アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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帝都は燃えているか 16

<神殿前>

 

 ニグンの戦いは続いていた。

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を一日に召喚した最高記録。その記録を更新し続けている。

 ニグンの召喚している天使、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は全身鎧に身を包んだ天使だ。片手には柄頭が大きいメイスを持ち、もう片方の手には円形の盾を装備している。そして長いスカートのような直垂(ひたたれ)で足をすっぽりと隠している。

 そんな監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は、攻防の能力値の割合が三対七であり、同位階の魔法で召喚される権天使達(プリンシパリティーズ)の中で最も防御に優れた天使である。ニグンが召喚できる天使の中で、神殿を守るには最も適した存在である。

 だが、悪魔数匹に徒党を組まれると、監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)は徐々にダメージを受け、体力が削られていく。そして、光の粒子となって消えてしまう。

 悪魔と天使との戦い。まるで最終戦争(アルマゲドン)のような光景であった。そして、天使を憎む悪魔は、容赦ない攻撃を加えていく。

 

 監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)を召喚し続けること。それはニグンにとって、神殿の中に悪魔を踏み入れさせない時間稼ぎである。ニグンはそれを自覚していた。そして、自分の友であるモモンが、この悪魔を呼び出し続けている元凶を断ってくれていると信じきっている。

 自分ができることは、神殿へと逃げ込んでくる人々に手を差し伸べ、安全な神殿の中へと招き入れること。それと、悪魔を足止めすること。神殿に逃げ込んでくる人々を、身を挺して守る。

 法国の複雑で小難しい教義はそこにはなく、自分がやるべきことはたった二つ。逃げ込む人に救いの手を差し伸べること。悪魔を足止めすること。そのシンプルさがニグンには不思議と心地よかった。

 神殿に逃げ込んでくる人々の多くは怪我を負っている。ニグンは神殿の中へと誘導しながらも人々の傷が気になる。だが、ニグンは安心できる。レイナース女史が神殿の中で治療行為を懸命に続けてくれているからだ。自分がいま、できることをやればよい。

 悪魔がいつ退散するのか。いつまで守り続ければ良いのか。それは、自分には分からない。けれども自分は、この事件の首謀者を倒す必要などはないのだ。神殿の前で悪魔を足止めする。

 それだけをやっていればよいのだ。あとは、レイナース女史が、モモン殿が何とかしてくれる。

 

 ニグンは、陽光聖典の隊長である。陽光聖典は、軍隊式の垂直な組織で明確な上下関係が存在している。部下が死ぬのも生きるのも、ニグンの決断や判断に拠るところが大きい。隊長とは孤独で重圧のある仕事だ。誰もが出来る仕事でないこともニグンは自覚している。

 ニグンは若くして陽光聖典の隊長へと抜擢された。第四位階魔法を使う事ができるという魔法の才能に恵まれた。そして、『自身が召喚したモンスターを強化する』という生まれながらの異能(タレント)を持って生を受けたという幸運。そして、ニグン自身の希有な信仰心を持っていたからだ。

 陽光聖典の隊長という裏の顔だけでなく、スレイン王国の神官としても厚い信頼と尊敬を集めている。スレイン法国で誰もが認める次世代を担ってくれるであろう神官。

 

 しかし、そんなニグンも順風満帆であったわけではない。竜王国の救援としてビースト・マンの群れと戦う。ニグンは陽光聖典を指揮して毎年のように戦った。

 ニグンは陽光聖典の隊長として孤軍奮闘していた。

 自分の判断の誤りによって、死んだ部下もいる。自分の潜入ルートの選択ミスと、判断の遅さによって、撤退が遅れ、”蒼の薔薇”に自分以外が殺されてしまった。

 ニグンは陽光聖典の隊長として孤軍奮闘していた。

 任務を遂行していくたびに、自分が背負って歩き続けなければならない命が増えていく。法国が建国されて以来、散らされていった神官の命が、食い殺されてきた罪無き人々の命が、自分の肩に、自分の背中へとズシリと乗ってくる。

 その重荷から逃げるほど、ニグンの信仰は軽薄では無い。だが、その重みでやがて自分が潰れてしまうのではないかと不安にもなる。

 

 だが、今は少なくとも違う。レイナース女史は、今、自分ができることをしている。それは、ニグンが命令した訳でもなく、レイナース自身が自分で決めて行動したことだ。そして、レイナースが行っている治療行為は自分には出来ないことだ。

 自分とレイナースの間には、陽光聖典のように上下関係がある訳でもない。レイナースが自分と同じ信仰を持っているのかも分からない。だが、レイナースは自分と同じ目的を持って、お互いができることをやっている。帝都の人々を救うという同じ目的をもって行動をしている。

 モモン殿も自分が出来ることをやっている。モモン殿は黒髪の異国の人だ。自分とは同じ信仰は持っていないだろう。だが、同じ目的のために行動している。

 

