にこに食事をおごってもらった翌日。真姫は、にこが練習中に花陽と会話していたことが気になった。
さらにその翌日、一年生の教室で真姫は花陽にたずねた。
「ねえ、花陽。昨日、にこちゃんになにか聞かれてたでしょ。どんな話だったの?」
「あ、昨日の……。えっと、この前のレストランの生演奏、素敵だったねって」
「ええ、そうね」
たしかにピアノとサックスのハーモニーがよかったわ。
「それで、最後の曲の曲名、教えてほしいって。真姫ちゃんは知ってた?」
「ええと、私、なんとなく知ってたけど、あまり自信なくて。たしか、OMENS OF LOVE、よね」
こう答えておけば、にこちゃんに曲名をいえなったのも、自然よね。われながらちょっと、情けないけど。
「うん。すっごくいい曲だよね。だからにこちゃんも、知りたいって思ったんじゃないかな」
「ありがと、花陽」
真姫がそういうと花陽は微笑んだ。
にこちゃんも曲名、知っちゃったわけね。あのとき、へんなこといわなきゃ、良かったわ。
いまごろ、私のこと、どう思ってるのかしら。真姫ったら、私に恋について聞くなんて生意気ね、くらい?
でも、もしかしたら……私に気があるの、とか思ってたりして。そんな誤解されたら、困っちゃうな。にこちゃんに、へんな子、って思われちゃう……。
・
にこに部室で歌詞ができたといわれたあと。着替えを終えて真姫は音楽室に向かった。
にこちゃん、どんな歌詞を作ったのかしら。やっぱりかわいい系? それとも、意外にクールな感じ、だったりして。
真姫は想像すると楽しくなった。思わず笑みがもれる。
音楽室の扉を開けると、にこはピアノの前の椅子に座っていた。真姫に気づきぴょこんと飛び降りて歩いてくる。
視線がぶつかってふたりともしばらく
「わざわざ呼び出さなくても……」
「遅かったじゃない……」
真姫が口を開くと同時に、にこも話し始めた。あわてて黙り込む。
すこしいい合ったものの、結局、にこが折れた。
「これ、歌詞ができたから。お、遅くなって、ごめん」
真姫は差し出された封筒を受け取り、うなずいた。
にこはいつになく緊張しているようだった。そんなにかまえなくてもいいのに、と思う。
そういえば、にこちゃんが作った歌詞。いままで、見たことがないわ。一年生のころのことは、かたくなに教えてくれないし。そう思うと、貴重よね。
真姫はゆっくりと封筒を開けて、なかから紙を取り出した。
「待ちなさいよ」
なぜか逃げ出そうとするにこを引き止める。
もう、どうして逃げるのよ。ちゃんとテーマとか、背景とか聞かないと、きちんと曲が作れないじゃない。
にこは観念したように首を振った。
真姫は歌詞に目を通し始めた。それは「ずるいよMagnetic Today」と題されていた。
あれ、これ、デュエットじゃない、と思う。
「ねえ、にこちゃん、これ、ソロ曲じゃないんだけど」
「べ、別にソロじゃなきゃダメ、っていわれた覚えはないわよ」
「それはそうだけど」
大学に入ったら、さっそくだれか、見つけるつもり? もう、失礼ね。
真姫はとりあえず読み進めた。歌詞はふたりの掛け合いで進んでいて――どこか気になりながらも素直になれない気持ちを表現していた。
えーと、なんなのかしら、この歌詞……。
にこはもじもじしながら、あらぬ方向を向いていた。あきらかに顔が赤い。
これって、私の思い違いでなければ……っていうか、どう見ても……にこちゃんと私じゃない。
私がこの前、曲名について思わせぶりなことをいったから、にこちゃん、誤解しちゃったのね。あれ、でも、誤解じゃないのかな……。そうだとすると、にこちゃん、私のこと……。
真姫は頭のなかがぐるぐるしてきた。ちらりとにこを見ると、にこの視線もさだまらなかった。
とりあえず最後まで読み終えて、心を落ち着かせるために深呼吸した。
真姫はあえて冷静を
「にこちゃん、この歌詞だけど……。本気なの?」
「も、もちろん本気よ」にこはむきになって答えた。「これは海未が悪いのよ!」
「どうして海未が出てくるのよ……」
「海未のアドバイスのせいなのよ。主人公を決めれば、イメージがわくって」
「主人公……。にこちゃんと、もうひとりはだれなの?」
「……あんた、それをいわせる気なの?」
にこは唇を
もう、わかってるわよ!
