「家畜共の言う大火はどこだ……?」
若い霜の竜が不思議そうに周囲を見渡す。
伝えられていた状況と異なり困惑しているようだ。
レイナースは霜の竜の言葉に肌が粟立つ。
彼の台詞から土堀獣人側であることを察したのだ。
――攻撃は偶然ではなかった。
明確な敵。
それも絶対的な捕食者、竜と敵対してしまったことにレイナースの気が重くなる。
――竜殺しは騎士の誉れと言うけれど、厄介ね。
強靭な肉体を強固な鱗で覆っているだけでなく、誰もが恐れる「ドラゴンブレス」がある。
砦のある崖棚は広いからまだマシだが、狭い坑道で吹かれたら逃げ場がない。
霜の竜が首をもたげて広場を見渡す。
「人間共にさして興味はなかったが……、家畜を荒らすようであれば駆除も必要か」
レイナースは焦る。
薄暗い中、広場ではまだまだ散発的な戦闘が続いている。それは倒れた土堀獣人へ止めを刺すだけのものだが、断続的に続く戦闘音と視線が下に向いている事が災いして多くの兵達が霜の竜に気付けないでいた。
密集陣形の右翼側、その先頭に立つ幾人かが霜の竜に気づいたのか動揺が足並みの乱れとなって表れる。これでは咄嗟の連携は困難だとレイナースが危惧していると、傍らにいたモモンが小さく呟く。
「なるほど、土堀獣人と霜の竜が手を組んでいたか」
侮蔑や嘲笑とは無縁の、強いて言えば納得や関心といった調子の呟きだ。
だが、その台詞の何がいけなかったのか、霜の竜はそれまで無関心だったモモンに対し激昂する。
「貴様っ! 誇りある我ら一族を侮辱したな!!」
霜の竜は巨大な身体を捻って尻尾を振るう。
その一撃はレイナースを以ってしても死を覚悟するほどのものだったが、四騎士の性か、咄嗟にモモンを庇うように前へでる。
「モモン殿! 下がっ――!!」
言い終える前に強烈な一撃を受け、レイナースはモモン共々砦へ吹っ飛ばされた。
* * *
モモンガは庇ってくれたレイナースを半ば抱きかかえる姿勢のまま、風を切る勢いで砦へと飛ばされる。飛ばされた先が幸運にも砦側面の防御の薄い個所だったため、壁と家具を粉砕しながらの派手な入室を果たす。
「ぐっ!? モモン殿、ご無事ですか?」
「ああ……、びっくりしたな。大丈夫ですよ」
瓦礫とレイナースに押し潰されてはいるが、モモンガに怪我はない。
レイナースも粉塵まみれであることを除けば無事だ。ただ尻尾の一撃を受けた彼女の槍は、折れてこそいないが僅かに歪んでしまっていた。これでは先に見たような繊細な攻撃はできないだろう。
「びっくりしたのはこっちだよ!!」
「2人揃ってのご入室とはお熱いねぇ」
身体を起こそうともがく2人に馴染みの声がかかる。
砦を制圧中だったやまいことクレマンティーヌだ。
やまいこは本当に驚いたのか、鼓動を鎮めるために左手を胸に当てている。これで右手に事切れた赤毛の土堀獣人をぶら下げていなければ、もう少し“か弱い女性”に見えたかもしれない。
隣のクレマンティーヌも反り血を浴びた顔に若い女性がしてはいけない下卑た笑みをたたえている。冒険者稼業なので常に品行方正であれとは言わないが、アダマンタイト級冒険者としてもう少し品性を養ってほしいとモモンガは思う。
「すまない。驚かすつもりはなかったんだけど、想像以上に勢いがついて……」
実のところ、モモンガはドラゴンの尻尾攻撃を受けた瞬間、自分を庇おうと割って入ったレイナースを守るために自ら地面を蹴って後ろに跳んだのだ。つまり、身体を張った“受け流し”で尻尾の勢いを後ろに逃がした訳だ。
もし、モモンガがその場にとどまろうと踏ん張っていたら、レイナースは強靭なモモンガの身体とドラゴンの尻尾に挟まれて負傷していたかもしれない。
「で? 土堀獣人の王様でもでてきた?」
「それ以上ですよ。霜の竜です」
「おぉ~、大物が釣れたねぇ」
やまいこが喜ぶ。この世界で初めて出会う生きた竜だ。
レイナースが感嘆する。
「流石ですね、霜の竜と聞いても恐れがないとは……」
鎧に付着した埃を落としながらレイナースは続ける。
「ただ、大物は大物ですけれど、鱗に青みがあったので比較的若い個体だと思いますよ」
それを聞いて「加齢によってレア度が変わるのだろうか」と考えてしまうのがモモンガだ。
――作れる物や性能が変わるなら飼育も視野に入れるべきか?
