声が聞こえた。僕の名前を呼ぶ少女の声が。
その声はとても聞き慣れた、とても、心地のいい声だった。
俯いていた顔をあげる。
フェンスに囲まれた空き地の入口。そこに、着いてくるなと念を押した筈の少女が立っていた。
―――なんてことだ。僕は、また彼女を奪うつもりか。ダメだ君はここに来てはダメだ。
「カオ・・・何してるんだ!帰れ!」
力強く。脅すように声を荒らげた。
ゴメンね。でも、君を守るためだ。どうか許してくれ。死ぬのは僕だけでいいんだ。
少女はその言葉を意に介さず下僕の下に近づく。前にいる障害物など皆無。最早目に入らず、押し退けて先に進む。
「―――っ、」
そして、その行為を男は黙って見ている。
1人の少女が、1人の吸血鬼の下へ歩いて行くその様を。
自分の必死の忠告を無視する少女に、憤りを感じたか、ブラハムは更に声を荒らげる。
「聞こえなかったのか!?帰るんだ!!これは君が足を踏み入れていいような世界じゃ―――」
その時、少女の平手が炸裂。
パチンッ!!
少女の一撃が建設途中のマンション地帯全土に響き渡る。
「・・・・・下僕のくせに、なに主人に命令してんのよ・・・・・。」
少女は涙をこらえているのか、唇を噛み締めている。
当然だろう。こんなところで泣いてしまったら、格好がつかない。
「帰る・・・?私が踏み込んでいい世界じゃ無い?―――よく言えたものね。こんな世界に引き込んだのが誰か、よく考えなさい」
それは、紛れもなくブラハム・レコッツだ。
彼は、パートナーとして、己が主人として、南香桜を死徒狩りの仕事に巻き込み、現在に至った次第である。今更そんな事を言えた資格などは無いのだ。
「私を連れ回して、こんな世界に引き込んで。何がしたかったのかはわからないけど、―――でも、これだけはわかる。私を、頼ってたんでしょ?私の事が必要だったんでしょ?私に価値を見出してた。私の事を認めてくれてた。そんな風にされて、今更用済みだから要らないってわけ?ふざけないで!私は―――」
あぁ、胸が熱い。鼓動に呼応し身体が疼く。
血が滾る。血が熱い。先程の疾走故か、感情が昂る故か、今はわからないしどうでもいい。
「―――私は、貴方の味方だから。少しでも、貴方の力になりたい。―――だから、私は貴方を助けたい!」
頬が熱い。ヒリヒリとする。外的な痛みでなく内的な、心が痛い。
―――そうだよね。彼女ならそう言うだろうし、最後までそうだった。やっぱり、似ているんだね。
そんな彼女を理解出来なかった自分と、また同じ事を繰り返してしまうかも知れない自分に、心が張り裂けるように痛い。
ハハ、堪えてたのに、無駄だったね。酷い顔してるよ、カオ。滝のように涙を流して。
やっぱり、カオは優しいね。そして泣き虫だ。
そんなカオだからこそ、彼女と重なった。
そんなカオだからこそ、僕を信じた。
そんなカオだからこそ、僕も信じれた。
―――うん。答えは決まった。いや、最初から決まっていた。
どれだけ時を重ねても、僕達はやはり、こういう関係なんだろう。
僕は彼女を“守りたい”、彼女は僕を“救いたい”。
だから、
「何を言っても無駄みたいだね、ふふ。酷い顔してるよ。まずは、泣き虫な性格から治したら?」
泣きじゃくっていた態度が一変。満面の赤面に、僕への反抗的な態度の一色だ。
「な、何よ!下僕のくせにそんな言い方―――」
反抗する彼女の頭にポンと、手を置き。彼女と視線を合わせる。
「―――一緒に、戦おう」
◇
「話し合いは終わったか?」
代行者テオルバス。彼も、多少は空気が読めるのか、一段落した後に声をかけてきた。
「うん。僕は諦めない。最後まで、彼女とともにお前を倒すよ」
2人の決意は硬い。意思は表情が語り、信念は行動が語る。
「そうか。―――じゃあ、そこのお嬢さんにいっこ質問」
代行者は、ブラハムの後ろに控える少女に質問を投げる。
何が疑問なのか、彼はこれまでに無いほど真面目な顔つきだ。
「わ、わたし?」
「そう、君だ。―――君は、この吸血鬼の主人だと言ったね?摂理に反する存在である死徒の事、恐ろしくは思わないの?」
少女にとって、それは難しい質問であった。解答は決まっているが、答えるには難しい。
「―――その、恐ろしくはあった。最初に会った時は殺されかけたし・・・。
吸血鬼が恐いのは、否めないです。
実際、これまでに対峙した2人には噎せ返る程の恐怖を味わいました・・・」
少年が、「なら―――」と口を挟んだ瞬間。カオは解答を告げた。
「でも彼は別です。だって彼は、優しいもの。それに、吸血鬼の事が嫌いだから血は吸わないですし」
ふーん、なるほどねぇ。このお嬢さんはあの子に似てるんだな。
「なるほどなるほど。それならコイツが君に相当入れ込んでるのにも納得が行く。