「……だからって、どうして、私とにこちゃんなのよ。にこちゃんだけで、いいじゃない」
「私だけじゃ、どうもいまいちで……。真姫のことを考えたら、うまくいったのよ」
弁解するようにいうにこ。
「私が出てくるのが、意味わかんないんだけど」
真姫は目を細めてにこを見つめた。にこはついと目をそらして小さな声でいう。
「だって、真姫が、ほら、その……かわいいから」
「……えっ」
真姫は顔がほてっていくのを感じた。
それってどういうこと? かわいい……それは嬉しいけど。
にこははにかむように続ける。
「クールに振る舞ってるけど、実は真姫って、ひたむきなところとか、純粋なところとか、あるじゃない。損してると、思うのよね」
にこはいったん言葉を切った。
にこちゃん、そんな風に思ってくれてたのね、と思う。
「私と真姫って、いつもけんかばっかりしてるけど……。似たところがあるせいかなって、思ったのよ。そしたら、そんな真姫が……」
にこは押し黙った。
それって、つまり、好きってこと……? あ、でも、にこちゃん、そこまで考えてないわよね、きっと。私の誤解、よね。うん。ちょっと置いておきましょ。
にこの沈黙に耐え切れなくなり真姫は口を開く。
「そ、それにしても、この歌詞はないと思うけど」
冷静さの仮面はすっかりはがれていた。
「素直になりなさいって、やっぱり海未が」
海未ったら、どんなアドバイスしたのよ。
でも、素直になって、これなのね。も、もちろん嬉しくないわけじゃないけど。気持ちの整理が……。
「……これじゃダメ、かな?」
にこは上目遣いで不安そうに話した。
まったく、いちいちかわいいわね。そんな顔されたら、断れるわけないじゃない!
真姫は腕を組んで顔をそらす。
「しょうがないわね。やるわよ。この真姫さんに、任せなさい」
にこはほっとしたように微笑んだ。
「ありがと、真姫。ごめんね、へんなの作ってきちゃって」
「べ、別にへんじゃないわよ。わ、私も気に入ったから、作るっていってるの!」
あ、こんなこといって。もし、にこちゃんが本気なら、私も受け入れたってことになっちゃうのかしら。……もう、それでもいいわ。
「えっと、ま、まあ、当然よね。私が作ったんだから。か、感謝しなさいよね」
にこは思い出したように胸を張ったが、いつもの自信は感じられなかった。
真姫はくすりと笑った。
「うん、がんばって作るわ。……にこちゃんのためだもん」
「あ、ありがと」
・
翌日からもμ'sの練習は続いたが、どうしても真姫は、にこに自然に接することができなかった。簡単に挨拶するのが精一杯で会話は続かなかった。
「どうしたの、真姫。また、にことけんかでもしたの?」
そのおかげで絵里には心配されてしまったが――。
「別に、なんでもないわよ」と答えるしかなかった。
数日するとさすがに多少は話をできるようになったものの、曲の話題はどちらからも出さなかった。
歌詞に具体性があるせいか作曲は思いのほか順調で、忙しい日が続いていたもののすこしずつかたちになっていた。
そんなある日。
「真姫、あさっての午後、空いてる? ちょっと付き合ってほしいんだけど」
練習のあいまに、にこがたずねた。
明日から五日間、音ノ木坂学院は学年末試験だった。
特例として――大会が近い運動部と同じ扱いで――試験期間中も活動が認められたアイドル研究部だったが、その日は休みになっていた。
真姫は当然、勉強にあてるつもりだったが――。
まあ、一日くらい、大丈夫ね。それに、にこちゃんの頼みだし。きっと、曲も、そのころにはできるはずよね。ちょうどいいかも。それに、歌詞の意味……ううん、にこちゃんの気持ち、聞きたいわ。
「ええ、空いてるわよ」
「試験期間中に悪いわね。それじゃ、真姫の試験が終わったら、一緒に帰りましょ」
真姫はうなずいた。それ以上詳しいことはにこはいわなかった。
真姫は気になったものの、あえてなにも聞かなかった。
にこと約束した前日。いつもよりずっと短いμ'sの練習を終えて真姫は家路についた。
帰宅して着替えもせずにピアノの前に座る。譜面台には手書きの楽譜。
昨日までに曲はほぼ完成していた。真姫はイントロから一通りコードとメロディを弾いてみた。
うん、悪くないわよね。最初に歌詞をもらったときには、どうしようかと思ったけど。にこちゃんのかわいい感じも、ちょっと生意気な感じも、よく出てると、思うのよね。
でも、どこか物足りないかしら、と思う。
もうすこし吹っ切れても、いいのかも。にこちゃんがここまでがんばって、くれたんだし。そうね……。