現在、デミウルゴスの牧場では出産と発育の効率が良い獣人を品種改良し、第五位階までの皮紙を安定生産できるよう図っている。残るは高位階用だが、施術に耐え得る種にはまだ出会えていない。あの霜の竜が記念すべき“発見”になるやもしれない。
なお、初期の主力品種だった羊は前述の“諸々の効率”からその座を獣人に明け渡し、今では食用の繁殖だけが続けられている。
モモンガがスクロール素材に想いを馳せていると、砦の外がにわかに騒がしくなる。
戦いの音だ。
「話は後ですわ!!」
慌てて出ていくレイナースを漆黒が追う。
* * *
広場では帝国兵と霜の竜の戦いが始まっていた。
帝国兵がレイナースの仇を討とうとしたのか、それとも死屍累々たる土堀獣人を見た霜の竜から仕掛けたのかは分からないが、引くに引けない戦いが始まってしまったのは確かなようだ。
霜の竜は、その強靭な筋力から繰り出される俊敏な体当たりと、広範囲を横凪ぎにする尻尾で帝国兵を蹂躙する。
帝国兵たちは、事ここに至っては本能に従うべきだった。
恐怖心に身を任せて逃げるべきだったのだ。
しかし、彼らは踏みとどまった。
軍人として、護国を司る兵として、恐怖心を抑える術を身につけてしまっていたのだ。
気概を持って霜の竜に挑む帝国兵たちだったが、相手は若い個体とはいえ竜。それは余りにも無謀だった。
土堀獣人に優位を誇っていた密集陣形が利かない。生身の人間、それも難度30付近の精鋭候補が武技と大盾を併用したとしても凌げる相手ではなかったのだ。
それこそ、英雄の域に達した者でなければ、ただただ圧倒的な“暴”で蹂躙されるだけなのだ。
竜の巨大な質量によって生み出される純粋な暴力は、全身甲冑を着込んだ騎士を易々と薙ぎ払い、そして潰していく。
真正面から挑めば死ぬ。
生まれながらの強者、竜を相手取るということはそういう事なのだ。
では、然るべき戦術を以って相対したらどうか。
「分隊で散開! 散兵陣形!!」
レイナースが己の無事を誇示するように叫ぶと、帝国兵たちは冷静さを取り戻す。
『散兵陣形! 急げ!!』
『散開しろ!!』
復唱に従い、密集陣形を構成していた縦1列の兵たちが5人1組の分隊となって分かれると、そのまま5~6メートル程の間隔で散開する。
先の戦争では見なかった陣形にモモンガの心が弾む。
――へぇ、これは面白い。
散兵陣形。
分隊が細かく散開するこの陣形は、バハルス帝国が敵の範囲攻撃を想定して編みだしたものだ。敵の密集陣形に対応できるだけの最低限の厚みと、範囲魔法や矢、投石による被害を軽微なものにする効果をもつ。
そしてドラゴンブレスを範囲攻撃と捉えれば、霜の竜相手にも有効だといえよう。
「煩わしいっ!!」
散開した帝国兵を叩いて回る非効率さにイラついたのか、霜の竜が口に冷気を湛えながら鎌首をもたげる。
「ブレスが来るぞ!!」
各分隊が次々と盾を構える。
3人が前方へ、残りの2人が頭上に盾を構え、分隊がさながら小さな密集陣形となった刹那、ゴウッと冷気の塊が吹き荒れた。
ブレスが撫でた大地に霜が降り、冷気を浴びた帝国兵を白く染める。
鎧下や皮革を着込んでいても耐えられない“凍てつき”に幾人もの兵が膝をつくが、間をおかずに部隊後方から援護射撃が入る。
レイナースの号令で山小人たちが一斉に投石器を放ったのだ。
「小賢しい真似をっ!!」
帝国兵へ追撃しようとしていた霜の竜は虚を突かれ、ミスリルを織り込んだ金属の網に絡め捕られる。しかし流石と言うべきか、鋭い爪で網を切り裂こうともがくと下級の土堀獣人では手も足も出なかったミスリルの網が、ゆっくりとだが確実に引き裂かれていく。
「マイ! 破らせるなっ!!」
