アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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昇格試験 14

 あの頃の私には、冒険と恋の間に、はっきりとした境界線はなかった。あの頃の私は、恋というものは自分よりも幸せな誰かがするもので、自分には遠い夢物語のように思っていて、無意識のうちに諦めていたのかも知れない。もしかしたら、自分自身が経験した冒険というのが、こうして振り返って見ると、十三英雄の冒険譚に出てくる話のように、それが現実とは思えない話ばかりだから、冒険をしながら恋という名の白昼夢を見ていただけなのかも知れない。

 

 まだ小さかったあの頃の私は、身の丈に合わない杖を持ち、大きなバッグを背負い、いつもモモンの後ろを歩いていた。

 

 冒険者として私は駆け出しで、初めての昇格試験を受けた、その帰り道だった。カッツェ平野を抜けた場所を流れる渓流。透明な水が岩にぶつかり、白い水飛沫(しぶき)。細かい粒子となった水が、木陰に冷たく心地よい空気を運んで来てくれる場所だった。

 そこで、私達は野営をすることになった。

 

「これで良いだろう」と、モモンは持ち前の筋力で、河原に転がっていた岩から、座り易いのを運んできて、それを円形に並べて満足そうだった。

 

 私とレイナースさんは、流れ着いた流木をその円形の中心へと運び集める。夜はそこで、火を囲んでの団欒だ。

 

「この流木は燃やすのに丁度良さそうだけれど、これは(うるし)の木よ。アルシェさん、かぶれるかも知れないからこの木は触れては駄目よ」と、河原で流木を集めながらレイナースさんが言った。

 レイナースさんは、いつも私が冒険者として必要な知識を教えくれた。

 レイナースさん。私の憧れの女性。女性としての永遠の目標。私があの頃のレイナースさんと同じ年齢になり体も成熟し、レイナースさんに負けない魅力を備えたと思っても、レイナースさんは更に別の魅力を備えた女性へとなっている。

 乳飲み子に乳を飲ませながら、自らの赤子を優しく見つめる聖母のようなレイナースさん。レイナースさんの流れるような美しい金色の髪が白く染まっても、レイナースさんは変わらず美しかった。

 

「テントも張り終わりました。水を汲んで浄化しておきますね」というニグンさんの声が聞こえた。私が振り返ると、ニグンさんはバケツを両手に持って川へと向かっていくところだった。

 ニグンさんとは、帝国と法国という関係上、会える機会はそんな多くなかったけれど、巡礼などで帝都に訪れた際には、時間を見つけて訪ねてきてくれた。ある時期から、早く最高神官長の座を息子に譲ってゆっくりしたいですよ、とお茶をする度に、同じ愚痴を言っていたけれど、ニグンさんはきっと、死ぬまでずっと自分の理想を実現するために世界を駆け回るのだろうと私は思っている。ニグンさんはそんな人だ。

 

「野営の準備は終わりましたわね。まだ陽も高いことですし、戦いの疲れを癒やしますとしましょうか」とレイナースさんが言った時だった。

 

「あ、魚だ」と私は、水面高く飛び跳ねた魚を指差した。

 

「ヤマメですね……。水面近くを飛んでいたカワゲラを食べたのでしょうか」とニグンさんが言う。

 

「あんな大きなヤマメ、見たことありませんわ。ここは、豊かな土地ですね」

 

「保存食だけでは何ですから、夕食に彩りを加えるのは如何でしょう。モモン殿、どうですか?」とニグンさんは、右肘を支点にして、腕を何度も前後に振る。

 

「釣りですか? 俺はやったことがありませんが……」

 

「大丈夫です。きっと釣れます。それに、法国神官としての私の腕を信じてください。一人一匹食べる分はなんとか釣ってみせますよ」と、ニグンさんは自信たっぷりだった。

 

「神官様が釣りなのですか?」と私は尋ねたのを憶えている。

 

「スレイン法国の建国時の話ですよ。彼の六大神がこの世界に降臨し、人間を救い、そして、法国の礎を築いてくださった。そして、その六大神に最初に選ばれた弟子達。彼等は、漁師であったと伝えられています。神官は、その伝統にならって、神官である前に一人前の漁師であることが求められるのです。何を隠そう、私も毛針漁師(フライ・キャスター)です」とニグンさんは嬉しそうだ。部下を失った哀しみを、釣りをすることによって気を晴らそうとしているかのようにも私には見えた。

 

「面白そうですね。やってみましょう。ニグン殿、ご教授いただけますか?」

 

「もちろんです。どちらが大物を釣れるか、一つ勝負といきましょう! この季節は、水面を飛んでいる水生昆虫が多いので、浮遊毛針(ドライ・フライ)が魚を最も引き寄せる(アトラクター)すると思います」

 

「なるほど。では私も、釣りをしやすい格好にならせてもらいましょう。ちょっと岩陰で装備を変えてきます。ニグン殿、抜け駆けは駄目ですよ」

 

「もちろんです。同時に始めましょう」

 

 ニグンさんの話では、フライ・フィッシングをする際に最も重要なのは、「川を読む」ことなのだという。そして、誰しもが、自分の人生を語るにおいては、同じように、流れ続ける止まることのない時間の中で、自分の人生を読まなければならないのだと言う。

 濁ったまるで泥川のような人生であると読むのか、穏やかな平野をゆっくりと流れる川であると読むのか。それは人それぞれによって違ってくる。だけど、人は、自分の人生を悲劇の川であると読んでしまいがちだという。

