ブレイク・ユア・ディスティニー!! リローデッド   作:愉快な笛吹きさん

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リポート⑧ それぞれの決意

「くっ!」

 

 戦闘が始まって数分。突き出された巨大な棍の一撃をすんでのところでかわしたルシオラが、すぐさま霊波砲を放つ。

 相手にとっても、以前の自分の力と比べても、まさしく蚊の鳴くような一撃だったが、タイミングだけは正確だった。

 だが――

 

「えっ!?」

 

 目を瞑っていても当たりそうなほどの巨体が、一瞬にして掻き消えた。呆然としかけた心を何とか押さえ付け、すぐに猿神の姿を探す。結果は――上だった。

 急降下してきた老師が、大上段からの一撃をルシオラに叩き付ける。直撃こそ免れたものの、その攻撃の余波は爆発と化して、彼女の身体を大きく吹き飛ばした。

 

「くうっ!」

 

 イメージしたのとは違った派手な音が、痛撃と共に舞い込む。激突したのは脱衣所のガラス戸だった。そこらの岩に当たるよりかは大分ましだったが、それでも背中を強打したのはまずい。ダメージと一時的な酸欠が、うずくまった身体に追い討ちをかける。

 激しい痛みが身体をのたうち回る中――ふと、ひび割れたガラスの向こうから声がした。

 

(ヨコシマ……?)

 

 何度となく耳にした声に、ルシオラが視線を向ける。そこにはガラスにへばり付き、必死で自分を呼び掛けている横島の姿があった。

 

「大丈夫……」

 

 呟いて、ルシオラがにっこりと笑みを作る。奇しくもそれは、彼女が横島と死に別れる際に口にしたのと同じ言葉だった。

 だが――今度は嘘などではない。この試練を生きて乗り越えるための、決意の声だ。

 

(そうよ――)

 

 笑いっぱなしの膝に檄をとばし、ルシオラが再び立ち上がっていく。上にスライドしていく視線は、横島の頭上を追い越し――背後のセイリュートとぶつかった。

 

『……』

 

 横島とは正反対に、セイリュートは静かに佇んでいた。それでも、だらりと垂れ下がった腕の先が、固く拳を作っているのを見れば、彼女の本心がどこにあるのかは一目瞭然だ。

 再び笑顔を向けるルシオラ。自分を生き返らせ、横島の心を救ってくれた恩は、まだまだ返しきれていない。

 きっ、と振り返り、

 

「こんなところで……やられるもんですか!!」

 

 言い放つと同時、ルシオラが地面を駆ける。そう。戦っているのは自分だけではない。黙って送り出してくれたあの二人も、必死に耐えてくれているのだ。

 雄叫びを上げる。身体はボロボロでも、再び蘇った強い想いが、彼女の心を支えていた。

 

 ――生きたいと願うこと。

 

 ――彼の側に並び立つこと。

 

 どちらも、以前の自分がなし得なかったもの。そして――

 

(美神さん――)

 

 自分の一番の恋敵だった彼女に譲り渡したものだ。

 彼女の性格は良くわかっている。横島を取り戻しに、いつか必ずここにやってくるだろう。それまでに自分は選ばなければならない。以前の様に一歩退くのか。それとも――今度こそ正面から対峙するのか。

 

(そんなの……決まってるわ!)

 

 『如意金剛』と銘打たれた棍が唸りをあげて迫りくる――

 その瞬間、ルシオラは迷わず後者を選択した。

 

「恋する女の力! 嘗めるんじゃないわよーーっ!!」

 

 叫ぶと同時、彼女の身体が爆発の中に消えた。もくもくと煙を吹きあげる現場に、扉を隔てて見ていた横島が息をつまらせる。

 

 生か死か。

 

 小竜姫を含めた三人が固唾を飲む中、やがて煙が晴れていく。

 そこには――

 

「ルシオラーー!!」

 

 彼女を見るなり、弾ける様に横島が飛び出した。成功かどうかなど、見た瞬間にわかった。

 あのコスプレ衣装も、ぴん、と生えた二対の触角も、そのどれもが、初めて出会った時の姿のままだ。

 