「了!」
雇われの身でこれ以上の傍観はできない。
やまいこが暴れる霜の竜に接敵し、網を切り裂こうとする前足に拳を叩き込む。ズムンという生々しい打撃音と共に、初めて味わうであろう強烈な痛みに霜の竜が絶叫する。
「ギィ゛ガア゛ァ!! ば、馬鹿な!? これが人間の一撃だと!!?」
「おお?! 流石は竜鱗! なかなか歯応えがある!!」
やまいこの一撃に合わせ、空中から魔法詠唱者たちが〈火球〉で追い撃ちをかける。
〈火球〉が命中するたびに、薄暗い洞窟の壁面に踊り狂う影が映し出される。
それはまるで見世物小屋の道化が催す影絵のようで、この場に吟遊詩人がいたら嬉々として詩にしたであろう劇的な一幕だ。
「ガァ゛ア゛アァアッ!!」
炎に炙られた霜の竜が一際大きく叫ぶと、再び冷気を帯びたブレスを吐く。
しかし、先ほど帝国兵に向けて吐いたブレスとは少し様相が異なった。
「なっ!? 目眩ましかっ!!」
ブレスは白い霧となって広がり、霜の竜のみならず広範囲を覆い隠す。
「さがって!」
やまいこの指示で霜の竜を囲っていた帝国兵たちが霧から距離を取る。
この世界にはユグドラシルには無かった始原の魔法と呼ばれる固有の魔法がある。ドラウディロン女王によれば扱えるのは高位の竜だけで、その数は極わずかの筈だ。だが目の前にいる若い個体も竜である事にはかわりない。万が一を考えると、予備動作を目視できない状況では距離を取って警戒すべきだろう。
霧の中からは霜の竜がもがく音だけが響く。いつ網を破って飛び出てくるのか分からない現状に帝国兵の間に緊張が走る。
そんな中、帝国の魔法詠唱者たちが〈火球〉を霧の中へ当てずっぽうに放つ。霜の竜に回復手段があるかは分からないが、霧が晴れるのを待つよりかは継続して攻撃したほうがいいと判断したのだろう。
魔法詠唱者たちはここぞとばかりに魔法を放つと、霧の中で燃え上がった炎が乱反射して霧全体が朧げに赤く光る。遠距離からの一方的な攻撃。強大な竜を相手に、人間が優位に立てる貴重な機会だ。
しかし、網で動きを封じたとはいえ、彼らはもっと慎重になるべきだった。
優位に立てたのも束の間、立ち込める霜の中から煌めく何かが飛翔し、〈火球〉を放っていた魔法詠唱者たちを貫く。
視界を遮ってからの狙撃。
定番だが効果的な組み合わせだ。
短い悲鳴を上げながら魔法詠唱者たちが落ちる。
モモンガは咄嗟に〈火球〉で反撃するが、霜の竜は霧を割って飛び上がると難なく避けてしまう。
霜の竜は空中でバサリと羽ばたくと、そのまま砦の物見櫓にしがみつき、眼下の帝国兵たちを睨みつけながら憎々しげに唸る。
モモンガは撃ち落とされた魔法詠唱者たちへ目を向ける。彼らには氷柱が刺さっており、戦線への復帰は難しそうだ。
〈穿つ氷柱〉か〈氷の投げ槍〉か。或いは霜の竜固有の魔法だろうか。命中率の高さから、もしかしたら霧越しに相手を感知できる能力か、必中属性の魔法なのかもしれない。それが霜の竜、または竜種全般が持つ能力なのかは分からないが厄介だ。
霜の竜が大裂け目の対岸へ向けて叫ぶ。
「何をグズグズしている! これはお前たちの戦いだろう!!」
霜の竜の呼びかけに応じるかのように対岸が騒がしくなる。
モモンガの位置からは砦を挟んでいるので確認はできないが、向こう側には1万を越える土堀獣人が居たはずだ。前半戦で帝国の魔法詠唱者たちがどれだけの土堀獣人を打ち倒せたか分からないが、対岸から大挙して押し寄せてこられたら“冒険者設定”を守りながら戦うのは正直面倒だ。
――やれやれだ。
いっそ吊り橋を落としてしまおうか、と思案する。山小人達にはなるべく保持するよう頼まれていたが仕方がない。
