アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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帝都は燃えているか
帝都は燃えているか 1


 アルシェは、久しぶりに実家に帰った。家の庭園は様変わりしていた。見慣れない庭園は、なんだか自分の家では無いように感じられる。

 

 庭園の中央にある、真新しい真っ白な石造りのガゼボ。新しく植えられた見慣れぬ木々と花々。

 以前の家の庭園は貴族の庭として、手入れの行き届いていない見苦しいものであった。だが、子供の時からの思い出が詰まった庭園であった。

 まだ貴族であった幼い頃。

 自分が最初に二本足で立ったのは、庭園の芝生であったそうだ。転んでも危なくない芝の上で、幼い自分は必死に二本足で立とうとしていたらしい。そして、それを優しく見守る、貴族の頃の父と母。

 庭の生垣は子供にとっては壁のようであり、その入り組んだ生垣はまるで迷路のようだった。身長も高くなかった自分にとっては、その生垣と空しか見えない空間だった。

 庭の端に植えられた生垣。ちょっとした冒険のつもりでその生垣の迷路の中に入り、入口も出口も分からなくなり、怖くなって大泣きしたのを憶えている。

 私の泣き声を聞きつけて、慌てて父がやってきて自分を抱きかかえてくれた。怖かったと泣きつづける自分を、母がガゼボで抱きかかえながらあやしてくれたのを憶えている。そして、そのガゼボは木製のガゼボだった。木の色合いの地味なガゼボであったけれど、(あたた)かみがあった。それは木の(ぬく)もりであったのか。

 

 思い出が心の中に宿るのではなく、モノに宿るのだとしたら、かつての庭園は自分の思い出が宿った大切な一つであった。だが、その一つが失われてしまった。

 

「ただいま戻りました……」

 アルシェは、暗い気持ちで屋敷の中へと入る。

 

「お帰りなさいませ、アルシェお嬢様。ご無事でお帰りになられてなによりでございます」

 

「ありがとう、ジャイムス。それで、お父様は?」

 ジャイムスの困った顔。良くない話があるのだろう。

 

「本日は、パーティーに出席されております。奥方様も、クーデリカ様もウレイリカもご参加されています」

 

「そう……。この家の人間を誘う貴族がいるとは思えないけれど……」

 

「おそらくですが、招待を受けるために多額の贈り物を先方にしたようです」

 

「そう……。疲れているから、部屋で休むね」

 新しく改装された庭園。そして玄関のエントランスにはまた見慣れない彫刻が置かれていた。自分の家であるはずなのに、自分の家ではないかのように見える。

 

「お食事をお持ちしましょうか?」

 

「大丈夫。打ち合わせを兼ねて、仲間と夕食を食べることになっているから……」

 子供の時に与えられた部屋。その部屋は相変わらず自分の部屋であった。自分が遺跡調査に出発してから何一つ変わっていない。そこは変わらない部屋で、確かにここは自分の家なのだとアルシェには思えた。

 アルシェは自分の机に座る。机の前の棚には、帝国魔術学院で教科書と、そしてノートとして使っていた羊皮紙が置いてある。アルシェはその教科書と羊皮紙を棚から持ち上げ、そして部屋の奥の衣装室に乱雑に投げ込んだ。衣装室にも、もう二度と着ることのないドレスがたくさん眠っている。中には、一度も袖を通していないドレスもある。母親がアルシェの為にと買ったは良いが、招かれるパーティーが無く使い場所が無かった。そしてすでに、アルシェが成長し、寸法が合わなくなってしまっている。捨ててしまいたいが、クーデリカかウレイリカがいつか着ることになるかも知れないと思うと、アルシェには捨てることができなかった。

 赤や淡い青、純白。色とりどりのドレスが衣装室には並んでおり、色彩は豊かなクローゼットとなっているが、心が躍るような色ではない。心なしか色褪せて見える。

 アルシェは、そっと衣装室の扉を閉める。そして、机に座り、遺跡調査、そしてその行程で使った道具の手入れを始める。

 調理に使ったナイフ。目を細めて、刃こぼれが無いかを丁寧に確認する。そして、布で綺麗に汚れをふき取り錆びることが無いように油を塗る。

 使った食器。汚れた衣服。次々と背嚢から取り出していく。中身が空になった背嚢。その底に、丁寧に羊皮紙の切れ端で包んだ花をアルシェは取り出す。モモンからもらった紫苑の花だった。

 花弁が壊れてしまわないようにゆっくりと包みを丁寧に外していく。薄い紫の花びらと、黄色い雄しべ。

 花弁の何枚かは落ちてしまっている。折れ曲がってしまった花弁もある。だけれど、この紫苑の花は色褪せていないように思える。衣装室の鮮やかなドレスとは違う、心が温まるような色彩であった。

 

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<バッカスの酒蔵>

 

『薄い生地の上に敷しかれた酸味の利いたトマトソース。その上に霜降りの如き脂の乗ったバハルス牛が敷き詰められている。そして、その上にたっぷりとかけられたチーズ。どうぞ、熱い内にお召し上がりください。トマトの酸味と牛肉の甘味、そしてチーズの苦さ。それがピッツァの上に輻輳(ふくそう)し、最高の味を生み出しています。バッカスの酒蔵の「バハルス・ミート・ピッツァ」。石竃で焼かれた贅沢な一枚。旬のトマトを使った一品です。ぜひ、お見逃しなく』

 

 約束の時間になっても現れないモモンを待つ手持ち無沙汰を、アルシェは帝国グルメ情報誌を読んで過ごしていた。

 いつも時間には正確で、遅れることなど無かった。むしろ、約束の時間よりも前に来て、アルシェを待っていることが多かった気がする。

 

 モモンはまだ、本調子ではないのであろう。地下大墳墓からの帰り道。モモンの様子はおかしかった。昼は地面を見つめながら歩き、夜は星ばかり見ていた。帰り道、会話らしき会話もしなかった。

 もしかしたら、今日の約束も上の空で聞いていなかったのかも知れない。モモンと明日からも一緒に冒険が出来るのであろうか。

 

「すまない。遅くなってしまった」

 

「うん。私も今来たところだから」とアルシェは答える。モモンは約束を忘れてしまってしまったのではないかと思い、諦めて帰ろうとアルシェがしていた矢先だった。

 

「モモン、大丈夫?」

 席に座っても、腕を組み無言のままだ。

 

「あぁ。大丈夫だ。ちょっと考え事をしていてな」

 

「あの『ナザリック地下大墳墓』のことだよね?」

 

「あぁ。一体、ナザリックは、何だったのだろうな……」

 

 モモンが発する『ナザリック』。その言葉に、何処か親しみの感情が入っているようにアルシェは感じる。それこそ、もしかしたら、いや、自分の勘違いなだけかもしれないが、自分の名を呼ぶ時よりも、親しみがあるように聞こえた。

 突如現れた奇妙な墓。そして、地獄まで続いていそうな地下。異形の化け物達。二度と足を踏み入れたくないという畏れや恐怖の感情は抱くが、親しみなどは決して湧いてこない。未発見の遺跡、前人未踏の遺跡として、冒険者として心躍るものかも知れない。けれど、モモンの発した言葉は、決して楽しい感情の類いではない。

 

「ねぇ……。あのナザリック地下大墳墓って、モモンと何か……」

 アルシェが意を決して、モモンに尋ねようとした瞬間、食器がぶつかり合う硬質な音が、バッカスの酒蔵の中に響いた。

 

「なんなのよ、この料理は!」

 

 バッカスの酒蔵で食事をしていた客は、その声のした方向へと視線を向けた。

 


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