたらしい。それから何度かアスタリスクとして活動していた私を見かけては、そんな私の事を高く評価してくれていたのだ。
「多田さん、良い才能を持ってると思うわ。それは多分貴女が思っている以上の物だと思うの」
如月千早は真剣な眼差しでそう言ってくれた。アイドルとして大先輩である如月千早からそんな言葉を貰えて照れくさい気持ちが半分、もう半分はモヤモヤした気分だった。アスタリスクを解散してソロになったあの日からずっと考えていた、私がアイドルを続ける意味が私を素直に喜ばすことができなかったのだ。
ソロとしての初めての収録となった今日、おそらくそんな悩みを抱えたままだったために私は納得のいく歌が歌えなかったのだろう。そしてその異変に如月千早は気付いていたのだ。
「初対面でいきなりこういう事を言うのは図々しいかもしれないけど、何かあるなら話でも聞くわよ?」
心配そうに私を見つめる如月千早の言葉。私は一度視線を逸らし再びグラスに入ったストローを口元へと運ぶと残っていたジュースを一気に飲み干した。そして氷だけが残ったグラスをゆっくりと机の上に戻した。
☆☆☆☆
私は如月千早に話した。合意の上でアスタリスクを解散したとはいえ、みくを切り捨てて自分だけが生き残ってしまったという罪悪感が未だに消えないこと、そうやって誰かを蹴落としてまで例え夢を叶えたとして本当に自分が笑えるかどうか分からないこと、そして今まで何においても中途半端なままここまでアイドルを続けてきてしまったこと――……。一度弱音を吐いてしまうと情けないことに私の口からは次々と止まることを知らずに弱音が溢れてくる。こんな自分、全然ロックじゃないなぁ――……、だなんて思うも次から次に溢れ出てくる私の弱音。そんな情けない、全然ロックじゃない私の弱音を如月千早は黙って聞き続けてくれた。
「そう、あの猫耳の子は結局どうなったか分からないのね」
一通りの話を聞いた如月千早は静かにそう呟く。みくと如月千早も直接面識はないものの、アスタリスクとして私と共に活動していたみくの存在を如月千早は知っていたようだ。もしかしたら765プロに、と一瞬だけそんな淡い期待が脳裏を過ぎったが当然そんな奇跡みたいなこともなく、当たり前だが如月千早もみくのその後は知らなかった。分かっていながらも思わず私は肩を落としてしまう。
何処かでアイドルを続けていてほしい、間違っても諦めて大阪に帰ったなんて話は聞きたくない、もしそんなことになっていたら私はこれからどんな想いでアイドルを続けて行けば良いのか――……。私の自分勝手な願望だと分かっていても、みくのいなくなった346のアイドル寮を見たあの日以来私はずっとそう思い続けていた。
「初対面なのに千早さ……、如月さんにこんな話してすみません。私、中途半端でアイドル失格ですよね」
「もともと私が聞いたんだから気にしないで。それと千早、で良いわよ」
「ありがとうございます。千早さん、私これからどうすれば良いんでしょうか……」
こんなことを千早さんに聞いてもどうにかなる訳でもないことくらい私でも理解していた。だけど、武内プロデューサーが退社してシンデレラプロジェクトのメンバーたちがみんなバラバラになってアスタリスクも解散して、独りぼっちになってしまった私は色んな悩みや葛藤を抱えて生きていく今の生活に疲れ果ててしまっていた。誰でも良い、と言ってしまえば凄く失礼になってしまうのかもしれないが、私は誰かにすがりたかったのだ。新たな人生を歩み始めた未央ちゃんやなつきちには相談出来ずに、本当は誰かに自分が抱えている悩みや不安を聞いてほしかった。連日のように私の心を襲い続ける罪悪感や悩みから一日でも早く解放されたかったのだ。千早さんは今日初めて会ったばかりで私の事をあまり知らない。だからこそ、こうやって素直に虚勢を張ることもなく自分の気持ちを話せたのかもしれない。
「そうね、多分その罪悪感や不安は消えることはないと思うわ」
