鬼子   作:なんばノア

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/6――epilogue……

日本 福山市

 

10月初頭。季節は秋へと移り変わり、徐々に肌寒さが感じられる季節となってきた今、祖父に面会を終えた私、南香桜は日曜の真昼間から学校を訪れていたのだ。

一見休日に学校へ赴くなどという行為は部活動が無い限り変態の行うそれではあるが、残念ながら私は部活動をしていないし変態という訳でもない。

―――では、何故休日の真昼から用もなく学校などに訪れているのか。と問われると、実際のところ私にも分からない。ただ、蒼崎先生に言われた『御祖父さんに会って話を聞いたら私の所に来なさい』などというモノだから、話をしに来た次第だ。だからあながち用が無いという訳でもなく、かと言ってさほど重要にも思えないため気乗りしないのも確か。

尚、マンハッタンへは平日学校を休んで一泊二日したモノであり、昨日帰国し慣れない飛行機と時差ボケから来る疲れに身を休めていた次第で、連絡が一日遅れてしまったのだ。まぁ電話では上機嫌だったから、そんなに怒ってはいないのだと思うが。

 

校舎の玄関、生徒用の昇降口が解放されていたため、気兼ねなく校舎内へ入校した。

蒼崎先生が私に来るよう命じたのは美術室だ。美術室は昇降口から割と近い場所にある。同じ校舎の二階、それも階段を昇ってすぐの廊下の突き当たりちょい手前といったところで、一分もあれば到着してしまう距離だ。

 

目的地へと向かう途中、制服を身に纏った長身の女性、フウヤさんと出くわした。

「おはようございますですね、南さん」

会釈だけで済ますつもりだったのだが、存外に話しかけてくれたため、こちらもそうする。

「はい、そうですね。おはようございます、フウヤさん」

何故だか今日の彼女はいつもと異なった雰囲気に思えた。

「―――……」

「―――…………」

いつもなら多分この辺りで「失礼します」とか「では、この辺で」みたいな、最悪無言で立ち去るようなクールぶりなのだが、今日は勝手が違うのかずっと私の目を見つめてならなかった。というか、普段なら私に話しかける事はまず無いのだ。全くもって皆無である。

やはり何かあったのではないか、悪いものでも食べてしまったのではないかと心配になった。

「―――何か、あったです?」

なんて、間抜けな質問を投げかけた。―――すると、

「いいえ、特に何も……」

と、やはりというか何というか、予想通り何事も無さ気な返答を返される。―――しかし、私は見てしまった。僅かに赤らめたその頬を。僅かに幸せそうに歪ませたその口元を。うん、やっぱなんかあったな。この人。

「……では、この辺で、」

バツが悪そうになった彼女はそそくさと立ち去るように廊下を後にした。

彼女に何かあった事は多分間違いないのだけど、まぁ私には関係ないか。そう考え、足早に美術室へと向かう事にした。

 

 

「失礼します」

私は手慣れた作業を熟すかのような素振りで美術準備室の扉を開いた。

「いらっしゃい。――それで、首尾よくいったのかしら?」

部屋の最奥。そこに設置された教員用の机に向き合うような姿勢で座っているのは、これまた見慣れた女性にして私の担任教師の蒼崎橙子だ。

今日は蒼崎先生の言いつけの通り、マンハッタンでの一連の流れを説明しに来たのだ。

「首尾よくはいったんですが……すみません、報告が遅れちゃって」

「あぁ、いいわよ。さっきまでテオルバスくん達が来ていてね、話し相手になってくれていたから退屈することもなかったしね」

あぁ、それでフウヤさんも学校に居たのか。納得納得。

「それでは事の説明から――」

 

 

三十分ほど時間をかけ、ようやく説明し終えた私は、肩の荷を下ろすように息を吐く。

「――とまぁ、こんな感じです」

実際はもっと複雑で、もっと内容の深い話なのだろうけど、私には学がなく理解も及ばない世界であるため、話の中で多少簡略化してしまった部分も多々あった。

「ふむ……なるほど。大方予想通りだったが、まさか本当に天使だとはね」

チラリ、とこちらに目を向ける蒼崎先生。眼鏡を外した彼女の視線は少しだけ高圧的だ。なんでも、眼鏡の付け外しで人格を切り替えてるのだとか。

「――こういってはなんだが、全く実感がわかないな」

「そんなの私自身が一番感じてる事ですよ」

 

