「そいつぁ驚いた!狂犬クラスで本当に狂犬を召喚するなんて、アンタの方がよっぽど狂ってるよ!」
戦禍の静まった倉庫の中で、女二人は口を開き言葉を交えていた。片方はその場にいなければ主婦と違えるであろう、金髪碧眼の女性。手の中で鉄パイプを弄りながら、巫女装束の少女の背中を泥酔者の如く叩いていた。主婦の恰好をした女性の年の頃は20代後半から30代前半辺りか、目の下の皺と頬齢線が彼女の疲れと老いを表す。彼女の名前はエレン・マグナガル。自身を”鍍金師”と自称するセイバーのマスターだ。鉄パイプを弄ぶ手の甲に宿るのは、深紅の血液を彷彿とさせる二画の令呪。元は三画だったものが、擦って消されたように痣となり紋様を示す。その紋は一本の大剣と、それを覆う竜。消えた一角は竜が守る宝を示していたのだろう。エレン・マグナガルは陽気に大笑いしてあぐらをかいた。
「私は旅先で手に入れた護符を触媒として使っただけだ。あとあまり叩くなセイバーのマスター。脚が上手くくっつかない」
冷淡に拒絶の意を主張し、巫女装束のマスターは切断された脚を元に戻そうと切断面をくっつけて魔力を通す。地面に右手をついて地脈接続。自分の魔術回路を地脈の流れ道にして管へと変える。正常な管であれば流れて終わり。しかし、管に欠損部分があれば欠損から大源の魔力が漏れ出して修復を始める。世界は輪廻の如く巡り、正していく意を意味する、防御受けのカタチ。五行相生。大源かつ、治癒に優れた属性、水を使い、巫女装束のマスターは切り落とされた脚に治療を施していく。
「便利な魔術もあったもんだ。ところでバーサーカーのマスター。アンタの名前は?」
「教えない」
巫女装束のマスターは即答した。その意は聞くまでもなかったのだが、エレンは気にせずに問いを続ける。
「だってさ、バーサーカーのマスター。アンタは私の気まぐれで命を拾ったんだ。だからアンタは私に義理を返す道理があるだろう。だったら答えてくれないかい?」
巫女装束のマスターは俯いて否定の意。もっとも、彼女に名乗る気など毛頭なかった。巫女装束のマスターは五行相生の型のまま。地脈の魔力を傷口から漏れださせ、傷を上手く繋げていく。しばらくすれば、切断された脚もつながるのだろう。エレンは答えないバーサーカーのマスターの脚に、小さく手を添えた。鉄パイプを地面におき、令呪の宿った右手を傷口に添えて左手を虚へと伸ばす。
「ちょっと動かないでおくれ。固定する」
エレンはそういって魔力を練り上げる。その”鍍金師”という生業からか、魔術回路の攻勢が常人とは異なる。魔術回路を開くイメージではなく、魔術回路を模倣する。鍍金を塗りたくり、極上の魔術回路として魅せるイメージ。
エレンの創造物を作り上げる。模倣であるから完全でなくてはならない。しかし、彼女にはそれが出来ない。彼女は”嘘吐き”であるから。彼女は完全には模倣出来ない。劣化物であればまだ可能だ。否、もはや劣化物でないと彼女は作れない。劣化物を劣化物で塗りたくり、劣化物をその物だと世界に錯覚させる。左手で魔力を創造、擬似投影。
「Fe劣化《トレース・オン》」
塗りたくる為に必要な自己暗示を掛ける。自分自身は出来るのだと魔術回路を騙し、幻想を投影する。魔術の起動コードを紡いで、エレンは魔術を発動した。左手に握られたのは擬似物質。立方体を右手の甲へと押し付けた。大きさは5立方、色は純粋な錬鉄色。押し付けられた物質は粘土の如く溶け、掌を伝って広がった。鉄を伸ばしながら、切断部分を創造物で埋めていく。やがて脚部は錬鉄色に覆われて、エレンは息を吐いた。
「Fe劣化《トレース・オフ》」
終了コードを紡ぐと、粘土状だった物質が微かに強度を得る。錬鉄の様子を見届けた巫女装束のマスターは、施された魔術へと指先を触れた。冷たく、固い鋼鉄の感触。先ほどまでドロドロに溶けて、纏わされたものだとは思えない。彼女の魔術の一つなのだろうと自己完結し、巫女装束のマスターは単調に質問した。