「心配したんだぞバカ野郎ーー!」

 

 感極まって横島が飛び付いた瞬間、佇んでいたルシオラが、あん、と悶えた。艶っぽい声に、思わず煩悩が刺激されかかった横島だが、すんでのところで、地鳴りの様な老師のうなり声に阻まれる。

 

「なるほど。魔装術とはな」

 

「え?」

 

 横島と抱き合ったまま、ぽかんとするルシオラ。てっきり元の姿に戻ったものと思っていたのだが……言われてみれば服や額のバイザーまでついて来るのは変だった。

 

「己の潜在能力を鎧の形に引き出し、コントロールする術じゃ。その外見は人により様々だが……お前の場合は以前の姿が一番イメージしやすかったのだろう」

 

 告げられ、横島と離れたルシオラが、先程までの姿を思い浮かべる。全身が淡く光り出すと、一瞬後には元の姿に戻っていた。頭を撫でてみたが、触角も見つからない。

 老師が頷いて続ける。

 

「中途半端な者が使えば身体に負担をかけるうえに、最悪自分自身が魔物と化す恐れがあるのだが……お前なら問題はあるまい」

 

「はい」

 

 顔を引き締め、ルシオラが返事をする。先程からの含みある言葉は、彼女の正体が魔族である事をとっくに見抜いている証拠だった。

 その鑑識眼の深さは、流石は小竜姫の上司といったところだろう。

 

「修行は終いじゃ。やれやれ、この歳になると手加減して戦うのはキツいわい」

 

 しゅるしゅると縮んでいきながら、そんな事をぼやいてくる老師に、ふとルシオラが思い付く。もしかして格闘ゲームばかりやっているのは、そんな鬱憤を晴らすためなんじゃないだろうか、と。

 そんなとりとめの無い事を考えているうちに、セイリュートもこちらへとやってきた。が、

 

「どうしたの?」

 

 心なしか顔色が悪い。珍しいどころか、見た事の無い母の姿に、横島と揃って疑問符を浮かべた。

 じろり、と彼女が横島を睨む。

 

『さっき脱衣所から飛び出した際に、叫んだ内容を覚えているか?』

 

「へ? そ、そりゃルシオラーって……あっ!?」

 

 咄嗟に本来の名で叫んでしまっていた事に気付いた横島が口を開けて固まった。

 セイリュートがはあ、と息を吐く。

 

『あいつにもしっかり聞かれてしまったからな。おかげでこれから取り調べだぞ。もちろんお前も含めてな』

 

 告げられ、横島がばっ、と脱衣所の方に振り向く。そこには顔の筋肉だけで笑みを浮かべた小竜姫が、腕を組んで扉に寄り掛かっていた。目が合うと、

 

「時間はたっぷりありますから。ルシオラさんとはどういう関係なのか、教えて下さいね。うそいつわりなく」

 

 最後の一言にたっぷり感情を乗せて、告げてくる。

 逆らえばただではすまないであろうその雰囲気に、横島とセイリュートは、揃って首を竦めたのだった。

 

 

「流れのGS……ですか?」

 

 湯呑みを囲炉裏の縁に置いて、小竜姫が言った。

 

『資格は持っていないがな。祓われるのを待つだけだった私を、すんでのところで救ってくれた。それからの付き合いだ』

 

 囲炉裏を挟み、彼女の対面に座ったセイリュートが淡々と告げる。

 ――あれから数時間が経った。老師と別れ、小竜姫と共に横島たちが異空間から出てくると、すっかり日が暮れていた。

 思い出したかの様に腹の虫を鳴らした横島に、小竜姫が小さく吹き出すと、とりあえず先に食事を――という事になった。

 そうして横島たちが風呂に入っている間、小竜姫手ずから作った夕食は、素朴ながらも非常に美味なものだった。ルシオラも老師との修行のため、時間の流れが異なる特殊な空間で数ヶ月間を過ごし、その時に自炊もしていたのだが――はっきりいって格が違った。

