強化京華kyouka   作:じょーく

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文学少女びふぉー4

 学校で自分の教室に行けば、待っていたのは言葉の嵐だった。

 どうしたの、大丈夫、なんでそんなことになったの、もったいないね、ドンマイ。概ねそんな言葉が連なっていくなか、ふと思いついて私は視線だけを、自分の席から一つ右、二つ後ろの方、すなわち宮永さんが座っている席にへと視線を移した。

 そして視線が合ったかと思えば、宮永さんは慌てて席を立って、コソコソと逃げるように教室を出ていった。転ぶんじゃないかという心配がクラス中を包んだのは言うまでもない。

 まあ、そんな感じで学校が終わって、私は松葉杖を突きながら帰路につく。

 もう帰宅部で、いつもよりずっと速く帰れることに多少のお得感はあった。だけどこんな遅く歩いているようじゃ、プラスマイナスゼロかもしれない。

 親に送ってもらった以上、迎えにも来てもらうという選択肢もあるにはあったけれど、それはどこか遠慮したい気持ちがあって、まあせっかくだしリハビリもかねてやろうかな、なんて思惑だ。リハビリをしたって、以前のように速く走れるわけではないだろうし、仮に速くなるように練習したって、もう手遅れだ。私はもう二度と、自分を越すことさえできないのだから。

 まあ、それでも走ることは好きだし、だから、リハビリだ。頑張れ頑張れ私、ファイトだぞ。

 馴れてしまうと松葉杖も松葉杖で趣がある。第三の足という感じはちょっと楽しい。むしろ足が完治したとしても利用したいものだ。

 けれど学校から家まではそれなりの距離があるので、私は少しだけ立ち止まる。軽くため息のような吐息をしてから、目をつむる。そうすれば音だけが聞こえて――――憎たらしくなった。

 もったいない、何をやっているんだ、せっかく速かったのに。

 そんな声が――自分の声が、聞こえてくる。

 

「るっさいんだよ……」

 

 五月蠅くて、邪魔だ。消えてしまえ、消えてしまえ、さっさといなくなれ。

 学校に行って誰が責めた。みんな私を気遣ってくれた、陸上部を辞めることだって先生方も私を傷つけるようなことはなかった。私のために泣いてくれる人だってさえ居た。

 それでもどうしようもなく苛立ちは消えない。腹の中でぐつぐつと、黒いものが煮えたぎっている。

 

「るっさいんだよ……!」

 

 逃げたくて、走りたくて、だから逃げられない。

 思い切り大声を上げて、すぐに逃げ去りたい。今すぐにでも家の玄関を乱暴に開いて、自分の部屋に行ってベッドの上に飛び込みたい。

 私は――何をやってるんだろう。

 こんな風に、自分で自分を憎んで、何をやってるんだ。

 人間が小さい、後悔はないんじゃないのか、松葉杖を楽しいと思わないのか、良いじゃないかそれで。

 それで私は、良い――わけがない。そんなわけがない。これで良いはずが無いんだ。ああ、どうしようもないくらいに汚い怒りが煮えたぎる。誰かを責めたくてたまらない。そんな自分が小さいと分かってしまうから、私はまた余計に腹が立つ。

 それはまるで――自転車操業のように。

 

「す、須賀さん!」

 

 そして、私の代わりに叫ぶ女性が、そこに居た。

 黒髪のショートカット、中学生というより小学生に近い、幼く可愛い顔立ちをした女性。私と同じ青のジャンパースカートの制服を着た――宮永咲が、そこに居た。

 

 

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 その時の私の感情について教えよう。

 それは宮永さんが来て嬉しいと思うでもなく、悲しいと思うでもなく――――怒りだった。

 どうしようもない怒りが、私を包んだのだ。

 

「……宮永さん」

 

 だから何も付け加えず、気軽にでもなんにでもなく、私がただそう言ったのは、その怒りが溢れないように少しでも言葉を少なくするという思惑だった。

 どれだけ傷ついていようと、まだ私はクラスメイトに怒りを露わにするようなプライドも何もかも投げ捨てる真似をできるわけがなかった。

 

「あ、あの、その……」

 

 だから。

 何時もなら笑顔で言葉を待てていた宮永さんのことを、私は今にも怒鳴ってやりたい感情を押さえつけるのに必死だった。

 もっと早く言えと。何を怖がっているんだと。うざったい、うざったい、うざったい、だから嫌いなんだって、そう言ってやりたくて。例え言っても結局は相手が宮永さんならば、クラスメイトの誰にもバレないのだからとか、自分が怒鳴っても良い理由を探し当てていた。