「時間は?」
「ざっと半時間といったところかねぇ。セイバーへの魔力供給もしておきたいし、無駄遣いは身を滅ぼすよ」
巫女装束のマスターは「そう」と短く言って肯定し、再び傷口へと意識を集中させた。漏れる傷口を怪我をした時に起こる人間の瘡蓋のようなイメージをして漏れた魔力を凝固させる。傷を埋めていく。
「便利な魔術もあったもんだ。大本はなんだい?」
「五行陰陽術」
「その予測していたみたいな高速返答にゃァ驚いたけど、その……ゴギョウオンミョウ? は知らないね。アレかい。アジア系かい」
「そうだ」
「んでもって身体武術は中国と見た。知り合いにそんな動きしてる奴を見たことがあるよ」
「分かっているなら聞かなくていいだろう。陰陽術との相性と効率を考慮しての判断だ」
巫女装束のマスターは地に手をついた。手をそっと離し、履いた足袋を動かす。数分前まで離れていたものだとは思えず、絶句する。
「──ありがとう」
巫女装束のマスターは破顔し、笑みを零した。エレンはそれを見て、彼女には年不相応の笑みだな、と感じる。面を喰らってエレンは鉄パイプを手から離した。カラン、と金属音が空虚に響く。
「……ん。ならもう鍍金は必要ないね。もう繋がったろう?」
エレンは鉄パイプを拾い上げて、魔術を施した部分へと先端を触れさせる。
「鍍金鍍解」
魔力は空へと霧散する。巫女装束のマスターはきょとん、とエレンを見た。顔をしかめて口を開く。
「言動に矛盾が生じているぞ。魔力の無駄遣いを否定しているのに、何故私を治療した?」
「別に感謝されたい訳じゃあないよ。私はただ、アンタに持ちかけているだけさ。それと、治療はしていない。アンタの魔術がしやすいように補強しただけだよ。絆創膏、的な?」
「何を」
「忘れたのかい。こちとら令呪消費してまで命を拾ってやったんだ。アレかい? 鍍金師に主従契約をさせる気なのかい? 私にゃ人間を繋ぐ程の上質な回路は持っていないよ。薄汚れた嘘つきの魔術回路では限界がある」
エレンはそこで、口を噤んだ。
「……そうだ、アンタから話してくれないかい? カッツォ・ホーキングの事。それで決める事にするよ」
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それはロシア、北西部、フィンランド近辺での出来事だった。仕事は北欧系の魔術情報の吸収、廃れ始めた日本の陰陽道を扱う過去の大家。土御門家の中の当主最有力候補である彼女は巫女服ではなく、着慣れない一般的な服装をしていた。ロシアが夏場だと言う事もあってか、服装はかなり軽装だ。日本で言う夏服とまではいかずとも春、秋の暑い頃の服装であると言える。世界を巡り、魔術、風水に与える影響を調査し、術式に組み込むことで、彼女らの扱う陰陽道を進歩させたかったのだ。
本来陰陽術は、そこで既に完成された日本魔術の一種だが、現代社会においては完成した状態のままで生きていく事が出来る道理はない。彼女はそうして陰陽術にアレンジを加えながら、独自に魔術の理を展開させてきた。土御門家の中には彼女を批難する声もあったが、彼女を実力で勝る人物は他にいない。その意欲と、彼女の類稀なる才能と家に献身的な態度を買われての有力候補であった。
彼女が何事もなければ、当主の座に座れなかったとしても土御門家の最高の巫女としての地位が確立されていた。しかし──番狂わせは、起こるべくして起こるのだ。
彼女はロシアの土地を歩く際、地図を片手に下を向きながら歩いていた。その時に、軽く肩が触れてしまった事が切っ掛けだ。
異国の土地であれば日本語は通じまいと、彼女はぶつかった人物に謝罪の念を示す為にペコリとお辞儀をした。言葉が通じなくても、意識は通じる事もあるだろうと。小さく頭を垂れて、自分が悪であった事を示す。言葉など必要なかった。
