アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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昇格試験 5

 モモンとアルシェは、占い師が勧めるままに、絨毯の上に水晶を囲むように車座になって座っていた。露店が並ぶ北市場。怪しげな占い師の格好の女、漆黒の全身甲冑の男、そしてアルシェ。『“釣りは要らないモモン”と“美少女”だ。あそこで何やっているのだ?』というような、露店の前を通り過ぎる冒険者が時折、呟く声が聞こえてきて、恥ずかしくなる。

 

「それで、あなたが今悩んでいることは何ですか?」と占い師はアルシェに話しかける。

 

(今一番悩んでいるというか、知りたいのは、レイナースさん、あなたは何がしたいんですか? ってことですけど……)

 アルシェは、思ったが、それを口に出して言うことなどできない。

 

「ミスリルへの昇格試験に向けての準備について悩んでいました」とアルシェは困っていることの大枠を話す。

 

「準備か……。明日の早朝には出発だからな。話し合いをしておくべきだったな。大事な試験だし、ゆっくり落ち着いて話をしよう。二人とも、水で良いか?」  

 モモンは、おもむろに見事なグラスを取り出し、そして水差しでそのグラスに水を注ぎ始めた。そして、「粗水ですが」と言って、座っているアルシェと占い師の前に置いた。

 

「ありがとうございます」と、占い師はその水を飲むためにあっさりと、顔を覆い隠していたフェイスベールを取り去る。やはり、間違い無く、レイナースの顔であった。

 昨日の皇帝の居城で行われた慰労会のように唇に薄い紅を引いたりなど、今日はしていない様子ではあるが、間違い無く同一人物である。

 

(正体を隠す気がないなら、なんで最初、占い師だなんて言い張ったのだろう……)

 アルシェの疑問はますます大きくなっていく。

 

「冷たくて美味しいですわ。何となく、優しい味がします。舌に解けていくというか、体にスッと染み込んでいくような水ですね」とレイナースが一口飲んで驚きの声を上げる。アルシェも、一口飲む。

 

「本当だ、美味しい……」

 

「そうですか……。お口に合って何よりです。お代わりは幾らでもありますから、遠慮しないでください」と水差しを水晶の横に置く。

 

「私、もう一杯飲みたい」と、アルシェは自ら水差しを手に取り、そしてグラスに注ぐ。そして、一気に飲み干す。本当に美味しい水だ。朝から、旅の準備のために必死に必要な物や数を計算し、そして悩んできた。自分が自覚している以上に、喉が渇いていたようであった。

 

「冷たい水は、勢いよく飲み過ぎるとお腹を壊すからな、注意しろ。健康管理も冒険者の仕事の一つだろ。アルシェ」と、一気に飲み干し、更にもう一杯飲もうと水差しに手を伸ばした時、モモンがアルシェに注意をする。

 

「分かってる。子供扱いしないで」と、アルシェはモモンの言葉を無視して、構わず水差しを傾ける。

 

「まだ、残っているなら、私ももう一杯戴いてよろしいですか?」とレイナースのグラスも、いつの間にか空になっていた。やはり、この水は美味しいのであろう。アルシェは、レイナースのグラスにも水を注いだ。

 

「アルシェさん、ありがとう。そして、モモン殿。つかぬ事をお伺いしますが、この水差し、相当高価な魔法道具(マジック・アイテム)ではありませんか。水差しの中の水が減っている様子がありませんし、それにこのような美味しい水。今まで生きていて飲んだことがありませんわ。私を呪いから解き放つ薬を持たれていたり、モモン殿は実に珍しい物をお持ちですね」とレイナースが微笑むように言う。

 

「私が異国からの旅人ですからそう見えるだけでしょう」とモモンは答える。

 

「え? ちょっと……。モモン。この水差し、魔法道具(マジック・アイテム)なの? じゃあ、もしかして……」とアルシェは驚く。自分が先ほどまで悩んでいたことは一体……。

 

