アルシェの物語〜In the Beginning was the Word〜   作:Menschsein

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邂逅 5

白金(プラチナ)……」とアルシェは絡んできた冒険者のプレートを見て呟く。アダマンタイト、オリハルコンには及ばないものの、その実力はそのプレートが証明している。今日冒険者に成りたての(カッパ―)とは、雲泥の差であろう。

 銅プレートの冒険者からしたら、白金(プラチナ)冒険者に話しかけられただけでも少し自慢できるほどであろう。駆け出しの冒険者にとっては憧れの存在であろう。

 そんな存在の、白金(プラチナ)冒険者が席を空けろと言っている。これは、即座に退かなければならない。アルシェは、最期に食べようと思って残しておいたトンクヮーツ二切れを急いで口の中へと運ぶ。

 

「こちらがまだ食事中だということが分からないのか? そんな幼稚な観察力で、よくこれまで生き残ってこれたな。だが、運はいつまでも続かないぞ?」とモモンガが言う。

 

 え、モモン、何を言っているの? とアルシェは焦るが、周りはそうではなかった。

 

 モモンガのその発言を受けて、他のテーブルで食事をしていたワーカーたちから笑いが漏れる。モモンガを馬鹿にしているわけではなく、白金(プラチナ)の冒険者を嘲笑っている。笑っているワーカーたちも実力者だ。実力で比較すれば、(ゴールド)級はある者たちだ。自分たちに火の粉が降りかかってきても、それを払えるだけの実力は持っている。そんな彼らが笑いだす。

 恥をかいたのは、白金(プラチナ)冒険者たちであった。

 

 モモンガから言い返されてしまった男は、顔が紅潮し、怒りで額に血管が浮かんでいる。

 

「てめぇ。もう一回言ってみろ。もう土下座程度ではすまさねぇぜ?」とモモンガの前まで勇んで歩き、そしてモモンガを見下ろす形でガン付けながら言う。

 

「ははは」とモモンガは大声で笑い始める。

 

「何が可笑しいんだ?」とさらに冒険者の怒りのボルテージが上がっていく。

 

「いやいや、許してくれ。あまりに雑魚に相応しい台詞に笑いをこらえ切れなかった。幼稚な観察力で、本当に、よくこれまで生き残ってこれたな。喧嘩を売る相手の実力も正しく把握できないのだからな」

 

「てめぇ」とキレた男は、モモンガが兜を付けているのに拘らず、右手を引いて思いっきり殴ろうとする。

 

 が、その右手はモモンガの右手によって受け止められる。そして、モモンガは相手の右手を掴んだまま、自らの右手に力を込めていく。

 

「痛てぇぇぇ」と、白金(プラチナ)冒険者が叫び声をあげる。モモンガの握力によって、その冒険者の右手は握りつぶされる寸前だ。

 

「口ほどでもないな。お前でなら、遊ぶ程度の力も出さなくてもよさそうだな」とモモンガは一気に相手の胸ぐらを掴み、そして『歌う林檎亭』の奥へと投げ飛ばす。

 

「で? 残りの連中はどうするんだ?」

 

「いや、俺たちは……」と残りの白金(プラチナ)冒険者たちは、ゆっくりと後ずさりをし、そして『歌う林檎亭』から逃げ出して行ってしまった。

 

 アルシェを含め、『歌う林檎亭』にいるメンバーは、(カッパ―)プレートがあっさりと白金(プラチナ)プレートの冒険者を投げ飛ばしたことに驚く。

 

「口ほどにもない連中だな」とモモンガは逃げ去っていく冒険者の背中を眺めながら、再び椅子に座ろうとした時……

 

「もし。そこの(カッパ―)の殿方」と、『歌う林檎亭』の奥から透き通るような声が響いた。

 そして、奥の方からゆっくりと長い黄金色の髪をなびかせながら、一人の女性がモモンガへと近寄る。優雅に歩きながらも、碧色の瞳は冷静にモモンガを見つめている。

 

