暇だ、どうしようもなく。
私は艦長室に置かれたベッドに負けるとも劣らないふかふかのベットに腰かけ、読んでいた本をサイドテーブルに置いた。白い壁に、アンティークと思われる家具の数々、蛇口を捻れば何時でも放射能汚染の無い水が出る清潔なバスタブとトイレ。部屋自体もかなり広く、乗組員全員を招いてパーティーを行っても窮屈な思いはしないだろう。ここは大本営の客室、私がここに招かれて二日になる。
あの後――つまり天龍と合流してから私は彼女に連れられて呉鎮守府へと向かった。その間彼女らは私に容赦のない質問攻めを浴びせた。どうやって空を飛んだのか、とかあの砲は一体なんだとか。しかし私だって彼女たちに聞きたいことは山ほどあった。そこでお互いに交互に質問をしながら呉へ向かうことになった。この一時間弱の会話のお陰で、私の疑問を多く解決できた。
シンカイセイカン、もとい深海棲艦はある日唐突に世界の何処かで同時多発的に発生し、人類へ攻撃を始めた。当然人類も反撃したが、現代兵器は全く通じず、シーレーンをズタズタに引き裂かれほぼ孤立状態となった各国は瞬く間に窮地に追い込まれ小国は消滅。アメリカやロシア、中国、ヨーロッパ、日本などの大国は全滅こそ免れた物の既に陸地への上陸を許してしまっていた。だが、今度は深海棲艦とは真逆の存在がやはり同時多発的に誕生した。それらと人類が初めて接触したのは遂に本島に攻勢を仕掛けてきた深海棲艦に対し日本の海上自衛隊が最大戦力で迎え撃った戦いだった。戦いは終始深海棲艦有利で進み、最早これまでかと思われた時、地平線の彼方から彼女らは現れた。十二隻からなる大艦隊。旗艦の名は『大和』かつての大日本帝国海軍が誇る日本の象徴そのもの。
大和率いる艦隊は瞬く間に深海棲艦を残滅した。唖然とする海上自衛隊達の前に大和が近づき、中から一人の少女と妖精が現れた。大和は彼女一人と妖精のごく少数で動かしていたのだ。彼女らは“艦娘”と呼ばれるようになり、それから立て続けに世界中で艦娘達が発見され順次各地の鎮守府に組み込まれた。艦娘は同時に妖精も従え、妖精は人類に一定の資材と引き換えに“艦娘を建造”して見せた。そのころには妖精は敬愛を込めて妖精さんと呼ばれていた。
それから三年の間、日本は水際で深海棲艦を食い止めつつ各鎮守府に戦力を増強させ、海上自衛隊を日本海軍と改めた翌年。日本海軍は大和を旗艦とする横須賀鎮守府を中心に反撃に乗り出た。約二年に渡る死闘の末、漸く日本は全ての海域を解放。国民に待望の安定をもたらした、と、いう事らしい。因みに艦娘達に自身の出生の記憶はないそうだ。それは妖精さんによって建造された艦娘も同じだと建造出身の天龍が言っていた。
それと前回の戦闘で確認したシールド、あれは艦娘が持つ“加護”という物だそうで、力場と呼ぶらしい。基本的にモデルとなった艦の耐久度に左右されるらしいが、それ以外に“運”という要素も絡むそうだ。これは概念的な運では無く数値化された戦績などから算出される運だ。生きたまま終戦を迎えたなどもポイント高だと。つまり数多くの終戦を見た私の運も相当に期待していいだろう。逆に言えば、力場がある間は安全だが、力場が消えてしまえば命の保証は無いってことだ。
天龍に『“艦娘”と言うが、私は男だ。過去にこんな事があったのか?』と聞くと、聞いたことが無いと言われた。ならば男の私の事はなんと呼ぶのだろう?
