大量の雨が降る中、私は構わずに走る。
走って、追いかけて――逃げている。
「……っ」
今日もいつも、私は逃げてばかりだ。
恥ずかしいから逃げだして、気まずくなりそうだから逃げだして、私が追わなくちゃいけないから逃げだして、逃げて逃げて逃げて――――逃げている。
思えば、今日私が走ったのは全部、逃げるためだったのか。
――もしも、圧倒的実力差があったとしたら。
部長の言葉が蘇る。
圧倒的実力差があったとしたら、それは可能になるのか。
高校から麻雀を始めた私はもちろん、昔から麻雀をやっていた優希はもちろん、中学インターミドルチャンプの原村和を相手にしたとしても、そんな、私たちを掌の上で弄ぶような真似が、可能になるのだろうか。
「なるんだろうなぁ……」
なってしまうんだろう。
知恵も運も、そのすべてを圧倒的な差があったとしたら、それはもはやゲームにすらならないのだから。
ただの――遊びだ。
「なっちゃうんだろうなあ!」
必死に雨の中――水の中を走りながら、私は怒鳴った。その怒鳴り声も、大量の雨粒が隠してしまう。
和の顔が、蘇った。
どうして和が、あの、超が付くほどの真面目ぶりを見せる和が、そんな咲の他者を嘲笑うような真似を見て、追いかけようとして、わざわざ扉の前で立ち止まってから私を見たのか。
そんなの決まってる。私のためだ。
みんな仲良し麻雀部。
ギリギリ団体戦に出れるメンバーが揃っていた。
咲が居なくても――団体戦に出れてしまうのだ。
「くそっ……」
咲が入ったら――一人、余計になってしまうんだ。
私が――邪魔になってしまうんだ。
「くそっ!」
だから立ち止まって、私を見た。
あの中で一番に弱い私を、見たんだ。
みんな仲良しだから、それが終わるのを怖がって、恐ろしがって、真面目な和はふざけたことをした咲を追いかけるという正しいはずの行為を、躊躇した。
私のせいか? ああ、私のせいだ。私のせいなんだよね!
強く、固く、冷たい雨粒が私の顔に当たる。頬に、体温で温くなったいくつもの水が伝っていく。
「もしも……」
ありえないことだけど。
もしも――私が男だったらとか、考えてしまう。
団体戦に出れるにはギリギリメンバーが足りなくて、私がマネージャーみたいな役割でいたら。
そしたら、きっと、こんなことにはならなかった。和が私を気遣うなんて真似はしなかった、和が私のせいで立ち止まるなんてなかった、こんなところでいちいちみんなが立ち止まらずに済んだんだ!
きっと、咲を連れていっても、みんなは良い顔をしないだろう。
できない、だろう。
私がいるから、私のせいで。
だって、みんな仲良しなんだから。みんな仲良し麻雀部だったんだから。みんな良い子の麻雀部だったんだからさあ。
私っていう犠牲者がでちゃえば、気まずくなるんだろうね。
「あぁ……」
ふざけんな。
「――咲!」
道の直進通路で、赤い傘が見えた。首から上は傘で隠れているし、分かるのはせいぜい、私と同じ制服と、その体つきだけだけど。
分かるに決まってるでしょ。
だって私は――咲の幼馴染なんだから。
そしてその女性は、振り返って、驚いた表情をしながら私を見るんだ。
いつもの呼び方で。
「……京ちゃん?」
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雲がたくさんあって、太陽の姿を全部隠している、冷たい気温と有り余る湿度のある日のこと。私は咲に追い付いた。その冷たい気温の中、肺にある熱い二酸化炭素が私の口から勝手に出ていく。走った脚も痛くて、私はすぐに咲を問い詰めることができず、膝に手を付く。
それでも、体力が半分も回復するほど私は待てず、本当にほんの少しの酸素を吸って、私は無理やりにでも顔を上げて切り出した。そう、咲に向かって――弾劾する。
「どうしてっ!」
どうして、あんなことをしたのだと。
なんで、どうして、分かんないよ。もう、全部が分からなくなる。
私はアラフォーでもないし、咲の目の前で黒歴史を言うのだって恥ずかしいくらいの高校生で、別に名探偵でもないんだから。咲の考えてること、全然分かんないよ。
ぷんすかぷんすか、なんて、そんな風に怒れもしない。
ただ――――悲しい。
「京ちゃん……」
困ったようにする咲。何も言わない、早く言い訳をしてほしい。そう願う私に、まだかまだかと、私の頭は回り、舌も回りそうになる。
麻雀がキライだから、なの? そう問いかけようとしても、私の口は思うように動かない。私の舌は思うように回らない。どちらも――私の思いに追い付かない。
雨が降って、雷が鳴って、冷たい温度であるにも関わらず、頭は夏みたいに熱すぎた。
そんな私に代わって、咲が口を開く。
私は――と、そう切り出して。
「――麻雀キライなんだ」
そう言う咲の表情は、無表情ではなく、どこか哀しそうで。
強がって笑っているようにも見えて。
見ていて、とても痛そうな表情だった。
「子供のころ、賭け麻雀しててさ」
「へ……?」
かけ麻雀。かけって、賭け?