「貴方のせいで、私の治癒薬が割れてしまいました。落とし前を付けさせていただきます」

 

「やべぇ。あれは、“重爆”だぞ……」と、小声で周りのワーカーが囁き、『歌う林檎亭』の中が静まりかえる。

 

「治療薬?」

 

「私の負った呪いを解く、貴重な霊薬を使った特製の薬です。ようやく手に入れたというのに、それを貴方が割ってしまったのです」と淡々と語る。

 

「それならば、先に喧嘩を売ってきたあいつに請求したらどうだ?」と、モモンガが先ほど投げ飛ばしてた男の方へと顎を動かす。

 

「もう、彼は殺しました。私の治療薬を割ったのですから……」

 

 先ほどまで興味津々に見ていたワーカーも静まり返っている。帝国四騎士の一人、“重爆” レイナース・ロックブルズ。四騎士に就任したのも、自らの呪いを解くためであり、呪いを解くためには、皇帝さえも裏切ると言われている女である。『歌う林檎亭』にいる誰もが、銅プレートの冒険者の死を確信していた。

 

「そうか……で、どんな呪いなのだ?」と口を開いたのはモモンガだった。

 

「あなたがそれを聞いてどうする?」とレイナースは碧眼の瞳を細め、そして首を傾げる。

 

「呪いと一口に言っても、バッドステータスであろう? 鈍足化(スロウ)などの行動阻害から能力値ペナルティまで、いろいろあるだろう。要は、治療薬を寄越せと言いたいのだろう? どのバッドステータスだ?」とモモンガは呆れる。

さっきの冒険者といい、こいつといい、どうして難癖付けてからんでくるのだ? 容赦ない異形種PK以外はそれなりにマナーがあったぞと、ユグドラシル時代の民度の高さを懐かしむ。

 

 しばらくの沈黙ののち、女は顔の右半分を覆い隠してた髪を持ち上げ、そしてそれをまたすぐに隠した。

 

 皮膚が醜く歪み爛れ、薄茶色の膿がその皮膚から分泌されていた。

 

 アルシェは、思わず顔を背けた。そして、その醜悪さから胃がむせ返り、先ほど平らげたトンクヮーツが胃から口へと逆流しそうになる。吐いたら間違い無く殺されると、アルシェは手で口を必死に押さえる。

 

「そういう事情であったとはな。恥をかかせて済まない」とモモンガは頭を下げてまず謝罪をした。顔は女性の命だという言葉がある。髪の毛で隠そうとする気持ちも分かる。それを公の前で晒せと言った。それは知らぬとはいえ許されることではないように思えた。

 

 モモンガは、ヒポクラテスの霊薬を無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から取り出して渡す。

 

「これで問題なく治癒されるはずだ。万が一、治らなかったら、冒険者組合まで訪ねてきてくれ。俺の名前はモモンだ。アルシェ、食べ終わったのなら行くぞ」とモモンガは言う。

 そして、親指に乗せた金貨をピンと弾いた。その金貨は、空中でくるくると回り、そしてやがて、『歌う林檎亭』の給仕の手の中へと落ちた。

 

「迷惑料込みだ。釣りはいらない」

 外へと出るモモンガの後を慌てて追うアルシェ。残された『歌う林檎亭』の

中の人々は、ただ呆気にとられたままであった。

 

 

<高利貸屋>

 

 商人は、笑いが止まらなかった。フルト家のお嬢様が持ち込んだ金貨。これは、美術的な価値も高い。また、純度が百パーセントの金貨など、帝国の技術、いやドワーフの技術でも鋳造することは不可能であろう。希少性も高い。これは、通常の金貨よりも価値のある金貨だ。上手に捌けば、同じ重量の金貨よりも五倍、十倍の価値で売りさばくことができるであろう。

 

 そして、さらに笑いが止まらないのは、フルト家のお嬢様が冒険者となったことだ。彼女は魔法学院で優秀であるという噂を聞いていた。冒険者となったのであれば、それなりの収入が見込めるであろう。