――この状況じゃ不可抗力だよな。
モモンガが吊り橋を落とすために〈飛行〉で向かおうとした瞬間――
対岸から放たれた1本の矢が霜の竜の胴体を撃ち抜いた。
その一撃は霜の竜を物見櫓から引き剥がし、続いて2本3本と空中の霜の竜を射抜くとそのまま洞窟の壁に縫い付ける。
衝撃の余波で洞窟が崩れるなか、崩落の危機よりも周囲の者たちを驚愕させたのは、岩壁に張り付けにされてピクリとも動かない霜の竜の姿。
騒がしかった戦場が嘘のように静まり返る。
断末魔を上げる間もなく、霜の竜が絶命していたのだ。
そして対岸の土堀獣人たちの悲鳴が事態の急変を告げる。
* * *
――戦場の空気が変わった。
モモンガたちは互いに目配せし、吊り橋へと向かう。
対岸までは120メートル強で薄暗い。“魔法の目”を飛ばすと、そこでは大規模な戦闘が行なわれていた。飛ばした目で直接音は拾えないが、喧騒と怒号が谷を超えて響いており、闇妖精が率いるナーガ、小鬼、魔狼たち混成軍が、土堀獣人のキャンプを急襲したのだと分かる。
記憶を頼りに地形を見渡せば、彼らはフェオ・ライゾから遥々と遠征してきたのだろう。
モモンガは戦場を俯瞰する。金属武器耐性を物ともしない小鬼の棍棒や魔狼の爪牙、それに加えて闇妖精とナーガの魔法と魔弓による間接攻撃は、土堀獣人たちにとって悪夢としか言いようがない。土堀獣人たちは早くも劣勢だ。
魔法で偵察していることを察したレイナースが隣に立つ。
「モモン殿、様子は如何ですか」
「何者かが土堀獣人と戦っているようですね。――あれを。恐らく使者でしょう」
モモンガは皆の注意を吊り橋へ向ける。
赤い布地に白い花の意匠を添えた旗を掲げた闇妖精の先触れだ。
レイナースたちは闇妖精を目にしても不安がる様子はない。流石に霜の竜を屠った相手に無警戒ではないが、先触れという儀礼的な対応に対話が可能な相手だと判断したのだろう。
――間に合ってよかった。
モモンガは“何者か”と勿体ぶったが、もちろんその正体を知っている。山小人王国と取引をするため、内々に呼び寄せたアウラたちだ。モモンガ個人としてはルーン技術さえ入手できれば満足なのだが、アインズ・ウール・ゴウンとしては鉱物資源の仕入れ先として無視できない。彼女にはまずは“繋ぎ”として関係を築いてもらうつもりだ。
ただ、長く交流を続けている山小人王国とバハルス帝国との間に割って入るのは困難だとモモンガたちは感じた。それこそ本人たちでは解決不可能な国難から救って恩を売らなければ、取引相手としての存在感と影響力を誇示できないだろう。そのために砦奪還には間に合わずとも、直後に到着する形で関与できれば良しと考えていたのだ。
「我らはフィオーラ王国が使者である。盟約に従い山小人王国へと馳せ参じた。恐れ入るが貴殿らの所属をお聞かせ頂きたい」
「我らはバハルス帝国が義勇軍。同じく盟約に従い山小人王国に助力している」
名乗りを上げた使者にレイナースが代表して応える。“古き盟約”に関して知ることは少ないが、帝国が大義名分として掲げる盟約を出されては礼を以って返すしかない。儀礼的な挨拶を交わした後、レイナースは視線を対岸へ向けて「協力は必要か」と伺うが、使者は暫し考え首を振る。
「いいえ、お気持ちだけで充分です。まだ小鬼たちに人間との付き合い方を十分に仕込んでおりません。戦闘で興奮した彼らがどうでるか……。何卒ご了承を」
「なるほど。――では山小人王国の者を紹介いたしましょう。すぐ後ろに控えているのでご案内する」
レイナースは申し出を断られて内心ほっとしたことだろう。帝国兵は霜の竜との戦いで万全ではない。それに闇妖精はまだしも、果たして小鬼たちに背中を預けても大丈夫なのかという不安もあったはずだ。
