鎮守府の調理師、山田は、かつて鎮守府であった場所で、
今日も人を待っている。
鎮守府が眠りにつく18時まで。
読んで頂ければ執筆屋冥利に尽きると言ったところでございます。
最後のトラックが出発した。
迷彩色に塗装されたそれは、しかしそのエンジン音からして、民間から徴収した中古品であるに違いなかった。
再三の請求にも関わらず、ついに未舗装のままとなった第二搬送路の上を、今日で三度目、そして最後のトラックが走る。舗装請求の主な理由は、物資搬送に伴う車両の通行による多量の土埃の被害で有ったが、無論このトラックもその例外ではなく、宙を舞った土埃が山口調理師の顔をもろにうつ。だが、この搬送路の上、というよりもこの鎮守府に車両が訪れるのも今日限りだと思うと、鬱陶しい土煙ですら、なにやら名残惜しく感じられ、それをいつものようによけようという気にはなれなかった。
土煙が立ち込める中、山口は微動だにせず、その目はただじっと丘の向こうへと走り去る似非軍用トラックのテールランプを見つめている。
グォングォンというオンボロエンジンの奇妙な排気音が、ついに彼の鼓膜を震わせることをやめた。気がつけば、先ほどまで彼の頬をうっていた土埃も、すっかりなりを潜めている。山口は、トラックが自分の思い出を本当に持っていってしまったのだな、と二度と埃の立つことはないであろう搬送路を見ながら、そうひとりごちた。
振り返れば、そこには昨日と同じように、艦娘達の、そして自身の家であった鎮守府がそこにはある。
しかしながら、その窓から電球の光が漏れることはなく、女性特有の高い声による喧騒が聞こえてくることもない。
山口にはそれはもう鎮守府であったもの、と過去形でしか見ることはできず、そしてそれは事実である。
もとより軍事的というよりも、公共事業という経済的目的で建設されたようなものだ。上層部からみたこの鎮守府の戦略的重要性というのは、未舗装の搬送路や先ほどの似非トラックからも、あらかた予想はつくもので、戦後となった今、軍事費削減という意味でも、公共事業による経済活性化という意味でも、解体されることは初めからわかりきっていた。
最後のトラックが走り去った今、山口にとってこの建造物はただの箱でしかなく、そこに今までのような温かみ、実家のような安心感を覚えることはなかった。
肌にまとわりつく空虚という感覚は、厨房から大食堂を見渡すことで、山口の骨へと染み込み、確かな実感となって
彼の心を打つ。あらゆる家具や道具が鎮守府内から撤去された今、今彼のいる厨房も、そこからみえる大食堂も、全ては、だったものとかしている。この瞬間しか知らない者は、この場所で繰り広げられた山口の思い出など、にわかには信じられないだろう。そのいかんともし難い事実は、やはり山口には強くこたえた。
「まだ時計が残っているよ。」
一体どこからきたというのだろうか、山口の右隣りには、いつの間にか一人の少女が立っていた。
だが、そのことに山口は別段驚く様子もなく、むしろどこか安堵したようでさえあった。
少女が言ったように、厨房からみた大食堂の奥、ひときわ太い柱には時計が埋め込まれている。その時計は文字通り柱に埋め込まれているので、軍もわざわざこれを取り外そうとはしなかったのである。
「確かに時計が残っているな。だが、あの時計も18時、午後6時までの命だ。」
「ふーん、どうしてさ?」
「18時にこの鎮守府におくられている水道、電力、ありとあらゆるものの供給が止まるからだ。」
「そうなんだ。じゃあ、なんであなたはここにいるの?」
少女が山口の顔を覗き込む。長い前髪の下から覗く瞳が、彼の目を真っ直ぐにとらえる。
時計の長針が30を、短針は5を指している。
「…海を見たいと言うんだよ、彼女が。」
「彼女って、艦娘の?」
「ああ、そうだ。」
少女は何か難しい顔をして、一度山口から目をそらす。しかし、再び彼を見つめる少女の目には、好奇心とどこかいたずらごころのようなものが、浮かんでいた。
「どういう娘だったの、その娘。」
なぜかその艦娘の存在を過去形のようにして、少女は尋ねる。だが、山口は特にそのことを気にかけるそぶりもなく、その艦娘のことを語り始めた。
夕食の後、食器洗いを手伝ってもらっている時に、自分が船乗りであったことを話した。彼女はそのことに強い関心をもったらしく、頻繁に自分の元を訪れては、航海の話をせがむようになった。シンドバッドのような夢のある冒険をしたわけでもなく、単調な魚釣りや、倉庫番などの、そう魅力的でもない話しかなかったが、それでも彼女は非常に楽しそうであった。
彼女が言うには、艦娘は海に自分がいるという感覚が極めて希薄らしい。それはあまりにも当たり前のことすぎて、そのことになんの思いも抱かないのだ。
人間が普段歩いている時、その歩くということに対して、基本的になにも考えていないのと似ているかもしれない。
だから、そんな彼女にとって海の上での体験談というのは、むしろ新鮮に聞こえるのだそうだ。
そして彼女と一つの約束をすることになった。
戦争が終わったら、彼女を船に乗せて海に連れて行くと。
船の上からみえる、彼女の知らない海を見せると。
だが、戦後に待っていたのは、大規模軍縮に伴ういくつかの鎮守府の閉鎖、そしてそこに所属する艦娘の解体、あるいは艤装解除であった。
解体はもちろん艦娘の死を意味するが、艤装解除は艦娘の
精神的死を意味していた。艦娘を艦足らしめるものは艤装であり、その艤装を解除することは、艦娘としての記憶を消去し、人間として生まれ変わる、ということになる。自分には専門的なことはよくわからなかったが、しかし彼女がそのどちらかを選ばなければならず、またそのどちらを選んだところで、結果的には自分と彼女との間の約束、彼女の海への憧れも全て消え去るということはわかった。
解体、偽装解除選択、並びに鎮守府からの艦娘輸送日、多くの艦娘達が自分に別れを告げに訪れ、最後に好物を食べて去って行くなか、彼女だけはその姿を現さなかった。
「それからずっと、その娘のことを待っていたの?」
「まあ、そうなるな。あの日彼女が来なかったのは、悲しいとか、そういうものではなくて、彼女なりに、また必ず会えるのだから、別れを述べる必要はないという考えがあったんじゃないかと思ったんだ。勝手な話たが、彼女ならそういうことをするだろうと、そう思ったんだ。」
「…そっか。」
少女はそれだけ言うと、柱の時計へと目をむけた。
時刻はもうじき18時になろうとしている。
「じゃあ、それももうすぐ終わりだね。」
やはり山口を見ずに、少女は言う。髪で隠れてその表情はよくわからない。
「確かにそうだな。あと数分でこの鎮守府は眠りにつく。
明日からは解体作業も始まって、もう彼女が来る場所はなくなる。だが…」
山口は少女を見る。そして少女も山口を見ていた。
「新しく始まることもある、そうだろ?時雨」
時雨と呼ばれた少女は、彼女は穏やかな笑みを浮かべ、
「うん。」
とこたえた。
時計は時刻18時を指して、それっきり動く気配はない。
そして、おそらく二度と動くことはない。
しかし、それは終わりを示すものであると同時に、始まりを告げるものでもある。
時雨は、その時潮の香りを感じたのであった。
読んで頂きありがとうございます。
後半からの回想、少女との会話が少々飛ばし過ぎ、つまるところ説明を省き過ぎだったでしょうか?
少女側からみた18時の再開を書くことができれば、
釣り合いが取れるかもしれません。
その時は、また読んで頂けたらとても嬉しいです。