 映像の早回しの様に横島がお代わりを求め、「こんな美人で強くてそのうえ料理まで完璧な小竜姫さまとキスしたなんてなあ。このくちびるがあの瞬間俺に――」的な心の声を、いつもの様に声に出してしまったため、彼女が再び真っ赤になるという一場面もあった。

 そんなにぎやかな団欒を迎えた後、登山の時から無理を押していた事もあり、ルシオラだけは早々に休む事になった。彼女を床へ案内し 、戻ってきた小竜姫が囲炉裏の一辺を占拠すると、彼女はようやくルシオラとの関係を訊ねてきた。

 

 そうして話は冒頭に戻る――

 

 

「話せば長くなるんスけど――」

 

 セイリュートの言葉を引き継ぎ、横島が彼女との出会いを語りだす。とはいえ全てを正直に語りはしない。時間がずれ込んだ事もあって、対策は十分整っていた。

 そもそもルシオラを妹役に仕立てたのは、コブ付きでは小竜姫の恋愛対象に入らない可能性があったからだった。無事に好意を持った今なら、正体がバレても問題は無いだろう。ホレた弱みというやつだ。ただし、未来を知っているアドバンテージを崩したくはないため、アシュタロス絡みの話は避ける必要がある。

 その結果、性格上、嘘の下手な横島はこの際正直に喋り、それに似合う設定をセイリュートが随時補足していく事になっていた。

 

 

 ――15分後――

 

 

「で、それを私が信じるとでも?」

 

 こめかみをひくつかせて即座に否定する小竜姫に、横島が「だよなあ」と心から同意する。

 

 曰く、ナルニア共和国で生まれたらしい自分は、幼い頃に両親を無くし、天涯孤独の身となった。その後不幸にして武装ゲリラに捕らえられると、そこで霊能力の素質を見込まれ、エージェントとして活躍する事になる。

 成長し、ザンス王国、香港と戦場を渡り歩いてきた自分は、組織を半ば裏切る様な形で抜けると、自身のルーツを探るべく日本へとやってきた。

 その経緯から敵の多いらしい自分だったが、数々の実戦を経験するうちに歪に磨き抜かれた能力は凄まじく、並大抵の刺客では相手にならない。

 業を煮やした組織は徹底して自分を調べあげた。そうして発見した『女』という弱点に、ついに組織は最強最後の刺客を放つ。

 コードネーム【ファイアフライ】――後にルシオラと呼ばれ、自分と命懸けの逃避行を行った女魔族との、最初の邂逅だった――

 

 この内容をアドリブで、かつ殆ど齟齬を感じさせずに補足していくセイリュートの話術には、思わず身震いがしたほどだった。あまりにも奇想天外過ぎるのが難点だが。おかげで、自分が話した内容すら、全て嘘だと思われる始末だった。

 ふう、とセイリュートが息を吐く。

 

『友の言葉を信じられんのか?』

 

「あの話のどこに信じる要素があるんですか!!」

 

『確かにな。少しばかり脚色が過ぎたらしい』

 

「……あ、あなたって人は……」

 

 噴火ぎりぎりのヤバい笑顔で神剣の鞘に手をかけた小竜姫を、慌てて背中に手をかけて止める横島。旧友とはいえこの竜神をここまでおちょくれるなど、彼女ぐらいのものだった。

 とはいえ長くは持ちそうにない。何とかしろとセイリュートに目で訴えると、どうやら通じたらしい。腰を上げた彼女が、そのままこちらに近寄ってくる。

 

「自ら来るとは良い心掛けです。今すぐ首を――」

 

 小竜姫が言いかけて――

 

『すまない』

 

 両膝を付いてそう言うと、流麗な所作で頭を下げたセイリュートに、横島も小竜姫も目を丸くする。

 動揺した空気が流れた中、顔を上げた彼女が友人に告げる。

 

『お前に不義理を働いている事は承知している。だがそれでも、こいつらの事に関しては、何も言う訳にはいかないのだ。勝手な願いなのだが……どうか何も訊かないでもらえないだろうか?』

 

 そうして再び深々と頭を下げたセイリュートに、横島が何か言おうとして――ふと小竜姫の身体から力が抜けている事に気付いた。絡めていた腕を離す。

 自由になった彼女は神剣を床に置くと、ふう、と息を洩らした。

 

