篠ノ之箒は頬杖をついて自己紹介の番が来るのを待っていた。
姉である篠ノ之束博士の意向からIS学園に入学が決まったとはいえ、姉が敷いたレールの上を走るしかない自分に苛立ちを感じていた。姉が産み出したIS――
一年一組副担任の山田真耶が出席簿に目を落としながら齢一五歳の少女達を五十音順で名指ししていく。
箒は「し」だから一〇人目くらいだろう、と考えていた。席を立つ。簡単な自己紹介。椅子に座る。そのリズムに従えばよかった。
ふと教室が静かになり、真耶がおっかなびっくりと言った風情で教壇の正面に座っていた生徒に声をかけた。その生徒は薄目のままぼうっと一人の世界に没入していたが、真耶の声に気付いて驚いた様子だった。
「次、あなたの番ですよ」
「す……すみません」
肩をすくめる姿に周囲の生徒がくすくすと笑ったので、箒もつられて相好を崩した。
生徒は慌てて左右を見回し、後ろを振り返って愛想笑いを浮かべた。深呼吸をしたかと思えば、ゆっくりと席を立った。箒も含め、教室中がその生徒に注目していた。
「……織斑一夏です。よろしくお願いします。ええっと」
箒は目を見開いた。懐かしい音の響きだった。意識の隅でほろ苦い思い出となっていた存在であり、もはや再会は叶わないと諦めていた者の名前だった。
「私の夢は三つあります。一つ目は世界一のIS操縦者になること。二つ目は姉を超えること。三つ目は姉を守れる女になること。以上です!」
凛とした姉とは異なり、
彼女、つまり織斑一夏は姉のアドバイスを受けて必死になって書いて、そして渡せなかった「らぶれたあ」の相手だった。
▽
恋に落ちたのだ。
織斑一夏と再会したことで幼い頃の恋の燃えかすが再び火勢を強め燃え上がった。篠ノ之箒は織斑一夏の事が好きで好きでたまらなかった。
だから、常に一夏の事を意識していてながらそっけない態度を取る自分をしかりつけていた。一夏は織斑千冬の妹であり、気さくな印象から彼女に話しかける者が後を絶たなかった。最初に話しかけて屋上に連れ出したときは自分を褒めたくらいだった。しかし、それからはなかなか話しかけることができなかった。偶然同室になったとはいえ、やはり虚勢を張ってしまいうまく話せずにいた。
そして迎えた朝の
織斑千冬はクラス代表を一組のクラス代表を選出するべくよく通る声で告げた。自薦他薦を問わない、とすれば誰かが手を挙げるだろうと考えていた。チラと妹に視線をやれば、手を挙げるような気配はなかった。今は母国に帰ってしまった凰鈴音の姿を思い浮かべ、彼女ぐらいの積極性が一夏にもあればと願っていた。
一夏に対する共通認識は
「織斑さんがいいと思います」
同じ事を考えていた別の生徒が手を挙げて賛成した。当の一夏は場の流れについていくことができず、推薦者の右に左に、と推薦者の顔を見つめることしかできなかった。
箒も一夏の実力が見てみたいということもあって、場の流れを静観していた。
このまま行けば一夏で決まり、と千冬がクラス代表決定の音頭を取ろうとした時だった。
ゆっくりはっきりとした澄んだ声音。底冷えのする暗い炎が燃え広がり、箒は抗議の声を上げた主の姿を見つけた。
「一夏さん。あなたはクラス代表に不適格です」
セシリア・オルコット。英国の代表候補生にして
IS学園には
一夏は引きつった愛想笑いを浮かべ、カツカツと一定の間隔で床に打ち付けられるヒールの音に向かって顧みた。最初に見たのは右手の甲に深く残された生々しい傷跡。ロンドン内戦の前半、反乱部隊が世界初のISの軍事投入を行い、量産型メイル・シュトロームで迎撃を行ったセシリアが撃墜された時に受けたものだった。
「愛想笑いばっかして、わたくしをバカにしていますの」
低い声音。決して殺気を発散しているわけではない。平和ボケした緊張感の無さが勘に障ってへそを曲げているにすぎなかった。静かに言葉を紡ぐだけで恐ろしいまでの威圧感を放っていた。
「私はそんなつもりじゃ」
「へらへら笑うあなたを見ていると不快ですわ」
口調はあくまで静かだった。だが、明らかに嫌みだとわかる。
セシリアは千冬を
「姉の七光りのくせに」
と
緊張の呪縛からいち早く逃れた箒は、机を叩きながら勢いよく席を立った。
「オルコット! いち――織斑さんに言い過ぎだ!」
「篠ノ之さん、座ってくださいまし。この争いにあなたが出る幕ではないですわ。まあ、あなたがクラス代表に立候補するならわかりませんけれど」
箒は唇を噛んだ。搭乗時間、技量、修羅場をくぐった数からしてセシリアの足元にも及ばなかった。
「篠ノ之束の妹ならわたくしに勝てるのかしら?」
「……
事実だった。すべて事実なのが憎らしかった。剣術を修めたからこそ、今の箒ではセシリアに
「あなた、賢いですわ。ご自分の力量を知るくらいには」
勘に障る物言いをした。せめて一矢でも報いようと睨みつけるが、セシリアが動じた様子はなかった。
「睨まないでくださいまし。わたくしはあなたよりも生き残る術を知っている。それだけのことですのに」
そう言ってくすくすと笑った。
「篠ノ之さんまでバカにしないでよ」
「あら怒りました? ちゃんと感情表現ができましたのね」
嘲るように笑うセシリアに向かって、震えた声音を向ける一夏。彼女の瞳は
「大方
「私は……そんなんじゃない」
「口にするだけなら誰でもできますわ」
顎から手を離し、腕を組みながら眼下の少女を見下ろした。一夏はセシリアの視線に抗うように声を上げた。
「私は……織斑一夏だ。
「なら証明してくださいまし。力を見せつけてくださいまし。わたくしを押し倒して股ぐらを貫いて喉笛を噛みきってくださいまし……」
セシリアはそれまでのお嬢様然とした雰囲気を捨て、捕食者を連想させる
「さあ! 決闘しましょう! 貴族たる者、淑女たる者、立ちふさがる敵はすべてなぎ払わねばならないのです!」
演技がかった物言いだった。それはロンドン内戦がセシリアに残した傷跡だった。
「やめろ織斑さん! その決闘は」
受けるべきではない。その考え方、活人剣ならぬ殺人剣だった。
セシリアは一夏を完膚無きまでに叩きのめすつもりでいた。そしてあちら側に引きずり込もうとしていた。
「……受けて立ちます」
一夏はセシリアを睨みつけた。
「聞こえませんわ」
「セシリア・オルコット! その決闘の申し出、受けて立ちます!」
激しい気勢だった。箒は目の前が真っ暗になるのがわかった。
「そう来なくては」
セシリアは弾んだ声音の後で妖艶に舌なめずりし、声にすることなく歌を紡いだ。
――共に楽しい、楽しい、
次回、「三、悩み」