アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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帝都は燃えているか 3

 アルシェは、セバスと名乗った老人を見下すような場所から挨拶をするのは失礼だと思い、飛行(フライ)の魔法を解除して、石畳の上へと降り立った。

 

「私は、冒険者のアルシェと申します。もしかしたら余計なことをしたかも知れません。あんなにお強いとは思っていなくて……」とアルシェはセバスという老人に挨拶をした。もう一人の令嬢に挨拶をしようかとも思ったが、その女性は不機嫌そうに腕を組み、アルシェを睨みつけている。

 アルシェに対して負の感情を抱いているのは明白であった。助けに入ったことを、この令嬢は余計なことをした、と思っているのかも知れない。令嬢から、目には見えない圧力をアルシェは感じていた。

 

「いえ。本当に助かりました。お嬢様に万が一があってはいけませんからね。今はこれと言ったものを持ち合わせていないのですが、後日必ずお礼をさせていただきます。ご連絡先などを教えていただいてもよろしいでしょうか?」

令嬢の硬質な態度とは裏腹に、セバスという老人は物腰が柔らかく好感をアルシェは持てた。

 

「いえ。お礼を頂くようなことではありません。お気遣いは結構です」とアルシェは片手を振りながら、セバスの申し出を固辞する。

 

「あなた、助けてもらってお礼をしない恥知らずに私をさせるおつもり?」

 

 冷たい声が響く。令嬢からの声だった。

 

「いえ、そういうわけではないです。本当に大したことをしていないので……。それに私も先ほどバッカスの酒蔵で食事をしていて……ご飯をご馳走になったので」とアルシェは委縮しながらもお礼の申し出を固辞しようとする。

 

「そうでございましたか。それは奇遇でございますね。思い出しました。黒い甲冑を着た男性と一緒に食事をされていた方ですね。お食事の時間を騒がしてしまった上に、助けていただいた。ソリュシャンお嬢様もお礼がしたいと思っていらっしゃいます。私たちの顔を立てると思って、お礼を受け取ってくださいませんか? そうですね……冒険者の方であれば、装備でしょうか? それとも、マジック・アイテムでしょうか? 失礼ですが見たところ、あなたの装備は冒険者として些か粗末すぎるように思われます」とセバスはアルシェの着ている服、持っている杖を一瞥してから言った。

 セバスという老人は、話を一方的に進めていく。

 だが、セバスが言った通りであった。アルシェは現状、ミスリル級冒険者。しかし、ミスリル級の冒険者の装備品としては、いま自分が着ている服などは見劣りする。同じチームのモモンの全身甲冑(フル・プレート)などは、アダマンタイト級冒険者が装備していてもおかしく無いような装備だ。それに比べて自分の装備は、駆け出し(カッパ―)か、(アイアン)の冒険者の装備であろう。この先、より強い魔物と戦うことになるのであれば、装備品の強化は絶対に必要だ。だが、そんな装備を変えるだけのお金は無い。ミスリル冒険者として相応しい装備。それにそんなお金があったならば、借金の返済を少しでも進めておきたい。

 

「この女にいくら強い装備を渡しても、無駄ですわ。弱すぎてゴミにしかみえません。もう一人の御方と、どうして同じチームを組んでいるのか。あなたは、まったく相応しくないですわね」

 

「なっ!」

 ソリュシャンと呼ばれた女性。その女性のあまりに失礼な物言い。花よ蝶よと育てられて我儘に育った貴族の令嬢に、弱いと言われたくはない。その色白の肌にか細い腕で何ができるというのか。

 それに、赤の他人にチームの事を批判されるのは、あまりに筋違いだ。

 やっぱり無視して通り過ぎれば良かったという後悔がアルシェの中に生まれる。

 

「不満そうな顔つきですね。まさか、自分がゴミだという自覚のないゴミですか?」

 

 “モモンと愉快な仲間たち”。自分とモモンの実力が伴っていないのは自分でもよく分かっている。自分で痛いほど分かっている。だけど、それを見知らぬ赤の他人、それも温室育ちの貴族風の令嬢に言われ、そしてそれが図星であるということがアルシェには堪らなく悔しい。

