アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜 作:Menschsein
【Prologue】は読まなくても問題なしです。アルシェって、不幸かもって話です。
お願い。早く終わって。
ベッドの上で見知らぬ男に身を委ねながら、アルシェ・イーブ・リイル・フルトは天井を眺めていた。
両親からまたもや持ち込まれた“縁談”。フルト家は、元貴族であった。貴族であれば、親同士が決めた縁談が持ち込まれるのは当然の社会習慣である。
貴族同士で結婚を正式に申し込む前には、お互いの顔合わせ、という習慣がある。結婚を申し込む側、即ち男が、まとまった金額を相手の親に渡し、結婚をする当人が二人っきりで会う機会を設けるのだ。
通常であればそれは、明るい太陽の下、屋敷の庭など公共性の高い場所で行われ、お互い紅茶とそしてお菓子を食べながら軽く談笑するだけのものであるはずだった。
しかし、アルシェと、アルシェに形だけ“縁談”を持ち込んだ男の面会は、深夜、そして二人だけしかいない密室で行われる。
アルシェが室内に入った途端、碌な挨拶もなしに、着ていた衣服を剥ぎ取られ、そのままベッドに組み敷かれる。
悲しいのは最初だけだった。もう、諦めている。アルシェは、男が満足して果てるまでの時間を、ただ待つだけだった。親から縁談の話が持ち込まれる数日前から、親に飲めと言われる薄気味悪い紫色の飲料。アルシェは自分が飲んでいるそれがなんなのか正確には知らないが、大体想像はつく。
貴族の娘が、結婚をしていないのに子供を宿す。貴族としてあるまじきことだ。そういった事態を回避するための薬であろう。
今日の“縁談”相手の男の腰が、体重が自分にぐっとのし掛かってくる。腰の動きも、止まった。男の脈を打つような振動が体に伝わってくる。
アルシェは、やっと終わったか、と深く呼吸をする。早く家へと帰って身を清めたい。
「元貴族で、魔法学院で評判の娘ということで興味を持ったが、張り合いがないな。人形のようだ。高い持参金を払ったが、これなら娼婦と遊んだほうが何倍もマシだ。今回の縁談は見合わせていただくと伝えておけ」
それだけ言って、男は服を着て、さっさと部屋から出て行ってしまった。
アルシェは、ゆったりと体をベッドから起こし、自分も衣服を纏い、そして馬車に乗って実家へと帰宅する。
「申し訳ありません。縁談は無かったことにとのことでした」とアルシェは玄関で待ち構えていた両親に“縁談”の結果を報告する。
「まったくお前は、フルト家の面目を潰すつもりか! これで何件目の縁談だと思っているのだ!」
「貴族として、結婚をすることも大事なのよ。魔法学院なんて早く辞めて、結婚をして早く幸せになってちょうだい。私はあなたの将来を心配しているのよ?」
「今回の縁談の申込金をもらってしまったからな。こちらも、それ相応の品を相手にお詫びとして贈らねばならならぬ。ジャイムス! 明日、商人が来るように手配しておけ」と、屋敷に仕えている執事であるジャイムスに父親が指示を出す。
「お父さん、うちはもう貴族じゃない。無駄使いは止めて……」とアルシェは懇願するが、それは聞き届けられない。
「何を言っている! もとはといえば、お前が縁談を破棄されたのがいけないのであろう。親に尻ぬぐいをさせておいて、なんだその言い草は!」
「アルシェ。私達はあなたの将来を心配しているのよ? あなたに幸せになって欲しいのよ?」
この両親をいくら説得しても無駄だ……。アルシェは疲れた体に鞭打って、両親のなじりを聞き流した。
・
「お嬢様。なんだか眠たそうですね」
帝国魔法学院での昼休み。昨日の疲れが残っているアルシェは、昼休みの学院の教室で頬杖を付きながらうとうとしていた。
「ジエット……。実は昨日、興味深い魔術書を遅くまで読んでいて……」と嘘を吐いた。
「流石ですね。それくらい熱心じゃなきゃ、第三位階まで使えるようにならないんですね」とジエットは笑っている。
アルシェは、ジエットの眼帯を見つめ、彼の
『あらゆる幻覚を見破ることができる』
そのタレントで、一度、彼に自分の両親を見てもらった方が良いのではないか。もしかしたら、自分の両親の化けの皮を被った悪魔が、自分の両親になりすましているのではないだろうか。いや、そんなはずは無い。ただ、自分の両親は、もう自分たちが貴族でないということを受け入れないだけの、ただ弱いだけの両親だ。
アルシェは、自分の頭に浮かんだ悪い妄想を吹き飛ばす。
「お嬢様、大丈夫ですか? 今日の午後の授業は休まれては?」
「大丈夫……。そうだ、ジエット。私、近々魔法学院を退学しようと思うの……」
“縁談”で金を稼ぐということも、そのうち限界が来るだろう。それに、フルト家は自分以外の収入の宛てが無い。
自分が、稼がねばならない。愛する妹……クーデリカとウレイリカのために……。より収入の良い仕事で……。