「まったくあなたは……そんな態度をとられてしまったら、何も訊けなくなってしまうでしょう?」

 

 すっかり毒気を抜かれた様子で呟く小竜姫に、セイリュートが薄く笑みを浮かべる。

 

『お前の事はよくわかっているからな。これも信頼の証さ。第一――』

 

 ちら、と横島の方を向き、

 

『恋敵の情報を得て一歩リードしようというのは、ずるい考えだと思うが』

 

「なっ!?」

 

 小竜姫の顔が羞恥に染まる。訊ねたい理由はいくつかあったが、それも図星の一つに違いない。

 彼女のウブな反応に、笑みの形を友人弄り用のそれに変えたセイリュートが更に続ける。

 

『今日一日で随分ご執心の様だな。見合いが無事に成功して私も嬉しいぞ』

 

「見合いとゆーか死合いとゆうべきか……」

 

 セイリュートに突っかかる小竜姫を眺めながら、横島が昼間の超絶バトルを思い出す。

 今更ながらよくもまあ生き残ったものだと思う。これも相棒の能力と信頼の賜物だろう。

 無茶な要求こそ多いものの、頼られている、必要とされているという充実感は、とても気分が良かった。

 

(あとはもう少し自由があれば言うことないんだが……)

 

 腕を組み、胸の内でぼやく。こっちにきてからというもの、セイリュートとはずっと一緒だ。おかげでナンパどころかルシオラといちゃつく暇すら無い。今日のキスはその我慢を上回るほどに価値あるものではあったが……やはり青少年たるもの、常に大志を抱き続けるべきではないか。

 思えば連載が終わるまで、八年も経過している。リアル時空なら25歳だ。結婚式の招待状がぽつぽつ家に届く様な年齢で、未だに何も無いのは非常にまずくはなかろうか。

 とはいえ、今日の成果たる小竜姫は、未だセイリュートと話している。正確にはやり込められていたが……とにかくこれだけびったり張り付かれれば到底期待はできないだろう。

 鬱屈たる思いで、横島の口が開いた。はあ、というため息が、欲求不満の思いと共に吐き出されようとしたその時――はっと気付く。

 あったではないか。現在ノーマークかつノーガードな、大人行きへの階段が。

 

「お、俺、ちょっとトイレ!」

 

 言うが早いか、横島が立ち上がった。転がる様な勢いで襖を開け放つと、一目散に廊下を走っていく。その姿はいかにも限界を迎えそうな人のそれだった……走り出したのがトイレとまったく逆方向でなければ。

 

『まったく……』

 

 ぼやいたセイリュートが開け放たれたままの襖を閉め直す。あの様子から見てようやくルシオラの事に気付いたのだろう。疲れをおして横島を待っているであろう彼女に、同情の念を送る。

 

「横島さん大丈夫でしょうか……? トイレは逆方向なんですが……」

 

『随分慌てていたからな。きっと勘違いしているのだろう。そのうち気付く』

 

 小竜姫の方は横島の目的に気付いていない様だった。友人のウブさに感謝しつつ、二人だけとなった囲炉裏にセイリュートが座り直す。

 

(さて)

 

 と、気組を整えた。あいつがトイレから戻って来ない事を不審がらない様に、友人の注意を引き付けなければならない。

 

『普段はあんな調子なのだが、面白い男だろう?』

 

「まあ……色んな意味で引き出しの多い方だとは思いますが」

 

 横島がいなくなった事で、話題が彼にスイッチしたと思ったのだろう。興味を持った様子で小竜姫がこちらを見てくる。素直な反応についつい応援してやりたくなったが、今日ばかりは娘の方を優先してやらなければならない。

 すまんな、と心で詫びる。

 

『そうだな。霊能力はもとより、人間的にも、いつの間にか他人の心にするりと入り込んでしまうところがある。本人はいたって気が付かない様だが』

 

「ああ、わかります」

 

 修行場での一幕を思い出したのだろう。頷いた小竜姫が苦笑して、

 

「あなたもそうだったんでしょう? 星龍斗」

 

『なっ?』

 