真姫は鉛筆をとると譜面に書き込み始めた。
・
その日のうちに真姫は――伴奏までは間に合わなかったが――ピアノで演奏して仮歌を作った。そして、にこに聴かせられるようにスマートフォンへコピーしておいた。
翌日。
試験を終えて真姫が教室を出ると、にこが廊下の壁に寄りかかって待っていた。真姫を目にして姿勢を正し、ぎこちない表情で微笑む。
「それで、どんな用事なの?」
「とりあえず学院を出てからでいい?」
真姫は疑問に思いながらうなずいた。
「あ、真姫ちゃん。今日はにこちゃんと一緒に帰るの?」
花陽が教室から出てきて首をかしげた。
「ええ、ちょっとね」
真姫はあいまいに笑顔を返す。
「仲がいいんだにゃー」
あとからあらわれた凛が冷やかすようにいう。
「べ、別にそういうんじゃないけど」
花陽はにこりと笑うと凛の手を握った。
「じゃあ、一緒に帰ろ、凛ちゃん」
「了解、かよちん!」
「それじゃ、また明日ね」
花陽は手を振って凛とともに廊下を歩いていった。
「はあっ」にこがため息をついた。「助かったわ」
「そうね」
真姫は
あれは絶対、気を使ってくれたわよね。あとで花陽に、お礼をいわなきゃ。
「ったく、凛ももうすこし、雰囲気読みなさいよね。……それじゃ、私たちも行くわよ」
にこは廊下を歩き出した。
昇降口から校門へ。幸い天気は良く、風も弱かった。
学院の前の長い階段を下りながら、にこは口を開いた。
「実は、今日、合格発表なのよね。それで、真姫に付き合ってほしくて」
「わざわざ大学まで、見に行くってわけ。いまどき、ネットで見られるんじゃないの?」
「それは、そうなんだけど。やっぱり
まあ、わからなくはないけど……。にこちゃん、へんなところにこだわりが、あるわよね。
「そんなの、ひとりで行きなさいよ。どうして私なんか、誘うのよ」
「ほら、ひとりだと、その……不安じゃない」
にこは視線を外した。横顔に心細さが浮かんでいる。
まったく、仕方ないわね。でも、絵里や希じゃなくて……私を誘ってくれたことは、喜ぶべきなのかしら。
「ふう」
真姫はわざとらしくため息をついた。
「わかったわよ。一緒に行く」
「ありがと。悪いわね」
にこはほっとしたように微笑んだ。
だけど、もしにこちゃんが、落ちてたりしたら……。どうしよう。私、なぐさめられるか、自信がないわ……。
・
にこの案内でふたりは秋葉原駅からJRに乗った。
二十分ほどで降りた駅は、バス停のあるロータリーの周りに低いビルや店舗がならぶ、いかにもベッドタウンの駅だった。
都心よりもすこしだけ寒いような気がした。
にこはスマートフォンを取り出してちらりと見る。
「発表まですこし時間があるわね……。昼ごはん、食べる? ファーストフードでよければ、おごるわよ」
「そうね、いただくわ」
へんに遠慮しても、悪いわよね。
ふたりはロータリーに面したハンバーガー店に入った。注文をして二階席に上がる。
ハンバーガーを食べるあいだ、にこは終始、無言だった。さすがに緊張しているように見えた。
「ねえ、にこちゃん」
食べ終えて真姫は聞いてみる。
「ん、なに?」
ぼーっと外を見ていたにこは、視線を戻した。
「もし、合格したら、ここまで通うことになるの?」
「そうなるわね。まあ、そんなに遠くないし、都心とは反対方向だからあまり混まないと思うし……。悪くないでしょ」
「そうね」
にこはふたたび外をながめる。真姫も同じようにロータリーを見つめた。
いよいよにこちゃん、卒業なんだな……。そう思うと胸がきゅんと痛む。
私、にこちゃんのこと、どう思ってるんだろ。つい最近までは頼りになる先輩で、でもちょっとかわいいところもある、μ'sでも特に仲がいい友達だと、思ってたけど。
にこちゃんが私のこと……その、もし特別に思ってくれてるんだとしたら、私、それにこたえられるのかしら……。
にこはもう一度、スマートフォンを確認した。
「そろそろね」
そういうとにこは椅子からおりて、真姫のぶんまでトレイを持ち、さっさと
「ありがとう」
「どういたしまして」
ふたりは店を出た。
住宅街のなかの細い道を歩いていくと、通りにつきあたり、急に視界が開けた。
T字路の交差点、通りをわたったところがちょっとした広場になっていた。広場の奥には門があり、その横に守衛室らしい建物があった。
通りの向こう側は大学の敷地のようで、広場と通りにそってフェンスの建てられた壁が続いている。
にこはT字路を渡り門に向かって歩いていく。真姫もあとを追った。