『あぁ? 何だオマエ。喧嘩売ってんのか』
男は異国の言葉が気に触ったのか、大きく手を振り上げる。紡ぐ言葉はラテン語、爆破の意。その瞬間に、彼女の背中が発火したのだ。確かに、爆発の規模は大きくない。むしろ小さい部類に分類されるだろう。人一人すら殺せないような──いわば爆竹レベルの小さな爆発。しかしそれが、背中からの爆発であれば話は別だ。背中の外からであればよかったものを、背中の肉部分を中心として爆発したせいで肉が抉れる。肉の焦げる臭いと、飛び散った肉片とが宙を舞う。服が赤く染まった。
『痛かった! 痛くて痛くて痛くてッ! 私はずっと! 何か分からなくて、押し潰されそうでッ!』
卑しく嗤う男の顔を彼女は覚えている。彼女は目に涙を溜めながら男を睨みつけた。地に這い蹲り、爆破の勢いで倒れこんで、歯を喰いしばって。
『そォやって這い蹲ってりゃァよかったのによ! 俺様の事をバカにしやがって、クソ、クソクソクソッ!』
男の絶叫。苛立ち、鬱憤を吐き出した怒声。男はしゃがみ込んで、彼女の前髪を掴んだ。ぐい、と引いて顔を接近させる。
『運が悪かったな東洋人。俺様は今、最ッ高にムカついてんだよ』
空いた手で、顔面へと拳を叩き込む。抉り削るような拳には回転が加えられて、彼女の意識を刈り取る。そこで彼女は抵抗する意思を完全に消した。意識を朦朧とさせて、彼女は男に成されるがままになろうと決心する。──この男には、復讐してやろうと。
後に行われた事は酷く簡素だ。殴る事に飽きた男は彼女を路地へと連れ込み、身ぐるみを剥いで己が欲望の捌け口としただけ。彼女が男の名前を知る事が出来たのは、男の落とした”獣の護符”に込められていた男の名前を見たからだ。ロシア語が話せず、理解出来なかった彼女でも調べれば男の名前くらい読める。
『嫌でッ! 嫌で嫌で嫌でッ! その後も怖くて怖くてッ! 潰れてしまいそうでッ!』
『殺してやる。後悔させてやる。半端に奪った残り滓に殺される屈辱に塗れさせてやるッ。私は土御門の女だ。私にはベルセルクがいる。半端に殺された狼の恨み、この身を以てして知らしめてやる。カッツォ・ホーキングに災いあれ、呪いあれ。そしてこの私の恨みを思い出せェェッ!」
女の絶叫と吐露が、過去回想に挟み込まれる。狂化の精神汚染もさながら、この女のサーヴァントの触媒は彼女の精神性ではないのだろうかと疑った。
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虫すらも寝静まる頃、霊体化したサーヴァントへと声をかけた。彼女に多少ばかりの負担をかけたと思い、語らせた後にはすぐに休ませた。彼女の名前は燐堂緋音と言うらしい。偽名を名乗った可能性も考慮されるが、今回に限ってはそれはないだろう。彼女は最後まで極限状態だった。あの興奮した精神状態で嘘が吐けるとは思えない。
目的の利害は一致した。私は彼女、燐堂緋音と陣営を組む事を決定する。目的はカッツォ・ホーキングへの復讐。利害の一致なのだから、信頼が出来るまででなくとも裏切る事はないだろう。カッツォを前にしてどうなるかは分からないが。しかし、私のサーヴァント・セイバーには確認すら取っていない状態だ。不満を覚えていないか心配になった。事後承諾となったが、これで勘弁してもらおうと、パスを通じて呼びかける。
「セイバー、聞こえるかい?」
『何だい、マスター? 僕としては睡眠時間を削って生命力を消費されるのは嫌なんだけどなぁ』
私の言いつけを守って霊体化しているセイバーに一先ず一息吐いた。姿が見えなくとも、パスの繋がったサーヴァントの行動は手にとるように分かる。サーヴァントの心配は尤もだ。何より、私のような出来の悪い魔術回路で聖杯戦争に参加しようと思った事自体が問題なのだ。