その話が終わった頃、私は呉鎮守府に到着した。提督の許可をもらい、天龍の隣に私の艦を停泊することになったのだが、いざ停泊してみると他の艦と比べて私の艦はとても小さく見え、鋼鉄の装甲で固められた艦の中で私の木造艦は異様な存在感を放っていた。付いて来ようとするアイアンサイズ達を艦内に残し、私は艦を離れ提督に面会した。どうも天龍たちが既に連絡していたようではあったが艦から降りてきた私が男だと確認して酷く驚いていた。提督は握手もそこそこに先ほどの真偽を問うてきた。つまり、空を飛んで深海棲艦を沈めたのは本当かと。こればかりは口で言うより見せた方が早いと考えた私は提督を艦内へと招き入れ簡単に紹介をした。この時点でなんとなく私はこの世界では私の艦が最も進んだ技術を有しているのではないか? と勘繰ったが、その予想は後に当たっていた。
簡単に艦内を紹介する中で提督は特にガウスキャノンと核融合炉に強い関心を示したので、少し込み入った所まで説明したが、提督には一部理解できない所があったようだ。大方の紹介を終えた頃、提督が私に『この艦を見るに貴方は本当にこの世界の住民ではないようだ。貴方は一度大本営に行くべきだと思う』と言った。これに私は賛成した。なぜならこの世界での私はどうなっているのかがずっと気になっていたからだ。まだアメリカ海軍として生きながらえているのか。それとも沈んだか。アメリカの現在状況も気掛かりだった。
私の返事を聞いた提督は懐から薄い板のような物――スマートフォンという携帯電話らしい――で大本営と連絡を取って、車を呼びつけたらしい。車が到着するまでの間に私は鎮守府内の来客室へ招かれ、提督の秘書官、金剛から紅茶とスコーンを頂いた。食物など一度も摂取した経験が無かったために、どうやって食べればいいか分からず一瞬困惑したが不思議な事に私の体は食べ方を知っていたのだ。今まで乗組員たちが飲んでいた所を見た事しかなかったが、なるほど。彼らが夢中になるわけだ。紅茶を楽しみながらスコーンを食べていると、窓から黒塗りの車とそれを挟むように配置された装甲車が目に入った。あれが迎えらしい。
大本営に着いた私はそのまま海軍元帥の元に通され、直に会話を交わした。どうやらアメリカでの私はとっくに沈んでいるらしい。ボストンが攻撃された時に基地もろとも沈んだそうだ。アメリカの現在状況は今は安定しており、アメリカ艦の艦娘達も多くいるそうで、一安心した。その日はその会話だけで解散し、私はそのまま大本営に隣接する研究員で精密検査を受けた。男の艦娘は初めてだそうだから、検査は体の隅から隅まで行われた。同時に私の艦でも調査が行われ、その日私が解放されたのは午後11時。大本営到着から9時間後だった。
疲れ切っていた私はすぐに眠り、今に至るという訳だ。別に此処の待遇に不満があるわけでは無い。身体をスキャンされたり血を抜かれたりしたのは驚いたが、仮に私が彼らの立場だったら同じ事をしただろう。また、一日三食の食事も素晴らしい。私に気を使ったのか、栄養バランスをしっかり考えたアメリカの料理が提供されるのだ。ちなみに今日の朝食はトーストにスクランブルエッグ、ハッシュ・ド・ポテト、グリルされたベーコン。そしてコーヒーとオレンジジュースだった。そのいずれもが高級ホテルにも劣らない美味しさだった。食事は大切だ。食事で戦争の勝敗が決まると言っても過言ではないだろう。
先程サイドテーブルに置いた本を再び読もうと手を伸ばした時、ドアがノックされた。私が「どうぞ」と言うと「失礼します」と言って一人の若い女性が入ってきた。聡明そうな顔立ちに眼鏡を掛け、背中まで伸ばした黒髪。着ている服は水兵服……だろうか。なぜかスカートにスリットが入っている。「大淀型1番艦軽巡洋艦、大淀です。以後お見知り置きを」と言った。なるほど、彼女は大淀と言う名か。
「よろしく、大淀。私はUSSコンスティチューションだ。アイアンサイズと呼んでくれ」