にこは門を通ると近くにあった学内の案内図を確認したあと、うなずいて歩き出した。
キャンパスには数階建ての低い校舎が距離を取って建てられていた。木々も豊かで、いまはすっかり葉を落としているが、春からは緑が美しいだろう。
真姫は大学そのものがめずらしく、あたりをきょろきょろと見回した。
わざわざ合格発表を見にくる受験生はすくないのか、学内は閑散としていた。
「さすがに緊張してきたわ」
にこがぽつりとつぶやいた。
「……にこちゃん、もし落ちたら、浪人するの?」
真姫は不安にかられてたずねる。
「浪人は、うちの家庭状況じゃ、無理よね」
にこは首を振った。真姫はぶしつけな質問をしてしまったことを後悔する。
にこは真姫の顔色を見たのかすぐに続けた。
「黙ってたけど……滑り止めには合格してるのよ」
「なんだ、心配して、損したわ」
「でもね、かなり遠いのよ。だから……」
にこは言葉を切る。
たしかに、遠くなると、にこちゃんにもなかなか会えなくなるわよね。
その思いはにこも同じだったのだろう。
「……なるべくなら、ここ、受かりたいのよね」
そう話す口調は真剣だった。
真姫はにこの手を握った。にこは一瞬、驚いた顔をしたあとぎゅっと手を握り返した。
キャンパスを抜けていくと、ある建物の前の広場に人影がちらほらと見えた。携帯電話を耳に当てていたり、ふたり連れで手をつなぎ喜びあったりしている。
建物の入り口の隣にはガラス張りの掲示スペースがあった。あそこに出てるのね、と真姫は見当をつけた。
広場のなかほどで、にこは手をはなした。
「行ってくるわ」と真姫を見つめる。
「行ってらっしゃい」
真姫はうなずいた。
ゆっくりと歩いていくにこ。鞄から紙を――受験票だろう――を取り出した。彼女は胸を張り、決意に満ちていた。
掲示板の前でしばらくたたずむ。
くるりと振り返ると、ふたたびゆっくりと歩いてきた。目を伏せている。
もしかして、と悪い想像が胸をよぎった。
にこは真姫の目の前まで来ると、いった。
「真姫……私……」
「に、にこちゃん」
にこは顔をあげた。厳しい表情を見せる。真姫はごくりと唾をのんだ。
にこは一瞬ののち――にっこりと微笑んだ。
「やったわ!」
その一言に真姫は飛び上がりそうになった。にこちゃんと一緒にいられる、そう思うとなんともいえない温かさが胸に広がる。
よかった、と思いながら、わざわざ驚かせたにこが急に腹立たしくなる。
「もう、おどかさないでよ!」
「ごめんごめん」
怒ったようにいう真姫に、にこはおどけて笑ってみせた。
「……でも、よかった」
真姫も笑顔になる。
真姫はにこに近づき、ぎゅっとにこを抱きしめた。
「ち、ちょっと……」
あわてるにこ。
「ここなら気にしなくても、大丈夫よ」
まわりでも似たような光景が繰り広げられていた。さすがに女の子同士で抱き合っている姿はなかったが――。
「……そっか、それもそうね」
にこも受験票を手にしたままうなずき、真姫を抱き返した。
「おめでとう、にこちゃん」
真姫はにこの耳元でささやく。
「うん、ありがと」
にこの
どのくらいそうしていただろうか。ふたりはどちらからともなく、体を離した。
ふたりとも頬を上気させていた。
「そ、それじゃ、帰りましょうか」とにこ。
「そ、そうね」
駅までの帰り道、真姫は聞く。
「みんなに連絡しなくていいの?」
「今日が発表って、話してないし……。明日でいいわよ」
そんなものかしら、と思う。でも、私から連絡するのもおかしいわよね。
あ、それよりも……。
「ねえ、にこちゃん。例の曲だけど……仮歌ができたわよ」
「ぐっ」
にこはへんな声を出してあらぬほうを向いた。
「わ、私の歌詞がいいから、作曲も、簡単だったでしょ」
「簡単なわけないじゃない、あんなの。もう、私の身にもなってよね」
真姫もつんと顔をそむけた。
「……ぷっ」
「……くすっ」
しばらくしてふたりは同時にふき出した。
「なにもかも悪いわね、真姫」
「ううん、合格祝いにもなって、よかったわ」
「さっそく、聴かせてもらおうかしら」
「そうね。……どうせだから、カラオケでも、行きましょうか」
「なるほど、あわせてみるってわけね。いいじゃない」
ふたりは微笑みあった。
・
駅からふたたびJRに乗り秋葉原まで帰ってくる。μ'sのメンバーでよくいくカラオケ店へ向かった。
秋葉原の街中を歩いていたとき。
「あ、にこちゃんと真姫ちゃんだにゃ。おーい!」
背中から聞きなれた声がした。
真姫が振り向くと、凛と花陽が走ってくるところだった。真姫の隣で、にこはあきらめたように肩をすくめた。