「あぁ。アルシェ。俺も同じ事を考えていた。恐らく、帝都で皆が普段口にしているのは、硬水なのであろう。この無限の(ピッチャー・オブ・)水差し(エンドレス・ウォーター)の水は、この魔法道具(マジック・アイテム)が作られた国のお国柄からして、軟水だと容易に想像できる。二人が飲みやすいと感じた理由も軟水だからなのだろう。だが、残念ながら、私が持っているエンドレスウォーター系の魔法道具(マジック・アイテム)は全て、軟水だ。硬水を出すことは不可能だ。あまり美味しい紅茶が飲めなくなるが、それは我慢して欲しい」

 

「モモン……。なんの話をしているの?」とアルシェは首を傾げる。

 

「美味しい紅茶を淹れるためのお湯の話ですよね、モモン殿」とレイナースが二人の話に割って入る。

 

「そうだ。アルシェは、昇格試験の七日間、紅茶が飲めないのは辛いだろう? いつも、アゼルシアン・ティーを飲んでいるようだしな。紅茶は硬水の方が美味しく淹れられるということを聞いたことがあってな」

 

「巡回任務の時に、紅茶を飲むつもりなんてさらさら無かった。むしろ、巡回任務の最中は、汗が出ることを計算して、砂糖と塩を入れた水を定期的に飲もうと思っていた。先輩冒険者から色々と情報収集したんだよ」とアルシェは頬を膨らます。

 移動や戦闘によって発汗した汗を補う際に、より効率よく水分補給をするために、今日の朝、冒険者組合で依頼を物色していた冒険者の一人に頼み込んで、レシピを教えてもらった。一キロの水に対して、塩を三グラムほど入れて飲む。冒険者秘蔵のドリンクメニューである。

 苦労して冒険者からレシピを聞き出したというのに、自分が紅茶を昇格試験で飲むつもりだとモモンに思われていたのであろうか。どこの我が儘娘であろうか。ショックだ。そして、モモンは強いが、昇格試験を気楽に考えすぎているとアルシェは心配になる。無謀と勇敢は違うのだ。

 

「なるほどな。経口補水液(ORS)を作って飲むと言うことか。なかなか考えているな」とモモンは感心したように言う。

 

(え? モモンも知っていた?)

 

「帝国では、それにさらに砂糖を四十グラムほど入れる飲み物が、帝国兵士に配給される公式飲料となっていますね。リ・エスティーゼ王国では、ただの水を兵士に配給しているそうですが、それでは体内に水を吸収するまでに時間がかかります。それに、激しい戦闘によって失った水分を補給することはできても、発汗により失った塩分の補給ができません。長時間の戦闘で、王国の兵士が前線で力尽きる一つの要因になっていますね。恒例の王国との戦争では、王国側の兵士にいわゆる“熱中症”を引き起こす戦略を帝国ではとっているほどです。っと、これは帝国の極秘事項でしたが……。忘れてください」と、レイナースさんが、何でも無いかのように言う。

 

 レイナースさん、何を口走っているのですか。それって、かなり危ない情報ではないですか? とアルシェは、聞かなかった振りをしながらも内心で焦る。

 

「分かりました。水の問題はなんとか解決できそうですね。モモン、その水差し、巡回任務に持っていくことで良いよね?」とアルシェはモモンに尋ねる。自分でも、少し怒りが混じっているということが分かる口調だ。

 

「もちろんだ……。それに、炭酸水が良かったら、こう言ったものもあるぞ? 無限の(ボトル・オブ・)炭酸水瓶(エンドレス・スパークリング・ウォーター)というのだがな」と、また先ほどと同じように高級そうなグラスと共に、今度は水差しではなく、透明な瓶を取り出す。

 

 透明な瓶の中に、気泡のような物が浮かんでは消えていく。アルシェが連想したのは、貴族のパーティーで飲まれる飲料であった。これはお酒だろうか、とアルシェは渡されたグラスに鼻を近づけてみるが、アルコールの匂いなどはしない。思い切って飲んでみる。