因みに、使者の言葉に嘘はない。
トブの大森林を掌握し多くの種を支配下に置いたが、まだまだ人間との交流は限られている。闇妖精やナーガ程の知性を持つ種であれば問題はないが、それらよりも劣る種にはカルネ村の住人が身に付けている明確な目印がなければ見分けがつかないのが現状だ。
モモンガは使者を案内するレイナースから再び意識を対岸へと移す。
――人食い大鬼の一振りで土堀獣人がどれだけ飛ぶのか見たかったけど、……諦めるか。
生息地域が異なり、出会うはずの無い種族同士の対戦には浪漫がある。
本来、フィオーラ王国軍の編成は、魔狼、小鬼、人食い大鬼の前衛と、それらを指揮する闇妖精の後衛で組まれているのだが、身長3メートル近い人食い大鬼には山小人の掘った坑道が狭すぎたため、急遽、ナーガが代わりに編成された経緯がある。
前衛の打撃力が大幅に落ちたものの、ナーガも決して弱い種族ではない。期待した人食い大鬼の戦いを見られなくなったのは残念だが、これはこれで貴重な戦闘記録となるだろう。
ふと気づくと対岸の占領が完了しそうだ。
アウラには土堀獣人を殲滅せず押し返すよう指示を出している。アインズ・ウール・ゴウンとして土堀獣人に恨みはない。傘下に加わるかの選択を一度だけ問う予定だ。加わるのであればそれで良し、拒絶するなら悪役候補にするだけだ。
――勝負あったな。
モモンガは遁走する土堀獣人を見やり勝利を確信する。
* * *
大裂け目の砦を取り戻し、東のフェオ・ジュラに戻った一行を出迎えたのは、山小人王国挙げての大歓迎。一時は地上にまで追いやられようとしていた山小人王国の民は、出陣してから半日経たずの凱旋にそれこそ誰もが沸き立って飲めや歌えやの大騒ぎだ。
そんな喧騒が届かぬ場所、5日前に初めて通された摂政府の会議室でフィオーラ王国と山小人王国が交渉の席についていた。主な議題は“両国間の交易”と今後の“お互いの立ち位置”。
意思疎通ができて互いに敵対心もない。順当に交渉が進めば両国に実りがもたらされるはずだ。
交渉は有意義に進み、すでに終盤。
しかし、向き合う両者の表情は対称的だった。
片や人懐っこい笑顔に自信に満ちた態度だ。霜の竜を仕止め、さらには1万以上の土堀獣人軍を退けたフィオーラ王国軍の女王、アウラ・ベラ・フィオーラ本人が会議の席に着いている。
対するは硬い表情の山小人8人。交渉事なので商人会議長が矢面に立たされてはいるが、摂政府の全員が同じ様相だ。政を司る身として「必要以上に下手に出ないように」と示し合わせていたが、アウラが放つ上位者の気品に呑まれ、かつては自分達も尊き血に仕えていたことを思いだしてしまったのだ。
王族を尊ぶ精神。それが彼らの緊張の正体だ。
アウラの溌溂とした声が会議室に響く。
「それじゃあ、話をまとめるよ? フィオーラ王国からは果実酒と木材、森祭司謹製の空気清浄器の輸出。それとフェオ・ライゾ奪還の協力ね」
アウラに迷いはなく自信に満ちている。この世界に転移してはや半年、トブの大森林掌握とフィオーラ王国建国、さらには共存協定の拡大と、ナザリックの外で働く者としてはデミウルゴスやセバスたちに次いでギルドに貢献してきたと自負している。
アウラに商人会議長が答える。
「うむ。山小人王国からは各種鉱石の輸出、フェオ・ライゾ奪還の暁には周辺の租鉱権をフィオーラ王国に発行、そしてルーン工匠の派遣じゃな」