 私も、モモンに出会わなければ、自分の人生は、水の流れさえも堰き止められて腐った川。そんなように自分の人生を読んでいたのかも知れない。

 雨が降り、水かさが増して流れの強い、全てを押し流してしまいそうな川。透明な水の中を、優雅に魚が泳ぐ川。

 川も、その時々でその姿を変える。自分の人生というものも、同じようなものだという。たとえ真夏に干上がったとしても、水が堰き止められ異臭を放つようになっても、また雪解けの冷たく清らかな水が、春の到来と共にその川底を潤すのだ。

 

「まったく、殿方はどうしてこう釣りの話となると子供みたいに熱くなるのでしょうね」とレイナースさんは二人が意気揚々と川へと向かっていくのを微笑ましく見つめながら言った。

 

「私達は手伝わなくていいのかな?」と、座るのに丁度良い木陰を探しているレイナースさんに尋ねた。

 

「アルシェさんは、元貴族でしょ?」

 

「え、ええ」と私は突然のレイナースさんの質問に驚く。

 

「やっぱり。死の騎士(デス・ナイト)の慰労会でのアルシェさんの所作を見て、そうだろうなぁとは思っていたわ。釣りに出かけた際の、貴族の女性としての嗜みは教えてもらわなかった?」

 

「いえ……。私の父は、鷹狩りしかしませんでした……」

 

「そうなのね。私の父は、いつも釣りばっかりだった。じゃあ、私が教えますね。釣りに出かけていった殿方に対して、女の私達が出来る仕事は二つだけ。戻ってきた殿方に、『まぁ、なんて美味しそうな魚』と喜んであげるか、『そんな日もあるわよ』と慰めてあげること。この二つだけなのよ? だから私達は、こうやって木陰で休んで、彼等の背中を見つめているだけで良いのよ」

 

 レイナースさんに言われて私はモモンの姿を目で探した。岩の上に立ち、フライ・ロッドをさっと持ち上げる。そして、ロッドの動きと共に、道糸(ライン)先糸(リーダー)とフライが、空中で美しい弧を描き、水面へと静かに落ちていく。

 その鮮やかに空中で弧を描いた糸は、まるで肖像画を描く油絵師の筆使いのようで、私の人生に確固として彩りを加えた。

 私は、どんなに月日が流れても、あの時の光景は鮮明に思い出すことができる。

 

 

 ・

 

 夜空が星で一杯になり、私達は焚き火を囲んで食事をする。

 

「いやぁ、モモン殿もお人が悪い。釣りをしたことが無いだなんて。本当に参りましたよ」

 

「いや。本当に初めてでしたよ。実は……種明かしをすると、この篭手です。私のかつての仲間が作ったものですが、最高の投げ(キャスト)が出来るという特殊能力を備えた篭手なのです。この篭手の力を借りたのです」

 

「それは素晴らしい。見事な篭手だ。釣りを愛した方であったのですね」とニグンが、焚き火の光で照らされた篭手を見ながら驚嘆している。

 

 私は、モモンのかつての仲間、という言葉が気になった。モモンは私と冒険者チームを組む前には、どのような冒険をしていたのだろうかと。

 

「釣りもですが、自然全般を愛した男です。もし叶うなら、彼にこの満天の星を見せてあげたいですよ。それに、こうやって釣りができるということを知ったら、泣いて喜ぶでしょうね」

 

「そうですか。私はそのモモン殿のかつての仲間にもお礼を言わなければなりませんね。実は、モモン殿が今日使った毛針(フライ)は、今回の巡礼で亡くなった部下の一人が作ったものでした。キャストの腕はイマイチでしたが、毛針縫い(フライタイイング)をさせたら法国一というような男でした。彼が手作りする毛針(フライ)以上の物を私は見たことがありませんでした……。彼と一緒に休日に釣りをするのが本当に楽しかった……」

 

「そうだったのですか……それはとても残念な方を失いました……。ニグン殿。私のその仲間の受け売りですが、人間もまた、自然という大きな輪の中にいる一つなのだそうです。死んで土に還っても、またそれが新たな命へと廻る。そうやって命は受け継がれていくのだと、彼は言っていました」

 

「命は受け継がれていくですか……。そうであれば良いのですが、私は、時々、不安になります。人間はこの世界で命を受け継いでいけるのかどうかと。人間の生活圏を囲むように、その周りには強い種族が住み、人間を狙っている。竜が怒れば人間の都市が一つ消えて無くなる。良き夫、良き妻、未来ある子供、そんな何も罪のない人々が、無残にも人食い大鬼(オーガ)に喰い殺される。それが、私達の現状です。そのような中、なぜ、私の部下たちは同じ人間に殺されねばならないのか!! ……。す、すみません。折角の団欒の雰囲気を……。少し夜風に当たってきます……」とニグンさんは立ち上がり、川の方へと歩いていった。

 

「神官様、泣いていたね」と私が言ったのを、「アルシェさん。殿方が泣いているところは、見て見ぬ振りをするべきですわ」とレイナースさんが静かに私を叱った。

 モモンも焚き火を見つめながら考え込んでいるようだった。

 

 

 あの頃の私には、冒険と恋の間に、はっきりとした境界線はなかった。冒険と恋と、そして私という存在が融解し、融合して、たった一つの存在となって、私の人生を確かに彩っている。

 





これで、「アルシェの物語」の前編が終わりです。
折り返し地点……。
後編もよろしくお願いします。

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