 モモンと実力が伴ってない。どれだけ背伸びをしても追いつけない、圧倒的な実力差。自分は、モモンにも、レイナースさんにも、そしてニグンさんにも、圧倒的に実力で負けている。自分は、愛する妹達の未来を守るために冒険者になった。自分は、クーデリカとウレイリカの姉なのだ。妹達を守るべき存在なのだ。それが自分なのだ。モモンにも、レイナースさんにも、ニグンさんにも、守られるべき存在ではない。自分だって、大切な誰かを守る存在なのだ。そうありたいと願っている。

 この令嬢は、自分の存在を根本から馬鹿にしている。

 

「ソリュシャンお嬢様……。恩人に対して少し言葉が過ぎるかと。それに、鷹は爪を隠すもの。そうですよね? アルシェ様?」とセバスと名乗った老人は令嬢を諫めながら、優しくアルシェを見つめる。

 

「ゴミにゴミと言って何が悪いというのです!」

 

「……。私は第三位階魔法を使えます」とアルシェは答える。馬鹿にされて黙ってはいられない。自分の年齢で第三位階魔法を使える人間などそうはいない。それに、第三位階魔法、それだって才能を持っているという動かぬ証拠でしか無い。このまま鍛錬を積んでいけば、いづれは帝国最強の魔法使い、フールーダ師匠にならぶ第六位階魔法を使える可能性だってある。

 

「第三位階………………?」

 

 ソリュシャンと呼ばれた令嬢の目が、鳩が豆鉄砲を食ったように点となった。そして、

 

「おほほおほほほほぉぉ」という甲高い笑い声が響く。ソリュシャンの笑い声であった。その笑い声は嘲笑であり、明らかにアルシェを侮辱する笑いであった。

 

「な、何が可笑しいんですか!」

 

「第三位階魔法……。下等な存在が自らを下等だと胸を張って表明する。これを笑わずしてどうしろとおっしゃるの?」と、もはや令嬢は、アルシェをなにか、汚物を見るかのようにしか見ていないようだ。

 

「今は第三位階までかもしれないけど、このまま成長していけば――」

 

「――心苦しいのですが、それはありませんね。見たところあなたは才能の限界に達している」とセバスがアルシェの言葉を遮った。

 

「え?」

 我が儘な令嬢の失礼千万な態度とは正反対で、この老執事は自分に対して少なくとも礼儀を持って接してくれていた。それが突然、自分の才能がすでに限界であると言う。それに、この老執事の瞳からは嘘を言っているような雰囲気はまったく無い。ありのままの真実を言っているようにすら見える。

 

「私達を助けてくださった。あなたには好感が持てます。だからこそ、敢えて厳しいことを申し上げます。限界に達しているということは事実です。あなた自身がその壁に気付いていないのであるとすれば、それこそ、あなたが未熟だという証拠に他なりません」

 

 やはり、老人が嘘を言っているようには感じられない。アルシェの頭の中が真っ白になった。モモンの足を引っ張っているだけの自分ではなく、モモンには出来ないことをできる、チームの仲間として支えていける冒険者。自分の掲げていた目標が、目指す冒険者としての理想像。その理想像も、軋み、音を立てて崩れそうになる。持っていた杖を地面に落としてしまいそうだ。

 

「そこで話は戻りますが、助けていただいたお礼の件です。もしよろしかったら、私が訓練を付けて差し上げるというのは如何でしょうか?」

 

「え? 訓練ですか?」とアルシェは突然の老執事の提案に戸惑う。そういえば、助けたお礼をするという話であった。

 

「はい。端的に言えば、火事場の馬鹿力と言ったものでしょうか。あなたの本能が無意識にかけているリミッターを、無理やり外す訓練です。ただし、はっきり言いましょう。死ぬかもしれません」