取引に際し、意外にも木材の需要があったことにアウラたちは驚いた。山小人に限らずこの世界の住人は、家具のちょっとした破損であれば自分で修繕する日曜大工が大半だ。「壊れたら直す」の精神が浸透している。すぐに買い替えてしまおうなどと安易に捨ててしまうのは裕福な人だけだ。そしてそれらに輪をかけて山小人の木材利用は限られる。人間であれば調理や暖を取るために薪として消費する選択肢があるが、熱鉱石に頼る山小人にはそれが無い。
にもかかわらず、今回は特需と言える量を発注だ。悲劇的な大侵攻に学び、対土堀獣人用に棍棒を大量生産するかと思いきや、洞窟鉱山長曰く「坑道を補強するため」だという。
本来、坑道を補強するのはトンネルドクターと呼ばれる魔法詠唱者だ。彼らはガス溜りや水脈の探知もできるため、それこそ山小人文明にとって必要不可欠な存在と言える。
ただ、数が少ない。今後、失われた都市を取り戻すとなると管理しなければならない坑道が増えることになり、現役のトンネルドクターだけでは手が回らなくなる。その負担を減らすために、使用頻度の低い坑道は木材で必要最小限の補強を施して廃路にしようという訳だ。
「あ、忘れてた。霜の竜はあたしが貰うね。一部の素材は供物としてバハルス帝国に謹呈するつもりだけど、山小人さんたちも何か欲しい?」
アウラとしては霜の竜の亡骸は余すところなくナザリックへと送り届けたいところだが、「砦奪還作戦の犠牲者へ捧げるために素材の一部を譲るように」と事前に指示を受けている。
アウラの発した“供物”に商人会議長が嘆息する。
「いや、わしらは砦を取り戻せただけで十分じゃ。まさか霜の竜が現れるとは……。亡くなった帝国兵の慰めになるか分らんが、我々も報いなければな……」
――“がいこうてきはいりょ”……か。
アウラは女王という立場を重々承知している。本格的にフィオーラ王国が動き出した時、御方が「上手く女王を演じられるように」と学ぶ機会を設けてくださった。王族としての心構え、内政や外交などの手ほどきを受けたのだ。
――はぁ……、もう受けたくないなぁ。
授業風景を思い出し、アウラは心の中で溜息をつく。別に授業が厳しかっただとか、退屈だったとかではない。ただ、教壇に立ったのは御方々ではなく、またアルベドやデミウルゴスたちでもなかった。
御方に呼び出され、授業のために用意された部屋に現れたのは“ナザリック五大最悪”の1人、恐怖公。節足動物門、昆虫綱、御器被り目の彼は、直立する30センチのゴキブリだ。
王笏を携え、頭に小さな王冠を載せて二足歩行する姿は見ようによってはコミカルかもしれないが、苦手なものは苦手。たとえコキュートスの盟友で紳士であっても長時間顔を突き合わせての授業は精神にくるものがあったのだ。
アウラが黒光りする記憶を必死に振り払っていると、総司令官が遠慮がちに口を開く。
「それで、奪還作戦はいつ頃にするかのう。早期奪還を目指したいところじゃが、できれば練兵期間を設けたい」
彼らは今回の大侵攻を受けて軍を増強するという。その為の訓練だ。天然の要害に胡座をかいて滅びかけたのだから当然の反応だが、逆に今までの危機感が薄すぎたともいえる。
そして、山小人王国にはフェオ・ライゾを早く奪還したい理由があった。フェオ・ジュラの人口が過密なのだ。土堀獣人から守るためにフェオ・ライゾの全住人を受け入れたが、都市2つ分の人口を収容するだけの余裕が無かったのだ。
これまでは“滅亡”を背に、誰もが無理を強いられながら秩序を維持してきたが、受け入れから3年、土堀獣人という脅威が去った今、抑圧されていた住人から様々な不満が噴出するのは時間の問題だ。
しかし、山小人王国の将来を危ぶむ彼らに対して、アウラはあっけらかんと答える。
「奪還はあたしたちだけでやるからさ、山小人さんたちは準備が整ってからゆっくり来なよ」