 

 口に含んだ瞬間に泡のような弾ける。また、飲み込んだ瞬間に、喉元から胃まで、シュワーという何とも言えない感覚が走り抜けていく。まるで喉に詰まっていた魚の骨が取れたような爽快感だ。

 

「凄い……。不思議な飲み物……」

 

「スパークリングワインともエールとも違い、あっさりした飲み応えですね」とレイナースさんも感動したようだ。

 

「気に入ったようだな。それの互換として、無限の(ボトル・オブ・エンドレス・)炭酸水瓶(スパークリング・ウォーター)レモン味(・レモン・テースト))というのもあるぞ。あと、ソルティーライチ味もあるな」と、モモンは次から次へと装飾が美しい瓶を出して行く。

 

「ソルティーライチの味? 味見してみたいわ」と、レイナースはグラスに自ら注いでいる。

 

「って、モモン! さっきからあなた、どこから魔法道具(マジック・アイテム)を出しているの? 手品師って訳ではないでしょ?」とアルシェは疑問を口にする。

 

「ん? 無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)だが? アルシェは持っていないのか? 必需品だと思うのだがな」とモモンは持っているのが当たり前かのように言う。

 

「そんな高いもの持ってないわよ!」とアルシェは叫ぶ。

 

「それは大変ですね。アルシェさんさえよかったら、私が帝国の倉庫から一個借りてきてあげても構いませんよ? 帝都の出入りの際に、軍籍で無いものが軍の備品を持っていることが発覚したら、ちょっと危ないけれど。あとは、売ったりしなければ大丈夫ですね。帝国騎士の魔法道具(マジック・アイテム)には、魔法省が不可視の魔法で、管理番号を刻印していて、店に売ったりするとすぐに、皇帝直属の帝国四騎士がすぐさま飛んできて、アルシェさんの身に危険が迫りますけど。あっ! 私ったら……。帝国が魔法道具(マジック・アイテム)を秘密裏に管理しているというのも、機密事項なので忘れてくださいませ」とレイナースは、右手の一差し指を唇に当てて、空を眺めるように言う。

 

「レイナースさん……わざとやってませんか?」とアルシェは目を細めて疑いの目でレイナースを見つめる。

 

「あら。なんのお話でしたっけ?」とレイナースは眩しい笑みを浮かべている。

 

「機密……。もういいです……モモンの無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の空きってまだあるかな?」

 

「幾らでも入るぞ。無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)は重量が五百キロと制限があるが、実は無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の中に無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を入れるということが可能なのだ。そして、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)はただの背負い袋の重さとしかカウントされない。実質的に制限は有って無いようなものだ。ただ、無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の中から無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を取り出して、さらに無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を取り出し、目当てのアイテムを取り出すという手間が増えるがな。そして、どこに何を仕舞ったかが分からなくなるという悲しい結末になることも多い」とモモンガは、しみじみとした口調で言った。

 おそらく、そのような失敗を何処かでしたのだろうとアルシェは思った。

 

「はぁ。じゃあ、荷物の運送に関しても問題無いみたいですね。あとは……」とアルシェは、気を取り直してメモ書きを見つめ、「ポーションを沢山用意しておいた方が良いと思うんです。理由は二つ。一つは回復用に使える事。もう一つは、想定される敵がアンデッドだということです。カッツェ平野は、アンデッドの多発地帯だという情報を入手しました。帝国騎士が定期的に巡回しており、大量発生する事態というのは稀ですが、昨今の死の騎士(デス・ナイト)が帝都に出現するという事態もあります。カッツェ平野に死の騎士(デス・ナイト)が出現するというのは心配のし過ぎかも知れませんが、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)やエルダー・リッチなどが出現する可能性は、考慮に入れておく価値はあると思うんです。つまり、念には念を入れて、多めにポーションを持っていくべきだと私は考えています」とアルシェは自分の意見を伝える。

 