「はい、よろしくお願いいたします。アイアンサイズさん……さて、本題に入らせて頂きます」大淀は顔を引き締めて言った。「教授が貴方に会いたいと仰っていますのでご同行願います」
「教授だって?」
「はい、艦娘に関連する科学や現象解明に取り組んだ第一人者です。会って頂けます?」
「勿論だ、行こう」
広い廊下を大淀が先導する形でついて行く。途中既に私の噂が広まっていたのか、私を見てひそひそと話す者達が何人かいた。少女達だったので恐らく艦娘だろう。教授が待っている部屋までの間を保つためか、大淀が口を開いた。
「朝食はご満足頂けました?」
「とてもよかった。作った人が見たいくらいだ」
「食事は間宮という艦娘が作っております。各鎮守府に一人配属されていますので、何処かの鎮守府に所属すればいつでも食べられますよ」
「そうか……うん? 各鎮守府に一人だって?」
その時見覚えがある艦娘とすれ違った。あの姿は金剛だった。彼女も来ていたのか? やがて一つの『第三会議室』と書かれたドアの前に案内され「教授はこの中でお待ちです。失礼します」と言って大淀は去っていった。少し緊張してドアを開けると、中にはクリップボードを見つめる初老の男性が居た。丸眼鏡に真っ白な髪とひげ、何となく、如何にも教授って感じだ。彼ははっと私の顔を見るなり、喜々として此方へ駆け寄ってきた。
「やあやあ! 待ってたよ! ささ、座ってくれ」
「ああ、いや。ドア閉めないと……」
「私が閉めるよ。飲み物は何がいい? コーヒー? 紅茶? 何でも言いたまえ」
「じゃ、じゃあコーヒーで」
「よし。ああ、座ってていいよ」
驚いた……驚くほど活発的な人だ。彼は電話を取り「コーヒーを二つ」とだけ言って直ぐに切り、大きな封筒から大量の書類を取り出した。程なく、湯気を上げるコーヒーが二つ職員の手によってテーブルの上に置かれた。シュガーとミルクもある。書類を大雑把に一纏めにした教授は此方を向いて言った。
「すまないね、つい興奮してしまった。私は榊原聡一だ。皆からは教授と呼ばれている、専攻は艦娘に関わる事象全般だ。よろしく」
「USSコンスティチューションだ。アイアンサイズと呼んでくれ」
机越しに教授と握手を交わす。
「さて、早速だが史上初の男の艦娘……いや、艦息になった気分はどうだね?」
「……正直よく分からない。望んでこうなったわけでは無いが、私は確かにここに居るのだ」
「今が不満かい?」
「いいや。なったものはなったのだ。とっくに受け入れている。が、もう少し威厳のある顔でも良かったとは思うがね。顔がいささか若すぎる」
「艦娘というものは艦の歳と見た目は無関係である事が私の研究で立証されている。君もその例に漏れなかったのだろうね」
教授は丸眼鏡を人差し指で押し上げるとクリップボードを手元に置いてコーヒーを啜った。私もコーヒーを飲もうと思ったが、気分でシュガーを二つとミルクを少し加えた。
「まず君には自分を知ってもらおうと思う、今から言うのが君のカルテだ。身長184cm、体重86kg、座高86cm……」
教授は全ての数値を飽きもせずにたっぷり五分も使って読み上げ、最後に「健康的だね」と言った。
「良い数値だ。模範的だよ」
「そうか、艦娘も病気になるのか?」
「そう言った事例は報告されていない、だが報告されていないから無いとは言えないだろう」
そこまで言った所で、突然テーブルの上に茶色い猫が飛び乗った。軽く驚いてコーヒーの表面に波紋が広がった。その猫は暫く私の顔をじっと見て、教授に首根っこを掴まれてテーブルの下に置かれた。
「教授の猫か?」
「ああ、マーフィーだ。マーフィーの法則から取った。研究室の皆で飼っているんだよ」
「マーフィーの法則?」
「簡単に言えば“起こりうる事は起こり得る”という事さ。良い言葉だね……ああ、話が逸れた」
教授は一つ咳払いをすると、ボールペンを手に取って向き直った。
「今から幾つか質問をする。出来るだけはっきり答えてくれ」
「分かった」
「よし、質問一、君はどこから来た?」