 予期していなかった返しに、思わず声が上ずり――はっとする。

 たまらずに吹き出した友人が「お返しですよ」と言ってきた。

 

『……』

 

 小竜姫を軽く睨みつつも、彼女の言葉には同意する。

 思い出すのは戦国時代に行った時の事だ。最初は単なる同情心からだった。女を餌にすればすぐに飛び付く、御しやすい男だとも思った。

 だがあの男の煩悩はこちらの想像を遥かに越えていた。美女とわかれば場の雰囲気や物事の損得など片っ端から無視してしまうあいつに、ひやひやされっぱなしだった。とはいえ悪い事ばかりでもなく、時にはこちらを唸らせる程の発言や行動もあったのだが。

 

(そうだな――)

 

 何の事はなかった。たった半年余りの日々だったが、天下盗りのために、あいつと二人三脚で叱咤激励しながら歩いていくのは、思いのほか楽しかったのだ。

 

『確かにな。あいつといると飽きる事がない。私が力を貸すのも、それが一番大きな理由だろうな』

 

 そう告白し、セイリュートがふっと笑う。

 

『だからお前にも紹介したのだ。以前「どこかに素敵な男性がいないでしょうか」とぼやいていただろう?』

 

「そ、そんな事言ってましたっけ?」

 

 もちろん嘘だった。会ったのがとんでもない昔だったからこそ使える手だ。

 

『言ってたぞ。随分遅くなってしまったが、気に入ってくれた様で何よりだ。大事な友人に凡愚を紹介する訳にはいかないからな』

 

「え、ええ……あ、ありがとう……?」

 

 どこか釈然としないものを感じつつ、とりあえず律儀に礼を返した小竜姫だった。

 

 

「ふっふっふ……」

 

 一方、横島。あれだけ廊下をどたばたさせていた足音が、ルシオラが寝ている部屋の10メートル手前でぴたりと止まった。不敵なひとり笑いを洩らすと、つま先を立て、忍び足を開始する。

 

「待ってろ。ルシオラ」

 

 期待に胸を膨らませつつ、横島が一歩、また一歩と進んでいく。数限りない覗きによって鍛え上げられたその技術は、もはや達人の域だった。

 そうして部屋の前へと到着する。行儀良く正座をすると、中居を思わせる所作で襖を開けていく。礼儀と警戒を兼ねた動作だ。いつものケースなら、そろそろブービートラップやコークスクリューブローが待ち構えているため、当然の配慮だったのだが――意外な事に何も起こらなかった。

 安堵しつつ、どこか物足りなさも感じる。

 

(いやいやいや! そもそもそれが普通だろーが!)

 

 いつの間にか対美神用の行動になってしまっている事に気付いた横島が、内心でつっこみを入れた。高笑いをかます雇い主の幻像を、かぶりを振って打ち消すと、臆せず中に踏み込む。

 部屋の中は薄暗かった。旅館の宴会場を思わせる畳だけの部屋の中心に、ぽつんと布団が一組敷かれている。その枕元からは、ルシオラのものと思わしき頭が覗いていた。廊下からの光が差し込んでも反応が無い事から、既に眠りに就いているのだろう。

 好都合だった。目を興奮にたぎらせた横島が、蜘蛛を思わせる動きでしゃかしゃかと近付いていく。

 

 そして――

 

(われ、奇襲に成功せり!)

 

 膝立ちでルシオラの寝顔を見下ろした横島が、歓喜にうち震えた。拳を固め、男泣きに泣く。これでもうゴールデンな同期の中でただ一人、最終回時点で恋人らしい恋人がいないと揶揄される事もない。独身という雪国から国境の長いトンネルを逆走し、いざ春へと赴くのだ。

 ぐいっと涙を拭い、

 

「ルシオラーッ!!」

 

 目を見開くと、横島がオペレーションを開始した。布団を剥ぐと同時に腕をルシオラの首裏に滑り込ませ、一気に胸元へと引き寄せる。

 流石に起きるだろうと思ったが、未だ目は閉じられたままだ。意外と眠りが深いタイプなのかもしれない。あどけない寝顔は、いつの間にか着がえていたらしい浴衣姿と相まって、リビドーをびんびんと刺激してきた。