 

「大丈夫、ですか?」

 

 私は――ここで怒鳴ろうか迷ったのだ。

 迷うだけの感情はあるのかということも思うだろう。でも、そうじゃないんだよ。

 人は怒りを悲しみを楽しみを喜びを露わにする前はいつだって冷静だ。だけど、頭がカッとなるのはそれらを露わにした時なんだ。

 つまり、ギリギリだった。私は寸でのところで台無しの感情をさらけ出すことを踏みとどまったんだ。

 

「大丈夫に見える?」

 

 棘のある言い方をしたのは、蓋をしたはずの感情の中から溢れてしまっているからだろう。沸騰したもののように、コポコポと音を立てているそれ(・・)が塞いでいる蓋さえも動かしている。

 松葉杖を握る手を、より一層固くしながら私は目の前にいる弱者を見下ろした。

 

「……ごめんなさい」

 

 弱者は弱者らしく、頭を垂れた。

 私はそれを許すべきで、すぐに笑顔を見せるべきで、だから――

 慰めの言葉を与える筈の唇が震えて、目を見開いてその弱者を見た私は思いきり、腹の底にあるそれをぶちまけた。

 

「――うるさいんだよ!」

 

 松葉杖に支えられながら、吐き捨てるように、汚いその感情を発散する。

 ぐちゃぐちゃで、視界もなにもかもしっちゃかめっちゃかになって何も見えやしない。

 だけどきっとそこには、驚愕の顔で突っ立っている宮永さんがいることだろう。

 

「私は――宮永さんが嫌いだよ。大っ嫌い!」

「…………」

「そうやって、いちいち縮こまって、私のこと怖がってさ! 私ってなんなんだよ、私が何かしたのか!」

 

 一度溢れた言葉は、止まらない。

 支離滅裂に、何も考えずに、私は口に出す。まるで――小学生のように。

 

「私が気遣ってもなんもしなくて! 私が仲良くなろうとしたら距離を取って! 私の言葉に対してもいちいち怖がって! ふざけんな! 謝るな、気遣うな、傷つけるな! だから私は――宮永さんが大っ嫌いなんだよ!」

「須賀、さん」

「私は――そうやって私のことを怖がっている宮永さんのことが、大っ嫌いなんだよ」

 

 もう、目の前に居る少女に対しては言い尽くした。

 だから後は、自分に向けての感情を溢れさせた。

 

「なんで私の思い通りにならないんだよ……」

 

 私は――走りたかったよ。

 手足を自由に動かして、風を感じながら見知らぬ誰かにまで褒められたりしてさ。

 みんなと一緒に笑って追いかけっこなんてしたり、そんなくだらない事だって良かったんだよ。

 

「私だって走りたかった、助けたくなんてなかった、でもしょうがないじゃんなあ! 誰も助けないんだから、私しかいなかったんだから!」

 

 私が走れなくなったあの日(・・・・・・・・・・・・)

 事故に遭うなんてよくある話で。そして、事故に遭いそうな子を助けるなんて話も、よくある話だ。

 よくあって、良くないのは私が走れなくなったことだけなんだ。

 

「褒められたよ、ありがたがられたよ、泣いてたよ! ああ、良かったなあ! 私以外はみんな良かったよ! 私が良い奴で――良かったなあ! 私に助けられて、良かったよなあ!」

 

 なら――私だって誰かに助けられて良いはずじゃないか。

 どうして私ばかり、こんな目に遭う。こんなことになるんだ。

 才能があったんだろう? なら、良いじゃないか、助けてくれよ、この才能のためにでも、私という良い奴のためにでも、助けてください。

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だ! 走りたい、走れなくなんてヤダ! みんなに抜かされるなんて嫌だよ! もう本気を出せなくなるなんて嫌だ! もう本気の私に追い付けないなんて嫌だ! 事故に遭ってない私より弱くなるなんて――嫌だ!」

 

 良い事をしたんだろう、なら、どうして、良い事をしない私の方が報われているんだよ。どうして、良い事をしていない私の方が強くなるんだ。

 

「嫌だよ……」

 

