よく晴れた空はどこまでも青く、風に乗ればそのまま飛んでいけそうな気がした。
東京の冬はどこかほこりっぽい日が多いが、その日の空は透き通っていた。
御茶ノ水駅の西口、改札の外。二月上旬の土曜日、昼前とあってあたりはそこそこの混雑だった。
冬のさなかだが風のない日向にいると暖かい。真姫はパープルのコートに白いマフラーをあわせていた。
「にこちゃん、まだかな」
隣にいた
「どうせ寝坊でもしてるんじゃない」
真姫はそっけなくいった。
「まだ時間になったばかりですから、そんなことをいっては悪いですよ」
今日は
にこが集まってほしい、といっただけで詳しいことは話そうとしなかったため、真姫はすこし不安を覚えていた。
もう、自分からさそっておいて、なによ、と思う。
まったく、遅れそうなら、連絡くらい入れなさいよね。
そういえば、にこちゃん、そろそろ受験だったはずだけど……。どうなったんだろ。私たちと遊んでて、いいのかしら。
真姫の隣で花陽と海未はすこし戸惑うように、それでも楽しそうに話していた。
花陽はオリーブ色の短いコートにデニムのパンツ、ブラウンのタイツ。海未は赤系統のハーフコートに薄紫のスカートという組み合わせだ。
このふたり、あまり見ない取り合わせね。
でも、このメンバー、どういう共通点があるのかしら。アイドル好き、ってわけでもないし、曲作り、でもないわね。
やがて花陽が声をあげた。
「あ、にこちゃんだ。にこちゃーん!」
真姫が視線を送ると、角のコンビニの先から小柄な姿が歩いてくるのが見えた。ペールピンクのショート丈のコートに、クリーム色のマフラーを巻いている。いつものようにツインテールにはピンクのリボンが結ばれていた。
ひさしぶりの私服姿に真姫はどきりとする。
にこちゃん、制服もいいけど、私服もチャーミングよね。服のセンスもいいし……。
「あんたたち、集まってるわね」
にこは三人のところへ来て、にこりと笑った。
「もう、遅れるなら遅れるって、いいなさいよ」
真姫は照れ隠しについ口にしてしまう。
「なによ、ちょっと妹たちの面倒、見てたのよ。それに、時間通りじゃない!」
「それでも、まずはあやまるのが、道理でしょ」
「まあまあ、二人とも……」
海未が見かねたようすで割ってはいった。真姫はばつが悪そうに視線をそらした。
練習以外でにこちゃんに会えて嬉しいのに、ダメね、私って。真姫は内心でため息をついた。
「それで、今日はどのような用件なのでしょうか」海未がたずねる。
「ええ、それなんだけどね……」
にこはめずらしく言葉を
「あんたたちには、その、いろいろお世話になったじゃない。だから今日はそのお礼、ってわけ。よかったら、食事でもどう?」
にこは三人のだれとも視線をあわせずに、ぶっきらぼうにいった。
花陽は首をかしげる。
「お礼……そんなこと、したかなあ?」
「はい、心当たりは、ありませんが」
海未も同じように疑問を浮かべる。
真姫はすこし考えて――ピンと来た。
「にこちゃん、もしかして、勉強のこと?」
にこは体を真姫に向けて腰に手をあてた。
「そ、そうよ、悪い? ちょうど昨日で、全部、受験が終わったのよ」
花陽は表情をほころばせる。
「あ、受験、終わったんですね。結果、どうでしたか?」
「あんた、なに考えてんの。まだ出てるわけないわよ」
にこはツンと顔をそらした。
「あっ、そっか」
花陽じゃないけど、私も気になるわ。
もし、にこちゃんが受験に失敗しちゃったら……。来年、どうするのかしら? 浪人? それとも、就職?