 もはや辛抱たまらんと、彼が浴衣に手を伸ばした、その時――

 

「ん?」

 

 ルシオラの胸元から見えた何かに、横島の動きが止まる。目をこらして見れば――打ち身の痕だった。はっと気付いた彼が、すぐに視線を走らせる。

 ――結果、胸だけではなかった。腕も、脚も、よくよく見れば打撲や擦り傷だらけだった。おそらくは浴衣で被われている箇所も。老師との修行で負ったものに違いなかった。

 

「…………」

 

 穏やかに胸を上下させるルシオラを見つめ、横島はようやく、彼女が思ったより限界が近かった事を認識した。同時に、またも自身の欲求を満たす事ばかり考えていた自分の馬鹿さ加減に怒りと情けなさが混み上がる。

 

「……ごめんな」

 

 顔をしかめてルシオラに詫びた横島が、ゆっくりと彼女を布団に降ろした。そうして拳を握ると――自分を強く諌める。

 

「流れ……読めって言ってたもんな」

 

 頬がじんじんと熱を帯びるのを感じながら、横島が右手に意識を向ける。先程までの興奮と反省のおかげだろうか。霊力も集中力も、今は針の様に研ぎ澄まされていた。

 そうして急ごしらえで作った文珠に【治】と入れると、彼女の胸元に当てる。

 

(これでよし)

 

 ルシオラの身体から傷痕が消滅した事を確認して、横島が満足げに頷いた。

 問題が解決した事で、再び先程までの情欲が頭を掠めたが――今この時ばかりは理性の方が上回っていた。流れを読め、と心に念じると、提案してきた悪魔――何故か自分の影法師でイメージされた――をフクロにする。

 

(ま、仕方ねーよな――ヤれると思ったたのに――今日は色々無茶したし――ヤれると思ったのに――もったいないけど――ヤれると思ったのに――)

 

 そう自分を納得させて、横島が苦笑を浮かべた。なおも茶々を入れてきた悪魔を、蹴りを加えて黙らせる。

 傷の癒えたルシオラは、先程よりもリラックスした様子で眠っている。こうしてみると、本当に娘を持った気分だった。

 満足いくまで慈しんだ後、先ほど剥ぎ取った布団を掴む。娘を起こさない様に、足先からそろりと掛けていこうとして、

 

「うおっ!」

 

 突然、身体が引っ張られ、声を上げた。バランスを崩すと、背中から落ちていく。思わず頭を打って苦悶に喘いでいる自分の姿が脳裏をよぎったが――やってきたのは、ぼふんという柔らかい衝撃だった。それが枕だという事は、倒れた位置から何となく判断できた。誰の枕か、という疑問は、首を傾けた事で理解させられた。

 

(ル……ルシオラ!?)

 

 目を瞑り、すうすうと寝息を立てる彼女の顔がそこにあった。気付くと同時、横島の顔がさっと赤くなる。

 想定外の事象に、情欲を排除した後に出てきた素の感情は、直ちに待避せよと指令を出す。が、動けない。背中に回された彼女の手が、がっちり自分をホールドしている。

 

(ああっ!! 蛇の生殺し状態っ!?)

 

 状況を把握した横島が顔をひきつらせる。自分という男がそういつまでも理性を保てる筈は無かった。既に目には力が宿り、鼻息はまるで蒸気機関の如く噴射され続けている。

 ――それでも、彼はさっきの誓いを破りたくはなかった。溢れ出しそうな煩悩を抑え、流れを読めと念仏の様に唱えて誘惑に対抗する。

 

 どのくらいそうしていたのかはわからない。だが、やがて情欲を上回るほどの眠気が襲いかかって来た時、横島は「勝った」と心で歓喜の声を上げた。

 そうして意識を手放していき――

 

 

「……やっぱり、読めてないんだから」

 

 

 何かが唇に触れた後、最後にそんな彼女の声が聞こえた気がした。

 

 

『世話になったな』

 