お金を賭ける、もしかしたら法的にもグレーな、賭け麻雀?
咲が? それこそどうして――
問いかける前に、咲は哀しそうに懐かしそうに目を細めて、説明してくれた。
「お母さんが麻雀好きで、お年玉を麻雀で決めてたの」
「…………」
「勝ったらたくさんもらえるけど、負けたら少なくなっちゃう」
だから、賭け麻雀。
でも、それでも、別に、ないことじゃない。
麻雀が億のプレイ人口を超えるくらいメジャーなら、メジャーだからこそ、家族みんなでそれくらいの遊びをするくらい誰だってあっても……!
「でも――勝ちすぎたら怒られちゃう」
子供のように、咲は笑った。
困ったように、悪戯がバレたときのような、子供の笑み。
どこか歪で、咲らしくない――笑み。
「負けても、お年玉が少なくなっちゃう」
だから。
だから咲は――
「だから私は――
勝ちでも。
負けでもない。
勝つことよりも難しく。
負けることよりも難しい。
プラスマイナス――0を、咲は選んだんだ。
「それから癖みたくなっちゃってさ――――まあでも、ワザとだってバレたときは怒られちゃった。ちゃんとやってないって」
家族同士での賭け麻雀なんてお遊び、それこそ咎めるようなものじゃないだろう。だけど、ただ、そこに間違いがあったとするならば、そこに――間違いが居たとするのならば。それこそが宮永咲という存在なのだ。
圧倒的実力差があってしまったら、それは麻雀じゃなくなる。ゲームじゃなくなる。
ただの――遊びだ。
そんな、小さい子供に遊ばれるようなこと、私に耐えられるか?
わざとプラスマイナス0を出していると知った時、私は耐えられるのか?
無理だろう。
だからこうして、私は今、咲を問い詰めているのだ。
「それで、家族の仲も悪くなって、それで……」
それで、なんだろう。
それが、なんなんだ。
「でも!」
もう無理だった。
無理やりでも、私は言った。
雨が降る中、雷が鳴る中、私はただ、咲に向かって、叫んだ。
悔しくて、拳を握りしめる。悔しくて、咲の顔は見れない。地面を見てしまうが、そのままに、私は力いっぱい叫んだ。
「そんなの――もったいないじゃん!」
麻雀がキライ? ああ、そうか、そうなんだろうね。
勝っても怒られて、負けても悲しくて、その間でも怒られて! どうあがいても嫌な思いして!
そんなの、キライになるに決まってるんだよね!
だからってそれは――あんまりにも、もったいないじゃないか!
咲の実力が――じゃない!
「それじゃあ咲は――」
私は、地面のほうを向いていた顔を上げて、咲の顔を見る。
咲の哀しそうな顔を、見る。
「――
「――――」
雷が、鳴った。
気が付いたら、私は肩を上下するくらいに息を乱していて、音を聞くことも忘れていたのか、やけに、雨の音が周りから聞こえてきた。
ザアザアと、雨が降っている。
ザアザアと、私の顔を濡らしている。
「……ごめん、京ちゃん」
謝って咲は、私に背中を向けて。
その赤い傘で背中から上を隠しながら、
「今日はもう、帰るね」
そう言って。
私は咲とさようならをした。
咲は振り返ってくれなかったし、私ももう、咲の顔を見ていられなかった。
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どう部室まで戻ってきたのか、私の記憶は定かではない。
「い、犬!」
もはや優希のその呼び方に噛みつく余裕すら、私にはない。いや、あっても否定できないだろう。
私は犬だよ。
ただの――負け犬だ。
和は私を心配して、タオルを差し出してきてくれたが、私はそれを無視して、髪や服が濡れたそれらが床にポタポタと雫を垂らすのも気にせず、そのまま引きずりながら、部長の前に立つ。その女性泣かせの悪女の前に、立つ。
「……」
どうして、追いかけちゃったんだろう。
そしたら、咲が麻雀部に入る理由を作らなくて済んだかもしれないのに。
……いや、どうにも咲が麻雀部に入る前提で考えているなあ。ああ、そういえば、あれだけ強くても、咲が麻雀部に入らない可能性だってあるはずなのか。
麻雀――キライ、なんだもんね。
「――あはっ」
椅子に足を組んで座っている部長の前まで立って、私は地面を見ながら笑いを漏らしてしまった。
もったいないよね、うん、もったいない。
だから――間違ってない。
人に麻雀の楽しさを教えるのに、どんな間違いがあるというんだ。
私は――和も、咲に勝ちたいんじゃない。咲に負けて悔しかったんじゃない。
あんなことをする咲に――本当の麻雀の楽しさを教えてやりたかったんだ。だから、それで、咲が麻雀部に入ることこそが、私たちの目標と言えるのだろう。
ああ、全国大会をみんなで目指そうか。
本当に強い五人で、目指そうか。
みんな仲良し麻雀部で、私たちが一番なんだって、証明しに行こう。
「部長」
だから、言おう。
だから、お願いしよう。
頭を下げて、私は逃げずに、お願いしよう。
「咲に――もう一度麻雀をさせてください」
さあ――私と咲との初めての大ゲンカを開始しよう。
次で終わらせます