―――けどな、お嬢さん。教会の人間は邪魔者に容赦はしないぜ?例えそれが一般人であろうと。―――つーか、フウヤのヤツは何遊んでんだ?アイツの仕事は足止めだろうが」
「それもそのフウヤさんから聞きました。聞いた上で、彼を助けたいと判断したんです」
覚悟はある、わけか。―――こういう目が綺麗な子の相手は苦手だね、どうも。嘘偽りが全くない。どうしたらここまで
「うーん。困ったねえ、どうも。そうは言っても女の子に傷をつけるのは俺の主義に反する。―――つーかね、吸血鬼が嫌いで死徒狩りをするって言ってたね?そんな事は関係ないんですよ。実際、祖の中にも死徒狩りの死徒はいる。正確には居た、だな。18と19だ。ヤツらの理由は知らないけど、対して珍しい事でも無いし、そんな事でコイツを殺さない理由にはならないんだよ」
だから―――
「お嬢さんには黙って見てて貰おうかな?」
代行者はいつの間にか、2人の背後に回り込んでいた。テオルバスが黒鍵を1本擲つ。
それはブラハムへではなく香桜にでもなく。地面に、香桜の影に向かって。結果それは命中。影を穿たれた香桜にはなんの変化もない。なんの意味があったのかを理解するまでにおよそ2秒。香桜は、身動き一つ取れずにいた。
「・・・っ!?なんで、?なんで身体が・・・!動かない・・・のっ!?」
「さぁてブラハム。遠慮なく殺してやるよ」
動けない少女を他所に、平然と横切り吸血鬼を殺しに向かう。
手には黒鍵。弱りきったブラハムを殺しきるには充分な武装と言えるだろう。
「ダメ・・・っ!待って・・・、待ちなさい・・・!こんなの卑怯だわ・・・っ!」
「卑怯?そんな概念は捨てた方が言い。俺から言わせてみれば、女に危害を加えられない俺の前にお嬢さんが壁となり立ち塞がる方が卑怯だ。
―――結局な、言葉の意味や概念は人によって千差万別なんだ。みんな性能が一致しない、みんなそれぞれ異なる主観を持っているからこそ、人間は争い。人間は美しいんだ」
そんな意味のわからない言葉など聞こえない。私の目の前には、ただ殺されそうになっている彼だけが映る。
ダメだ。ダメだダメだダメだ。私は彼を嘘つきにしたくない。彼に約束を守ってほしい。彼にもっと守ってもらいたい!
―――悪魔は囁く。
―――なら、お前が助ければいい。
だからどうやって?そうしたいのは山々なんだ。
―――お前がアイツの切り札を
彼の切り札?あの向日葵畑?無理。私にはそんな力は無い。だって―――
―――ハハ。お前、もしかして自分が人間だとでも思ってる?
当たり前だ。私は、ただの無力で非力な1人の人間。彼を助ける手段は無い。だから、せめて彼の盾になろうと。
―――違うよ。それは本来逆なんだ。お前は主観を見誤っている。アイツがお前を守ってお前はアイツに守られるんだろ?
それは、そうだけど・・・。
―――そもそも、オレがアイツに劣る存在なわけが無かろう。お前が真に願えば、アイツは助かる。
どういう事!?彼が助かるって―――
―――いいか?お前はオレなんだ。
当たり前だ!!私はアイツを助けたいんだ!!アンタが言うように元々人でないなら、真にそうなったとして何も変わらない!!私は―――
―――OK、いい返事だ。それなら願え。己が存在を肯定し、切り札の顕現を肯定するのだ。かの
◆
second prologue.
静けさが場を包む。音という音の一切を消し去る。まるで、自身以外の存在を認めぬかの如く、他の音を排除。ただただ光と共に奏でられた金管楽器の音のみが響く世界。それは―――
「法よ、秩序よ、喇叭吹きの子羊よ。我が業を示し、我が命を預けよう。」
それはもう幻想的。飛び回る光は規則性を持たず、奇っ怪な軌跡を生みながら空を舞う。
少女の腕は軽やか。何の躊躇いもなく本能のままに、指で色を紡ぐ。
「Notify me about seven of disasters.
Tone of seven eyes indicates the end.」
きっと、
きっと、何かが消えるんだろう。このまま続けると、私の中の何かが消えたり、変わったりするんだろう。―――“私”の言う通り、
勿論、そんな事は嫌だ。出来ることならこれまでの平凡な生活を、これまでの日常を、アイツと一緒に送りたい。
だから、アイツが居なくなるのは、嫌だ。
このままアイツが殺されるのは、
――――――――――もっと嫌なんだ!
「空想を具現、理を顕現す我が業。
之を識れ、憶し記せ。然して見視せよ。
―――これより、秩序を放つ」
◇◆
へぇ。やっぱり君も、ソッチを選ぶのか。
面白いね。あの人間もそうだけど。幻想の交わりである君が、果たして彼とはどう違う末路を迎えるのか・・・。フフフ、楽しみで仕方がない。―――これだから、人間は面白い。
さよなら―――健気で可愛らしい少女。人間、南香桜さん。