 老人は冗談を言っているのではない。

 アルシェはそう直感する。死ぬのは嫌だ。怖い。だけど、自分は強くならなくてはならない。唾を飲み込み、アルシェは迷う。

 

 暫しの間、静寂が辺りを支配する。令嬢が自分を冷ややかな目で見つめている。躊躇っている自分を心の中で嘲け笑っているのであろうか。

 カッツェ平野からの帰り道。レイナースさんとニグンさんは、モモンを真ん中にして、楽しそうに会話をしながら平野を歩いていた。その三人は、対等な立場の人間同士として並び立っていた。自分は、その後ろを、背中を見つめながら歩いていた。

 レイナースさんやニグンさん、時にはモモンが時折、自分がちゃんと自分たちに付いてきているのか心配そうに振り返る。自分は、クーデリカとウレイリカの姉なのだ。妹達を守るべき存在であるべきなのだ。守られる存在ではいたくない。もう、守られるだけの存在では駄目なのだ。

 

「死ぬかどうかはあなたの心次第です。……もしあなたに大切なものがあるのならば、大丈夫でしょう」

 

 アルシェは決心した。

 

「どうか、お願いします」

 

 大切なもの。それは、愛する妹達だ。そして、モモンの横に立てる自分になりたいと思う気持ち。自分には大切なものなら、たくさんある。失った大切なものの方が多いかも知れない。だけど、まだ、大切なものが自分には残っている。そしてそれを自分は手放したりはしたくない。

 

 アルシェの目を覗きむことで思いを読み取ったのだろう。セバスは大きく頷く。

 

「了解しました。ではここでその稽古を行いましょう」

 

「ここで、ですか?」

 

「ええ。時間もほんの数分もかかりませんよ。構えてください」

 一体、何をするのか。未知への不安と困惑。アルシェは、杖を構える。そして、いつでも魔法が使えるように自らの体に魔力を循環させ、杖にも魔力を込めていく。

 

「では行きますよ。意識をしっかり持ってください」

 

 そして次の瞬間――

――セバスを中心に全方位に氷の刃が射出されたようだった。

 

 アルシェにはもはや言葉は無い。老執事を中心に渦巻くものの正体は殺気だ。アルシェの心臓と内臓が一瞬で握りつぶされるほどの、色の付いたように濃い気配が、怒濤の如く押し寄せてくる。

 殺気の黒き濁流に翻弄され、アルシェは自らの意識が白く染まりだすのを感じる。あまりの恐怖を、意識を手放すことで受け流そうとしているのだ。

 

「前準備でこの程度。御方を疑うわけではないですが、この女が何かの役に立つとは到底思えませんね」と令嬢の怒りが混ざった声がアルシェの耳に薄らと届く。

 “役に立つとは到底思えない”。妹達の役に立たない。モモンの役に立たない。アルシェはそう言われたような気がした。そしてその言葉は刃よりも深くアルシェの心に突き刺さる。

 

 そんな自分は嫌だ!

 

「ごくん」

 アルシェは大きく唾を飲み込む。そして、胃から逆流しそうになり、喉のところまで上がって来そうになっていた、さきほど食べたピッツァを強引にまた胃袋にまで戻す。

 死の騎士(デス・ナイト)の比ではない。あまりに怖くて、逃げ出したくて。でも、涙目で必死に耐える。杖を持つ手は震え、杖先に滞留させている魔力は掻き消えそうになる。

 それでも、アルシェは胃袋から逆流してきそうなものを抑え、セバスの恐怖に耐えようとする。

 そんな無様な姿を令嬢は鼻で笑う。

 老執事は、目の前で上げた右拳をゆっくり握りしめていく。

 そして、その拳がゆっくりと弓を引き絞るように、後ろへと下がっていく。何が起こるのか悟ったアルシェは震えながら、顔を左右に振る。

 

「どうやら怖気付いたみたいね」と令嬢が口を挟むが、アルシェはその言葉に反応する余裕はない。老執事も、その令嬢の言葉に耳を傾けていないようだ。

 

「では……死んでください」

 限界まで引き絞られた矢が放たれるように、ゴゥッ、という風を引き裂く音を立てて、セバスの拳が放たれる。

 

 当たったら死んでしまう。だが、体は動かない。あまりの緊張状態に置かれたことで体が硬直している。

 

 ――目の前の死から逃れるすべはない。

 

 だけど……そんなのは嫌だ。クーデリカとウレイリカを幸せにするんだ。いつか、モモンの隣に立つんだ!