祖父の口から直接、色んな事を聞かされた。

私の事。祖父の事。私の家の事。――そして、両親の事。私の家は魔術師の家で、私は魔術の研究、根源の渦に到達するために生まれて来た存在なのだと、にわかには信じられない、あまりに残酷な事実を告げられた。

正直、祖父の話は辛かったが、さほど悲しいわけではなかった。生まれて来た理由や、その意味が明確なモノであり、しかし今はそれすらも無意味な、――無価値な存在だとしても。今さえよければ、私は構わない。今が幸せだから、過去の、ましてや自身が知らぬ過去など、それが不幸だったとしても一向に構わなかった。――ただ、

「ひとつだけ、」

「ん?」

私の呟きに、蒼崎先生は反応する。

 

「ひとつだけ、怖いんです。――私の、私が記憶していた両親との思い出は、その全てが祖父の設定した偽りだったんです」

 

私の記憶に存在する両親との思い出は、とてもとても幸せな記憶でした。優しい二人、優しい日々、優しい記憶。

「不幸だった過去は、今が幸福だと思えれば何でもないんです。ただ、幸せだった日々の全てが幻想で――楽しかった思い出が、一瞬で全て失ったんです。――私はいつか、この幸せな現在でさえ、消してしまいそうで怖いんです」

 

報われない過去。意味のない人生。その中で、彼女の救いだったのは紛れもないブラハムとの日々。悲惨で残酷な真実を知って尚も彼女が人格を保てたのは、彼の存在によるところが大きいと言える。――しかし、幸せだった過去は幻想で、真実を知った途端泡となって消えた。それが今さえも、現在の幸せさえも消えてしまいそうで、彼女は気が気でないのだ。だって彼女は知ってしまった。記憶なんて簡単に書き換えれる。それなら、今生きているこの時間、感情、記憶さえも、誰かに設定された偽りで、また泡のように消えてしまうのではないのか――と。

 

記憶に関する魔術は、元来よりその所業の難解さが折り紙つきだ。忘却のルーンを初めとした、記憶を消し去る事を専門とした魔術も存在するが、基本的に魔術で記憶の抹殺という事象を再現する事は難しい。まして、指定した個所をぽっくりと。など、もってのほかだ。魔術はそこまで便利ではないし、それこそ、魔術は万能ではないのだから。

しかし、記憶の改竄という言い方でなら、それは可能だ。――有り体に言えば、上塗り。脳に存在する記憶、思い出を司る中部側頭葉・海馬に暗示をかけ、宣言的記憶エピソード記憶に本来体験していないはずの(、、、、、、、、、、、、)イベントを体験した事実(、、、、、、)として上塗りする事で、記憶改竄が可能なのだ。

――しかし、それも所詮はかりそめ。もとあった筈の記憶は消えないのだから、記憶の整理があやふやになり、酷いようなら脳に障害を及ぼす可能性すらあるのだから。――リスクのない魔術など存在しない。危険を承知の上で、たとえ孫の五体満足な身体に傷をつける事になろうとも、孫が自ら壊れていく様(、、、、、、、、)など見たくは無かったのだ。

天使といえど、彼らは人間と交わった今や鬼。善性概念しか知り得なかったこの知性体は、悪性概念を持った生命と交わる事で、ソレを知る。アンバランスな大我と小我。揺れる理性は、簡単に反転する。

「偽りでいい、愛を教えねばならない。まがい物であっても構わん。ソレを知らねば、いずれ反転し崩壊する」

彼は、彼女に愛情を説きたかった。人を憎んで欲しくは無かった。かつて人を憎み、残虐の限りをつくし、そして結局救われなかった親友を重ね、孫を思い、苦渋の決断を下した。

 

「そうね――」

包むような温かさを帯びた声音。気が付けば蒼崎先生は眼鏡をかけていた。

「辛かったわね――っていったら、他人事みたいに聞こえちゃうわね。だけど……いえ、そうね。貴女はきっと、強い子だわ」

秋の頭。冬を迎える節目の、枯葉舞う季節。――裏腹に、熱い胸の鼓動。夏はとっくに過ぎたはずなのに、頬を伝う雫はまるで汗のよう。

「泣くのは弱い証拠じゃないさ。――時に涙は、強さ足り得るのだから」

柔らかい声。暖かい身体。――包むような、優しさ。まるで、心を直接抱かれたように。

流れる涙は止まる事を知らず、喘ぐような声を上げ、その暖かさに抱かれた――。

 

 

 

 

 

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