アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

19 / 55
昇格試験 6

<カッツェ平野東>

 

「各員傾聴」

 静かで平坦な声が全員の耳に滑り込む。

「獲物は檻に入った」

 声の主は一人の男だ。

 特別な特徴は無い。顔立ちも人ごみに埋没してしまうような平凡なもの。ただ、その男の黒い瞳は、自らの与えられた使命を全うしようという情熱で輝いていた。

「汝らの信仰を神に捧げよ」

 全員が黙祷を捧げる。他国領内での工作任務を遂行するというのに、祈りを捧げる時間を必要とする。それは余裕ではない、彼らの信仰心の高さの表れである。

「開始」

 たった一言。それだけで、全員が一糸乱れぬ動きで、カッツェ平野へと逃げ込んだ亜人の追撃を開始する。

 亜人の村を襲撃し、故意に包囲網に穴を開けておく。亜人はその包囲網の穴から逃げ出し、そしてこのカッツェ平野へと逃げ込んだのだ。それが、自分たちに用意された檻だとも知らずに。

 

 彼らこそ、スレイン法国の中でも影のように付いて回る噂でしか存在を確認できない、非合法活動を主とする部隊。スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群、六色聖典の一つ。亜人の村落の殲滅などを基本的任務として担当する陽光聖典だ。

 その、陽光聖典隊長であるニグン・グリッド・ルーインの心にあったのは、任務の成功が手中に収まりつつあることに対する安堵。今回の任務は、飛竜騎兵部隊の住む山脈とカッツェ平野の間の地域に住んでいる亜人の村落の殲滅。それゆえ、厄介な任務であった。亜人が、飛竜騎兵部隊の里、つまり山脈の方に逃げてしまうと追跡は容易ではない。最悪の場合、飛竜騎兵部隊を刺激してしまう。もちろん、飛竜騎兵部隊もいつかは滅ぼすべき相手であるが、今はその時ではないというのがスレイン法国の判断だ。

 亜人たちは、ニグンの策略とも知らず、狙い通りにカッツェ平野の方へと逃げ出してくれた。計画の第一段階は成功だ。

 だが、計画には不安要素も存在する。それは、リ・エスティーゼ王国のアダマンタイト冒険者チーム、“蒼の薔薇”の存在だ。陽光聖典の任務のバックアップとして、亜人の村落やカッツェ平野を監視していた“土の巫女姫”からの情報だと、“蒼の薔薇”も別の依頼でカッツェ平野に来ているらしいのだ。

“蒼の薔薇”のガガーラン。彼女は、亜人擁護を主張して、陽光聖典の邪魔をしてきた存在だ。スレイン法国で既に抹殺対象リストに入っている。

 そんなガガーランがチームとして加入している“蒼の薔薇”。それが、逃げる亜人と遭遇してしまった場合、陽光聖典と敵対行動を行う可能性が高い。

 もちろん、亜人の味方について敵対した場合は、神の名のもとに、“蒼の薔薇”をも殲滅するが、とニグンは固く決意する。弱き人間は己を守るために様々な手を使わなくてはならない。亜人を殲滅するのも同じ理由だ。亜人に情けをかければ、いずれは人間の脅威となる。大局が見えない愚か者には、死を与えるべきだ。人間は、争うべきではなく、共に歩むべきなのだ。人間以外の種族やモンスターに対抗するために。

 ニグンは、カッツェ平野へと歩み出した。

 

<帝都:皇帝執務室>

 

 ジルクニフ皇帝の執務室に積み上げられた書類は天井まで届かんとしていた。原因は、死の騎士(デス・ナイト)の襲撃に関する報告書だ。ポーションなどの増産への対応。破壊された墓石の修復や、ポーションのガラス瓶の破片を墓地から撤去する作業。死の騎士(デス・ナイト)がどうして同時に五体も出現したのかの検証。帝都に入国した怪しい人物の洗い出し。“死の螺旋”を目論むズーラーノーンが関与した可能性についての報告書。リ・エスティーゼ王国の関与の可能性。墓地を一度浄化するためのスレイン法国への協力依頼。

 普段のルーティンワークに加えて、この作業量。忙殺されそうである。そして、死の騎士(デス・ナイト)の一件。帝国が利を得たものは何一つ無く、まるで天災にあったかのような理不尽さ。

 ジルクニフの頭を悩ませていたのは、死の騎士(デス・ナイト)が墓地に、悪夢のような奇跡的確率の偶然で自然発生したという可能性も捨てきれないこと。だが、王国、法国、ズーラーノーン、もしくはその他帝国への侵略を目論む勢力が行った可能性も依然として残る。いずれの可能性も否定できないし、再度の死の騎士(デス・ナイト)の出現の危険性を考えるなら、この問題を調査せずに放置しておくのは愚の骨頂である。だが、調査するには疑わしき容疑者が多すぎる。そして尻尾を掴める気配はない。雲を掴むような話であった。