 

 ニグンはどうしても許せない存在があった。それは、”蒼の薔薇”のラキュース・アルベイン・デイル・アインドラであった。仕える神が違うものの、蒼薔薇(あの女)も神官である。神官でありながら、亜人種を殲滅しようとしていたニグンたちの攻撃を食い止める。まるでそれが善であるかのように勘違いをしている大局が見えない愚か者のようだ。

 なぜ、神官であるのに、蒼薔薇(あの女)は自分たちに協力をしないのか。それがニグンには理解できなかった。それが憎かった。

 

 しかし、この状況はどうであろう。神官でもない、帝国四騎士のレイナース女史が自分と志を同じくして戦っている。異国の冒険者であるモモン殿が、自分と志を同じくして戦っている。

 スレイン法国の秘密部隊の人間でなくても、神官でなくても、協力できるではないか。

 どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。

 

 思い出すのは、共に冒険をしたアルシェのことだ。自分と同じように魔法の才能に恵まれているアルシェ。まだ未熟で圧倒的に経験が不足していることは一目で分かる。だが、不足している知識や経験を補おうと、モモンやレイナース、そして自分の後ろを金魚の糞のようにくっついてきて、必死に学び取ろうとしているところが微笑ましかった。

 まるで、自分が見習いとして神官となった時のようだった。先輩神官の後ろを同じように金魚の糞のように纏わり付き、多くを学び取っていく。少しでも知識を技術を吸収しようと必死だった。乾燥させた携帯食料が、水をどんどん吸収していくように、知識を吸収していったものだ。

 アルシェも、一緒に野宿をしたときはまだ、テントを張るのも、ニグンとモモンが釣ったヤマメを調理するのも下手くそであった。岩の上で飛び跳ねて川に戻ろうとするヤマメを抑えることすらできなかった。それが、帝都に着く頃には、少しは様になっていた。小さな一歩ではあるのだろうが、目を見張るべき成長だ。アルシェのその姿は、次の世代の人間を守らなくてはと、自分の決意を新たにしてくれた。

 だが、ふとニグンは思う。自分は、いつからアルシェのように、貪欲に知識を吸収しようとすることを止めてしまったのか。

 いつの間にか自分は凝り固まっていた。

 

 『自分たちスレイン法国の神官は、選ばれた存在。人間の守り手である』

 

 いつからその言葉が身体に、頭に染みつき、その言葉を疑わなくなっていた。

 だが、目の前の現実は違う。

 レイナースが、モモンが、共に戦ってくれている。守り手は、自分たちスレイン法国の神官だけではなかった……。

 

 自分だけが背負う必要はない。陽光聖典を失った隊長であるニグン。もはや、ニグンは陽光聖典の隊長として孤軍奮闘する必要はないのだと知った。レイナース女史が、モモン殿が、自分にはできないことはやってくれる。自分だけが全てを背負う必要なんてなかったんだ……。自分がここでたとえ倒れ朽ち果てようとも、アルシェのように才能に恵まれた次の世代がきっと、六大神が約束して人間に渡してくれた金板をいつの日か、金貨に替えて遍く人々に行き渡らせてくれるだろう……。

 

「もはや後顧の憂い無し! 私は前のみを見て進めばよい」

 

 ニグンは懐から魔法封じの水晶を取り出す。

 

「悪魔よ、刮目して見よ! 最高位天使の尊き姿を! そして地獄へと舞い戻るが良い! 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

 ・

 

 ・

 

<神殿前付近>

 

「お、お姉ちゃん、あの人間、別の天使を召喚したよ?」と、神殿の屋上からニグンを観察していたマーレが不安そうにアウラに言った。

 

「ん? あぁ。別に雑魚じゃん。いま神殿に群がってる弱い悪魔だと勝てないけど、直ぐに別の悪魔が来て倒すんじゃないかなぁ」とアウラは神殿の屋上の縁に腰掛け、つまらなそうに両脚をぶらぶらさせながら弟に答える。

 

「そ、そうだけど、あの人間、死んじゃわないかな? さっきから、自分からダメージを負いに行ってるよ?」

 

 ニグンは、モモンガ様が利用しようとしている人間の可能性が高い。守護者を始め、悪魔たちもニグンなどモモンガ様の関係者を殺さないようにという厳命をデミウルゴスから受けていた。しかし他の人間は別である。モモンの活躍を目撃し、証言する人間も必要であるため、全員は殺さないようにしつつも、半分程度は間引きするように指令を受けていた。

 ニグンは、悪魔から殺されようとしている人間を、身を挺して守っていた。

 

「ほんとだよね……。じっとしていれば安全なのに、何やってんだろう。 あ、あの天使、死んだ」

 

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は、同じく召喚されていた上級の悪魔によってあっさりと光の粒子となって消滅していた。