 

 手は動かない。

 足も動かない。

 だが、閉ざされようとしていた目はしっかりと見開かれ、超高速で迫る拳を肉眼で捉えようと必死に動く。

 

 

 私はこの拳を防いで生きるんだぁ!!!!

 

 

 まったく自分のいう事を聞かない筋肉とは裏腹に、激しくアルシェの体の中を躍動する存在があった。

 それは、アルシェの魔力であった。突然、温泉が地中から噴き出したような魔力。コントロールをされていない、形にもなっていない魔力の源泉。それがアルシェの体全身から溢れだした。

 

 だが、そんな発散された密度の薄い魔力。セバスの攻撃はその魔力の濁流を容易に切り裂きながら迫ってくる。

 もっと固く圧縮された密度の濃い魔力を……。私と拳の間に……。

 極度に圧縮された時間の中で、アルシェは必死に暴れまわっている魔力を制御しようとする。だが、それよりも拳のスピードは速い。

 

 そして――

 

 ゴウッ、という音を立てて、セバスの拳はアルシェの顔の横を通り過ぎる。通り過ぎた風圧で、アルシェの前髪を留めていたヘアバンドが空中へと舞い上がる。

 カツンとヘアバンドが路上の石に落ちる音が響いた後……

 

「どうでした、死を目の前にした気分は? そして死力(しりょく)を尽くされた感想は?」

 アルシェは全身の力が抜けてしまった体を必死に自分の両足と、そして杖で支えながらセバスを見上げる。

 先ほどの殺気は嘘のように無い。アルシェは安堵と共に足の力が抜ける。路上の石畳にそのまま尻餅をついた。

 

「……ショック死しなくて良かったですよ。時にはあるんです。死力を尽くしてしまうと、そのまま命が燃え尽きてしまうことが」

 アルシェは先ほどの魔力の総量。自分自身の最大値だと思っていた魔力よりも遥かに大きな魔力の量だった。これが、自分の死力……。フールーダ師匠と比較しても遜色のない魔力量であった。

 

「あと数度繰り返し、体から絞り出した魔力を制御できるようになれば、より強力な魔法が使えるようになるでしょう。ですが、注意をしなければならないのは、これは自らの命を削っている行為だということを自覚すべきです。乱用は避けてください。もっとも、使われるべきときに出し惜しみすることもお勧め致しませんが……」とセバスはアルシェに手を差出し、アルシェを起こしながら言った。

 

「あなたの力が必要とされたときは、自らの命を喜んで捧げなさい。自分の命欲しさに力を出し惜しみしたと私が知ったら、殺すわよ?」と腕組みをしていた令嬢がそう口を開いた。

 

「それはどういう……」とアルシェは令嬢の殺気交じりの言葉。その意味がアルシェには分かりかねた。

 

「死力を出しつくしてでも守りたいとあなたが思う存在。その存在のために、その力を使ってください、というソリュシャンお嬢様なりのあなたへのアドバイスですよ」とセバスは微笑みながらアルシェに優しく語りかけた。

 

 そして、「さて、訓練の続きをしましょう。先ほどの魔力の発露で、今はあなたの体には意識的に使える魔力は残っていないはずです。空の状態です。その状態から、死力を尽くして魔力を引き出す。自らの生命から魔力を絞り出すと表現しても良いです。先ほどよりもきついですよ? 続けますか?」

 

「も、もちろんです。お願いします」とアルシェは頭を下げ、そして杖を構えた。

 

「では、行きますよ……」

 再び、アルシェに、恐ろしい程の殺気が浴びせられた。

 


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