「な、なに?! いやしかし、それでは儂らに立つ瀬がないというか……」
総司令官が口ごもる。山小人王国としては協同で事に当たることで奪還後の立場を少しでも良くしたいという思惑がある。特にアゼルリシア山脈の外、トブの大森林で広がる共存協定の動向を聞いてしまってはなおさらだ。
フィオーラ王国に対してなるべく弱みを見せたくないのだ。
「見栄を張っても仕方ないでしょ? 私たちがちゃちゃっと取り戻してあげるから、後から引き継げばいいじゃん。それよりも鉱夫の用意をしておいてよ。あっちでしか採れない鉱石とかあるんでしょ?」
アウラのその言葉に鍛冶工房長と洞窟鉱山長、それに商人会議長が反応する。フェオ・ジュラでしか採掘できない白鉄鋼。3年前に持ち出した在庫に頼る今、このまま消費し続けたら極端な高騰に晒されるだろう。
意図しない市場の混乱は治安悪化の原因となるものだ。
商人会議長が総司令官の説得を試みる様子をアウラは可愛らしい笑みを浮かべて眺めているが、その笑顔の裏では失笑してしまわぬよう必死に堪えていた。
何を隠そう件のフェオ・ジュラはシャルティアによって既に制圧済みだ。アウラがこの件でやる事と言えば現状を維持することだけで、それはフィオーラ王国の戦力で十分まかなえるものだ。改めてアインズ・ウール・ゴウンの戦力を投入する必要もない。
商人会議長が咳ばらいをする。説得の途中だがアウラの笑顔をどう捉えたのかどこか申し訳なさそうだ。彼は他のメンバー、特に総司令官に気を配りつつ話をまとめる。
「総司令官、ここはフィオーラ王国のお言葉に甘えて練兵に注力しようではないか。未熟な兵を送り出しても意味が無い。鍛冶工房長も精鋭用の装備を用意、事務総長はフェオ・ジュラ奪還に合わせて帰還者を送り出せるように手配じゃ。皆、いいな?」
やや強引だがこの念押しに摂政会の面々は頷く。
「話はまとまったかな?」
「あ、あぁ。お待たせして申し訳ない。フェオ・ジュラの件は宜しくお願いする」
「任せて。奪還したら連絡するから、頃合いを見計らって鉱夫を送ってね。それじゃあ、私たちはもう帰るから」
アウラが席を立ち、そして思い出したかのように山小人に告げる。
「あ、そうそう。フェオ・ベルカナ……だっけ? もし王都を取り戻したくなったら声をかけてね。手伝ってあげるからさ。それじゃあ、またね~」
山小人の苦渋に満ちた表情にアウラはほくそ笑む。王都の奪還は彼らの悲願。その価値は他の都市とは比べ物にならないが、彼の地は霜の竜の巣であり、さらには付き従う土堀獣人の棲息圏でもある。たとえ懇意にしているバハルス帝国の協力を得たとしても奪還は困難だろう。
そして当のフェオ・ベルカナに関しては現在ナザリックが調査中だ。王家の宝物庫以外にも、めぼしいアイテムを不自然にならないよう奪う手立てを知恵者たちが練っている。200年も死蔵されていたアイテム。紛失する理由などいくらでも作れるというものだ。
近い将来、山小人たちはフィオーラ王国の手を借りて王都を取り戻す。そして無知な彼らは、たとえ宝物庫が荒らされていたとしてもフィオーラ王国に、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンに「到底成し得なかった願いが叶った」と感謝するのだ。
アウラは山小人王国の行く末から気持ちを切り替える。
――お褒め頂けるまで気を抜けない。
遠征を成してナーガの性能を測った。山小人王国との交渉もまとめた。働きとしては申し分ない。あとは無事に帰るだけだ。
「よし! 帰るまでが遠足ってね!」
かつて造物主が語ったお言葉を以って己に活を入れ、アウラは帰路に就くのだった。