 

「モモンガ様に怒られないかなぁ……。あの人間って、利用価値があるかも知れないんでしょ……」

 

「できる限り接触は控えろってデミウルゴスが言ってたし……。だけど……。あぁ、しょうが無い。行くよ、マーレ!!」

 

 アウラは、神殿の屋上から飛び降りた。

 

「お、お姉ちゃん……こんな高い所から無理だよ……」

 

 ・

 

 ・

 

天河の一射(レインアロー)!」

 無数の光り輝く矢が空から舞い降り、悪魔たちを串刺しにして消滅させていく。

 

「え、援軍か……。だ、闇妖精(ダークエルフ)! どうして帝都に! まさか、お前たちがこの事件の首謀者かっ!!!」とニグンはアウラに向かって叫ぶ。

 

「五月蠅い人間だなぁ。マーレ! 早く降りてきなさいよ!!」とアウラはニグンの言葉を無視して、神殿の屋上にいるマーレに呼びかける。

 

「む、無理だよぉ……お姉ちゃん……」

 はぁ、とアウラはため息を吐きながら鞭を後ろへと振るう。鞭は、アウラが後方を見ていないにもかかわらず、まるで蛇がうねっているかのように、次々と悪魔を消滅させていく。

 

「とっとと来なさい!」

「わ、分かったよぉ……え、えい!」

 気合いを入れたにしては抜けたような声と共に、ぴょんと何かが飛び降りる。

 マーレも闇妖精(ダークエルフ)である。両足で着地する。落下のダメージを受けた様子もない。落下による衝撃は単純な肉体能力で中和したのであろう。ただ、その落下の衝撃を受けた神殿の大理石の板はひびが割れ、粉々に砕けていた。

 

「さぁ、戦うよ!」

 

「え? あの悪魔恐いよぉ……。あ、あのボク、しなくちゃいけないことを思い出した……」

 

「この任務以外にしなきゃならないことなんて有るわけ無いでしょ!!」とアウラはマーレを叱る。

 

「うっ……。分かったよ。えぃ! 大地の大波(アース・サージ)

 悪魔が土の津波にのみ込まれ、そして地面の下へと消えていく。

 

「き、君たちは……闇妖精(ダークエルフ)……だが、手を貸してくれるのか?」とニグンはアウラに尋ねた。

 

「あんたはこの神殿の中に悪魔を入れさせたくないんでしょ? 私たちがそれはやっておくから! あんたは邪魔だから、そこに座ってて。動くとこの鞭の手元が狂ってしまうかも知れないからね! それに、それ以上動くと、あんた死ぬからね!」

 アウラは器用にニグンの周りに鞭を打ち、ニグンの周りの大理石に亀裂を生じさせる。亀裂は四角形を描いていた。その四角形の範囲から出るな、ということだ。

 

「あ、あとこれを使ってください……」とマーレは恐る恐るニグンに回復アイテムを差し出す。

 

「マーレ!」とアウラはマーレの行動を先ほどとは比較にならないほどの怒りを込めて叱る。マーレがニグンに渡した回復アイテム。それは、自分たちの創造主である”ぶくぶく茶釜”様が自分たちに授けてくださったアイテムであった。単なる消費アイテムと言ってしまってはそれまでだが、自分たちにとっては至高の宝だ。自分が死にそうな時にも、使うのを躊躇ってしまうであろう。いや、使う事などもったいなくてできないかもしれない。

 

「で、でも……」

 マーレも、”ぶくぶく茶釜”様が自分に下賜してくださったアイテムを下等な人間になど渡したくない。それは、創造された者として当然の思考である。だが、マーレも、今回の任務の重要性は理解している。自分たちの忠誠を捧げるべき至高の方に、ナザリックに戻ってきていただくことが今回の作戦だ。ナザリックにモモンガ様に戻ってきていただく。そのためならば、自分の大切にしている宝物を差し出す覚悟がある。

 

「か、感謝する。気持ちだけ受け取ろう。そしてもし、もし私に渡すつもりならば、神殿の中にいる怪我をしている人達に使って欲しい」とニグンはマーレが震えながら両手で差し出したポーションを固辞した。

 

「あぁ〜頭悪すぎ……。とりあえず、あんたはそこに座ってて。動かないですね。死んだら許さないからね! マーレ! あんまり強力な魔法を使うと、巻き添えでコイツが死んじゃうからね!」とアウラは言って、鞭を悪魔に向かって振るっていく。

 

「う……うん。植物の絡みつき(トワイン・プラント)

 マーレは、植物のツタを悪魔に絡みつかせ、その身動きを封じる。そして、悪魔一匹一匹の頭部を、シャドウ・オブ・ユグドラシルで粉砕していくのであった。

 

闇妖精(ダークエルフ)に助けられるとは……。だが、感謝する!」とニグンは言った。

 

 

 


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