私は”鍍金師”になるべくしてなった訳ではない。奇跡的にあった魔術回路と、母方から伝わっていた魔術教本を元にして魔術理論を構築しただけだ。魔術回路は本数にして八本。本来ならば、鍍金師の成り損ねである私では戦闘すらままならなかっただろう。本来ならサーヴァントを現界させているだけで精一杯なのだが──私のセイバーは、とんでもなく魔力効率の良いサーヴァントだった。
サーヴァント・セイバー。真名は北欧の竜殺し、シグルズ。悪竜ファヴニールを殺し、竜の血を浴びて鋼鉄のような皮膚を手に入れた剣士だ。持つ宝具は聖剣グラム。しかもそのグラムの異常さは宝具の在り方を覆すものだった。彼の顕現したグラムは、本人以外にもその力を振るえる概念武装だ。私も戦闘中には使う。何でも紙の如く切り裂く聖剣は私にも振るえるという観点から、極めて有用な宝具だと判断出来る。グラムには真名開放という概念が存在しない。その物があるだけで、全て。だから貸し与える事が出来る。セイバーなのに派手な攻撃がないと彼は嘆いていたが、私にはありがたい話だった。
「そっか。すまないねぇ、セイバー。今回は突っ走っちまったからさ、事後承諾でもしようかと思って」
有名さであれば他のセイバーにも劣らないだろう。もっとも、その当人が十代半ばという幼い姿で召喚されるとは思わなかったが。鍍金理論も鍍金も、経歴も嘘。嘘、嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘──。
嘘で塗り固められた私は、酷く脆い。すぐに剥がれる鍍金を塗った、偽者の魔術使い。
『うーん……そうだな、別に僕は構わないと思うんだけど。それがマスターの意向と言うのであれば、僕は尊重するよ。でもマスター? ──果たして彼女は、令呪一画を消費してまで救う価値があったかい?』
「……それは」
セイバーの問いに私は即答出来なかった。その理由を見つけられなかったと言った方が正しいか。だが、そもそも私は、どうして彼女を救ったのか、目的を見失っていたのだ。むしろ、目的など無かったのかもしれない。
『それは違う、マスター。マスターは意思を以てして僕に令呪を使って命令したんだろう? その意思が分からなかったとしても、それは”今は必要のない事だから”思い出せないだけだ。それともマスター。君は意思のない傀儡だったのか?」
必要のない事だったとしても、気になる事は気になるのだ。同じ対象を敵に持つ彼女を仲間にすれば、成功率が上がるとでも思ったのだろうか。確かにカッツォ・ホーキングの名を聞いて留まったのは言うまでもない。しかし、それが発動鍵《スターティング》になったとは──切っ掛けの一つだとは思う。しかし、決定打だとは言えない。
「セイバー、アンタはどう思うんだい。私の真意がアンタには見えているんだろう? だったら──」
『ん、マスター。そこまでだよ』
セイバーが現界する。暗闇に目が慣れていないのか、姿を捉える事は出来なかった。
『その問いには答えられない。マスターがピースを見つけなければ、意味がないからな』
視界が慣れ始める。月明かりがセイバーのシルエットを映し出した。暗かった視界が白澄み始める。セイバーは私に背を向けて歩み始めた。
『言いつけを破った事には謝罪する。少しの間、マスターの傍らを開けさせてくれ。何かあれば令呪を使ってくれて構わない。マスター、”セイバー”がいない間は、あのバーサーカーに世話になるといい。命は救われるだろう』
呼び止めようと手を伸ばしたが、セイバーに『魔力補給だ』と拒絶の意を示される。仕方なく背を見送る。魔術回路の不出来と、魔力不足には私に責任がある。他人を殺して魔力補給でもするつもりなのだろう。
ふと、頭に引っかかる。
彼は、髪の色が白い、黒の騎士だっただろうか。
急速に意識が落ちていく。眠気に耐えられず、私は微睡みへと飲まれていった。