「理に適っていると思うぞ。安全を期することは良いことだ」とモモンはアルシェの意見に同意を示す。

 

 アルシェは、モモンが自分の意見に賛成してくれたことに少しだけ安堵する。そして、問題点を切り出す。

「ですが、これには問題があるんです。それはポーションの時価です。いま、ポーションが帝都全体で品薄となっていて、値段が高騰しています。通常の五倍の値段ですね。北市場でも良心的な値段で四倍。高い所では六倍です。中には、劣化直前のポーションを高値で売っている人もいました。はっきりと言ってしまえば、今、ポーションを多く揃えるのは、将来的に金銭的な損をする可能性があります。ですが、万が一の時には、ポーションで命を拾える可能性もある。ですが、使わなかった場合は、やがてポーションの生産が追いつき、価格が下落して損になると思います。安全を期してポーションを高値と分かっていても買うか、それとも買わないか。難しい判断です」

 

「それなら、簡単な解決策があります」とレイナースが言った。

 

「ほう。どんな解決策なのだ?」とモモンガは感心したように言う。

 

「え? 本当ですか?」とアルシェは逆に驚く。

 

「モモン殿。お惚けにならないでくださいませ。あなたは、その問題を既に見越されていて、手を打たれていたのでしょう?」とレイナースは納得顔で言う。

 

「さ、さぁな……。お、思い違いかも知れないぞ? 念の為、アルシェに説明をしてあげて欲しい」

 

「わ、私からもお願いします……」とアルシェは、悔しそうに下唇を咬みながら言った。

 

「アルシェさんには申し訳ないですが、カッツェ平野がアンデッドの多発地帯というのは、常識です。異国から旅をする者でも、カッツェ平野は迂回するのが当たり前。そして、帝都での死の騎士(デス・ナイト)の討伐。あれだけポーションを派手に使ったのであれば、ポーションが品薄になり、値段が高騰するのは道理というもの。そういった事を見越して、昨日の慰労会でのモモン殿の発言です」とレイナースがアルシェに対して説明をする。

 

「昨日のモモンの発言……。って、まさか」とアルシェは思い当たる。

 

「気付いたようですね。だからこその、私……ではなくて、帝国四騎士“重爆”を冒険へと誘ったのです。帝国四騎士は、金貨千枚のポーションを携帯することが許されています。それも、今のように高騰した価格ではなく、平時の価格でのポーションの量です。それを活用しない手はないですよね?」

 

「で、でも。冒険者になったら、帝国のポーションを使うことなんて……」とアルシェはレイナースの言に反論をする。

 

「だからこそ、『突然のお申し出。即答出来かねますわ。少し考える時間をくださいませ。』と“重爆”も判断を保留した形にしたのよ。冒険者としてではなく、帝国四騎士としてカッツェ平野の治安を維持する。そこに偶然、昇格試験を受けている冒険者チームがあっても、それはただの偶然。それに、アルシェさんは帝国市民でしょ? 帝国市民を守るために、帝国騎士がポーションを使って何か問題でもある?」

 

「そ、そういうことだったんですね……」とアルシェも納得する。そして、自分の思慮の浅さを痛感した。

 

「そういうことですよね? モモン殿?」とレイナースは、モモンガに微笑みかける。

 

「まさか。そんなことなんて考えていませんでしたよ……。いや、本当に……」とモモンガは答えたが、アルシェにはただの謙遜にしか聞こえない。

 

「能ある鷹は爪を隠すとはこのことでございましょうか。私も、少し縁があって冒険者の溜まり場で看板娘をしていました折、“モモンと愉快な仲間達”が、カッツェ平野での昇格試験を受けるという情報を得ていなければ、モモン殿の真意を見抜くことなどできませんでした。私の方こそ、ただ偶然にモモン殿の真意を見抜いたに過ぎません」とレイナースは答えた。

 

 明日からの昇格試験、さすらいの占い師、改め、帝国四騎士、“重爆”レイナースが偶然を装い参加するということが決定した瞬間であった。


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