 そして、一緒に来た全身甲冑の男。彼が、金貨の出どころであることは間違いがない。装備も、素人の目から見ても高価なものであろうことが分かった。

 フルト家。そろそろ金を回収し、屋敷など全財産を巻き上げるタイミングであろうと思っていたが、娘が冒険者となって稼ぐのであれば話は別だ。借金も全額返済されてしまったが、あの、貴族であった頃のことが忘れられない二人なら、直ぐにまた借金をさせることが可能だ。

 由緒正しきとか、帝国貴族に相応しい、など適当な枕詞を付けてやれば、相場よりも高い値段を提示しても、値切りもせずに購入してくれる。

 

 当面は、また、金貨二百枚まで貸し込んでみるか、と商人は考える。理想的な状況は、あのお嬢様が冒険者として働いて稼いでくる金額と同等の利息を取れることだ。そうすればずっと、甘い蜜を吸っていられる。そして、お嬢様に何かあった場合、借金の回収に動き、フルト家の身ぐるみを剥げば良い。

 また、何処かの貴族様と一緒にフルト家に行って、商品を売りつけさせよう。まったくぼろい商売だ。

 商人は笑いが止まらなかった。

 

<レイナース自宅>

 

 レイナースは半信半疑だった。『歌う林檎亭』での出来事。銅プレートの冒険者モモンから渡された治療薬。美術品のように精巧な透明の瓶に入っている薄ピンク色の液体。化粧箱の前に並べてある香水瓶よりも美しい。見事なまでガラス瓶。この容器を見ただけで、この薬が有効である可能性が高いように思える。

 やっと手に入れたと思った治療薬を割られた時は怒り狂った。しかし、目の前にあるのは別の薬。『歌う林檎亭』での出来事が、本当に現実の出来事なのか疑ってしまう。

 暫しの逡巡の後、レイナースは、普段、閉めっぱなしになっているドレッサーの観音開き式の鏡を開き、その前に座る。そして、目を閉じ、一気にそれを飲み干した。まるでアルコール度数の高いお酒を飲んでいるように、口から胃までが一気に熱くなる。そしてその熱さが体の中全体へと広がる。

 やがて体から熱が引いていく。

 レイナースは目を開けた。そして、顔の右半分を覆い隠している髪をかき上げる。

 

「嘘……」

 

 呪いは消えていた。呪いを受ける前と変わらぬ顔。レイナースはドレッサーの前で、鏡に映っている自分の姿が信じられなかった。

 

 どれくらい鏡の前に座っていたであろうか。不思議と涙は出なかった。

 レイナースはドレッサーの引き出しの奥に仕舞ってある日記を取り出し、最初のページを開く。

 自分がやるべき三つのことが箇条書きで書かれている。

 

一つ、自らの呪いを解く

一つ、自分を追放した実家に復讐する

一つ、自分を棄てた婚約者に復讐をする

 

 その一番上、『自らの呪いを解く』の上に二重線を引く。自分のやるべき事は、あと二つ。

 日記の表はどうやって三つの目標を達成するかについて書かれている。どうやって復讐してやろうか。自分が想像し、実現できそうな復讐の方法を書き連ねている。

 レイナースは、日記を裏返す。そして後ろのページを開く。後ろからは、この呪いが解けたらどうするかが書き連ねている。

『夜会巻きにして、大胆なドレスを着て、踊りたい』

『髪が流されることを気にせず、馬に乗りたい』

『恋をして、結婚をしたい』

『お洒落をして帝都の大通りを歩き、何人の男が振り返ったかをこっそり数えたい』

『看板娘になってみたい』

 ・

 ・

 ・

 呪いが解けたらやろうと思っていたことを見返した、レイナースは天井を見つめる。

 さて、明日は何をしよう。

 そして、ふっと、思う。

 明日は何をしよう。そんなことを考えたのは、久しぶりだ。何をしたいか、何をすべきか。

 レイナースは、長いこと天井を見つめながら考えていた。 


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