 来た時と同じ門の前で、セイリュートは目の前の小竜姫に告げた。

 昨日と同じ場所。同じ立ち位置。違うのは友人の表情だけだった。

 

「ええ、本当に……夕べはさぞお楽しみだったでしょうから」

 

 微笑みながら青筋を浮かべた小竜姫が、そう言って、セイリュートの背後にいた横島たちに視線を向けた。

 びくっとした二人が、おずおずと身を縮める。とはいえ別に彼女が非難した様な事象があった訳では無い。単に二人寄り添って寝こけていただけなのだが、起こしに来たのが小竜姫だったのがまずかった。

 事情を話し、どうにか弁明を試みたものの――今に至るまでヘソを曲げられてしまっている。

 一方のセイリュートは、二人の間に何もなかった事を一目で見抜いていた。

 どうしてわかったのか、と訊ねた横島たちに、

 

『そういう時は、二人で目配せをし合っていたり、妙に雰囲気が変わっていたりするものだからな』

 

 と、冷めた口調で根拠を述べた。言外に『自分がいる前ではしてくれるな』とのメッセージを多分に含ませて。

 釘を刺され、苦笑いになった二人だった。

 

 

『もう説教はいいだろう。結局何も無かったのだし』

 

 再び小竜姫の小言が始まりかけた瞬間、セイリュートが横島たちに助け船を出した。「それはそうですが――」と矛先が彼女に移ったのを見て、二人がほっとする。

 だが、

 

「……なら、私も」

 

 そう呟いて進み出た小竜姫を、セイリュートは愉快そうに送り出す。ルシオラとの約束は昨夜のみ。その先の事は当人たち次第だった。振り返ると、

 

「横島さん!」

 

「は、はい!?」

 

 すわ説教か、と身構えた横島に、小竜姫が唇を重ねた。彼の後頭部に腕を回し、昨日と同じ内容をやり返す。素直で猪突猛進な、何とも彼女らしいキスだった。あまりの唐突さに、ルシオラも、横島も、目を丸くしたまま硬直している。

 

「必ずまた来てくださいね。待ってますよ」

 

 名残惜しげに唇を離した小竜姫が、そう言って横島の肩をぽんと叩いた。そのままきびすを返して戻ってくる友人を、セイリュートが笑みを浮かべて出迎える。顔が真っ赤だ。

 

「……恥ずかしくて死にそうです」

 

「昨夜も言ったろう? 多少強引なくらいがあいつにはいいのだ」

 

 言葉を交わしてセイリュートたちがあいつを見遣る。解凍した横島は、ジーンズを下ろし、パンツを丸出しにさせた姿で小竜姫の名を連呼していた。必死に地面を掻いているのは両足首を掴んだルシオラが急いで帰路に就こうとしているからだろう。

 地引網さながらのその光景に、元を含めた二人の神がふふっと笑う。

 

「本当に面白い方ですね」

 

「馬鹿もスケベも、あそこまで突き詰めれば見事というほかないな。こうして竜神の心まで奪ってしまったのだ」

 

「あれだけ炊きつけておいてよくも言えますね。でも――悪い気分じゃありません」

 

 にっと笑って小竜姫。それが合図だった。互いに別れの挨拶を交わして、セイリュートが歩き出す。

 

 ――悪い気分じゃない

 

 友人の言葉を心で繰り返すと、足を止めないまま上を向く。見えたのは、神社や事務所の暗い天井ではなく――どこまでも続く広い青空だった。

 しばらく見とれていたセイリュートが、再び視線を戻す。横島たちの姿は随分小さくなっていた。

 意識すれば瞬時にバンダナに戻る事もできるだろう。だが――今はもう少しだけ、自らの足で歩いていこうと決めたセイリュートだった。




8話をお送りしました。

内容的には第一部完といったところでしょうか。心理描写が多いので苦労したものの、書きたかった場面でもあったので、自分的には満足です。

次からはようやく横島たちがGSとして活躍していく予定です。ただ今月は色々忙しいため少し更新ペースが遅くなるかもしれません。亀更新になるかもですが、良かったら引き続きお付き合い下さい。

読んで下さる方々。応援して下さる方々。いつもありがとうございます。

それでは

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