 もはや誰に言っているかも定かではない、地面へと、零すように私は言った。

 まだ大丈夫な方の足へと体重を掛けて、それから松葉杖を転がして、私はその場に跪き、両手を付いた。

 まるでこれから土下座でもするかのようなポーズであるけれど、私がこの姿勢で思い出すのは、クラウチングスタートだ。

 もう――始まりの位置にすら、つけやしないけれど。

 

「こんな私なんて――」

 

 心底、嫌になる。私は私を軽蔑する。

 助けたんだろ、なら後悔しないって思ったんじゃないのか。こうやって後悔している自分を格好悪いと思わないのか。

 後悔するようなことじゃないだろう、どっちみち、助けられなくったって後悔するんだから、助けられて良かったで、それで完結で良いじゃないか。

 だから、私は私を嫌いになるんだ。

 こうやってちっこく、人を助けたことを後悔している私を、私は嫌悪する。

 もったいないとか、何をやってるんだとか、そうやって後悔する私を、私が嫌うんだ。

 

「こんな私なんて――――嫌だ」

「私は」

 

宮永さんはそう前置きをして。

 

「私は、嫌じゃあないですよ」

「……うるさい、うるさいうるさい! もう帰っちゃえ! 何も分かってくれないんなら、もう帰ってよ!」

 

 私は――私は、悔しさで誰にぶつけるでもない拳を作って地面を見つめる。地面には鏡があるわけじゃないから、自分の顔も宮永さんの顔も見ずに済み、とても助かった。そしてそんな私がそれでも泣かないのはちっぽけな自尊心を守るためだっただろう。こんなのは守っていようが守っていまいが変わらないものなかもしれないけれど、私は、それがとても大事なものだと思って、それだけは必死に塞き止めた。

 

「もう帰りますよ。だから帰りましょう、私の、私と須賀さんとの帰り道はここじゃないですか」

「帰ってよ……出てってよ! もう近づかないで! 嫌い、嫌い、大っ嫌い。宮永さんなんて――」

 

 その続きの言葉はもう出てこなかった。

 それ以上はもう、私の感情が限界を迎えそうだったから。

 情けない涙がとめどなく溢れそうで、その言葉と一緒に涙まで飲み込むように、私は止めた。

 

「うぅ、うぅぁ……! ヤダよ……もうヤダよぉ……」

 

 泣きそうで、泣きそうでたまらず地面を見ている私にへと近づいてくる足音が聞こえた。

 一歩一歩、遅く、丁寧に。そしてその音はどんどんと近づき、下を向いている私の視界に靴が――宮永さんの革靴が見える。

 それから膝を折って片膝を地面に着け、私が前を向けさえすれば視線が合うようになるまでに顔を下げてくれたのは分かった。

 

「私なんて――須賀さんのお友達にだって、なれやしませんよね」

 

 そこで思わず私は、顔を上げた。

 宮永さんの表情は『普通』だった。無表情ではなく、表情のある普通。笑顔でも悲しみでも怒りでも――そして恐れでもない、普通の表情だった。

 その表情と――その宮永さんと、私は出会いたかったんだろう。だけどもう――遅いのかもしれない。

 

「でも、今は、帰りましょうよ、ね?」

 

 最後に可愛らしく首を傾げて、提案する宮永さん。

 

「よいしょっ……っとと」

 

 対して私が何も言えずに、また地面に顔を向けていたら、宮永さんは転がった松葉杖を取ってから、私の脇に腕を通して少し踏ん張りながら一緒に立ち上がらせて、それから少しよろけながらも、お互いに立ち上がる。私は――立ち上がってしまう。

 結局賛成することもできず、断ることもできず、だから、それから一緒に、始めは引きずられるように帰った。お互いに何も言わずに、私の家まで一緒に。

それからどれくらいの距離を歩いたのか、私の記憶は定かではない。ただ、気がついたら私は支えられたまま、私の家の前まで着いていた。

 

「須賀さん、着きましたよ」

 

 そこで私はようやくおぼろげだった思考が少しだけ戻ってきて、これ以上ないくらいに密着している宮永さんへと謝罪の言葉を向けようとした。

 向けようと、した。

 でも言えなくて、私に松葉杖を返して一人で家の玄関に入らされ、それから少しだけ視線を後ろに向けたら、小さく手を振られていた。何も、返せやしなかったけれど。

 玄関の扉が一人で勝手に閉まって、そこでようやく、私は真っ暗な声色で言葉を発した。

 

「ただいま」

 

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