「2287年、マサチューセッツ、ボストンからだ。信じるか?」
「信じがたいが、君の艦を見れば信じざるを得ない。安定して、しかも艦に積める程小型の核融合炉など2020年の科学では理解不能だ。ガウスキャノンやプラズマキャノンもそうだ。どうやって空気中でエネルギーを閉じ込めている?」
「さあどうだったか、プラズマリングが何とかと聞いた覚えがあるな」
「我々が聞いた所で理解不能だろうな。質問二、この世界をどこまで知っている?」
どこまで……どこまでと言ってもそれがどこまでなのか、深海棲艦や世界情勢の事だとすれば天龍から聞いたが、それ以外についてはからっきしだ。
「深海棲艦や世界情勢についてはある程度。しかし不可解なのは、先程大淀は間宮が各鎮守府に一人と言った。その後すぐに金剛を見た。どういう事だ?」
「簡単だ。艦娘は同一の存在が複数存在しているのだよ、君が見た金剛は大本営、つまり横浜鎮守府の金剛だろう」
「では彼女らは全くの同一個体なのか?」
「それは違う。たとえ同じ艦娘だとしても周りの人間や、経験した戦いなどで人格もスペックも異なるのだ。金剛だって全ての個体が明るい性格とは限らんよ? 鬱病の黒人や女嫌いのイタリア人も居るだろう?」
なるほど。言われてみればその通りだ。しかし、私にはずっと気に掛かっている事があった。それは、何故は私が教授に呼ばれたかという事だ。教授はこの質問をするためだけに私を呼んだわけでは無いだろう。それに、教授の眼は隠し事をしていると雄弁に語っていた。私はこれでも200年以上生きた艦だ。100歳にも達しない人間の考えなど眼を見れば分かる。
「それでは質問……」
「待て、君は私に本当に聞きたいことがあるはずだ。それを言ってみたらどうだ」
「……流石と言うべきかな。質問三、日本海軍に入隊する気はありますか?」
教授の質問は想像通りの物だった。私の艦はこの世界で最も技術が発達している。それならば聞きたいことを聞いて『はい、さよなら』とは行かないはずだ。彼らは私の能力を骨の髄まで利用したいに違いない。
「Noと言えばどうなる?」
「どうにもしないさ。君は民間人として生きていくだけだ」
教授は分かっていて言っているのだ。いきなり人の姿になった私は、自力で生きる術を知らない。軍に入れば住居も食事も一応心配はないが、私は仕事を見つけて、全てがゼロの状態から始めなければいけない。それは余りに無謀だろう。
「教授、君も意地の悪い人間だな。私がyesと答えるしかないと知っていて」
「私もこの国の軍人でね、自国の勝利を祈っているのだよ」
「ふん……だが、一つ聞きたい。アメリカは私の所有権を示さなかったのか? まさかあのアメリカがみすみす私を他国に渡さんだろう」
「示したとも。だがね、我々にはアメリカに行く手段が無いのだ」
「何?」
「日本とアメリカを繋ぐ航路は幾つかある。そのすべてが深海棲艦の勢力圏内でね、アメリカは君を喉から手が出る程欲しがったようだが、行く方法が無い」
「空は?」
「それこそ無謀だ。あの海域の上を飛ぼうものなら五分もせずに落とされる」
教授は海図を取り出すと、赤いマジックペンで二つ海域を囲んだ。これは……ラバウルとパールハーバーか。
「この二つの海域に深海棲艦の大規模な基地を確認している。日本海軍はこの二つを落とそうと躍起になっているが、正直に言って突破口が見えない。だが、君が居れば話は変わる。いいか、君はこの海域にたどり着く鍵だ。もしアメリカとの航路が確保出来たら、君をアメリカに返すと約束しよう」
「いいだろう。その言葉、努努忘れてくれるな。USSコンスティチューション、日本海軍に協力させて頂く」
「ありがとう。歓迎します。USSコンスティチューション」
私は差し出された書類に名前を記入し、様々なところに必要事項を記入した。その夜すぐに、私の配属先は呉鎮守府に決まった。
入り口には迎え入れられた。そこで居場所を確保できるかは、自分次第だ。