「やっぱり……」
溜息交じりにガックリと肩を落とす私。でもね、そう付け加えた千早さんは真っすぐな眼で私を見つめていた。
「歌い続けなさい。何があっても歌い続けるの。それが生き残った者の義務だと私は思うわ」
「生き残った者の義務……」
「そう。例え前川さんが諦めて大阪に帰っていたとしても、貴女は歌い続けないといけないの。前川さんを蹴落として生き残った者として夢破れた前川さんの分まで、貴女は歌い続ける義務があるわ」
千早さんは変わらず迷いのない真っすぐな眼で私の眼を見つめている。その眼は私が何度も何度もテレビで見てきた誰に媚びることもなく歌うことだけに全てを捧げてストイックに生きてきた歌姫の真っすぐな瞳だった。
「多田さんはシンデレラプロジェクトにはどうやって入ったの? スカウト?」
「いえ、一般オーディションで入りました」
「そう。なら例えばの話だけど、貴女がシンデレラプロジェクトに受かったということはその代わりに落ちた人もいるってことになるわよね? その落ちた人の中には血の滲むような努力を重ねてそのオーディションに全てを賭けていた人もいたかもしれないわ。もしかしたら貴女が受かったせいで落ちることになりアイドルになる夢を諦めた人だっていたかもしれない」
「……はい」
「言い方はちょっとキツくなるかもしれないけど、多田さんは前川さんだけじゃなく色んな人を蹴落として今の立場に立っているのよ」
勿論、それは多田さんだけではなく私も含んだアイドル全員に言えることなんだけどね。そう最後に付け加えた千早さん。千早さんに言われるまでそんなこと、一度たりとも考えたことがなかった。だけど千早さんの言う事は正しくて、私が受けたシンデレラプロジェクトのオーディションで落ちた人は数え切れないほどいたのが現実だ。オーディションと同じように誰もがアイドルになるという夢を叶えられるわけでもなく、誰かが夢を叶えれば誰かが夢破れることとになる。誰かを蹴落とさずに夢を叶えることなど不可能なのだ。
「だからこうして生き残った人に“簡単に諦める”権利なんてないのよ。どんなに辛くても迷っても悩んでも、自分が蹴落としてきた人たちのためにも歌い続けないといけないの。それが生き残った者の義務だと、私はそう思うわ」
「千早さん……」
「まぁ多田さんの気持ちも分かるけどね。蹴落とした相手が長年一緒になってやってきたユニットのメンバーなら尚更苦しいと思う気持ちも分かる。でもね、厳しい話だけどこれが“夢を叶える”ってことだと思うわ」
先ほどまでの真っすぐな射抜かれるような強い眼差しから変わり、そう話す千早さんの眼は私を優しく気遣ってくれる優しい先輩の眼だった。
千早さんが言う“生き残った者の義務”。例えどんなに辛くて苦しくて悩んでも、歌い続けないといけないのだと、それが誰かを押し退けて生き残った者の義務なのだと、自分が生き残ったせいで夢破れた者たちのためにも簡単に逃げ出してはいけないのだと、千早さんはシビアな話だが私に優しく教えてくれた。それは誰よりもストイックにひたすら自分の夢に向かって歩き続けている“如月千早”が言うセリフだから尚更説得力があったのかもしれない。
そしてその話を聞き、アイドルの世界は楽しいことだけではないのだと改めて痛感させられた。
「千早さん、何か色々ありがとうございます……。それでもどうして急にこんな話をしたんですか?」
今日まで不愛想であまり他人に興味がないと聞いていた千早さん。その先入観があったからこそ、こういった気遣いは予想外だったのだ。
「そうね、なんだか今の多田さんが昔の私に似てたからかしら? 私も昔、生き残った者の重圧に耐え切れなくなって逃げ出そうとした時に色んな人に助けてもらったから。今度は私も誰かを助けたいと思っただけよ」
そう言いながら優しく笑う千早さんの笑顔は今まで私が一度も見たことのないような良い表情だった。