「でも、なんとなく、感触はわかってるんでしょ?」
真姫は内心の動揺を押し殺しながらいった。
「ま、まあ、五分五分、ってとこね」
にこは冷や汗を浮かべながら答えた。
「それでは困りますよ、にこ」海未が首を振る。「せっかくあれだけ、がんばったのですから」
「もう終わったんだから仕方ないわよ」
ただ、にこのようすは、真姫からすると――それなりに自信がありそうに見えた。もし、本当にそう思ってたら、にこちゃん、絶対もっと、動揺してるわ。真姫はすこしだけほっとした。
「で、行くの、行かないの?」
「行きます!」
「そういうことでしたら、ぜひ」
「仕方ないわね」
にこの先導で四人は歩き出した。
スクランブル交差点を渡り
歩きながら海未が話した。
「私は、主に文系科目を、一緒に勉強していたのですが……」
そういってにこを見る。
「ええ、そうね、秋くらいからときどき見てもらってたわね」うなずくにこ。
「真姫と花陽はどうなのですか?」
真姫と花陽は顔を見合わせた。花陽が話し出す。
「花陽は、定期テストの前とか……。ほら、にこちゃんとは部室で一緒になることが、多かったから」
「私は、英語と理系ね。にこちゃん、青い顔して『このままじゃヤバイわ』っていうから、放っておけなくて」
それを聞いて花陽はくすりと笑った。
「にこちゃん、私だけじゃなくて、海未と花陽にも教わってたのね」
真姫はあきれたようにいう。
「なによ、仕方ないじゃない! 背に腹は代えられないのよ!」
にこはすこし顔を赤く染めていた。
「……ほんと、感謝してるのよ、あんたたちには。だから、今日は、せめてものお礼」
にこはもう一度そういった。
三人は目をあわせ、微笑みあった。
にこちゃん、めずらしく素直ね。ふだんから、もっと素直になってくれればいいのに。そうしたら、私も……。
先を行くにこに真姫はちらりと視線を送った。
最初に会ったときには、三年生にもなってぶりっ子しちゃって、なんなのって思ったけど……。本当はすごく真面目なのよね。アイドルにも真剣に取り組んでるし。それに、今日だって、ちゃんとお礼してくれて。
意地っ張りで、ちょっと損してるところ、あるわよね……。
・
「ここよ」
雑居ビルの一階にレストランらしい店があった。
通りに面した部分は一面が木製の引き戸になっていて、いまは閉じられていた。戸にはめ込まれたガラスからは温かい明かりがもれている。引き戸の隣には同じく木製の片開きの扉。その上の看板には店名と「ダイニングカフェ」とあった。
にこは扉を開けた。カランカランとベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ」
入って右側、カウンターにいた初老の男性が声をかけた。
花陽と海未を通してから真姫は扉を閉める。
「四人で予約してる、矢澤ですけど」
にこの声はいつもよりあきらかに高い
真姫は思わず笑みを浮かべた。
「はい、うけたまわっております」男性が頭を下げた。「矢澤様のご案内を」とカウンターのなかの女性店員に声をかける。
店員は真姫たちをカウンターの反対側、ホールの席に案内した。ホールは八割がた、うまっていた。
真姫はホールの一角、カウンターの近くに、マホガニー色のピアノがあるのに気づいた。
それに目を止めたのかにこは席に座ってからいった。
「ここ、生演奏してるのよ。今日もやるはずよ」
にこはどこか誇らしそうだった。
「メニューは、ランチセットでよろしいですか?」
店員が聞く。
「ええ、それでお願いするわ」また余所行きの声。
「お飲み物は、紅茶とコーヒーから選べますが」
「あんたたち、どうするの?」
「えっと、紅茶で」
「私は、コーヒーを」
花陽と海未がこたえた。
「真姫は、紅茶でいいのね?」
「ええ」
「それじゃ、紅茶とコーヒー、ふたつずつでよろしく」
「かしこまりました」
店員が下がっていった。
「にこちゃん、このお店、高いんじゃない……?」
花陽が不安そうに話す。
「それが、意外にそうでもないのよ。だから、心配しなくていいわ」
「まさか、アルバイトとか、していたのではないでしょうね」と海未。
「してないわよ。ちゃんと勉強してたって。今日は、お年玉の残りよ」
「まあ、そういうことなら、ごちそうになりましょ」
真姫はふたりに笑いかけた。にこは満足そうにうなずいた。
お
「でも、にこちゃん、結構、がんばってたのね」
それは真姫の本心だった。真姫は週に一、二度、二時間ずつくらい、勉強に付き合っていた。付きっ切りではなく、ときどき質問に答える感じだったが――。
それだけじゃなくて、海未や花陽ともやってたなんて。努力家なのよね、にこちゃん。
「ほんと、進学を決めたときには、ヤバイって思ったわよ。でも、決めたからには、やらなきゃね」
「アイドルになろうとは、思わなかったの?」
花陽がお茶を飲みながら素朴にたずねた。
「それも、考えなくはなかったけど。さすがに専業になるのはちょっと早いかな、って思ったのよ。まだ、いろいろ勉強することも、あるだろうし」
「にこも考えていたのですね」と海未。
「まあね」
にこはそういってすこし照れくさそうに笑った。
「でも、アイドルは続けるんだよね」
花陽の問いににこは胸をはる。
「当然よ。スクールアイドルじゃなくて、キャンパスアイドルね」