 

 少し死の騎士(デス・ナイト)関連以外の報告書を読んで気分転換をしたくなったジルクニフは、書類の山から目ぼしい資料を探す。

 

 ん? エ・ランテルの北東で、新たな遺跡が出現? あの辺りは草原が広がっているだけの地域であったはずだが……と、ジルクニフは頭の中で自国の地図を思い描いた。

 報告書の内容では、その地域を巡回していた帝国兵士が発見したのは、200メートル四方、高さ6メートルの巨大な壁で覆われている遺跡。非常に見晴らしが良い場所にあり、規模からみて今まで発見されなかったのがあまりに不自然で、突如として現れたと考えた方が自然だという報告である。

 定期的に巡回をしているのに拘らず今までその存在に気づかない。隠蔽していて、その魔法の効力が切れたのか、もしくは突如、空からか、地中からか出現したのか。

その遺跡の立地からしても、帝国と王国の国境ラインだ。王国が新たに建造した要塞か? 王国に新たな要塞を作る体力などないように思えるが……。

いずれにしろ調査が必要な案件だ。

 王国の要塞であるなら、帝国兵士や騎士を派遣するのは不味い。

それに、遺跡であったならば、古くからそこを住処(すみか)としている、その遺跡の主とも呼べる存在がいる可能性もある。山脈の洞窟であれば、竜が住処(すみか)としている場合もあり、侵入者に対して報復をしてくる。

 王国の新要塞にしろ、新発見の遺跡にしろ、一旦、秘密裏にワーカーに調査をさせた方が良いだろう。たとえそのワーカーが拘束され尋問されても、帝国が背後にあると足が付かないような依頼の仕方で。なんなら責任を取らせるために貴族一人の首を王国なりに差し出しても良い。そのためのストックとして未だに地位を残している無能な貴族もいるのだ。

 

 ジルクニフが新発見のその場所について思いを巡らせていると、自分の執務室をノックする音が聞こえた。

部屋に入ってきたのは、秘書官ロウネ・ヴァミリネンであった。

 

「“モモンと愉快な仲間たち”の情報を集めてまいりました」

 

「それで、モモンはどこの国の間者(スパイ)だ?」とジルクニフはロウネに結論を急がせる。

 

「申し訳ありません。モモンに関しては、新たな情報はありません。分かったのは、“美少女”の方です」

 

「フールーダの弟子であったな。それで?」

 

「没落した元貴族の娘でした。フルト家の長女、アルシェ・イーブ・リイル・フルトです。フルト家の当主は、お家取り潰し後も、いつか貴族に返り咲くことを夢見て、働きもせず貴族らしい生活を送り続けています。そして、性質の悪いところから金を借りていて、破産するのも時間の問題でしょう。魔法学院のアルシェの同級生に聞き込みした結果、魔法学院を退学したのも、親の散財を補うために金を稼ぐ必要があったからだとか」とロウネは淡々と報告書を読みながら説明をしていく。

 ジルクニフは、魔法学院にまで聞き取り調査を行ったロウネの仕事ぶりに満足をしながら、その報告を聞く。

 

「フルト家? 印象に無いな。それにしても、その当主は絵に描いたような無能だな。娘の将来にまで害を及ぼすとはな。かなりの貴族を粛清したつもりであったが、まだ血が足りなかったようだ。そうだ。そのフルト家の当主、この遺跡の調査に使えないか?」とジルクニフは、ロウネに遺跡発見の報告書を見せる。

 

「見事に遺跡の調査を成功させたら貴族への復位。そんなことを匂わせておけば上手く踊ってくれるのではないか? 失敗して王国などとトラブルになった際には、粛清した家だし、帝国とは無縁。妄想に取りつかれた元貴族が、勝手に暴走しただけで、帝国に責任は無いと説明すれば良い。そんなシナリオでどうだ? それに、その遺跡の調査が成功したら、そのフルト家の当主を飼い慣らして、“美少女”の首に鈴を付けられるだろ。金に困っているなら、それなりに援助してもいいしな。そして、“釣りは要らない”モモンを身近な場所で監視させるようにこちら側に引き込めばよい」とジルクニフは自らのアイデアをロウネに語る。

 

「可能でしょう。遺跡の調査。金を用意して、それなりに腕の立つワーカーに依頼を出すだけですからね。このフルト家の当主も、それくらいのことはできるかと」

 

「決まりだな。では、そのように手配をしてくれ。フルト家に金は多めに渡して良いぞ。その調査が無事に終わったら終わったで、それで恩を“美少女”に売れるのだからな」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。