「留年とか、しないようにしてよね」
真姫は冷やかすようにいった。
「も、もちろんよ」
「でも、にこちゃんと一緒に勉強して、花陽も参考になったんだよ」
「ええ、そうですね。人に教える、ということは、自分の理解を整理することにもつながりますね」と海未。
「たしかに、そうね」
真姫もうなずいた。
「あんたたち、わざわざフォローしてくれなくてもいいわよ。……でも、ありがと」
にこは軽く頭を下げた。
神妙な雰囲気になりかけて、真姫は茶化すように話す。
「まったく、にこちゃんがいっつも来るから、私、三年生用の参考書までそろえたのよ」
「あ、あんた……」
にこはびくっと体をひきつらせた。
「さすがにそこまでは、しませんでしたが……」と海未。
「それに、いつも学院で勉強してたし」花陽ももらす。
「……」
真姫はやぶへびだったことに気づいた。
「そっか、にこちゃん、真姫ちゃん
花陽が上目遣いでいった。
「だ、それは、練習のあとだと、ば、場所がないから」とにこ。
「私とはファーストフードで勉強していましたよね」
海未の唇の端に笑みが浮かんでいる。
「い、いいじゃない、別に」
「はい、構いません」
「にこちゃんと、真姫ちゃん、仲がいいんだね」
花陽はあらためて確認するようにうなずいた。
にこと同じく頬を染めたまま、真姫はなにもいうことができずに黙っていた。ただ――なにかにこに特別扱いされたようで、嬉しいことは否めなかった。
にこちゃん、そうなんだ。みんなのところに、押しかけてるのかと思ったら。私にだけ、気を許してくれたのかしら……。
真姫がちらりとにこに目をやると、にこはあわてたように目をそらした。
ちょうど料理がやってきた。
サーモンとチーズ、ローストビーフの二種類のオープンサンドにポタージュスープ、それにサラダのセットだった。
いただきます、と四人で食べ始める。にこのおすすめだけあって料理はおいしかった。
・
「はーっ、
きれいに食べ終えて、花陽が満足そうにもらした。
「ごはんじゃなくて悪かったわね」とにこ。
「そ、そんなことありません! 花陽はおいしいものはなんでも大好きです!」
「あと、デザートが来るわよ」
「デ、デザート!」
店員が食器を下げ、かわりに紅茶とコーヒー、それにジェラートを持ってきた。花陽は目を輝かせた。
真姫もひとくち食べる。すっきりとした甘さが舌の上に広がった。
しばらくして、真姫は気になって聞いてみる。
「それで、にこちゃん、結果発表、いつだっけ」
「来週から始まって、最後の一校は、二週間後ね」
「
「ふたりは国立も受けてるから、決まるのはもうすこしあとね」
「にこは私立だけなのですね」
確認するように海未がいう。
「し、仕方ないでしょ。いろいろあるのよ」にこはそっぽを向いた。そのまま続ける。「ま、いずれにせよ、ラブライブの本選までには、みんな決まってるわよ」
「そうね。……いい結果、出るといいわね」
真姫がいうと花陽と海未も神妙な様子でうなずいた。
「ほら、始まるわよ」
にこの言葉に三人は視線を向ける。
ピアノに向かって女性が座り、ドラムセットに男性がつく。さらにサックスとギターの男性が準備をしていた。
ホールの席はいつのまにかすべてうまっていた。
マスターがマイクを握り簡単にメンバーを紹介した。
メンバーたちはたがいに視線を交わしてから演奏を始めた。
一曲目は真姫も聞いたことのあるアニメソングのジャズアレンジだった。もともとの曲の大人な雰囲気がうまくアレンジされていた。ピアノとサックスが素敵ね、と真姫は思う。ホール全体を包んだ拍手に真姫も加わった。
うってかわって二曲目は静かなバラード。ピアノの女性がボーカルを歌った。花陽は目を輝かせて聞き入っていた。
三曲目はまたがらりとかわり明るい曲だった。メンバーたちは楽しそうに歩き回りながら演奏を続けた。
あれ、この曲、聞き覚えがあるわ。たしか、OMENS OF LOVE……恋の予感、って曲よね。
恋の予感、か……。女子高だし、なかなか出会い、ないわよね。
……にこちゃんとか、どうなのかな? 三年生だし、もしかしたら……。あれ、でも、曲名に気づいてるのかしら。
真姫が目をやると、にこは目を閉じて軽く体を揺らしながら聴き入っていた。
やがて曲が終わり歓声と拍手が上がった。四人も拍手をする。
「ありがとうございました」
メンバーが挨拶をしてから下がっていった。
ホールに静かなざわめきが戻ってくる。
「素晴らしい演奏でしたね」と海未。
「はい、素敵でした」
花陽は両手を胸の前で組み合わせ、すこし上気した顔だ。
「ま、悪くなかったわね」
真姫もうなずいた。
「なかなかいい感じでしょ」
にこは腕を組んでにこりと笑う。まるで自分がほめられたかのようだった。
それから曲について話したり、月末に迫ったラブライブ本選をどうするか考えたりして――デザートを食べ終えて四人は席を立った。
会計はにこにまかせて、真姫たち三人は先に外に出て待つ。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
「ありがとう、にこちゃん」
「いいのよ。せめてこのぐらい、しなくちゃね」
声をそろえる三人に、にこは照れくさそうで――それでも嬉しそうだった。